Fate/Apocrypha - Romancia -   作:己道丸

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これによてようやくひと段落です。


02:彼と彼女について f

     ※※※

 

 

 

 

 

 獅子劫界離。

 彼の名前が叫ばれ、この礼拝堂に反響する。

 怒りと不信。

 焦燥と侮蔑。

 彼よ悪しくあれ。

 十字を祭壇に頂く一室に、噴煙する怒気が立ち込める。

 

「何故だ! 何故あの魔術使いは現れない!」

 

 怨嗟を含有する怒号である、それを噴出させるものは、人体のほかに在り得ない。

 しかし噴煙せしめるそれは、たとえ人の身が筐体でも、人の性根を積んでいない。

 それが魔術師なるフィーンド・ヴォル・センベルンなれば。

 数代重ねた由書ある血筋の末裔、魔術結社・時計塔の一級講師なれば尚のこと。

 だが男は怒れる男であった。

 冷酷にして冷徹を旨とする魔術師の精神は赤熱し、絶叫の熱源と化している。

 

「侮辱だぞ! 我らの集いを軽んじる、奴の侮辱に他ならない!」

 

 叫び、喚き、そうする自らを省みる理性もなく。

 空を掴み、かぶりを振り、御しえぬ情動のままに男の体はのた打ち回る。

 この一室にいる誰も彼もを沈黙させてしまう、ただ一点のみの発熱地点。

 男、ロットウェルがいた。

 男達、ペンテル兄弟がいた。

 女、ジーン・ラムがここにはいた。

 しかし誰もが断熱の判断を下し、彼を遠巻きにするだけだ。

 ただ一人。

 ただ一人だ、神父なるシロウ・コトミネだけが、放熱を掻き分け手を伸ばす。

 

「――ミスタ・獅子劫。彼は工房と召喚の準備に時間を使いたいと」

「自らの利しか考えないというのか、魔術使いめ!!

 卑小にして卑賤、我らが協調に費やす時間を、奴は私意にのみ使うのか!」

 

 突きつけられる男の目、鷲にも似た眼光は、しかしシロウを捉えない。

 彼自身も知らぬ、どこかに立つ獅子劫界離という男の姿、その幻影を見つめている。

 

――止めなければならない

 

 シロウの胸に思いがある。

 男フィーンドの激を諌めねば、先にあるのは破綻だけである、と。

 

「ミスタ・センベルン、貴方は冷静ではない。

 貴方の言う、盗人の行いに惑わされてはいけない」

 

 考えよ。

 講じよ。

 怨嗟と憤怒に融け落ちる彼の判断力を取り戻し、なけなしの和を保つために。

 男の双眸が、まだ形だけでもこちらへ向くうちに、こちらの声が届くと思えるうちに。

 

「忘れてはいけない。令呪は“黒”の陣営もまた持つものだ」

 

 神父は告げる。

 令呪。約す従者への命令権、この聖杯大戦への参加権。

 一様に我らの右手に宿るその印は、敵する彼らもまた同じ。

 

「戦う中で、“黒”の者どもより得ればよいのです。

 此度の聖杯大戦は“黒”と“赤”に分かれて七対七、都合14人のマスターが現れる。

 しかし令呪そのものに陣営の区別があるわけではありません」

 

 “黒”の陣営に与えられた令呪であっても、“赤”の陣営が得ることは出来るのだ。

 

「“黒”のマスターを捕らえましょう。そして、貴方へ令呪を移しましょう」

「それでは遅い!!」

 

 だが策は打ち捨てられた。

 男の目、未だここを見据えず。

 

「その頃には奴等はサーヴァントを召喚してしまう!

 召喚の枠が埋まってしまっては私自身が召喚できない!

