奪われた。
スクラッシュドライバーを、いとも簡単にあの女に。
よりによって、紅守黒湖に。
この、人皮を被った怪物に。
「意外とズッシリしてんだねぇ〜。鈍器にも使えるなぁ」
「返せぇ!!」
再び立ち上がろうとしたが、足が動かない。
いつの間にか両足がワイヤーのような物で、太腿からアキレス腱まできつく縛られていた。ワイヤーの先には、拳銃がある。
「い、いつの間に……!?」
「背中蹴った時。あれれ? 意外と鈍感さん?」
「……クソッ!!」
次元が違い過ぎる。全てが規格外。生身ではとても無理だ。
芋虫のように這いながら、彼女を睨むしか出来なくなった。
「怖い怖い! 大丈夫だってば! こっちの条件を飲めば良い訳だわさ!」
「……は?」
「今後、氷室さんは、あたしの紹介するお仕事で働いて貰いまーす。その傍らで、あたしの仕事も手伝ってよ」
幻徳の顔に嫌悪感が表れた。
自分が人殺しに加担するなど、ごめんだ。
「お仕事を手伝う時のみ! これを返します! どう言う原理か分からないけど、これが紫のヒーロー最大の秘密なんショ?」
「断る……!! お前の下に付くものか……!」
「じゃあ、凛子ちゃん殺そっか」
分かりやすい動揺。黒湖は舌舐めずりをして笑う。
「凛子ちゃんだけじゃないよ。八葉ちゃんに浮菜ちゃんも、人質って事ね」
「冗談だろ……!?」
「ドッコイ、大マジ」
目の奥に、一切の慈愛がない。情けがない。本当に殺すつもりだ。
「これを返した時に襲いかかっても無駄だからねん。ダーッと逃げてサーッと殺しちゃうから」
「……嘘だろ……」
(嘘ですけど)
内心、黒湖はそうほくそ笑んだ。
彼女が意味も無しに、大切な女の子たちを殺すつもりなんて毛頭もない。
嘘も演技も手玉取りも、黒湖の得意分野だ。
幻徳は信じる他ない。
いや、嘘だとしても信じるしかない。
紅守黒湖は、そう信じさせるのに、十分な『狂気』を持っている。
凛子なんて、比にならないほどの狂気を持っている。
「この女なら、しでかさない」と思わせる、『殺意の狂気』だ。
それにドライバーがなくては、黒湖に対抗する以前の問題になる。
「……それを破る以外だったら。家も用意してあげるし、凛子ちゃんを手元に置いても構わないけど? あ。生活費、家賃、光熱費諸々は自分で稼いでねん」
「……………………」
「簡単っしょ? 変身して、あたしを襲わなければ良いだけなんだから。飼い犬が噛むなら、口グルグル巻きにして開かないようにするじゃん?」
「…………………………」
「あっ。それともあたしが変身してヒーローになるのも手か!? そうなると氷室さんは、死んじゃっても構わないかな〜?」
それは出来ない。その点では余裕がある。
『ネビュラガス』の注入を含め、ライダーシステムに耐えうる『ハザードレベル』の獲得……もっと言えば、ポケットの中にある『クロコダイルクラックフルボトル』のスリーステップがなければ絶対に変身出来ない。
スカイウォールがないこの世界において、ネビュラガスは存在しない。ネビュラガスは生物に対し、特殊な細胞分裂を促す。その細胞分裂が正に向くのか負に向かうのかが、ハザードレベルに寄る。そして仮面ライダーに変身するには、ただネビュラガスと適合するだけではなく、そのハザードレベルが最低限四レベル以上なければならない。
端的に言えば、この世界に於いてドライバーを使用出来るのは、自分だけ。悪用される心配はまずない。
これは盗られると捉えるよりも、預けておくと考えた方が良いだろう。
「…………分かった」
悔しさ、怒りを、一旦飲み込んだ。
