この作中のタイキシャトルは97世代ではありません
ご了承ください
有馬記念を来週に控えた師走の午後。
エルコンドルパサーとアグネスデジタルはトレーナーの研究室に押し掛けた。
目的はある希望を伝える事と、あるお宝を手に入れる事。
入り口から顔だけ出して二人を追い返そうとするハードバージ。
しかしエルコンドルパサーとアグネスデジタルは顔を見合わせ、悪童の笑みを交換する。
「ほらほら、さっさと通してお茶でも出してくださいよートレーナー」
「キリキリ吐くデース」
「……手紙だったらちゃんと皆宛のモノを渡したじゃない」
手紙とはマイルCS後に母国へ帰国したシルキーサリヴァンが寄こしたモノ。
律儀にもトレーナーとメンバーそれぞれ個別に送られてきたそれは、先日受け取ったばかりである。
だから二人の来訪目的はそれではない。
分かっていてもそう言ってごまかすしかないトレーナー。
今入室されては見られたくないモノまで見られてしまう。
「今更隠さなくても良いじゃないですカ~」
「そうですよー。どうせ発売日にはみーんな知る事になるんですから」
その発言はトレーナーから希望を奪う。
この悪童達はしっかりと事態を把握したうえで此処に来ている。
ならば口先だけで誤魔化す事は出来ないだろう。
まして今のハードバージは今季大躍進したチームを率いる時の人
持久戦に持ち込めば世間体で不利になる。
「……何処で知ったのさぁ」
「私達にも取材って来てたんデスよ」
「ちゃんとサンプルが出来たら連絡頂戴って出版社と番号交換しておきました」
「……何でそんなに頭回るの君達」
大きく肩を落としたハードバージは諦めて顔をひっこめた。
扉は一度閉まるが、鍵がかけられた様子はない。
エルコンドルパサーは構わず入室するとアグネスデジタルもついてきた。
相変わらず山のようなメモの切れ端で取っ散らかった室内はかつて訪れた時と同じである。
一つ違うのはベッドの上に乱雑に放り出された雑誌や書籍のサンプル達。
其れこそが来訪の目的である。
「君達、お茶でいいの?」
「番茶に梅干しでお願いしマース」
「渋いなぁ!?」
「私梅昆布茶少し薄めで」
「こっちも渋いねぇ」
この二人はトレーナーの研究室で提供できる物はしっかり把握している。
エルコンドルパサーは勝手知ったるとばかりに上がり込み、トレーナーが隠そうとしたブツを漁る。
勿論後輩もついてきた。
「ヒャー! これは凄いっ、ウマ娘ちゃんが超いっぱい!」
「おぉ、それはトレーナーやってるウマ娘の特集デース……うっそ!? 巻頭で一番扱いが大きい」
「『嘗てクラシックで好走しながら若くして引退した悲運のウマ娘の第二の人生! 天才トレーナーハードバージ特集』ですって!」
「止めてよぅ止めてよぅ」
「私達の草の根活動がようやく実を結んだんデースね!」
「エルちゃん先輩! ファッション雑誌にまで出てますよこのスイカップっ」
「マジ!? マジだっ。カメラ何処カメラ!」
「こちらにっ」
悪童達はスマホのカメラで雑誌を写真におさめている。
ハードバージは薬缶をコンロにかけながら諦めたように息を吐く。
今期一番飛躍したトレーナーは誰か。
そう聞けば多くの者がコメットのハードバージと答えるだろう。
それほどまでにJCとマイルCSの同日連取は派手だった。
人気が出れば露出も増えるのがこの業界。
ファンが求めるならば取材に応じる事も仕事の一つではある。
最も、ウマ娘本人よりトレーナーが注目を集めるのは珍しかったが。
「なんでこんなことになったんだろうね……」
「そりゃ、マイルCSのシルキー先輩はアメリカ帰っちゃいましたシ~」
「路線としては我が道を行ってるエル先輩が、インタビューでトレーナーだけは上げまくってるのもあるんじゃないですかね?」
「あぁ……エルちゃんって周りからは反骨精神強くて扱いづらいウマ娘って思われてるんだよね……」
「ワタシはコメットの閉鎖性だと思いますヨ~。今は此処に入りたいっていうウマ娘沢山いマスし」
「公募無し自推無し。参加条件は現メンバーの推薦のみ……なんかいつの間にこんな感じになってますよねうち」
「実績はトップクラスでありながら、一般にはその内情が伺えない極秘チーム……おお! なんか格好いいデース」
「公募しないんですか?」
「無理だよぅ。これ以上他人様を抱えるなんて胃痛が……」
「……まぁ、トレーナーがこのメンタルだって知られるわけには行きませんシ~」
「当面は身内で支えていくっきゃないですねぇ」
「君達が上げたハードルに追い詰められているんだよぅ……何でそんなに他人事なのさぁ」
半泣きのトレーナーが三つの湯飲みと梅干の小鉢を持ってきた。
ウマ娘は基本寒さに強いが、寒い時にのむ暖かい飲み物は至福である。
エルコンドルパサーは熱いお茶に梅干しを落として湯音を調整した。
「ふぅ……」
「エル先輩、和んでますねー」
「何とか春にぶち上げた構想に沿って年の瀬を迎えられましたカラネ~……少しほっとしているヨ」
「この先が凄すぎて目立ちませんけど……ジュニアCの秋に混合戦に割り込んでいくって十分に挑戦ですからねぇ」
「本当ダヨ。一直線に此処だけ目指して、ギリッギリだったしサ~」
「JCのサイレンススズカ先輩は凄かったですもんね」
「スズカ先輩もそうだけど、おっかなかったのがエアグルーヴ先輩だネ~。あれ叩き合いしてたから逃げ切れたけどサァ。一人だったら私でも、多分スズカ先輩でも捕まってたヨ」
「マジですか」
「後から映像確認したら、叩き合いしない様に抜きに来てたしネ、やっぱりシニアの皆さんは手強いヨ」
梅入りの番茶を一口含み、飲み干してから眉を顰める。
梅ははちみつ漬けであり、予想したほどの塩気が無い。
「……」
しばし三人は会話も少なくお茶をたしなむ。
エルコンドルパサーは後輩がマイルCSに絡んだ記事が書かれている雑誌を読み込んでいる事に気が付いた。
しばらく見ていたが、ページを捲る気配はない。
その様子から後輩が見ているものが文字ではない事を知る。
見ていたのはトレーナーの成果として紹介されている、マイルCSを制したシルキーサリヴァンの当日の写真。
アグネスデジタルがかの赤いウマ娘に懐いている事はコメットの中では今更である。
「デジちゃん寂しそうだね」
「……ん」
「元気出た?」
「大丈夫」
「じゃ、今日の収穫をシルキー先輩にメールするの、任せましたヨ~」
「うっす」
「止めてよー」
「こればっかりはネェ」
「シルキー先輩も気にしてましたからね」
