その日、エルコンドルパサーは自室のデスクでスマホのTVを閲覧していた。
隣ではルームメイトのグラスワンダーが椅子を寄せて同じ画面を覗いている。
番組は注目度の高いウマ娘達の特集。
時期的に取材陣の話題は秋レースに関するものが多い。
そこでどの程度の情報が開示されるかはまちまちだが、大まかな路線とライバルの確認は取れる。
「それでは、エルは菊花賞に向かわないんですね」
「イエス! やっぱり早くシニアの皆さんとやってみたいし……マイルから少し足を延ばして毎日王冠に行っちゃいマース」
「そっか……そっかぁ」
グラスワンダーは花が綻ぶような微笑と共に繰り返す。
エルコンドルパサーはスマホから目を離さない為にその顔は見ていない。
しかし声の様子から大当たりを引いたことを予感する。
すなわち、被った。
他人が聞けば意外に思われる事が多いが、この二人の間に自分が走るレース情報のやり取りは殆ど無い。
多くの場合お互いに決まってから結果だけを伝えていた。
別チームで同室だと自チームの情報管理には気を使うモノなのだ。
「アッははぁ……その様子だとグラスもこっちなんですネ~」
「はい。うふふ、スぺちゃんには悪いけれど……秋は一緒にという約束、私の方が先ですね」
「嬉しいナ~。私も、グラスこっちに来ないかなーって思って毎日王冠選んだんデスよ」
「私は一縷の期待……ですかね。春に中距離に来なかったエルなら今更菊には行かないんじゃないか……それなら、もしかしたらって」
「大正解。さっすが親友、分かってマース」
スマホの中で番組は進み、シニアクラスの有力者達が各々の路線や目標を公開していく。
番組構成上メインとなるのはクラシック三冠の為、ジュニアCクラスの特集が最後になる。
特に今年のダービーウマ娘のスペシャルウィークや、同レース二着にして皐月賞ウマ娘のセイウンスカイは生放送されるらしい。
「全く……ワタシを事前収録してスぺちゃん達は生出演とか見る目ありまセーン」
「ん……本当にそうですね」
グラスワンダーはエルコンドルパサーの横顔を見ながら少し沈んが声で答えた。
コメットの関係者が予想していた事ではあるが、エルコンドルパサーの中距離転向はレース関係者やファンの間で物議になった。
特にファンの多くはこの春に復権したマイルの女王と、若き無敗の挑戦者の戦いを期待していた。
それを見ることが叶わないと知った時、無念さは路線を変えた怪鳥に形を変えて向けられた。
曰く、エルコンドルパサーはタイキシャトルに勝ち目無しと判断し、逃げた。
(エルが知らない筈はないけど、いつものエルと変わらなく見える……こういうの割と気にする子だと思っていたんですけど、大丈夫かな)
グラスワンダーの心配をよそに平常運転のエルコンドルパサー。
余程周囲のフォローが厚いのだろうと納得する。
その視線の先で怪鳥の横顔が鋭さを増した。
スマホにはチームスピカのサイレンススズカが登場している。
そして彼女は毎日王冠から秋天、ジャパンカップまでの行程を明らかにした。
「……来たか」
「ええ」
グラスワンダーのリギルとエルコンドルパサーのコメット。
それぞれのトレーナーから、この路線でぶつかった時最も手強いウマ娘としてサイレンススズカの名があげられていた。
宝塚記念を含めた春の五連勝という結果もさることながら、誰一人として戦術やレース展開に巻き込む事すら出来ない内容。
その最強のワンパターンをどのように攻略するか。
同レースに出走するウマ娘達にとっては頭の痛い問題だろう。
「グラス、脚はどう?」
「治っています」
「……本当?」
「治っています。けれど……朝日杯の時から思い描く私には成れていないかもしれません」
「そっか」
「エル?」
「ん、いやね? 金鯱賞の時のサイレンススズカ先輩の映像見た時さ、この人すげぇ! って思ったんだけど同時に、あの時のグラスなら……とも思ったから、どうかなって」
エルコンドルパサーは初めて顔を上げ、首を傾げるようにグラスワンダーに向ける。
至近距離で向き合ったため思わず仰け反りかけたが、なぜか負けたような気がしたグラスワンダーはその場で耐えた。
