スペシャルウィークはキングヘイローが危惧した通り開幕から出遅れた。
しかし心構えは出来ていたためコンマ数秒で立て直し、他のウマ娘の背中を追走する。
スペシャルウィークにとってウマ娘と競うのは初めての経験である。
当然ながら距離に応じたペース配分も分からない。
偶然ではあるが、ペースを作ってもらえる後方につけたのは運が良かった。
「……コースって走りにくい」
そう言いながらも遅れることなくバ群の後方を直走る。
ターフの感触はまだ足に馴染まない。
しかし現在バ群を形成しているウマ娘達は、スペシャルウィークの体感として早くない。
(お母ちゃんの軽トラのがずっと早かったなぁ)
苦笑したスペシャルウィークは現在自分の前方を走るウマ娘達を意識から消す。
彼女らははっきりと問題にならない。
不味いのはバ群の遥か先を一人走るキングヘイローである。
此処からでは届かない。
そう思ったスペシャルウィークは徐々に順位を上げて行った。
一人抜くたびにウマ娘達は何か叫んでいたようだが、集中しているスペシャルウィークには聞こえない。
キングヘイローを追ううちに自然とバ群の先頭に立つ。
そのまま徐々に後続を突き放し、自分にアドバイスをくれたクラスメートの背中に迫ってゆく。
―――
リギルのメンバー達はそれぞれの感想を持ってレースを観ていた。
その多数に共通していたものは、未熟の言葉。
先頭のキングヘイローとそれを追うスペシャルウィーク。
この二人の走法は姿勢が高く、余りに洗練されていないからだ。
其処を伸びしろと取るか弱さと取るかは人それぞれだろうが。
「あの様子だとキングヘイローか……もう一人は転入生か。どっちもクラスメイトだろ、どう思う?」
「正直、スぺちゃんがこれほどとは思っていませんでしたが……」
エアグルーヴの問いに言葉を濁すグラスワンダー。
レースは先頭のキングヘイローをスペシャルウィークが追い上げている。
走り方は無駄が多く見えるが、地方トレセンの出でもない転入生が地力だけで走っていると考えれば驚異的な事だと思うのだ。
「ヘイローちゃんももう少し妥協が出来れば……」
グラスワンダーから見たキングヘイローは才能の塊である。
しかしその才能が当人の性格や嗜好に合致せず苦労しているタイプだった。
短距離適性が高そうなのにレースの花形たる中距離に拘る。
凄まじい負けん気の強さゆえに首を下げられずフォームが高く伸びてしまう。
全てがそうとは言えないが、ウマ娘達は速度に乗ると前傾が強くなる傾向にある。
だがキングヘイローはその姿勢を意識して嫌がるのだ。
そんな状態にも関わらずポテンシャルだけで善戦出来てしまう為に抜本的な解決に乗り出せない……
そこまで考えた時、グラスワンダーはこのクラスメイトがリギルの方針に噛み合わない可能性に気づいた。
リギルに入ればこのような明確な弱点はきっちり矯正されるだろう。
そしてそれを唯々諾々と受け入れるようなお嬢様ではないのだ。
「スぺちゃんの方がリギルには向いているかもしれませんね」
「どっちにしろ、あの二人にスズカの穴が埋められるとは思えないのがな……」
「…………誰のですか?」
「スズカだよ」
「……その、穴を埋めるっていうのは?」
「お前知らないのか? スズカは今日付けで移籍が決まっているぞ」
「…………はぁあ!?」
―――
レース半ば。
スペシャルウィークはコーナーに際し、外からかぶさるようにキングヘイローに並びかける。
その時、外埒のさらに奥に一人のウマ娘の姿が見えた。
サイレンススズカ。
憧れたウマ娘。
不意に先日レース場で見た彼女の走りを思い出す。
(あの人はもっとこう……低くっ前へ)
スペシャルウィークの態勢がやや前方に傾いた。
その姿勢を維持するために自然と足の運びが早くなる。
意識と無意識がかみ合い、加速するスペシャルウィーク。
何かを掴んだ気がした。
今なら母の軽トラにも勝てるかもしれない。
しかしそんな想像はすぐに現実に吹き飛ばされる。
「着いてこないでください」
「そんな事言われてもっ」
確かに自分は加速した。
しかし隣を走る親切なクラスメイトも同様に加速してくる。