開いた左手の傷より流れる、己の血を見れば、冷静になっていた。
憤怒に煮えた血が、蒸発し尽くしたかのようだ。
「……乗る」
全ては、自分の償いの為。
血で塗れたこの手で、全てを救う為。
この血を通わせ続ける為。
(だが、決して屈服しない……いつか覚えていろ……)
ここで彼は明確にした。
紅守黒湖。この女を、必ず倒すと。
(……クロコダイルの口を……そう簡単に塞げると思うな……)
スクラッシュドライバーを弄る彼女の前で、決意を改めた。
「従うしかないよねぇ? 変身しなきゃ、ただのおじさんだもんねぇ?」
「……一つ聞く」
「ん? なに?」
「……俺を手伝わせる理由はなんだ?」
冷静になればなるほど、疑問が現れる。
彼女のバックには……信じたくはないが、警察がいる。そして病院とも手引き出来ると言う事は、それなりの人脈もある。協力者に恵まれているだろう。
それなのに何故、抵抗する力を奪ったとは言え、自身に敵意を持つ相手を懐柔しようとするのか。いつか自身に危害を加えんとする人間に、何故協力を求めるのか。
「理由?」
ドライバーをポンポン投げては受けてを繰り返しながら、幻徳の前に来る。もう少し丁重に扱えと思った。
「ストレートに言うのは味気ないから隠すけど」
「………………」
「……『人はみな仮面を被っている』」
「……?」
訳が分からないと、顰め面になる幻徳。
「そう言う事っす」
「どう言う事だ?」
「じゃ。言質取ったからねん。約束破ったら切り刻んじゃうみょ〜ん」
掴めない言動のまま、ドライバーを弄りながら部屋を出ようとする。
「おっ? このスパナみたいな所! 押し込めた! 面白い!」
「おい! 精密機械だぞ! もっと丁寧にあつか……それよりもこのワイヤーを解け!!」
「ワイヤーの先の銃はあげる。護身用にどうぞ。可愛いJCちゃんたちとドライブに行って参りまーす……むふふ♡」
「貴様ぁぁぁぁぁ!! 覚えていろぉぉぉぉ!!」
幻徳の叫びも虚しく、診察室の扉は閉められた。
廊下を歩く心地の良い音は、暫くすれば止んだ。
「……クソッ!」
床に手を叩きつけ、幻徳は痛恨の声を吐いた。
黒湖の手に渡る事を良しとはしたが、アレが手元を離れた点は痛い。もしもの時、身を守る術が無くなってしまうではないか。
だが、スクラッシュドライバーの件は後回しだ。湧き水のようにドクドク溢れる、左手の血を止めなければ、黒湖へ復讐する前に死んでしまう。何か圧迫出来る物はないかと、辺りを必死に見渡した。
そんな彼の事情を察してくれたかのように、診察室に誰かが入って来る。医者かと思い身体を捻らせ、振り返る。
鼻を突く強いアルコール臭。薬品とかの類ではなく、もっと下卑た、酒の臭い。
そして次にタバコの臭い。酒とタバコ、居酒屋ならまだしも、病院にはまず無縁な臭い。
その臭いの根源こそ、入って来た人物。薄紫色の髪の、眼鏡をかけた女性。酔って紅潮した顔と覚束ない足取り、やけに挑発的な服装の、羽織った白衣以外で医者だと断定出来る要素は全くない人物。
見覚えがあり、すぐに思い出した。人間は不思議な事に、不快と思った人間の顔は瞬時に思い出せる生物だ。男も女も関係ない。
「あ!! あん時のヒゲ!!」
「あ、あの時の飲兵衛ッ!?」
一週間前、ひな子へ財布を届ける途中でぶつかった女性。酔って絡まれ、何とか逃げ切った女性。
まさか医者だったとは。それもよりによって、この病院の。
「黒湖に頼まれ来てみりゃ、まさか童貞ヒゲ男と再会とは!」
「誰が童貞ヒゲ男だ!!」
「あー……あーなるほど。黒湖も派手にやったもんだわ」
