バカとテストと召喚獣IF 優子ちゃんinFクラス物語 作:鳳小鳥
「なんだろう。このバカでかい教室」
去年は学年の都合上あまり立ち寄らなかった新校舎の三階に来ると、通常の数倍はありそうな広さの教室が目に入り立ち止まった。
「何してるの。早く行かないと遅刻するわよ」
校門から一緒にここまで来た木下さんが振り返って言う。
でも心配は無用だ。何故ならもうすでに本鈴は鳴り終わっているから。
校門の前で鉄人と木下さんの会話を聞いているうちにとっくに残り時間は終わってしまっていた。
そんなわけで、これ以上急いでも意味なしと諦めのんびりと校舎内を歩いてきたのだ。
「いや、それはもう手遅れだし。それよりこの部屋なんだろう。なんか無意味に大きいよね」
「そこ、Aクラスよ」
「へぇ、ここがAクラスかぁ────ってえぇっ!? Aクラスゥッ!?」
広っ! 教室の規模じゃない!
「すごい……まるでホテルみたいだ」
思わず驚嘆の言葉が口から漏れ出る。
「当たり前よ。ここは学年最高ランクの成績を持つ生徒を集めた所なんだから。設備だってその分豪華になるわ。まあ、アタシもこれはちょっとやりすぎだと思うけど」
「だよね。なんかこれだと綺麗すぎて逆に集中できなさそうだよ」
「貴方はどこにいても同じでしょ」
「う、ごもっともです……」
「皆さん進級おめでとうございます。私はこの二年A組の担任、高橋洋子です。よろしくおねがいします」
ふいに教室内から女の人の声が聞こえてきた。
気になって窓から覗き込むと、髪を団子状に丸めスーツを着ている知的な女性教師の姿が見えた。
その背後のプラズマディスプレイには、高橋洋子と大きな字が表示されている。
「まず支給品の確認をします。ノートパソコン、個人エアコン、冷蔵庫、リクライニングシートその他設備に不備のある人はいますか?」
うわぁ、なんか漫画喫茶みたい。
冷蔵庫には飲料類が入っているしお菓子とかの食料も完備されてるなんて。
一回でいいからあの座席に座ってみたいなぁ。
その後も長々と設備に関する説明をした後、クラスメイトの自己紹介へ移行した。
最初に立ち上がり教壇の前まで来たのは、Aクラスの代表らしい黒髪を腰の辺りまで伸ばし物静かな雰囲気を漂わせる女の子だ。
クラス代表ということはつまりこのクラスで一番成績が良かった人だ、さらにAクラストップとなれば学年トップと同位だ。
自然、視線がその子に集まっていく。
かく言う僕も何か神々しいものを見るかのごとくその光景を眺めていた。
「……霧島翔子です。よろしくおねがいします」
だがそんな視線など物ともしないで、緊張など皆無と言わんばかりに淡々と挨拶をして、一礼する霧島さん。
「あんな可愛い子が学年トップなんだ。すごいなぁ」
「やっぱり代表になったのね。霧島さんは去年も学力テストの順位はすべてトップだったもの」
「……天才っているんだなぁ」
米粒程度でいいのでその才能を僕に分けてほしいよ。
なんて感想を呟いているうちに、自己紹介は次の生徒に移っていた。
霧島さんと入れ替わる形で恥ずかしそうに壇上に立ったのは、僕もよく知っている人だった。
「はじめまして、姫路瑞希です。よろしくおねがいします。一年間、学年次席として恥ずかしくないよう努力していきたいと思ってます」
小柄な体と霧島さんと同じぐらいの長髪で顔を赤らめて自己紹介する姫路さん。
「あ、姫路さんだ」
「知ってるの?」