スペシャルウィークのように走法が変化したわけではない。
キングヘイローはそのまま余力を切っただけ。
自分は今、凄いウマ娘と走っている。
そう感じたスペシャルウィークは自然と笑みが浮かんできた。
最後の直線に入る。
内からキングヘイローが出れば外からスペシャルウィークが差し返す。
しかし突き放す事は許さず内で粘るキングヘイロー。
リギルの関係者も固唾をのんで見守るマッチレース。
レベルの高低に関わらず、ウマ娘同士の競り合いは心を熱くするものがある。
最終一ハロン。
粘るキングヘイローをじりじりと差すスペシャルウィーク。
鼻差から首差へ。
首差から半バ身差へ。
――ラスト100㍍
はっきりと一バ身の差を付けられたキングヘイローは舌打ちしつつ外に出した。
並んで外を走っていたスペシャルウィークに、内に入れる差を取られたのだ。
此処で被られて縦に並んだら抜き返せなくなる。
状況にもよるが、マッチレースで外から抜いたら内に被せてブロックするのは勝つための定石だろう。
しかしキングヘイローは忘れていた。
今自分と競っている相手は田舎から出てきた転入生。
ゲート入りも初めてならば距離に応じたペース配分も分からない。
当然ながら、戦術としてのコース取りなど理解しているはずが無かった。
「……ッ」
スペシャルウィークは内に入らず、キングヘイローはその真後ろに自分から着けてしまう。
此処から抜き返すにはもう一度左右どちらかに進路を取らなくてはならない。
そうするだけの距離はもう、残されていなかった。
――ラスト50㍍
「スぺちゃーーーん!」
それはこのレースに導いてくれた優しいクラスメイトの声。
自分は本当に運が良い。
転入早々であるにもかかわらず、皆はとてもよくしてくれた。
この学園に来れて本当に良かった。
感謝が胸の内を満たし、期待に応えるべく必死に駆けるスペシャルウィーク。
「あっあぁ……」
しかし声の主はその様子に血の気が引いた。
自分が致命的な勘違いをしていた事。
その誤解に気づかないまま、彼女を此処に連れてきてしまった。
グラスワンダーは罪悪感と焦りの中で必死に叫ぶ。
最早頭の中は真っ白になっていた。
理非善悪は関係なく、双方がもっとも傷つかないと思われる選択肢。
意識しての事ではなかった。
「勝っちゃダメですスぺちゃん! 負けてぇっ」
「はぁっ!?」
リギルのメンバーが、ギャラリーが、そしてスペシャルウィークとキングヘイローが。
グラスワンダーに当惑の眼差しを向けて来る。
しかしグラスワンダーはそれどころではない。
スペシャルウィークはリギルに入りたいのではない。
サイレンススズカと同じチームに入りたいのだ。
それが叶うと思って連れてきてしまったのは自分。
結果として嘘になってしまった言葉。
――ラスト10㍍
スペシャルウィークが迷う間、更にその外に出したキングヘイロー。
其処から着差半バ身まで詰めた所がゴールだった。
先にゴール板替わりのヒシアマゾンの前を通り抜けたのはスペシャルウィーク。
グラスワンダーは誰も報われないこの結末に膝から崩れ落ちた。
「あぁ……」
かろうじて折れた右足を庇う事だけは忘れなかった。
しかしスペシャルウィークに何と言って声を掛けたらいいか。
答えの出ない問いがグラスワンダーの頭の中でぐるぐると廻る。
「おい」
「はい?」
そんな彼女に声をかけたのは、チームリギルのエースの一人。
このトレセン学園においては生徒会長も務める生きた伝説、シンボリルドルフその人である。
「グラスワンダー。さっきのは何だ?」
「あ……」
「……お前がエルコンドルパサーに執心していたのは知っているが、それでもレース中のウマ娘に負けろとは看過しえんぞ」
「ち、違うんです会長。あの、スぺちゃんには夢があって、それが此処では叶わなくて……」
「日本一のウマ娘に、リギルでは成れないか?」
「は……?」
グラスワンダーは噛み合わない自分とシンボリルドルフの会話に首を傾げた。
そしてレース前、スペシャルウィークが目標としてあげていた言葉を思い出して息を呑む。
日本一のウマ娘になると、スペシャルウィークは言っていた。