アグネスデジタルがスマホを操作し、あがりを上納する。
その様子をほほえまし気に見守る先輩と、諦めたように息を吐くトレーナー。
エルコンドルパサーはデジタルが顔をあげるのを待って声を掛けた。
「デジちゃんさ」
「はい?」
「今フランス語どれくらい出来る?」
「んー……春に先輩が行くって知ってからですからねぇ覚え始めたの。ゆっくり喋って貰えれば分かる、発音は怪しくても単語は繋げてそれっぽくは言えるって感じですかね」
「十分。それじゃ、トレーナー」
「うん」
「来年のフランス遠征、私の相棒はデジちゃんにお願いしてもいいデースか?」
「お願いしますトレーナー。私も世界に出なくちゃいけないの! 将来は色とりどりのウマ娘ちゃんハーレムを作るためにっ」
「……うん。その動機はともかく、帯同ウマ娘にデジちゃんっていうのは十分あり得る選択肢なんだよねぇ」
エルコンドルパサーのフランス遠征は半年を見込んで滞在する計画である。
敵地に乗り込む目的は、その国の誇りでもある凱旋門賞の奪取。
幾らトレセン学園と繋がりのある滞在地を使うとしても、最初は敵も多いだろう。
帯同ウマ娘はそんなエルコンドルパサーにとって絶対の味方でなければならない。
どんな条件でも器用に走れるというポイントも練習相手として優秀である。
後は言葉の壁であるが、これは当人達も努力しているうえに通訳を雇っても良い。
「デジちゃんは来年ジュニアBだけど、朝日杯の方は出なくていい?」
「考えなくはなかったんですけどぉ……金髪碧眼のウマ娘ちゃんを生で拝む機会は見過ごせないかなって」
「エルちゃんには言うまでも無いか」
「デジちゃんさえよかったら、これ以上の相棒はいないデース」
「ん……分かった」
トレーナーとしてはエルコンドルパサーのフランス遠征には同道したい気持ちは強い。
しかし来年はメイショウドトウがジュニアCクラスにあがる。
コメット内で示す実力は同世代なら誰が相手でも勝ち負けになる時計を持っている。
そんなドトウは未だに未勝利ウマ娘だった。
どうも群れの中にいることで安心する性質なのか、レースではいつも前が塞がっている上にスパートが遅れてしまうのだ。
「来年は私とパールちゃんはドトウちゃんのサポートがメインになると思う。だけど海外でトレーナーやってる知人には当てもあるよー。練習に不自由はさせないから」
「地味に顔広いですねぇトレーナー」
「ついこの間、久しぶりに顔合わせたの。その時エルちゃんの事も少し話したんだけど、感触は良かったから多分いける」
「サンキューデース……で、ご予算の程は?」
「エルちゃんのJCと今までうちが溜め込んだ分で十分賄えるよー」
「エル先輩があっちでも多少稼ぐでしょうしね」
「勿論その心算だけどサ~……凱旋門賞に比べて安すぎるでショあっちのグレードレース……」
「日本から外に出ると先ず其処が悩みなんだよねぇ。凱旋門賞狙えるほどのウマ娘が国内に専念すれば全然稼ぎが変わるだろうし」
ロマンとマネー。
相反する、しかし切り離せない現実に苦笑するしかないコメットの三人。
来年に向けてまとめる部分を詰めていくと、この日はそれで解散した。
§
有馬記念はドリームトロフィと同じく、枠決めの抽選会が公開中継されるレースである。
それに参加するため、出走予定のあるメンバーとそのトレーナーは学園不在。
多少暇を持て余したエルコンドルパサーは、自分と同じくルームメイトが居ないスペシャルウィークを引っ張り込み、共にスマホで中継を観る事にした。
「有馬記念かぁ……出たかったなぁ」
「一応、1チーム二人まで……みたいな不文律を守ろうとしたんでしタッケ?」
「そうなんだよ。シャトル先輩が堂々と無視したから、私が我慢する理由がなくなっちゃった……JCの後の体調だって割とすぐに戻ったし」
「その辺はスぺちゃん身体強いよネ~。グラスも羨ましがってましたヨ」
エルコンドルパサーのベッドにスタンドで立てられたスマホ。
ベッドサイドで抱き石型のクッションを床に並べ、二人のウマ娘が覗き込む。
「おお、始まったよ……あ、皆おめかししてるねぇ」
「ドリームトロフィみたいにお揃いのドレスじゃないんですネ~」
「うん。この上にドリームトロフィあるからセミフォーマルって所かな? 私もドレスコードあるレストラン行った時こういうの着たんだよ」
「……スぺちゃん、そんなお店行った事あるノ?」
「フジキセキ先輩とかシンボリルドルフ先輩から、そういうお店の入り方とかお作法とかも習ったよー」
「……マジでスぺちゃんをどうする気だリギル」
最早スペシャルウィークを田舎ウマ娘とからかう事は出来ないかもしれない。
そんな予感に戦慄したエルコンドルパサーは、背中に被さって来たペットを片手で構う。
スペシャルウィークは物珍し気にコンドルを撫でようと手を伸ばすが、伸ばした分だけ離れられた。
「なかなか懐いてくれないなぁ」
「こいつ現金だからネ~。グラスにはあっという間に媚売り出したんだヨ」
「良いなぁグラスちゃん」
エルコンドルパサーを真ん中に左をスペシャルウィーク、右をペットのコンドルで固めた布陣が完成する。
とりあえずペットが其処で大人しくしてくれるなら放置に決めた部屋主は、再びスマホに注目した。
画面では司会者がお決まりの挨拶から、各チーム毎に出走ウマ娘の紹介をしている。
最多はリギルの三人。
他はスピカのように二人から一人である。
「今年は二人出してくるチーム多い?」
「ウンスの所と、こないだのシルクジャスティス先輩とエリモダンディー先輩が一緒で……あ、後キンイロリョテイ先輩とマチカネフクキタル先輩も同じチームだってサ~」
「……あの壺を抱えてる先輩だよね? スズカさんに馴れ馴れしすぎない? 三歩下がって崇めるべきなのに……」
「いや、同期っぽいしあの人……スズカ先輩は本当に嫌そうにしてるケド」
画面の中ではそれぞれ個性的なセミフォーマル衣装のウマ娘達が紹介を受け、一言の挨拶と抱負を語っていた。
この辺りは通過儀礼である。
スペシャルウィークもエルコンドルパサーも普段は見れない着飾ったウマ娘達の姿に目を楽しませた。
そうしていると本抽選が始まる。
「皆どの辺が欲しいのかなぁ」
「ン~……ウンスならゲート入りが遅い偶数の内枠、スズカ先輩とタイキシャトル先輩も前に出たいなら内枠が欲しいですかネ~」
「うわ、これスズカさん以外の上世代の皆さんって全員追い込みなんだけど」
