久多跡中華街。
神奈川県の境界に位置するここ流々家町だが、横浜中華街とこの街とは似たような起源を辿っているらしい。
オフィス街を抜けた湾岸部。少し先に海が見える場所に、この街はあった。
「……チャイニーズマフィアか」
幻徳は露店で買った、豚角煮バーガーを食べながら、メールで送られた指令を見返した。
「黒社会……
政治家として少なからず外交にも携わった幻徳は、中国語もある程度話せるし、読める。
彼に与えられた指令は、件の黑社會の調査。聞けばこの黑社會、この中華街のみならず、横浜・神戸までも裾野を広げているらしい。
中国本土でもなかなかの影響力があると言う為、柳岡会と言えども関わり合いは避けたいハズだ。
しかし今回ばかりは調査をしなければならない。
「……黑社會の下部組織が不穏な動きを見せている。何があったか、何をするかの調査か……俺はスパイじゃねーぞ……」
愚痴を零しながら、街を歩く。
派手な色合いの華やかな街並みは、先程まで車で走り抜けていたビル街とは打って変わり、強烈な印象を異国情緒と共に与えて来る。
少し辿々しい日本語で呼び込みする中国人の店員たちの間を抜けて、幻徳は薄暗い路地裏に入る。
「波の音か。裏手は湾岸っぽいな」
情報によると、この路地裏に埋没したかのような建物が、黑社會の支部だそうだ。
「……本当にここか?」
看板は出ていないが、入り口にある逆さまの福……『倒福』からして、何かしらの商店とは思える。
「……ちょっと見てみるか」
意を決して、戸を開く。
客を装い、店内の雰囲気を把握しようとした。
「いらっしゃいませ」
「に……ニーハオ」
「
「……そ、そうですか」
出迎えたのは、所謂チャイナドレスに身を包んだ女性店員。
「ここはレストランですか?」
「あの、どなたからの紹介を受けた方でしょうか?」
「紹介?」
「申し訳ありません。当店は完全紹介制でして……」
「あぁ……一見さん御断りの、そう言うタイプか……」
完全に出鼻を挫かれた。
ただ、店内の様子は確かに、高級そうな飲食店だ。奥に客室でもあるのか、良い匂いが漂っている。
「それは知らなかった。いや、本当に失礼しました……あぁ。
「
幻徳は出て行くしかなかった。
戸が閉められ、彼が出て行った事を確認すると、女性はくるりと踵を返し、奥の部屋へ入る。
観音開きの豪勢な扉の向こう。
そこは壮麗な装飾を施された、絢爛とした広間だった。
黒服に身を包んだ男たちが一列に並び、多くの料理が置かれた丸テーブルを挟んで対話する三人を傍観している。
女性は部屋に入るなり、その丸テーブルに座る一人の元へ近付く。彼が店主のようだ。
「どうした?」
「一般人が入店しただけです」
「看板は取っていたハズだが……倒福も取り去るべきだったか」
男は再び、対話者の二人へ視線を戻す。その二人が客人のようだ。
「少し想定外がありました、申し訳ありません……では、説明を続けさせていただきます」
彼の視線の先にいる二人。
一人はフードを深く被り、顔を見せず、目の前の食事に手を付けない巨漢。
もう一人は、食事をどんどん口に入れて行く、暗い目をした人物。
「……構わないわ」
どう言った因果だろうか。
いつか、幻徳と遭遇した、『二人の殺し屋』だ。
入店拒否された幻徳は、次はどう情報を得ようかと悩んでいた。
「近辺の人間に聞き込むか……いや。こう言う組織は情報統制がしっかりしている」
一度、乗ってきたバンに戻り、湾岸の方へ走らせた。
完全紹介制と言ってはいたが、どうにもきな臭い。
それに柳岡会の情報もある。詳しく調べる必要はあるだろう。
「……ん?」
チラッと上を見た時に、彼は気が付いた。
サンバイザーよりはみ出した、白いカード。
「………………」
そう言えばこの車は、紅守から貰った物だ。何か、車に細工でもされていないかと不安になってくる。
「……一体なんだ」
サンバイザーからカードを抜き取り、書かれている文字を読む。
『困ったらグローブボックスを引っ張ってねぇ〜げんとくん。ヒッパレーヒッパレー!』
「馬鹿にしてるのか……グローブボックス?」