「うん。住んでる家が結構近くで小中と同じ学校だったんだ。けど話した事はほとんどなくて知ってるって言うのも僕の一方通行なんだけどね。そっか。多分そうだと思ったけど姫路さんもAクラスかぁ」
「………………」
感情の読めない顔で、木下さんは窓から姫路さんの姿を見ていた。
縮こまりながらも必死に口を開くその姿は非常に可愛らしく、また支えてあげたい保護欲を掻き立てられる。
あー、やっぱり綺麗だなぁ姫路さんは。
軽く見とれていると、横で静かに教室内を眺めている木下さんの顔が目に入った。
「…………」
窓を覗き込む木下さんの横顔を見て、ふと僕は先日の試験のことを思い出していた。
そういえば、木下さんだってきちんとテストを受けられていれば今頃この輪の中にいたはずなんだよね。
それが、たった一度の、小さなミスで仲間外れにされてしまった。
この窓を挟んだ一枚の壁の先は、彼女にとってどれほど遠い光景になっているんだろうか。
今更ながら、僕は興味本位でAクラスに立ち寄った配慮のなさに後悔の念を覚え始める。
今も和気藹々とした教室内を覗く木下さんの心情は今の僕には理解できなかった。
「あのさ。木し──」
心配になって声を掛けようとすると、唐突に木下さんは窓から視線を外して口を開いた。
「そろそろ行きましょ。いつまでもここで盗み見してもしかたないわ」
「っと、そうだね」
出鼻を挫かれた。まあいいか。機会はこれからいくらでもあるんだから。
それより僕達もそろそろ自分のクラスへ行かないと。
先に歩き出す木下さんに遅れないよう、僕も走らない程度の速さでその後を追いかけた。
☆
渡り廊下を経由して旧校舎へ来た僕達を待っていたのは、腐った木材を集めて適当に作った寺小屋のような教室だった。
「なんだろう。このボロっちい教室は、ていうか──教室?」
「…………」
さっきとは打って変わって廃墟のような凄惨な教室に呆然とする。
『二年F組』と書かれたプレートの前で、僕達はしばし立ち尽くしていた。
「……想像以上にみすぼらしい教室ね。本当にここであってるのかしら?」
「さっき見たAクラスとは天と地以上の差だね……。でも確かにここにFクラスって書いてあるし、中から声も聞こえてくるからここだろうね」
「…………はぁ」
露骨に嫌そうな表情で溜息を付く木下さん。その気持ちは良く分かる。
僕も思わず回れ右をしたくなったほどだ。
外から見ただけで分かるこのボロさ。とても手入れがされているとは思えない。
「と、とりあえず入ろっか?」
引き戸に手を掛けながら先を促す。
唯でさえ僕達は遅刻している身、さらにこれ以上悪印象を持たれるのはお互いによくないはずだ。
木下さんは若干不安そうな面持ちで扉の向こう側を見つめているようだった。
きっと最低ランクの成績者が集まるFクラスに自分が溶け込めるか心配しているんだろう。
校門で言われた鉄人の言葉を思い返す。
よし。こういうときこそ、僕がしっかりサポートしてあげないと。
「大丈夫だよ。きっとFクラスだってみんないい人たちで今頃は僕達が来てないことを心配してるはずだよ」
「……吉井君ってポジティブね」
「そうかな? 僕だってクラスに馴染めるかどうか心配だし嫌やつとかいないかなって不安だよ」
「………………」
「でもずっとそれだと前に進めない。──だからせめて信じようよ」
「……何を?」
「勿論、クラスのみんなを」
かっこよく決めて、僕は教室の扉を開いた。
ガラッ!