サイレンススズカの件を知らずに日本一の目標だけを知っていれば、シンボリルドルフの反応は当然だった。
そして他のリギルの面子も大抵は同じだろう。
「グラスちゃんの事、ちょーっとお姉さん甘やかしすぎちゃったかなぁ」
背中から掛けられたその声。
悪意や害意は欠片もないのに、グラスワンダーの顔から更に血の気が引く。
震えながら首を巡らせば、リギルの古参マルゼンスキーの姿がある。
更にその隣にはリギルの腕力担当、タイキシャトルの姿まで。
グラスワンダーの右足が無事であっても絶対に逃げ出せない包囲網。
「なぁ、グラスワンダー」
「……あぁ」
「説教だ」
「あぁああああああぁああああああ……」
タイキシャトルとマルゼンスキーに両脇を固められ、連行されるグラスワンダー。
ギャラリーの中から見ていたセイウンスカイとエルコンドルパサーは顔を見合わせるしかない。
「ウンスー。これ笑って良い所デース?」
「裏は……取ってからの方が良いかな。そっちは任すね」
「ハーイ。ウンスはお嬢様のお守りデスカ?」
「……誰もやってくれないんだから私がするしかないでしょ。すぐ行ったら荒れるから夜にでも話すよ」
キングヘイローは敗北して周囲に当たり散らす性格ではない。
しかし敗戦に何も感じない程悟ってもいない為、吐き出させてやる友人が必要なのだ。
世話が焼けると息を吐くセイウンスカイ。
その顔が緩んでいる事はスルーしてやるエルコンドルパサー。
「それにしてもスぺちゃん、ヘイローちゃんに勝っちゃいましたネ~」
「そうだねぇ。道中あれだけバタバタ走ってて、上がりは三ハロン33秒8でまとめて来たのは凄いかな」
「……ウンスちゃんストップウォッチ持ってたデース?」
「うん。これだけは手放したこと無いから」
それだけ言ったセイウンスカイは背を向けて歩いていく。
夕日に照らされた後姿をしばらく見ていた怪鳥。
ややあって気持ちを切り替えたエルコンドルパサーは、自分も親友の為に動くことにした。
この件で一番事情に詳しいものは誰か。
「多分トレーナーさんデスよネ」
部外者の身で他所のチームに乗り込む事は以前の荒らしで慣れているエルコンドルパサーである。
リギルの説明をするためかスペシャルウィークを伴って引き上げるその背中に、エルコンドルパサーは駆け寄っていった。
§
「厄日なんでしょうか……」
グラスワンダーが解放された時、既に外は暗くなっていた。
それほど厳しい叱責を受けたわけではない。
普段の素行も悪くない為事情の確認は丁寧だったし、すれ違いの情状酌量は十分に酌まれたと言えるだろう。
事情を知ったマルゼンスキーはグラスワンダーの背中を叩きながら笑っていた。
タイキシャトルには友人の為にと献身したことをむしろ褒められた。
シンボリルドルフは、それはそれとしてレース中のウマ娘にかけていい言葉ではなかった点を咎められた。
グラスワンダーも全面的に自分が悪いと納得していたために反論のしようが無い。
あるのはスペシャルウィークに対する罪悪感。
そしてエルコンドルパサーに対する釈然としない苛立ち。
すなわち八つ当たりである。
深いため息を吐きながら寮に戻ったグラスワンダー。
一歩中に踏み入ると、其処には想像もしない光景が広がっていた。
「あ、グラスちゃんお帰りなさい。大変だったねー。大丈夫だった?」
「す、スぺちゃん……」
寮入り口のロビーで談笑していたスペシャルウィークとエルコンドルパサー。
グラスワンダーの帰着に気づいたのは扉の向かいに座っていたスペシャルウィークだった。
すぐに椅子から立って自分をねぎらう級友に困惑するグラスワンダー。
どんな顔をしていいか、なんといって謝ろうか。
そんな事ばかり考えていたグラスワンダーは明らかに気勢を制された。
混乱するグラスワンダーの様子に頓着せず、スペシャルウィークは事情を語る。
「あの後私も混乱してたんだけどね。エルちゃんが追いかけてきたんだよ」
「エルが?」
椅子ごと向き直ったエルコンドルパサーが曖昧に笑いながらグラスワンダーに手を振った。