「私は大丈夫です。エルこそ、私の心配をしている場合ですか?」
「うん? 勿論。ワタシは世界一になるウマ娘デースカラ~、こんな所で躓いている暇は無いのデース」
「スぺちゃんが日本一ならエルは世界一ですか……」
「あ、ワタシのはスぺちゃんのリスペクトだからネ」
悪戯っぽく笑う怪鳥に自然と頬が緩むグラスワンダー。
不意にその背中に大型の猛禽が被さってくる。
「……この子ナーンデ飼い主じゃなくてグラスに懐いてるんですかねぇ」
「懐いてるんですかねコレ。私にはエルを盗るなって言ってるように感じるんですけど」
グラスワンダーの背中をよじ登って肩に留まり、其処からエルコンドルパサーの方に飛び移って来たペット。
苦笑したエルコンドルパサーは本物のコンドルを机の方に誘導し、その首や胴を撫でてやった。
片手でペットを構いつつ、その足をスマホから遠ざけるエルコンドルパサー。
猛禽から死守した画面の中ではいよいよ二人のクラスメイトが登場した。
「お、ウンス出ましたネ~」
「スぺちゃん……少し緊張しているんですかね?」
「ちょっと堅そう? ウンスと一緒で良かったかもネ」
再び二人でスマホを覗き込む。
司会者による勿体ぶったような引き伸ばしの後、先ずは記者からセイウンスカイの予定に関して質問が入った。
セイウンスカイは何時ものように飄々と、しかし聞くモノの意表を突く解答をぶちまける。
『京都大賞典でシニアの皆さん薙ぎ倒してから、菊花賞に行こうかなーって』
肩を竦めてそう言ったセイウンスカイ。
菊花賞の前哨戦に世代混成を使う強気の路線。
司会者は一瞬どもりながらセイウンスカイに確認を取っている。
グラスワンダーが画面越しにチームメイトの驚いた顔を観ていると、不意に硬い音が響く。
エルコンドルパサーは握った拳で軽く机を叩いていた。
「エル?」
「ウンスぅ~……それならそうと先に言ってクダサイヨ……」
グラスワンダーは親友の発言を聞き流そうかつつこうか一瞬迷ったが、苛立ちを覚えたために突くと決めた。
「セイウンスカイちゃんの路線、知らなかったんですか?」
「知らなかったヨ……はやまったかな……そっちにウンスが待っていたカ」
「つまり知っていたらそっちに行ったと」
「そりゃ……あっ」
「そうですか」
グラスワンダーの笑みに黒いものを感じた怪鳥。
今年の毎日王冠と京都大賞典は同日開催。
セイウンスカイの京都大賞典を取るという事は、毎日王冠のグラスワンダーを捨てるという事である。
「いや、だって……だってね? 怪我明けのグラスと春好調だったウンスだったらウンスの方が面白そうだなーッテ」
「其処まで言っちゃいます? エル……私、貴女に負けた事無いんですけど」
「草レースしかしたこと無いじゃないですカ~。それだってグラスの骨折前だから結構前の事デース」
「はぁ? それなら今だったら私に勝てるって、エルはそう言うんですか」
「そりゃ、その心算が無かったらもう少しピリピリしてますヨ」
顔を突き合わせてにらみ合う二人のウマ娘。
本気でいがみ合っているわけではないが、半眼になって自分が勝つとはばからない。
やや真剣なにらめっこがしばらく続き、唐突に終わりを告げた。
切っ掛けはスペシャルウィークに移ったインタビュー。
マイル路線から中距離に移ったエルコンドルパサーについてコメントを求められていた。
「っ!?」
「グラス?」
先に相手から視線を切ったのはグラスワンダー。
記者としては注目株のスペシャルウィークから過激な発言を取って記事に書きたかったのだろう。
その質問はエルコンドルパサーに対して強い挑発を含んだ表現が使われていた。
スマホを睨みつけるグラスワンダーの横顔は怒りによって朱に染まる。
エルコンドルパサーは親友を宥めながら再びスマホに顔を戻す。
グラスワンダーは当人によって抑えられた。
両者が傍に居たから、それは可能だった。
しかしもう一人、記者の無神経な質問に激怒した者が居た。
画面の向こうにいるクラスメートは怪鳥の手も、声も届かない。
『エルコンドルパサー選手は春の内から秋の路線を私達に話してくれていました。その頃はまだタイキシャトル先輩の地位も不透明でしたから、それを意識しての路線変更ではありません』
