幻徳は闇の中にいた。
遠くがまるで見えない。或いは遠くさえ黒である為、遠近の区別がつかない。そんな闇の中。
「……? 何処だ、ここは?」
足元も分からず、ただ進む。
心に蟠る気持ちと不安を何とか殺し、出口を求めた。
歩けど歩けど、黒い世界。自分の影さえ見えない、闇の世界。
見渡し、一歩ずつ進み、時に立ち止まり、振り返ってはまた、前へ。
前に前へ前と考えた所で、前後左右なんて把握は出来ない。ただ幻徳は狂信めいた確信がある、
誰かが呼んでいるような、或いは声でなくとも、気配がするような。
言い様もない感覚に従い、彼は蟻のように進むのみ。
「……うぉっ!?」
上から何かが降って来た。
途端、幻徳にスポットライトが当たる。
異様な光景に疑問を抱く事はなく、彼は落ちて来た物を払い上げた。
A4用紙が数枚、ホッチキス留めにされていた。何かの資料のようなそれは、演劇台本だった。
○暗い世界・幻徳の意識(独白)
男、君を眺める。
男「どうだ? 晴れ晴れとした気分だろ?」
(自我)彼の言葉を否定する。自分はやるべき事をしたと主張する(自我終了)
男、君を眺めながら高らかに笑う。
男「やるべき事だと? 確かにそれは正しい。お前はお前の正義で、悪を打ち倒したんだ!」
(自我)否定する。自分は正義の使者ではないと告げる(自我終了)
男、笑いながら君を指差す。
男「いいや、俺は正義だ! 俺は俺の力で、正義を全うしたんだ! お前が望んだ、それを実行しただけに過ぎない!」
(自我)否定する。自分は子供を助ければ良かったと言う(自我終了)
男、憤怒の表情で君の前に立つ。
男「何故、真実を認めないッ!? お前は世を変え、国を統一する男だろう!? 民の上に立ち、支配し、戦争に勝利するッ!! 勝利は正義だッ!!」
(自我)掴みかかるが、男は避ける(自我終了)
男、大声で捲し立てる。
男「何を今更怖気付くッ!! お前は底無しの可能性を持っているハズだッ!! 親父を超える、支配者の器を持っている男だろうがッ!!」
(自我)立ち尽くす(自我終了)
男、腕を振り乱しながら続ける。
男「怖いのか!? 犠牲がッ!? 犠牲なくして、勝利はないッ!!」
「その過程で死んだ者は、『大義の為の犠牲』に他ならないッ!!」
大声が響き、持っていた台本を落とした。
聞き覚えのある声……いや、聞き覚えがあるも何も、四六時中聞いて来た、自分の声だ。
先方に、男が立っていた。
整った髭と、撫で付けた髪。そして東都政府の制服に身を包んだ男。
思い出したくもない、自分でありながら自分じゃない存在。
COCODRILO サブタイトル『狂笑ナイトローグ/CollApse』
○暗い世界・幻徳の意識(対話)
氷室幻徳、『氷室幻徳』と相対し、困惑。
紛れも無い、過去の自分だ。
パンドラボックスの光によって狂わされ、野望と好戦に満ちていた時代の自分。
十年間の自分……多くの人間を死へ追いやった、悪魔の存在。邪悪、外道……
それが今、薄汚れた格好に成り果てた自分自身の前に、高慢な表情で立っていた。
「お前は……!?」
「何を混乱している? 俺はお前だ」
燃え盛る目を大きく見開き、幻徳は愉快そうに睨み付けて来る。
「欲望を抱き狂気に向き合っても尚! それらをひた隠そうとする貴様に物申しに来た」
「俺はもうあの頃の氷室幻徳ではないッ!! 消えろッ!!」
「いいや逆だ。消えるべきは貴様の方ではないのか? え?」
舞台役者のような大袈裟な仕草を見せる。
天より注ぐ一筋のライトを浴び、暗闇が見守る中で幻徳はまた叫ぶ。
「俺は……お前は、数多の国民を死地に送り、人以下に殺したッ!! だからこそ、償わなければならないッ!!」
「償う必要はない、今の俺よ。お前の行動が、正しい! お花畑の思考で平和を掲げ、国が蹂躙されそうになった事態を、最小の犠牲で済ませたのだからな!」
「その結果が、更に多くの犠牲を生んだ……!」
記憶に過り、表情が微かに歪んだ。
その歪みに気付き、何を想起したのかなど、自分自身が察知出来ないハズはない。
「親父は甘かった、死んで当然とは、思えんのか?」
彼は怒りに駆られた。
この時ばかりはエボルトよりも怒りが優った。自分の声で、自分自身がそう言ったのだから、当然だ。
見下し、容姿ばかり綺麗に飾った自分に殴りかかる。
だが拳が当たる事は無かった。
奴の鼻先に拳骨が激突しようとした瞬間に、氷室幻徳へのスポットライトは消え、彼自身も消えた。
闇を擦り抜け、愕然としていると、背後から声が投げかけられる。
「そもそもだ、氷室幻徳! 俺自身よ! 親父が倒れた時、お前は確かに笑ったハズだ! 国の全てを、お前は手中に収められ、歓喜していたんだッ!!」