「え……あ、マジだネ~。その人たちは半端に内枠とっても、包まれてそのまま行っちゃうカモ?」
「グラスちゃんも真ん中くらいが良いって言ってたよね」
「ですネ~。多分ヘイローちゃんもそれくらいが欲しい筈」
中山レース場2500で行われる有馬記念。
通常四回のコーナーが六度ある事もさることながら、最初のコーナーまでの直線が非常に短い事も特徴としてあげられる。
先行逃げ切りのウマ娘でも大外からハナを切って最初のコーナーに飛び込むのは容易ではなく、逃げウマ娘達は出来るだけ内側にいたいだろう。
逆に開幕のダッシュがつかないウマ娘達はうちにいたらそのまま外のウマ娘に被ってこられる。
芸能人らしきゲストが抽選の順番のくじを引き、当たったウマ娘が枠決めの本くじを引く形式。
それぞれが得意の展開に即した位置取りを求めるこの抽選会の熱気は、空調の効いたステージに入るにもかかわらずトレーナー達に汗をかかせた。
『最初のくじを引くのはマチカネフクキタル選手です! 13枠全てあいておりますが、何処か狙いなどありますか?』
『そうですねぇ……私の豪運をもってすれば取りたい番号が勝手に来てしまうのは間違いのない所なんですが』
『あの……そういう発言はどんな結果になっても忖度を疑われるんで、勘弁していただけませんかね?』
『何処から始めてもどうせ全員ぶち抜くだけなんで、大外の6か7枠を埋めてあげたいですかね! 皆さんの為にっ」
手の中の壺を磨きながら司会とやり取りするマチカネフクキタル。
堂々とステージ中央の透明なくじ箱に手を突っ込む。
右手に壺。
左手にくじ箱。
その滑稽な姿に現場では忍び笑いが起こる。
やがてマチカネフクキタルがカプセルを握って手を引き抜く。
番号は七枠一三番。
『あぁっと本当に引いてしまったぁああああああああああ!?』
『……まぁ良いですよ、良いんですけどねぇ……』
『あ、やっぱり大外はお嫌でしたか?』
『いいえ、開運の壺が私を其処に導いたなら其処に福があるのでしょう!』
諦めたように頭を振ったマチカネフクキタルが司会に応える所をスマホ越しに見守る二人。
「あの先輩マジで大外引いたデース」
「有言実行っていうか……逆フラグ立てて避けようとしたとか?」
「まぁなんにせよ、開運の壺とか怪しいものに頼った弱メンタルの末路何てこんなものデショ」
「うん、まぁ……ねぇ」
マチカネフクキタルというウマ娘の真実を知らない二人からすれば、その評価も無理はない。
しかしこの結果は現地にいる幾人かのウマ娘には深刻な影響があった。
続いて二番手のグラスワンダーが五枠九番、三番手のキンイロリョテイが二枠三番を引き当てる。
「グラス九番デスか……」
「欲を言えばもう少し内が良かったかな」
「ん……この後グラスより外に来るウマ娘次第カナ? この時点だと悪くはなさそうとしか言えない」
「そだね」
四番手のシルクジャスティスが六枠十一番を引き当て、少し嫌そうにしている。
そして次に引くのは現時点の一番人気。
今期クラシック戦線で主役の一人だったセイウンスカイである。
「頑張れウンスちゃん!」
「一枠空いてマース!」
『それではセイウンスカイ選手ですが……これはもう内枠狙いですか?』
『……その前にちょっと良いですか?』
『え?』
セイウンスカイは一言司会にことわると、返事も待たずに踵を返す。
向かった先は最初にくじを引き終えたマチカネフクキタルの所である。
『先輩、その壺お借り出来ます?』
『大事にしてくださいよー? 愛してるんですから』
『はい、勿論』
「おいこらウンスぅーーーーーー!?」
「メンタル弱いにも程があるよウンスちゃん!」
セイウンスカイは開運の壺を借り受け、後生大事に抱えながら司会の元に戻って来た。
会場はセイウンスカイのパフォーマンスだと思ったらしく、笑いの渦に包まれている。
苦み走った顔で後輩を見つめるサイレンススズカとクラスメイトの様子に苦笑するグラスワンダーとキングヘイローは、セイウンスカイが本気で縋っている事を察していた。
『そ、それでは改めまして……セイウンスカイ選手。どの番号を狙っていきたいですか?』
『一枠二番! それ以外はあり得ません』
「なぁに情けない前振りからキリッとかやってんデスかウンスぅ……」
「私この子に負けたんだね……ごめんエルちゃん、ちょっと肩借りていい?」
「グラスに内緒ダヨ」
スペシャルウィークがエルコンドルパサーの肩に額を当てて顔を伏せる。
そうしている間にもスマホの画面は中継の様子を伝えてくる。
セイウンスカイは威風堂々の言葉を体現したような足取りでステージ中央のくじ箱に挑む。
マチカネフクキタルから預かった開運の壺を一撫し、その手でカプセルを引き抜いた。
セイウンスカイが司会と共にカプセルを開ける。
『それではセイウンスカイ選手の番号は……は、はぁあああああああ!?』
『っしゃ来たあぁああああああああ!』
「うっそぉおおおおお!?」
「ウンスちゃん引いたぁああああ!?」
中に記された文字は一枠二番。
開場中が歓声とどよめきに包まれる。
そんな周囲の反応を他所に、深く頷いたマチカネフクキタル。
最良の位置を引き当てたセイウンスカイは開運の壺に敬意をこめて口づけし、持ち主の元に返す。
『ありがとうございました!』
『どういたしまして後輩よ!』
「うっわぁなんだろう、この……友達が悪魔と契約した瞬間を見ちゃった感」
「間違ってない気がしマース……あ、スズカ先輩苦り切った顔してる」
「ほんとだ。ああいう顔もすっごい綺麗……」
「スぺちゃんも地味に正気じゃないよネ~」
大盛り上がりの抽選会会場。
サイレンススズカは後輩が自ら魔の手に堕ちていく様を見ていた。
見ているしか出来なかった。
この世界にはルールがあり、其処から逸脱するものを決して守らない。
サイレンススズカが一般社会で生きていくなら、そのルールを無視した行動はとれないのだ。
しかしこのままでいいのだろうか。
セイウンスカイはサイレンススズカが再戦を望みながら、果たせなかった同期への想いを託した後輩である。
託された方は迷惑だったかもしれないが、スズカにとっては思い入れのある大事な相手。
それが目の前で洗脳されようとしている。
悪魔が人を地獄へ誘う時、その道筋は善意によって舗装されているという。
サイレンススズカが思うマチカネフクキタルとはまさにそんな存在だった。
「……私が守護らなきゃ」
そうつぶやいたサイレンススズカはステージ中央に向かう。
会場ではゲストが次の抽選者を決めるくじを引こうとしている時だった。