その発言に画面の向こうで記者たちがざわめいている。
しかし一番混乱したのはエルコンドルパサー自身だろう。
彼女はスペシャルウィークに進路など話したことは無い。
親友の視線を感じた怪鳥は一度顔を合わせると、首を振って否定する。
恐らくダービー前に話した勝負の約束を絡め、状況を後付けて説得力を持たそうとしている。
グラスワンダーとエルコンドルパサーはそう思った。
スペシャルウィークの傍に居るセイウンスカイもそう思っていただろう。
しかし頭に血が上った今期のダービーウマ娘は其処まで口が回らない。
彼女は自分の知っている事実をもって記者たちの邪推を否定した。
『彼女の目標は来年のフランス、凱旋門賞です。この秋に中距離に出る事は既定の路線です』
「ちょっと待ってぇええええええええ!?」
エルコンドルパサーはスマホを掴み上げて画面の向こうのクラスメイトに呼び掛ける。
勿論そんな声は通じない。
グラスワンダーは親友の反応に、その発言が事実であることを悟った。
悟ってしまった。
「エル?」
「ち、違うのグラスっ、ほんとに! ウンスの奴まだ内緒って――」
「セイウンスカイちゃんにもお話していたんですか」
(やべぇ……)
グラスワンダーは能面のような無表情でエルコンドルパサーを睥睨している。
そしてエルコンドルパサーもまるで冷静ではない自分を自覚した。
今口を開いたらどんな言い訳を始めるか分かったものではない。
先程のように墓穴を掘る事は目に見えていた。
最早猶予がないと見た怪鳥は椅子を降り、膝を折って床に座る。
そしてトレードマークのマスクを外し、上体を地につけるように投げ出した。
土下座である。
「エル。顔を上げてください」
「……」
「エル。そんな姿勢では話も出来ないので、顔を上げてください」
「……」
「エル。聞こえませんか?」
素顔のまま、怪鳥は恐る恐る顔を上げる。
グラスワンダーは椅子に座ったまま、身長に比して長い脚を優雅に組んでいた。
更にいつの間に移動したのか、肩の高さで水平に畳まれた右腕に留まったペットのコンドルが悠然と飼い主を見下ろしている。
「……」
エルコンドルパサーは無意識にスマホのカメラで親友の姿を現実から切り取った。
写真にテーマを付けるなら、魔王だろうか。
「気は済みました?」
「……ハイ」
「それでは、少しお話を聞かせてくださいね」
親友は魔王に化け、ペットにも裏切られたエルコンドルパサーに拒否権は無かった。
§
グラスワンダーの質問は淡々と続けられ、エルコンドルパサーはその全てを正直に話す。
世界一のウマ娘になる事。
その為に来年はフランス遠征を計画している事。
そして春、セイウンスカイにだけはそのことを話していた事。
スペシャルウィークの情報源も、恐らく其処であろう事。
……その先の計画については話していない。
隠したのではなく聞かれなかったのだと自分に言い聞かせる怪鳥。
「どうして……彼女にだけ?」
「いや、それは……」
「私じゃ、駄目でしたか?」
「うぐ……いやね? ウンスにも話す心算って無かったんデスけどー……」
「けど?」
「なんていうか、覇気に当てられたというか……」
「覇気?」
「ほら、相手が格好いい事言った時ってこっちも格好つけたくなる事って……グラスにも無い?」
グラスワンダーは正座を続けるエルコンドルパサーの解答に肩を竦めようとして、右腕に居座るデカブツに配慮して諦めた。
そろそろ腕が痺れて来たのだが退いてくれない。
右腕を軽く動かして離れるように促すが、器用にバランスを取ったコンドルはこゆるぎもしなかった。
「私にはそういうの、よく分からないんですけど……」
「うぐっ、そうかなぁ」
「そういう事もあるのかなって」
「で、でしょ!?」
「ですが、本当にセイウンスカイちゃんにしか話していないんですか?」
「チームの外では他に話したこと無いデスよ」
「……本当に?」
「本当だけど……」
「だって……セイウンスカイちゃんしか知らないとして、彼女がスぺちゃんにだけ話すなんてありますか? 口止めはしていたんでしょう」
「うん」
