コンドルは飛んでいく   作:りふぃ

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98年ジャパンカップでゴーイングスズカの単勝を買った者だけが作者に石を投げなさい(´;ω;`)ウッ…


14.拓く夢、結ぶ夢

 

 

コメットの部室では珍しく全員が集合していた。

来週にはマイルCSとジャパンカップが開催される。

どのような奇縁によるものか、京都レース場と東京レース場で同時に開催されるG1レース。

最年少のアグネスデジタルは二つのレース新聞を見比べながら首を傾げる。

 

「なんでこんなことになっているんですかねぇ?」

「主催者の都合ってーのが第一なんだろうが、ここんちは変な所で海外気触れな所があるからな……少しずつでかいレースを真似ようとしてんじゃねぇか?」

「あのぅ……それって?」

「この国のレースは外からウマ娘が出稼ぎに来るほど賞金がたけぇからな。次はブリーダーズカップやロンシャンのウィークエンドみてぇな、集中重賞日とかやりてぇんじゃねえかと思うんだが」

「発想は面白いんですけどネ~」

「レース場が違うとか、本末転倒も良い所ね」

「まぁな。まとめきれなかったんだろうよ」

 

シーキングザパールが鼻で笑えばシルキーサリヴァンが肩をすくめる。

スプリンターズS前後のような、嫌な緊張感はない。

そのことに内心で安堵の息を吐くエルコンドルパサー。

年長組もドトウとデジタルに泣かれれば、何時までも喧嘩などしていられないらしい。

当事者たちが大人げなかったと反省していたのもあったろうが。

 

「で、どうなんだよデジ。ウマ柱出てんだろそれ」

「えっと、先に走るのがエル先輩の方ですね」

「長距離レースのほうが先に走るって珍しいわね」

「なんかぁ……これメインじゃなくて10Rらしいんですよぅ」

 

デジタルの私物をウマ娘達が覗き込む。

エルコンドルパサーの出走するジャパンカップは東京レース場の第10R。

11Rには日本ではドリームトロフィ出走経験者、海外もそれに相当する大レースに参加した者のみが出走するもう一つの国際競争がある。

 

「まさかこれ、ワタシが前座デース?」

「まぁ……このカードだとそうなるんですかねぇ」

「マジカヨ……」

「毎年有る事じゃないからね。運が悪かったわエルちゃん」

「オゥ……マイガッ」

 

頭を抱えてうずくまる怪鳥を、ドトウとデジタルがそれぞれに慰める。

その様子を見ていたトレーナーは深いため息を吐いた。

 

「君達もう少し外の世界に関心持って……今年は世界で持ち回りのドリームカップが日本であるの。だから東京レース場はJCが10Rだし本当はマイルCSだって持ち寄って、日本初の同日複数GⅠレースを開催しようとしたんだよ……京都レース場の利潤とテレビ放映の調整がつかなくて、流れた上に中途半端になったけれど」

「よりによって早い方に揃えやがったからな。菊花賞から中一週でこれだぜ?」

「スぺちゃんが可哀想デース」

「それはね……どうしても日程は国際ドリームレースの方に揃えないとだったから」

 

ハードバージは苦笑して自らのメモを取り出した。

 

「まず、先に走るのがJCでエルちゃん。誰が怖いかって言えば……一人上げるならエアグルーヴかなって思うんだけど」

「スズカ先輩は?」

「毎日王冠で煽られたら掛かるって弱点も露呈してる。距離もたぶん長すぎるし、2000以下でぶつかる時よりエルちゃんに有利な要素が多いと思うんだー」

「スぺちゃんは?」

「菊花賞3000の中一週で2400は間違いなく苦しい筈。その菊だってセイウンスカイのワールドレコードを追いかける苦しい展開だったし、そもそもスペシャルウィークだって3分3秒半ばのハイペースで走ってる。コンディションはエルちゃんに有利の筈だよ」

「なるほど」

「そういった不安要素が今の所見当たらなくて、実力上位かなって思うのがエアグルーヴだと思うんだけど……まぁ、せっかく同期のダービーウマ娘も出てきてくれたんだから、はっきり上に立っておいて」

「了解デース」

 

エルコンドルパサーはウマ柱に記されたスペシャルウィークの名前に複雑な思いを抱く。

出来る事ならお互いにベストなコンディションで、なおかつ最高の舞台で戦えることが望ましい。

しかしエルコンドルパサーとスペシャルウィークでは目標が違う。

目指すモノが違うのだから、コンディションの作り方も変わってくる。

クラシック三冠を狙って菊花賞のおつりでジャパンカップに挑むスペシャルウィークと、此処を最終目標に調整してきたエルコンドルパサー。

両者の体調が異なるのは当然の事であり、エルコンドルパサーとしては気に留める心算はなかった。

 

「その後は京都でシルキーとパールちゃんのマイルCSだね。前評判はリギルとコメットの一騎打ち……でも本命はリギルだって」

「まぁ、仕方ねぇよな。安田とスプリンターズSでは負けてんだ」

「……パールちゃん大丈夫? 顔青いけど」

「……ええ、良いわよやるわよ。やればいいんでしょやればっ」

 

余程前回のライブが嫌だったらしいシーキングザパールが爪を噛みながら呻いた。

 

「勝てばいいだけじゃねぇか」

「そりゃそうだけどねぇ! そんな事言ったら大抵の事はそうじゃないっ」

「負けた時の事考えてりゃ挑む前に足がすくむぞ。少なくとも勝者が望んだら付き合うのがルールなんだから仕方ねぇさ」

「分かってるわよ……」

「まぁ、マルゼンスキーの野郎……楽しかった、次もこれをやりたいとか抜かしていやがったからな。げんなりする気持ちは俺も分る」

「でしょう!?」

「俺も正直公衆の面前でアレをするのはご勘弁だ。死ぬ気で勝ちに行こうじゃねえか」

「そうね」

 

未来への不安がチームの結束を堅いものにする。

最も、シルキーサリヴァンとしては道化を演じて見世物になる事もアイドルの仕事と割り切っているためにパール程に気は病んでいない。

それが仕事に対するプライドであり、前世から続く人気者の宿命でもあった。

当人が語った言葉の通り、回避できるならしたいというのも本音ではあるが。

 

「今回は漁夫の利を獲りに来ているウマ娘も多いかもね。全員で十四人出てくるって」

「いい度胸じゃねぇか」

「まぁ……シルキー程極端に後ろに下がっちゃえばバ群も関係ないしルートだって選び放題だろうけどさ……パールちゃん、気を付けてね。集団後方にいると前が開かなくて沈む可能性もあるから」

「分かったわ」

「まぁ、君自身ベテランだし……それほど心配はしていないから」

 

ハードバージはチームメイト一人一人を見渡しながら頭をかいた。

ここ数日、メンバーが挑む大舞台の下調べと個人的な用事で忙殺されているトレーナー。

しかし此処を乗り越えれば一息つける。

内心で気合を入れなおしたハードバージはエルコンドルパサーに声をかけた。

 

「本来なら私がエルちゃんにつきたいんだけど、この日はどうしても京都に用事があるの。エルちゃん、大丈夫?」

「もぅ、今更東京レース場で迷子になるような子供じゃないデース」

「ごめんねー。ドトウちゃんとデジちゃんはどっち行く?」

「私は……京都のレースを見ておきたいですぅ」

「あたしは東京! 海外のウマ娘ちゃんのご尊顔を目に焼き付ける大チャンスっ」

「ん、分かった。じゃあそんな感じで足の手配しとくから」

 

メンバーの行動が決まれば後は此処ですることは無い。

何時ものように流れ解散の運びとなる。

 

「おいエルコン、こけんじゃねえぞ?」

「先輩こそ、格好いい所見せてくださいヨ」

「そうだな。春はだせぇ所を見せちまった。ここらで挽回しねぇとな」

「期待してますヨ~?」

 

エルコンドルパサーはからかう様な軽い声を出しながら目元は笑っていない。

シルキーサリヴァンは後輩の視線をまっすぐに受け止めた。

 

「先輩はワタシに勝ちました。だからワタシがリベンジに挑むまで、なるべく負けないでくださいネ」

「面倒臭ぇのに目を付けられちまったもんだ。だが、まぁ良いさ……お楽しみの前に、お互い一仕事しようじゃねえか」

 

――次のレース……

 

「タイキシャトルは俺が潰す」

「スペシャルウィークはワタシが倒す」

 

不敵に笑ったシルキーサリヴァンが右の拳を突き出した。

同様の顔で自分も右拳を突き出す。

二人の間で噛み合った拳は、何時かの勝負と次走の勝利への約束だった。

だからもう時間がない。

 

(向き合わないとネ……スぺちゃんと)

 

先延ばしにしていた事がある。

恐らく、いや間違いなくセイウンスカイもキングヘイローも言葉にはしていない筈。

それは一つの夢を最初に歩き出した自分の役目であった。

 

 

 

§

 

 

 

その夜、スペシャルウィークはルームメイトのサイレンススズカに声をかけて部屋を出た。

夕食を終え、就寝までのひと時。

学園内であれば出歩くことも許されてはいたが、外は暗く寒い時期でもある。

好んで出歩こうとするウマ娘は少なく、スペシャルウィークが寮を出る間もすれ違う相手はいなかった。

 

「……」

 

スペシャルウィークが向かうのは、広いトレセン学園の校舎裏の一角。

普段通いなれた学園でも昼と夜では雰囲気がまるで違う。

それに脅えるような歳でもないが、目的地にしっかりとたどり着けるかと言われれば多少自信がない。

このような場所に通いなれたウマ娘は殆どいないだろう。

 

「エルちゃんなんでこんなとこ知っているんだろう」

 

