君の紐は。   作:S?kouji

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その2 揺蕩う流れ

瀧は、迷わない。

とにかく手当り次第に何でもやってみることで道が開けることを、確信しているようなふしがある。

そして、よくわからないものは棚上げする。そういうのはいずれ、必要な情報が集まって来たときに考える。

 

今はもっと他に、考えることや、やるべきことがあるはずだ。

 

瀧は黙々と、机上のデスクトップを見つめながら作業を続けている。

今日は午後から、先輩たちと一緒に現場に行って監理の様子を見学する予定だ。

 

***

 

建築の現場は、何度見ても壮観だった。

雲間から差す初夏の日差しのもと、様々に鳴り響く高い音、低い音。

組み上げられ、形を変え、建物へと変わっていく資材。

 

図面の上にしかない、言ってみればこの世界になかったもの。それが多くの人の手を通して現実に生まれ、風景として誰かの記憶に組み込まれていくようになること。

それもまた、—。

 

風景といえば、高校生のときなんか、いろいろな風景をよく紙に描き起こしていた。

東京の町並みや、彗星で壊滅した町の在りし日の風景。

そういうスケッチはその場、その時、現実に存在したものを描きとどめたものだった。

 

時間はずいぶん経った割に、あの頃から変わってないような気がしてたけど。

今の仕事は、同じようなことをやっているようで、案外、正反対だ。

 

***

 

「テシガワラ……?」

 

いぶかしげに紙に書かれた文字を読み上げる瀧を見て、若き現場監督はほっ、と感心した風な声を上げた。

 

「お前、よう読めたなぁ! 初めてのやつは、だいたい読めんで」

 

先輩と現場監督との話し合いも一段落し、先輩が一人で現場を見回っている間を小休止として、瀧の紹介があった。

むこうは名刺を持ち合わせていなかったのか、手持ちのメモにペンで名前を殴り書きしたものを渡された。

瀧より少し年上だろうか。相手の坊主頭を見ながら、その文字に瀧は心惹かれる。

 

ざわつく確かな期待は、程度は三葉と比べるまでもないが、かすかに似たような感じがする。

 

勅使河原 克彦

 

テシガワラ

 

———テッシー?

 

「何やさ、お前。急に」

 

しまった。うっかり呟いていたのか。

失礼を詫びるため、瀧はあわてて弁明の言葉を探し始める。が、目の前の坊主頭に対しては、なんだかそういった言い訳がましい言葉はいらないように思えた。

なんというか、『俺たちでやってやろうぜ!』みたいな、こいつ絶対イイやつだ、みたいな。そんな清々しい感情が、頭の理解を飛び越して、どこか遠いところからやってくる。

 

社会人になってから、初対面の相手にこうも開けっぴろげな感情を抱くのって、三葉以来じゃないか?

一体なんなんだ?

 

言葉に詰まる瀧を見て、勅使河原—テシガワラ—は「んん」と唸ってしばし考え込み。

そして意外な質問を口にする。

 

「お前、糸守出身の知り合いでもおるんか?」

「え? あ、えっと、三葉、さん? なら……」

 

太陽と重なっていた雲が移り、あたりが急に眩しくなった。そのせいもあるだろうか、瀧の答えは少ししどろもどろになる。

テシガワラの方はそんな瀧を尻目に、「ははぁ」と納得顔をしている。

 

そうしてどこでもない遠くを見て、テシガワラが言う。

 

「懐かしいなあ。俺ら高二まで糸守におったんや」

「そうなんですか! すげえいいとこでしたよね」

 

とたんにテシガワラが「えっ」という顔になる。

と同時に、瀧も我に返る。

 

三葉の時もそうだったけれど、糸守について知る人間に出会うと、胸の奥底に眠っていた衝動が溢れ出してくる。

 

光、風、土や草の匂い、眼下に広がる糸守湖。

ど田舎だから電車もバスもほとんどないし、カフェもない。

でも、きらきらしていた。

ホントに、いいところだった。

 

「お前、糸守に来たことあるんか?」

「いえ、行ったことはないんすけど……。あの、すみません。勝手に盛り上がっちゃって」

 

瀧はそう言って、やり場に困って目を伏せた。

糸守に行ったことはあるけれど、それはあの災害の三年後。さも、在りし日を知っているかのように話すのは気がひける。

テシガワラもまた目線をそらしたが、その顔は少し笑っていた。

 

