レースの日程や後年でG1になったレース等は私がやりやすいように都合よく弄らせてもらっています
此処で読者の方々は今一度警告タグと作品あらすじをご確認ください
そして割と何でも許せる方のみこの先にお進みください
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
それは複数の練習用トラックを抱えるウマ娘の大型育成機関である。
しかしいくら大型の施設であっても一つの設備に対して一度につかえる人数には限りがあった。
特にこの国でも人気レースであるターフは練習希望者が多い設備。
そこでトレーナー同士や学園からの調整が入る事により、チーム毎にある程度の合同使用がなされる場合もあった。
春を戦い抜いたウマ娘達にとって、同じ芝のコースを使用して練習する面子は既にある程度の顔見知りである場合が多い。
ところがこの夏の時期、ターフコースの練習場には普段あまり見かけなかったチームがいた。
「あ! エルちゃんだ」
練習場に入ったスペシャルウィークが見たのは芝を走るエルコンドルパサーとチームコメットのメンバーである。
「おや……今日のブッキングはエルのチームとだったんですね」
「そうみたい」
スペシャルウィークに続いてコースに姿を現したのは同じチームのグラスワンダー。
この二人は程度は違えどそれぞれに怪我明けであり、今日は軽い調整で走る予定になっていた。
未だ全力で駆け抜ける事はトレーナーから禁止されているものの、走れる事はウマ娘の喜びである。
まして春を全休していたグラスワンダーは、漸く此処に帰って来たと感慨も一入だった。
「グラスちゃん、とりあえず柔軟だけしとこっか」
「そうですね。合流するまで走行禁止が厳命されていますし」
「お前たちは好きに走らせたら絶対無茶するって……そんな事無いのにねぇ」
「勿論私もそのつもりですが……私達は自己管理において信頼ゼロですからね」
顔を見合わせて息を吐くスペシャルウィークとグラスワンダー。
スペシャルウィークが軽負傷したダービー以降、二人して走れない事へのうっ憤をやけ食いで解消してしまった。
大盛派とお代わり派の違いはあれど、この二人は共通して食事の摂取量が多い。
その結果トレセン学園周辺の食べ放題の店からは尽く出禁を食らう事態にまで発展したため、頭を抱えた東条トレーナーから徹底してカロリーの出入りを管理されているのだ。
「グラスちゃんって今までどうやって節制とかしてきたの?」
「私は大体エルと一緒にいましたから、危なくなると止めてくれていたんですよね。あれでレース関係には真面目ですから、多すぎず少なすぎずをよく考えてくれました」
「……それ完全に人任せだよね」
「ですから、今日私がこのような屈辱を味わっている責任は全てエルにあると主張します」
「……ソウダネ」
何時もの微笑で語るグラスワンダーからは冗談を言っているようには見えなかった。
スペシャルウィークは背中に冷たい汗を感じつつ片言で同意する。
最早どちらが保護者でどちらが被保護者なのかは疑いようが無い。
「少し距離を置くとエルちゃんがグラスちゃんに面倒かけてるようにしか見えないのがなぁ……」
「スぺちゃん、どうしました?」
「ん、お母ちゃんが言ってたんだけどね」
「はい?」
「グラスちゃんみたいなタイプって、ダメ男とくっついたら一緒になってダメになるっぽいよ」
「はぁ!?」
「だから、心配だなって」
座り込んで前屈するグラスワンダーの背中をゆっくりと押すスペシャルウィーク。
反論しようと上体を捩ろうとするグラスワンダーだが、気にせず背中を押し込んでいく。
スペシャルウィークは春の終わりにコメットの関係者からエルコンドルパサーの進路を聞いていた。
それ自体は偶然だったが、未だ当人が公表していない海外遠征の計画である。
今の所スペシャルウィークは誰にも話していないが、グラスワンダーは知っているのだろうか。
