ぽつっ。
ぽつっ、ぽつっ、ぽつぽつっ。
ぽつっ、ポツっ、ポツッ、ポツポツポツポツポツ
ザァァァァァァァ。
ザァァァァァァァ。
ザァァァァァァァ。
「……さぁ。行くかな」
『ファミレスへ行こう/Surprise drive』
バタンッ。
十時きっかし、今日は金曜日。
幻徳は言われた時間に病院へ赴き、凛子を迎えに行った。
病室には院内服から私服に着替えた彼女の姿。
遊園地で見た、胸に虹色の蝶が描かれた服。背中には兎のぬいぐるみ。
退院をお祝いする看護婦たちの中心で困惑気味だったが、幻徳に気が付くと笑いかけ手を振った。
片手に、シネラリア。
「昨日ぶりだな。腹は空いているか?」
「……うん!」
「よし行こう。約束のファミレスだ」
二人は一緒に、出口へと向かう。
その途中、藤浪ユリアがやって来た。相変わらず酒で顔は赤く、咥えタバコをしている。
ただいつもの白衣姿ではなく、手術をする時のスクラブに身を包んでいた。
意外な事に監察医らしいが、仕事の後なのだろうか。
「退院おめでとー。元気そうじゃない?」
「おい、院内だぞ……タバコはやめないか」
「火ぃ着けてないからいいじゃない。口が寂しいのよ。あんたかてスーツで、葬式かっての」
夕方から仕事……チェザーレを流す売人を締めに行く。だから仕事着だ。
「全身打撲と聞いた時はさぁ、何日かなって思っていたけど、案外早かったわね。若いってのは良いわ」
「凛子、こいつは無視しろ。全身不謹慎女だ」
「ケッ。公務員崩れの不甲斐性男がなに言ってんだか」
「ちゃんと一人暮らししている」
「いやそうじゃなくて」
顔を合わせる度に言い合いをしている印象だなと、凛子はクスッと笑う。
ユリアは彼女のその顔を見て、驚いたような顔を見せた。
「あ、笑った顔は初めてね。いっつも陰鬱そうに窓の外眺めていたからさ」
「本当は良く笑う子だ」
「……ほぉ。懐かれてんのね。絶対あんた、子供には好かれないと思っていたのに」
「それはこっちの台詞だよ」
長話はしなかった。手をピョコッと振り、ユリアは二人の横を抜けて行く。
「んじゃ。どっか行くんでしょ? 早く行けば」
「酒は控えろよ、タバコもだ」
「はー、ツマンナイ男なこと、このヒゲ」
彼女の憎まれ口を抜け、病院を出る。凛子としては一週間ぶりの外。
生憎の天気だが、それを晴らす光景があった。
「りんごちゃーん!」
病院前に停められていた車から、ひな子が手を振る。
良く見れば八葉、浮菜もおり、テケリリランドの時のメンバーが揃った事になる。
「あ……みんな」
「俺が呼んだんだ。賑やかな方が良いだろ?」
幻徳に導かれ、凛子は後部座席に乗る。八葉、浮菜、凛子の順で座り、少し窮屈だ。
「久しぶり、凛子ちゃん! お見舞いに行けなくてごめんね?」
「ゴーカートに乗って事故ったって聞いたけど、大丈夫?」
八葉と浮菜の二人が労いの言葉をかける。黒湖は凛子がゴーカートで怪我したと言う事にしたらしく、彼女もその理由に従う事にした。
「うん。初めてでしたから、はしゃいじゃって……」
「そう言えば水沢、あの時は放ったらかして悪かったな。凛子の保護者をしていたもんでな」
「あぁ……大丈夫ですよ。アイスは食べられましたし」
幻徳が運転席に座る。助手席にはひな子だ。
彼が謝罪しているのは、アイスを買うと言ってそのままいなくなった事についてだ。
本当はその隣の子どもと、文字通りの死闘を繰り広げていたが。
「ねぇ、おじさん! レンタカーよりくーちゃんの車借りればいいじゃん!」
「スポーツカーに五人も乗せられるか。それよりおじさんはやめろ、まだ三十五だ」
「流石にあの車は……庶民の私らにゃ恐れ多いぜ」
「でも定員オーバーな事には変わらないし……あ、警察きたら隠れなきゃ」
ワイワイ騒ぐ、一行。
彼女らに反し、凛子はぼんやりと窓を見つめていた。
雨の水滴がつぅっと流れて、止まっていた小さな水滴に合流する。
水滴の質量は更に大きくなり、スピードが上がる。