「俺はお前じゃないッ!!」
「言ったな氷室幻徳、俺よッ!! その言葉こそ、貴様の本性に他ならない!」
「なに……!?」
背後にて、再びスポットライトを浴びる氷室幻徳。
真っ直ぐこちらを見据え、勝ち誇った顔で言い渡した。
「償うと言っている割に、俺を認めようとしないのだからなッ!! 罪を背負う自分だけを見て、『罪を作った俺』には見向きもしないッ!!」
思わず押し黙った。その隙に彼は、間髪入れず叫ぶ。
「所詮はエゴだッ!! お前には、『罪の意識』は皆無なんだよ、氷室幻徳よッ!! 俺自身よ、お前その者よッ!!!!」
「……!!」
「お前に罪を償うつもりは無いッ!!……罪から逃げたいだけだろ?」
「……き、貴様ぁぁぁぁ……!!」
詰め寄る、胸倉を掴む。今度は奴を捕えられた。
捕えられたと言うのに、殴る事は何故か、出来なかった。
悶々としている内に、氷室幻徳は呆れた表情で、一発殴る。
「良いだろう、氷室幻徳! お前が自分の書いた、元の氷室幻徳を演じようとしても……俺がいるって事を教えてやる」
右手を、制服のポケットに手を入れたまま、もう片方の手を前に突き出す。
その手に持っている物に、地面に倒れる彼は絶句する。
「……それは……!?」
「懐かしいよなぁ、氷室幻徳。お前はこれで、全てを創ったんだ」
邪悪な笑顔、自分の顔だと信じられない。
フルボトルを、持っているデバイスに挿し込んだ。
『BAT!』
重低音を靡かせ、電子的な待機音が一定の間隔でリピートを続ける。
ポケットに片手を突っ込み、全てを嘲笑うような笑みを浮かべ……
『バットフルボトル』を挿した『トランスチームガン』を、天に掲げた。
「やめろ……!」
「貴様の本性を見せてやる」
「やめろッ……!!」
トリガーに指をかける。
「……『蒸血』」
そして、何の躊躇も見せず、引いた。
『MIST・MATCH!』
トランスチームガンの銃口より、鈍色の煙が噴出。
幻徳は浴びるように包まれ、姿が見えなくなった。
立ち込める煙の奥、蝙蝠を模した形のライトが浮かび上がる。
『BAT!……BA・BA・BAT!』
煙が晴れ始め、現した姿は異形の存在。
パイプを張り巡らせた装甲、人間の温もりを感じさせない無機的な相貌。煙を纏う怪人だ。
幻徳は、その怪人から目を離せなかった。
自分の罪の、具現化がそこに立っているから。
『FIRE!!』
怪人の背中から放たれた火花が、微かに揺蕩う煙を散らす。
完全なる姿のその存在こそ、狂気に陥っていた頃の自分の姿。
「刮目しろ……これがお前だ……お前なんだよ」
囁くように、そいつは示した。
「……『ナイトローグ』よ」
その言葉を最後に、彼は意識を飛ばした。
逃げるように、避けるように……恐れるように、死に急ぐように。
氷室幻徳、目を覚ます。
「う……っ」
体温の微かな低下に身体が驚き、脳から覚醒した。
闇に慣れた目が光に冴え、苦しそうで眠たそうな、気怠い表情でチラリ、横を見遣る。
布団を持った、凛子が立っていた。
「…………凛子か。その毛布、かけて欲しい」
「……もう朝だよ、幻徳さん」
「朝? もう? まだ寝たばっかだろ……」
「八時間は寝てるって!」
寝惚ける彼を揺すり、何とか上半身を起こす事に成功した。
『おはようございます』
「眠たい」
「Tシャツと言葉が真逆……」
以外と低血圧気味な彼に四苦八苦しながら、うつらうつらと危なかったしい幻徳を、背後から引っ張ってベッドから出そうとする。
凛子が使っていた敷き布団等は、既に畳まれている。
やっとベッドから降りた幻徳は凛子の姿を見て、「あっ」と思い出した。
「そう言えば、今日か」
「そうだよ、幻徳さん」
彼女の格好は、学校制服。
ここに住む事となると元いた学校は校区外となる為、彼女は転校した。
今日がその転校初日、登校日。
「すぐに支度しよう。味噌汁と、焼き鮭があったな……コンビニので悪いが」
「炊飯器、空っぽだった……」
「炊き方が分からんから、米は無しだな」
「……空っぽだったから炊いておいたよ」
「いつの間に……」
味噌汁、焼き鮭、白米。朝ご飯としてはオーソドックスだ。
「いただきます」と声を揃え、食事を進めて行く。
「学校は何処だった?」
「『マリモ學園』。私立校だって」
「良く私立校に入れたもんだ。小学校中学校は私立が良くて、高校からは公立が良いんだ。俺もそうだったな、小学校から勉強尽くしだ」
「幻徳さんはどんな学校だったの?」
「大学は国立だった。凛子は賢いようだし、目指してみるのもアリだな」
他愛もない会話。