(知っちゃいけない所で知っちゃったんだから私が言っちゃダメだよね……グラスちゃんには話してる気もするんだけど、グラスちゃんだから言ってない気も……うーん)
エルコンドルパサーにとってグラスワンダーが特に近しい距離にいるのは間違いない。
しかしグラスワンダー自身が言ったように、レースに関してエルコンドルパサーは妥協しないだろう。
最終的には周りの全てを断ち切っても一人で目標に向かっていくかもしれない。
そんな気がしたからこそ、スペシャルウィークは秋の対決を約束したのだ。
口約束ではあるにしても。
「グラスちゃん、エルちゃんが居なくなったら真面な生活出来なくならない?」
「……私がエルに頼っているのは食事の量の目安だけですヨ」
「今声が裏返んなかった?」
「スぺちゃんこそ、普段の節制とかどうしているんですか?」
「私? 私はあまり節制しないで好きなだけ食べてるよ。その後食べた分だけ運動量増やしてキープするんだー」
「……怪我に強いウマ娘はこれだから」
「だから測る時期によっては山あり谷ありなんだけどね? 谷から登って来た所が丁度レースに来るようにトレーナーさんがしてくれるから大丈夫……この間のダービーの後は動けなくて凄い焦ったけどね」
実はスペシャルウィークのような管理の仕方は東条ハナの好みではなかった。
極端な体重の増減は身体にかかる負担も大きく、普段からナチュラルウェイトをキープしつつレース前後だけ少しだけ絞りたい。
しかし選手の個性を軽視したが故にサイレンススズカがリギルを離れた件もあり、トレーナーの価値観が多少軟化した時期でもあった。
スペシャルウィークに取っては運の良いタイミングのリギル入りだったろう。
「あ、グラスちゃんも推しのライブで命がけで応援すれば簡単に痩せると思うよ? 足の負担も全くないし」
「……それが宝塚の時のスぺちゃんの事を言っているなら、私には無理です。あそこまで自分をさらけ出せません」
「えー……だってスズカさんの初G1勝利を祝うライブだったんだよ? 最前列で緑のサイリウム振らなくちゃ生まれて来た意味が見いだせない」
「重っ!?」
「はぁ……スズカさん綺麗だった……」
「正直、私は少しスぺちゃんのスズカ先輩熱は冷めたのかと思っていたんですよね。レースはエアグルーヴ先輩を応援していましたし」
「そりゃ、私リギルだもん。レースは先輩を応援するよ? ライブではスズカさん以外目に入らないけど」
「欲望に正直すぎませんか?」
「特にエアグルーヴ先輩相手だと、立場が逆なら先輩もそうするって確信が持てるから遠慮は要らないんだよねぇ」
「あ、成程」
スペシャルウィークはつい先日行われた宝塚記念の事を思い出す。
最初から最後まで先頭を走り、見事勝ち切った異次元の逃亡者。
憧れたウマ娘。
しかし宝塚記念で勝利したスズカを見た時、スペシャルウィークが感じたモノは憧れだけではなかった。
「スズカさん、秋はどんな路線で来るのかな。一緒に走って……ライブ、出たいな」
「スぺちゃんは菊もありますからね……日程が難しい所です」
「そうなんだよねぇ……トレーナーさんと相談しなきゃ」
前後を入れ替え、今度はスペシャルウィークの柔軟を手伝うグラスワンダー。
「推しの応援はともかく」
「ん?」
「エルと、ライブしてみたいなぁって」
「あ、良いねそれ! 私もエルちゃんやグラスちゃんとライブしたい!」
「ふふ。センター争いが大変そうですね」
「あー……早く秋が始まらないかなぁ」
「そうですねぇ」
スペシャルウィークの背を押しつつ、何気なく遠くを走るエルコンドルパサーを見つめたグラスワンダー。
一瞬、その目が合ったような気がした。
§
チームコメットの年長組がターフの上を駆け抜ける。
先頭を走るのはシーキングザパール。
その背をシルキーサリヴァンとエルコンドルパサーが5バ身程遅れて追走していた。
「先輩、どんな感じデース?」
「……やっぱ脚に返ってくる感触が硬ぇな」
