綾己「どうも、織部綾己です。雨の中の散歩は確かに楽しいけど、色々と注意しないと後で困る事になるから、結構気をつかわないといけないよな」
政実「そうだね。でも、晴れの日の散歩とはまた違った楽しみもあるから、これからも出来る時にはやっていくつもりだよ」
綾己「そっか。さて……それじゃあそろそろ始めていくか」
政実「うん」
政実・綾己「それでは、第3話をどうぞ」
「……あ、こんばんは」
雨夜の帰り道、横を通り過ぎて行った豆腐が載った皿を両手で持った頭に笠を被った和服姿の子供に挨拶をしながら会釈をすると、その子供はペコリと頭を下げ返してそのまま反対側へ去って行った。そして、雨の中を急いで去って行くその様子を見ながら俺はポツリと呟いた。
「……今日は後をついてこないみたいだな、あの
雨は土砂降りとまではいかないまでも結構強く降っているため、左手に持っている傘に雨粒が当たる度に激しい音が鳴り、思わず「この音……まるでドラムロールみたいだな」と苦笑いを浮かべながら呟いていた。
この人間達が住む世界の裏側に位置する妖怪達が住む世界――『妖世界』から来た妖狐の
最初こそ驚いたけど、慣れたらさっきみたいに挨拶できる程度にはなったし、前よりは楽しい生活を送れてる気はするな……。もっとも、姿が中々スゴいのに対しては、まだまだ驚かされてるけど。
そんな事を思いながらクスリと笑っていたその時、ふと足元に違和感を感じてその場に立ち止まった。
……また妖怪の一種なんだろうけど、こんな日に出て来る妖怪なんて豆腐小僧さんや雨の小坊主さん以外に誰がいたかな……?
そんな疑問を抱きながら足元に視線を向けると、そこには仔犬ほどの大きさの何かがおり、それは少しだけ開いた俺の足の間をするすると通り抜け続けながら自分の体を足に擦りつけていた。
……この動きをするって事は、もしかしてコイツは……。
「
そんな事を独り言ちながらゆっくりしゃがみ込むと、すねこすりはそのクリクリとした目で俺の顔を見上げながら不思議そうに小首を傾げた。
「……なるほど、だから今日はすねこすりとご一緒だったんですね」
「はい」
翌日、すねこすりを腕に抱いたままいつもの公園で友禅さんと合流し、『福来和裁店』へ向かっている途中で昨夜の出来事を話すと、友禅さんは納得顔で頷きながらスヤスヤと眠っているすねこすりの事を優しい笑みで見つめた。
昨夜、すねこすりと出会った後に俺はとりあえず家に帰ろうと思い、そのまますねこすりと別れようとした。しかし、歩き出すと同時にすねこすりは話に聞いていた特徴通りに俺の足の間を通り抜け続けていたため、口には出さなかったものの正直歩きづらかったが、それでもそれを我慢しながら歩き続けた。そして、それから数分が経って家に着いた頃、すねこすりが体を擦りつけるのを止めたため、俺は軽い安心感を覚えながらそのまま家の中へと入ろうとした。しかし、ふと後ろを振り返ると、すねこすりは雨に濡れながら俺の顔を見つめており、いっこうにその場から離れようとしなかった。すねこすりが何故自分の住み処と思われるところへ帰っていかないのかは分からなかったが、大雨の中で必死そうに耐えているように見える姿が次第に可哀想に思え、俺は再びしゃがみ込みながら「……上がってくか?」と、思わず訊いてしまっていた。すると、すねこすりはコクリと頷いたため、俺はとりあえずすねこすりを抱き上げ、そのまま一緒に家へと入った。その後、両親にすねこすりを見せながら雨の中に捨てられていた
まあ、思ったよりも重いわけじゃないし、このもふもふとした感触もぬいぐるみを抱えているみたいで結構落ち着くから問題は無いけどな。
そんな事を思いながら『福来和裁店』に向かって歩いていた時、腕の中にいるすねこすりがもぞもぞと動き出したかと思うと、小さな欠伸をしながらゆっくりと目を開けた。そして、まだ少し眠そうな目で俺の事を見上げたかと思うと、隣を歩いている友禅さんに視線を向け、キョトンとした表情を浮かべた。
まあ、さっきまでグッスリと寝てたわけだし、いきなり知らない人がいたらビックリするよな。
すねこすりの様子にそう思いながらクスリと笑った後、俺はすねこすりの頭を優しく撫でながら友禅さんの事を紹介した。
「すねこすり、この人は友禅さんっていう妖狐で、俺の知り合いだよ」
「初めまして、すねこすりさん。私は友禅という者です、よろしくお願いしますね」
友禅さんがニコリと笑いながら顔を近付けると、すねこすりは友禅さんの顔をジーッと見つめた後、静かにコクンと頷いた。
「……どうやら、友禅さんが悪い人では無いと分かったみたいですね」
「そうですね。それにしても……このすねこすりさんはとても大人しい方のようですね」
「……そういえば、昨夜出会ってから今まで話す声どころか鳴き声すら一回も聞いてませんね。それに、体を洗ってやった時も暴れ出したり逃げ出したりする事も無かったので、両親も珍しがっていました」
「なるほど……けれど、別に弱っているとか怪我をしているとかではないんですよね?」
「そうですね。宝雅さんから頂いた霊力が籠もっているペンダントのおかげなのか、簡単になら出会った妖怪達の調子なども分かるようになりましたけど、このすねこすりは特に怪我や病気は無いみたいですね」
「そうですか……まあ、私達妖にもそれぞれ性格はありますから、別に不思議ではありませんが、このすねこすりさんはまだ子供のようですし、もしかしたら人間の言葉で話す事がまだ出来ないのか何か他の理由があるのかもしれませんね」
「なるほど……でも、だとしたらコイツにも親がいるはずですけど、どうしてコイツは1匹だけであそこにいたんでしょうか?」
「それは分かりません。ですが、この『人間世界』ではすねこすりさん達はここから離れた地――岡山県で伝わっている妖のはずなので、何かの理由でこの辺りまで来てしまったのかもしれませんね」
「何かの理由で……」
すねこすりの方に再び視線を向けると、すねこすりは穏やかに吹いてくる春風に対して気持ち良さそうに目を細めており、その姿がとても可愛らしく思えた。