スペシャルウィークは自分を呼び出したクラスメイトの事を考えた。

すると招いたわけでもないだろうが、視線の先には不自然な明かりがある。

光源を持っていないこちらはともかく、あちらは相当目立っていた。

 

「エルちゃーん」

「あ、スッペちゃーんいらっしゃい」

 

暗がりからスペシャルウィークが声をかけると、エルコンドルパサーは懐中電灯を切って寄って来た。

あの明かりは相手が見つけやすいように照らしていただけらしい。

 

「ごめんネ。呼び出しちゃって」

「ううん、大丈夫」

「ありがとネ。実はサ~……スぺちゃんと戦う前にどうしても聞いておきたい事があったんデース」

「聞きたい事? ……あっ」

「べたな所でスリーサイズなんてギャグじゃないからネ」

「……ボケる前に突っ込むのって反則だと思うよ」

「じゃあもう少し捻りなサーイ」

 

ふてくされたスペシャルウィークが可笑しいのか、腹を抱えて笑うエルコンドルパサー。

場所と時間をわきまえているらしく、極力声は殺していた。

スペシャルウィークはやや恨めし気に怪鳥をみるが、もともと大して怒っていないのだ。

一つ息を吐いて肩を落とし、クラスメイトに本題を促した。

 

「さてそれじゃ……改めてどうしたのエルちゃん?」

「実はサ~、ワタシのジュニアB時代の事ってグラスから何か、聞いてない?」

「え……っと、特に詳しくは聞いてないかな。よく何時ものメンバーで草レースしてて、グラスちゃんが勝ってたってくらい」

「あー。そうなんデスよー……あの頃のグラスはずば抜けて強かったデース」

「負けた事無かったって聞いたよー」

「それ、本当ダヨ。あの骨折さえなけりゃナ~……本当に勿体なかったヨ」

 

エルコンドルパサーはマスク越しにも分るほど表情を歪めて俯いた。

 

「ただ、あの頃のワタシっていうか……ワタシ達は、グラスがそんな事になるなんて思わなかったヨ。だから……ウンスやヘイローと集まってサ、どうすればグラスに勝てるんだろうって、よく話してましタ」

「それで、答えは出た?」

「Bの頃のワタシ達がどうやっても勝ち筋は見えなかったネ~……グラスはそれくらい強かったよ」

「そっかぁ」

「ただ、クラスの中でも本気でグラスをどうにかしようとしてたのってワタシ達だけでしたカラ。負け犬三匹集まっているうちに結構気が合うのも分かってサ~……此処からが本題なんですケドー」

「うん?」

「ワタシ達、チームを作ろうとしたんだよ」

「チーム?」

「そう。しかも同期だけでネ」

 

エルコンドルパサーの言葉に首を傾げたスペシャルウィーク。

同期だけでチームを作る。

しかもシニアになってからならともかく、生涯一度のレースが集中するジュニアCの前で。

 

「えっと……それ、クラシックに出られないメンバーが出てこない?」

「まぁ、一応チームにつき同じレースは二人までっぽい感じだしネ。でも実際にワタシはクラシック出ていないし、グラスも強すぎて世代戦にあまり興味なさそうだったんだよね、あの頃は。だから出たい子がその都度相談すれば良いと思ってたんダヨ」

「へぇ……」

「だからワタシ、ヘイローちゃんとウンスを誘ってサ! グラスはその時、もうリギルに入っていたんデスけど……ワタシなら引き抜けたと思っているシ」

「エルちゃんが本気で誘ったら……出来るだろうなぁ」

「デショ? 一年限定。そのチームでクラシックと他のGⅠを全部攫って、有馬記念で決着を付ける……そんで解散! どうヨ?」

 

スペシャルウィークはそのチームを想像する。

不思議な事に、そのチームの中には自然と自分の姿があった。

瞳を閉じて胸に手を当てて想像の世界に身を投じるスペシャルウィーク。

その世界をかける自分は今と同じように笑っていた。

 

「……トレーナーさんはどうするの?」

「暇そうに空いてるトレーナーさん捕まえれば良いかなって思っていたんデスけどネ~……そう言ったらヘイローちゃんが呆れてサ、本決まりになったら当てがあるから任せとけって」

「クラシックは相談して、秋は今みたいにシニアの王道に割っていくんだよね……でも、どうやって有馬に五人一緒に出るの?」

「宝塚と有馬は人気投票ダヨ? そこに入れば同じチームだって出られるのは前例があったからネ」

 

スペシャルウィークは質問し、エルコンドルパサーは解答する。

一つ一つの疑問が埋まるたびに早鐘を撃つ鼓動。

この企画は、実現する可能性があったのではないだろうか。

そして、もしかしたらその中には……

 

「……一人、足らないね」

「そうなんですヨ~……そこで意見が割れちゃってサ。ヘイローとウンスは、とりあえず4人でチームを組んでからトレーナーも呼んで、あと一人揃えば始動出来る状況にしてから改めて探せば話は変わるって。でもワタシは……」

「……」

「リギルで既に成功しつつあるグラスを、その状態で巻き込むのは怖くなっちゃってサ……グラスを呼ぶのは4人目が見つかってから、最後って言ったんだヨ」

「……」

「結局グラスを引き抜けるのはワタシだからって事で、ワタシの意見が通ったんだけどネ……あの時は結局どっちが正しかったのか、今から考えてみても答えが出ないんデスよ」

「……エルちゃんとウンスちゃんとヘイローちゃんはさ」

「うん」

「いつ頃まで、五人目を探していたの?」

「……スぺちゃんが来る直前まで」

「うわぁ」

「少なくともスぺちゃんが転入してくる二日前まで、グラス以外の三人はチームが決まっていなかったヨ」

 

スペシャルウィークは無言で首を上げて空を見た。

俯いたら泣きそうだった。

彼女はクラスメイトが自分を此処に呼んだ理由が分かってしまった。

次に質問が来るとすれば、それこそが本題になるだろう。

冬に入りかけた夜空の星を見ながら、スペシャルウィークは考える。

未だ明かされていない架空の問い。

スペシャルウィークの、その答えを。

 

「だから、スぺちゃんと戦う前に一つ聞いておきたかったんダー」

「……」

「もし、ワタシ達が初めて会った時……今と違うチームが出来かけててサ」

「……」

「ワタシと、グラスと、ウンスと、ヘイローが、貴女を其処に誘ったら……」

「……」

「貴女は、来てくれた?」

 

行っただろう。

考えるまでも無い事だった。

スペシャルウィークの学園転入は殆ど身一つの飛び込みだった。

クラスの事も、チームの事も、トレーナーの事も、レースの事も、全て後から知った事だ。

何も知らなかったスペシャルウィークに、学園で初めて声をかけて来たクラスメイトがエルコンドルパサーである。

サイレンススズカへの憧れだけは持っていたが、その為に何処で何をすればいいか、それを導いてくれたのはセイウンスカイやグラスワンダーだった。

キングヘイローはリギルの選考レースで一緒だった。

本当にあの時までチームが決まっていなかったのだ。

初めて臨む草レースでライバルの筈だった自分に親切にしてくれた。

そんな人達に誘われて乗らないはずがない。

彼女たちに選ばれたことが、自分を望んでくれたことが誇らしくないわけがない。

間違いなく、あの春……

新たなチームに誘われていたら喜んで其処に入った筈だ。

だからこそ……

 

「わ、わたし」

「……」

「す、スズカさんに、憧れてるしさ。あの時みたいな事故が、な……っなかったら、多分おっかけて、たとお、おもうんだよね」

「……」

 

実現しなかった可能性が魅力的だからこそ。

既に潰えた夢を断ち切ってやらねばならない。

スペシャルウィークにとって、誰に対しても自慢できる、この大切な友人がまっすぐ前に進めるように。

それは自分自身にも言える事だ。

聞いたことを後悔しそうな程、スペシャルウィークにとっても魅力的な夢だった。

エルコンドルパサーの中には結果論として、スペシャルウィークを待てなかった負い目があるのだろう。

しかしスペシャルウィークにとっても同様の引け目がある。

 

(後一週間……私が自分の意思で、最初の一歩を始めていたら……)

 

スペシャルウィークの夢の始まりは母が出してくれたトレセン学園編入願書。

決して自分の意思で踏み切れたわけではなかった。

後ほんの数日で良い。

自分の意思で夢を追いかけていれば、エルコンドルパサーの夢に寄り添えた。

終わった夢を聞いた自分でもこれほどまでに揺れるのだ。

短い期間ながら状況が許す限り、ギリギリまでその道を歩んできた彼女達にとっては更に思い入れが有るだろう。

だから、此処で絶つ。

それが間に合わなかった夢の最後のメンバーだった自分の役目だと思う。

感情があふれて声が震える。

しかし涙だけはこぼさないように耐えたスペシャルウィークは、その一言を吐き出した。

 

「だ、だから多分……私は、ち、違うチームを探していたと……思うんだ」

「……そっかぁ」

「う、うん。ごっ……ゴメンエルちゃん。ゴメンね」

 

泣きそうな顔で無理に笑おうとしたスペシャルウィークはくしゃくしゃになっている。

言葉よりその顔が何より雄弁な解答だった。

それでも、その口から紡がれた言葉は否定。

エルコンドルパサーは態度と言葉の二つから示される相反する意思をくみ取った。

そんなスペシャルウィークだからこそ、自分達は五人目に求めたのだろう。

誰が悪い訳でもない。

ただ、ほんの少し運と縁が遠かった。

 

「そっか、ありがとうねスぺちゃん」

「んぐっ、う、うん」

「それだけ聞きたかったんデース。それじゃ、私はそろそろ戻りマスけど……」

「折角だからもう少し、此処にいる」

「ん、風邪ひかないでネ~」

 