「ダートと同じようにパワーで掘り返して走ると痛いデース。気持ち浅く蹴って返ってくる衝撃に乗って、加速してくだサイ」
「成程な」
「安田記念の時は重バ場の悪路でしたから、逆に先輩の普段の走り方がはまった感じだと思うんですヨ~」
「ふむ。こっちでデビューした時はターフだったんだがなぁ」
「それは多分……今の先輩程パワーが無かったから下に深く蹴れなくて、それが芝向きの走りになっていたんじゃないかと」
「そういや、俺がこっちでトレーニングに没頭したのってその後の事だったな」
「ダートでターフの時計を出せる今の先輩が本格的に芝に馴染めたら、恐ろしい事になりそうなんですけどネ」
後輩からコツを聞きつつ足元に集中するシルキーサリヴァン。
彼女は春のレースにおいて完敗したタイキシャトルへの雪辱の為、帰郷を見送って夏の日本に残っていた。
彼女の、そしてチームコメットの主な練習は中央レースの多くを占める芝対策。
特にシルキーサリヴァンは主戦場がダート路線であり、ターフの経験が浅かった。
「全くターフで走ってこなかったわけでもねえんだけどな」
「地方レース場の交流戦では、先輩も幾つかターフで走っていたんデスよネ~」
「おぅ。ただ言っちゃ悪いが……死に物狂いで限界を攻める走り方はしてねぇからな。此処まで足に衝撃が来るとは思っていなかったぜ」
「意識して走る1ハロン2ハロンなら普通に走れちゃうんでしょうネ。ただ意識してる時点で最高速じゃないデスし、実戦で咄嗟に出ちゃうのが身体に染みついた走り方デース」
「……芝の上でその走り方に耐えられる身体作りをしてねぇからな、俺は。畑違いだから仕方ねぇ所なんだが」
一つ息を吐いたシルキーサリヴァンが意識して速度を上げていく。
得意の急加速ではない。
ゆっくりとアクセルをふかすように足回りを確認し、速度と衝撃を体感する。
それにエルコンドルパサーもついていき、前を走る先輩達の後ろに入った。
「やっぱりあんたにターフは無理じゃない?」
「ぬかせパール。どんくせぇてめぇに出来て俺様に出来ねぇわけがねぇ」
「私がどんくさいならあんたは大雑把なのよ。スピード&パワーも行き過ぎると制御が難しいっていう良い例だわ」
「……っけ。シャトルみてぇな頑丈さがありゃあ、こんな面倒な走り方よぅ……」
「無いものねだりしたって仕方ないでしょ? っていうか、あんたが他人の長所を羨むのやめなさい。刺されるわよ」
「あぁん?」
「奪い取れるなら先輩の脚が欲しいってウマ娘は、きっといっぱいいますヨ」
「……気ぃ付けるわ」
走りながらシルキーサリヴァンの後方、半バ身程の位置につくエルコンドルパサー。
此処から見ると本来の走りから遠い事がよくわかる。
脚の回転が速いのに着地の瞬間だけ減速して衝撃を逃がす。
その為走行のリズムが安定せず、疲れる割に速度が出ない。
歯がゆいだろうと思う。
エルコンドルパサーが知る限り、シルキーサリヴァンはダートにおいて最も速いウマ娘である。
そんな先達がどうして慣れない芝の上でもがいているのか。
どうしてアメリカへの帰郷を見送ったのか。
当人が言うようにタイキシャトルへのリベンジもあるだろう。
しかしその一方で、これから中距離に出ていく自分の為に残ってくれた事にも気づいている。
エルコンドルパサーは前を走る赤い背中を見ながら、このチームに巡り合えた幸運に感謝した。
(今年が上手く行ったとして来年の凱旋門賞……そしてその先もドバイにアメリカ……ワタシがコメットに恩返し出来るのって相当先になっちゃいマスネ……)
エルコンドルパサーが小さく息を吐いた時、内埒の中で柔軟を始めたウマ娘の姿があった。
グラスワンダーとスペシャルウィーク。
チームリギルの次世代のエース達であり、秋には倒さなけらばならない相手でもある。
「そういやよぅエルコン」
「あ、はい?」
「おめぇはそろそろ秋の路線公表しとけや」
「……別に聞かれるまでは良くないですかネ~」