「彼女、そういうことをうっかり話すようなまねをしない気がするんです。エルじゃないんですから」
「むぐぅ」
エルコンドルパサーは控えめに恨めし気な親友の態度から、その本音を聞いた気がした。
グラスワンダーは自分に話さなかったから機嫌が悪いのではない。
自分以外には話していたと思ったから納得いかなかったのだ。
そうと分かったからには、エルコンドルパサーはグラスワンダーの誤解を解かなければならない。
どのように話そうか……
そう思案する怪鳥のスマホから流行りの電波ソングが流れる。
親友の顔を伺えば頷いて許可をくれた。
「誰だろ……ってスぺちゃん!?」
「収録が終わってすぐさまって感じですか?」
エルコンドルパサーはスマホを操作して通話した。
身の潔白を証明するためスピーカーモードである。
『エルちゃんゴメン! ごめんなさいっ』
「オゥ……スぺちゃん声おっきいヨ~」
『……テレビ観てた?』
「観てましたヨ~」
『あぅ……ごめんねエルちゃん。私、言っちゃダメな事言っちゃった』
かなり憔悴した様子のスペシャルウィーク。
途中から見ていなかったエルとグラスは知らないが、スペシャルウィークの方は言った後で直ぐ失言に気づいた。
しかし生放送故に発言の撤回も出来ず、パニックになりかけながらもセイウンスカイにフォローされて先程収録を終えたのだった。
『やっぱり、グラスちゃんには言っていなかったのかな……』
「うん……まだ言えてなかった。っていうか、今私の正面にグラスいるからね。この会話も聴いてる」
『ごめんなさい。本当にごめんなさいエルちゃん。グラスちゃん』
「スッペちゃーん、ワタシがどんな状況か分かってマース?」
『う……ん……グラスちゃんが居るなら多分、床に平伏してるんじゃないかな』
「イエス! まるで見てるみたいデース」
聞いている方が気の毒になる程に謝り倒すスペシャルウィーク。
エルコンドルパサーは肩をすくめて苦笑する。
スペシャルウィークの状況は中継を観ていたのだ。
彼女が誰の為に怒ったかを思えば、責める気持ちもあまり出てこない。
全く怒っていないわけではないが、元を正せば原因は此処までグラスワンダーに話せなかった自分にある。
セイウンスカイに初めて打ち明けたのは勢いだった。
その後すぐにグラスワンダーにも話していれば、こんな状況にはならなかったろう。
『ごめんね。本当にごめんなさい。ほんと……ごめん』
「まぁ、スぺちゃんの口から謝って貰えたから、私からは聞きたい事と言いたい事が一つずつネ?」
『はい』
「先ず……スぺちゃんワタシの大目標は何処で知ったノー?」
『安田記念の後、私……マルゼンスキー先輩に付き添ってもらってレース場内散策してたの。其処でコメットのシルキーサリヴァン先輩が誰かに電話してる所に居合わせちゃって、その……聞いちゃった』
「あぁ……じゃあウンスは潔白カ~」
『盗み聞きになっちゃった。ゴメン、エルちゃん』
「ん、じゃあ言いたい事の方ね」
『はい……』
「怒ってくれてありがとネ!」
『……ふぐぅ』
緊張の糸が切れたらしいスペシャルウィークの嗚咽がスマホ越しに聞こえてくる。
不器用に宥めるエルコンドルパサーがグラスワンダーにはもどかしく、自分の言葉でチームメイトを慰めたかった。
しかし切っ掛けはスペシャルウィークの過失であっても、これはエルコンドルパサーとの間の事。
エルコンドルパサーはスペシャルウィークを責めないが、それをグラスワンダーが話すのは筋が違う。
精々エルコンドルパサーにメモ書きを渡し、事情は分かった為に自分も気にしてないと伝えてもらうだけである。
「グラスも気にしてないって。イヤー……良い所で電話くれマシタ! お陰でワタシも許されそうデース」
『だけど私のせいでエルちゃん……』
「何時か言わなきゃいけなかった事だから。それをイジイジ先延ばしにしてたからこうなったんだよ……うん。勉強になりましター」
『ん……エルちゃん、ありがとうね』
「オッケー。じゃあこの話は此処までにしまショ。スぺちゃん、この後は時間ある?」
『いや……トレーナーさんからお説教があるの。ただ、先にエルちゃんに謝らせてくださいってお願いして待ってもらってるから……』