 ――この私に、下等なユグドミレニアが召喚したサーヴァントを従えろというのか!」

 

 一辺の真理ではあった。

 “黒”の陣営を成すユグドミレニアは、栄達を絶望視された諸家の集まりといっても良い。

 秀でた魔術師であるフィーンドが召喚するのとでは、まして時計塔より与えられた極上の触媒と比べたのでは、そこに大差があるだろうというのは間違いなかった。

 彼は妥協を拒んだ。

 自らの、自らによる、自らが最大限発揮できる現実だけを、彼は望んだのだった。

 

「……そうとも、あぁそうだとも」

 

 不意に、男の声が囁きほどに細くなった。

 だがシロウには分かったし、他の者達もそうだと分かっただろう。。

 これが激する男が更に激する、嵐の前の静けさでなくてなんだというのか。

 

「彼奴等を越える魔術の粋をみせずして、何故私が招聘されたのか!!」

 

 宣言が轟く。

 爛々と光る双眸はこの上ない解を得たと輝き、高みへ伸びる天を見た。

 そこに栄えある自身の姿を夢見たか、フィーンドは頬が裂けんばかりの笑みを得る。

 

――止めなければならない

 

 遂に憤怒の熱は臨界点を迎えようとしている。

 彼の口、火口ともいうべきそこから溶岩流が溢れ出す前に。

 だが彼の激情は俊敏であったのだ。怒気は唸りを上げて、言葉を削りだしてしまった。

 

「――背信者に罰を! 獅子劫界離は然るべき行いを為した!!」

 

 高らかに、迷いなく、この一室に集う“赤”の陣営の全てに過たず届くように。

 

「我こそは彼奴めに勝る適格者! 盗人も造反者も、私自ら鉄槌を下してくれる!」

 

 造反者なるはユグドミレニア。

 盗人とはまだ見ぬランサーの契約者。

 そして彼奴とは即ち、獅子劫界離に他ならない。

 フィーンドが何を言おうとしているのか、それを悟る。

 

「ミスタ、それ以上はいけない……」

「獅子劫界離の令呪を我が手に移せ! それこそが最適解なのだから!」

 

破局。

 

「奴めの令呪を持って召喚を為し、我こそが“黒”の陣営殲滅の先駆けとならん!!」

 

 

 

 

 

     ※※※

 

 

 

 

 

――ああ、言ってしまった

 

 楔なりし一言は放たれた。

 人と人の間を穿つ言葉だ。

 神父の目に宿る憐憫と諦観が、男フィーンドの宣言による景色の変容を見逃さない。

 この一室に集う、“赤”の陣営の皆々の間に走る皹が、確かに見えていたからだ。

 皹はまたたく間に谷となり、決裂に至る。

 シロウは、ただそれを見ていることしかできない。

 

「ミスタ・センベルン。貴方は今、協和から走り出そうとしている」

 

 機は逸した、それでも言わずに入られなかった。

 懸命に精神力を奮い立たせ、悲嘆の相を男へ向ける。

 

「隣人から奪うことでは協調を得られない。奪われた貴方自身のものでなければ意味が無い」

 

 しかし、もはや言葉は無為である。

 発言は行われてしまった。

 宣言は為されてしまった。

 怒号ここに至れり。

 なけなしの和に楔は打たれたのだ。

 “赤”の陣営。

 その結託は。

 瓦解する。

 

「七騎揃っての“赤”の陣営。これ以上英傑を欠くことは望めない」

「ならば盗人から取り戻した令呪を奴にくれてやるわ! それで問題あるまい!!」

 

 違う、そうではない。

 悲嘆はより色を深めてシロウを満たし、大きな手に臓腑を握られる思いがする。

 

「ランサーが召喚されたと言ったな!」

 

 言葉を殺されるシロウとは反対に、フィーンドの怒号はとどまるところを知らない。

 今また、新たに怨嗟を形にしようとしている。

 

「では我々に、あと何の英霊が残されている?

 あと何騎のサーヴァントが召喚できるというのだ!?」

 

 フィーンドはシロウへと詰め寄り、逞しい胸板を指差した。

 

「――答えよ神父!」

 

 烈火のごとき問いかけは、突きつけた男の手がシロウの胸倉を掴む勢いだ。

 赤々と血の気を増したフィーンドの相貌を眼前にして、遂にシロウは思いを得た。

 

――これ以上は――

 

 これ以上は。

 遂に抱いてしまった一言が、シロウの唇に答えを許す。

 

「残るのは、ライダーとバーサーカー。そして、――セイバー」

「セイバー!!」

 

 叫びを至近から打ち付けられ、目を細めざるを得なかった。

 しかし瞼の隙間から垣間見える限りにおいても、男が一層の火を得たのは明らかだ。

 

「背信者が最優のサーヴァントを召喚しかねないだと!? 許せるものか!!