「殆どの奴は勝手にマイルだと思っているんだろうけどよ……ハードバージが気を揉んでいやがるからな。そろそろ腹くくってやれ」
「……ですね」
「とりあえずトレーナーと出走レースを決めて、具体的な話が定まってからこのレースに出るって発表した方が良いわ」
「そうさな」
「出来ればその先の海外遠征まで発表して、どうしてマイルから去るのかって所まで言っちゃった方が周りは大人しくなるんだけど……」
「すいません、其処まではちょっと……せめて中距離のG1一つ取るまでは……」
「変な所でチキンだよなてめぇ」
「……まだグラスに、居なくなるって話せてなくて……」
「あぁ、そっちが気になっているのね」
シーキングザパールは意外なところで繊細なこの後輩の心情に納得する。
確かに国内の中距離に出る事と海外に出る事は周囲に与える影響が違う。
エルコンドルパサーは本気で凱旋門を獲りに行くつもりであり、その計画は決戦の半年以上前から現地入りして調整する本格的なものである。
そしてそれは、シニアクラス一年目という大事な時期に国内のライバル達から背を向ける事でもあった。
最もエルコンドルパサーが言いよどんでいる事に関しては別の理由がある。
「良いライバルがたくさんいるものね、エルちゃん」
「ライバル……っていうカ~、ワタシが居なくなるとグラスが真面な生活していけるのか不安で」
「え、そっち?」
「学園内だと普通なんですケド、寮だとおはようのコールからおやすみ前の髪のセットまでワタシがしてますからネ~」
「ダメ女製造機かよ」
「あまり甲斐甲斐しいのも……当人の為にならないわよ?」
「いやっ、ダメにしてるわけじゃなくてデスね……なんというか、ギブアンドテイク?」
エルコンドルパサーは寮の室内で禁止されているペットのコンドルを密かに飼っている。
これには当然ながら同室者であるグラスワンダーの黙認があり、その機嫌を取る事も必要経費であった。
まして事を公に出来ない以上、自分の遠征中の世話はグラスワンダーに頼むしかないのである。
そう考えれば打算も有り、甲斐甲斐しさも増そうというものだった。
「グラスって神経質に拘りが強い部分と鷹揚な性格が合わさって、自分で出来るけど凄い時間がかかる所あるんですヨ……だから勿体ないなって思ってるうちに、いろいろネ?」
「神経質で拘りが強い子が、よく人の手を借りているわね」
「……そういえばそうデスね。なんでグラス、嫌がらなかったんだろ」
「もしかしたら大きい家の子なのかもね。人に世話をされ慣れているような」
「あー、そうかも。そういえばグラスの実家ってよく知らないデスね」
今度聞いてみようかと思ったエルコンドルパサーだが、すぐにどうでも良くなった。
自分とグラスワンダーは親友であり、生まれは関係ない。
此処に来る前にはUAEの大チームから勧誘を受けたらしいが、今ここにいる彼女が全てである。
遠く直線の先にいるグラスワンダーに目をやれば、一瞬視線が絡んだ気がした。
「さ、そろそろシルキーの脚合わせも良いでしょう。走りましょ」
「おぅ」
「イエース!」
エルコンドルパサーは前を走る二人に並び、早めのペースを刻みだした。
§
同日、別所にあるトレセン学園のターフコース。
サイレンススズカは芝の上で仰向けになって荒い息を整えていた。
横を向けば緑の芝。
上を向けば空の青。
そして少し視線を巡らせれば、空と同じ色の髪をした後輩の勝ち誇った顔が見える。
「見たか」
「ええ、完敗だわ」
その日、チームスピカは菊花賞に出場するセイウンスカイのトレーニングを行っていた。
国内では減少している長距離レース。
ある意味で貴重なG1となっている、クラシック最終戦。
チーム全体で支援するにしても、メンバーの中にはこの距離に対する適正の問題もある。
ましてセイウンスカイ自身は距離が伸びれば伸びるほど乱ペースを作りやすい事も有り、得意としている分野であった。