「そっか。じゃ、素敵な写真送ってあげるから後で感想聞かせてネ!」
『写真? うん、分かった』
「それじゃスぺちゃん……グッドラック」
『うん。またね、エルちゃん』
恐らく予定が立て込んでいるだろうスペシャルウィークとの通話を終えたエルコンドルパサー。
おずおずと親友を見れば、電話が来る前よりは態度が軟化しているのが分かる。
「まぁ、そういう事デース」
「事情は分かりました。エルにとっても予想外の暴露になってしまいましたね」
「うん、でもこれでワタシも踏ん切りがついたカナ」
「そうですね……もう勝つしかないですよ、エル」
グラスワンダーは左手を差し出して床から親友を立たせた。
足を痺れさせながらもなんとか立ち上ったエルコンドルパサー。
不意にグラスワンダーの右腕に留まったコンドルが、飼い主の肩めがけて跳躍する。
「こいつ……絶対日和見してマース」
「少しでも高い所に登ろうとしているのかもしれません」
「そうかなぁ……」
先程まではグラスワンダーの傍を離れなかった癖に、話が終わった途端に飼い主の所に来る様が偶然とは思えないエルコンドルパサーである。
グラスワンダーは親友とそのペットが戯れるのを見ながら黙考する。
エルコンドルパサーが凱旋門賞に挑戦するとしたら、この秋の目標はジャパンカップだろうか。
もしかしたら来年の宝塚記念をステップにしていくのかもしれない。
この時彼女はエルコンドルパサーが半年以上も現地で調整する計画を立てている所までは想像が及ばなかった。
……ちなみに、この時のグラスワンダーの写真は最上級の貴重品として、後日ファンの間で垂涎の一品となった。
§
第■■回毎日王冠当日。
東京レース場は異常なまでの熱気に包まれていた。
最終的に出走してきたウマ娘は十人。
多くのウマ娘はサイレンススズカの出走表明後から回避を選択しており、そのスズカが一番人気である。
そしてジュニア王者にして不敗のグラスワンダーが二番人気につけ、殆ど差が無い三番人気に同じく無敗のエルコンドルパサーがいた。
シルキーサリヴァンは前走の安田記念で惨敗している事が響いて六番人気になっている。
その他にも殆どが重賞勝利経験のある一流のウマ娘達。
このレースがGⅡなのはグレード詐欺も良い所である。
「勝負服着てレースしたいデース……こんなにファンが来てくれたのに」
東京レース場に詰めかけたファンの数は十三万人との発表があった。
しかしこの日、レースファンの注目を集めているのは此処だけではない。
西の京都レース場ではもう一つのGⅡレース、京都大賞典が開催されているのだ。
控室で出番を待つ合間にスマホから情報サイトにアクセスしているエルコンドルパサー。
西のレースは更に少ない七人立て。
セイウンスカイが挑むのは春の天皇賞を獲ったメジロブライトに、昨年の有馬記念優勝ウマ娘であるシルクジャスティス。
更に何故かオープン未勝利ながら、今年の春天と宝塚記念で連対している実力者のキンイロリョテイがいる。
エルコンドルパサーがどれだけセイウンスカイに期待していても、これらのウマ娘達と比較すれば未だ格下というのが世間の評価だった。
「……ウンス四番人気デスカー。こっちもヤバイねー」
皐月賞を獲り、ダービーでも好走したセイウンスカイすらこの位置だった。
スペシャルウィークやキングヘイローが其処にいても同じだろう。
毎日王冠でも一番人気はシニアクラスのサイレンススズカ。
ジュニアCクラスはその中で一番を獲っても最強とは認められない。
所詮は同い年同士、子供の中の一番争い。
本当に強いのはシニアクラス……
「面白いじゃネ~ですか」
いつの間にか手の中でスマホが軋んでいる。
慌てて力を抜いたエルコンドルパサーは、ふとある事に気が付いた。
毎日王冠と京都大賞典は同日開催であり、両レース場のメインイベント。
ならば今エルコンドルパサーが控室にいるように、セイウンスカイもそうなのではないだろうか。
念のため入り口に面会謝絶の札をかける。
その後やや躊躇したが、結局エルコンドルパサーはセイウンスカイにコールした。
思いついてしまった以上、どうしても聞いておきたい事があったのだ。