「うん。エルちゃん、今日のお昼の事とか話してたらトレーナーさんの方が直ぐに事情は分かったって納得してたんだー」
「え、エルぅ……」
自分が動けない間にトレーナーとスペシャルウィークの誤解を解いておいてくれたのか。
時間がたてばたつ程こじれた可能性があり、内心で気が気でなかったしこりが取れた。
安堵と感謝で瞳がにじんだグラスワンダーは改めてレース中の暴言を謝罪した。
それを笑顔で受けるスペシャルウィーク。
「ヨカッタデスネー」
「はい。エルも、本当にありがとうございました」
もしもこの時、グラスワンダーに常の冷静さがあれば気づいたかもしれない。
エルコンドルパサーのキャラ作りが何時もより更に固くなっていたことに。
そしてスペシャルウィークの目が、口元程には笑っていなかったことにも。
「それでねグラスちゃん、レース中の言葉はもういいんだけどね」
「はい?」
「リギルにね。スズカさんはいないんだって」
「……」
「スズカさん、いないの」
「……」
「ねぇグラスちゃん」
「ハイ」
「スズカさん……何処?」
スペシャルウィークはグラスワンダーの手を両手で取り、可愛らしく首を傾げて繰り返し問う。
首だけを動かしてスペシャルウィークの肩越しに親友と目を合わせると、同じような仕草で首を傾げている。
グラスワンダーは脳ミソをフル回転して事情を推理する。
次にスペシャルウィークにかける言葉は最大限の注意を払う必要があった。
(エルは昼の事情をトレーナーに話した。トレーナーはスズカさんの離脱を知っていた。其処でトレーナーさんは私の事情を分かってくれた。後はスぺちゃん。スぺちゃんは……エルはスズカさんのリギル離脱を知らなくて、スぺちゃんに話したのはトレーナーさんで……あ、駄目だこれ)
トレーナーはスズカが移籍することを話しても、その理由や行先までは話さないだろう。
プライベートかもしれないし、意見の対立もあったかもしれない。
そしてグラスワンダーはサイレンススズカとそれほどチーム内での付き合いが無かった。
スペシャルウィークに対して悪気が無かった事は伝わっても結果に対するリカバリーが出来ない。
「しかも、しかもね? これスズカさんが離脱する代わりの選考レースだったんだって! じゃあそれに受かった私がスズカさんを追いかけて移籍とかって出来る? 無理だよねこれちょっと。ねぇ」
「いえ、実はこのレースはエルのリギル入りが……」
「エルちゃんはコメットっていうチームに入ったって聞いたよ」
「それが本当に間の悪い事にですね……」
スズカがいると言われて入ったチームに、実は目当ての先輩がいなかった。
しかも第一目的がスズカなのに、その理由だからこそ移籍が認められないのだ。
スペシャルウィークの遣る瀬無さがはけ口を求めた時、原因のグラスワンダーに向かうのは当然とは言わなくても自然な事だった。
「ま、今夜はいっぱいお話しようグラスちゃん。寮長さんってリギルの人だったんだね。今回の事で後輩が迷惑かけたねって、其処でグラスちゃんとお話したいってお願いしたらまた仮眠室の使用許可くれたんだー」
「いや、ちょっと……」
「ここに来てもう二日なのにまーた仮眠室かー。私何時になったら自分のお部屋貰えるのかなー。いやーまいったなー」
グラスワンダーを引きずるように歩き出したスペシャルウィーク。
エルコンドルパサーはやっと肩の荷が下りたとばかりに大きく一つあくびをした。
「それじゃごめんねエルちゃん。奥さんちょっと借りてくねー」
「おっけー。そんな古女房でよかったら何時でも持って行って良いデスヨ~」
「古っ……同い年ですよねぇエルっ」
「ほーんと、グラスは何時も世話が焼けるんデスから」
「はぁ!? だ、誰のせいでこんなことになったと思ってるんですか」
「ほらほら、その辺の事も含めて色々お話聞かせて欲しいんですよー。リギルの先輩のグラスちゃんに」
「い、いや。待って……た、助けてエル!」
「グラスー騒ぐと近所迷惑デース」
あっさりと親友を見捨てた怪鳥。
背を向けたままふらふらと手を振り、自室へと引き取っていく。
肩越しに一度振り向けば、今度こそスペシャルウィークに連行されていくグラスワンダーの姿。