カードの隅に、絵が描いてある。
助手席の前の物入れだ。
「……ダッシュボードじゃないのかコレ?」
『ダッシュボードはメーカーとか集まっている部分の事だよ〜ん』
「クソ……読まれてやがる」
どうせロクでもない物でも入っているのだろうと、試しに助手席前のグローブボックスへ手を伸ばす。
取っ手を引くと、カバーが勝手に落ちて開く。
案の定、中には拳銃が入っていた。
「誰が使うか」
乱暴に閉める。
「さて……どう見るか?」
コンテナの近くに車を停め、再び歩く。
GPSを駆使して把握した、この辺りの地図をスマホで見る。
路地裏から見れば小さな建物に思えたが、それはビルに隠れた一部分に過ぎない。
実際は中華街から湾岸にかけて広がった、巨大な建造物だ。
「完全紹介制のレストラン……にしてはデカイな」
建物の南側を見回ってみる。
監視役がいないか慎重になりつつ、視察。
幻徳は懐から何かを取り出した。
「特別に分厚い壁じゃなさそうだが……聞き取れるか?」
まるで聴診器に機械が付いたような物。
『コンクリートマイク』と呼ばれる物で、壁に伝わった『音の振動』を機械で増幅させ、盗聴するものだ。
本来は害獣駆除業者がネズミの巣を探す目的で使われるが、幻徳の物は盗聴特化用に改造し、支給された。
「取り扱い説明書があったな……まずイヤフォンを挿して、機械のボタンを押す……後はこれを壁に付けるだけ……簡単だな」
辺りに注意しながら屈み込み、マイクを壁に押し当てる。
『あっ♡ や……あっ♡ あっ♡』
「………………」
『あっダメ! きちゃうっ♡ きちゃうっ!♡』
「………………………」
マイクを離す。
頭を抱えて、溜め息を吐いた。
「……忘れよう。そうしよう」
場所を変えようと立ち上がる。
そうだ。場所が悪かっただけだと割り切り、移動した。
「……………」
建物から少し離れた所。
彼は突然、立ち止まる。
「……誰だ?」
見上げる。
空っぽのコンテナの上に立つ、邪悪な気配を感じ取った。
そこに立つ者は幻徳を不気味に見下ろしている。
「良く、気付いたナ」
漆黒の装束に身を包み、口元を隠して表情を伺わせない。
生々しい傷跡のあるスキンヘッドと、爛々とした三白眼が特徴的だ。
股下に垂れた布に、陰陽を表した『太極図』が描かれている。
若干、片言な日本語と、オリエンタルな暗殺者の風貌。
すぐに中国人であると分かり、同時に普通の人間では無い事も分かる。
「お前は黑社會の用心棒カ?」
「その口振りでは、あの建物が黑社會のアジトで正解のようだ……こことは関係ない」
「しかし、ただ迷い込んだ一般人でもナイ」
「……お前こそ、黑社會の人間か?」
男は首を振る。
「無関係なら、さっさと出て行きナ。じきに『戦争』にナル」
「そう言う訳には行かない。仕事でな……」
コンクリートマイクを仕舞う……と同時に、内ポケットにある『もう一つ』に手をかける。
「仕事? お前は探偵か何かカ? 生憎だが、お前からは『人殺しの臭い』がすル。普通では無いんダロ?」
幻徳の表情に、動揺が浮かぶ。
「……臭いだと?」
「この稼業を続ければ分かル……お前は少なからず、人を殺しているナ?」
「……だったらなんだ」
「黑社會に敵対しているなラ、利害は一致すル。組むカ?」
「……お前一人じゃないのか?」
男が顎を上げると、奥からゾロゾロと何人か現れる。
屈強で、柄の悪い男たちばかりだ。ナイフや金属バットに鉄パイプ……中にはどう手に入れたのか、日本刀や拳銃さえ持っている人間も。
「………………」
「この建物は既に、包囲してあル。ネズミ一匹、逃しやしナイ」
「………………」
「数で言えば……中にいる奴らよりは上ダ。奴らを外に炙り出し分散させれバ……向こうが銃を持っていようが押し切れるダロ?」
「お前、一体なんなんだ」
男は目元だけ歪め、笑う。
「そんな事は問題ではナイ……組むカ?」
「断る。黑社會の調査だけだ。襲撃しろとは言われていない」
どうせ裏社会の潰し合いだ。参加する義理もない。勝手にやってろ、と言うのが本音だ。
寧ろ、「黑社會は内部崩壊状態だ」と報告材料が出来た。
「そうカ」