どんな理由があったのかは分からないけど、コイツの親が見つかるまでは、俺がどうにかしてやりたいところだな。もちろん、妖怪と一緒に住むというのがどれだけ大変かは分かってるけど、まだ子供のコイツを放っておくわけにもいかないからな。
すねこすりの事を見ながらそう決断していると、「……どうやら覚悟は決まったようですね」と言う声が聞こえ、俺はそれに対してしっかりと頷いた。
「はい。すねこすりの事を放ってはおけないので、とりあえずコイツの親が見つかるまでは俺が預かろうと思います。そして、いつになるかは分かりませんけど、絶対にすねこすりの親を見つけてみせます。やっぱり、親に会えないままというのは、良くないですし哀しいですからね」
「……そうですね。では、私も微力ながらお手伝いさせて頂きましょうか。『福来和裁店』には、遠方からもお客様がいらっしゃいますから、もしかしたらその中のどなたかが何かご存じかもしれませんからね」
「友禅さん……本当にありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして。私も今となっては、朱子達の親代わりのような物ですから、やはりあの子達のように親と死に別れるなどという事は、起きて欲しくは無いと思っているんです。もちろん、それは親に限らずですけどね」 「そうですね……俺も小さい頃に柴犬を飼っていたんですけど、アイツが死んでしまった時はとても悲しかったですから」
柴犬――ヤマトが生きていた頃の事を思い出し、懐かしさと哀しさを感じていると、友禅さんは少しだけ顔を曇らせた。
「……そうでしたか。因みに……それ以来、ペットは飼っていないんですか?」
「はい。別に飼っても良かったんですけど、何だかアイツの事を思い出しちゃいそうで、他のペットを飼おうっていう気にはならなかったんですよね」
「なるほど……辛い事をお話しさせてしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、気にしないで下さい。確かにあの時は辛くて悲しかったですけど、今では楽しかった思い出も結構思い出せるようになってますから」
「楽しかった思い出、ですか……」
「はい。一緒に公園を駆け回ったり昼寝をしたり……そんな些細な事ではあるんですけど、俺にとってはアイツとの大切な思い出です」
「……そうですね。私も彼――朱子達の父親とは、小さな頃から様々な事をした物です。もちろん、他の友人達も混ざる事はありましたが、それも彼との大切な思い出だと思っています。そして、その思い出にはこれまで幾度も支えられてきましたよ」
「俺もですよ。何と言うか……そういった思い出は、その時はあまり意識はしませんけど、今みたいな後になってからアレは本当に大切な物だったと気付くんですよね」
「ふふ、そうですね。でも……だからこそ、私達はその事を忘れないようにしながらもそれに縛られないように生きなければなりません。思い出や過去に縛られていては、未来に向かっていく事は出来ませんし、いつか大切な物を見失ってしまう事にもなりますから」
「……そうですね」
ヤマトと一緒に過ごした日々は、俺にとって本当に大切な宝物だ。だから、ヤマトが死んだあの日の夜は、一睡も出来ないほどとても悲しかったし、友禅さんにも話したようにあの日以来ペットを飼う事は一度も無かった。その理由は、ヤマトの死によって命の重みを知ってしまったから、そしてもう同じような悲しさを味わいたくないから。また同じような悲しさを味わってしまったら今度こそ立ち直れなくなってしまうという思いが、小さかった頃の俺の中には確かにあったんだ。
時が経った今では、あの頃よりは確実に気持ちの整理もついているけど、他のペットを飼おうという気持ちにはやっぱりならない。でも、それならそれでも良いんだろう。いつか、本当の意味で
腕の中ですねこすりがもぞもぞと丸くなる様子が、一瞬まだ小さかった頃のヤマトと重なり、俺は懐かしさから思わずクスリと笑っていた。そして、すねこすりから視線を外して顔を上げてみると、まだ少し距離はあったものの『福来和裁店』の建物が少しずつ見え始めており、それと同時に仲良く店先を掃除している
「友禅さん、今日もよろしくお願いします」
「……はい、こちらこそよろしくお願いします、綾己君。そして、今日からはすねこすりさんもですね」
その友禅さんの言葉を聞くと、すねこすりはキョトンとした様子で友禅さんの顔をジッと見つめていたが、すぐにそれを肯定するようにコクンと頷くと、再び俺の腕の中で丸くなり始めた。その行動に俺達は同時にクスリと笑った後、そのまま『福来和裁店』に向かって歩いていった。
すねこすりとの出会いから数日が経った頃、すねこすりは家ではもちろんの事、『福来和裁店』でも店員とお客さんの両方の人気者になっていた。そして、その中でも双子の妖狐である朱子と綸子は、すねこすりの事がとても好きになったらしく、朱子は近くを通る度にすねこすりの様子を見たり休憩時間などにはすぐに寄ってくるようになり、綸子はそんな朱子の事を
綸子はいつも姉の朱子よりもしっかりとしているし、ちょっと大人びた綺麗な子っていう印象があったけど、綸子にも朱子に負けない程の年相応の女の子らしい可愛さがあるんだな……。
昼休憩中でお客さんが一人もいない店内で、目の前で愛おしそうに昼寝中のすねこすりを撫でる笑顔の綸子を見ながらそんな事を考えていると、綸子は俺の視線に気付いた様子でとても不思議そうに首を傾げた。
「あの……どうかしましたか?」
「いや、今までは綸子の事を大人びた綺麗な子って思ってたけど、綸子も朱子に負けない程、可愛らしい子なんだなと思っただけだよ」
その瞬間、自分が考えていた事を包み隠さず言ってしまった事にかなりの気恥ずかしさを感じていたが、言われた当の本人はというと俺の言葉を一瞬理解できていない様子を見せた後、顔を徐々に赤くしながら珍しく大きな声を上げた。
「か、可愛らしいって……! 貴方はいきなり何を言いだすんですか……!?」
「え、えっと……ゴメン。でも、さっきの言葉に嘘は無いから」
「う、嘘は無いって……」
俺の言葉は綸子の事を更に照れさせたらしく、綸子は恥ずかしさと嬉しさが入り交じったような表情を浮かべながら視線を俺からすねこすりヘと移してしまった。
