コンドルは飛んでいく   作:りふぃ

14 / 18
飛べない高さのハードルを作者自ら配置していくスタイル(´;ω;`)ウッ…


13.見る事しか出来なかった夢

菊花賞でセイウンスカイが衝撃のワールドレコードを達成した翌日。

帰寮したエルコンドルパサーは自室で正座していた。

数歩先には魔王モードのグラスワンダーがコンドルを従えて見下ろしてくる。

前回との違いは、エルコンドルパサーの腿の上に抱き石を象ったクッションが乗せられている事。

そしてグラスワンダーが勝負服を着ている事である。

 

「ヘイ、グラスぅ……京都から戻って早々に、石抱き拷問の真似事とは穏やかじゃないデース」

「つまり朝帰りまでしておきながら、エルの方にはこのような扱いを受ける身に覚えが、全くないと主張しますか?」

「……このクッションはなんなのサー?」

「京土産です」

「サンキュー」

「どういたしまして」

 

半眼でグラスワンダーを見上げるが、相手も半眼で見下ろしてくる。

エルコンドルパサーは腿に乗るクッションを脛の下に敷こうとしたが、グラスワンダーが不満そうな顔をしたのであきらめた。

このクッションの定位置は、やはり腿の上らしい。

 

「エル……私がどうして怒っているか分かりますか?」

「まぁ、ワタシも木石じゃないデースから……グラスがご立腹なのも分りますヨ」

「へぇ?」

「あれでしょ? 一昨日グラスと一緒に食べようと思って買ってきたたい焼き、お腹空いて全部ワタシが食べちゃったのが不満だったんだよネ」

「抱き石、もう一つ追加しますね」

「ノーゥ!」

 

グラスワンダーは自分用に買ってきた分のクッションをエルコンドルパサーに積む。

重さは無いに等しいが、見た目は相当アレだった。

ため息を吐くエルコンドルパサーは、親友に困ったような視線を送る。

以前は進路の件で間違いなく自分が悪いと思っていたから平伏した怪鳥だが、今回は明らかに不満げである。

 

「エル、貴女は昨日京都レース場に行きましたね」

「行ったケド……」

「隣に女性を侍らせて」

「はべらせるっていうのは、語弊が無い?」

「お綺麗な人でしたね」

「それは否定しないけどサ~」

「エル、チャラいです」

「いや、待ってグラス。アレが誰か、もしかして分かってないノ?」

 

エルコンドルパサーが問いかければ、グラスワンダーはペットと顔を見合わせた。

意思の疎通が取れているとしか思えないその仕草に戦慄する飼い主。

 

「私、紹介していただいたことありましたっけ?」

「間違いなくワタシより先に知り合ってるのはグラスだからネ! あの人スズカ先輩デース」

「ウソぉ!?」

「ほんとほんと」

「いつの間に口説いたんですか、この色事師はっ」

「発想に偏見混ぜるの止めよう? レース場の入り口で偶々お会いして、ウンスの話聞かせてもらってただけだから」

「えぇ……?」

「何か不審な点がありますかネ~」

「不信な点しかないからこうして事情を聞いているんです」

 

全く自覚のない親友の様子にため息を吐いたグラスワンダー。

 

「成程。スズカ先輩はスピカですから、セイウンスカイちゃんの応援に来ていてもおかしくありませんよね」

「イエース」

「で……どうやってスピカの皆さんの中から一人だけ連れ出したんですか?」

「いやっ、最初からスズカ先輩はスピカと離れてたからね!?」

「スピカの皆さん全員が制服を着ていたのに、スズカ先輩だけ私服で別行動? 前もってエルと約束していたと取られても仕方ないと思いませんか?」

「……グラスはそれで怒ってるノ?」

「いいえ? クラスのラインが大騒ぎになっているんですよ」

「は?」

 

エルコンドルパサーは全く予想外の解答に、自分のデスクの上に置かれたスマホに目をやった。

しかし抱き石が乗っているため動くのを迷う。

そうしているとグラスワンダーが自分のスマホを見せてくれた。

 

「エル自身は制服だったから間違いようがありません。その隣に見知らぬ私服の美人を連れて……」

「……ソンナバカナ」

「昨日は菊花賞ですよ!? ジュニアCクラス最後のお祭り! クラスメイトはみんなあそこにいたんですよ! 皆がエルとあの人が一緒に、楽しそうにしている所を見ているんです! グループラインも大炎上ですけど何より個別! 私の所に引っ切り無しっ。昨日から私がどれだけ対応に困っているか分かります!? エルはクラスじゃ目立つんですよ!」