 教えろ神父、奴の居場所を! 獅子劫界離の令呪を得て、この私がセイバーを召喚する!」

 

 激情は麻薬。

 或いは陶酔。

 若しくは毒。

 ああフィーンドよ、優れたる筈のフィーンド・ヴォル・センベルン。

 鷹にも似た眼差しが、どうしてそれを見ないのか。

 立ち上る火が、吹き上げる煙が貴方を曇らせるのか。

 自らが開いてしまった亀裂は深く大きく、誰の目にも見えるところまできてしまったのに。

 

「……ああ」

「あぁ、そうだな」

 

 声が上がった。

 首肯があった。

 2人の男が沈黙を破った。

 

「誰だって、秀でた力は自分のものにしたいよな」

 

 ペンテル兄弟。

 兄、デムライトだったのか。

 弟、キャビィクだったのか。

 どちらがその言葉を呟いたのか、悲嘆するシロウには分かりかねることであった。

 

――ああ、決裂が始まる――

 

 彼等は口火を切ったのだ。

 それが分からないのか、フィーンド・ヴォル・センベルン。

 破綻を前にして、どうして貴方は笑んで見せるのか。

 

「分かってくれたか!」

 

 光り輝く歓待の表情、自らの理想によってのみ発光する感情の具現。

 頷く兄弟もまた笑顔、しかしそれは、愚者と断じた者に向けられる類の笑み。

 

「じゃあ俺たちも、――早いとこ召喚しないとな」

 

 

 

 

 

     ※※※

 

 

 

 

 絶句。

 喜劇的なほどに。

 

「……何を言っている?」

「当然だろう」

「当たり前さ」

 

 男フィーンドの顔から血潮が失われていく。

 瞼を失ったのかというほどに双眸を見開き、座した兄弟を凝視する。

 対する兄弟は揃って肩をすくめ、喜劇における自らの役どころを果たす。

 

「あんたはセイバーを召喚したい。誰だってそうさ、……俺たちだってそうさ」

「獅子劫界離がいつ召喚するかも分からない、俺たちだって急ぎたいさ」

「俺達に預けられた触媒だって、十分セイバーは狙えるんだからなぁ」

 

 そして兄弟は、席を立つ。

 

「第一……あんたとつるんでちゃ、いつ寝首をかかれるか分かったもんじゃない」

「――――」

 

 フィーンドの立つ姿、まさに彫像のそれ。

 手足は先端にいたるまで微動だにせず、血の気の失せた肌は石のよう。

 内燃する感情が消失し、あまりの温度差に精神が麻痺しているのかもしれなかった。

 そこへ哄笑。

 

「ひ、ひ、ひ、ひ!」

 

 相変わらずの、どうやらそれが彼にとってのそれであるらしい、というような笑い方。

 小刻みに体を痙攣させる様は病的で、発作に苦しんでいるというならそれらしくもある。

 

「そりゃそうだ! 令呪があるのは皆同じ、早い者勝ちならさっさと動きたいよなぁ!」

 

 声の主ロットウェル。

 色眼鏡越しに涙をこぼし、身を捩じらせて笑ってみせる。

 

「当然っ、当然だっ! 令呪があるんだ、早い者勝ちなら動きたいよなぁ!

 さすが時計塔の一級講師殿、わかりきったことはさっさとやれ、って事だぁな!」

 

 一体どれほど声を上げただろうか。

 彫像なる男をひとしきり笑い、ロットウェルは立ち上がり、

 

「――あんたの撒いた種だぜ、学者先生」

 

 そこにはもう、笑みの色はなかった。

 ここにはもう、残酷な結論があった。

 暗黙の了解を理解せず、有言を持って協調を裂いた男への軽蔑だけがある。

 

「どこぞの馬の骨ならいざ知らず、元々の面子から令呪を移すなんて話をされちゃあな」

「全くだ、明日は我が身かも知れねぇ」

「背中から刺されるのは御免だぜ」

 

 ロットウェルがそうしたように、兄弟もまたそうした。

 席を立ち、長椅子の合間を抜けて、中央に開けられた一本の道へと進んでいく。

 祭壇の真反対、玄関たる扉へと向かっていく。

 

「……どちらへ行かれるのですか?」

 

 分かりきったことを聞く愚を、それでもシロウは犯すしかなかった。

 背を向けた男達は振り向かず、立ち止まることすらもなく、背中越しにし、

 

「情報を共有できりゃ十分だろう? 好きにやらせてもらうさ」

「獅子劫がそうしたようにな」

「奴も、こうなると思ったからこなかったんじゃないか?」

 