う……ど、どうしよう……。
その綸子の様子に俺が困っていたその時、「ふっふっふ……」という声が店の奥から聞こえ、そちらに視線を向けた。すると、そこには両手を腰に当てながらこっちを見ている朱子の姿があった。
「しゅ、朱子……?」
「ついに……ついに綾己君も気付いてしまったようだね。私の妹が持つ世界最高の可愛さに!」
「世界最高の……可愛さ……?」
「そうだよ! 綸子はいつも冷静沈着で誰に対してもしっかりとした受け答えをする自慢の妹だから、お客様からも常に好印象を持たれているけど、綸子の魅力はそこだけじゃないんだよ!」
朱子は自慢げな様子で言いながら近付いてくると、綸子に後ろから抱き付きながら言葉を続けた。
「もう綾己君も気付いているだろうけど、綸子は可愛い物には目が無い上、可愛い物を見つけたり触れたりするとこんな風にいつもの冷静沈着な仮面がポロッと外れて、花が咲いたような笑顔を浮かべるとても可愛らしい女の子に戻ってしまうのだ!」
「しゅ、朱子……! 貴方は何を言って――」
「それで、どうかな? 綾己君は、妖怪に対しての偏見なんかは無い上、さっきの言葉を聞く限り、綸子の事を可愛い子だと分かってくれているようだし、ここは炊事に掃除にご近所付き合いまで完璧な私の可愛い妹と生涯を仲良く添い遂げてみる気は無いかな?」
「生涯を仲良く添い遂げるって……展開があまりにも急すぎないか!?」
「いやいや、きっかけというのはいつだって急に訪れる物だよ。さあ、綾己君の答えを聞かせてもら――」
その時、「……朱子」と綸子の口からとても冷たい声が聞こえ、朱子の顔はその言葉の冷気で凍り付いた。
「あ、あれ……? 朱子、もしかしなくてもお怒りモード……?」
「ええ、その通りです。流石は双子の姉、妹の事をよく分かっていますね?」
「い、いやー……これは双子じゃなくても分かるような……?」
怯えの色が浮かんだ顔で綸子からゆっくりと離れると、朱子はそのまま店の奥へと戻ろうとした。しかし、「……どこへ行くんですか?」という更に冷たさを増した声でその足はピタリと止まる事となった。そして、綸子はそんな姉の姿を一瞥した後、俺の方へ視線を戻し、抱きかかえていたすねこすりを差しだした。
「綾己君、すねこすりさんを撫でさせて頂きありがとうございました」
「あ、うん……」
そのあまりの迫力にそれだけ答えて俺がすねこすりを受け取ると、綸子はニコリと笑って頷いてから再び朱子の方へ視線を向けた。その瞬間、朱子の体がビクリと震えた上に血の気がサーッと引いていた事から綸子の怒りが凄い物なのが見て取れた。
「り、綸子……顔が凄く怖いよ……? ほ、ほら……笑顔笑顔……」
「いえ、私は朱子が言うような花が咲いたような笑顔を浮かべているつもりですが?」
「あ、あはは……そうなんだ……」
「ええ。なので、怖がる必要はまったくありませんよ? 貴女が言うには、私は世界最高の可愛さとやらを持っているようですから……」
「う、うん……そうだよ。だから、その怖い笑顔じゃない笑顔になってほしいかな……?」
声を震わせながら朱子が怯えきった様子を見せていたその時、「はい、そこまで」という声が聞こえ、俺達の視線が声の方へと集中した。
「ゆ、友禅様……」
「朱子もちょっと悪ノリが過ぎたけど、綸子だってそれ以上怒る必要は無いだろう?」
「それは……そうですが……」
「それに、朱子は別に貶しているわけでは無く、逆に綸子の事を誇りに思って言ってるのだから、その言葉を素直に受け止めてやりなさい。朱子の言う通り、綸子は私にとっても自慢の娘だからね」
「友禅様……分かりました、ありがとうございます」
「どういたしまして。そして、朱子も綸子がそういう子なのは分かっているのだから、褒め言葉や自慢も程々にしておくように。朱子だって綸子の事を怒らせるために言ったわけじゃないんだろう?」
「それはもちろんです! 私はいつも綸子に怒られてますけど、綸子の事は心の底から大好きですし、私にとって掛け替えのないたった一人の妹ですから!」
「うん、日頃の様子からそれはしっかりと伝わってきているよ。けどね、お互いの気持ちを考えて接してあげるのもやはり必要なんだよ。ここまでなら大丈夫かなとかこれ以上は言わない方が良いかなとかのようにその人の事を考えてあげないと今のようにただ褒めたり自慢したりしていただけなのに、結果として怒らせてしまう事にもなる。だから、相手の気持ちというのはしっかりと考えてあげる必要があるんだよ。私や綾己君は綸子との付き合いがまだ浅い方だけど、朱子は生まれてからずっと綸子と一緒にいた。だから、朱子はそれが世界一得意なはずだよ?」
「友禅様……」
朱子は少し哀しそうな表情を浮かべながら友禅さんから綸子へ視線を移すと、同じような表情を浮かべている綸子の両手を静かに取った。
「綸子……本当にゴメンね」
「いえ……私こそすみませんでした。朱子が褒めてくれているのは分かっていたのですが、どうにも嬉しさよりも気恥ずかしさの方が勝ってしまって……あんな物言いをしてしまいました。本当にすみませんでした……」
「ううん……私だってそれが分かってたのにあんな風に言っちゃったんだもん。だから……本当にゴメンね、綸子」
「朱子……」
「でも、綸子が自慢の妹だっていうのは本当だよ。いつも落ち着いていて私の事を傍で支えてくれる大事な大事な自慢の妹。それが私にとっての綸子なんだよ」
「……私も同じ気持ちですよ、朱子。いつも明るく元気で見ているこっちまで元気にしてくれる大事な大事な自慢の姉。それが私にとっての朱子ですから」
「……えへへ、そっか」
「……ふふ、はい」
朱子と綸子の顔には、さっきまでの暗さは全くなく、二人の間にはいつもの二人らしい柔らかく和やかな雰囲気が流れていた。
二人が仲直りできて本当に良かった……でも、結果的に俺が何も出来なかったのは、ちょっと悔しい……かな。
二人の姿を見ながら心の中で悔しさを滲ませていると、友禅さんは静かに微笑みながら手をポンポンと叩いた。
「さて……それじゃあそろそろお昼にしよう。料理自体は出来ているから、二人で並べてきてくれるかな?」