トレーナーとしては一応全員で3000㍍を走らせてみたのだが、予想通りセイウンスカイ自身が先頭でゴール前を通過したのだ。
「んで、二着にマックイーンとテイオーがほぼ同時……ウンスからは三バ身って所か。こりゃ来年も楽しみだなぁ」
「なーんでお前が走ってないんだよゴルシ……お前が一番長距離得意じゃねーか」
「だからこそ、ウンスのトレーニングに付き合うのは当たり前だろ? ならパートナー選びの今走る意味はねーじゃん」
「ああ、なるほどな」
ゴールドシップは全力で15ハロンを駆け抜けたメンバー達を一人一人目で追った。
大よそいつも通りの光景だが、普段サイレンススズカにやられっぱなしのセイウンスカイがついにやり返したのは特記事項かもしれない。
「……やっぱりスズカのベストディスタンスは2000までか。勝ったとはいえ宝塚のラストはへばってたから予想はしていたけどよー」
「今は、2000までさ。スズカの身体はまだ出来きっていないと俺は見てる。この秋に少しずつ伸ばしていけば、今年中には2400もいけると思っているぜ」
「ふむ」
二人の視線の先では心底嬉しそうにスズカを煽るセイウンスカイの姿がある。
余程うっ憤がたまっていたのだろう。
しかしサイレンススズカはむしろ喜んでいる風であり、セイウンスカイとしては暖簾に腕押しと気づく他なかった。
「やっぱりソラちゃんは強いわね。秋がとっても楽しみだわ」
「……わたし菊があるんですよ来年にしましょうよ春天なら勝負してあげますよ」
「其処まで待てないわ。秋天にしましょう?」
「だから菊花賞あるんですって!」
「毎日王冠でもいいのだけれど……」
「それはもう、公開処刑じゃないですかね」
立場の弱さか苦手意識か。
徐々に語勢が弱くなっていくセイウンスカイ。
助けを求めるように周囲を見るが、仲間達はそれぞれに年の近いライバル達と張り合っていた。
何処も似たようなものである。
諦めたように息を吐くセイウンスカイが手を伸ばす。
サイレンススズカはその手に掴まって上体を起こした。
其処にトレーナーとゴールドシップが寄ってくる。
「よ、お疲れお二人さん」
「君も走りなよ体力バカ」
「あたしまで疲れちまったら、この後すぐにウンスのトレーニングに付き合えないじゃん」
「……は? 私今走り切ったばっかり……」
「ダービーの時はとうとうゲロ吐くまでは追い詰められなかったし、今回はガンガン詰め込むぞー」
「待ってよバカ。なんでそんなに吐かそうと拘るのおいちょっとまっ、離せっ」
ゴールドシップに肩を抱かれて引きずられていくセイウンスカイ。
身長と体格がまるで違う上、セイウンスカイは3000㍍の疲労がある。
サイレンススズカとそのトレーナーは抵抗虚しく連行される背中を見送るより他なかった。
「良いんですか?」
「良い。やっぱり自由に走らせると手を抜くんだよなあいつ……」
「え?」
「力半分でお前らに勝ったって訳じゃないんだが……走りながら後ろのペースを繰って自分も休み休み走っているんだよ。スズカが先に行ってもこの距離なら潰れるって分かってたから放置して……最後にヨーイドンだ」
「成程……」
「実戦だと凄い武器なんだけどな。練習でこれをやられると地力の上積みが出来ない。ゴルシもその辺が分かってるからウンスを絞りに行ったんだろ」
トレーナーは苦笑いしつつ息を吐く。
その視線の先でセイウンスカイとゴールドシップがスタートの態勢を取りつつあった。
其処にメジロマックイーンが食いつき、トウカイテイオーも二週目に付き合おうとしている。
ダイワスカーレットとウオッカは息を戻す間も惜しんで口論している為、二週目は走れそうもなかった。
「だけど、路線は大体固まったなぁ」
「え?」
「スズカはこの秋に適正距離を伸ばしていこう。具体的には毎日王冠の1800から入って秋天の2000、その先のジャパンカップで2400を逃げ切れるスタミナを作っていく。お前の希望してるアメリカ遠征を公表する時の為にも、国際競争には勝っておきたいしな」
