自殺少女と陰気少年   作:イワブチ

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第二話、未遂、そして金髪女

 

          〇

 

 

 一度目はしくじった。

 実際は、しくじればそれで終わりなのだから、この言い方は正しくない。かろうじて致命的なことにはならなかったと、まあそれが正直なところだ。

 

 

 ことの起こりはこうだ。

 取引を結んだ、たった数日後、ぼくの携帯電話が着信を知らせた。昼休みだったと思う。

 

 

――ごめんなさい、野方くん。助けて。

 

 

 電話を耳に当てると、蚊の飛ぶようなか細い声で西ヶ原さんはそう言った。

 話が違うじゃないか。月一じゃなかったのか?

 

「……わかった。どこにいる?」

 

 

――……体育館。

 

 

 電話を切ると、ぼくは箸をおいて弁当箱に蓋をした。立ち上がると、一緒に昼食をとっていた浅木(あさぎ)が訝しげな目線を投げてよこした。

 

「ちょっとトイレ」

 

 頷く浅木に背を向けて、ぼくは教室を出た。

 

 

 特に急ぐわけでもなく、悠々と階段を下り、校舎を出て、渡り廊下を歩き、初夏の日差しに目を細めてから、ぼくは体育館の扉を開けた。

 太陽の光に埃がきらきらと舞っている広い空間にひと通り目を走らせたが、ひと気はなかった。

 とすると舞台袖か、用具室か。

 後者を選んで、ゆっくりと引き戸を引いた。

 

 

 ちょうど、西ヶ原さんが首を吊った瞬間だった。

 

 不覚にもぼくは呆然として、その光景に見惚れてしまった。

 薄暗い用具室の片隅で、白い紐で吊るされた西ヶ原さんは、異様に美しく見えた。何か、宗教画の一枚のような、そんな趣があったのだ。

 しかし、はっと我に返ると、ぼくは弾かれたように動き出した。

 

 

「くそっ。ひと月に一回じゃなかったのかよ」

 

 

 跳び箱に乗って彼女の体を支えながら、ライターで紐を焼き切るのは骨が折れた。

 どさりと床に落ちた西ヶ原さんは激しく咳き込んだ。首にはわずかに赤い痕が浮かび上がっている。

 

 ぼくは、おいおい本気だったのかよコイツ、と思った。

 少なからず狂言、ようするに構って欲しくて気を引こうとするくだらない精神疾患だと思っていたのだ。

 手に負える気がしない。というか手の施しようがない。これは、普通じゃない。

 

「あっ、ありが、とう……」

「いいよ、話さなくて。落ち着くまで」

 

 意識朦朧といった状態の西ヶ原さんは、いかにも乱れた様子であり、こんな場所を第三者に目撃なんかされた場合、残りの半生を重すぎる十字架を背負って生きねばならなくなること請け合いだった。

 そんなことを冷静に考える一方で、ぼくは自分が震えていることに気が付いていた。膝が笑っていたし、声も普段通りではなくかすれている。ようするに、怖かったのだ。

 

「あとは自分でなんとかなるよな」

 

 西ヶ原さんは捨てられた子犬のような目でぼくを見つめた。

 知るか。役目は果たしているだろうが。

 ぼくは返事を聞くことなく、用具室を出た。

 

 

 体育館を出て、大きなケヤキの木漏れ日を浴びながら、ぼくは自分の首に手を当てた。

 心臓が早鐘を打っていた。息を吸うのがすこし難儀だった。

 すがすがしい日だった。

 

 

          〇

 

 

 生物部の部室をあとにしたぼくは、その日、旧校舎が全面清掃という掲示板を見たことを思い出して、新校舎の一番端、目の前はすぐ山の斜面という非常階段までやって来ていた。

 

 

 生物部というのは名ばかりで、基本的には土の入ったプランターに種を撒いては植物の成長を見守る、水耕栽培をする、それだけの部活だった。

 動く生き物といえば、壁際にある水槽のウミウシだけだ。とはいえ、そのウミウシはとびきり可愛かった。部員みんなに愛されていた。ぱさぱさに乾いた米粒みたいな日常の癒しだったんだ、青と黄色のそいつは。けれど、飼育が難しく、よく死んでいた。

 ぼくは昨日死んだウミウシと西ヶ原さんのことを考えたが、非常階段に着いたとたんにどうでもよくなった。

 

 数か所ある喫煙スポットのひとつがここだ。景色は良くなかったが、人目に付きにくいし、教職員はまずやってこない。安全な場所だった。

 来るとすれば、ほら、いま頭上から足音が聞こえる、同じ穴の(むじな)くらいだろうか。うざったい奴が来やがった。

 

 

「センセーに言いつけるよ」

 

 

 そいつは――真ん中で分けられた長い金髪の目つきが悪い、いかにもワルですって面の女生徒は、白いシャツの胸元を手ではためかせながら、そう言った。

 

