バカとテストと召喚獣IF 優子ちゃんinFクラス物語 作:鳳小鳥
木下さんに連れられるままやってきたのは、なんと校舎裏だった。
「え……、ここで食べるの?」
乾燥した硬い土に整備されず生い茂っている雑草。
ところどころペンキが剥がれた校舎の壁。
音や声というものは一切なく新学期初日のお昼の賑わいが嘘のようだ。
景色を楽しもうにも周囲は僕の身長の二倍ほどの高さにもなる塀と有刺鉄線に囲まれていて外で食べる醍醐味が完全に失われている。
いやむしろ狭い檻に閉じ込められような窮屈ささえ感じていた。
およそご飯を食べる場所としては明らかに適さないこの場所で木下さんはお弁当の風呂敷を開けようとしていた。
「何か不満なの?」
「不満っていうか不安というか……。どうしてここなの? お昼ご飯を食べるならもっと良い所あるでしょ。ほら、屋上とか中庭とか」
「今の時期だと新入生が集まっていてそういう穴場はどこも混んでるでしょ。今日は静かて落ち着いた場所で食べたかったからここを選んだのよ。ここなら誰も来ないから丁度良いってだけで特別な意味はないわ」
「確かに好き好んでこんな所来る人もいないと思うけど。でも……」
「嫌なら別の場所にいきなさいよ。アタシはついて来て良いって言っただけで吉井君がお昼を食べる場所まで指定した覚えはないけど?」
梃子でも動かないといった姿勢で言う。
仕方ない。ここは僕が折れるしかないようだ。
「う……っ。分かったよ。僕もここで食べる」
「そう」
「……隣、いい?」
「うん」
「ありがとう。じゃあ……失礼します」
断りを入れて僕は木下さんの隣に腰を下ろした。
「さーてご飯ご飯。いやーお腹空いた。いただきます」
「待って吉井君」
「うん? 何木下さん」
「貴方……。それ何?」
木下さんの視線が僕の手の先に向けられている。
「何って。見ての通り。水と塩だけど?」
右手に塩の瓶。
左手に水の入ったペットボトル。
これが紛うことなき今日の僕のお昼ご飯だ。
「それがどうしたの?」
「いや、どうしたって……。明らかにおかしいでしょ。何、ひょっとしてうけでも狙ってるの?」
僕の昼食をお笑いのネタ扱いされた。
「ち、違うよっ。ただ……ちょっと最近は諸事情でお金がなくて、ご飯が買えないんだよ」
「買えないって、それにしたって限度が……あれ? 吉井君って一人暮らしなの?」
「あ、うん。家族はみんな仕事で海外にいてね。僕は母さんが毎月送ってくれる仕送りで生活してるんだ」
「へぇ。そうなんだ。やっぱり一人で生活するって大変?」
「うーん。そりゃあ最初は炊事洗濯から何まで全部自分でしなきゃいけないから苦労は多かったけど、慣れると気楽でいいよ。人目を気にせず友達と騒いだりもできるし」
「そうなの。なんだか楽しそうね」
「あはは。確かに楽しいかな。まあ目覚ましで起きれなかったりした場合起こしてくれる人がいないからその時は遅刻確定なんだけど。メリットもあればデメリットもあるよ」
食費とかね。
「それは吉井君が注意していれば済む問題でしょう。……でもそれじゃあその昼食はどうしたの? お母さんが仕送りを忘れてるとか?」
「いやこれは……」
「??」
「……ここ最近、新発売で面白そうなゲームが多くて……その、ちょっとまとめ買いを」
「それってただの自業自得じゃない」
「うぐっ」
直球の台詞が心に刺さる。
さすが頭脳明晰な木下さん。実に的を射た言葉だ。返す言葉もない。
「まったく、心配して損した。……まさかアタシのお弁当を分けてもらう為に声をかけたんじゃないでしょうね?」
「そ、そんな事思ってないよ! だからそのお弁当を僕から見えないように隠すのはやめて!」
「どうだか」
お弁当を隠したまま怪訝な表情で言う。
うう、まったく信用されてないなぁ。
まあ仕方ないか。
振り分け試験をなしにすれば僕達は今朝に校門で話したのが初対面だし。それを数時間でいきなり信じてくれを言う方が無理な話だ。
諦めて手のひらに振りかけた塩を口に流し込む。
