晴れた昼下がり。草木がさざめく河川敷。
穏やかな町の中、ここだけが妙な緊迫感に支配されている。
「女、男、ジジイ、子供……」
しゃがみ込み、被せられたブルーシートを上げ、中を覗く。
「……と来て、また女か……」
シートの下には、顔面の皮膚を引き剥がされた女性の遺体があった。
生々しく赤黒い筋組織が露出し、最早誰なのかも察知出来ない。
厳つい人相と、繋がったもみあげと顎髭が特徴的な警部『笠木 三郎太』は忌々しげに呟く。
「これで八件目か……ひでぇ事しやがる」
既に幾多の警察が場を抑え、調査を行っている最中だ。
笠木は遺体を再び隠し、背後に立っていた男へ振り返った。その目には侮蔑と厭悪が込められている。
「……重役出勤とは良いご身分だな」
のっそりと立ち上がる。
「……えぇ?『御剣サン』よぉ」
彼の後ろにいた男は御剣橙悟。紅守黒湖のお目付役だ。
隣には部下の君原茶々が控えていた。
「……申し訳ありません。遅れ馳せました」
「今日はこっちの補佐とか言うが、『アレ』は大丈夫なのか?」
『アレ』とは言わずもがな、黒湖の事を指す。
笠木は熱血漢で正義漢の、ステレオタイプな昭和警察官気質であった。警察の意義と理念による純粋な正義を理想とする男。
故に、何か起これば面目だの地位だのを第一に考える今の警察の遺憾を抱いていた。
警察の力不足を隠す為、全てを黒湖に一任する現状にも退っ引きならない思いがある。彼は警視庁屈指の、『反・紅守黒湖派』の筆頭であった。
「紅守は、被疑者の子供の保護に向かいました……被疑者本人とも接触しているハズです」
今回も例に倣い、笠木の嫌いな展開だ。
「……気にいらねェな……んなの、さっさと被疑者本人を引っ張ればすぐじゃねェか?」
「……事情もあり、そう言う訳にもいかないのです」
「何が『事情』だ……ウカウカしている内に死体は増えちまったんだろうが」
ブルーシート下の遺体も、死後二日は経過している。
「死体は顔の皮膚を剥がされている……剥がされているだけじゃねぇ、『持ち去ってもいる』」
河川敷周辺に、遺体の消えた顔面の皮膚は発見されていない。
だが寧ろ、発見されていないからこそ、この事件の被疑者は早々に浮上した。
「『
二十年前、七人を殺害したとして逮捕された『男』がいた。
連続殺人鬼としてメディアにも取り上げられもした。
しかし、一般には知られていない。
その男が『心神喪失』として『医療刑務所』に収監され、人知れず『社会復帰』までした事を。
同時に、『顔面の皮膚を剥がして持ち去る』手口も。
被疑者への社会的地位を守る為と、模倣犯の抑制を図り、情報が統制された。
本当は七人ではなく『七十人』を殺害した事も、統制されている。
大衆の混乱と、二桁に至るまで止められなかった警察への追及回避も込められていた。また同時に、犯人の父親が政治界の有力者であった事も含められる。
「二十年前は女だけがターゲットだったが……今回は男も子供も手にかけている。タガが外れて、自制すら出来ねぇ状態だろ」
男は「仮面蒐集家」と呼ばれているが、それは警察関係者間のみ知る。
今回の事件は、「一般人が知る由もない、仮面蒐集家の手口で行われた」点から、この『男』に再び疑惑がかけられた。
「しかし、どうして今頃になって……」
君原が妥当な質問をする。
「被疑者は医療刑務所を退院した後、結婚している。その妻が、数ヶ月前に死んだ。キッカケはそれだろ」
「妻の死の悲しみを忘れる為、再び殺人を犯した?」
「そうだ、おかしかねェ。それに妻の死亡した日の二日後に第一の殺人を確認した。偶然にしちゃ出来過ぎだろが」
状況証拠も揃いつつある。
ここまで要因が重なれば、疑う思考が寧ろ妥当だ。
「……なのに、令状より先に、あの『イカレ女』を向かわせんだな?」
御剣を睨み付ける。元々の強面も相まって、今にも殴りかかりそうな気迫を醸していた。
「……被疑者の、『現在の状況』が原因でしょう」