静かに集中したいならマナーにして出ないだろう。
そう思ったが、相手は数コールで繋がった。
『なにさ?』
「ヘイ! 出走者真ん中以下の不人気ウマ娘、元気デース?」
『元気だよタイキシャトルから逃げたと噂のウマ娘君』
「アッははー……ぶちコロがすぞてめぇ……デース!」
『あはは。デースだかDeathだかはっきりしなよ似非帰国子女』
「其処は似非じゃないからネ!」
緊張しているのか、セイウンスカイの声は硬い気がする。
恐らくエルコンドルパサーもそうなっているだろう。
それでも意識していつも通りの軽口をたたき合った。
『なーんか人気無いんだよね私。皐月賞とってもダービーじゃ三番だったしさ』
「顔が悪いんじゃない?」
『顔かぁ……私もマスクで隠せば人気出るかね』
「でもワタシ、ウンスの顔好きですヨ」
『おぃ、そういう所だよアホウドリ』
「コンドルデース!」
『そっか』
「イエス」
『……』
「……」
不意に黙り込む二人。
エルコンドルパサーとしてはこんな話がしたいわけではなかった。
しかしどうにも切り出し方が掴めない。
それでもなんとか自分の中の想いを言葉に乗せて送り出す。
「舐められてるよ私達。シニアクラスの方が上だって」
『そうだね』
「腹立たない?」
『煮えくり返ってる。同じ不人気でもダービーの時はそんなでも無かったんだけど』
「そっか……分かる気がする……」
レース前に不安な気持ちは誰にでもある。
まして二人とも世間から見れば格上挑戦なのだ。
しかし伝えたい事は、聞きたい事はそれではなかった。
エルコンドルパサーが苛立たしく言葉を詰まらせたとき、セイウンスカイの方から答えをくれた。
『…………覚えてるよね? 君が私とヘイローちゃんをチームに誘った時の言葉』
「覚えてる」
『私達こそが最強だって証明しようって、君が言ったんだ』
「うん」
『スズカ先輩は、強いよ』
「……」
『ごめんねエルちゃん。スピカのチームメイトとして、私は君の勝利を祈れないんだ』
「分かってる」
『私は私に出来る事を此処でする。君も、君の事をして』
「……ありがとウンス。それが聞きたかった」
『……じゃ、また学園で』
「うん、またね」
道を違え、目指す重賞もバラバラになった自分達。
それでもあの時交わした約束は間違いなく続いている。
自分達の世代こそ最強だと証明する事。
何処まで走り続けられるかも分からない挑戦の道。
その最初の一歩が此処から始まる。
§
東京レース場にて本日のメインレース、毎日王冠が始まった。
実況者によるウマ娘達の紹介と入場。
並のGⅠを超える大観衆の声援が響く。
彼ら、彼女らの見つめる先にはそれぞれの勝機にかけて集った十人のウマ娘達。
中でも返しウマで念入りに脚を作り込む赤い髪のウマ娘の姿は人目を引いた。
発走時刻が近づき、各ウマ娘のゲート入りが始まる。
奇数番号から偶数番号。
彼女らの目指すモノはたった一つ。
僅か1800㍍先のゴールである。
ゲート入場からスタートの瞬間までの短い時間、レース場の殆どの音が消える。
固唾をのんで見守る会場のファン。
公式発表13万人の視線が集中する中、ついに決戦の火蓋が切られた。
横並びの一線。
其処からぽーんと飛び出したのはサイレンススズカ。
短距離走者のような瞬発力で頭一つ抜け出し、大方の予想通りハナを切って先頭に立つ。
追走するウマ娘達も、先行から追い込みまでそれぞれの位置につき始めた。
東京レース場1800は最初の直線が長い。
サイレンススズカのように極端な所を狙わなければ、位置は比較的取りやすい。
そんな中で最後方に陣取ったのはチームコメットのシルキーサリヴァン。
(脚は暖まってるが……)
彼女はトレーナーから先頭を走る逃げウマ娘に鈴をつける事を依頼されていた。
後ろから外に持ち出したシルキーサリヴァン。
自由なコース取りが出来る所に身を置きながら、先頭のスズカを射程に捉える。
(一ハロンは泳がせる。気持ちよく走らせてやる。いつも通りのレースと思わせて……潰すっ)
ハードバージが指定した最初の山場。
先頭を走るサイレンススズカに本物のスプリンターが襲い掛かる。