其処へ遮るようにステージに登ったサイレンススズカ。
「す、スズカさん?」
「あの人何するつもりデース?」
『あ、えっと……サイレンススズカ選手。どうしました?』
『次は私に引かせてください』
『え?』
『お願いします。私は、守護らなければいけないんです』
マイク越しの声は会場に響き渡る。
その本意は分からずとも、くじ引きによる順番の逸脱宣言。
ためらう様などよめきの中、会場に向かってステージ上のサイレンススズカは静かに頭を下げた。
『お願いします』
深く深く折られた腰と下げられた頭。
その姿勢に相反する、決然とした譲らぬ声音。
サイレンススズカの姿に抽選会の主催者からGOサインがおりる。
一喝して下がらせるにしても説得するにしても、簡単に納得しない雰囲気を感じたのかもしれない。
まず通常はあり得ない事態に、この中継が始まって以来屈指の高視聴率を稼ぎだしているという現在進行形の事情もあった。
『そ、其れではサイレンススズカ選手に引いていただきます。よろしいですか?』
最後の問いは会場に向けられたもの。
出走ウマ娘達はくじ引きの順番などどうでも良い。
会場に来ていた関係者、記者たちは珍しいものが見れる期待に頷いた。
『ありがとうございます』
『それでは、サイレンススズカ選手は――』
サイレンススズカは皆まで聞かず、一つ司会に頭を下げる。
そしてセイウンスカイと共にいる元凶に向かって歩みだす。
その表情はセイウンスカイを一瞬で正気に戻す迫力があった。
傍で見ているだけの彼女がそうなのだ。
実際にその視線に射抜かれているマチカネフクキタルが感じるプレッシャーは如何ばかりか。
セイウンスカイはそう思って隣を見るが、当のフクキタルはスズカの眼光も涼し気に笑って受けていた。
『フークちゃん、私もご利益にあやかっていいかしら』
『えぇ……スズカさんうっかりを装って割りそうですからねぇ』
『大丈夫よ、触ったりしないから』
『ん、それなら』
マチカネフクキタルは少し嫌そうにしながらも、サイレンススズカの前に両手で持った壺を差し出した。
これだけの扱いを受けながらも拒否しない辺り、このウマ娘は根本的な部分で善良な気質を持つのだろう。
サイレンススズカも其処は心から認めていた。
だからこそ性質が悪いのだという事も間違いなかったが。
『悪霊退散!』
『あんぎゃあーーー!?』
「殴ったぁああああああ!?」
「マジかヨッ」
サイレンススズカがノーモーションで放った拳が壺に刺さる。
そしてマチカネフクキタルの悲鳴が会場に響いた。
その悲痛な声は本当に苦しんでいるかのようで。
聞いた者たちの中にはマチカネフクキタルが本当に除霊されたのかと錯覚した人もいた。
『お待たせしました。邪気は去ったと思います』
『え、えぇ?』
『スズカぁ!? 貴女さっき触らないって――』
『殴らないとは言ってないわ』
『触らないってぇっ!?』
『言っていないわっ!』
半泣きでスズカに殴られた壺を磨くマチカネフクキタル。
実際に壺はひび一つ入っておらず、打ち負けたのはスズカの右拳である。
しかしサイレンススズカはおくびにも出さずセイウンスカイに笑みかけた。
それはスペシャルウィークを魅了してやまない笑みであり、セイウンスカイにとって恐怖の代名詞ともいえる笑み。
会場ではシルクジャスティス、エリモダンディー、キンイロリョテイなど二人の同期のウマ娘達が爆笑していた。
唯一人、メジロブライトは胃の辺りを抑えて青くなっていたが。
『そ、其れではサイレンススズカ選手に引いていただきます』
『長々と申し訳ありませんでした。今引いてきます』
サイレンススズカは壺を殴って反応の鈍い右手を無理やり開き、カプセルを一つ握りしめる。
躊躇せずに引き抜き、颯爽と身をひるがえす。
『サイレンススズカ選手の番号は……』
『ごめんなさい、ちょっと右手が怪しいので……んっ』
サイレンススズカはカメラの目の前でカプセルを左手に持ち替え、握力だけで粉砕した。
そのパフォーマンスに会場が沸く。
次にくじを引くウマ娘のハードルを上げるだけ上げたサイレンススズカは中の紙を取り出した。
『サ、サイレンススズカ選手……一枠! 一枠一番! サイレンススズカ選手ですっ』
『やった!』
綺麗な顔で可憐に笑うサイレンススズカ。
女神の笑顔に関しては一級鑑定士を自負するスペシャルウィークに言わせれば余所行きの笑みだが、だからこそ人を惹きつけやすい。
「スッペちゃーん」
「ん?」
「ワタシィ……有馬記念の枠決め抽選会ってやっぱり忖度あるのかなぁって思っていたんですケドー」
「うん」
「今年、確信した。ないわコレ」
「そだね……この茶番がライヴ以外ありえるかっての」
「「ねー」」
顔を見合わせて笑い合うスペシャルウィークとエルコンドルパサー。
ほっこりした所で画面に目を戻せば、会場が慌ただしい。
「あれ!? ウンスちゃん気絶してる」
「其処までスズカ先輩怖いデース!?」
「いや、多分あれは幸福の許容量を超えたんだよ」
「……あぁもう、それでいいよヨ」
セイウンスカイが会場から運び出され、放送事故としか思えない内容の抽選会が続く。
この後スズカの次にくじを引く事になったメジロブライトがプレッシャーに負けてリバースし、ついに中継が中断した。
その瞬間、抽選会始まって以来、最高の視聴率を歴史に刻む事となった。
§
中山レース場で行われる、今年最後の大レース有馬記念。
宝塚記念と同様、人気投票によって選ばれたウマ娘達が鎬を削るグランプリ。
非常に特徴的なコースであり、走りやすい条件とは言い難い。
それでも年を締めくくる大一番にふさわしい格を維持するこのレースは、幾つもの名勝負を送り出してきた舞台だった。
今年の話題の中心は、やはりジュニアCクラスの活躍である。
事前に行われたファンへのアンケートやインタビューでも今期のCクラスへの期待が高い。
本来ならば本命に推されるべきシニアクラスのウマ娘達を抑え、セイウンスカイとグラスワンダーが一番、二番人気に入ったことがその事実を示している。
シニアクラスのウマ娘達には不本意だった。
しかし根拠が無い妄言とは違う。
今秋のシニア王道路線で勝ち星を挙げたのは全てジュニアCクラスのウマ娘なのだ。
毎日王冠を二着から、前走では秋天を獲ったグラスワンダー。
京都大賞典で完勝し、世代戦とはいえ菊花賞を世界最速で逃げ切ったセイウンスカイ。
そんな彼女らが有馬記念だけ取り逃す?