「……なにが現在の状況だ。警察の面子と人命を天秤にかけんのか?」
「……上の、判断です」
分かりやすく舌打ちする。
「事ある毎に上上上と、判断判断判断……」
「………………」
「……なぁ、いつから『そう』なっちまった。え? トーゴさんよぉ」
呆れ果て、踵を返す。
その際、笠木は愚痴をこぼす。聞こえるよう大声なのは叱責も込められていたからだ。
「俺らは、乗せられもしねェんだな! 切符すら貰えねぇ訳か。なんの為の警察だッ!」
笠木のポケットの中で、携帯電話が鳴った。部下からの連絡だ。
ガタン、ガタン、ゴトン、ゴトン。
「………………」
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
「…………………………」
『間も無く、三番線、特急、久多跡行きが』
「お、おじさん…………ほ、本当なんですか?」
『七秒で、到着します』
「……頼む。知り合いの碧らには秘密にしてくれ」
「ほ、本当に言ってます?」
『黄色い線の内側、三角印の、一番から、八番まで…………』
「……電車の切符、一人では買えん」
『彼はチケットも買えない/Cheer up!!』
券売機で八葉らが切符を買う後ろで、幻徳は浮菜にこっそり頼み込んだ。
「教えてくれ」
「ま、マジに言ってます?」
「大マジだ……」
浮菜は信じられない。
この現代社会に於いて、電車の切符を買えない人間がいようとは。しかも大の大人が。
「お金を入れて、ボタンを押すだけですよ?」
「幾ら入れるんだ? 高いのか? お札は何処から入れる?」
「ほら、券売機の上に料金表がありますから……」
「アレは……どう、見たら良いんだ?」
「…………マジですか」
保護者として同行する男が一番保護されなくてはならない。
幻徳は目を細め、何とか料金表を理解しようと努めていた。
「失礼承知で聞きますけど、電車は乗った事ありますよね?」
「ICカードの定期のお陰だが……それも学生時代だ。免許を取ってからは乗っていない」
「い、一度も券売機を使った事ないんですか……!?」
「……からっきし」
浮菜は頭が痛くなる。
ただでさえ彼女にとってこの現状は『悩みの種』であるのに、厄介を起こさないで欲しいと思った。
そうこうする内に手前のひな子らが切符を買い終わり、幻徳らの番。
「おじさん! 出来るだけ早く買って! 次の電車は乗るから!!」
「ハハハ! そんなに焦らなくたって、テケリリランドは逃げねぇぜ?」
何気無い会話でさえ、幻徳へのプレッシャーとなる。
焦燥と苛つきが仕草に出ており、口髭をしきりに触っていた。見かねた浮菜は、渋々補助する。
「えぇと……氷室さん……でしたっけ?」
「氷室幻徳だ」
「その、切符を一度に二枚買って貰う風にして教えますから……」
「なに? 一度に二枚も買えるのか……?」
券売機の前で大人と中学生が並び、小声で話し合う。
少し異様な光景だが、まさか大人が切符の買い方を中学生から学んでいるとは思えまい。
「………………」
彼らの背後、凛子は買った切符を持ちながら二人を眺めていた。
「凛子ちゃん、自分で切符買えたんだ。小学四年生だっけ? 偉いなぁ」
八葉が声をかけ、ゆっくり振り向く。相変わらず緊張した面持ちだが、最初より幾分か落ち着いている。
ひな子はいつの間にか買ったオレンジジュースを勢い良く飲んでいた。
「お父さん、仕事で忙しいから。あと、通学で……久多跡小だから」
「へぇ、そっか。私、小学六年までは一人で買えなかったなぁ」
八葉の視線が幻徳らに移る。まだ四苦八苦しているようだ。
「ハハハ! ウッキーナと何やってんだか。こう見るとあの二人、『親子』みたいだな!」
「……うん」
凛子の目が、儚げな光を纏う。
部下の電話報告を聞いた笠木の表情は、困惑に満ちていた。
「……どう言う事だ……!?『アリバイ』があるだと……!?」
元仮面蒐集家の男には、八件の事件の内、五件にアリバイがあった。
「もしかして、模倣犯なのでは……?」