エルコンドルパサーはスペシャルウィークに懐中電灯を渡して寮に戻って歩き出す。

スペシャルウィークはその背が見えなくなるまで見送った。

やがて一人になったスペシャルウィークは大の字になって寝転んだ。

 

「ふぐぅ」

 

それは故郷の大草原でもやっていた事である。

少し背中は痛かったが、気にするほどのモノではない。

故郷よりも星が暗く、空が狭い東京の夜空。

 

「……お母ちゃん。私頑張ってる。頑張ってるよ……だけどさ」

 

人間の母と暮らした日々が懐かしかった。

その頃の自分にとって、夢を追う事は無限の可能性と同じだった。

自ら定めた道をどこまでも駆け抜けて行くことは、幸福と同義だと心から信じていられたのだ。

 

「夢を追うって、楽しい事ばっかりじゃないみたい」

 

エルコンドルパサーがどうして今、この話をしてきたのかスペシャルウィークには良く分かる

かつての夢を諦めて今の夢を追いかける怪鳥。

自分がどれだけ大切なものを捨てたのか、どれだけの覚悟を持って今の路線を選んだか。

それを言外に伝えて来た。

 

「凄いなぁエルちゃん。ウンスちゃんもヘイローちゃんも。こんな想いを抱えながら、皆笑ってくれていたんだね……」

 

エルコンドルパサーがこのレースに賭けてくるものの重さを初めて実感した。

だからこそ、そんな彼女に勝ちたいと思う。

しかし明確な意思を持って目的に直進する怪鳥と、クラシックとJCを行き来する事になったスペシャルウィーク。

その差がどれほど結果に干渉する事になるのだろうか。

いつの間にか右手は地の砂を握りしめていた。

そっと手を開いた時、小さな砂は風にさらわれて見えなくなった。

 

 

 

§

 

 

 

晴天に恵まれた東京レース場の10R。

第■■回ジャパンカップは左回り2400㍍で行われる国際競争のG1である。

出走予定時刻の15:20が近づき、ウマ娘が本バ場に入ってくる。

彼女は自分の控室に備え付けられたモニターでその様子を眺めていた。

地下道から一人、また一人と入場してくるウマ娘達。

実況による簡単な紹介を聞きながら、手元の資料でそのウマ娘の評判や近況を確認する。

粒ぞろいのレースになったと思う。

僅か二分半先の未来がまるで分らない。

だからこそ、レースは面白いのだが。

 

「さーて……私より早い子、いますかねぇ」

 

控室で薄っすらと笑んだ彼女の出番はこの次。

今はライバルに成らないからこそ純粋に応援できるのだ。

この中からそう遠くない未来、ドリームトロフィに出てくるウマ娘が現れるだろう。

再びこの国で夢の第11レースが回って来た時、戦う事になるかもしれない。

そう思った時、不思議な高揚感が彼女を包む。

 

 

 

『さぁ、ついにこの時がやってまいりました!

 

 

秋の国際競争、第■■回ジャパンカップ!

 

 

一番人気はなんと、今期のダービーウマ娘スペシャルウィーク!

 

 

菊花賞からの直行という厳しいローテーションですが、ファンの期待はこのウマ娘に集まりました

 

 

二番人気は春のグランプリウマ娘、サイレンススズカ! 

 

 

女帝エアグルーヴは屈辱の三番人気です!

 

 

そして殆ど差がない四番人気に六戦六勝不敗の怪鳥、エルコンドルパサーが入っています!』

 

 

 

スターターが台に上がる。

合図とともにファンファーレが響き渡る。

其処へ十万人を超える大観衆の合いの手が乗った。

エルコンドルパサーは物理的な圧力すら感じる音の壁に息を吐く。

 

「もう少し静かにファンファーレ聞かせてくれませんかネ~」

 

そう思うこと自体が集中できていないという事だろうか。

隣のゲートに入る予定のサイレンススズカも少し嫌そうにしている。

目が合うとそれぞれ同じことを思っていた事を察し、苦笑を交わす。

 

「ウマ娘は大きな音があまり得意じゃない……知っていると思うのだけれどね」

「学園でライブの音響に耐えるのが必須科目ですもんネ~」

「……あ、あの子驚いてる」

「海外の子ですネ~……こういうのって、あっちじゃ珍しいのカナ?」

「どうかしら……今日ここで勝ったら次はアメリカだから、私が見てきてあげる」

「そんな事で先輩にご足労かける訳には行きまんヨ。今日勝って、ワタシがフランスを見てきてあげマース」

 

苦笑から不敵な笑みを交わし合った二人。

 

「良いレースをしまショ」

「ええ。お互いに頑張りましょう」

 

奇数番号のエルコンドルパサーが先にゲートに入れられる。

特に嫌いではないが、あまり長居したくない。

息を吐きながら他のウマ娘達のゲート入りを待つエルコンドルパサー。

その耳に実況が聞こえてくる。

 

『――体勢完了となりました!

 

 

僅か二分三十秒足らずの死闘

 

 

その先に笑っているウマ娘は誰なのか

 

 

第■■回ジャパンカップ――

 

 

 

 

――スタートしました!』

 

 

 

好スタートを切ったのは六枠十一番のエルコンドルパサー。

しかし七枠十二番のサイレンススズカもほぼ同等のスタートを切った。

ゲートでは隣同士。

半瞬二人の目が合った。

次の半瞬で、サイレンススズカはエルコンドルパサーの半歩前を走っている。

 

(はやっ!?)

 

サイレンススズカのスタートが早い。

静止状態から最高速度に乗せるのが早い。

そして当然、トップスピードも早い。

戦術を身体能力で捻り潰す天性の優速がサイレンススズカを押し上げる。

エルコンドルパサーがサイレンススズカと戦うのはこれが二度目。

前回はレース序盤を研究の為に手控えると決めていた。

しかし今回はその心算はない。

エルコンドルパサーは意識して高めのギアを使う心算で速度を上げる。

距離を考えるとかなり苦しいが、それで一旦釣り合った。

 

(早めに競る展開にしたいデース……後になればなるほどワタシが辛いっ)

 

サイレンススズカの弱点。

それは魂と身体の折り合いが悪い事。

コメットでシルキーサリヴァンから教えを受けているエルコンドルパサーにはよくわかる。

ウマ娘は身体だけで走っていない。

受け継いだ異世界の魂とシンクロする事で本来の能力を発揮できるのだ。

そして魂には万別の性格があり、簡単に矯正出来るものではない。

だから今回も競りかければ掛かると思う。

しかし誰も来る気配は無かった。

理屈は知らずとも、毎日王冠で自爆するスズカは他のウマ娘も観ている筈なのに。

 

(皆さん人任せにしすぎじゃないですかネ~)

 

 

 

『好スタートからハナを切ったのはやはりこのウマ娘サイレンススズカ!

 

 

一バ身でエルコンドルパサーが追いかける展開で第一コーナーに入ります!』

 

 

 

大歓声と共に最初のコーナーに差し掛かったエルコンドルパサーは、一度後方を確認する。

コーナーの角度を使ってのチラ見。

見えたのはバ群の後ろ半分といった所か。

それより前はコーナーに侵入を果たしていたために見えなかった。

 

(エアグルーヴ先輩はいたネ~。後ろから……スズカ先輩が差せるのか? スぺちゃん見えなかったからバ群の前の方として、最悪ワタシの後ろカモ?)

 

高速で駆け抜ける中、頭の中で見えた情報を整理する怪鳥。

そして再びスズカに目を向けた時には三バ身の差にあけられていた。

 

(だから早いっテェ!)

 

内心悪態をつきながら落ちたペースを引き上げる。

先程はこの快速ウマ娘を放置する他人に苛立ったが、もしかしたら違うのかもしれない。

春にマイルでシルキーサリヴァンやシーキングザパールと併せていた自分ですらコレなのだ。

誰も手の届かない異次元の逃亡者。

疲労の少ないテンで上回る事が出来るウマ娘が、中距離にはほぼいない。

 

(やっぱりこれに引っ掛けたシルキー先輩はスゲェ……ワタシに同じことは出来ないネ。ワタシに出来るのは……)

 

 

 

『先頭サイレンススズカ!

 

 

やはり逃げます!

 

 

他のウマ娘をグングン離すっ

 

 

二番手は三バ身程開いてエルコンドルパサー!

 

 

ダービーウマ娘スペシャルウィークはバ群の先頭から前二人を伺います!

 

 

バ群の内の方ではトキオエクセレントと此処にキンイロリョテイ!

 

更にユーセイトップランとこの辺りは固まりました!

 

 

最後方からエアグルーヴとシルクジャスティスといった隊列です!

 

 

 

先頭に戻りましてサイレンススズカ!

 

第二コーナーに回って1000㍍の通過タイムが58秒!

 

 

やはりこのウマ娘のペースになった第■■回ジャパンカップ!

 

 

物凄いハイペースになろうとしていますっ

 

 

三バ身で追走するエルコンドルパサーもかなり速いペースでしょう!』

 

 

 

ハイペースで逃げるサイレンススズカと追撃するエルコンドルパサー。

怪鳥は春にサイレンススズカと戦って来たウマ娘の気持ちを知った。

ひたすら無理をすれば届かないことは無い。

しかし行ったら潰される。

誰かに突っ込んで欲しいと思いながら、誰も行かないうちにレースが終わってしまう。

行ったら貧乏くじを引くとの共通認識も正しいだろう。

 

(だけどこれっきゃないデショ?)

 

エルコンドルパサーは第二コーナーを抜けた所で最後に後ろを確認する。

10バ身以上後方。

バ群の先頭にスペシャルウィークの姿が見えた。

 

(この人に勝とうと思ったらもう、この人より前に出るしかない)

 

視線を前に戻せばサイレンススズカが遠くなっている。

既に五バ身程になっただろうか。

分かっていた事だから今度は驚かない。

意識は全て前方へ。

狙う獲物は春のグランプリウマ娘。

彼我の距離は僅か10㍍強である。

 

(サァ……勝負デース!)