バ群の外から一息に駆け上がった深紅のウマ娘。
それは練習の時のようなたどたどしい走りではない。
観る者の多くが初めて目にする展開に息を呑む。
あのサイレンススズカが、レース序盤で捕まった。
(相変わらずインチキな足してマース)
あっという間に自分達を抜き去った背中を見ながら、小さく息を吐くエルコンドルパサー。
彼女自身は中団よりやや後方から前の展開を俯瞰する。
事前の予定通りサイレンススズカに競りかかるシルキーサリヴァン。
しかしエルコンドルパサーはサイレンススズカがこれで掛かるとは思っていない。
このプランを考えたトレーナー自身が、レース前にはあまり期待はするなと言っていた事でもあった。
シルキーサリヴァンが外から被る様に抜きに行く。
サイレンススズカが内から押し返す様に前に出る。
(……ん?)
第三コーナーに向かう長い直線。
シルキーサリヴァンは前に出れないがサイレンススズカも突き放せない。
両者の位置関係は相変わらず。
しかし速度だけは上がっている。
(あれ、コレもしかして……)
バ群の中から赤い背中と、競り合う華奢な背中を注視する。
エルコンドルパサーはシルキーサリヴァンの全力疾走を何度も見ている。
今の彼女はほぼ全力でスズカの相手をしていると思う。
スプリンターのシルキーサリヴァンが全力なのだ。
なら、それに拮抗しているスズカは……
エルコンドルパサーはバ群の中でペースを上げた。
暴走気味な前二人の速度では無い。
あくまでそれ以外、八人の中での早めである。
バ群の先頭にいるのはグラスワンダー。
彼女はサイレンススズカを捉えるため、前目の位置についていた。
(幾らなんでも早すぎます……後ろ残りのレースになる)
グラスワンダーはやや離されてはいたものの、マークはサイレンススズカの心算だった。
最終四コーナー手前で息を入れるスズカに追いつき、競り合いに持ち込む。
その為の前目追走。
しかし序盤にシルキーサリヴァンが競りかかった為、距離を詰めずに様子を見ていた。
第三コーナーに入る前にはシルキーサリヴァンが失速する。
サイレンススズカの速度はまだ落ちない。
(少し下げる……? エルは……あっ)
グラスワンダーが振り向いた時、右後方の至近距離にエルコンドルパサーの姿があった。
(何時の間にっ)
グラスワンダーは春にマイルで活躍していた親友の速度を警戒している。
自身が怪我明けという事も有り、エルコンドルパサーの後ろからレースをしたら追いつけないかもしれない。
不気味なほどに気配の薄いエルコンドルパサーがグラスワンダーの横に並ぶ。
凌ぐか、逃がすか。
一瞬迷っている隙にエルコンドルパサーが前に出た。
「っく」
やはり此処で離されたら追いつけない。
グラスワンダーはエルコンドルパサーの一バ身後ろをキープする。
ジュニアCクラス二人が駆け引きしている遥か前方。
サイレンススズカは唯一人、第四コーナーに差し掛かっていた。
色も音も消えた白い世界。
サイレンススズカはたった一人で走っていた。
(ああ……)
青い空と緑の芝。
そして自分以外誰もいない世界。
ずっと走っていたい。
サイレンススズカの幼い頃の原風景。
其処に割り込んできた赤。
その時の心情は、きっとスズカ以外に理解できるものはないだろう。
自分の中の一番大切な部分に挿した赤。
(気持ちいい)
大切なものを汚す赤を振り切るためになりふり構わず駆け抜けた。
いつの間にか赤いものは消えていた。
残ったものは青い空と緑の芝。
それだけの筈だった。
しかし気づいた時、青も緑も消えて白だけが広がった。
違和感がある。
一度振り向いて後ろを確認。
遠くに見えるライバルの姿。
いつも通りの光景だった。
むしろ何時もより突き放している。
コーナーを抜ける。
大歓声が遠くに聞こえる。
一人一人の声など、ただの音と変わらない。
しかしそれがレース場で13万も集まれば、最早三半規管を押し潰してくる壁に等しい。
(ここからっ)
最後の直線。
この音の壁を突き抜けた先にゴールがある。
サイレンススズカにとっては何時もの、最後の一仕事。
そこで足が止まった。
(……え?)