多くのファンはあり得ないと言う。
だが全てのファンが同調するわけではない。
昨年のクラシックに熱狂し、彼女らの戦いに夢を見る者も少なくない。
春の天皇賞を獲ったメジロブライトがいる。
昨年の覇者シルクジャスティスが相棒のエリモダンディーと共に二連覇に挑む。
その三人を昨年の菊花賞でまとめて薙ぎ払ったマチカネフクキタルが、一年以上の空白を経て帰って来た。
更には春のグランプリウマ娘サイレンススズカが、アメリカへの遠征を見送ってこのレースに参加する。
それは早い世代交代を目論むジュニアCクラスと生き残りをかけたシニアクラスの生存競争。
「だってサー。失礼しちゃうよネ!」
「そうだな。ファンの眼中に私達はいないらしい。シニアの本命にスズカをあげる慧眼は認めてやるが」
「……自分で走る時くらいスズカスズカ言うのはよそうヨー」
地下道入り口で入場時間を待つウマ娘達。
その中には女帝の異名をとるエアグルーヴと、この春に帰って来たタイキシャトルの姿がある。
エアグルーヴは春に大阪杯を制したモノの、やはり今秋の勝ち星に恵まれず四番人気。
タイキシャトルもほぼ同じ条件だが、距離不安もあって八番人気だった。
この二人の自負と実力から考えれば甚だ不本意な結果だろう。
「しかしこの中山でお前と走る日が来るとは思わなかったよ」
「ウッフッフゥ……Honeyに今年最後のSurprise Presentあげたくってサー」
「飛び入りの時点で相当驚いていたようだがな」
「まーだまだこんなもんじゃないデース! ワタシがHoneyを、一番のトレーナーにするんだからネ!」
「大賛成……だが勝ちまでは譲れん。諦めろシャトル」
「譲ってもらう心算はないヨー……ちゃーんと勝ち取って見せるからサァ」
口の端を笑みの形に歪めるタイキシャトルに目を細めるエアグルーヴ。
リギルの二人はそれ以上語らず、一度拳を打ち合わす。
『クリスマスを過ぎ、今年も残す所を指折りで数える師走も終盤
12万人の大観衆が詰めかけた中山レース場では
今年を締めくくる一戦が今か今かと待たれています
なんと今期は全員が勝ち上がりを果たした奇跡の世代
ジュニアCクラスからは二冠ウマ娘のセイウンスカイ
秋の天皇賞を制したグラスワンダー
世代戦とはいえダービーウマ娘を倒して勝ち星を挙げたキングヘイロー
シニアクラスのウマ娘達が不振に喘ぐ秋の王道路線
最後の一冠たる有馬記念を勝利し、世代交代を示すのか――』
実況の紹介と共にウマ娘達が本バ場に入場してくる。
これから出走時刻までの短い間の返しウマ。
軽く流すウマ娘もいれば本番さながらに調整するウマ娘もいる。
この日三番人気のサイレンススズカは比較的早い入場だった。
一人、また一人と入場してくる出走者達。
そしてスズカは、入場が進むたびに機嫌を悪くしていった。
「……」
実況とは実際の状況という事である。
実況中継とは、事実を伝える事である。
しかしその役目を担う者も人間であり、主観は必ず存在した。
「……下の子寄りの実況じゃないかしら」
普段のスズカなら願望や贔屓の入った実況程度にイラつくことは無い。
むしろ後輩達の躍進を微笑ましく祝福しながら実戦で堂々と捻り潰すだろう。
そんなサイレンススズカをして、聞き捨てならないセリフが一つあった。
「主役の居ない世代ですって?」
それは一面の事実ではあったろう。
サイレンススズカの世代は皐月賞とダービーを制した二冠ウマ娘がいたが、菊花賞を待たずに怪我によって引退した。
入れ替わるように台頭した夏の上がりウマ娘マチカネフクキタルは菊花賞を獲ったが、直後に足の病で戦線離脱。
シルクジャスティスは昨年の有馬記念を制したが、年明けに相棒のエリモダンディーが骨折により長期離脱してから精彩を欠く。
スズカ自身とメジロブライトは春のGⅠを獲ったものの、秋にはジュニアCクラスに押し出されるように白星がない。
この事実をもって今年のジュニアCクラスが去年のウマ娘達より上だと考える者はいるだろう。
しかし実況に、そしてファンに主観があるようにサイレンススズカにも主観がある。
自分達のクラシックが、今年のクラシックより次元が低かったなどと認める事は絶対に出来ない。
サイレンススズカはターフの一角で真っすぐ右手を挙げて宣言する。
「集合!!」
ウマ娘というものはレースにおいて観せる走者であると同時に、舞台上で魅せる演者である。
鍛え上げられた声帯から発した高い音は、本番前の比較的静かなレース場内に透き通った。
多くのウマ娘達がその声を聴いた。
しかしその意味をはっきりと理解したものは五人。
「なんですかなんですかー?」
「いちいち呼びつけてんじゃねーぞススズ」
興味深げにやって来たのはマチカネフクキタル。
面倒臭そうに、それでも走り寄って来たキンイロリョテイ。
「あんた私を呼びつけるなんて出世したもんじゃない」
「まぁま、行ってみましょう?」
「あの……レース前にあまり過激な行動は慎んでいただけると……」
さらにシルクジャスティスとエリモダンディー。
そして最後にメジロブライトといったサイレンススズカの同期達が集まってくる。
スズカは集合した同期達を見渡す。
物珍し気に注目する観衆や、他のウマ娘達の視線も感じたが今は関係ない。
「貴女達、目を閉じて」
「はぁ? あんた何を――」
「良いから、言うとおりにして……そして私達のクラシックを思い出して」
サイレンススズカは同期達が渋々ながら従うと、自分も視界を遮断する。
「ジャスティス。貴女はJCで今期のダービーウマ娘に敗れたわ」
「……っち」
「だけどほんの首差じゃない。私達のダービーウマ娘は、スペシャルウィークより遅いのかしら?」
「そんなわけないじゃない!」
本気で怒りを露わにするシルクジャスティスに満足気に頷くサイレンススズカ。
「今年、私の後輩が菊花賞でワールドレコードを達成したけれど……」
「景気の良い事ですよねー」
「……ならフクキタル。貴女は、セイウンスカイに3000では追いつけないの?」
「ご冗談を。世界最速の時計なんぞ、私の脚の前には止まっているも同然ですが?」
何でもない事のように宣言したマチカネフクキタル。
後輩の事を気にも留めない同期の言葉に内心ではイラつくスズカ。
しかし煽っているのは自分である。
ルームメイトとチームメイトに内心で謝りながら、スズカは同期を急き立てる。
「その通り。私達は彼女達より早いのよ。だけど私達は、下の子達程ちやほやされたことがあったかしら?」
「記憶にねぇな」
「ズルいですよねー後輩達は。私も開運の世代とか壺の世代とか言われてみたいものです」
「それだけは絶対に嫌だったから、スズカさんと協力までしたんですけどね」
「貴女のお陰で実家にどれだけ手数を掛けたと思っているんですかぁ」