 

向こう正面に入った所で魂の手前を変えたエルコンドルパサー。

切り札を一つ使って現状の最大加速でサイレンススズカに襲い掛かる。

スズカが息を入れた事も有り、5バ身の差は瞬く間になくなった。

 

 

 

『エルコンドルパサーが此処で仕掛けた!

 

 

向こう正面の半ばでもうサイレンススズカに並びかける!

 

 

スタンドからは悲鳴か! 歓声か!?

 

これは――あぁ! しかしサイレンススズカ抜かせないっ

 

 

 

向こう正面直線で二人のウマ娘が鍔迫り合いっ

 

後続をさらに突き放して緩める気配が全くない!

 

 

サイレンススズカとエルコンドルパサー!

 

ぴったり寄せ合って叩き合い!

 

 

 

まだレースは半分も残っています!

 

これはどうなんだ!?

 

果たして最後まで持つのかどうかっ』

 

 

 

サイレンススズカと並んで直線を駆けるエルコンドルパサー。

走路は互いの足が半歩離れた至近距離。

下手をすれば腕が当たる程身を寄せ合った叩き合い。

サイレンススズカの口元には小さな笑みが浮かんでいる。

エルコンドルパサーにも同様の笑みがある。

最高の舞台で最高の相手。

そして最高のシチュエーション。

 

(……年下に競られて引いたら格好悪いわよね)

(此処で引いたら格付けが決まっちゃうカナー)

 

エルコンドルパサーが抜きかければサイレンススズカが差し返す。

その様子には毎日王冠の反省など欠片も伺えない。

 

(少しは控えようって気になりませんかネェ普通! この人、実はアホなんデース!?)

(もう少しソラちゃんが付き合ってくれれば完成していたんだけど……でも要するに)

 

サイレンススズカは走りに関しては非常に我の強いウマ娘である。

競られた時でも上品に魂と折り合って走る心算など最初からない。

毎日王冠では確かに其処を弱点としてさらけ出した。

見られた以上狙われるだろう。

ならばどうするか。

 

(掛ったまま、2000でも2400でも走り切っちゃえば良いのよね!)

(菊の前ウンスが病んでたのはこれか! あいつこれに付き合ってたんだ)

 

後続を20バ身以上引き離して第3コーナーに突っ込む先頭二人。

此処でスズカが前に出る。

走力の優劣ではない。

内と外に存在する距離の差だった。

ほんの僅か、ウマ娘一人分外を回らされるエルコンドルパサー。

しかしスズカの方も自滅寸前のハイペースである。

同じように走って来た二人はほぼ同じタイミングで息を入れる。

激闘のさなか、僅か10秒前後の空白。

スペシャルウィークを初めとしたウマ娘達も、明らかにペースを落とした先頭を捕まえに来た。

二人の耳に届くバ蹄の音が近くなる。

東京レース場のスタンドを埋め尽くす観衆の声が押しつぶす様に降ってくる。

 

(歓声は……まだ良いんデスけどぉ)

(他人のバ蹄の音って嫌いなのよね)

 

エルコンドルパサーとサイレンススズカはこの時、二つの思考で一致した。

一つは大きな音は好きじゃないと言う事。

二つは自分に勝つなら相手のみと言う事。

 

(此処まで追い詰めたんデスよっ、私が、この凄い先輩をっ)

(様子見しながら人の首を狙う様な貴女達には……あげない)

 

最終コーナーに差し掛かった所でエルコンドルパサーがもう一度手前を変える。

隣を走るスズカも同じことをしているだろう。

魂に引っ張られ、少しだけ脚が楽になった。

だが上がりきった息が戻らない。

後続との差は10バ身を割っている。

どれ程の余裕があるのかは分からないが、少なくとも自分達より脚は残しているだろう。

しかしそれでも……

 

「貴女に勝って、私はアメリカに行くわ!」

「先輩を倒して凱旋門を獲りに行きます!」

 

 

 

『東京レース場の長い直線に二人だけが入って来たっ

 

 

10バ身程遅れてスペシャルウィーク

 

 

 

先頭サイレンススズカ!

 

並んでエルコンドルパサーも殆ど差はありません!

 

 

 

流石に後続が詰めて来たエアグルーヴとキンイロリョテイ!

 

 

あっという間にスペシャルウィークを捉えて三番手に躍り出たっ

 

 

外から一気にシルクジャスティスも突っ込んでくる!

 

 

 

残り400㍍を切って前の二人がまだ先頭!

 

エルコンドルパサーとサイレンススズカ!

 

 

エアグルーヴが詰めてくる!

 

キンイロリョテイはやや後退っ

 

代わってスペシャルウィークが巻き返す!

 

 

 

もう一度上がって来たスペシャルウィークがエアグルーヴを捉えるか!?

 

 

残り200㍍!

 

粘るサイレンススズカとエルコンドルパサー!

 

エアグルーヴがさらに足を伸ばして後3バ身!

内からスペシャルウィーク外はシルクジャスティスも頑張って追ってくる!

 

しかし追い足が鈍ったか!?

 

 

 

先頭サイレンススズカとエルコンドルパサー! 

 

レース半ばから此処までぴったり競り合う両者が譲らない!

 

もうこの二人なのか!?

 

 

エアグルーヴが伸びる! まだ詰めるっ

 

後一バ身だが残り100㍍を切った!

 

 

 

 

 

 

 

 

―――届きません!

 

 

これは前二人が残ったか!

 

サイレンススズカが!

エルコンドルパサーが!

 

 

今っ

 

全く並んでゴールインっ

 

 

見た目は殆ど同時でしたっ

恐らく此処は写真判定になるでしょう!

 

三着は1バ身半でエアグルーヴ!

 

一番人気のダービーウマ娘スペシャルウィークは4着入線となっておりますっ

 

 

 

第■■回ジャパンカップ!

 

優勝者はまだ分かりませんっ

 

 

何時ものように逃げに出たサイレンススズカ

 

しかし向こう正面1200㍍過ぎで早くもエルコンドルパサーが競りかけました

 

 

そのまま両者が一歩も譲らず、終わってみればマッチレース!

 

エアグルーヴの猛追もあとわずか、届きませんでした―――あっ

 

 

今判定が出た模様!

 

勝ったのは⑪番!

 

長い長い叩き合いの決着はエルコンドルパサーに軍配!

 

 

不敗の怪鳥!

 

 

ジュニアCクラスにして世界の舞台で勝利しました―――』

 

 

 

控室のモニターで一部始終を見ていた彼女は万感の思いで手を叩く。

このレースを見ていた大観衆と同じ思いを、少しでも味わえるように。

 

「……終盤で明らかに前二人も疲れていたんだけど、後ろも殆ど潰されちゃってたか」

 

モニターの向こうでは勝利したエルコンドルパサーと敗れたサイレンススズカが健闘を称え合っている。

この二人はどちらにとっても気持ちの良いレースだったろう。

見ていてもそれは感じられた。

しかし悔いを残すウマ娘もいた。

本日の一番人気だったウマ娘はターフに崩れ落ちて号泣している。

カメラは歓声と実況の声が大きく、そのウマ娘の声は聞こえない。

スペシャルウィークは拳を芝に打ち付け、震えたまま顔を上げることが出来ないでいた。

レース場に詰めかけたファンにとって、直接戦ったウマ娘達にとって、それは初めて見るスペシャルウィークの姿だった。

 

「……気持ちだけは本気だったのね、あの子」

 

本気で、真剣にこのレースに勝とうとした。

しかし資料ではかなり厳しいローテーションでの出走である。

その心は折れずとも、身体が先に力尽きた。

悔しいだろうなと彼女は思う。

それは痛いほど理解出来た。

此処でもう一度勝者のプロフィールを確認する。

 

「クラシックを捨てて、このレース場で一戦叩いて本番ね……」

 

エルコンドルパサーがどれほどこの一戦に賭けていたか、選んだ道が雄弁に物語っている。

それほどの準備をして此処に臨んだのだ。

かつての彼女と同じように。

気持ちだけで覆すには高すぎる壁だったに違いない。

泣き崩れるスペシャルウィークの前に一人のウマ娘が立った。

彼女の記憶違いでなければ、それは三着のエアグルーヴ。

そのウマ娘はスペシャルウィークを抱えるように立たせる。

そしてきつく抱きしめながら耳元で何かをささやいた。

エアグルーヴはスペシャルウィークの手を取って、共に地下道へ引き上げていった。

そんな光景を感慨深げに見守っていると、控室の扉がノックされる。

 

「どうぞ?」

「まだ此処にいるのか、君は」

「あら、その声……オグリか。久しぶりじゃない」

 

開かれた扉の前に立っていたのは、彼女の顔見知りであるオグリキャップ。

この後の11Rではライバルになるウマ娘である。

 

「良いレースだったわねー。さっきの、見たでしょう?」

「見た。少し出来過ぎだったという印象もあるが……」

「そうね。メンバーが良かったのかな? 前の二人は競りながらお互いの限界超えて行った感じだし、追撃する方も死に物狂いで」

「それぞれに何か、胸に秘めたものがあった。それが彼女らの成長力を引き出した……出来過ぎというのは言葉が悪いか。しかし、若いうちにしかあんなレースは出来ないだろう」

「あら、老け込むのは白髪だけにしておきなさい?」

「……葦毛だ」

 

憮然として黙り込んだオグリキャップ。

その鼓膜を含み笑いが優しく叩いた。

ライバルをからかった彼女は上掛けを脱いで勝負服になる。

 