「はい、分かりました! 行こっ、綸子!」
「ええ」
そして、仲良く手を繋ぎながら店の奥へと入っていく二人の様子を見ていると、「大丈夫ですよ」と友禅さんからいきなり声を掛けられた。
「えっと……大丈夫っていうのは……?」
「先程、朱子達の事を止められなかった事を悔やんでいるような様子だったので、その事ですよ」
「……やっぱりバレてましたか。出会ってから一週間ちょっとの俺が、さっきの友禅さんのように止められるとは思ってませんけど、俺にも何か出来る事があったんじゃないかなと思ったら、自分の不甲斐なさみたいな物を感じて、ちょっと悔しくなったんです。二人の友達としてもいつも世話になっている身としても……」
「……なるほど」
「さっきも朱子の言葉に対して動じずに答えていれば、こんな事になる前にどうにか出来たと思うんです。だから――」
「綾己君」
俺の言葉を遮る形で名前を呼ぶと、友禅さんは俺の顔を見ながら穏やかな笑みを浮かべた。
「さっきも言ったように大丈夫ですよ。今回はちょっといつもよりは綸子も怒ってはいましたし、朱子もいつもよりはやり過ぎてはいましたが、アレもあの子達のコミュニケーションの一つですから」
「そう……なんですか?」
「ええ。ケンカするほど仲が良い、という言葉があるように、あの子達は仲が良いからこそお互いの思っている事をしっかりと述べ、お互いにわかり合うために小さな衝突を繰り返しているんです。もっとも、お互いがお互いの引き際を知っているからこそ出来る事ではありますけどね」
「わかり合うために小さな衝突を繰り返す……」
「はい、その通りです。あの子達は双子ではありますが、お互いに考えている事が完全に分かるわけではありませんから、今回のような事もたまには起きてしまいます。けれど、あの子達は今回のような事が起きた後には、しっかりと学びあっているんです。 これから先、お互いにしっかりと支え合っていくために」
「……それは、やっぱり
「そうですね。だから、私は今回のように行き過ぎたと思った時以外は、口を出さないようにしています。私が必要以上に関わってしまっては、あの子達自身の成長の妨げになってしまいますからね」
「…………」
「あの子達を預かり、育てると決めた以上、あの子達が自分達の力だけでも様々な事に立ち向かえるだけの力を持たせないといけないと私は考えています。あの子達がこれから先の未来で、どんな出会いを果たしたりどんな出来事に関わったりするかは、私にも分かりませんし、私もいつまでもあの子達と一緒にいられるかも分かりませんからね」
「……そうですね」
別れというのは、あまりにも突然訪れるものだ。中には予期出来る物もある事はあるけれど、たいていの場合――特にも『死』という別れの場合は、本当に突然訪れる。そして、それは俺や友禅さんだって例外じゃない。だから、友禅さんはその時がいつ訪れても良いように朱子達の事を見守りながらも今回のように正しい方に成長をするようにしている。親子間の関わりというのは、もちろん必要な事ではあるけど、何でもかんでも親が関わってしまっては子供はいつまでも親から自立する事が出来ないんだ。
関わるだけが優しさや絆じゃなく、時には見守る事も優しさや絆って事だな。
穏やかな笑みを浮かべる友禅さんから『
「あ、はい……なんですか?」
「ふふ……もしも何かあった時――具体的に言うならば、朱子達が嫁入りする時には、綾己君に朱子と綸子の事を頼もうかなと思いましてね。朱子が言っていたように君は私達のような妖に対しての偏見などはありませんし、君という人間の事は理解しているつもりですから、下手な妖に貰われるよりは、綾己君に貰われた方が二人も嬉しいと――」
「いやいやいや! その気持ちは嬉しいですけど、さっき朱子に言ったように展開が急過ぎませんか!?」
突然の言葉に俺が驚きながら問い掛けると、友禅さんはその様子に対してクスリと笑いながら答えた。
「……冗談、ですよ。もっとも、
「今の所はって……」
「ふふ……まあ、私自身はそうなってくれた方が嬉しいですけどね。さて……そろそろ私達も行きましょうか。これ以上、あの子達を待たせるのも可哀想ですからね」
「あ……はい」
狐につままれたような気持ちになりながらも俺はニコリと笑う友禅さんに返事をし、未だスヤスヤと眠るすねこすりを抱きかかえながら一緒に店の奥へと入っていった。
午後3時頃、朱子と綸子が揃って買い出しへと出掛ける中、俺は午前と同じようにすねこすりを膝の上に乗せながら仕事の見学をしていた時、店の引き戸が静かに開く音が聞こえ、そちらへ視線を向けた。すると、そこにはいつもの陰陽師らしい格好をした宝雅さんの姿があった。
「あ、宝雅さん。こんにちは」
「こんにちは、宝雅さん」
「こんにちは、綾己君、友禅さん。おや……綾己君の膝の上に乗っているのは、すねこすり……かな?」
「はい。昨日の夜に一匹でいるところに出会ったんですけど、まだ子供のようなので親に会わせるために一時的に保護をしているんです」
「なるほど……しかし、今日は妙な偶然があるものだな……」
すねこすりを見ながらポツリと呟いたその一言が気になり、俺は宝雅さんに話し掛けた。
「妙な偶然っていうのは……?」
「ああ……その事ですか。実は、ここに来る途中で、すねこすりらしきモノを見掛けまして、この地域にすねこすりはいないはずなので、不思議に思っていたんですが……もしや、さっきのはこの子の親だったのかも――」
「宝雅さん! それを見たのは、どの辺りですか!?」
「この近くにある公園の辺りです。しかし……あそこには、たぶん……」
「たぶん……なんですか?」
「それは――いえ、私の口から話すよりも綾己君自身の目で見た方が良いかもしれませんね。これは、
「あ、はい……分かりました……?」
宝雅さんの言葉の意味は分からなかったが、すねこすりの親が見つかったかもしれないという情報を訊く事が出来た事がとても嬉しかったため、その疑問はすぐに彼方へと追いやられていった。
少し寂しい気はするけど、コイツが親の元に帰れるかもしれないならその方が良いからな。早くそのすねこすりの所に行ってみよう……!
