「じゃ、私はもう行くね」
そういった彼女は、颯爽とその場を後にする。
「はい、ありがとうございました」
交番へと案内をしてもらい、家に帰る見通しのたった俺はお礼を言い、走り去る彼女の背中を見つめる。すると、少し行った所で彼女が振り返り、ふと目が合う。
「比企谷く~ん、バイバ~イ!」
「た、高海さんも気をつけて~」
ブンブンという文字が見えるくらい激しく手を振る彼女に対し、まるで大和撫子のように、御淑やかなお手の振り方をする俺。
(名前で呼びたかったな…)
呼ぶなら、千歌さん。いや、千歌ちゃん。もういっそのこと呼び捨てで千歌なんてどうだろう。
そう、彼女の名前は"高海 千歌"
交番へと案内をしてもらっている間、俺がただ金魚のフンに扮しているとでも思ったか?"ふん"だけに
彼女の名前を聞き出すことに成功していたのだ。それも、ごく自然な流れで
『いやー、助かりました。』
『ううん、これくらいお安い御用だよ!』
『ところで、君の名前は?』
『えっ…』
な、極めて自然な流れだろう?
…いや自分を騙すのはやめておこう。高海さんが優しい女の子だったから良かったものの、一歩間違えれば通報されていたかもしれない。相変わらずのコミュニケーション能力に自分でも呆れてしまう。仲良くなろうとするのはいいが、距離感を考えないとな。
苦い過去を思い出す。…あれは中学一年生、一学期の時だった。ファーストコンタクトに失敗した俺は、若干クラスから浮きつつあり、それをなんとかしようと必死になっていたのだろう。隣の席から聞こえてきた"プリキュア"というワードに飛び付き、突然輪に入り、聞かれてもいない事まで熱弁してしまった。
…結果そこに残ったのは、嬉しそうな笑顔の自分と、ひきつった笑みを浮かべるクラスメイトだった。そこからのことは言うまでもあるまい。
少し胸が苦しくなってしまったが、俺はもう挫けない。腐らないと決めたのだ。そう決めたはずなのに、胸に刺さったままの棘が抜けない。なぜだ…なんでだよ…
そして、悲しい現実を思い出す。
(あ、俺迷子だった)
思い出した俺は、交番へと入り一言
「すみません、道をお尋ねしたいのですが」
無事家へと帰る事に成功した俺は、布団へ入り、今まさに眠りにつこうとしていた。
(高海さん、かわいい子だったな…)
微睡みの淵で彼女を思い出す。かわいいと言っても、単に容姿が綺麗というわけではない。一つ一つの所作、言動も総じて可愛らしいのである。特に、初対面の俺に対して手をブンブン振るところなんて、反則だった。
明日は始業式。新しい環境で過ごす高校生活はどの様なものになるのだろう。期待と不安を抱えながらも、疲れた体を癒すため、俺は意識を手放した。