「それじゃ、若い子に負けないように頑張って走りましょうか」

「これほどの好勝負の後だ。生半可なレースでは、ファンの期待に応える事は出来ない」

「そうね。気合入れなきゃ」

 

彼女は自分を迎えに来たライバルに礼を言いつつ立ち上る。

ついつい中継に見入っていた身体が少し硬い。

返しウマでは入念にほぐす必要があるだろう。

 

「それじゃ、久々の東京レース場だから。エスコートをお願いねオグリ」

「分かった。行くぞ」

 

オグリキャップに続いて控室を出たウマ娘。

物珍しそうに会場を見ているその姿は、とてもこのレースのレコードホルダーのモノには見えなかった。

 

 

 

§

 

 

 

『国内の勝負付けは、済みましたヨ』

 

京都レース場スタンド前。

メイショウドトウとハードバージはそれぞれに私物のスマホで東京レース場の実況を確認していた。

 

「あのぅ……これは良いんでしょうか?」

「またちょっと荒れちゃうかもねー……エルちゃんだから脇が甘いっていうより、知った事かって感じなんだろうけど」

 

エルコンドルパサーが優勝したジャパンカップではウィナーズサークルでのインタビューが行われている。

今の心境やレース中の回想。

それら一種の通過儀礼が終わると、次の質問は次走の予定。

ファンと関係者は当然、本日をもって七戦七勝となった不敗の怪鳥が年末の有馬記念に出てくることを期待していたのだろう。

此処で求められていた解答は、有馬記念への出走表明と力強い勝利宣言だったに違いない。

しかしエルコンドルパサーの応えは明確な否定。

そして雪解けを待っての渡仏と、予定通りの凱旋門賞への挑戦だった。

インタビュワーが引きつったように有馬記念と来春の日本での出走予定を直接確認している。

それに対しエルコンドルパサーは直線の短い中山の2500は、凱旋門賞のステップとしては不適格である事を丁寧に説明していた。

 

『今年日本で一番強いウマ娘を決めるなら、それは有馬記念だって思いますケド~。ワタシの夢に必要なのは其処よりもジャパンカップの勝利でしタ。それが済んだら、国内のテストマッチをダラダラ続ける気はありませんヨ』

 

最も、理屈以前の問題でエルコンドルパサーが有馬記念に出ない事を残念に思う層はいるだろう。

今日は彼女が勝者だからこそ直接の不満は出ない筈だ。

しかし一か月後の有馬記念が近づけば、その気持ちは形を変えてエルコンドルパサーを攻撃するかもしれない。

 

「まぁ、ファンに対してはまだ良いんだけどさぁ。有馬の先だってエルちゃんは走るから、凱旋門賞に続く夢を見せていけば必ず掌を返してくる。面倒なのはレース関係者とかお偉いさんの心象なんだよね……いや、ファンよりそっちを気にするのはおかしいんだけど、実害があるのはそっちだからねー」

「えっと……レース関係者の方も、エル先輩が有馬に出ないと困ってしまうんですかぁ?」

「凄い困ると思う。絶対この後本人と、私の方に出走依頼が来る……胃が死ぬ……」

「でも、これだけの死闘の後ですし……体調から回避するのは選択としては致し方ない所もあるんじゃないですか?」

「勿論連中にはそう通すけど……エルちゃんはジュニアCで在りながら、既にGⅠ二勝なんだよねー。此処に有馬まで獲ればGⅠ三勝……もしそうなったら、来年頭のWDTが現実的になるんだよ。おあつらえ向きに無敗だし」

「あぁ……」

「エルちゃんが其処に出るだけで、お客さんの入りが変わってくるだろうね。そりゃ向こうも必死だと思うよ? 有馬記念勝利を前提としたWDTの内定とか、遠征費の助成とかそういう事でこっちに干渉しようとしてくるはず……うちと同じ規模のチームで、うちじゃなかったら首にひもをかけられていただろうね」

「お金は……困っていないですからね。うちは」

 

コメットは今春にエルコンドルパサーが加入するまでチームとしての人数が足りていなかった。

これで国内のレースは出走が難しくなるのだが、海外に自費遠征すれば関係ない。

当然そんなに簡単な事ではないのだが、年長組はアメリカと欧州では黒字を出す程度の成功を収めている。

特にシルキーサリヴァンは母国の人気と強さからBCやアメリカのドリームレースの常連であり、今年に至ってはペガサスワールドカップまで勝鞍に入れた。

エルコンドルパサーと帯同ウマ娘、もしくはトレーナーを半年以上フランスに遠征させる費用は凄まじい高額になる。

それを自チームだけで賄うことが出来る所はトレセン学園内にも多くないが、コメットにはその資金力がある。

 

『そうですネ! やっぱりトレーナーさんの指導によるところが大きいと思っていマース』

 

エルコンドルパサーのインタビューはまだ続いているが、お決まりのヨイショが始まった事でハードバージはスマホから顔を上げ、目の前の現実に逃げ込んだ。

 

「まぁ、今は気にしても仕方ないかな。帰ってから考えよう」

「はぁーい」

 

間延びしたドトウの返事に頷くハードバージ。

コメットのトレーナーは返しウマの様子を確認する。

念入りな柔軟をしてから脚を温める程度に流すシルキーサリヴァン。

細かい切り返しを確認しているらしいシーキングザパール。

並のウマ娘なら疲労する程に速いマイペースでトラックを回るマルゼンスキー。

静止状態からの加速を本番さながらの迫力で繰り返すタイキシャトル。

他のウマ娘達もそれぞれに動いてコンディションを確認している。

 

「当たり前ではあるんだけど、遅そうな子って居ないねぇ」

「それは……マイルのGⅠレースですから」

「此処にいたのかハードバージ」

「お?」

 

突然かけられた声にハードバージが振り向くと、其処には二人のウマ娘の姿があった。

メイショウドトウは見知らぬ顔を怖がってトレーナーの後ろに隠れる。

 

「遅いじゃない……来ないのかと思ったよー」

「来ないわけがないっての! あのにっくきマルゼンスキーがついに敗北する日なんでしょ?」

「え、いや……私のチームで、私達の同期が戦うとしか言ってないんだけどー」

「では、お前はトレーナーとして、勝ち目のないウマ娘を此処に送ったという事か?」

「違うけど……」

「それなら問題ないじゃないか」

「そうだけどさぁ」

 

ハードバージは深い息を吐きながら、背中に隠れたドトウに二人のウマ娘を紹介する。

 

「あー……別に負け犬の名前なんか覚えなくても良いんだけど一応紹介しとくねー。あっちのチャラいのがラッキールーラ。私達の世代のダービーウマ娘」

「初めましてお嬢さん。良い斤量をしているねーハードバージ以上? それはないか」

 

軽薄な様子で身体の一部を見つめられたドトウはトレーナーの背後で小さくなっている。

ハードバージが半眼で睨みつけると同時に、もう一方のウマ娘がラッキールーラを小突く。

 

「こっちの背が高い男女はプレストウコウ。同期の菊花賞ウマ娘だよ」

「初めましてお嬢さん。私の同期が、いつもお世話になっております」

「あ、いえ……こちらこそ」

 

背の高いウマ娘は腰を深く折ってメイショウドトウに頭を下げる。

年上のウマ娘からの丁寧なあいさつに面喰うドトウ。

ハードバージとラッキールーラは顔を見合わせた。

 

「しまった、チャラいのはこっちだったかー」

「こうやって若い子たぶらかしていたんだねー」

「本当に失礼だな君たちは」

 

同期達の不本意な評価に顔をしかめたプレストウコウ。

しかし口に出したのは抗議ではなく、確認だった。

 

「それで、私達の世代の生き残りは誰なんだ? こう言っては何だが……ウマ柱でシルキーサリヴァンとあったが顔が思い出せん」

「そうそう。しかも4番人気とか結構じゃん」

「シルキーはあの赤いのだよ。まだ日本の中央じゃ六戦しかしてないの……うち二走は今年に入ってからだしね」

「よく上がって来たものだな……遅咲きも良い所じゃないか」

「いや、最初から主戦場をアメリカって定めていたんだよ。故郷に籍を残したまま、良い設備のトレセンを使うために留学してきた変わり者で……」

「……あ! いたよあいつっ、マルゼンスキーのデビュー戦!」

「知っているのか?」

「直接は見てない。でも後からマルゼンスキーの資料集めてたら、ビデオに入ってた……DVDに焼くの忘れてたからもう見れないんだけど」

「貴重な資料を……」

「大丈夫。脳内には焼き付いてるから」

「……で?」

「ビデオだと完全に見切れてる所からあっという間に先頭に並んでたんだよ。あれに競りかけられたから、マルゼンスキーも応戦して大惨事になったんだもん」

「マルゼンスキーのデビュー戦については話にしか聞いた事がなかったが……よくもまぁ、そんなウマ娘を捕まえたな」

「捕まえたというか、捕まったというか……面倒見が良かったからね、彼」

「彼?」

「いや、彼女か」

 

不思議そうに首を傾げる同期に、咳払いして言い直すハードバージ。

ラッキールーラとプレストウコウは返しウマにいるシルキーサリヴァンを注視する。

非常に高い身長だが、女性的には恵まれたスタイルであり色々と走り難そうである。

表情もベテランらしく落ち着いており、見た目だけなら深窓の令嬢と言われても納得する容姿。

プレストウコウのような中性的な見た目ではない為、彼と呼ばれているとすれば違和感があった。

 

「あれー! なんか見た顔がいっぱい」

「んな!?」

 

シルキーサリヴァンを目で追っている間に、マルゼンスキーに接近されていたハードバージ達。

本日一番人気のウマ娘はニタニタと嫌な笑みを浮かべながら、前列にいる一行に寄って来た。

 