はやる気持ちを抑えつつすねこすりを抱きかかえながらゆっくりと立ち上がった後、店の引き戸の方へ体を向けたその時、「綾己君」ととても真剣な表情を浮かべた宝雅さんが話しかけてきた。
「はい?」
「私もついていきます。私が一緒の方が、すぐにその場所に着けるはずですから」
「……そうですね。それじゃあお願いします、宝雅さん」
「はい、任せて下さい」
宝雅さんの言葉に頷いて答えた後、引き戸に手を掛けながら友禅さんに声を掛けた。
「友禅さん、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい、綾己君。……くれぐれも
「ありがとうございます……?」
友禅さんの表情が、どこか心配そうな感じだった事からまた何か
「変だな……まだ夕暮れ時でも無いのに、公園に人がいないなんて……」
「……いえ、
「え、それって――」
宝雅さんの言葉の意味について問い掛けようとしたその時、公園内の空気が突然張り詰め、すねこすりがハッとしながら目を覚ますと同時に、首から掛けているペンダントが徐々に熱を帯び始めた。
「え……!? い、一体何が……!?」
「それは、邪悪なモノなどに反応して、ペンダントが熱を帯びるようになっているんです。そして……どうやら、私の予感は悪い方に当たってしまったようですね」
「悪い方にって……ここにいるのは、コイツと同じすねこすりじゃ――」
その瞬間、俺は気付いてしまった。ここにいるモノが何で、その正体が一体何なのか。
「え……それじゃあここにいるのって、まさか……!?」
「……いえ、綾己君が考えているモノもいますが、私が感じた予感の正体はそれとはかなり違うモノですよ……」
「かなり違うモノ……?」
「はい。……そして、どうやらあちらからおいでになったようですよ」
その言葉通り、公園の向こう側から何かがゆっくりと這ってくるのが見え、それの正体が何かに気付いた瞬間、俺は絶句してしまった。
「え……ひ、人……?」
それは、炭のように黒くなった人のようなモノで、低く響き渡る唸り声を上げながらゆっくりとこちらに向かって這い寄ってきていた。
「宝雅……さん、アレって人……じゃないですよね……?」
「正しくは、『元』人ですね。アレは、一般的に怨霊と呼ばれるモノで、どうやらこの近くにいた浮遊霊などを吸収した事で、その力を格段に増し、今はあのような姿になったと思われます」
「怨霊……でも、怨霊は恨みを抱いて死んだ人がなるモノですよね……? そんなモノがいるなら、友禅さんや宝雅さんが気付かないはずが無いんじゃ……?」
「……ええ、その通りなんですが、コイツは確実に今朝のパトロール時にはいなかったはずなんです。綾己君の言う通り、ここまで力を増した奴に気付かないはずがありませんからね」
「え……それって、つまり……」
「誰かが余所の地にいたコイツを無理やり連れてきた、という事です。わざわざ、その身に一度宿したり他の浮遊霊達を吸収させたりという理解不能な真似をしてまで……!」
怨霊を見る宝雅さんの表情には、怒りや哀しみといった感情が入り交じっており、怨霊に対して敵意だけでなく、憐れみも感じている事が分かった。しかし、怨霊自身はそんな宝雅さんの表情にも構わず苦しみの表情を浮かべつつ唸り声を上げながらこちらへゆっくりと這い寄り続けており、その姿を見ている内に怖いという感情よりも哀しいという感情の方が強くなってきていた。
この怨霊が誰に対して何の怨みを抱いているのかや連れてきた奴と何か関係があるのかはまったく分からないけど、そんな事が出来る奴ならこの怨霊を苦しめずに成仏させる事だって出来たはずだ……! なのに、わざわざ別の土地に連れてきた上、他の浮遊霊達を吸わせて苦しめるのは絶対に間違ってるだろ……!?
怨霊を連れてきた奴に対して強い怒りと憎しみを感じながらすねこすりを守る事に意識を向けていたその時、『だれ……か』という声がどこからか聞こえ、腕の中にいるすねこすりが弾かれたようにその声がしたと思われる方へ顔を向けた。
その反応……もしかして……!
「……やっぱり公園の中にいるんだな。お前の親が……!」
その問い掛けにすねこすりは俺の顔をジッと見つめた後、静かにコクリと頷いた。そして、それに対してコクリと頷き返した後、俺は公園内に入るための決意を固めた。
「……宝雅さん、俺達ちょっと行ってきますね」
「……分かりました。けど、少しだけ待ってて下さいね」
宝雅さんはジリジリと迫る怨霊から目を反らさずに懐からお札を数枚取り出すと、呪文のような物を呟きだし、それを言い終えた後に持っていたお札を俺に手渡した。
「宝雅さん……これは?」
「あの怨霊から君達の存在を認識させられなくさせる術を掛けた札です。なので、これを持っている間は、あの怨霊から追われる事は無いはずです」
「……ありがとうございます、宝雅さん」
「どういたしまして。しかし、これを持っているからといって、油断はしないようにして下さいね」
「もちろんです。それじゃあ行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
その声を聞くと同時に、俺はお札を胸ポケットにしまってすねこすりを抱えたまま公園内へと走り込んだ。そして、怨霊の横を緊張しながら通り抜けたが、宝雅さんが渡してくれたお札のお陰で怨霊はこちらに気付かない様子で宝雅さんの方へ向かっていったため、ホッと胸を撫で下ろしながらそのまま公園内を捜し始めるために声の主の力の気配に意識を集中させた。
……たぶん、こっちだ……!