「それワタシのせいデース!? …………ワタシのせいかぁ……」

「それは私だって、最初はエルの言う様な怒り方もしていましたよ? 私の誘いは断ったのに知らない人と待ち合わせていたって、それは面白くないですから」

「それはゴメン……前で見たかったし、グラス以外のリギルの人達はなんってーか……煙たかったから。待ち合わせは誤解デース」

「信じます。正直もう……クラスの半分からは気遣われて、半分からは詮索されて怒るどころじゃなかったです」

「ゴメン、グラス……迷惑かけちゃった」

「……はぁ、分かりました。私は許しましょう」

 

グラスワンダーは疲れた笑みを浮かべて頷いた。

怪鳥は魔王が見せる微笑に感激の涙が滲む。

 

「グラスぅ……心の友ヨー」

「それでは、クラスのグループラインで真相を私から報告しておきますね。あの謎の美人さんはスズカ先輩だったって」

「うん。ありがとうネ、グラス」

「もう、エルは世話が焼けるんですから」

 

グラスワンダーはそう言ってスマホを操作する。

片腕に居座るコンドルに何度か邪魔をされながらも、クラスのグループラインに真相を書き込んだ。

その様子からは咎めるような雰囲気はないが、迷惑をかけた反省の意を示す為、石抱きは続行するエルコンドルパサー。

 

「あ、そうそう」

「わっつ?」

「私は許してあげますが……」

 

その時、寮内から凄まじい破砕音が響き渡る。

呆然とした怪鳥は、クッションを退ける事も忘れて音がした方向に視線を送った。

直ぐに廊下から一人分の足音が聞こえてくる。

それは真っすぐこの部屋に向かっていた。

 

「スぺちゃんが、許すかな?」

「グラスぅううううううううう!?」

 

エルコンドルパサーが自分は何一つ許されていない事を悟った瞬間、二人の部屋にノックが響く。

 

「グラスちゃん、エルちゃん。少しお話聞かせてくれる?」

「どうぞ、入ってください」

 

先程の破砕音から考えれば不気味な程静かにあけられた入り口。

其処には今期のダービーウマ娘、スペシャルウィークが幽鬼のように立ち尽くしていた……

 

 

 

§

 

 

 

「魔王が悪堕ちした勇者を呼ぶとか、人生はクソゲーと一緒デース……」

「こんにちわグラスちゃん」

「いらっしゃいスぺちゃん」

「エルちゃん。その恰好似合ってるね」

「……慈悲は無いんデース?」

「とりあえず、駆け付け一石ね」

「ノーーーーーゥ!」

 

異世界の魂を開放し、その全身から薄桃色のオーラを従えたスペシャルウィーク。

何故かその両腕には抱き石クッションが持参されており、罪人に積み上げられた。

 

「なんでスぺちゃんもそんなもの持っているんデース?」

「京土産だよ。マルゼンスキー先輩のお勧め」

「あんのバーバ……余計な事しかしないネ」

「こうして役に立っているんだから先見の明だよね。さぁエルちゃん、罪の数を数える時間だよ」

「スぺちゃんに裁かれるような罪があったカナー?」

「私が菊でウンスちゃんにボコボコにされてる時、私の女神と逢引きしてた」

「ゴメンナサイ」

「後無断外泊」

「いや、寮長に連絡はしてあるから無断じゃなくて……言い訳は方便だけどサ」

 

エルコンドルパサーは慎重に言葉を選びつつスペシャルウィークと対峙する。

グラスワンダーと異なる位置にいる友人だけに、対応は少し気を遣うのだ。

三つ重ねられた抱き石のずれを律儀に直し、エルコンドルパサーは机の上のスマホを手で差した。

 

「あの中に粗方の事情が入ってマース」

「あの……エルちゃんの卑猥な私生活を見せつけられても困るんだけど」

「ハッハッハ……ピンクなのはオーラだけにしとけヨ、ジャパニーズ田舎ウマ娘」

 

額に青筋を浮かべながらスペシャルウィークの疑惑を否定するエルコンドルパサー。

スペシャルウィークはグラスワンダーを顔を合わせた。

 

「だってエルちゃん、レース場にいた美人と最後は一緒に出て行って、昨日帰ってこなかったもん。大人の階段を上ったって皆言ってるもん」

「妄想力逞し過ぎませんかねぇマイクラス!? 普通にスピカでウンスの祝勝会に誘われてお邪魔してただけデスからネ!」

「それがどうして朝帰りになったんですか?」

「いや、京都の周りってお店閉まるの早くってさ……終電まで結構時間あったからスピカの皆さんと別れた後、移動してネカフェ入ったのネ? 菊花賞の中継大きい画面で見たかったから」

「なるほど」

「そこでウンスのペース勘定したりワタシならどう戦うか考えたり……後、最近取った写真の整理とかしてたらもう動くの面倒になっちゃってサ~。祝勝会の後でお腹いっぱいだったしネ」