「なぁになぁに? 今日は同窓会でもあるの?」

「ある意味ではそうかもねー……」

「っふ、お前が年貢の納め時と聞いて、居てもたってもいられなくなった」

「わざわざ海外から来たんだぞー」

「へぇ……で、あんたたちの本命は誰だって? 優しいマルゼンスキー様が聞いておいてあげようじゃない」

「ふむ」

「うーん」

 

プレストウコウとラッキールーラは互いに顔を見合わせる。

そして次にハードバージとマルゼンスキーの顔を交互に見る。

 

「やっぱり無理な気がしてきた。自信満々のハードバージは消しの法則って同期の常識だよ」

「……そんな気がしてきたな。こうしてマルゼンスキーを目の前にすると、また歯ぎしりしながら彼女が勝つのを見ている自分が容易に想像できる」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう」

「君達……せっかく呼んだんだから私のチームを応援してよ」

「あら、ハードバージが集めたわけ?」

「そりゃあね」

 

ハードバージはここしばらくの私用を思い出して疲れ切ったように肩を落とす。

この日、自分達の最後の同期がマルゼンスキーと一つの決着戦に臨む。

それはハードバージの悲願であり夢だった。

今日それが叶うのだ。

かつてのライバル達と共にそれを見たいと望んだハードバージは、なけなしの行動力で連絡を付けた。

海外でトレーナーをしているらしい事は知っていても、連絡先も分からない元同期を探し出すのは本当に苦労した。

 

「私は条件戦でもたもたしていたからさ、君とシルキーのデビュー戦も他人事じゃなかった。そこで出る未勝利ウマ娘が、私のライバルになるんだもん」

「……」

「見ていたんだよ。凄い速さで駆け抜けていく君と、もっと凄い速さで追い上げていくシルキーを」

「……」

「運が良かったのか、悪かったのか……いや、多分良かったんだろうね」

 

ハードバージは一度プレストウコウの顔を見た。

 

「私は君と一度も対戦することなく現役を終えた。その後は……いろいろ寄り道もしたんだけど、君の悪い噂を聞くたびに、私は罪悪感に震えていたよ」

「私は走っていただけだからね?」

「そうだね。私達が弱くなくて強かったら、君が一人で加害者みたいに言われなくてよかった。かといって君まで弱かったら、私達は全員名前も残らずに、皆から忘れ去られていたと思う」

「……」

「なんとかしたいって、ずっとずっと思っていた。でも私達じゃ届かない。誰なら届くかって考えた時、君の首に手をかけたウマ娘がいた事を思い出した。今思えば、あれは君にとって最初で最後の苦戦だったはずだから」

「……」

「君は中央のターフで長い間走って来た。私達が引退してから、怪我にも苦しみながら、出走数は減ってもずっと現役でいてくれた。だから今日、私の夢がかなうんだよ。君に勝てる可能性がある最後の同期が、此処で君と戦うんだ……結果は、どうなるか分からないんだけど」

「……私がぶっちぎって終わりに決まっているじゃない」

「そうなるかもしれないね。でも分からないよ? 君だってそう思ったから、此処に来たはずだ」

「……」

「スプリンターズSに君が飛び込んできたとき確信したんだ。今年の秋こそ私の夢が実現するって。シルキーと君がもう一度、あの時みたいに戦う所が見れる」

 

ハードバージは一つ息を吐いて目を閉じる。

胸中に過るのは自分の夢を形作る全てのピース。

直接戦うシルキーサリヴァンが居る。

その対面にはマルゼンスキーが居る。

中央の重賞に出るために必要なチームと、所属してくれた仲間達が居る

そしてトレーナーになったハードバージ自身も、今日を迎えるにあたって不可欠な1ピース

自分達の誰一人欠けても今日は無かったのだ。

その事実を噛み締めて目をあけた。

 

「代理になってしまって申し訳ないんだけど、私のチームで私達の同期が、今日君と戦うんだ。トレーナーとして君に挑戦出来るめぐり合わせに感謝してる」

「……あんたが育てたって訳でもないでしょうに」

「虎の威を借りないと君の前にも立てない私を、笑っても良いよ」

「……良いわ。あの赤いのをもう一度、私の前に連れて来た事に免じて笑わないであげる」

「……」

「貴女の夢なんか木っ端みじんにしてやるんだから、そっちの二人みたいに歯ぎしりしながら、私が勝つところを見ていなさいよ」

「……それじゃ何時もと同じなんだよねぇ」

「あら、応援してくれてたのね」

「勿論だよー? 同期でしょ」

 

照れくさそうにたじろいだマルゼンスキー。

其処へ係員が返しウマの終了を告げ、ゲート入りを促しに来た。

同期達の顔をもう一度目に焼き付けたマルゼンスキー。

振り向いた時、赤いウマ娘と目が合った。

 

 

 

§

 

 

 

『秋晴れに恵まれました京都レース場

 

 

遠い東の戦場では華やかな国際レースが行われている事でしょう

 

 

しかし西の戦場も、それに劣るものではありません

 

 

若い世代の躍進が際立つ今年の秋ではありますが

 

 

此処に集ったウマ娘達は、歴戦のシニアクラス達

 

 

実況席から見渡しますと、スタンドに詰めかけたファンの中にも先達の方々が大勢いらっしゃるように思われます

 

 

長年に渡り走って来たウマ娘と、それを見守って来たファンの晴れ舞台

 

 

第■■回マイルチャンピオンシップ

 

 

 

一番人気は今秋、突如スプリンターズSに乱入を果たしたマルゼンスキー

 

この春より帰って来たマイルの女王、タイキシャトルは二番人気

 

そのライバルとして幾度も好勝負を演じたシーキングザパールが三番人気と続きます

 

前走の毎日王冠で三着に入りましたシルキーサリヴァンは四番人気です――』

 

 

 

シルキーサリヴァンがゲート前に向かう。

一度トレーナー達が居る方を見れば、マルゼンスキーと何か話しているのが見える。

ハードバージの後ろにはメイショウドトウが隠れていた。

その横には二人のウマ娘の姿がある。

 

「……あぁん?」

 

シルキーサリヴァンの記憶は二人の容姿に見覚えがあると訴えて来た。

しかし何処で見たのかは思い出せない。

本格的に記憶を辿ろうかと思ったが、すぐに無駄だと切り捨てた。

もうすぐレースが始まる。

マイルCS。

京都レース場の右回り1600㍍。

時間にして僅か90秒そこそこの死闘。

一つ息を吐いて意識のチャンネルを切り替えた。

気の良いチームの兄貴分ではない。

それは全てのライバルよりも早く走るという競走馬の本能である。

異世界の魂と共に記憶の欠片まで受け継いでいるシルキーサリヴァン。

心の深い所から湧き上がってくる力を感じる。

その力こそがウマ娘と人を明確に分けるのだ。

歩みを進めるシルキーサリヴァンの元にマルゼンスキーが寄ってくる。

 

「へぇ、やる気満々じゃない」

「マルゼンスキーか……久しぶりだなぁ」

「そうねー」

「正直お前ともう一度当たる事になるとは思っていなかったぜ」

「まぁ……言いたい事はいろいろあるんだけど、悪かったわね」

「なんだよ」

「安田記念の後さ、あんたが電話してる所に鉢合わせちゃったのよね」

「なんだ、おめぇ聞いていやがったのかよ」

「そ。あくまで事故だけど」

「……お前が此処に来たのは、そのせいか?」

「そうよ。気に食わないから殴りに来たの」

「……お前はそういう資格があるよな」

「でしょう? 何よ若い子のお尻ばっかり追っかけてさ。あんたシャトルちゃんと勝ち負けする前に、私に借りを返すのが先でしょうが」

「そいつぁ失礼したなぁ」

 

シルキーサリヴァンは口の端をつり上げて薄く笑む。

マルゼンスキーは至近距離から放たれる殺意にも似た闘争心に背筋が震える。

それは怯懦ではなく歓喜からくる反応だった。

 

「眼中に無かったもんでよぅ」

「だろうと思ったわクソ野郎」

「俺様のいねぇ所で随分勝ってきたらしいじゃねえか」

「あんたが私の居ない所で白星漁っていたんじゃない」

「デビュー戦で偶々逃げ切ったからって、何時までも上にいるつもりになってんじゃねえぞ小僧」

「実際上なんだから、誰はばかることなく言いまわるに決まってるじゃない。負けっ放しの坊や」

 

ヒートアップしていくチームメイトを遠巻きに見るパールとシャトル。

犬猿の仲の二人だが、思わず顔を見合わせた。

 

「Hey,パール。アレ止めないの?」

「あそこに入って行ったら怪我するわよ。こういう時こそあんたの腕力が役に立つんじゃない?」

「GrandmaもDarlingも楽しそうだから、良いんじゃないかなッテ」

「今にも乱闘始めそうなんだけど……」

「係員が止めるデショ。その為にいるんだし」

 

タイキシャトルがそう言った時、係員がシルキーサリヴァンとマルゼンスキーを遠ざけた。

勇敢な事だと思う。

膝が笑っておらず、五人掛かりでなければだが。

 

「今は、余計な体力使いたくないヨ」

「そうね……」

 

深く吸って深く吐く。

その一呼吸で、二人のウマ娘も思考と意識を切り替えた。

 

「それじゃ、お先ニ」

 

タイキシャトルがゲートに入る。

その背中を見送ったシーキングザパールがもう一度チームメイトの様子を確認する。

先程までは荒れていたようにしか見えなかった。

しかし今は何事もなかったようにゲート入りしている。

マルゼンスキーも同様だった。

 

「……狸め」

 

歳を喰ったウマ娘はこれだから怖い。

自分もゲートの前に立つシーキングザパール。

此処に入ったらゴールまで、約90秒間は全ての他人が敵になる。

 

「良いわね……この感覚」

 

この瞬間が一番自由な自分になれる。

出来れば長く味わいたい。

そう思っていると、係員にゲート入りを促された。

仕方なく指示に従うパール。

 

 

 

『かなり興奮気味でしたが、マルゼンスキーとシルキーサリヴァンは無事ゲートに入りました

 

タイキシャトルもスムーズにゲートイン

 

シーキングザパールはやや嫌がっているでしょうか

 

係員に促されて、ようやくゲートに入ります――

 

 

 

――体勢が整いました

 

 

第■■回マイルチャンピオンシップ

 

 

今――

 

 

スタートしました!』

 

 

 

殆ど差のないスタートから、一つ抜け出したのはマルゼンスキーとタイキシャトル。

しかし叩き合いにはならなかった。

身体を寄せられる前に余力を切って前に出たマルゼンスキー。

 

(早いねGrandma!)