くぅ。今日の塩は一段と塩っ辛い気がするよ。
「はぁ、………………はい」
「んぐっ(ごくん)。ん? 木下さん、これは?」
木下さんはお弁当の蓋と思わしき物体の上に卵焼きとパセリのベーコン巻き、から揚げ、トマトに少量のご飯を乗せてそれを僕の方へ差し出してきた。
「仕方ないからあげるわよ。隣でそんな貧しいご飯食べられたらこっちのご飯まで不味くなるわ」
「くれるっ!? いいのほんとに!?」
信じられない言葉に思わず大声を上げる。
「か、勘違いするんじゃないわよっ。別にアタシは隣で食べる人が惨めな食事をされるのは嫌だからってだけでそれ以上の意味はないから」
「うん! 勿論わかってるよ! ありがとう木下さんっ! いただきます!」
両手で分けてもらったお弁当を受け取る。
なんていい人なんだ木下さんは。塩と砂糖しか食べていないこんな僕に食べ物を恵んでくれるなんて。
こんなこと人生16年生きて一度もなかった。嬉しすぎて涙が込み上げてくる。まさに感動ものだ。
ああ、涙の所為か目下のお弁当がどんな高級料理よりも輝いて見えるよ。
これは最大級の感謝の念を込めていただかないといけない。
「あれ? でもどうやって食べればいいの? お箸は?」
「……この変態」
「えっ!? いや違うよ! 僕は木下さんの使用したお箸を使いたいって意味で言ったんじゃなくて純粋に割り箸か何かないのかなって思っただけだから!」
「こんなことになるなんて思ってなかったからそんなの用意してないわよ」
「……だよね」
仕方ない。ちょっと汚いけど素手で食べるしかないな。
もう一度手を合わせ「いただきます」と言った後、僕は卵焼きを摘まんで口に入れた。
「ああ。美味しい。すごく美味しいよこれ! 思わず天にも昇りそうなぐらいだ」
「馬鹿。大げさすぎよ。ただの卵焼きでしょ」
「木下さんが作ったの?」
「ううん。作ったのはママよ。アタシはあまり料理ってしないから」
「そうなんだ」
「アタシが作ったものじゃなくて残念?」
「そんなことないよ。これだって十分美味しいし。……ああ。でも、やっぱり残念かな」
「どっちなのよ」
「いやいや、料理のことじゃないよ」
「?? じゃあ何なの?」
口に入れたから揚げを飲み込んでから僕は言う。
「これだけのお弁当なら、やっぱり気持ちの良い屋上とか食べる方がもっと美味しいかなって」
「…………」
「あ。ごめん。別に木下さんを責めてるわけじゃないよ。ただ勿体無いなと思っただけで」
「お弁当が?」
「うん。それに木下さんも」
「えっ……? アタシも?」
「勿論だよ。Fクラスの貴重な女の子要因である木下さんが一人こんな場所で食事をしてるなんて、そんなの一男子として見過ごせないよ。やっぱりご飯は一人で食べるより友達と寄り添ってみんな食べた方が美味しいはずだよ」
「そうかもしれないけど、でもアタシがどこで食べようとそれはアタシの自由じゃない」
「わかってるよ。木下さんさえ満足してるんなら僕も口を挟んだりしない」
けど、と僕は澄み渡る空を見上げながら言った。
「……確かに静かなのもいいけど、ここはやっぱりお昼ご飯を食べるには、寂しすぎるよ」
誰も来ない校舎裏。
生徒達の喧騒が届かない殺風景な空間。
そんな中で一人昼食を食べる木下さんの姿は、まるで周囲から切り離されたような孤独感が漂っていた。
約束されていたはずのAクラスという枠組みから突き放され、Fクラスに放り込まれたように。
そんなの、想像するだけで胸が苦しくて、気分が悪くなる。
「……そうね。吉井君の言う通りだわ」
「木下さん……」
「何もしなくても、ただここにいるだけで気持ちが沈んでくる気がするわ。だからこんなところに来ちゃったのかもしれないけど」
まるで世界に一人取り残されたみたい。と感情の読めない声で呟く。
それは、きっとの気のせいじゃない。
木下さんの境遇を考えれば当然のことだ。
多分、木下さんはFクラスにいる自分に我慢できなくて、こんなところまで一人で来てしまったんじゃないだろうか。