足をきつく縛られ、左手の傷からはこんこんと血が流れている。
傷は縫われていたようだが、また開かれていた。しかも縫い口を無理やり開いた為、抉れてもいた。
「こんなちゃっちいクソヒゲ治すのは気が引けるわねぇ……」
「言わせておけばこのアル中女……!」
「あ? 患者がそんな態度で良い訳?」
「医者がそんな態度で良い訳かッ!?」
女性は面倒臭そうな表情を見せてから、手に持っていた缶チューハイをあおる。
「……プハッ。黒湖に頼まれたなら仕方ないっか。ほら、私が治してやるわよ短小ヒゲ」
「このバッドドクターが……! お前のような酔っ払いに任せられるか! 他の医者を呼べ!」
「勤務時間は過ぎたわよ。んで、残ってんのは当直の私。仕事ぐらいはキチンとするわよ、ヘタレヒゲ」
「ヘタレだのヒゲだの、このヤブ医者が……」
「座らせるわよ……うわっ、おもっ。太ってんじゃない? ヒゲデブ中年男」
女性に起こされながら、不満げにぼやく幻徳。
「デブでもヒゲでもない! 氷室幻徳だ! 覚えておけ、厚皮女!」
彼の名前を聞いた瞬間、女性は少し驚いた顔をした後、ニタッと笑う。黒湖ほどではないが、おぞましさを感じる。
「へぇ! あんたが黒湖の言ってた!」
「なに?……あの女、何と?」
「てか氷室幻徳って、『ひ』むろ『げ』んとくでやっぱ『ヒゲ』じゃん」
「ぐっ……! 暴飲女が……」
「あと、飲兵衛とかヤブ医者って名前じゃないから」
幻徳を椅子に座らせ、タバコを咥え火を付ける。
「『藤浪 ユリア』。多分、今後ともよろしくすると思うわ」
藤浪の言い草に、違和感がある。
「どういう事だ?」
「黒湖から聞いてないって事は、あいつ勝手に決めたのか。かわいそ〜同情するわ〜」
「なんの話だ……うぶっ!?」
タバコを離し、紫煙を吹きかけた。
「この病院、『柳岡会』って所の傘下なの」
煙で噎せる彼に藤浪は言う。
「あんた。その柳岡組の『若い衆』にされたわよ。てかなにそのTシャツ?」
会と言う表現と、若い衆の言葉のニュアンス。幻徳はすぐに気付いた。
「……俺が?『ヤクザ』の構成員?」
間抜けな顔で、藤浪が左手の応急処置をする様を見るしかなかった。
そして思考が戻った頃には、展開の速さに笑うしかなかった。
(おのれ紅守黒湖ぉ……!!)
足を緊縛され、藤浪にチクチク左手を縫われながら、幻徳は黒湖への恨み節を心で唱え続ける。
スクラッシュドライバーを奪った黒湖。ご満悦と言った表情で院内の休憩所へ向かって歩いていた。
「これは何の装置かなぁ? オモチャにしか見えないし……あたし、騙されていたり?」
それはないかと、すぐに納得する。幻徳の挙動からして、演技には見えなかった。
「しかし……あの筋肉怪獣と凛子ちゃんを止めたほどだから……ふーむ。なかなかのテクノロジーな事に間違いはないんだけどねぇ」
スーツは飾りで、この装置一つが人体を強化させるデバイス……と言うのが彼女の予想だ。
尤も、黒湖はローグの身体が銃弾や刃を通さない鎧の上、その鎧が身体強化をかけている事は知らなかった。スクラッシュドライバーはあくまで、変身デバイス。変身装置以外では、すこぶる頑丈なだけの物でしかない。
とは言え、これがなければローグになれない事も事実。奪っておいた黒湖の判断は、総体的には正しかった訳だ。
「『サキちゃん』なら解析してくれるかな〜……かなりのオーバーテクノロジーよ」
スクラッシュドライバーの、レバー部分を押し込む。連動して窪みの両サイドから棒が伸びる。それが中央でガチッと嵌り……それだけだ。
