「小町、お兄ちゃん一人静岡に引っ越す事になったんだけど」
お風呂から上がり、リビングのソファーで携帯をいじる最愛の妹に、残酷な事実を告げる。もしかしたら、泣きつかれるかもしれない。小町はお兄ちゃんっ子だからな。
「ふーん、あ、ティッシュ取ってー」
「はい」
二つ返事でティッシュ箱を渡す。
優しいお兄ちゃんは妹の言うことはなんでも聞いちゃう。流石お兄様。
「ん、ありがとう。浦の星女学院に転入するんでしょ?小町は賛成だよー」
ガーン…
そんな、そんな…
ティッシュ箱を渡したら、お返しに引導を渡されてしまった。…ってなんで小町が転入先の高校を知っているんだ?
「あ、今"何故小町が転入先の高校を知っているんだ"と思ったでしょ?」
エスパーかお前は
「うん。本当、なんで知ってるんだよ」
「実はね先週、…いや先々週だっけ、平塚先生が家に来て、お兄ちゃんの転入の話を先生と家族みんなでしてたんだ。」
そのみんなに何故、当事者である俺が入っていないのか。いまいち腑に落ちない。
「それでね、平塚先生がお兄ちゃんを、浦の星女学院へ共学化のテスト生として推薦したいって言ったの」
「うん、それで?」
「最初はお父さんもお母さんも反対してたんだけど、浦の星女学院の理事長さんが、お父さんの古い知り合いだったみたいでね。電話をかけて色々話を聞く内に、"分かった、他ならないお前の頼みだ。私の息子を託そう"って格好良いこと言ってた」
俺の運命を勝手に人に託すなよ。
「んでもって、最終的には満場一致で万歳三唱だったよ」
「なんで喜んでんだよ」
別におめでたくはないでしょうに。…おめでたくないよね?そうだよね?
「小町はね、これはチャンスだと思うのです」
「チャンス?」
「うん、チャンス。お兄ちゃんが奉仕部に入って半年は経つけど、一向に友達をつくる気配を見せないでしょ。」
「いや、友達とかそもそも定義が曖昧過ぎてつくり様がないんだよ」
「はぁ、そういうところだよお兄ちゃん。雪乃さんと結衣さんとの関係も、お兄ちゃんがいつまでたってもハッキリしないから、ずっとあのまんまなんでしょ?」
"あのまんま"
非常に曖昧な言葉だが、今の俺にはハッキリと理解ができた。同じ部活の人間ではある。が、かといって友達という訳ではない、息を吹けば消えてしまう、蜻蛉のような関係。
「それは…」
「でしょ?だからね、小町は心を鬼にしてお兄ちゃんに言います。」
何を言われるのだろう。
「今までお兄ちゃんに何があったか全部は知らないけど、嫌な事がたくさんあったのは知ってるよ。自分の部屋で泣いてた事も、落書きされた上履きを一生懸命洗ってたことも、小町は見てました」
「…」
「でもね、いつまでも逃げてちゃ何も変わらないよ。小町だってずっと一緒にいるわけじゃないんだから」
「別に、俺は一人でも…」
「ううん、大丈夫じゃないよ。今は一人でも平気って思ってても、いつか必ず寂しいと思う日が来るよ。だからね、お兄ちゃん」
「傷付くのを怖がらないで」
「傷付くのを怖がらないで…か」
今まで色々なことをしてきた。文化祭のことも、戸部の告白のことも。全部自分のためだった。結果自分が嫌われ、傷付いたとしても、それが自分の仕事なんだと、認められなくても誇るべきことなんだと。そう思っていた。
けれど、小町が言っていたことは違う。本当の意味で自分のために、傷付く事を恐れないでと言っていた。
その言葉は、ついさっき由比ヶ浜から逃げてきた俺の心には、想像以上に深く突き刺さった。
電気を消し、布団に入り天井を見上げると、紐にぶら下げられた、蛍光色の球が目に入る。
届くのだろうか。
そう思い、手を伸ばしてみる。
「やっぱ…届かないよな」