(実戦であんたの横につく気はないわよ)

 

横軸にならんでの競り合いにしてしまえば、さりげなく当たりに来るだろう。

練習ならばともかく、レースではタイキシャトルも遠慮はしない。

だからこそ並ぶつもりはない。

タイキシャトルはマルゼンスキーに油断がない事を知ると、僅かに走りのギアを下げる。

 

(出来れば開幕で退場して欲しかったんだけどナー)

(確実に初っ端潰しにきてたわこの子、こえー……)

 

背中に冷たい汗を感じながら先頭を走るマルゼンスキー

少々下げてバ群の先頭に落ち着いたタイキシャトル。

シーキングザパールはバ群の中団に入って足を溜める。

そしてバ群の最後方からシルキーサリヴァンが徐々に取り残されていく。

 

(マルゼンスキーを此処から捉えるのは苦しい……そう、分かっちゃいるんだがな)

 

シルキーサリヴァンは少しずつ遠ざかるバ群を見ながら苦笑する。

このウマ娘の魂に刻まれた走りの型は、極端なまでの追い込みだった。

彼女はなぜかつての自分がそのような走りをしたのか覚えている。

それは身体に科せられた枷から来たもの。

脚と気管にハンデを抱えた上で勝つために選んだ事。

此処では前世と同じ轍を踏まない様に注意した。

今のシルキーサリヴァンであれば、差しだろうが先行だろうがこなして見せる自信はある。

しかし結局、選んだものはこのスタイル。

 

(昔は仕方ねぇと知っていたんだ。俺には此れしかねぇ……これでしか勝てねぇと分かっていた)

 

人のような身体を得てかつての自分を思い出せば、動物にしてはかなり頭が良かった方だと思う。

人が作った競馬という理は分からずとも、自分に課せられた使命とその為にすべき事を考えることは出来たのだから。

しかしシルキーサリヴァンは、今の自分が頭の良いウマ娘だとは思っていない。

前世と違って余計な事を考えるようになってしまった。

同期の事、チームの事、後輩達の事。

走る事に対して、今の自分は昔ほど純粋ではなくなった。

 

(それでも俺はシルキーサリヴァンなんだよな。昔があって、今にいる)

 

シルキーサリヴァンは前世の記憶がある。

自分の走りに夢を見た人々と、果たせなかった挑戦を覚えている。

そして今度こそはと意気込みながら、今世においては出走すらできなかったケンタッキーダービー。

嘗て競走馬だった自分が人間から掛けられた期待に対して、どう思ったかは分からない。

しかし今の彼女にとっては嘘にしてしまった約束だと思っている。

 

(何となく分かってる。俺様はイレギュラーだってよぅ)

 

まるで見た事のないモノや名を聞いた覚えのないウマ娘達。

似て非なる異世界とは言えど、シルキーサリヴァンは自分が生まれた年代がかつてとまるで違う事に気づいている。

嘗て自分に夢見た人々と、いま彼女が生きる場所と時間は違う。

だからこそ後ろから勝負する。

それは前世の自分に熱狂した人々と、世界すら超えた最後の繋がりなのだから。

 

 

 

『向こう正面の長い直線!

 

 

 

先頭はやはりこのウマ娘マルゼンスキー!

 

 

 

4バ身程離れましてタイキシャトル!

 

 

殆ど差がなくサクラエキスパートとエイシンガイモン!

 

 

その後ろにランニングゲイルと固まりました!

 

 

 

やや縦長の展開か!?

 

 

 

2バ身程離れてキョウエイマーチシンコウスプレンダエイシンガイモンと続きまして

その後ろにシーキングザパールがこの位置!

 

 

 

バ群の最後方からはビッグサンデーとヒロデクロスが追走します!

 

 

其処から7バ身程遅れてシルキーサリヴァンがこの位置です!

 

 

このウマ娘には定位置ですが果たしてここから先頭に届くのか!?』

 

 

 

マイルCSは最初の直線がレース全体の五割近い長さになる。

この距離に出てくるウマ娘達の瞬発力なら、そう簡単に優劣はつかない。

横広の先行争いが定番のレースだが、先頭はあっという間に決まっていた。

そして中ゆるみしたわけでもないのに縦長の展開になった。

これは前を走るウマ娘が作るペースが速いからだ。

シーキングザパールはバ群の中団から10バ身近い前方を走るマルゼンスキーに視線を向ける。

 

(分かっていたわよ。分かっていたけどこれは……)

 

発走前の返しウマでは相当速く駆けていた。

あれがマルゼンスキーにとって疲労にならないペースなら、この展開も納得できる。

そうでなくとも前走のスプリンターズSでは、タイキシャトルとの叩き合いの中で外からまとめて千切られたのだ。

加速力と最高速。

シーキングザパールが武器にするものがマルゼンスキーには通じない。

得意分野で自分以上の性能を持った相手に、真っ向勝負を挑んだ所で歯が立つはずが無かった。

 

(なら私の負けだって? 違うわね)

 

レースの着順など、余程の実力差がなければ僅かな事で入れ替わる。

当日のコンディション、バ場の様子、ゲート番号、右回りと左回り。

その他にも様々な要因があり、その上でスタートを切ったら他者の妨害をしない限り……

正確には妨害と判定されない限りにおいて、コース上のどこをどう走っても良いのがレースなのだ。

 

(あんたの走りって絶賛されているじゃない。気品があって優雅、無人の野を駆け抜けるように何者をも寄せ付けず、スマートに先頭でゴールするウマ娘……って事はさ)

 

マルゼンスキーが叩き合いに持ち込まれたのはデビュー戦の一度だけ。

それ以降は殆どのレースをスピードに寄って引き離している。

プリンターズSは後ろから来たが、他のウマ娘が居ない大外を走っていた。

そして周知の事実だが、マルゼンスキーは脚が悪い。

 

(見たことは無い。けど絶対当たれば弱い筈……なんだけどぉ!)

 

今までそれをする相手が居ないというなら可能性は二つ。

一つは忖度があったか。

もう一つは誰も実行する事が出来なかったか。

今までの事はどうでも良い。

しかし間違いなく、シーキングザパールはマルゼンスキーに対する遠慮も無ければ容赦もない。

ルールの中で最善を尽くして勝つ心算がある。

それでも現状がコレだった。

自分より早い相手が前を走っていたら叩き合いなど望めない。

10バ身も遠くにいる相手に、出来る事など何もなかった。

 

(行くしかないか……私だって当たりに強い訳じゃない。第一自分より速いウマ娘の後ろにいて、後からスパートしたら負け確だものね)

 

 

 

『マルゼンスキーが先頭のまま第三コーナーに差し掛かる!

 

 

バ群の中からするすると上がって来たのはシーキングザパール!

 

ウマ娘達の隙間を縫って来たっ

 

 

二番手を走るタイキシャトルからマルゼンスキーまで三バ身と行ったところ!』

 

 

 

(来たヨ……最悪ッ)

 

タイキシャトルは一番嫌った展開に嵌まり込んだ現状に苛立った。

先行から逃げるマルゼンスキーを前目で追走している所、上がって来たシーキングザパール。

 

(前にGrandmaがいる、後ろにDarlingがいる……今この子と競りたくないっ)

 

マルゼンスキーが前にいるのはあくまでマイペースが速すぎるからであり、決して足を使って逃げているわけではない。

まだ上があるのは練習でもスプリンターズSでも分かっている。

タイキシャトルは此処からマルゼンスキーに追いつき、更にギアを上げてくる先輩を抑えなければならないのだ。

その為には仕掛け所を間違えるわけには行かない。

しかしシーキングザパールと競り合ったらそれどころの話ではなくなる。

 

(……この子を逃がすのもNoだよネ。其処まで弱い相手じゃナイ)

 

シーキングザパールはタイキシャトルを捕まえに来たわけではない。

それはタイキシャトルにも分かっている。

放置すれば先頭を走るマルゼンスキーに並ぶだろう。

嘗てのパールならともかく、今の彼女なら届くかも知れない。

そうなればマルゼンスキーも喜んで応戦する。

そしてシーキングザパールを振り切っても、マルゼンスキーはもう緩まない。

 

(Darlingがスパートするまで待ちたかったナー……)

 

200㍍などと贅沢は言わない。

後100㍍引き付けてスパートを掛けたかったタイキシャトル。

しかしその目論見は崩れようとしている。

 

(せめてGrandmaが行く時には並んでないと……仕方ないかっ)

 

タイキシャトルが思うに、マルゼンスキーは現役続行に拘っている。

勝つときは極力脚に負担をかけず、少ないリスクで勝ちたいはずだ。

彼女は誰も競りに行かない状態で、なりふり構わず全速は使わない。

だから再逆転が不可能なギリギリまで引き付けて、ゴール寸前で差しに行きたかった。

 

(ま、予定通りに行かないのもレースだよネ!)