 それらが、最後となった。

 後に残すものもなく、三人の姿は、外へと続く扉の向こうへと去ってしまったのだから。

 後に残されたものは、二人と一騎、そして決裂を止められなかったシロウだけであった。

 

――ミスタ・センベルン。貴方が叫んだことは、こういうことだ

 

 危急にあって隣人の権利を狙う者を、易々と隣にする者達ではない。

 だから止めたかった、しかし決裂は果たされてしまった。

 こうして“赤”の陣営は分裂した。

 1人、誰とも知れぬランサーの主。

 1人、現れもしない獅子劫界離。

 3人、礼拝堂を去った男達。

 2人、教会に残る男女。

 礼拝堂を去ったロットウェルたちも、その後さらに別れてることだろう。

 そんな決裂を招いてしまった、“赤”の陣営に入ることすら出来なかった男が、1人。

 

「…………」

 

 血が滴るほどに握り締めた、フィーンドの拳。

 色失せるほどの激情の表れ、男の憤慨する拳。

 痩せぎすの背は、思うままにならぬ全てへの怒りで引きつり、震えていた。

 シロウにはかける言葉も見当たらず、時間だけが延々と消費される。

 

「それで」

 

 そんな浪費を望まないのが、ジーン・ラムという女だった。

 

「私はどうしてもらえるのかしら、監督役」

 

 決裂からこちら、去りもせず我存ぜぬと書籍を読みふける彼女が、ようやく顔を上げた。

 男達の諍いなどなかったというかのように、冷徹のままに、唇が音を紡ぐ。

 

――分かっているのですね。自分は埒外だと

 

 令呪を求める男を隣にして、しかし彼女はそれを無視して話し出す。

 既にサーヴァントを召喚した、しかも弱小極める霊基と契約してしまったジーン・ラム。

 そんな彼女の令呪は、フィーンドの求める令呪ではないと、彼女は分かっているのだ。

 事実フィーンドは、肩を震わせるままに、彼女へ振り向くことすらない。

 ここにも隔絶はあった。

 

「……兎も角、身を隠すべきでしょう」

 

 額を押さえてしまうシロウである。

 

「監督役でもある私には、聖杯を巡る戦いで窮する者を守る義務がある」

 

 靴を鳴らし、祭壇を横切って向かう先にあるのは扉だ。

 人一人を通すための、小さな扉。シロウの手がそれを開き、奥へ続く道を示した。

 

「どうぞ奥へ。……ミスタ・センベルン、貴方も。

 参戦を望むのであれば、まずは戦火の及ばぬところに身を置くべきだ」

「分かっている……!」

 

 導きに男は怒声を返し、しかし火を失った今では、本人すらも空しく思うところだろう。

 ことさらに足音を立てて扉をくぐる男。女もまた書を閉じ席を立ち、続いて戸を潜る。

 そして、

 

「貴方も、どうぞ」

 

 呼びかけを受けて最後に扉を潜るのは、キャスターなるウィリアム・シェイクスピア。

 神父を横切り扉の先へ行く、その時、

 

「……ふ」

 

 片目を瞑って微笑んだ。さながら、客席から手を振る観客へ俳優が微笑むように。

 

「…………」

 

 唐突。

 怒りと嘲笑に晒され続けたシロウは目を丸くし、背高な伊達男が行くのを、見送った。

 

――気を遣われてしまった、かな

 

 それとも、

 

――気づかれてしまっただろうか

 

 しかし彼の者は扉の先へ。残されたのが自分だけならば、もはや開けておく意味は無い。

 かくしてシロウと、そして2人と1騎を呑む道は、閉ざされたのであった。

 

 

 

 

 

     ※※※

 

 

 

 

 

「あばよ」

「召喚したらお前にも話は流してやるよ」

「ああ、せいぜい強力な英霊を召喚してくれ」

 

 昼の陽を浴びる山上教会を背に、敷地と街路の交差点で声が交わされる。

 道は丁字路、煉瓦で舗装されてた古びた路面へ、寄り添う街路樹が影を落としていた。

 別れる男達がここにいる。

 ロットウェル。

 ペンテル兄弟。

 互いに背を向け、見返すこともなく、ただ一言の応酬だけで正反対へ歩き出す。

 魔力を暴力とする世界の住人は、酷薄な関係でしか生きられない。

 いつ誰が死を持ってくるとも知れない身。

 しかし今この相手は死を与えないだろう。

 幾ばくかの理由を頼りにした存命の予想。

 たったそれだけのことが、男達に背を見せることを許す。

 