「あっあー! それはともかくっ、私が言いたい事はね?」
脱線しかけた会話を必死に修正するサイレンススズカ。
返しウマの時間は決して長くない。
余計な事を話し込んでいる時間は無いのだ。
スズカは丁度三人まとまって軽いジョグで流す後輩を親指で指す。
「あの子達、生意気だから絞めましょう?」
その言葉の意味を理解するのに、同期達は数瞬の間が必要だった。
言われたCクラスの面々もそうだったろう。
しかしその意味を理解した時、反応は劇的だった。
「いや! それはちょ――」
「よっしゃーやったりますかぁー!」
「面白れぇじゃねえか」
「っは! 私は最初からその心算だってのっ」
「シルクがやるなら、頑張ろうかなって」
頼もしい同期達の反応に満足気に頷いたサイレンススズカ。
勝ちたいのはみな同じ。
それでも勝つのはたった一人。
誰が勝かは分からないが、必ず勝者はこの中から出す。
決然とした意識を固める前年度のジュニアCクラス達。
自分達のクラシックが、この世代が、今年のそれより劣っていた等と認める事は出来ない。
決して仲の良い同期ではなかったが、その激しいプライドだけは共通していた。
そんなシニアクラス達の熱気を他所に冷めた瞳で切りつけるウマ娘がいる。
「はぁ……若者が成功すれば妬みで固まって足を引っ張る事ばかり考える。情けない事この上ありませんわね」
「ちょっ、ヘイローちゃん何で挑発し返してるの!?」
「全くです」
「だよねグラスちゃんっ」
「こういうのを日本語で老害っていうんですよね」
「何てこと言うのさグラスちゃん!?」
キングヘイローとグラスワンダーがシニアクラスの前に並び立つ。
セイウンスカイとしては心から関わりたくないが、この二人を見捨てるという選択肢はあり得なかった。
そして一方にはチームメイトにして天敵たるサイレンススズカもいる。
決して起きて欲しくなかった最悪の対立。
同期とチームの板挟みで青くなったセイウンスカイは落ち着かな気に視線を泳がせる。
すると相手側にも同じように青くなっているメジロブライトがいた。
思わぬ所で同志を見つけた二人は悲痛な自分の表情を相手の中に見出した。
きっとこのメンバーの中では苦労しているのだろう。
セイウンスカイは自分の境遇も他所に同情する。
しかしこの優しい同期達は、何時までもセイウンスカイを蚊帳の外においてはくれなかった。
「ほら、セイウンスカイも何かあるでしょう? 言っておやりなさい」
「……えっ?」
「確かに。無敗のエルとダービーウマ娘のスぺちゃんが居ない以上、私達の代表は二冠ウマ娘のセイウンスカイちゃんしかありません」
「はぁ!?」
大和撫子とお嬢様に連れ出され、最前線に立たされた一般庶民。
れっきとしたパワハラであるが指摘するものは無い。
セイウンスカイに突き刺さる十六の瞳。
中央に立つサイレンススズカは、穏やかともいえる表情で後輩の奮起を待った。
「あ、あの……」
「なぁにソラちゃん」
「……よっ」
「うん?」
「よ……っ、よろしくお願いします」
「ええ、よろしくね」
はっきりと示された上下関係の元に握手する先輩と後輩。
グラスワンダーとキングヘイローはため息とともに肩を落とす。
「セイウンスカイちゃん、プライドとか無いんですか?」
「百年の恋も冷める一瞬とはこういうモノを言うのでしょうか」
「だったら二人がやってよね!? 私はこれからもスピカでこの人と付き合っていかないといけないんだからさっ」
煽るだけ煽って丸投げした二人にだけは言われたくないセイウンスカイ。
そんなセイウンスカイの様子には上世代のウマ娘達からも同情の視線が向けられる。
其処へ場内のアナウンスが響き、返しウマの終了が告げられた。
「……」
サイレンススズカは奇跡の世代を代表して走る三人のウマ娘に一人一人視線を送る。
そして定めた。
「……よろしくね、グラスワンダーちゃん」
「よろしくお願いします。サイレンススズカ先輩」
直感で強いと感じるウマ娘に笑みかけたサイレンススズカと見た目だけ穏やかに受けるグラスワンダー。
それぞれに握手もせずに視線を切ると、ウマ娘達を待つゲートに足を向けた。
§
中山レース場に響き渡るファンファーレ。
大観衆の送る手拍子を受け、ウマ娘達の枠入りが始まる。
『いよいよこの時がやってまいりました
十三人のウマ娘達が繰り広げる死闘
時間にすれば僅か二分三十秒の激闘に刮目してまいりましょう!
――六枠十二番タイキシャトルが最後のゲートに入りました
今年最後の夢
第■■回有馬記念
今――
――スタートしました!』
横並びの一線からポンと飛び出したのは内と外。
一枠二番セイウンスカイと六枠十二番タイキシャトル。
内枠の有利を生かして最初のコーナーに駆け込むセイウンスカイ。
圧倒的な瞬発力で強引に先行して内に切り込むタイキシャトル。
その先頭争いにサイレンススズカの姿が無い。
スズカはセイウンスカイが抜け出すと、内枠を一人分あけてその後ろに自ら入る。
(さぁて、始めましょうか)
外を走るウマ娘達が徐々に内に食い込んでくる。
しかしその動きが不自然に止まった。
「てめぇっ」
「……」
キンイロリョテイがスズカの隣から呻くように吠える。
サイレンススズカは内枠にありながら先行しない。
抜かせず遅れず。
ただ何人たりとも自分より内に入れない走り。
短い直線から最初のコーナーにウマ娘達が殺到する有馬記念のスタート直後。
此処で自分と隣のウマ娘を内枠で壁にしたサイレンススズカ。
シルクジャスティスはつんのめるように減速しつつ外に出す。
キンイロリョテイとエアグルーヴが不本意ながらスズカと横のラインを作る。
スズカのペースは前に出て被っていける程遅くはない。
完全に先行したセイウンスカイとタイキシャトル。
一番後ろから狙う心算のグラスワンダーとマチカネフクキタル。
そしてこの流れを仕掛けたサイレンススズカ。
それ以外の全員が望んだポジションを取れないまま勝手にバ群が形成される。
『先行したのは菊花賞ウマ娘セイウンスカイ!
殆どならんでタイキシャトルと4コーナーを回って正面直線に入ります!
後続のウマ娘達はやや混乱している模様っ
横に広がったまま最初のコーナーを回って来た!
先頭セイウンスカイとタイキシャトル!
三バ身程遅れてサイレンススズカキンイロリョテイエアグルーヴとこれは内に固まりました!
続いてキングヘイローユーセイトップランと続きましてその後ろに春の天皇賞ウマ娘メジロブライトが追走します!
一バ身ほど遅れてオースミタイクーンエリモダンディー!
外の方からシルクジャスティス!
最後方から前を伺うのはグラスワンダーとマチカネフクキタル!
此処でサイレンススズカが前に出たか!?