 

「なんで下りてくるんです? 上で吸えばいいじゃないですか」

「うるせえな。アタシの勝手だろ。あと、その気持ち悪い敬語、いい加減やめろよ」

「ぼくの勝手ですね」

 

 金髪女は、和泉鏡子(いずみきょうこ)という。

 とある文学者によく似た古風で美しい名前だが、名は体を現さない。

 同い年だが、高圧的だし、制服も着崩しているし、煙草も吸うし、頭も悪いから、ぼくはよく敬語を使っている。一線を画していることを暗に主張しているのだ。

 とはいえ、ぼくは和泉のことはべつに嫌いではなかった。悪い奴じゃないんだ、こいつは。ただ煩わしいところがあるだけだった。

 

「火、貸して」

 

 和泉はそう言うと、顔を近づけくる。

 彼女のくわえた煙草の先端が、ぼくの吸っている煙草に接触した。

 

「やめろよ」

 

 ぼくは顔を引っ込めてそう言うと、和泉は馬鹿にするように笑った。

 恥をかかされた気分だった。

 

初心(うぶ)だねえ。野方、アンタ、童貞でしょ」

「だったらなんですか?」

 

 こういうところが、ものすごくウザい。正直、殴りたかった。

 

「べつに。ヤらせてあげないよ」

 

 ぼくは顔をしかめると、無視して欄干に腕を置いた。

 むっとする陽気だった。風は凪いで、煙はまっすぐ上に昇っていった。

 山の斜面の杉木立の合間に、小動物らしき影が見えて、和泉が声を上げた。

 

「うわっ、狸。かわいい」

「あれはアライグマですよ。尻尾が違う」

「どっちだって一緒だろ、かわいいし」

 

 真理だった。たしかにかわいかった。狸だとかハクビシンだとかレッサーパンダだとか、そんなのは些細な相違でしかなかった。

 ぼくはあのアライグマを生物部で飼育してみてはどうかと考えた。非常に面倒そうだ。

 

「ねえ、西ヶ原さんって知ってる?」

 

 ぼくはふと気になって尋ねた。

 

「西ヶ原? あの西ヶ原?」

 

 和泉は眉を寄せた。

 

「どの西ヶ原とかは知らないですけど、おそらくそいつです」

「うーん……」

 

 自分のことは棚に上げて言うが、飄々としたところがある和泉は友人が少なそうだった。それに校内の人間関係にも疎そうだ。そもそも不良なのだ、こいつは。聞いたのが間違いだったかもしれない。

 

「人気者なんじゃないの」

 

 ぼくは疑わしげな目を向けた。

 和泉は気にしたふうもなく、続ける。

 

「きれいだしモテるって噂では聞くよ。頭もいいんでしょ、アタシと違ってさ」

 

 和泉はどうでもよさそうに煙を吐いてから、ふと口角を上げた。

 

「なに、キョーミあんの? 西ヶ原とアンタじゃ、猫に真珠だね」

 

 猫に小判だろ、馬鹿が。いや、そこは月とすっぽんだろ、阿呆が。

 すこし悲しくなる。自身を過小評価しすぎかもしれない。

 

「興味とかじゃないんですよ。ただ余儀なくされてってやつです。意味、わかります?」

「バカにするなよ」

 

 和泉は鋭くにらんでから、そっぽを向いた。やっぱりわかっていなかった。

 

「和泉は友達っているんですか?」

「はあ? なに急に」

「いやね、噂とか回ってくるんですね、和泉にも」

「だから、バカにするなよ。ダチくらいいるっつうの」

「へえ」

 

 眉唾な話だ。こんな不良女と話の合う生徒がこの学校に、いったいいくらいるというのだろう。わりと聞き上手だと自負しているぼくですら、手に余っているんだ。すこし興味がある、どんな奴なんだろう、こいつの友人ってのは。

 ぼくは、しかしながらすぐに興味が失せて、二本目の煙草に火をつけた。

 

「さっきの話だけどさ、いじめとかもあるって聞いた」

「……」

「妬んでんだろうね」

 

 和泉は遠くの方、山の向こうの船みたい形をした雲を見ながら呟いた。

 ぼくがちらっと視線をやると、「そういうヤツって、アタシ、マジで許せないんだよね」と彼女はこぼしていた。

 

「陰でこそこそ、ネズミかっつうの。考えただけで腹立つ」

「はははっ」

 

 ぼくは笑った。

 けれども、和泉は心底真面目くさって、絹のような金髪をかきむしっていた。

 ボックスに残っていた煙草二本をぷりぷりと怒っていた和泉にくれてやると、ぼくは非常階段を下りた。

 

 

 どうやら美人で頭脳明晰な人気者の西ヶ原さんは、陰湿ないじめを受けているらしい。

 だから、なんだ?

 

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