鉛のように重い脚。
上がり切ったまま戻らない呼吸。
そして背後から近づくバ蹄の音。
サイレンススズカがもう一度振り返る。
ライバル達の姿は、最早目の前まで迫っていた。
(まさか掛かっちゃうとはネ~)
失速したサイレンススズカを捉えるべく加速するエルコンドルパサー。
グラスワンダーも勝負所の直線に入ってエルコンドルパサーを抜きに行く。
しかし両者の明暗は脚色にはっきり表れた。
(脚が前に行かない……っ)
エルコンドルパサーが悠々と伸びれば、グラスワンダーがじりじりと離される。
走行スタイルも必死なグラスワンダーに対し、エルコンドルパサーには余裕があった。
(グラスー……もう来ないんデース?)
勝利の前にいつも感じる一抹の虚しさを噛み締める怪鳥。
かつてエルコンドルパサーはグラスワンダーに勝てなかった。
エルコンドルパサーがどうと言うよりグラスワンダーが強すぎて。
そんな相手が今、必死に自分の背中を追いすがっている。
(本調子じゃないんだよね。もどかしいだろうね。だけど頑張ってグラス)
エルコンドルパサーは肩越しに振り向くと、予想通りの光景が目に写る。
(頑張ってグラス……じゃないと……)
サイレンススズカが遂にバ群に捕まった。
そしてその後方で深紅が爆ぜた。
(其処はまだ、先輩の射程距離デース!)
シルキーサリヴァンの二度目のスパート。
その瞬間を目視したエルコンドルパサーが、全力を振り絞って逃げる。
自分の位置までは届かないと思う。
だからエルコンドルパサーが逃げるのはグラスワンダーを釣るためだった。
死力を尽くして逃げるエルコンドルパサーと意地で食い下がるグラスワンダー。
前を走るのがこの怪鳥でなければ此処までは走れなかっただろう。
しかし観衆の目には、最早グラスワンダーはエルコンドルパサーを追いかけているのではない。
シルキーサリヴァンから逃げる事で精いっぱいだった。
第三コーナーの入り口から此処まで溜めた豪脚。
追い込みウマ娘の本領を発揮したシルキーサリヴァンが前を征く二人を強襲する。
セーフティーリードを残せたのはエルコンドルパサーのみ。
その背中から三バ身半遅れたグラスワンダーは、シルキーサリヴァンを首差凌ぎ切っての二着入線を果たす。
「チィッ」
紙一重でグラスワンダーを取り逃がしたシルキーサリヴァンから、無念の呻きが漏れる。
此処に第■■回毎日王冠は決着した。
一着エルコンドルパサー。
二着グラスワンダー。
三着シルキーサリヴァン。
サイレンススズカは最後に左足を気にしながらの入線。
軽度の故障を抱えつつ、掲示板外の七着という結末だった。
「グラス……お疲レ」
「……」
色濃い疲労の影をにじませたエルコンドルパサーが声をかける。
しかし足は止めず、その横を素通りした。
そのままサイレンススズカを潰しながらも、ライブ圏内に食い込んできた先輩と拳を合わせる。
大歓声が降り注ぐ東京レース場を見渡し、応えるように手を振ったエルコンドルパサー。
――その僅か十分後……
セイウンスカイは京都レース場でメジロブライトを倒して勝利した。
逃げて引き付けて突き放す鮮やかなレース展開。
春のダービーでエルコンドルパサーとの約束を守れなかったセイウンスカイ。
しかしこの日、もう一つの約束を守った。
それは日本の東西で、ジュニアCクラスのウマ娘達がシニアクラスを纏めて薙ぎ払った日のこと。
後に奇跡の世代と称される者達が作る伝説……その最初の一日が、観る者の心に刻まれた日のこと。
A.次のレースです