喋る合間に食事を進め、二人は同時に「ごちそうさま」で終えた。
「お皿片付ける?」
「流しに置いておけ、帰ったら洗う。もう時間が無いぞ」
「……時間無いの、幻徳さんの寝坊のせいじゃ……」
「さ、さあ。行こうか」
幻徳もスーツに着替え、玄関先に待たせていた凛子と一緒に外に出る。
前回の事件の後、紅守から車を貰った。
中古のバンだが、まともな足が手に入った点は有難い。
「忘れ物はないな? 初日から忘れ物はメチャクチャ恥ずかしいからな」
「忘れ物はないけど……幻徳さんも、そんな事あったんだ」
「忘れもしない、アレは高校初日……」
「……早くエンジンかけないと」
後部座席に凛子を乗せ、幻徳はエンジンをかける。
車が軽く揺れ、アクセルを踏むと進み出した。ハンドルを左に切って駐車場を出て、道路に入る。
通学と出勤する人々が駅に走り、或いは車やバイクを走らせる。幻徳らもちょうど、その中に並ぶ。
「マリモ學園ってのは、どんな学校だ?」
「エスカレーター校の女子校だって。中等部に、ひな子さんや八葉さんがいるよ」
「エスカレーター校か……受験の心配しなくて良いな、羨ましい」
「幻徳さん、お仕事はどんなの?」
「…………まぁ、社会貢献な仕事だな」
「?」
赤信号となり、車は十字路で止まる。
歩車分離式の為、交差点は一気に人で溢れた。
無個性なスーツ姿、明るい色の制服。大学生ならばお洒落な服装だったり、無頓着な者ならばモッサリとした物。
またスーツ姿にせよ、ストライプが入った物だったり、似合う者と似合わない者がいる。学校制服にせよ、それをどう着こなすかと工夫しているような、おませな学生もチラホラ伺える。
疲れた顔の者、音楽を聴く者、一人の者、駄弁る者、ゆとりのある者、急ぐ者、電話をする者、スマホを弄る者、下を見る者、空を見上げる者、地味な者、派手な者。
スクランブル交差点は、様々な人で溢れかえっていた。
「……たまに思うんだ」
信号待ちの沈黙を、幻徳を破る。
「この交差点を歩く人々が、皆同じ考えを持って、同じ習慣で同じ場所を目指すのなら、どうなるのか」
「……みんな、同じ人だね」
「ああ。みんな、同じ様にこの交差点を渡るだろうな。同じ方向で、同じ表情で、同じ物を持って、同じ歩き方だ」
「私は嫌だね、それ」
「だけど経済学の世界じゃ、人間はみんな同じ考えを持っている前提で展開される。つまり、経済的にも文化的にも……その方が社会は美しく巡るらしい」
凛子から見た彼の横顔は、寂しげだった。
「……しかし、同じ考えを持っていたとしても、人間は何故か細かい所が違う」
歩行者信号が点滅を始める。
「そのちっぽけなエラーが、同じ所を目指しているハズなのに、どんどん人と人をズラして行く」
青かった歩行者信号が、赤になる。
滑り込みて交差点に出た者が、大急ぎで対岸へ走って行く。
「この交差点を歩いていた者も、同じ職場か同じ学校で、同じ考えや性格を持っているハズなのに、違って見えるのは」
幻徳らとは別の車道から、青信号になる。
「……細かい所……『自我』があるからだ」
幻徳は首を回し、凛子を見遣った。
「凛子。自分が自分である最後の証明は、その自我だ。自我の前に、同じ者は存在しない」
別車道が赤信号になると、次は幻徳らの車道が青になる番だ。
「……君は父親とは違う。浅葱凛子は君だけだ」
信号が変わり、前を向き、アクセルを踏む。
誰もいなくなった交差点を真っ直ぐ、突き進んだ。
「……幻徳さんにも、自我はあるんだよね」
凛子の質問には、簡素に答えた。
「……そうだな。そうだと願っている」
マリモ學園の前に着いた。通学中の生徒でごった返している為、校門より少し離れた場所で凛子を降ろす。
「ひな子らに会ったら、よろしく伝えてくれ」
「うん」
「帰りも迎えに行けると思うが、アレだったらひな子と紅守の家に行けば良い」
「分かった。それじゃ、行ってくるね」
「行って来い。勉強頑張れ」
ドアを閉め、校門に向かう他の生徒らに混じって消えてしまった。
出来るだけ見送る幻徳は、見えなくなったタイミングで、職場に向けて進路を取ろうとハンドルを握る。
ポケットで、スマホが揺れる。
「誰だ?」
メールだ、それも柳岡会の上司。
会内で数多の功績を立てた幻徳は、信頼され、難しい仕事を任されるようになれた。
メールを開き、確認する。訝しげな、彼の表情。
「……チャイニーズ・マフィアまでいるのか? どうなってんだこの町は……」
呆れながらも彼は目的地……『久多跡中華街』へ車を走らせる。
胸に蟠る、自分自身への不安を募らせながら。
ARANA
次回『燃えよドラゴン/Sniper Come back』