「はい。それで、ソラちゃんは?」
「ウンスは……もう菊に直行させた方が良いのかもな」
「え? 前哨戦は使わないんですか」
サイレンススズカの視線の先ではスピカの仲間達が二度目の3000㍍を走っている。
先頭はセイウンスカイ。
しかし普段は後方からレースを進めるゴールドシップが、ここぞとばかりに競りかかる。
鬱陶しそうに肩をあてに行くセイウンスカイだが、涼しい顔で跳ね返されていた。
「あいつはもう菊花賞の出走条件は満たしてる。なら、前哨戦はあいつが自分自身を高めるか、研ぎ澄ます糧に出来なきゃ意味が無い」
「ええ」
「だけどあいつは本気で追い込まれるまでもがかない。セントライト記念にしろ京都新聞杯にしろ、菊が決まってるウンスが死に物狂いで走るかって考えるとな……距離も本番の練習にゃちと短い。それならいっそ、疲労させないほうが――」
「京都大賞典」
「……は?」
「シニアクラスとの混合戦なら、ソラちゃんも本気になりますよ」
「そうかな?」
「ええ。あの子と走ると上の世代には絶対負けないって……凄い視線を背中に感じるから」
サイレンススズカは走るセイウンスカイから目を離さずにそう言った。
トレーナーは薄っすらと笑むスズカの横顔を見ながら、その提案を吟味する。
「もうシニアとぶつけるのか……スズカもなかなか厳しいなぁ」
「厳しいですか?」
「いや、流石に……」
「ダービーの時の彼女なら十分勝ち負けになる……私はそう思います」
京都大賞典は2400㍍で行われる世代混合戦。
トレーナーは同距離で行われたセイウンスカイの前走、日本ダービーを思い出す。
あの一戦こそセイウンスカイが技巧の果てに死力を振り絞ったレースだった。
最終的にはスペシャルウィークの豪脚によって力尽くでねじ伏せられたが、彼自身も含め観た者を熱く揺さぶるレース。
トレーナーはセイウンスカイがそんなレースを戦う所が、また見たかった。
「なぁスズカ」
「はい?」
「今年の毎日王冠と京都大賞典は同日開催だが……」
「トレーナーはソラちゃんについてくださいね。私の方が近場のレースですし」
「分かった。そうしよう」
二人が見つめる先で、仲間達が最後の直線を駆け抜けていった。
§
トレセン学園にはウマ娘達が生活する寮の他、トレーナーとして登録しているものに与えられる一室がある。
主に研究室と呼ばれるその部屋は大して広くはないものの、レースに関する各種資料や映像設備は揃っていた。
その日の夕刻、エルコンドルパサーはシルキーサリヴァンと共にハードバージの研究室に呼び出されていた。
「悪いねぇ呼びつけちゃって」
「大丈夫デース」
「おぅ。所で集まるのは俺らだけか?」
「うん。皆で集まるには手狭だし……エルちゃんとシルキーの路線をどうするかって話だし」
ハードバージは疲れ切った顔を笑みの形に動かすと、チームメイトに入室と着座を促した。
といっても、来客用の設備など入れる余地もない研究室。
シルキーサリヴァンは備え付けの簡易ベッドを椅子代わりにし、エルコンドルパサーも隣に座る。
「んー……それじゃ確認しておくよ? エルちゃんの目標は国際競争のジャパンカップ、シルキーの目標は……タイキシャトル次第だね」
「イエス!」
「まぁ、そうなんだが……マイルCSじゃねぇのか?」
「ほぼ間違いなくそうだと思うんだけど……向こうさんがスプリンターズSに来る可能性って無い?」
この年のマイルCSが11月であり、スプリンターズSが10月。
タイキシャトルの得意距離は短距離からマイルまでと一般には言われており、どちらに来ることも考えられる。
「タイキシャトルはかつてどっちも獲った事があるから、その辺がちょっと絞れなくて……」
「ふむ」
「はっきり言って、スプリンターズSに来るなら今度こそシルキーが勝つと思うんだけど」
「まぁ、そっちに来てくれりゃ俺としてはありがてぇな」
「どうする? 両にらみで待ち構えるのも有りだと思うんだけど」