それらしい気配を察知した後、そちらへ向かってひたすら走っていくと、そこには一基のベンチがあり、その下にはブルブルと体を震わせる一体のすねこすりがいた。そして、すねこすりのところへ駆け寄ると、すねこすりは足音を聞きつけ、こちらに視線を向けた。すると、俺の腕の中にいるすねこすりの姿に目を丸くした後、とても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「
「紬……そっか、この子は紬という名前だったんですね」
「はい、そうです。ところで、貴方は一体……?」
「俺は織部綾己という人間で、この子の事を一時的に保護していた者です」
「そうでしたか……私は
「この子――紬のお母さん……」
「はい、その通りです。綾己さん、紬を保護して頂き本当にありがとうございます……!」
「いえ、礼には及びませんよ。それより、早くここから出ましょう。たぶん知っていると思いますけど、ここには怨霊がいますから」
「……そうですね。この子――紬のためにもその方が良いですからね」
「はい。よし……それじゃあ早速行きましょう」
「……はい」
結さんがベンチの下から出てきた後、俺は紬を抱きかかえた状態で結さんもどうにか抱きかかえた。その時、一瞬だけ全身に鳥肌が立ったような気がしたが、その事を考えている余裕は無かったため、俺はその事を頭の中から追い払って宝雅さんがいる公園の出口に向かって走り出した。そして、公園の出口が見えてくると同時に、未だ苦しそうな呻き声を上げる怨霊とお札を構えながら真剣な表情を浮かべる宝雅さんの姿も見え始めていたが、不思議な事に怨霊はさっきまでとは違ってまるで何かに遮られるような形で一向に前に進めず苦しそうな声を上げながら必死になってもがいていた。
アレってもしかして……結界、か……? 物語の中くらいでしか見た事も聞いた事も無かったけど、本当にああいうモノを遮る事が出来るんだな……。
そんな感動にも似た何かを覚えながらそのまま走り続け、俺達の姿に気付いた宝雅さんの顔が明るくなったのに対してコクンと頷いて答えた。
……よし、これで全て上手くいく……!
そんな確信を持っていたその時だった。突然一陣の風が吹き、胸ポケットに入れていたお札を攫ったかと思うと、その風はお札をビリビリに引き裂いてしまった。
「……え?」
それはあまりに突然の事だったため、俺はその場に立ち止まった後、ヒラヒラと舞う紙吹雪を前に呆然としてしまった。そして、「綾己君!」という宝雅さんの声でハッと我に返った後、宝雅さんの方へ顔を向けると、お札が無くなった事で怨霊はターゲットを宝雅さんから俺へと変えていた上、さっきよりも速いスピードでこちらに向かって這い寄ってきていた。
「くっ……!?」
しかし、迫ってくる怨霊の苦しみが入り交じった恨みがましいその表情に思わず怯んでしまい、俺はその場から逃げられずにいた。
マズい……でも、体がまったく動いてくれない……!
「くそっ、何で……動いてくれないんだよ……!?」
逃げたいのに逃げられないという状況に更に焦りは募り、頭の中には『逃げたい』という思いしか無くなっていた。そして、怨霊が俺の目の前まで迫り、唸り声を上げながら俺に向かって飛び上がってきたその時、「……綾己さん、この子をお願いします」という声が聞こえたかと思うと、結さんが俺の腕の中から飛び出し、怨霊に向かって勢い良くぶつかった。
「え……!?」
その行動に驚きの声を上げていると、怨霊はぶつかられた衝撃で仰向けに倒れ込み、結さんは地面に着地した後にパタリとその場に倒れ込んだ。そして、その間に宝雅さんは怨霊の元に辿り着くと、一枚のお札を構えながら再び呪文のような物を唱え始めた。すると、怨霊の姿はみるみる内に消えていき、やがて何かから解放されたような表情を浮かべて怨霊はその姿を消した。その瞬間、公園内に立ちこめていた異様な空気がスーッと消え、いつも通りの公園の様子へと戻った。
「……宝雅さん、今のは……」
「陰陽道の他に少し学んでいた術の一つです。半ば強制的に成仏をさせた事にはなりますが、多少は安らかに逝けた事でしょう」
「そう……ですか。あの……本当にありがとうございました。俺、あのお札が無くなった事で、凄くパニックになって……」
「……いえ、仕方ありませんよ。綾己君は、妖との交流はありますが、今回のような怨霊との遭遇は初めてだったでしょうから。しかし……あの風、少し妙な感じを受けますね……」
「妙というと……胸ポケットからお札を攫った後にビリビリに引き裂いた事……ですよね?」
「ええ、その通りです。アレは……ただの風ではあり得ない現象ですからね」
「つまり……俺達の様子をどこかで
「……はい、そうだと思います」
そう悔しそうに答える宝雅さんの表情からは、悔しさの他にも件の術者に対しての怒りや憎しみといった感情が感じられ、さっきは仕方ないと言ってもらったものの、自分の無力さがとても悔しかった。
……俺にもっと力があったら、何か変える事が出来たのかな……。
紬を左手で抱きかかえた状態で右手でペンダントを強く握っていたその時、結さんの事を途端に思い出し、「結さん!」と言いながら視線を下に向けた。すると、目に映ったのはとても信じがたい光景だった。