「無関係な人間は見逃すんじゃないのか? 俺はこのまま帰らせてもらう」
懐から手を抜き、彼はその場を去ろうと踵を返す。
腐れ外道の仲間なんか、ごめんだ。
「残念ダ」
男は袖の下に忍ばせていたナイフを、背を向けた幻徳へ投げつけた。
ナイフは無回転のまま、刃先を真っ直ぐ幻徳へ向け、とてつもない速度で飛ぶ。
完全に視界に入れておらず、ナイフの存在など夢にも思わないだろう。
刃は背中から心臓目掛け、突き刺さる。
ガキンッ。
「ナニ?」
カラカラ……。
「………………」
「お前……背中に鉄片でも忍ばせていたノカ……」
「……見逃すんじゃなかったのか?」
カラン。
「やるのなら……相手になるぞ」
『
内ポケットに入れていた『クロコダイルクラックフルボトル』。
万が一に備え、彼は手の中に入れて振っていた。
活性化したエレメントが、クロコダイルの強固さを幻徳に与える。
投げナイフなど、余裕で弾く。
「得体の知れない人間を、生かして帰すと思っていたカ?」
男は集めたチンピラたちへ指示し、一斉にかからせた。
「だから嫌いなんだ……裏社会ってのは」
フルボトルを手に持ちながら、幻徳は襲い掛かるチンピラたちに立ち向かう。
最初の男がナイフを手に持ち、斬る。
「ヒャハァッ!!」
「ッ!」
「おぉ!?」
だが幻徳は身を屈めて回避し、がら空きの足を払って転ばした。
背中から倒れさせ、抵抗される前に腹部を踏み付け気絶させる。
「てめぇ!?」
「おオラァッ!!」
それぞれ鉄パイプと金属バットを持った二人組が、一斉に殴りかかる。
しかし幻徳とは場数が違う。
彼は冷静に凶器の軌道を読み取り、無駄のない動きで回避した後、懐に潜り込み一人の鳩尾を殴る。
「グェッ!?」
背後にいたもう一人には、動揺している内に後ろ蹴りで吹っ飛ばす。
フルボトルによる肉体強化により、その一撃さえ意識が保てなくなる威力だ。
「この……!」
銃を向け、幻徳を撃とうとする。
彼は落ちていた金属バットを手に取り、敵が引き金を引く前に投げつけた。
「ぐっ!?」
バットを顔に受けて怯んだ隙に、幻徳は突入。
途中立ち塞がる男は、攻撃した腕を掴み上げて無力化し、地面に叩きつける。
銃持ちの男の気が戻る寸前に、彼の懐に到着。
顎に幻徳は拳を打ち付けてやった。
一瞬の間に、五人が倒れる。
彼の破格の強さに、残りのチンピラたちは慄きを見せた。
「やめろ。束になったとて、俺には敵わん」
背後から強い殺意。
幻徳は瞬時に身を翻す。
先ほどの暗殺者の男が、満を辞して襲いかかって来た。
「超人的な身のこなし……普通ではナク、只者でもナイ……何者ダ?」
「柳岡会の者だ」
「柳岡……ジャパニーズマフィア……カ」
「……不本意だがな」
暗殺者は両手にナイフを持ち、斬りかかる。
両方から迫る凶刃だが、幻徳は後ろではなく前方に飛び込んだ。
「ムッ……!」
懐に入れば、攻撃も追撃も回避出来る。
幻徳は男の懐にて、彼の両腕を掴み、無力化を図る。
しかし流石は暗殺者だ。
彼の突入を読んでおり、その場で飛び上がって蹴る。
胸を蹴られ、その衝撃で幻徳は後退し、腕を解放させてしまう。
「ぐっ……」
一瞬の怯みを見逃す、暗殺者ではない。
足が地面に着いた途端、また即座に前方へ飛び上がった。
今度は懐に入られぬよう突き刺しの姿勢で、幻徳の心臓目掛けて突進。
「終わりダッ!!」
二つの刃が幻徳の胸へ突き刺さった。
しかし、暗殺者は驚かされる。
全体重をかけたハズなのに、刃は幻徳の薄皮を捲るだけで、深く刺さらない。
まるで岩を刺したかのようだ。
エレメントの鎧はまだ、持続している。
「なんだトッ!?」
「ふッ!!」
幻徳はフルボトルを握った右手で、動揺を見せた暗殺者の顔面に殴る。
紫色のオーラがワニの口となり、頭に噛み付いた。
「コレは……ッ!?」
強烈で、破滅的な一撃。
男はまるで車に轢かれたかのような衝撃を感じながら、血を吹き出しつつ横へ吹っ飛んだ。
「グゥオェエエッ!!??」
地面を滑り、置いてあった箱や、立ててあったフェイスをぶち抜き、海へ転落。
後に残った幻徳は、ギラリと、残ったチンピラを睨んだ。