「木下さん。振り分け試験で倒れた所為でFクラスになっちゃったこと、その……まだ後悔してる?」
「……どうしてそう思うの?」
「だって、朝廊下からAクラスを見てた時の木下さん。なんだかすごく悲しそうな顔をしてたから」
「………あ………」
「違う……かな?」
込み入った事を聞いているという自覚はある。
僕がやっているのは他人の家に土足で踏み入っているのに等しい行為だ。
けど、どうしても聞かずには入られない。
同情心かもしれないけど、それでも木下さんのことが心配だったから。
「確かにそうね。……でも後悔というより無念かな」
「無念?」
「本音を言うと、アタシは設備なんて何でもいいの。ちゃんと勉強が出来る環境を整えてさえくれればそれで文句はないわ」
「Fクラスはまともに勉強できる環境じゃないと思うけど……」
「う、確かにそうかも──って揚げ足を取らないでよ。……それはともかく。アタシが欲しかったのは設備でも環境でもなくてお互いの成績を競えあえるクラスメイトよ」
「クラスメイト?」
「うん。同じくらいの成績の人がいれば、自然と向上心が湧くでしょ。負けたくないって」
「なるほど、ライバルってヤツか。木下さんは努力家なんだね」
「そんなことないわよ。これがアタシにとって当たり前だったもの。でも一人じゃやっぱりモチベーションの限界があった。だからアタシはもっと上を目指すため自分に相応しい相手がいるクラスへ入るために勉強してた」
それはやっぱりすごいと思う。
努力するのが当たり前。そんな風に考えられるのは本当にごく少数の人間だけだろう。
「本当は無理をせずともAクラスに入ることはできたかもしれないけど、万が一がないよう試験前日は寝る間も惜しんで問題を頭に叩き込んでいたのに、それが返って裏目に出てアタシは体調を崩し実力を発揮できなかった。それが無念よ」
「それは……、どうしようもないことだったじゃないか」
「そんなことないわよ。ちゃんと冷静になって登校前に風邪薬の一つでも飲んでいけば結果は違ったかもしれないのに。アタシは事を急いて失敗したんだから。先生の言うとおり試験途中で倒れたのは体調管理を怠ったアタシ自身のミスよ。それについては何も言えないし言う資格もない」
「資格なんてそんなの……。テストをやり直したいとは思わないの?」
「試験の結果に文句を言っても、そんなの誰も聞いてくれないわ。どれだけ頑張っても、努力しても本番で実力を発揮できなかったら意味がないんだから。受験と同じようにね」
「そうだけど……いくらなんでも試験を一回体調不良で退室した程度で一気にあんなFクラスまで落とされるのは酷すぎるよ。クラスで設備に差を設けるならもう少し何かチャンスがあっても良いじゃないか」
「吉井君……」
体調管理も試験のうち。それは僕だって一応分かってる。
けど、だからって理性では分かっていても感情が納得できない。
僕や雄二は実力でFクラスになってしまったんだからしょうがない。でも木下さんはそうじゃないんだ。
彼女には彼女にふさわしいクラスと設備があるのに。
振り分け試験の時に感じた怒りが再びふつふつと湧き上がる。
無意識に手に力が入り、気がつくと持っていた水入りペットボトルが悲鳴を上げていた。
「ご、ごめん。さっきからお節介なことばっかり言って。まったく、何やってるんだろう僕」
「ううん。そんなことない。……寧ろアタシの方こそごめんなさい。吉井君をそんな気持ちにさせちゃったのはアタシの所為よね」
「ち、違うよ!? これは僕が勝手に思い込んでるだけだから! 木下さんは何も悪くないよ!」
「ありがとう。ふふ。……吉井君って、案外優しいのね」
「え!?」
その台詞に僕は思わず心臓が跳ねたような衝撃を受けた。
な、なんだこの気持ちは。何故か木下さんの顔を直視するだけで胸がドキドキする。
嬉しそうに小さく口元を緩めた表情は、まるで僕の眼球に補正が掛けられるかのように通常の何倍も可愛くみえた。