 

シーキングザパールがタイキシャトルに並びかける。

タイキシャトルも応戦した。

バ群を少しずつ引き離し、代わりに先頭のマルゼンスキーとの距離を詰める。

この時、タイキシャトルとシーキングザパールは胸中に同じ思いを抱いた。

 

(酷い話もあったもんだわねコレは)

(ほんっとGrandmaズルいよネ)

 

確かに差は詰まっている。

ごくごく僅かずつではあるが、マルゼンスキーを追い詰めている。

しかしこの時点で二人は全速に近い。

それでようやくこの結果。

その時マルゼンスキーが首を捩る。

左で一度後続を確認した。

タイキシャトルとシーキングザパールが揃って詰めだしている。

右で一度シルキーサリヴァンを確認した。

……前傾から埒に沈み込む瞬間が見えた。

 

(来るっ)

 

近い死闘の予感に身震いしたマルゼンスキー。

その時が来るのを静かに待った。

 

 

 

『先頭は依然としてマルゼンスキー!

 

 

第四コーナー手前でシーキングザパールがタイキシャトルに並ぶ!

 

 

タイキシャトルも応戦!

 

徐々にバ群を引き離してマルゼンスキーとの差を詰めだした!

 

 

先頭までは後5バ身程か!?

 

 

――此処でマルゼンスキーが振り向いたっ

 

 

一度、二度っ

 

 

後続を確認したマルゼンスキー!

 

 

 

先頭マルゼンスキーのまま第四――

 

――あーーーーっと此処で最後方からシルキーサリヴァンが上がって来た!

 

スタンドからは大歓声っ

 

先頭第四コーナーに入った所で赤い弾丸が迫って来た!

 

しかしマルゼンスキーまでまだ20バ身以上!

 

これは届くのか!?

 

 

 

二番手争いはシーキングザパールタイキシャトルの叩き合いっ

 

 

 

さぁ最終コーナーを周って直線だ!

 

 

先頭はマルゼンスキー!

 

 

4バ身を追いかけるタイキシャトルとシーキングザパール!

 

外から一気にシルキーサリヴァン!

 

大外から!

 

タイキシャトルとシーキングザパールに並ぶか!?

 

 

 

先頭マルゼンスキーのまま後400!

 

 

二番手争いが決まらない!

 

三つ巴の叩き合い!

 

 

マルゼンスキーに挑むのはどのウマ娘か!?

 

 

 

 

後300㍍マルゼンスキーが逃げ切るか!?

 

 

シーキングザパールがやや後退っ

 

シーキングザパールはいっぱいか!?

 

 

タイキシャトルとシルキーサリヴァン!

 

 

まだ叩く!

 

譲らないっ

 

 

二番手争いが大接戦!

 

 

 

タイキシャトルも伸びが苦しい!

 

シルキーサリヴァンが前に出た!

 

残り200㍍でシルキーサリヴァンが単独二番手!

 

 

 

しかしまだマルゼンスキーがいる!

 

 

 

先頭まであと三バ身!

 

届くか!?

 

更に伸びるシルキーサリヴァン!

 

二バ身!

 

一バ身!

 

 

残り100㍍で一気にマルゼンスキーを捉える!

 

 

先頭入れ替わってシルキーサリヴァン!

大外から強襲した赤い弾丸!

 

 

並ばない!

 

 

並ばずに突き放す!

 

 

一バ身!

 

二バ身っ

 

 

これは決――

 

 

 

 

――っ内からもう一度マルゼンスキーが差し返す!

 

 

 

残り50㍍!

 

マルゼンスキーが追い上げるっ

 

内からマルゼンスキー外シルキーサリヴァン!

 

 

差すか!?

 

残すかっ

 

差すか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

―――僅かに残したかぁああああああああ!

 

 

 

 

 

勝ったのは⑥番シルキーサリヴァン!

 

執念の追い上げを見せたマルゼンスキーを首差凌いでの決着!

 

 

デビュー戦以来っ

 

再戦を制したのはシルキーサリヴァン!

 

最大25バ身差をひっくり返す逆転劇!

 

 

京都レース場の大観衆が総立ち!

 

 

信じがたい光景と共に第■■回マイルチャンピオンシップ決着しました――』

 

 

 

§

 

 

 

地下道に引き上げるマルゼンスキー。

そう言えば、ウィナーズサークルに寄らずに戻ってくるのは初めてだった。

初敗北だからだろうか。

あまり心が騒めかない。

 

「シャトルちゃん待ってたほうが良かったかしら。でも泣いてたしなぁ」

 

マルゼンスキーはターフに崩れ落ちたチームメイトに声をかけることが出来なかった。

これは薄情というより、自分自身の脚の事情によるものである。

ゴール板の前を通過した後、マルゼンスキーは自分が真っすぐ歩けていない事に気づいた。

だから医務室でケアするため、真っ先に戻って来たのである。

タイキシャトルにはシルキーサリヴァンが声をかけていたから、酷い事にはならないだろうとも思う。

取り留めもない事を考えながら、違和感の消えない足で歩くマルゼンスキー。

その途中、自分のトレーナーが待っていた。

 

「マルゼンスキー」

「はーなちゃん」

 

東条ハナは何とも言えないといった表情で、跛行する愛バに肩を貸す。

 

「どうだった?」

「んー……厳しかったわね」

「厳しいとは?」

「トレーナーとしては、後10㍍早くスパートしてればって思うんだろうけど……アレは赤いのの背中を追いかけてたから出来たのよね」

「ふむ」

「最後の直線、後ろから追ってくる三人を凌ぐのに精いっぱいでさぁ……あそこでもう、私トップギアだったのよね。私、ちゃんと引き離せてた?」

「……いや、詰められていた」

「そっか……うん。そんな気がしていたわ。あそこが私の精一杯。其処から赤いのに並ばれて抜かされて……差し返しに行けたのはもう、意地よねー。だから最後のはスパートじゃないのよ」

「そうか、良く分析しているな。的外れだが」

「違った?」

「ああ。私が聞きたいのはそんな事じゃない」

 

マルゼンスキーは首を傾げて考え込んだ。

東条ハナは本当に分からないのかと愛バの横顔を見る。

 

「あ! 脚の事なら最悪三歩手前くらいで収まってると思うわよ?」

「それは良かった。まぁ跛行しながらも歩いてこれているわけだからな。これも違う」

「あれぇ……まだ違った?」

「なぁ、マルゼンスキー」

「うん?」

「楽しかったか?」

「……最っ高に、楽しかった!」

「そうか……お前がレース後にそんな顔をしていたのはデビュー戦の時以来だからな」

「そうだっけ?」

「そうだ。だから、お前の口から聞きたかった」

 

予想もしていない質問を受けて戸惑うマルゼンスキー。

トレーナーとウマ娘はしばし無言で地下道を歩く。

 

「一度お前を医務室に送ったら、私はタイキシャトルに付き添う。医務室ではシンボリルドルフが待機しているから、何かあったら伝えて置け」

「はーい……あ、ちょっとスマホ貸してくれる?」

「ん?」

「私に勝ったウマ娘がどんなコメントしてくれるのか、気になるじゃない」

「分かった……次は勝つぞ」

「あったりまえよ」

 

東条ハナとマルゼンスキーはレース場のウマ娘用医務室の前で別れた。

この扉の先にはチームメイトがいるだろう。

しかし、今は少しだけ一人にもなりたかった。

 

「……」

 

マルゼンスキーは通路の壁にもたれかかるようにして座り込んだ。

そしてトレーナーから借りたスマホを操作する。

画面には此処から僅か数百メートル離れた地上の様子が映っている。

ウィナーズサークルではシルキーサリヴァンが報道陣からコメントを求められていた。

 

『いや、俺がどうのって事じゃありませんよ。真っ先に思いつくのは、トレーナーのお陰だなってね』

『え? ご存じないんですか。うちのトレーナー、まぁ俺の同期なんですけど腕の良いやつでね』

『はい。世界一のトレーナーだって思っていますよ、俺は。ええ、信頼しています』

 

それらのコメントを聞きながら半眼になったマルゼンスキー。

しばらくためらったが時間が惜しい。

誰かが此処に来る前にと、手押しで同期に電話をかけた。

 

『……はい、ハードバージです』

「はぁいハードバージちゃん。お元気ぃ?」

『ま、まるぜ……なぁんにも見えないよぅ……』

「まぁ、電話越しにも分かるんだけどね。どうせ涙でぐっちゃぐちゃでしょ」

『うん……』

「もう少ししっかりしなさいよ。何時までヘタレでいる心算? あんた、世界一のトレーナーらしいじゃない」

『えぇ?』

「あんたの相棒がそう言ってるわよ。その様子じゃ、聞くどころじゃなかったみたいだけど」

『えぅ……またシルキーはそうやって私を追い詰めるぅ……』

「まぁ、少し盛り過ぎだって思わなくもないんだけどね……私も、あんたが世界で二番目のトレーナだって認めてあげるから、自信を持ちなさいよ」

『ふぐぅ』

「私に勝ったウマ娘を出したチームのトレーナーでしょあんた。胸を張りなさいよハードバージ。貴女は、私に勝ったのよ」

『うえぇええええええええええ……』

 

最早通話どころではない為、一方的に切ったマルゼンスキー。

酷使した脚が疲労で重い。

しかし両肩はやけに軽く感じる。

 

「なんだろ。羽でも生えたみたいだわ」

 

今なら誰よりも早く走れるような気がする。

しかし一度座り込んだ為に動くのがひたすら面倒臭い。

最早自力で動く気のないマルゼンスキーは、扉の向こうで待機しているであろう生徒会長を大声で呼びつけた。

 

 

 

 

 




98年マイルチャンピオンシップでマウントアラタの単勝を買った者だけが作者を鞭で打ちなさい(´;ω;`)ウッ…

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