「……え? 結さん、体が……透けて……!?」
さっきまでハッキリと見えていたはずの結さんの体は、既に半透明くらいまで透けており、結さんが発する妖気もかなり弱々しい物になっていた。
「ど、どうして……!」
込み上げてくる悲しみを耐えながら結さんの体を抱きかかえようとしたが、俺の手は由比さんの体をスッと擦り抜け、そのまま土へと触れた。
「そんな……さっきまでは触れたのに……!?」
「……綾己君、そのすねこすり――結さんに触る事が出来たのは、あの怨霊がいたからです」
「怨霊が……いたから……?」
「綾己君も感じていたと思いますが、あの怨霊がいた事でこの場には非常に強い霊気が漂っていました。そして、その霊気の影響で位相などに変化が生じ、人間で言うところの霊体となっていた結さんの姿がハッキリと見えたり、触れる事が出来たりするようになったわけです」
「なるほど……」
その説明に納得しながら頷くと、宝雅さんはしゃがみ込んでから徐々に消えていく結さんに話しかけた。
「結さん、貴女方がここへ来た理由についてお話願えますか?」
「は……はい。つい先日、私達の住む場所に住む妖達が、一人の術者によって次々と命を奪われるという事件が起きました。術者の名前は明らかになっていませんが、その術者によって多くの妖達が命を落とし、それを恐れた妖達も術者に出くわさないように次々と姿を消していきました。そんな中、私達はその地に住む知り合いの霊能力者を頼り、匿ってもらっていたのですが、ついにその術者が私達の事を嗅ぎつけ、私達の事を滅しようとしてきたのです」
「妖怪達を滅するって……その妖怪達は何か悪事を働いたわけでは無いんですよね……!?」
「それはもちろんです。少なくとも、私達はその土地に住む人間に関わる際は、迷惑を掛けないように心掛けていましたから。そして、知り合いの霊能力者もどうにかしてくれようとはしたのですが、その術者の方が力が強かったため、霊能力者は苦肉の策で紬だけを『ある物』で逃がそうと試みたのです」
「ある物……?」
「はい。そして、それというのが世界のあらゆる場所にあると言われている『時空穴』と呼ばれる物です」
「『時空穴』……それってたしか、この『人間世界』と友禅さん達の故郷がある『妖世界』を繋いでるっていう物だったような……?」
「その通りです。ですが、その中にはこの世界のどこかとどこかを繋ぐ物が存在していて、霊能力者が使った物もそれだったのです。霊能力者はそれを使わせるためにその場所を教えてくれた上に私達を逃がしてくれたので、私はこの子を連れてその場所まで必死になって逃げました。そして、どうにか『時空穴』に紬を入れる事は出来たのですが、それからすぐに術者に追いつかれてしまい、私は命を落としました。しかし、紬の安否が気になった私は、持ちうる妖力を全て使って今のような姿でこの世に一時的に留まりました。そして、あの術者が『時空穴』を通るのに合わせて私も通り抜け、ここへとやって来た後、術者に続いてこの公園まで来たまでは良かったですが、術者は何かに気付いた様子でキョロキョロと辺りを見回すと、どこかへ歩き去ろうとしていたので、それを追おうとした時、無理をした事で体が上手く動かなくなりだしたので、仕方なくあのベンチの下で自分の体がまたしっかりと動けるようになるまで待っていたんです」
「紬のために妖力で魂を……」
その瞬間、結さんの紬ヘの想いに俺は心を打たれ、子を想う親の偉大さを改めて知ったような気がした。
結さんの場合は生みの親で、友禅さんの場合は育ての親だから親としての形は違うのかもしれない。だけど、そのどちらにも子を想う親心という物はこんな風に存在するし、形こそ違ったとしても親子の絆に変わりはないんだ。当然だけど、世の中全ての親子が、こんなにも綺麗な絆で結ばれているわけじゃない。けれど、この二つの親子の絆はとても尊く、まさに親子としての正しい形なんだと思う。
……俺も父さんと母さんからの想いにしっかりと応えられるようにこれからも頑張らないとな……。
既に体の半分ほどが透明になりかけている結さんの姿を見ながらそう考えていたその時、結さんはとても真剣な表情を浮かべながら俺に話し掛けてきた。
「……綾己さん、最期に一つだけお願い事をしてもよろしいですか?」
「あ……はい、俺に出来る事なら」
「……この子の事、紬の事を貴方にお願いしたいのです」
「……え? 紬の事を俺に……?」
「はい。先程の怨霊、アレは話の中に出てきた霊能力者が成ってしまったモノです。だから、彼に頼む事は出来ませんし、故郷にはもうこの子の事を頼めるような知り合いはいません。なので、紬の事を頼めるのはもう綾己さんしかいないのです」
「結さん……」
「綾己さん、お願いします……!」
今にも消え入りそうになりながらも必死に頼み込む結さんのその姿に俺はすぐに了承をしたくなったが、自分が紬を預かるという事がどういう事なのかを改めて考えた瞬間、『命の重み』という物がいかに重い物なのかを感じ、中々返事を出来ずにいた。
紬を預かるという事、それは一体の妖怪の命や未来を預かるという事だ。だけど、一介の高校生である俺に果たしてそこまでの責任を背負うだけの覚悟があるのか?