「……いや、あいつが出るならマイルCSだけか、スプリンターズS込みで両方だ。スプリンターズSだけ出てマイルCSをスルーする目は多分ねぇ」
「……」
「それに、これは『マイル』で勝たねぇと意味が無ねぇ。大目標はマイルCS一本だ。その心算で日程組んでくれや」
「ん、わかったー」
ハードバージは選手の意向をメモ書きに残す。
そして今度はエルコンドルパサーに向き合った。
「エルちゃんは世代限定戦とかしてる暇はないよー。ジャパンカップを目標に、前哨戦はシニア混合の毎日王冠か京都大賞典に出てもらいたいんだけど……」
「おっけーデース」
「じゃ、希望ってある?」
「ん……別にどっちでも」
「一応どっちにもメリットはあるんだよ」
ハードバージは眠そうな顔を巡らしてライティングデスクに散乱するメモの1枚を手に取った。
「毎日王冠なら1800㍍で春にマイルにいたエルちゃんと距離も近い……ジャパンカップと同じ東京レース場っていうのも見逃せないね」
「んー……京都大賞典だと本番と同じ距離なんデースよネ~」
「そだね。どっちにする?」
「むむむぅ……」
「因みに、私の予想でエルちゃんの強敵になりそうなのは……京都大賞典だとメジロブライト、毎日王冠だとサイレンススズカが出てくるかなって思ってるー」
いまいち反応が鈍いエルコンドルパサー。
それはやる気が無いのではなく、本当にどちらの路線でも勝つ心算だからである。
本番と同じ距離か。
本番と同じ会場か。
両天秤にかけた時、比重がどちらにも傾かない。
「他に何か、判断材料ってありません?」
「んっと……先ず菊花賞があるからジュニアCクラスのクラシック戦線組は、この際考えなくていいと思うの。今年のジャパンカップは中一週だし、よっぽど強行ローテじゃないとこの二つに出ようって子は少ないと思う」
「ですネ~」
「ただ、私が気になってるのはリギルのグラスワンダーなんだよね」
「グラスが?」
「うん……春にダービーを獲ったスペシャルウィークがクラシック戦線から外れる事は考えにくいんだけど、トレーナーとしては其処でグラスワンダーと星の食い合いをして欲しくないって考えもあると思うの。勿論当人の希望が第一だと思うんだけど、私はグラスワンダーは菊に行かない可能性もあると思う」
「菊花賞に行かないとすると、グラスはシニアの秋王道路線デース?」
「私が思ってるだけだけどね。毎日王冠をステップにして秋天……そこから体調次第でジャパンカップか有馬記念って――」
「毎日王冠に出ます」
マスク越しにも分かる喜色満面でトレーナーに即答する怪鳥。
ハードバージはライバルが増える可能性がある毎日王冠は、むしろマイナス要素の心算で話していた。
しかしエルコンドルパサーとしては釣り合っていた天秤の片方にグラスワンダーが乗った以上、そちらに傾くのは当然である。
反対の天秤にセイウンスカイが乗っている事を知っていれば、違う選択もあったかもしれないが。
「毎日王冠か……この条件で当たるとメジロブライトよりサイレンススズカの方が厄介なんだけど、本当に良い?」
「イエス。此処で避けた所でジャパンカップに来られたら同じデース」
「そっか……そう言う見方もあるよね」
ハードバージはエルコンドルパサーの意向をメモ書きしてデスクに置いた。
そして代わりに別のメモを取ってエルコンドルパサーに手渡す。
それはサイレンススズカの戦歴。
出走レースとその順位。
そして勝ちタイムである。
「見ての通り、サイレンススズカは宝塚記念を含めた5連勝中。特に小倉大賞典は毎日王冠と同じ1800でレコード勝ちだし、次走金鯱賞の2000もレコードで勝利してるんだよ……宝塚ではやっと距離の壁が見えて来たかな……って感じたけれど。一戦毎に強くなってるのは間違いない所だと思う」
そこで言葉を切ったトレーナーはデスクの引き出しから1枚のDVDをプレイヤーに挿す。
映像の中身はサイレンススズカの春レース。