「そこで寝ちゃったんですね」

「うん。良いよネ~最近のネカフェって。衛生用品からシャワーまであるんダヨ」

「……はぁ」

「そんなわけだからスぺちゃん、スマホ見ても平気ダヨ」

「ん、それじゃ遠慮なく」

 

スペシャルウィークはデスクに立てかけられているスマホを起動する。

そしてデータフォルダから昨日の日付でまとめられた写真を開いた。

 

「っ!?」

「ちょっ!」

 

一枚目で微笑するスズカに硬直したスペシャルウィークは、怪鳥のスマホを取り落とす。

しかし驚異的な反射神経で膝の高さでキャッチした。

 

「危ない……国宝に傷が付くところだった」

「其処まで!?」

「いや、最早世界遺産すら生温いね。この世界で唯一出会える女神の最新情報だもん」

「……グラスぅ、スぺちゃん何言ってるデース?」

「知りませんよ……餌を与えたのはエルじゃないですか」

 

若干と言わず引き気味の部屋主達。

スペシャルウィークは慎重にスマホを操作し、一つ一つの写真を吟味していく。

レース場の写真が三十枚ほど。

菊花賞のみならず、当日行われた様々なレースの写真が残されている。

その後、スピカの打ち上げ会場とおぼしき焼き肉屋での写真が二十枚ほど。

疲れ切ったセイウンスカイをこれでもかと言うほど弄るスピカのメンバー達が映っていた。

あの飄々としたウマ娘が、チームでは玩具になっているらしい。

 

「エルちゃん」

「ハイ?」

「二着だけど、菊花賞の賞金全部出す」

「非売品デース」

「そんなぁ」

 

半泣きになっているスペシャルウィーク。

哀愁漂い庇護欲を刺激されるその姿に、エルコンドルパサーも戸惑った。

 

「まぁ、スぺちゃんがスズカ先輩のファンだって言うのは私も知ってるシ~」

「ふんふんふんふん!」

「……にじり寄ってこないデ。動画の所に封印指定ってフォルダがあるから開けてみて? パスはグラスの誕生日ダヨ」

「えっと……てことは0218かな」

「イエス。一番新しいのに昨日の美人のアイコンがあるデショ? それはスぺちゃんに譲ってもいいって許可貰っといたから」

「………………」

 

スペシャルウィークの時が止まった。

正確には指以外の時が止まった。

私服姿のサイレンススズカが動いている。

軽快に踏まれたダンスステップ。

ロングスカートを華麗に従えたターン。

そしてスカートの裾を持ち上げ、最後に深いカーテシー。

15秒ほどの動画の中に神はいた。

感極まって滂沱の涙を流すスペシャルウィーク。

自分が泣いている事も気づかず、只管動画を繰り返す。

 

「あーあ……」

「ワタシ、何か間違ったデスかね?」

 

自分が取り返しのつかない事をしたかもしれないと不安になったエルコンドルパサー。

禁酒中のアル中患者に酒を渡してしまった感覚が近いだろうか。

 

「……凄い。これ凄い……エアグルーヴ先輩だってこんなお宝持ってないよエルちゃん」

「まぁ……その服、多分昨日初めて下ろした奴っぽいしネ」

「これ、私が貰って良いの?」

「うん。それはスぺちゃん譲渡の許可貰ってるから」

「私、明日からも頑張っていけそう」

「それは良かったデース」

「私の事はこれから犬とお呼びください」

「スぺちゃん、おてぐふぉ!?」

「エル、調子に乗らない」

 

エルコンドルパサーのわき腹をつま先でつついたグラスワンダー。

その突っ込みにより、チームメイトは人の尊厳を売らずに済んだ。

しかし幾らグラスワンダーが守ろうとしても、当人が売りたがっているのだから処置はない。

 

「大丈夫ご主人様? 脚舐めようか?」

「ごめんスぺちゃん、それ上げるから正気に戻ってネ」

「正気だからこそなんだけどなぁ」

「……この子が私たちの世代の代表、ダービーウマ娘なんですねぇ」

「それ言っちゃダメだよグラス。泣きたくなるジャン」

 

スペシャルウィークは手にした怪鳥のスマホを机に安置する。

そして二拝二拍手一拝を行った後、自分のスマホにデータを移す。

 

「大天使エルちゃん」

「天使とナ?」

「私を女神を結び付けてくれた愛の天使だから。このお礼は必ず」

「ハーイ」

 

突っ込みどころが多すぎて突っ込めない。

最早面倒になったエルコンドルパサーは適当に聞き流すことにした。

 