今までは平気だったのに、すぐ隣に木下さんがいる改めて理解した途端にだんだんと頭がくらくらしてくる。これ以上木下さんを意識したら理性がおかしくなりそうだ。
「??? どうしたの? 顔赤いわよ? まさか吉井君も風邪?」
「なっ!? なんでもないよ! ちょっと体が暑くなってきちゃったんだ! あ、あははっ!」
「もう。気持ちは嬉しかったけど熱くなりすぎよ。水でも飲んで落ち着きなさい」
「そうするよ……」
どうやら僕は憤った所為で赤くなっていると思われているらしい。
そうじゃないんだけど、まあそれでもいいか。僕自身この感情をうまく説明できないし。
でも少しだけ分かった事がある。
木下さんはすごい努力する人なんだ。それこそ僕なんて比較するのも失礼なぐらい頑張ってる。
だから、試験召喚戦争でAクラスの設備を手に入れたとしても、きっと彼女は満足できない。
木下さんが求めているのは自分に相応しいクラス。お互い努力して常に競い合う相手だ。
けど、万が一Aクラスの教室を手に入れたとしても、あくまで教室を入れ替えるだけでクラス自体はFクラスのまま変わらない。
環境面の問題は解消されても肝心のクラスメイトが自堕落で勉強嫌いな集まりのFクラスでは、木下さんにとって意味がないんだ。
この問題。思っていたほど簡単じゃないかもしれない。
悩みながら残った水を一気に飲み干した後、僕はもらったお弁当をすべて食べ切った。
「ふぅ、ありがとう木下さん。ご馳走様。すごく美味しかったよ」
「はいお粗末様。アタシが作ったわけじゃないけど、お礼は受け取っておくわ」
お弁当の蓋を木下さんに返す。
うーん、当初は木下さんと話しをしようと思っただけなのに思わぬ収穫があったよ。
まさかお弁当を分けてもらえるなんて、これは嬉しい誤算だ。
これが一週間ぶりのまともなご飯だと知ったら木下さんはどんな表情をするだろうか。
少しだけ気になったけど、十中八九引かれるだろうから言わないでおこう。
お腹いっぱいの満足感に至福を感じていると、木下さんは口元を少し緩め柔和な表情で言った。
「少し意外。吉井君が観察処分者って聞いた時は正直自分勝手で自意識過剰なろくでもない人間だと思ってたわ」
「あ、あーまあ間違ってもいないかも……。実際褒められた行為は全然してないしね。一年生の頃はいつも雄二達と一緒に西村先生に怒られて指導室に連行されてたし」
「ちょっとは自制しなさいよ。でないと今度は停学か退学になるかもしれないんだから」
「き、気をつけます……」
確かに停学はともかく退学はちょっと拙い。
これから少し控えめに暴れる事にしよう。
そんな話をしているうちに、木下さんも食べ終わりお弁当を仕舞った。
それと同時に予鈴を告げるチャイムが鳴り響き僕達は校舎裏を後にした。
☆
二人で旧校舎を歩きFクラスへ向かう途中、Fクラスの教室の前に少し意外な人物がいた。
「ん……? ねえ木下さん。あれって霧島さんと姫路さんだよね」
「え? あ、本当ね。何してるのかしら」
学年主席と次席のコンビ。
Aクラスの霧島翔子さんと姫路瑞希さんが何故かFクラスの前でひそひそと会話をしていた。
『……が、ゆ…じの』
『そんな感じには見えませんけど……』
『……そう。それで、瑞希の好きな人はどこにいるの?』
『えぇっ!? えと──うーん。……今はいないみたいです。ほら、予鈴も鳴りましたし教室に戻りましょう翔子ちゃん』
『……わかった』
あ、二人がこっちに来る。
「あ……。よ、吉井君!?」
「う、うん。こんにちは姫路さん」
姫路さんは僕を見た途端、何故か驚いた顔で名前を呼んだ。
ど、どうしたんだろう。
「えと、じゃあまたね」
「は、はい。失礼します」
「……瑞希?」
「ごめんなさい。今行きます」
姫路さんは僕たちに一礼した後、すたすたと横を通りすぎ新校舎の方へ向かっていった。
「なんだったんだろう?」
「さあ、それより教室に入りましょう」
「……そうだね」
気になったけど、今は取りあえず考えない事にして僕は教室の扉を開いて中に入った。