単独三番手にあがりつつ前――おっと此処で後ろを確認したサイレンススズカ!』
前を征くウマ娘を極力視界に入れない様に三番手を走るサイレンススズカ。
幸いなことにセイウンスカイは大逃げと言えるほど千切っていない。
スズカの脚なら十分に捕らえられる位置から再び後ろを確認する。
(中途半端に来た子は粗方かき回した筈……よりによって貴女が其処にいたんじゃ意味が薄いんだけどなぁ)
サイレンススズカは混乱の影響を一切受けない同期の位置取りに辟易する。
(だけど隣はグラスワンダーちゃんか……悪くないわね)
(おーおーおー……珍しく頭とか使っちゃってるじゃないですか)
マチカネフクキタルは後ろからスズカの様子を確認していた。
開幕は他人の後ろに付きつつ内に入りたい追い込み勢。
その動きを逆用して並走し、壁にする。
自分で壁になろうと動けば斜行と判断されるだろう。
だから隣のウマ娘を使った駆け引き。
(だけど此処まで波及はしなかった。ならむしろ問題は……)
マチカネフクキタルは自分の隣をぴったりと添うグラスワンダーに視線を投げる。
(……このお人形みたいな後輩さん 私と末脚勝負をなさるおつもりで?)
その目に気づいたグラスワンダーは薄っすらと笑んで見せた。
グラスワンダーはマチカネフクキタルと並んで後方から追撃する。
そのコンディションはかつての朝日杯に匹敵した。
左回りがぎこちないのは相変わらずだがこのレースは右回り。
全身から満ちる力を試す様に一つ大地を強く蹴る。
それだけでマチカネフクキタルを体半分置き去りにしたグラスワンダー。
(良い感じですね……おや?)
自分の身体と対話していたグラスワンダーが再び意識をレースに向ける。
その時既にマチカネフクキタルは半バ身の差を詰めていた。
(あれ……まだいる)
(ちょっとびっくりしたじゃないですかっ)
グラスワンダーとマチカネフクキタルは徐々にペースを上げながら互いをふるいにかけだした。
『先頭入れ替わってタイキシャトル!
セイウンスカイが半バ身を追走してスタンド正面を駆け抜けます!
二バ身あけてサイレンススズカとエアグルーヴ!
キンイロリョテイと入れ替わったキングヘイローがこの位置!
外からシルクジャスティスも上がって来たっ
先頭第一コーナーを回って1000㍍の通過タイムが58秒4!
これはハイペースになりました!
しかしそれほど縦長の展開ではありませんっ
最後方のマチカネフクキタルとグラスワンダーも詰めて来たか!?』
外の位置から第一コーナーを回ったシルクジャスティスは一度後ろを確認する。
目当ての相手はバ群の中団。
其処にはジュニアの頃からずっと自分の後について回って来たウマ娘の姿があった。
(よーくもやってくれたわねスズカの奴……此処からじゃエリーが私を見にくいでしょうがっ)
開幕で詰まった事からはじき出された形のシルクジャスティス。
しかし彼女の闘志は逆風を得て燃え上がった。
前に意識を向ければ5人程のウマ娘がいる。
(こいつら全員ぶち抜きゃ勝ちなんだから! 遠くに行かれちゃ面倒だわ!)
有馬記念はスタンド正面を二度走る。
その時にウマ娘に送られる大声援は、このレースの風物詩。
しかしこの時、先頭が第二コーナーに入った辺りでもう一度歓声がはじけ飛んだ。
『内からエリモダンディー外シルクジャスティスが一気に伸びる!
サイレンススズカとエアグルーヴを躱して先頭二人に取り付いたっ
向こう正面最初に向いたのはシルクジャスティス!
殆ど同時にエリモダンディーっ
先頭シルクジャスティス並んでエリモダンディー!
一バ身をタイキシャトルとセイウンスカイ!
内からサイレンススズカとエアグルーヴは不気味なほどに動きが無いっ
その後ろからキングヘイローキンイロリョテイユーセイトップランメジロブライトと固まりました!
最後方からマチカネフクキタルとグラスワンダーも上がってくる!
オースミタイクーンを捉えてまだ詰めるっ』
エリモダンディーが向こう正面の直線を先頭に立つ。
隣を走るシルクジャスティスすら捉えてその前に出た。
ずっと一緒だった相棒。
ずっと傍にいた憧れ。
去年このレースを先頭でゴールしたシルクジャスティス。
そのグランプリウマ娘を、同じ有馬の舞台で捕まえた。
(見た? シルク)
(やるじゃないエリーっ)
視線が一度交わった。
お互い長い付き合いである。
それだけで何を想っているのか分かる。
エリモダンディーはかつてない歓喜の中にいた。
シルクジャスティスは一抹の寂しさを飲み込んだ。
一瞬だけからんだ視線。
一完歩だけ抜きんでた足跡。
「……」
両者が次に踏み出した一歩には残酷なまでの違いがあった。
このレースでは二度と並ぶ事の無い差。
それは一秒にも満たない時計かもしれない。
しかし埋まらなかった二人の距離。
シルクジャスティスが引き離す。
エリモダンディーにこれ以上は無かった。
一度ついた差は二度と縮まることはない。
(凄いなぁシルク……)
エリモダンディーはシルクジャスティスの背中を見ていた。
そんなエリモダンディーを抜き去っていくウマ娘達。
タイキシャトルが。
セイウンスカイが。
エアグルーヴが。
メジロブライトが。
キングヘイローが。
そしてサイレンススズカが。
自分を追い越していく。
前を走るシルクジャスティスに襲い掛かる。
(頑張れシルク!)
持って生まれた才能を努力で磨いたウマ娘達。
その中でもトップクラスに位置するこのメンバーが相手でも、シルクジャスティスならば勝てると信じている。
それはエリモダンディーが一度も疑った事のない祈りだった。
『先頭シルクジャスティスが第三コーナーに突っ込んだ!
エリモダンディーは足がつかないズルズルと後退っ
メジロブライトとキングヘイロー!
更にエアグルーヴも上がって来た!
一バ身ひらいて内からサイレンススズカ!
殆どならんでタイキシャトルとセイウンスカイ!
キンイロリョテイもこの集団!