「ところでー……ワタシに関して随分スキャンダラスな想像が独り歩きしているっぽいんデスけど……」

「そういえば、私は昨日個別に来る方々の相手をしていたのでグループは追い切れていないんですよね」

「まぁ、みんな本気でエルちゃんが浮気してるって思ってるわけじゃないっぽいから」

「浮気って……」

「調度良い状況だし、ラインに写真一枚上げれば沈静化するよ」

 

スペシャルウィークは正座中の怪鳥の横にグラスワンダーを立たせた。

 

「グラスちゃんもうちょっと冷たい目線頂戴。もしくは満面の笑み……そうそう、笑顔のが良いかな。エルちゃんはもっと神妙に、ゲート入り前のウンスちゃんみたいな顔してみて? あ、良いね良いね」

 

撮影が終わったスペシャルウィークは撮れたての写真を回覧する。

其処には楽しそうに罪人を裁くグラスワンダーと、石抱き拷問中のエルコンドルパサーの姿。

 

「スッペちゃーんまさかその写真を……」

「これに『成敗!』とかメッセージつけてラインに上げれば誰もが決着を悟ると思うよ」

「なるほどー。それでワタシの社会的生命はどうなっちゃうのカナー?」

「何かを成す時は犠牲が必要ってお母ちゃんも言ってたよ」

「……まぁ、これも身から出た錆びデスカ」

 

諦めたエルコンドルパサーはクッションを退けて立ち上がる。

流石に足が痺れて来た。

 

「これは私が上げたほうが良いですよね」

「そうだねグラスちゃん、お願いしていい? 後ちょっとエルちゃん借りて良いかな」

「どうぞ」

「……君たちワタシの人権を返すデース」

「あはは、これは騎士道というか、友情って奴だから」

 

グラスワンダーがスマホを操作する間に、スペシャルウィークはエルコンドルパサーを部屋の外に連れ出した。

周囲に誰もいない事は二人で確認する。

 

「ごめんねエルちゃん。ちょっと……相談って言うか、お願いかな」

「どうしたノー?」

「グラスちゃんにさ、もう少し寄ってあげてくれないかなって」

「ふむ」

「グラスちゃんね、菊花賞エルちゃんと見たかったんだよ」

「それは誘われたけどネ」

「エルちゃんの事情もあるのは分かるんだけどね……リギルだとグラスちゃん、あれ以上は動けないんだ」

「ん?」

「リギルってさ、緩い所は緩いけど厳しい所もあるんだよね。チームメイトの応援は、結構みんなできっちりしてるの。だから、グラスちゃんがエルちゃんの所に行きたくても行けない事があるから」

「成程ネ……」

「もしエルちゃんのチームでそういうのが無いんだったら……だけどね。ある程度自由に動けるなら、エルちゃんからグラスちゃんの所に行ってあげて?」

「……スぺちゃんが積んだ抱き石の理由はそれデスか」

「ううん? スズカさんだよ」

「そういう事にしておきマース」

 

エルコンドルパサーは苦笑してスペシャルウィークの頭をくしゃくしゃにした。

不満そうに膨れたスペシャルウィークに笑う怪鳥。

その笑顔に釣られたようにスペシャルウィークも笑顔になった。

 

「スぺちゃん」

「ん?」

「来年、グラスの事お願いね」

「うん。分かった」

 

友人から大切なものを預かったスペシャルウィークは神妙に頷いた。

 

「それから、部屋にいた鳥さんは見なかった事にネ?」

「お、おぅ」

 

グラスワンダーの時よりも真剣な表情でペットの事を語る怪鳥。

スペシャルウィークはこのウマ娘の相棒をしているチームメイトに心から同情した。

 

 

 

 

§

 

 

 

菊花賞が終わっても秋の重賞戦線はまだ半ば。

リギルにおいてはスペシャルウィークの敗戦もあったが、トレーナーは次なる戦いの舞台にウマ娘達を導かねばならない。

東条ハナは学園のターフコースを走るタイキシャトルとマルゼンスキーに集中する。

 

「ちょっと! 其処退きなさいよシャトルちゃん」

「No! 誰が退くカ」

「ずるっこいでしょ!? 脚で敵わないからって経済コース塞ぐのはさぁ」

「嫌なら大外周ってくだサーイ!」

「お前ら真面目に走れ!」

「走ってるわ!」

「真剣デース!」

 

この二人は先のスプリンターズSで対決して以来はっきりと互いを意識している。

仲が険悪になったわけではないが、練習で並ぶと本番さながらに競り合うのだ。

其れだけならまだ良いのだが、トレーナーが頭を抱えたくなるのは走力以外の部分でも本気で戦っている事である。

マルゼンスキーがコーナーで外からタイキシャトルに被っていく。

 

「よっと」

「What!?」

 