「…………」

 

 ペンテル兄弟と別れて、どれほど歩いただろうか。

 山のいただきに建てられた教会からの出発だ、いくらも歩けばすぐに下り坂となる。

 景観の維持を課せられた観光地、傾斜に建ち並ぶ街並みを男は下っていく。

 もうすぐ純粋な観光地区を抜けて麓の商業地区にたどり着く。

 だから、話しかけるならここだ。

 

「――よう、ロットウェル」

 

 やつれた足が歩みを止めた。

 

「おう、久しぶりだな」

 

 背をたわませ、骨張った相貌は声のした方、脇から伸びる小路に向かう。

 家と家の狭間の、薄暗い隙間から響いたのは頑健極まる重低の声。そして影の中から現れたのは、小路を埋めるほどの巨漢だった。

 獣のたてがみを思わせる硬い髪、猛獣の爪痕を残す凶悪な顔、それらを乗せるに相応しい筋骨隆々の体躯は、ロットウェルが見上げるほどの身長を誇っている。黒い皮製の上着と履物、底の厚いブーツは太い四肢で膨れ上がり、鍛錬のほどを隠さない。

 何より目立つのは、凶悪な人相を引き立てる鋭角な色眼鏡だ。

 黒色の隔たりは光を反射し、見る者に男が眼差しに浮かばせるものを悟らせない。

 その時、

 

「おっと」

 

 両者の間に光が湧いた。

 それは英霊が形を現すことの表れ、魔力が光の粒子として噴き上がる、一瞬の現象。

 だが湧き上がる量、噴き出す基点が多い。それは出現するもの数を示している。

 男と男、ロットウェルと巨漢の間に二つの姿が出現した。

 片や弓引く俊英。

 片や剣持つ鋼鉄。

 現れた二騎の形は何れも小柄。しかし容貌は相反するもの。

 乙女と、騎士だったのだ。

 

「何者か」

 

 誰何するのは弓矢を構えた乙女、騎士を見据えたまま問いかけた。

 新緑を思わせる、蒼いほどの翠と黒い衣装をまとった乙女だ。しなやかな手足はさながら獣のごとき実直さをうかがわせ、事実、野性味のある面立ちは、獣の耳を頭から生やしている。衣装の裾からのぞく細長い尾は、獅子の類であろうと思われた。

 黒地に金の装飾が彫られた弓を、細腕が練達の構えで構える様は達人そのもの。

 

「まずはテメェが名乗りな」

 

 対する騎士は、荒くれそのものといった口振りで答えた。

 性別も定かではない、兜越しの声だ。左右へうねる角を伸ばし、睨みつける眼差しを象る穴からは、瞳に浮かぶ感情すら伺えない。全身もまた鈍色の鉄板で覆っている。乱れの無い流麗な面をとりつつも、鋭角な角を幾つも縁取りに持つ、竜を人型にしたような幾重の鉄甲。

 右手一本に携えた諸刃の長剣は、けれども緩むことなく乙女に突きつけられる。

 俊敏と頑強。

 美と剛。

 相反するそれを人型にしたものが、並び立つ。

 しかし一触即発をいつまでも許すわけにいかなかった。

 

「あーよせよせ、アーチャー」

 

 アーチャー、弓の乙女に声をかけたのはロットウェル。

 

「……何故だマスター」

「こいつが、獅子劫界離だからだよ」

 

 答えに、アーチャーは騎士の向こうに立つ巨漢を見た。

 向こうは目元の伺えぬ獰猛な笑みを見せ、硬い掌を上げている。

 

「件の、姿を見せないマスターとやらか」

「ちょっと買出しがあったもんでね。遅くなっちまった」

「そのおかげか?どうやら掘り出し物は見つけたようじゃないか」

 

 いまだ構えを解かないアーチャーの後ろから、卑屈な笑みを貼り付けた男の顔。

 

「セイバーを引き当てたか、界離」

「まぁな」

「何だと?」 

 

 マスターの言葉に、乙女はついにロットウェルを見返した。

 しかし背後にしたその男のにやけ面に眉を顰め、再び騎士と巨漢を見て、

 