その全てにおいて一度も先頭を譲ることなく逃げ切る姿にエルコンドルパサーも息を呑む。
特に金鯱賞は出走ウマ娘全員が何も出来ずに完敗している印象である。
「まぁ、底知れないウマ娘だよね」
「デスね……」
「でもせっかくの機会だから、本番前に一回底を測っておこうか」
「……測る?」
「うん。シルキーはマイルCS一本狙い、スプリンターズSは考えなくていいんだよね」
「おぅ」
「じゃあ調整はエルちゃんと同じ、毎日王冠を使ってくれる?」
「マイル路線じゃねぇのかよ」
「少し長くなっちゃってシルキーには悪いんだけどね……」
ハードバージは陰気な笑みを浮かべていた。
それはエルコンドルパサーも見慣れた、いつものトレーナーの顔である。
どこか相手に不吉な印象を与えるこのウマ娘は、何でもない事のように同期に告げた。
「一つお仕事を頼みたいの。サイレンススズカを競り潰して」
「……ほぅ」
「彼女はジュニアC時代は割と凡走しているの。体重の増減を見ると身体が出来るのが遅かったのもあるみたいだけど……サイレンススズカの躍進はチームを移籍した今年の春から、大逃げのスタイルと共にある」
「デスネ―」
「だからこそ、サイレンススズカは此処五戦全部で最初から最後まで先頭で逃げ切る以外の勝ち方をしていない。そういうウマ娘には鈴をつけるのって定石だよね」
「そういやそうだよなぁ」
「彼女はテンが早すぎる。スプリンターみたいな速度で飛ばしていくから誰も鈴を付けられない。だけどあくまでスプリンター並であって本物のスプリンターじゃないから。中距離にしてはいくら早かろうと、シルキーの方が脚は速い」
「……」
「レース序盤の何処か……2ハロンで良いわ。それで先方の反応を観る。その結果でジャパンカップのレースプランを考えよ」
「了解」
「私からはそれだけ。後はシルキーの好きに走って良いから。エルちゃんにも遠慮しないでね」
「ハードバージのくせに……なんか敏腕トレーナーみてぇな事言うようになったじゃねえか」
「君らがインタビューとかでどんどんハードル上げていくんじゃない。あのヨイショって態とやってるんだよね……最近やっと気づいたよ……」
ハードバージは一つ息を吐くと額を抑えて頭痛に耐える。
彼女が寝不足である事はデスクに散逸する資料とメモが雄弁に物語っていた。
「エルちゃん」
「ハイ」
「グラスワンダーには小細工無しだよ。真っ向勝負でねじ伏せて」
「イエスッ」
我が意を得たりと熱い声を返すエルコンドルパサー。
まだ直接対決があると決まってはいない。
しかし毎日王冠のレースプランはトレーナー公認のフリーハンドをもらった。
怪鳥は脳裏に浮かんだリギルのトレーナーの顔に、グラスワンダーをこちらに出すよう切に祈った。
「じゃ、エルちゃんは明日私と一緒に、毎日王冠出走って公式発表しちゃおうか」
「ハーイ」
「少し周りが騒がしくなると思う……エルちゃんがどれだけ大切なものを諦めてこの道を選んだか、殆どの人は知らないからね」
「……丸っきり気にしまセーン! って訳にはいかないと思いますケドー……」
エルコンドルパサーは隣に腰かけているシルキーサリヴァンと、正面で不安そうにしているハードバージの顔を交互に見やる。
「同期の仲間集めは失敗しちゃいましたケド、同じくらい好きなチームがありますカラ! ワタシは、世界一のウマ娘になるんデース」
初めてそう宣言した春と違い、力強く言い切ったエルコンドルパサー
偽りのない笑顔で語った夢はついに代替を超え、彼女自身の本物の夢になった。
春に書いたレース一覧
1・シルキーとエルコンの草レース
2・タイキシャトル復帰戦
3・98っぽい日本ダービー
4・安田記念
作者のストマック=瀕死
秋に手抜けないであろう作中主要レース一覧
1・毎日王冠
2・菊花賞
3・マイルCS
4・秋天
5・JC
6・98っぽい有馬
予想される作者のストマックダメージ=計測不能
(´;ω;`)ウッ…