タイキシャトルの意識が外に向いた瞬間、イン側の隙間に切り返して加速したマルゼンスキー。

更に外を走る並走相手を壁に使って、膨らむことを回避した。

そのままコーナーの出口では完全に並んで直線に入る。

 

「ッチィ、ウロチョロと……Babaa鬱陶しいヨ」

「甘いわよシャトルちゃん。サッカリンの十倍甘い」

「食べた事無いクセに!」

「有るわよ?」

「マジデース!?」

「ってか今日本語でババァって言ったわよねぇ!?」

「イッテナイヨキノセイダヨ」

 

マルゼンスキーが真横を走る後輩に肩を当てる。

小動もせずに受けるタイキシャトル。

反撃はしない。

この位置で吹っ飛ばしたら内埒に激突させてしまう。

同じチームであり、付き合いの長い二人である。

タイキシャトルはマルゼンスキーが当たりに対して非常に脆い事を知っていた。

 

「へいへーい、シャトルちゃんビビってるー?」

「こっちはケガさせない様に気を使ってるのにサァ! その態度はNo! デショっ」

「良いから遠慮しないでよ。綺麗に捌いてやるからさぁ」

 

最高速度はマルゼンスキー。

全身筋力はタイキシャトル。

両者が譲らず前に出ようとした時、本来不要な接触が何回も起きていた。

このような練習も必要だろう。

しかし本番を来週に控えたこの時期に、怪我をしかねない接触練習などして欲しくなかった。

 

「貴様らそれ以上当たるなら練習を分けるぞ!」

「Sorry Honey……」

「それは困っちゃうかなー、モチベーション的な意味で。まぁ――」

 

タイキシャトルは隣を走るマルゼンスキーの気配が変わった事を悟る。

並走する自分ではなくゴールに意識の比重を向けた。

芝を踏みしめた脚が接触の為の踏み込みから、駆け抜けるための蹴り脚に変わる。

 

「当たるなって言うんなら……ぶっちぎるだけなんだけどさぁ!」

「ック」

 

互いに半歩離れて走路を確保し、最後の直線に突っ込んでいく。

外からは別チームのウマ娘達が二人の競り合いに呆然と視線を送っていた。

 

「さぁ、上げていくわよー!」

「……絶対逃がしまセーンッ」

 

マイラーとしては完成域にあるタイキシャトルが直線でじわじわと離される。

奥歯を食いしめて自分の速度を振り絞るタイキシャトルは、ふと思いついて脱力した。

 

「フゥッ」

 

左腿を一度張る。

魂の記憶が一時的に蘇る。

それが何かは分からずとも、こうすれば加速するとタイキシャトルは知っていた。

 

「粘れシャトル! マルゼンスキーに楽をさせるなっ」

「OK,Honey!」

「手を抜くなよマルゼンスキー! お前の想定する敵から凌いで見せろっ」

「あの赤いの……絶対泣かせてやるんだから!」

 

マルゼンスキーが半バ身前に出た所でタイキシャトルが粘る。

追いついてはいない。

しかし引き離せない。

 

「ん? やるじゃないシャトルちゃん」

「叩き合いなら負けないからネ!」

「……」

 

マルゼンスキーは現状での最高速度についてくる後輩に内心で息を吐く。

もう一つギアを上げるなら、脚の爆弾を庇えない。

練習ではトレーナーから絶対に禁止されている事である。

タイキシャトルに食いつかれたままゴールしたマルゼンスキー。

 

(参ったなコレ。このペースで千切れないとなるとトップギア使っても展開で負けが有るわよ……」

 

草レースの一対一ならばマルゼンスキーは負けないだろう。

しかし複数のウマ娘と一緒に走る公式のレースならどう転ぶか分からない。

その程度の差しかない。

まして、マイルCSはタイキシャトルだけを見ていられるレースではないのだ。

マルゼンスキーがこの並走トレーニングの感想を纏めていると、トレーナーから声が掛かる。

 

「時計を見る限り悪くはなさそうだが……本人から何か感じる所はあるか?」

「ン? ワタシ、チョーシ良いヨ」

「そうねぇ……トップギアにぶち込んだ時に何処まで出せるかな? って感じかしら。やってみないとわかんない所有るのよね。伸びるか、空ぶかしになるか」

「……其処に関しては今試させるわけに行かんからな」

「ま、なんなら今のままでレースしてもやり様はあるわ」

 

片目をつむって安請け合いするマルゼンスキー。

タイキシャトルは隣で息を整える先輩に苦い視線を送る。

スプリンターズSは後方待機から最後の直線だけでぶち抜かれた。

先程の競り合いはほぼ五分だったのだから、やはりまだ上があるのだろう。

 