「……一ヶ月分の治療費持っている奴だけ来やがれ。保険かけてあるなら同様だ」
人間じゃない、化け物だ。
「ひ……ひぃいいい!?!?」
チンピラたちはそう確信し、一斉に逃げ出す。
湾岸に一人残った、幻徳。
「……クソッ。手こずらせやがって」
胸から垂れる血を拭いながら、彼はバンに戻ろうと走る。
停めてあったバンに近付いた時、彼は己の不運を呪った。
「……包囲しているって言っていたな……」
黑社會を狙うチンピラたちがここにも待機しており、それが幻徳の車の辺りだ。
「……言えば何とかなる……か?」
幻徳は近付き、十名以上の集団に話しかけた。
「すまない」
「あ?」
「俺の車なんだ」
「知るかよ。関係ねぇ奴はすっこんでな」
中国人では無さそうだが、日本人でも日本語が通じない事にほとほと嘆く。
「ちょっと退いて貰うだけで良いんだ。俺の車なんだからな」
「そもそもおっさん」
「おっさん……」
「こんなヒト気のねぇ所になんで車停めてんだ?」
「仕事なんだよ」
「もしかして黑社會の奴じゃねぇよな?」
数人の男たちが幻徳の方へ近付く。
こう言う人間には無闇に近付かない方が良いと、教訓にした。
「関係ない。俺は柳岡会だ」
「柳岡会? なんでヤクザが……」
「その黑社會ってのを監視しに来たんだよ。それで黑社會は内部分裂が起きている……お前らはクーデターかなんかしようとしてんだろ?」
彼らは黑社會の敵だとは知っている。
敵の敵は味方……と言うのは妙だが、向こうにとっても幻徳とやり合うのにリスクもメリットもない。
ここは正直に打ち明けても構わないだろうと、口早く伝える。
「内部分裂……んまぁ、確かにそうだな」
「何か知っているなら聞きたいが」
「本当に柳岡会か?」
「そもそも俺は日本人だ。マフィアってのは身内で固めるだろ……多分な」
納得したかどうかは別として、幻徳を警戒して近付いていた者たちは飽きたように、彼から離れる。
「ったく、緊張させやがって……だったら早く帰んな」
「そのつもりだ……それで、何があったんだ?」
「黑社會の首領が殺されたみてぇだぜ」
その情報に、幻徳は眉を顰めた。
「暗殺か?」
「らしいな。んで、その後継が首領の嫁で、まだ若い女だ」
「それでクーデターか……」
あまり興味はない。一般人を巻き込まないのなら、潰し合って貰って結構。
馬鹿は死なないと治らないのだから。
「それじゃ、車を」
鈍い銃声。
「なんだ? 先行隊か?」
瞬間、コンテナの陰から誰かが現れる。
人影が見えた途端に、幻徳の前方にいた者たちは血を吹き、倒れた。
三発の銃声、しかし撃たれたのは倍の六人。貫通した弾が上手く、後ろの人間さえも射抜く。
「なんだと……!?」
布で包んだ何かを抱えた人物が、スナイパーライフルを向けている。
「……ん?」
その人物と、幻徳は目が合う。
「お前は……!」
幻徳も相手も、忘れもしない。
あの廃倉庫で見た、殺し屋。
「……なんであんたがいるの?」
「こっちの台詞だッ!!」
「なになに? え? 知り合い?」
抱えていた布の下は、若い女だった。
「こいつ……! 良くも仲間を……!」
「おい! あいつが抱えている女が『そう』じゃねぇか!?」
「ふざけやがって……!!」
幻徳の後ろにいたチンピラが、意気揚々と前に出る。
そのタイミングで出て来たのは、別の集団……黑社會の人間。
「ちょ、ちょっと、待て。待て待て待て」
向こうから見れば、幻徳もチンピラの仲間にしか見えない。
「お前は姫を連れて先行け」
黑社會側の集団で、一歩前に現れた男。
手には、ナックルと銃が合体したような武器を嵌めている。
横からはマシンガンのように、連なった薬莢がぶら下がっていた。
「待て待て! 俺は違うッ!?」
「あ? こいつなんだ?」
殺し屋はあっさり、言い放った。
「敵。無視して」
「嘘だろ……!」
殺し屋は女を連れ、退避する。
マフィアたちは一斉に拳銃を向け、同時にチンピラたちも拳銃を向ける。
銃撃戦が始まった。
「ふざけるなクソぉぉぉおおおッ!!!!」
バンの後ろに隠れるのが、やっとだった。