その事を自問自答した後、俺は一つの答えを出した。そして、一度大きく深呼吸をしてからその答えを口に出した。
「……分かりました。この子、紬は俺が大切に育てさせて頂きます」
「綾己さん……! 本当に……本当にありがとうございます……!」
結さんは涙交じりの大きな声で言った後、俺の腕の中にいる紬にニコリと微笑んだ。
「紬……貴方は二歳とまだまだ幼いけれど、とても元気で優しい子だから、しっかりとした心を持った立派な男の子に成長してくれると信じてるわ。だから……私がいなくなった後も綾己さんと仲良くするのよ……?」
「……おかあ、さん……」
「……元気でね、紬……」
そして、結さんの姿はスーッと消えていき、その場には悲しみに暮れる俺と宝雅さん、そして結さんが消えていった場所を静かに見つめる紬だけが残された。
……残された者に訪れるこの悲しみは、しばらくの間は味わいたくなかったんだけどな……。
ヤマトを喪った時と同じ『大切なモノ』を喪った悲しみを味わいながら、込み上げてくる涙を堪えていたが、「……行きましょうか」という宝雅さんの声で今の俺がやるべき事を思い出し、俺は腕の中から伝わる紬の温かさを感じながらコクリと頷いた。そして夕焼け空の下、『福来和裁店』へ戻るために公園を後にした。
「……雨、だな……」
「雨……だね」
その日の夜、昨夜と同じく結構な量の雨が降り、俺と紬は部屋の窓からその様子を眺めていた。本来、俺は雨は好きな方だからいつもなら雨の音を聞きながら今日一日の疲れを静かに癒すんだが、今日ばかりはとてもそんな気分になれなかった。
「……紬、結さんの死はやっぱりまだ受け止めきれてないか?」
「……うん、まだちょっとね……」
「……そうだよな。誰かを喪う哀しみなんてすぐに乗り越えられる物では無いからな……」
「うん……でも、だからこそ『福来和裁店』の人達と宝雅さんの気持ちは、本当に嬉しかった……かな」
「……そっか」
少しだけ元気になったらしい紬の様子にクスッと笑った後、公園から戻った後の事を思い出した。宝雅さん達と一緒に『福来和裁店』に戻ると、出迎えてくれたのは友禅さんから話を聞いたらしく不安そうな表情を浮かべた朱子と綸子、そしていつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべた友禅さんだった。朱子と綸子は俺達の姿に一瞬だけホッとしたように微笑んだが、俺がただ静かに首を横に振ると、その表情はすぐに曇り、どう声を掛けたら良いのか分からない様子で黙り込んでしまった。しかし、その中で友禅さんだけはその微笑みを崩すこと無くただ一言『お帰りなさい』と言ってくれた。他人からすれば、その言葉は何の変哲もないただの言葉かもしれないが、その時の俺達にとっては他のどんな言葉よりもとても安心できる言葉だった。そして、それに続いて朱子達も『お帰りなさい』と言ってくれた後、俺達は『ただいま』と返してからさっき起きた出来事について話をした。三人は時折相槌を打つ以外は、俺達の話を静かに聞いていた。そして、紬を結さんから託された事を話すと、友禅さんはとても真剣な眼差しで俺の事を見つめ始め、俺がそれに対して視線を逸らすこと無く見つめ返すと、すぐにその表情を崩して何か困った事があったら遠慮無く頼ってくれて構わないと微笑みながら言ってくれた。友禅さんが俺の事を見つめた理由、それは俺に紬を育てられるだけの覚悟があるかどうかを確かめるためなのだろう。俺の事はもちろん信じてくれていたんだろうけど、同じく他人の子供を預かっている身としては、そこはしっかりと確認しないといけないと考え、そういう方法を取ったんだろうと俺は考えている。そして、話を全て終えた後、件の術者について宝雅さんが調査を進めてくれる事になり、そこで今日のところは解散という事になった。その後、紬を連れて家へと帰り、紬が本当は犬では無くすねこすりであり、結さんから託された事なども話した上で母さん達に紬を育てたい旨を話すと、二人は難しい顔で少し悩んだ後、妖怪という人間とは別のモノであり、他人の子供を育てるだけの覚悟があるのかと真剣な表情で訊いてきた。しかし、俺の覚悟は既に決まっていたため、それに対して視線を一切逸らさずにその決意を伝えると、二人は表情を崩しながらそれを了承してくれた。そして、その事にホッと胸を撫で下ろした後、紬と一緒に俺の部屋へと戻り、これから一緒に生活する上での決まり事を決めたり、家の中の簡単な説明をしたりなど紬がこの家で生活するために必要な事を行った。因みに、紬は昨日の夜から結さんとの別れの時まで一言も発しなかったのは、今まで本当に人間の言葉を話せなかったからと件の術者が怖かったから鳴き声を上げたらすぐにでも来るんじゃないかと思っていたかららしい。そして、そんな紬が話せるようになった理由というのが、結さんとの別れという出来事が紬の妖力と精神に刺激を与えたからでは無いかと友禅さんは言っていた。
……それにしても、この一週間で本当に色々な事が次々と起きたもんだよな……。友禅さん達のような妖狐や宝雅さんという陰陽師と知り合ったり、こうしてすねこすりが家族に加わったりするなんて普通に過ごしていたら絶対に起きるはずが無い事ばかりだし、これからも似たような事がどんどん起きていくんだろうな……。
何となくそんな事を思っていたその時、「ふあぁ……」と紬がとても眠そうに欠伸をし始めたため、それに対してクスリと笑ってから声を掛けた。
「流石にそろそろ眠くなってきたか?」
「う……うん、そう……みたい……」
「……まあ、色々あったから仕方ないよ。よし……それじゃあそろそろ寝るか」
「う、ん……そうだ……ね」
うつらうつらとしながら答える紬を抱きかかえたまま犬用のベッドに連れて行ったその時、紬が俺の事を見上げながらボーッとした様子で話し掛けてきた。
「……ねえ、今日だけは一緒に眠ってもらっても良いかな……?」
「……うん、それくらいならお安いご用だよ」
「……うん、ありがとう」
「どういたしまして」
眠そうに微笑む紬に対してニコッと笑いながら答えた後、俺は部屋の電気のスイッチを切り、紬を連れてそのまま布団の中へと入った。
「それじゃあお休み、紬」
「うん……お休みなさい、綾己さん」
そして、静かに寝息を立て始めた紬の事を優しく撫でていた時、その安らいだ寝顔に俺は安心感のような物を覚えた。
「……中々眠れないかなと思ってたけど、どうやら杞憂だったみたいだな。結さんから託された以上、コイツの事は絶対に立派なすねこすりに育て上げてやらないといけないな……」
そう言ったものの、立派なすねこすりというのが、どういうモノなのかはまったく分からなかったが、すうすうと寝息を立てながら眠る紬の姿を改めて見た事で、その決意は更に固まった。
「これからどうなっていくかはまったく分からないけど、皆と協力しながら精いっぱいやっていこう。それが今の俺に出来る唯一の事だから」
雨降る夜、新しい家族を前に俺の中では静かに赤い決意の炎が燃え上がっていた。
政実「第3話、いかがでしたでしょうか」
綾己「今回の話で新キャラの紬とか謎の術者とかが出てきたけど、予定通りの話数で終われそうなのか?」
政実「一応は。予定では、後3・4話で終わる事にしてるから、そのくらいで話をまとめられるように頑張っていくつもりだよ」
綾己「了解。そして最後に、今作品についての感想や意見、評価などもお待ちしてますので、書いて頂けるととても嬉しいです。よろしくお願いします」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めていこうか」
綾己「ああ」
政実・綾己「それでは、また次回」