「今回は思ったよりも出てくるウマ娘が多そうだ」

「そうなの?」

「ああ。タイキシャトルがスプリンターズSで負け。勝ったマルゼンスキーは早いが時計がやや安定していない。もしかしたらと思いたくなるんだろうな」

「良いデスネ~、皆で走るの、楽しいデース」

「そうねぇ。やっぱり皆で走りたいわ」

「私の見立てでは、今のお前達の相手をするには難しいと思うメンバーが殆どだが……やはりコメットのシルキーサリヴァンには注意しろ。あいつの時計は部分的にお前たちを超える」

「OK」

「毎日王冠では序盤でサイレンススズカに追いついて、終盤にはグラスワンダーを喰いかけた……息の戻りも早い。逆算すると今のあいつが全力で走れる距離は3ハロン以上だ。どう展開するかはお前たちの好きなようにしていいが、中途半端な位置につくのは危険だろうな」

「……まぁ、好きにしていいって言われてもさ。あの追い込みを後ろからぶち抜くのは現実的じゃないわよねぇ」

 

マルゼンスキーは息を吐いて自分の脚を見る。

その表情は諦めというより挑戦的な笑みがあった。

東条ハナはそんな愛バの様子に眉間の皺を揉む。

ベテランらしく正確な事前の予測を立てるくせに、当日の気分で何となく面白そうな走り方をするのがマルゼンスキーの性格であった。

それで肝を冷やしたこともあれば、完全に裏目に入ったレースを逆転した事もある。

長い付き合いにも拘らず今だに正解が分からない奔放難解のウマ娘。

逆に言えば、それは底を見たことが無いという事でもある。

 

「それにしても、私ら三人で練習しているのってなんか懐かしいわよねぇ」

「ソーネー……その頃はまだ、リギルもこんなに大きくなかったヨ」

「……お前ら止めてくれ。私が駆け出しの頃の事じゃないか」

「あの頃のハナちゃんは可愛かったのに……」

「ほぅ?」

「今じゃすっかり美人さんになって……」

 

およよと泣きまねをするマルゼンスキーに深い息を吐くトレーナー。

タイキシャトルはそんなトレーナーの顔をまじまじと覗き込む。

 

「そんなに変わったカナ? Honeyって昔っから全然変わってないと思うんですケド」

「シャトルちゃん覚えときなさい。女に変わってないはほめ言葉じゃないのよ」

「Really?」

「……まぁ、人それぞれだ。私としては、青二才のままではいたくないがな。人もウマ娘も変わらないものはない。どうしたって変わらざるを得ん」

「リギルも賑やかになったしネ!」

「ああ。そうだな」

「そーね。やっぱ色々変わるわね……良くも悪くもさー」

 

マルゼンスキーは二人の言葉を聞きながら、短くなった西日を見送った。

 

 

 

§

 

 

 

その日の練習を終えたマルゼンスキーは、寮の自室で何冊ものスクラップブックを開いていた。

ルームメイトは他県のレース場に遠征で不在の為、動く影は一つだけ。

 

「……」

 

スクラップブックの中身はマルゼンスキーがこれまでに集めた新聞や写真。

または雑誌の切り抜きだった。

その全ては自分以外のウマ娘達の記録。

あまり整理は得意でないのか、切り張りされたものはやや乱雑でまとまりが無かった。

切り取ってから纏めるまでに間が開いたのか、一ページの中に違う年代の記事が張り付けられている事もある。

しかしマルゼンスキーは自分で作ったこのスクラップブックを気に入っていた。

既に幾度となく読み返されたコレクションである。

マルゼンスキーは誰の、または何年の記事が何冊目の何ページにあるかを全て覚えてしまっている。

そして記録にまつわる記憶も、自分が見聞きしたモノは全て風化させずに頭の中におさめている。

極論すればマルゼンスキーにこのような本は必要が無かった。

それでもマルゼンスキーは思い出の領域に立ち返る時は必ずこのスクラップブックを開き、その記事を読み写真を見る。

その行為そのものが彼女に関り、そしてすれ違っていったウマ娘達に対する想いだった。

 

「……」

 

一冊手にとっては目的のページを開き、読み返して思い出す。

そんな行為をどれくらい繰り返していた事か。

ふと気づいた時、マルゼンスキーは自分以外誰もいない筈の部屋から音がすることに気が付いた。

正確には部屋の外から、入口の扉を叩く音。

マルゼンスキーは不快気に顔を歪めると、居留守を使おうか迷った。

無視していれば寝ていると判断されるだろう。

 

「Hey Grandma……起きてるデショ」

「……あぁん? シャトルちゃんどうしたのよ」

 