君原の意見に対し、笠木は頑なに否定する。
「いや。手口は秘匿されている、そんな訳はねェ。共犯の線もあるが……」
「……そうなると、動機が分からなくなる……」
妻の死がトリガーだと言う動機が、共犯ならば説明がつかなくなってしまう。そも、二十年前も単独で犯行に及んだ人物が、今になって仲間を付けるものなのか。
「一体、どうなってやがんだ……!?」
笠木自身、『手口は秘匿されている』と答えた反面、アリバイのある五件に説明がつかない事態への割り切れなさもある。
「……いや。模倣犯の可能性はあります」
数多の可能性を考察する彼の前で、御剣が意見する。
「……なに?」
「公開されていない手口……知っている可能性のある人物は他にもいます」
「他にも……」
笠木にも合点が行く。答えは盲点にあった。
「……ッ!!『二十年前の被害者遺族』かッ!!」
メディアへの秘匿はなされど、遺体と向き合う者は嫌でも真相を知らされる。
自分の娘が、姉が、妹が、妻が、顔を剥がされ殺された事は嫌でも知らされる。遺族にとっての、当然の権利だ。
遺族には唯一、手口は教えられた。
「向島と笹山は遺族を洗え!! 桂と崎岡は浅葱の妻の死を調べ直すんだ!!」
可能性が示された後の、彼の指令は的確だ。
その場にいた部下全てに捜査を命令。停滞寸前の現場は一気に慌しくなる。
「あの、私たちは……」
「お前らはここに俺と残れ……現場を荒らすんじゃねぇぞ」
御剣と君原を残した理由については、元仮面蒐集家の犯行が否定された場合に、黒湖らにストップをかけさせる為だ。
二人を置き去りに、笠木は鑑識官の方へ走る。
「……ツルさん」
「単独犯の可能性がなくなっただけだ。警部も分かっている。俺たちは俺たちの仕事をするぞ」
事態の急転に役割を見失いかけた君原を、御剣は宥める。
「しかし、手口が知らされているにせよ……遺族が同様の手口で犯行に及ぶものでしょうか……?」
「……確かにそうだが……」
それ以外に可能性はない。彼はそう断言したいが、君原と同様に違和感がある。
もっと別の可能性があるのではないか。
「……他に手口を知っている人物は、『仮面蒐集家の親族』ですが……」
「父親はありえねぇ、今年で七十の老人だ。母親は昔に亡くなっている。兄弟はいなかったな」
「なら、医療刑務所を出た後……」
「妻と子供ぐらいだろ……最も、自分が元殺人鬼だなんてうち明かす訳はないか」
「妻は亡くなっていますし、その子供は現在保護されていますし……」
可能性の弾丸は尽きた。
お手上げだと言わんばかりに、君原は首を振る。
「やはりツルさんや笠木警部の言う通り、遺族の犯行……?」
「……………………」
ふと、御剣に思い付きが巡る。
「君原。急ぎ、詳細を知りたい情報がある」
「え?……何でしょうか?」
彼の表情に、気のはやる様が伺えた。
「『アリバイのある五件』だ。『共通点』を探すぞ」
彼らもまた、行動を始める。
特急電車に揺られ、四十分。
『藍峰東、藍峰東。各駅停車は、お乗り換えです』
テケリリランドのある駅に、一行は辿り着いた。
「テケリリランド!!」
「まだ駅なんだけどなー」
はやる気持ちを抑えられないひな子は、どんどん先を行く。
後続の八葉は引き止めるのに手一杯だ。
「帰りも教えてもらいたい」
「あー……往復券で買いましたから、もう大丈夫ですよ」
最大の難関を突破し、幻徳は浮菜に感謝する。
「何か礼をしたい。ジュースでも奢ろうか?」
「い、いえいえ。申し訳ないですよ……」
「ぜぇん然構わない。炭酸にするか? お茶にするか?」
「えぇ……じゃあ、お茶で……」
近くにあった自販機まで駆け、緑茶を買って来る。
浮菜の方へ戻った時、彼女の後ろに立っていた凛子に気が付く。
「浅葱ちゃん……だったか」
「…………うん」
「何か飲むか? さっき自販機見たらコンポタージュもあったぞ」
「コンポタージュは……今はいらない、かな?」
「……そうか」
やや残念そうな顔。