少し開いてグラスワンダーとマチカネフクキタルもじりじりと詰めてくる!』
最終コーナーにサイレンススズカが入っていく。
大よそ5バ身後方から、それを確認したフクキタル。
(地味に邪魔なんですよねグラスワンダーちゃんっ)
後ろから見ているとよくわかる。
誰がどれだけ足を残しているか。
手強いと思う相手は殆ど潰れてくれていない。
しかしそれでも……
大逃げに行かなかったサイレンススズカの脚色は、やはり良かった。
(横に張り付かれて外に出せないっ。体格からは考えられないくらいパワーもある……良かった大吉引いておいて)
マチカネフクキタルが見据える一筋の道筋。
それは内を走るスズカの更に内。
ウマ娘一人、ギリギリ抜けられるかという細いルートであった。
(コンディション最高! 精密動作も自在っ。意識も切れてる……今日の私なら――)
どのルートでも抜けられる。
マチカネフクキタルが絶好調の証拠。
異次元の逃亡者すら止まって見える程に集中力は高まっている。
このまま追えば、何時かのように簡単に届く。
その確信があった。
遠くサイレンススズカの背に笑むマチカネフクキタル。
その視線を感じたのか、スズカが一度後ろを確認した。
(フクきたる……か。別に待ちかねてもいないけれど)
それが自分にとっての福ではない事を承知の上で、サイレンススズカがターフを駆ける。
何時かと同じ。
後方から末脚を溜める同期がいる。
この中山の短い直線で、自分を差せるというのだろうか。
(差せるんだろうなぁ)
サイレンススズカはうんざりとした思考で敗北を認めた。
このままマチカネフクキタルが最終コーナーを回れば、時すら追い越す末脚を爆発させてくるだろう。
かつてあった事だ。
事が二度でも三度でも、自分がいて彼女がいれば起こりうる。
だからスズカははっきりと負けを認めた。
いや、最初から勝負などついていたのかもしれない。
(認めてあげる。貴女は強いわ)
だから最初から見せていた。
この中山2500のスタートから、ずっと開けていた内埒沿い。
一枠一番を引き当てたスズカ自身が、本来ならば走っていた場所。
そのたった一人分の隙間へ。
わざと締めなかったそのルートへ。
隣で走るタイキシャトルの圧から逃げるように侵入した。
「んな!?」
サイレンススズカは想定よりもはるかに近い距離で同期の悲鳴を聞いた。
追い上げていたのだろう。
勝ちを確信していたのだろう。
マチカネフクキタルが万全の態勢で絶好の末脚を披露した時、サイレンススズカの逃げ足すら捕まえる。
しかし両者の間にはまだ、三バ身の距離があった。
この差があれば走路が重なったとしても危険行為は取られない。
会心の追い込みのさなかに前を塞がれたマチカネフクキタル。
「ふざっけんなぁああああああっ」
同期の断末魔を聞きながら加速していくサイレンススズカ。
(ねぇフクキタル……走るってね? 一人静かに、豊かで……救われていないといけないのよ)
自分以外何も存在しない、青い空と緑の大地。
そんな世界をたった一人で駆け抜ける事こそスズカの至福。
(私は頭の中まで、真っ白にして走りたいの。何も考えたくないの。だというのに貴女ときたら……)
サイレンススズカがもう一度背後を見た。
自分の最速をスズカとシャトルの壁に阻まれた同期が、恨めし気な視線を向けてくる。
そのことが、サイレンススズカの溜飲を少し下げた。
(貴女に勝とうと思ったらルートとかペースとか、そんな余計な事を考えないといけないんだもの。いつもそう。貴女は私の思い通りになってくれない。私を思い通りにもさせてくれない)
もう一度、マチカネフクキタルの悔し気な瞳を目に焼き付けて視線を切ったサイレンススズカ。
「だから貴女は苦手なのよ」
『先頭は依然としてシルクジャスティス最終コーナーを回って直線に入る!
外を回したセイウンスカイ!
キンイロリョテイも突っ込んでくるっ
綺麗に内から入ってくるのはサイレンススズカとタイキシャトル!
マチカネフクキタルは詰まったか!?
慌てて外に持ち出した!
真ん中割ってエアグルーヴとメジロブライト!
キングヘイローも詰めてきたっ
残り310㍍!
タイキシャトルを振り切ったサイレンススズカが内から強襲っ
遂に先頭に立ったサイレンススズカがシルクジャスティスを突き放す!
先頭サイレンススズカ一バ身リード!
外セイウンスカイ!
内からもう一度タイキシャトルが寄せていく!
中央から伸びるキングヘイローとエアグルーヴっ
メジロブライトはやや後退!
残り200㍍!
サイレンススズカ先頭で中山の坂――
来たキタきたぁああああああ!
グラスワンダーが後方からっ
バ群の真ん中を上がってくる!
並ばない並ばない!
シルクジャスティスをエアグルーヴを!
タイキシャトルをセイウンスカイを!
一息に抜き去ってサイレンススズカを――
サイレンススズカに――
サイレンススズカが抜かせない!?
サイレンススズカまだ先頭まだ粘っている!
グラスワンダーも追っている!
身体半分残して懸命に凌ぐサイレンススズカ!
外からマチカネフクキタルも上がって来る!
しかし先頭はサイレンススズカ!
サイレンススズカだ!
サイレンススズカが!
今っ――
一着でゴールイン!
二着はグラスワンダー!
三着にはどうやらマチカネフクキタルが入った模様!
シニアクラスの面目躍如!
サイレンススズカ!
奇跡の世代による秋王道完全制覇を阻む大金星でグランプリ連覇を達成しました――』
§
不本意な労働を終えたサイレンススズカは疲れ切った身体に鞭打って歓声に応えた。
スペシャルウィークに言わせれば余所行きの笑みだが、使い時は正に此処だろう。
(昔があって今がある……だからそれでいいじゃない)
サイレンススズカはウィニングランを披露しながらターフの一角で足を止めた。
視線の先にあるのはチームリギルのメンバー達。
大観衆が勝者に視線を注いでいるのだ。
リギルの面々も当然ながらスズカを見ている。
「……」
サイレンススズカは東条トレーナーと目を合わせ、深く頭を下げた。
今日この日、サイレンススズカを勝たせたのは間違いなく東条ハナだろう。
その位置取りも披露した戦術も、全て彼女がリギル時代のスズカに教えた事である。
走る事に対して高い適正と潜在能力を示したサイレンススズカ。
東条ハナはその末脚に注目して勝てるウマ娘に育てようとした。
それはスズカの望む走りの方向ではなかった。
だからチームを移籍したのだ。
しかし東条ハナがスズカに見た夢も決して間違いではなかったのだろう。
春のグランプリで自身初の戴冠を果たした時は逃げ勝った。
これは間違いなく今のトレーナーのお陰である。
そして今日、秋のグランプリを制したのはかつてのトレーナーの指導であった。
(ありがとうございました。私は二人のトレーナーを持てた幸せなウマ娘です)
サイレンススズカが頭を上げた時、中山レース場では本日幾度目かの大歓声に包まれた。
東条ハナは苦笑しながら額を手で覆っている。
しかしその口元はおめでとうと動くのが見えた。
サイレンススズカは高々と手を振って観衆に応え、ウィニングランを再開した。
「……でも、二度はやりたくないわ」
気を抜くと半眼になりそうな心境のスズカは、早くチームと日常に帰りたいと願うのだった。
もっとうまく書けた
もっと熱く出来た
そんな後悔は尽きませんが、今ある手持ちで勝負するしかありませんでした
それでも、この年に生まれた私の心残りは粗方浄化出来た気がします
予定では次がラストになると思います