それは練習で並走したチームメイトの声だった。

この後同じレースに出走する者同士、何か連絡があるかもしれない。

マルゼンスキーは意識して表情と声の険を取って出迎える。

正直一人にして欲しかったが、この後輩は根っこの所で臆病な寂しがり屋なのだ。

 

「どーしたのシャトルちゃん。おばあちゃんが恋しくなった?」

「ンー……何となくネ。練習の時のGrandma、昔のワタシみたいだったからサ」

「つまり寂しそうに見えちゃったわけか」

「YES」

「……ま、今更シャトルちゃんに強がっても仕方ないか」

 

マルゼンスキーは仕草であがるように合図してデスクに戻る。

 

「部屋暗いネ」

「年寄りが昔を懐かしむ時って、それなりに雰囲気ってもんを大事にするのよ」

「思い出だったらもっと明るいAtmosphereで振り返ろうヨー」

「嫌よ」

 

椅子に座ったマルゼンスキーは背中に張り付いてきた後輩に短く返す。

タイキシャトルは返答する前にマルゼンスキーのスクラップブックが目に入った。

 

「良い思い出なんざロクに無いんだから……私のジュニアCクラスの頃なんてさ」

 

深い息と共に本を閉じたマルゼンスキー。

そして机の引き出しから、まだ張り付けていない記事を取り出した。

 

「見てよこれ、今年のジュニアCクラスの特集」

「コレ凄いヨネ。クラスの皆が勝ち上がったとか、聞いた事無いヨ……まぁ、ワタシ最近まで引きこもりだったけどサ」

「そうよねー」

 

マルゼンスキーは自分の頭を抱えるように机に伏せた。

 

「…………私のデビュー戦の時、その後二度と走れなかった子が4人出たわ」

「Oh……」

「派手にやっちゃったもんねー。こればっかりは半分あいつのせいだけどさ」

 

気を取り直したように身を起こしたマルゼンスキーは記事を再び引き出しに戻す。

そして一冊のスクラップブックから目当てのページを引っ張り出した。

 

「ほらこの子、私の世代で皐月賞獲った子」

「……」

「Bクラスの頃はぱっとしなくてさ。勝ち上がるのは遅かったのよ。それで皐月賞に間に合わせたんだから本当に大したもんだわ……ダービーだって二着だったんだから」

「……」

「今は引退して、此処でトレーナーやってるのよね。シャトルちゃんも知ってるでしょ? あの赤いののチーム。上り調子なのよねぇあそこ。ジュニアCクラスのエルコンドルパサーちゃんもいてさー」

 

嬉し気に元の同期を語るマルゼンスキー。

次に彼女は数ページをはぐると一人のウマ娘を指さした。

 

「ほらこの子、私の世代のダービーウマ娘」

「……」

「凄かったのよこの子も。すっごい外枠からダービー獲ったの。あんな外から勝ち切ったウマ娘って、たしか彼女しかいないわよ。皐月賞でも二着でさ……ライバルって感じ、うちのスぺちゃんとスピカのセイウンスカイちゃん見たいよね!」

「……」

「もう引退しちゃって、確か海外でトレーナーしてるんじゃなかったかな……そうそう、あっちで年度代表ウマ娘を出したこともあるのよ彼女」

 

自慢気に元の同期を語るマルゼンスキー。

そこで手元の本を閉じ、別の一冊を開く。

 

「ほらこの子、私の世代で菊花賞とった子。彼女とは直接勝負した事もあるのよね……だけど私の印象だと菊や直接対決よりも、上と戦った有馬記念なのよ」

「……」

「私の上の世代って、そりゃあ凄かったんだから! 今年が奇跡の世代ならあの人達は黄金世代って感じ。一世代に年度代表ウマ娘を三人出した所なのよ。史上二回しかない中の一回が此処なんだから」

「……」

「彼女の有馬は、そんな黄金世代三強が最後に揃ったレースだったのよ……私も出たかったんだけどね。脚やっちゃって出られなかった。ハナちゃんにはいっぱい当たっちゃってさぁ。今日走れないならこんな脚いらないだろって……私の棄権を一番悔しがってる人に言っちゃった。ダメだなー私」

「……」

「だけどどうしても出たかったのよこのレース。何処かのドリームトロフィーなんかより、私はこの有馬記念に出たかった! あの人達は本当に……華麗で、煌びやかで、格好良くて……でもどこか泥臭くて。物語の中からそのまま出て来たような人達だった。そんなお姉様方のレースを見ながら育ったのが、一個下の私達だもん。そりゃ私だって、本当はああいうのがやりたかったわよ」

 

マルゼンスキーは一つページを捲る。

其処に切り取られた記事は複数あるが、全てが何時かの有馬記念の記録。

勝者を称える記事があれば敗者を惜しむ回想もあった。

比較的最近の記事では史上最高のレースと紹介されているものもある。

 