それは別として、浮菜に買ったお茶を渡す。
「あ、ありがとうございます、氷室さん。すいません」
「構わないと言ったろう。ちゃんと自販機で一番高いお茶にしたからな」
(どうでも良い……)
内心で侮蔑しつつも、喉は緊張でカラカラだったのは確か。
素直に感謝し、浮菜はペットボトルに口を付ける。
「美味いか?」
「…………まぁ、はい」
「一番高いお茶だからな」
(拘り過ぎでしょ……)
呆れ顔の浮菜と、得意顔の幻徳。
差し詰め、父親の面倒事に巻き込まれた娘の図のそれでもあった。
「………………」
凛子は二人の様子を見ていた。
儚い光の目で見ていた。その目に、靄がかかって来る。
「浅葱ちゃんもどうだ? 一番高いお茶が」
「リンゴジュースが良い」
「…………そっか」
渋い顔のまま、幻徳はまた自販機に向かう。リンゴジュースがないと気付いたのは、その時だ。
仮面蒐集家のアリバイがある五件の情報が分かった。
「……ツルさん。どう言う、事でしょうか……?」
捜査一課より寄せた事件の詳細を、メモに纏めた。
閲覧した君原は当惑を見せている。
「一件目、二件目……全部、『男性』。しかも、『妻子持ち』ばかり」
「それだけじゃねぇ……」
御剣が得た情報は、遺族の詳細にまで至っていた。
「見ろ。三件の被害者家族の子供は皆、『同じ小学校』だ。内二件は老人男性だが、孫がその小学校だ」
「同じ小学校……?」
「あぁ。私立の小学校だな」
メモの内容を読み上げる。
「……『久多跡小学校』……」
君原が学名を聞き、呟いた。
「……確か、『仮面蒐集家の子供』も同じ小学校でしたね」
彼女の呟きを聞いた途端、御剣の目が見開かれた。
可能性の弾丸が一つ、込められる。
「……まさか……」
学習心理学の分野に於いて、『観察学習』と呼ばれるものがある。
人間に限定して話を進めるが、行動の獲得には『他者』を必要な場合がある。他者を『お手本』として、模倣する。
こう言う実験結果がある。大人が人形に攻撃を加える映像を見た子供は、性別に関係なく、同様に攻撃行動を取ったと言う結果だ。
子供は大人の行動を真似し、同様の行動を取った。モデルの行動に対し、『自分にも出来るのか』『やる必要はあるのか』と判断出来る生物に見られる学習だ。
この結果を鑑みるならば、人間は他者を模倣し、能力を会得出来るようになっており、現在に至る複雑な社会はこの能力によって培われたとも言えるだろう。
犬が犬のまま、猫が猫のままなのは、観察学習が出来ない故。人間はそれが可能であり、急速な進化を遂げてこられた。
観察学習は、人間の進化に密接に関わる現象だ。
人間は、『他者より影響を受ける生物』だ。それは社会生物としての恩恵であり、呪いでもある。
『自分にも出来るのか』『やる必要はあるのか』の判断を誤れば、我々はなんでも行えるほど、危ういのだ。
自我のある者は兎も角、『自我の弱い子供』ならば。
御剣は脂汗が滲み出ている事に気付く。自分でも恐ろしい想像をしていた。
「……もし、なんらかの形で……あの男の闇に触れてしまったのだとしたら……」
喉が渇いて行く感覚が、機敏に感じ取れた。
「…………盲点だった……」
「……ツルさん?」
「君原。至急、紅守と屠桜に連絡をとれ」
「はっはい」
御剣のただならぬ雰囲気に、君原もまた飲まれた。
彼女が電話を扱う最中、御剣は小さく呟く。
「……まさか、『浅葱の娘』だとは……!」
遊園地が見えて来た。
ミネラルウォーターを持つ『浅葱凛子』は、しかしぼんやりと別の存在を見ている。
「テケリリランドの、テケリリはなんだ?」
「マスコットキャラクターのしょごたんの鳴き声ですよ」
「変な鳴き声だな……エイリアンか何かか?」
「さぁ……?」
『優しい父親』のような男、氷室幻徳を。
初対面の子にも打ち解けられる、彼の姿を。
その目に光はない。暗い暗い、漆黒。
「…………………………」
幻徳は図らずも、『死への切符』を持ってしまったようだ。