そのままどんどんと他の水滴を巻き込み、また重くなり、速くなる。
最後は窓枠に衝突し、消えてしまった。
人間は複雑な生き物だ。同時に、単純な動物でもある。
窓の水滴のようだ。遅鈍とした物が、何かの拍子に加速する。
一旦加速すると止まらなくなり、底へ底へと落ちて行く。
欲望なのか、それこそが人間性なのかは分からない。
ただ人間は、落ちる時はどこまでも堕ちて行ける可能性を秘めている。
私のようだ、父親のようだ、そして幻徳のようだ。
だから凛子は期待する。幻徳が、『堕ちて行く』事に。
「だって、似てるんだもん」
彼女の呟きは、一行の騒ぎに掻き消される。
窓の景色が動き出した。
「出発だ」
「発車ぁー!」
彼の運転する車が進む。
病院は遠くなって行き、霞む前に角を曲がって見えなくなった。
市内の一般的なファミリーレストラン。
金曜日の午前なのに、学生のひな子らが何故いるのか。理由は単純で、祝日だからだ。
時間も早いので待ち時間もなく座れたが、店内は若い人でいっぱい。
「僭越ながら、乾杯の音頭を取らせていただく。浅葱凛子の退院を祝し、乾杯」
「カンパーイ!」
「乾杯っ!」
「あ。か、乾杯!」
ドリンクバーで淹れて来たジュースを掲げ、各々が凛子のコップに当てて行く。
気恥ずかしそうにしながらも、彼女は全員のそれを受けた。
「いやぁ! 休校日の午前に飲むコーラは美味い!」
「碧さん、おっさん臭すぎない?」
「さぁ、何でも頼め。今日は俺の奢りだ」
「リブステ! エビグラ! ハンバーグ!」
「それは頼み過ぎだと思います……」
注文を済まし、料理が来るまでの小休止。八葉が話題を振った。
「あの時はウッキーナと必死に園内探したなぁ」
「観覧車の前に張ったり、並んでいる人たち一人一人見て行ったり……翌日、筋肉痛が酷かったよ……」
「あの時は本当にすみません……」
「いなくなった事は駄目だけど、こうやって一緒になれたんだし、気にすんなって!」
幻徳はカルピスを飲み、話題に乗っかる。
「碧と水沢は探してくれていたが、ひな子もか?」
「ひな子は一人で回ったよ!」
そう言えば凛子を追っていた最中に見たなと、想起する。
「モトクロスショー見た! 乗りたかった!」
「いないと思ったら楽しんでいたんかい!」
「遊園地はね、楽しんでナンボだよ! くーちゃんも言ってた!」
「へ、へぇ……く、黒湖さんが」
何故か黒湖の名前が出ると、表情がギクシャクとする浮菜。誰も気にもとめなかったが。
「じゃあじゃあ! またみんなでテケラン行こう! 絶対!」
「それは良いな。凛子のリベンジって事でな」
「賛成だけどひな子……まぁ、そろそろテストだし……次は冬かなぁ」
幻徳がカルピスを飲み干した。
「淹れて来る」
「あっ、氷室さん一緒に行きまーす」
「淹れて来てやろうか?」
「あー大丈夫大丈夫です! 行きましょ行きましょ!」
コーラを飲み干した八葉が立ち上がる。
二人は一緒にドリンクバーへ向かう。
ドリンク機にコップをセットし、カルピスのボタンを押し続ける。
ノズルから、一直線にお茶が注がれた。
「碧、コーラは隣のノズルだ。淹れられるぞ」
「ねぇ、氷室さん」
彼女に呼ばれ、チラッと見る。ボタンから指が離れ、目線は外されなくなった。
八葉はスマートフォンを突き付ける。ネットニュースのスクリーンショット画像。
『テケリリランド、ジェットコースター破壊。犯人は紫のヒーローか』
『ヒーローは幻想か? テロの可能性も』
『紫の男、園内で発砲。死傷者はゼロ』
『強盗を殴り、窓を割る。ヒーローの逸話に潜む暴力性、犯行は妥当か』
指のスライドに合わせ、次々と画像が変わる。遊園地の事件の、物だ。
八葉は幻徳の正体を知っている、彼もいつ質問が来るのか待ち構えていたはいたが、
「………………」
説明に困るものは困る。
「……まぁ、私は氷室さんがこんな事しないとは知っていますよ」
「……どうかな。俺はヒーローじゃない」
「…………氷室さんはヒーローですよ。少なくとも、私たちの」