「ここ、何かありそう。もしかして、決定的な何かが足りない……とか?」
そう考えながら、「物は試し」とドライバーを腰に当ててみた。
『スクラッシュゥドライバー!!』
「うひぃ!?」
起動音声と共に、ベルトが射出され腰を固定する。しかも自身のウェストとピッタリサイズ。
「え? これ凄くない? うわ良いな! こっからどうすんの?」
興奮気味にレバーをガチャガチャ押し込むが、何も起こらない。中央で棒同士がガチガチ当たるのみで、身体が強化された気がしない。
「……やっぱ、何か足りないか……氷室幻徳、その何かは別に隠していたか」
診察室に戻って問い詰めようとも考えたが、彼の焦り様を見て、このスクラッシュドライバーが九十五パーセントを占めていると気付いた。彼は残りの五パーセントを握っているに過ぎない。
このままでも言う事は聞いてくれるようだし、あまり細かい物まで預かれば無くしてしまいかねない。最後の五パーセントについては、泳がしてやる事にした。
「でもこれ何か良いなぁ……同じ原理の物、サキちゃん作ってくれないかなぁ。ベルト付けるのスッゴイ楽だし」
外そうとするが、外し方が分からない。
「……アレ? 外せ、外れな、ハズ、外れない……?」
ベルトやドライバーを色々弄り、何とか外す術を探す。
「くーちゃん! 遅過ぎ!!」
「え?」
「うん?」
待ちくたびれたひな子が、角から現れた。
彼女の目線の先には、見覚えのあるベルトを嵌めた黒湖の姿。
憧れのヒーローの、ベルトを巻いた黒湖の姿。
「あ、外れた……」
側面にあるボタンを押せば、カチッと外れ、掃除機のコンセントのようにスルスル収納される。
あまりひな子に気を留めていなかった黒湖だが、ひな子の目がキラキラ輝いている事に気付き嫌な予感が巡る。
「えー……ひな子、帰」
「そ、そ、それは、ろ、ロープの……!」
「へ? ロープ? 縄がなんて」
「まさか……! くーちゃんが……ロープ!?」
ロープはあの紫のヒーローの事だと分かった。だが、それはないだろと黒湖は思った。
そもそも初めて見た時、一緒に車に乗っていたではないか。
「いや、ひな子? その……ロープ? がいた時、あたし普通だったよね?」
「ロープぅぅ!! このひな子めを、弟子にしておくんなまし!!」
「ひな子、言葉遣いがおかしいから! あとロープじゃないから!」
彼女を説得し、八葉らと共に帰るまで、余計に時間がかかってしまった。
スクラッシュドライバーは、入念に隠す事に決める。
パイプ椅子の上で眠る、警官の前をこっそり抜け、病室に入る。
その病室は、幾つものベッドがあるのに、使用してあるのは一つだけだった。
月光が差し込む暗い病室。機械的な音と、穏やかな寝息。
浅葱凛子が眠る手前、幻徳が立っていた。
左手はしっかり縫い直されている。最初よりも、かなり上手く。
「……司法は、お前を見放したようだ」
近くに立ててあった椅子に腰掛ける。
「……不思議なモンだ。殺されかけたと言うのに、情けを感じるとはな」
月光が映す彼の目は、優しかった。
「多分、俺とお前が似ているからだろう」
懺悔するように、吐く。
「……俺も同じ、『ヒトゴロシ』だ」
一緒、声が震えていた。
「…………傷が癒えたら……目が覚めたら、また会いに来る」
彼は立ち上がり、またこっそりと病室を出る。
彼女が眠る傍らのテーブルに、何かが置かれていた。
彼の買った、往復券の帰りの切符。病院で泊まる事になり、使いそびれた切符。
彼の思いが込められていた。
「戻ろう…………」
そう呟き、院内の仮眠室へと向かう。
彼はまだ、死ねない。
本日は二本立て。