「すみません。ちょっと遅れちゃいました♪」
「早く座れ、うじ虫野郎!」
「おらぁ!!」
「のぁ!? 明久てめえいきなり何しやがる!」
「返せ! 僕の純情な気持ちと五秒前のかっこいいキメ台詞を返せ!!」
「入ってくるなり意味わからんことを抜かしてんじゃねえよ!」
扉を開けた途端に突然失礼な罵倒をしてきたのは、去年の同じクラスで僕の悪友でもある坂本雄二だった。
「な、なんなの……?」
入室後一秒で始まった乱闘に扉の前で木下さんが驚いている。
僕に意識を向けていた雄二は、そこで初めて木下さんの姿を発見した。
「あん? なんだ木下姉と一緒だったのか」
「うん──ってちょっと待って雄二。木下さんがFクラスだって知ってたの!?」
「当たり前だ。俺はクラス代表だからな。クラスメイト全員の顔と名前を知らなくてどうする。事情もそれなりに把握してるつもりだ」
さも当たり前のように言う雄二。
でも、長い間この男の友人だった僕からして、その台詞はかなり意外だった。
「いや、雄二にしては随分真面目だなぁと思って」
「俺だってたまには真剣になるさ」
意味深に唇の端を吊り上げながら言う。怪しい。怪しすぎる。
昔は神童なんて呼ばれていたやつのことだ。絶対何か裏があるに違いない。
「ねえ、そろそろい──きゃあっ!?」
蚊帳の外に置かれていた木下さんが教室内を歩く途中、何か突起があったのか目の前でバランスを崩した。
「おっと」
それを一番近くにいた僕が倒れないよう両肩を掴んで支える。
途端、手の先から伝わる女の子特有の柔らかい感触に思わず心臓の鼓動が一段階跳ね上がった。
ああ。それにしてもどうして女子ってこんなに良い匂いがするんだろう。
「だだ大丈夫、木下さん……?」
「え、ええ、ありがとう吉井君」
「怪我とかしてない?」
「うん。なんとか」
「そっか、良かった」
手で肩を支えているので自然、顔と顔が近くなる。
改めてみる木下さんの正面顔はやっぱりすごい綺麗で、見ているだけで幸せになれるような気持ちになれた。
僕の心臓はバクバクと音が聞こえるぐらい鼓動を打ってる。
この感情の正体はわからないけど、なんだかすごく嬉しい気分!
その時、
「吉井ぃぃぃぃぃーーーーーっ!!!!」
「ん?」
ゴスッ!
突然真横から頬に何か硬い感触がぶち当たって僕は豪快に吹っ飛んでいた。
「──────」
悲鳴を上げる暇もない。
気づけば、僕は壁に全身をぶつけて床の上でのびていた。
「……え?」
いきなり目の前から人が消えたように見えたのか、さっきまで目の前にいた木下さんは立ち尽くしたまま呆然と呟く。
そりゃあ人がいきなり壁にめりこんだら驚くよねー──って、冷静に観察してる場合じゃない!
「誰だ今僕を吹っ飛ばしたのは!」
「ウチよ」
「え? なっ!? し、島田さん……」
「ハロロー吉井。新学期早々朝からお熱いことねー。なんだかむかついてつい蹴っちゃったわ」
まったく悪びれもなくそう答えたのは、雄二と同じく去年同じクラスで僕の天敵でもある島田美波さんだった。
「つい、で人をふっ飛ばさないでよ!」
「うっさいわね。あんたが登校早々いちゃいちゃしてるのが悪いんでしょ!」
「ただ転ぼうとしてたのを助けただけだよ!」
「……どうだか、どうせ肩に手を当ててた時に柔らかいな。とか思いながら興奮してたんでしょ」
それは否定できない。
「あの、島田さん──」
「えーと、ちょっと通してもらえますか?」
木下さんが何か言い出しかけた時、ガラリと音を立てて背後からさえない感じのおじさんが教室に入ってきた。
見た事ない顔だけど、ひょっとして担任かな?
「それと席についてください。これからHRを始めますので」
やっぱり教師か。
「はい」
「うーっす」
それぞれ適当な返事をしてから各々の席へ戻る。
……あれ? そういえば僕の席ってどこ?
「先生。僕の席はどこですか?」
「開いているところに適当に座ってください」
「席すら決まってないの!?」
恐るべしFクラス。
生徒への配慮の適当さが手に取るように伺える。
「……本当に大丈夫なのかしら、このクラス」
ぼそっと呟かれる木下さんの言葉に、僕は内心で激しく同意した。