またスライドする。今度は、コメント欄だ。
『レストラン強盗を目の当たりにした者です。彼がこんな事をするとは思えません』
『彼は間違いなくヒーローだ! 訂正しろ!』
『人を撃とうとした奴らを殴って成敗してんのに、なに言ってんだ?』
『この犯人ニセモノだろ』
擁護するコメントばかりだ。一部を抜粋しているが、どれも共感を得られているコメントだとは「いいね」の数で分かる。
「正直に言うが、ジェットコースターの件も発砲の件も俺だ。弁明も反駁もしない」
「……理由は聞きませんし、何か正当な理由があったとも信じていますから」
「碧、お前はどうして……」
スマートフォンの液晶が黒くなり、ポケットに仕舞われる。
露わになった彼女は微笑んでいた。
「だって途方に暮れていたのに、落とした財布をわざわざ届けた人が悪い人な訳ないじゃないですか」
同然で、単純な理由だった。同時に目から鱗で、鳩が豆鉄砲を食らったかのような。
彼女は純粋に、幻徳の人間性を事実から評価していた。
「……それを言うだけに、一緒に淹れに来たのか?」
「氷室さんが不信になっていないか気になりまして。なんと言うか、氷室さんは難しく考えてしまう人っぽいですし」
失礼だなとは思ったが、的外れでもない。中学生とは思えないほど、人の事を良く見ている。
「だから、味方はいるんだって、知って欲しくて」
とても心強く、気恥ずかしく、安心出来る。一人で戦って来た自分にとって、何と強大な言葉だろうか。
胸が熱くなるような感覚が喉にまで表れ、幻徳は淹れたばかりのカルピスを飲んだ。
カルピスかと思えば、お茶だった。幻徳は思わず失笑する。
「……思えば、俺は一人の男を信じ、託したんだったな」
「……え? 氷室さんがですか?」
「……純粋な正義を持った男……馬鹿らしいと思っていた『ラブ・アンド・ピース』を掲げ続けた男」
彼は言っていた。
『ラブ・アンド・ピースが、この現実でどれだけ脆く弱い言葉かなんて分かっている』
彼は夢想家だった。
『愛と平和は、俺が齎すモノじゃない』
そして輝いていた。
『一人一人がその想いを胸に生きて行ける世界を創る』
だからこそ、託せたのかもしれない。
『その為に、俺は戦うッ!!』
「素敵な人じゃないですか。どう言う人でした?」
「あぁ……戦車でやって来た」
「…………へ?」
困惑する八葉の前で、懐かしむようにお茶をまた飲んだ。
通りかかる店員から声がかかる。
「すみません、バーの前で飲むのは……」
「あっ、すみません。すぐ戻ります……」
注意されすぐ謝罪する幻徳。
やっぱりこの人は、悪い人ではないと、安心した八葉だった。
それからは皆で楽しみながら、食事をする。
遊園地では成し遂げられなかったアイスを浮菜に奢ってもやれた。
「そう言えば氷室さん、切符の買い方は理解出来ました?」
「え? なんの話?」
「やめろ水沢ぁ! 何でもない、何でもないぞぉ〜?」
「おじさん変なの〜」
レストランの後は、幻徳行きつけだと言う服屋。
お見舞いの時の約束通り、Tシャツを買いに来たが、それだと侘しい為に凛子をコーディネートする事になった。
「黙っていたが、実は俺はファッションにうるさくてな。俺に任せろ凛こっ」
「あ……えと、八葉さんお願いします!」
「八葉ちゃんオシャレだもんね!」
「いつ見ても碧さんのセンスは凄いと思うな」
「おっ。黙っていたけど、やっぱ分かっちゃうかぁ〜!」
「待て、待て……おい、何故だ」
次に本屋。これは凛子自身の要望だ。
「海の生物に興味ありまして、図鑑を」
「ほほぉ……わたしのちしきを借りたいと申すか……!」
「ひな子が水棲生物好きとは意外だな……あっ、ウッキーナなに買うの?」
「ちょっと、情報処理系の本を……氷室さん、なに探しているんですか?」
「転職求人誌」
「やめましょうよ」
最後はクレープを買い、それを食べながら車を走らせ、黒湖の家の前に到着。
時刻は午後五時。幻徳にとっても子どもにとっても、帰りの時間だ。
「そう言えばひな子、紅守は帰って来たのか?」