「獅子劫とやら。貴様、何時セイバーを召喚した?」

「さて、何のことかな?」

「とぼけるな。鉄塊に密偵の真似事までさせて、覗いていたのは知っている」

「誰が鉄塊だケダモノ女!」

 

 その問答に、思わず獅子劫は天を仰いでしまった。

 次に来るのが、眼下からくる騎士の憤慨だと予想できたからだ。

 

「だから俺は嫌だったんだ! そもそも間諜なぞ、騎士のやることじゃねぇ!」

「おいおい、対価にお望みの物はちゃんと買ってやっただろうが」

「何だ、買出しってのは冗談じゃなかったのか」

「ふざけているのか、貴様等」

 

 もはや弓との対峙を崩した騎士とマスター達の振る舞いに、乙女は尾の毛を逆立てる。

 

「そのセイバーが召喚されたのが何時か、それによっては……」

「クロだよ」

 

 乙女の叱責を、主は切って捨てた。

 

「獅子劫は死霊魔術を使う。日が昇ってから儀式をするような性質じゃねぇ。

 召喚は昨晩かそれよりも前、つまり“赤”のランサーが召喚される前、そうだろう?」

「ああ」

 

 ロットウェルの確認は言葉も短く肯定された。

 

「セイバー越しに聞かせてもらった。

 間違いない。――あのシロウとかいう神父、セイバーの召喚を隠したな」

「しかも奴のサーヴァントはアサシンの筈だ。それがセイバーの潜入に気づかない訳がない」

「何だと? 暗殺者風情が、この俺を見逃したってのか!?」

「その気持ちはとっておけ。“黒”の陣営を倒して、あの神父と向かい合う時までな」

 

 怒りに震える肩の鎧に手を置き、獅子劫は視線を上げた。

 道の先。

 丘陵の上。

 山頂の教会。

 そこに居座る、神父の姿を見据えるように。

 

「お前もそうするか、界離」

「まぁな。――奴は信用できない」

 

 色眼鏡の向こうで、巨漢の眼差しが鋭く絞られる。

 

「神父様の所に行くのは止めだ。腹の内が見えないまま懐に入っていい奴じゃなさそうだ。

 召喚の件は、適当に報告させてもらうとしよう」

 

 

 

 

 

     ※※※

 

 

 

 

「当てが外れたな、マスター」

 

 艶やかな呼び声は耳朶を蕩かす毒酒の囁き。

 微笑みにも、嘲笑にも聞こえる、声の主を抱きしめ耳元にしたい旋律だ。

 だが呼びかけられた男は自嘲し、紡がれる美声に酔うところが無い。

 

「ええ、そうですね。その通りだ――アサシン」

 

 男はシロウ・コトミネであった。

 木椅子に深く座り、細く静かな嘆息をこぼす。

 暗がりの小さな一室に、神父は胸中の澱をこぼれさせた。

 

「全ての誤算は、“赤”のランサーが何者かに召喚された事。

 よもや群対群の聖杯大戦において、用意された集団から取りこぼされることがあろうとは」

 

 しかし、と。

 閉じていた瞳を開き、嘆きに沈む表情を引き締め、神父は確かな声で唱える。

 

「これもまた試練、私の望みと意思が試されているということ。

 ――導き出してみせますよ、ここからでも」

「期待しているぞ」

 

 二本の腕が、闇より這い出した。

 雪よりも白い手。

 闇に浮かぶ黒い袖。

 長く細く繊細なそれら。

 シロウの背後、左右から伸びる両腕が、たおやかな動きで神父の首に抱きしめる。

 女だ。

 切れ長の目で妖艶に微笑んだ、黒装束の女が現れる。

 

「契約の折にのたまった大言、その可否は今生の我によって多いに見物だ」

 

 美しく、蟲惑的で、だがそれ以上に冷酷な女であった。

 愛でられるものではない。愛でる側、そして飽きればその場で打ち捨てる側のものだ。

 女帝、そう呼ばれる類の女がそこにはいた。

 

「しかし良かったのか?」

 

 冷たい指だ。

 五指は踊るように神父の頬を撫で、僅かばかりに爪がたてられる。

 

 