「いいんや。確かに、ええところやった」

 

そこまで言うと、テシガワラは瀧の方に向き直って肩をすくめてみせた。

 

「ま、住んでた時は俺らも三葉も町は嫌いやったけどな!」

 

うはは、と笑うテシガワラにどう対応してよいかわからず、瀧は首の後ろに手を当てる。

 

「その、どんな感じだったんすか」

 

そう相づちを打って、話に乗って来た瀧に気を良くしたのか。テシガワラは「三葉か?」と言って、またにやりと笑った。

 

「まあ、夢見る乙女ってんやろうな、そんな感じやった。普段はな。でもな」

 

なにか大事なことでも話すつもりなのか、テシガワラが一呼吸置く。

 

「俺らが高二のとき、あん時は特にヤバかったなあ。あいついきなり、『町に彗星が落ちる』って言い出したんや」

 

何を言いたいか分かるか? というか、すこし誇らしげなような顔をして、テシガワラが瀧の方を見やる。

が。建築中の建物の影から、こちらに向かって歩いてくる瀧の先輩を認めると、すぐに腰を浮かして仕事に戻っていった。

当然、瀧も先輩の仕事を追わなければならない。

 

「じゃ、戻るで。また今度な」

「そう、ですね」

 

そう言ったまま、瀧はしばらく呆然として立ちつくしていたが、慌てて建物の影へと歩を進めていった。

 

***

 

正直なところ、糸守にいた頃の三葉のことは、知らない。

三葉が糸守出身ということぐらいは聞いていたけれど、さすがに瀧の方から、消えた町の思い出について聞くのはためらわれたし、三葉も、あまり話そうとしなかった。

なら、口をついて出たあの言葉は、一体なんなんだ?

 

初対面にも関わらず、テシガワラが気さくに瀧と話してくれたのは、(彼の人となりも大いに関係あるだろうが、)おそらく三葉とそれなりに深い関係にある人物だと思ったせいだろう。

その端緒になりそうなものは、瀧が初っ端に呟いた“テッシー”くらい。となると、それはたぶん、彼のあだ名だったのだ。

あだ名(それ)を知っている瀧は、三葉が高校時代の友人について話すくらいの人物となる。

 

そういった整理を、瀧は自室の机で裏紙に書きながら進める。色々な情報を雑多に書き散らし、相関図を作っていく。

家まで持ち帰った仕事をようやく一段落つけたあとに、なんでこんなことをやってるんだ、と思いはする。

でも気になるものは気になるし、なら、ひとつ整理してみるか、という感じだ。

 

こうして俯瞰してみると、ほとんどの謎が糸守に結びついている。

知らない名前、知らない町、ずっと探し続けていた誰か。

6年前に行ったきりの、おまけに9年前に隕石で無くなった町の、一体何に結びついているのか。

 

顔を上げ、壁に留められた一枚のスケッチを、瀧は眺める。

高校生の頃、なぜだか、やたらと糸守町に凝っていた時期があって、この絵もそのとき描いたうちのひとつだった。

他にもいろいろ描いた覚えはあるけれど、今はこれしか残っていない。

 

白の画用紙に、鉛筆で細部まで描き込まれた素朴な絵。

通学路から眼下の糸守湖を眺望したこの景色は、今はもう、ない。

この絵だけが、かつてあった時間をとどめている。

 

スケッチから目を移し、何もない右の手首を見る。

 

直感として、知っている。

このままどんどん時が過ぎれば、記憶は遠ざかっていくし、加速する日々の中に埋もれていって、ついにはこの感情を気にも留めなくなるだろう。

そして、それは一握り、どうにも消えない寂しさだけ、残していくことも。

 

だが、だから。今ならまだ、間に合う。探しにいける。

 

 

———ただ、今日はここまでだ。明日も早いし。

スタンドの明かりを消して、瀧は立ち上がる。

ふぅーと息を吐いて、固まっていた筋肉を伸ばすと、煮詰まった頭もすっきりする。

 

三葉に、テシガワラのことを聞いてみよう。けっこう面白そうな奴だったし。

そう考えていると、枕元に置いといたスマフォが震えた。

そうか、そんな時間か。三葉(あいつ)、今日はどんなメッセージを———

 

『瀧くん、ちゃんと生きてる?』

 

……。何だ、そりゃ。


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