「うん! 昨日の夜中に! シュルルのキリキリのぶみ〜っでボコボコだった!」
「言っている意味は分からんが帰って来たんだな」
「また朝にどっか行っちゃったけどね」
このまま黒湖を待つのも手だが、生憎仕事がある。
凛子を一旦預けておこうと決めた。最悪な女だが、今いないのなら大丈夫だろう。
あの女は、凛子をまた『堕としにかかる』。
幻徳はそれを危惧していた。何故か彼に凛子を一任させたが、真意は知れない。注意しなければ。
「それじゃっ、氷室さんまたね!」
「楽しかったです」
「あぁ。また遊ぼう」
車から降りて行く、八葉と浮菜。
最後に出ようとする凛子にも、声をかける。
「八時には迎えに行く。君の面倒を見る事になってな」
「うん。ひな子さんたちと待ってる」
「よし。じゃあ、後でな」
凛子は飛び出し、ひな子らの傘の下に移る。
雨は一向に止む気配がない。右往左往するワイパー越しに、厚い雲を眺めた。
この調子では一晩中降る、売人は来るのだろうか。
「……『ヒーロー』か……」
幻徳は車を走らせた。
サイドミラーに写っていた凛子らが、手を振っている。分かるハズもないが、鏡に向かって幻徳も手を振った。
流々家駅の近くのラブホテル裏。そこが聞かされた、売人の居場所だ。
「お前がそうか?」
「は?」
男が反応する前に、腕を締め上げ拘束。傘は地面に落ち、互いに雨曝しを食らう。
冷たい雨に濡れるも、男も幻徳も気にする暇はない。幻徳にとっては掴んだチャンス、男にとっては窮地だからだ。
「いででででで!? あ、あんた、誰だ!?」
「顔を見せろ」
帽子を取り、相貌を露わにする。
金髪をワックスで固め、頬骨の浮き出た男。死んだ俊秀が言っていた特徴と合致。
「チェザーレをばら撒いているそうだな」
「け、警察かよ……!」
「年貢の納め時って奴だ」
本当はヤクザから派遣されたが、一々柳岡会からと言うのも嫌なので警察のまま勘違いさせた。
「さて、質問に答えて貰おうか。誰の命令だ? そして、どういう理由だ?」
彼の質問に対し、男は震えた口調で話す。
「じ、実験だって……」
「実験だと? 麻薬を広めるのが実験か?」
「ち、違う! 効果だよ! チェザーレの効果を調べているとかなんとか」
「調べるもなにも周知だろうが。つまり貴様、製造元と繋がっているようだな……」
決して直線ではなかったが、ようやくゴールに辿り着けそうだ。
息を吸い、吐き、自身を落ち着ける。
「もう一度聞く。誰が」
男の身体が重くなる。雨水を服が吸ったからか、それとも抵抗か。
感覚だけならそう判断される。だが違う、幻徳の眼前に広がる血飛沫が、男の死を理解させる。
頭部を、撃ち抜かれた。
「はっ!?」
反射的に手を離し、物陰に避難する。男は胸から崩れ落ち、ぬかるんだ泥に顔面を埋めた。
コンコンと流れる、赤黒い血。
「まさか……ッ!?」
脳裏に巡るは、倉庫で見たスナイパー。
そうだあの女、俊秀から聞き出したに違いない。だからここで、張り込んでいたのか。
「……ッ!」
物陰を飛び出し、大通りまで走る。殺しをビジネスと言っていた連中だ、契約外の人間なんかまず撃たないと、幻徳側で高を括った。
射線の方へ一目散に走り、立ち並ぶビルを次々に見やった。
何処だ、何処にいる。屋外か、屋内か。待機しているのか、逃げたのか。
ドサっと、重い音がした。幻徳の真後ろだ。
乾いたばかりのスーツをまたドロドロに濡らし、幻徳は瞬時に振り返った。
カッパを来た、小さな女の子。
生気のない目が、幻徳に向く。
そして水彩画のように、濡れた道端にじんわりと血が広がる。
広く広く、赤く赤く。
「…………なんだと……!?」
首の折れた、幼気な死体。幻徳は強い動揺と怒りに、震えていた。
この時ばかり、頭の中からは、その一つしか残らなくなっていた。
雨はまた止まない。
雨はまだ止まない。
ユリアさんがキリヤさんと同じ監察医とは面白いですね。書いていて思い出しました。
次回の投稿は間があくかもしれません。