「そんな人達と走れたあの子が羨ましかったなぁ……だけど現実は厳しかったわね。私達の菊花賞ウマ娘でも影すら踏めずに負けちゃった。彼女でも勝てないのかって、病院で不貞寝してたっけなー……」

 

肺を空にするほどのため息を吐くマルゼンスキー。

スクラップブックを閉じて手放し、考え込むように目を閉じた。

タイキシャトルは何も言わない。

同意も肯定も求められていない事は明白だったから。

ただ自分は此処にいると伝えるためにマルゼンスキーに触れていた。

 

「……脚、結構派手にやっちゃったから入院も長くなってさ。やっと出られた時には、同期の皆は殆どいなくなっちゃった」

「……」

「妙な話を聞いたのもその辺だったかな……今じゃ皆言ってるんだけどさ。当時の私は信じられなかった。信じたくなかった。私の世代って……マルゼンスキーの影で泣いた不運の世代なんだって? …………私が何したってのよふざっけんなっ!」

「……」

 

机に叩きつけられた拳が鈍い音を立てた。

デビュー戦の惨事に関してはシルキーサリヴァンも同罪だろう。

しかし怪我に苦しみながらも中央レースで圧勝し続けたマルゼンスキーと、クラシックを蹴飛ばして自己鍛錬に費やしていたシルキーサリヴァンでは一般にもウマ娘にも当時の知名度が違い過ぎた。

苛立ちに任せて振るった手が痛い。

不本意な形で世代の不幸を背負わされた心が痛い。

二つの痛みをごまかす様に、背中から回された後輩の手を握り返したマルゼンスキー。

今、このような心境の時に偶々タイキシャトルが傍にいる。

だからマルゼンスキーは言う心算のなかった事を口にした。

 

「あのね?」

「ウン」

「感謝しているわ、シャトルちゃん」

「What?」

「貴女が居てくれた事。去年でもなく、来年でもなく、今年に帰ってきてくれた事。そして春、安田記念で勝利してくれた事……どれが欠けてもあいつは此処に残らなかった。貴女が居たから、あいつは……私に残った最後の同期が、私の手が届く所に来てくれた。癪だけど、本当に悔しいんだけど、シルキーサリヴァンをこの秋、日本のターフに引きずり出したのは……シャトルちゃん、貴女だから」

「……」

「昔憧れた先輩たちのような、今可愛がってる後輩たちのような……あんなレースを、私も同期とやってみたい。そんな夢を叶えてくれた天使なのよ、貴女」

「Don't worry about it! だって、結局ワタシが勝つからネ」

「へぇ?」

「GrandmaにもDarlingにも、私が勝つカラ……だから、余計な気を遣わないで良いヨ」

「……スプリンターズSで千切られて今日の並走で遊ばれて、まだそんな事言えるのね。このアホの子は」

「アレは前哨戦! Darlingもいなかったし……ってかGrandma! あの変な歌をライブでやらされた恨み、忘れてないからネッ」

「えーアレ可愛いじゃない」

「え、マジ? ……うっわこの人マジで言ってるヨ」

 

タイキシャトルは可哀想なものを見る目をするが、マルゼンスキーは笑うばかりで相手にしない。

抱えていたものを少しだけ吐き出したマルゼンスキー。

やがて笑いを納めると、机に散乱する本をまとめた。

 

「まぁ、嫌なら私に勝つしかないから。頑張ってねシャトルちゃん」

「エー……またアレを歌うノGrandma?」

「もっちろーん。だってあの赤いのが恥ずかしそうにうまぴょいする所……見たくない?」

「……Darling憤死するんじゃないカナー」

「其れくらいして貰わなきゃ、独りで加害者みたく言われながら走って来た私が可哀想じゃない。世代の責任の半分は、しっかり背負ってもらわなきゃ。もう、私とあいつしかいないんだからさ」

 

暗い部屋にこもって暗い情念を燃やすマルゼンスキー。

長い間孤独を拗らせて来た先達に、タイキシャトルは諦めたように息を吐く。

この妖怪を成仏させるなら、心残りを満たしてやるしかない。

満足するレースと納得のいく結末を。

それは現役で走るウマ娘ならば誰しも望む凡庸な願い。

しかしマルゼンスキーにとって、一度もかなえられた事の無い夢でもあった。

 

「……」

 

タイキシャトルの望みはマイルCSに勝利し、シルキーサリヴァンの瞳に二度とは消えない自分の背中を焼き付ける事。

そしてもう一つ今ここで、マルゼンスキーが本気を出して遊べるような相手になってやる事が追加された。

どちらも片手間には叶わぬ難題である。

タフなレースになる事をマイルの女王が覚悟した。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。