「サーヴァントが一匹、間諜の真似事で来ていたぞ」

「さすが暗殺者の英霊。霊体化し身を潜めたサーヴァントを見抜くとは」

「およそ忍び事など経験したことがないのだろうよ。無遠慮で、滑稽な忍び足であったわ」

 

 その姿を思い返しているのか、美麗なかんばせに嘲りの色が浮く。

 

「頭の先まで鎧をまとった小柄な英霊であった。あれが“赤”のセイバーか」

「はい。ランサーが召喚される少し前、昨晩のうちに反応がありました」

 

 女帝は、アサシンは更に笑みを深めた。

 

「しかし滑稽よな。いち早くセイバーを、と喚く男共の愚かなことよ。

 件のランサーよりも早く、お望みのセイバーは既に召喚されているというのにな」

「仕方ありません。彼の召喚から我々が集うまでの間に、ランサーが召喚されたのですから。

 あの場で真実を話せば、彼はミスタ・獅子劫のところへ攻め込みかねない状態でした」

「己が欲するサーヴァントを我が手にするために。

 男が考えることは、いつも欲する者を手中にせんとする略奪よな」

 

 一瞬、かつてを思い返すように女は宙を見た。

 しかしすぐに神父へと戻され、くすぐるように微笑み、

 

「しかし器の小さいことよ。たった一騎しか求めないとは。

 こうして、“赤”の陣営のサーヴァントを全て掌握しようとする男もいるのにな」

 

 シロウの頬をアサシンの頬が撫でる。愛でるように擦り合わせて、そして眼前のものどもへ目を向けた。

 糸の切れた人形のように座り込む、二人の魔術師へと。

 

「…………」

「…………」

 

 フィーンドである。

 ジーン・ラムである。

 薄い霞の中で茫洋とする二人は、神父に誘われ踏み込んだ者達の末路であった。

 

「だがこの男まで毒に浸す理由があったのか? 令呪は無いのであろう?」

「時計塔や聖堂教会には、まだそのことは伝わっていません。彼によってそれが伝わっても困りますし……何より、放置しておけば激するままに単独で戦場へ身を投じかねない。

 予定通り、ここで時が来るまで眠っていていただきましょう」

「ああ。予定通り――お前が聖杯を手にする、その時までな」

 

 アサシンの微笑み、そこに本性を垣間見るようであった。

 姦計と冷酷を旨とする、獰猛なほどに毒蛇である彼女の本質を。

 毒こそ是とする悪辣な表情だ。それをすぐ横にして、しかし神父で臆せず微動だにしない。

 蛇をその枝に休ませる樹のように、泰然として揺るがない。

 

「素晴らしい……!」

 

 賞賛せずに入られなかった。

 

「“終わりよければ全て良し、終わりこそ素晴らしい王冠なのです”!

  神父、貴方は最高の結果を求め、およそこの世に蔓延る悪徳に穢れる覚悟がある!

 “罪から出た所業はただ罪によってのみ強くなる”、ならば成程、貴方は強くなるだろう!

 そうして得た力が、至高の結末をもたらすのだ!!」

 

 キャスターは、混濁するマスターを気に留めようともしなかった。

 彼等の向こう、アサシンとともにある彼の神父を讃える言葉を、止める事ができなかった。

 しかし神父に寄り添う女帝は胡乱げな目をして、

 

「それで? キャスター、……シェイクスピアとやら。貴様は本当にこれでよいのだな?」

 

 感激に打ち震える伊達男へ、投げやりな問いかけをとばす。

 

「――勿論ですとも!!」

 

 問いに、しかしシェイクスピアは即断する。

 

「我輩、確かに戦い勝ち残る事は望みませんが、何者かが勝ち残るまでの全てを見たい!

 それを、“黒”の陣営との決着、前半戦までで見切りをつけるマスターに、何ほどの未練がありましょうか!」

「故に、勝利者たる我がマスターにおもねると?」

「少なくともコトミネ殿の傍にいれば、もっと先まで見ることができると予感しております」

 

 と、ここでシェイクスピアは身を乗り出した。

 シロウの双眸から心根を探るように、神父を覗き込み、

 

「しかし仮にも我が現マスターを差し出したのです。聞かせていただけるのでしょう?

 ――貴方が聖杯にかける大望を」

「ええ、勿論」

 

 シェイクスピアのしたり顔に、シロウはやはり微笑みを返した。

 本当に、毒の無い微笑みを。

 

「私の願いは、――人類の救済ですよ」


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