心の中でドナドナを歌いながら見送ったエルコンドルパサーはルームメイト不在になるであろう今夜、気兼ねなく飼っているペットを可愛がれる幸運を喜んだ。
§
時は遡り夕刻の頃。
あるチームの詰め所では一人の男性トレーナーがウマ娘に遊ばれていた。
「惜しいなぁ……くそう。先に目を付けたのは間違いなく俺だったのに」
「何時までもめそめそしてんなよ。スズカはうちに来てくれただろ」
机に突っ伏して情けない声を上げる男と、その男を軽く蹴り続けるウマ娘。
長い葦毛の髪を弄びながら片手でルービックキューブを解くそのウマ娘の名はゴールドシップといった。
その言葉に顔を見合わせたのは、チームメイトである二人のウマ娘である。
「だけどこのままだと、うちのチーム今期のクラシックに出れるウマ娘いないわね」
「まぁなぁ。私もスカーレットもまだA組だし」
その男は先日の東京レース場で一人のウマ娘を見初めていた。
しかし今日、アプローチをかける間もなくリギルの選考レースに受かってしまったのだ。
転入早々トップチームの入部テストに受かるなど滅多にある事ではない。
男としては自分の見る目が証明された形だが、大魚を逸した事に変わりはなかった。
「……」
トレーナーは詰め所を見渡し、自分の信じたウマ娘達を確認する。
ゴールドシップ。
ダイワスカーレット。
ウオッカ。
そしてサイレンススズカ。
彼女らとこの男性トレーナーが作るチーム名は『スピカ』といった。
いずれ劣らぬ素質を持ったウマ娘達である。
男としては何としてでもあと一人メンバーを探し出し、栄えあるオープンクラスへの出走権を勝ち取らなければならない。
「すまんお前ら。もう少し待ってくれ。必ずあと一人、このスピカで夢を追うウマ娘を見つけてみせる」
「あんま一人で気負ってんじゃねーぞトレーナー」
「そうそう。私やこいつみたいに、案外突然あっちからやってくるかもしれないわよ」
「その為にはまた、あんときみたいなイカス広告が必要じゃねぇかな」
「そうね。キャッチコピーはトレーナーのセンスに任せるとして……スズカ先輩、絵とか描けません?」
「ちょ、ちょっとそういうのは……」
前向きなウマ娘達に内心励まされる男。
だが、だからこそこの明るさを曇らせる訳にはいかない。
トレーナーが決意を新たに固めた時、詰め所の扉を叩く音がした。
「あのー。ちょっと良いですかー」
「はーい?」
ダイワスカーレットが席を立ち、声に応えて扉を開ける。
其処にいたのは看板を肩に担いだ一人のウマ娘の姿があった。
「チームスピカへようこそ。何か御用?」
「あー……この立て札ってまだ有効かなーって」
ウマ娘は肩で看板の脚を回す。
表がえった其処に描かれていたのは頭から埋められたウマ娘達の絵。
更にはスピカへの勧誘と、もしチーム入りを拒否した場合は絵のような未来が待つとの脅し文句。
「あ! あたしが描いた奴じゃんそれ」
「あぁ、君が描いたの? 良いセンスしてるよねーこれ」
来客たるウマ娘はふわふわと笑いながら看板を製作者に手渡した。
自分の看板が一人のウマ娘を呼び込んだ事で上機嫌になるゴールドシップ。
「あんたはうちのチームに入ってくれんの?」
「面白そうな看板を見かけたからねー。条件によっては入りたいと思ってきたよ」
「条件ってのは?」
「皐月賞のトライアルも迫っているんで、すぐに始動出来る所じゃないと辛いなぁって」
「そりゃ丁度いいや。あんたが入れば五人だからな」
「そっか。それにしても……」
そのウマ娘は一通り室内を見渡し、一人のウマ娘の所で視線を止めた。
「此処にいたんですねぇ……サイレンススズカ先輩」
「えぇ」
「何時から移ったんです?」
「今日付けで」
「なるほど……あはは、余り物には福があるって事なのかなぁ。あー……こりゃグラスちゃんもスぺちゃんも浮かばれないわ」
一頻り笑うウマ娘と、何が可笑しいのか分からず首を傾げるスピカ一同。
やがて落ち着いたウマ娘はトレーナーに向き直り、静かに一つ礼をした。
「私はジュニアCクラスのセイウンスカイ。よかったら、このチームに入れてください」
「ああ。よろしくセイウンスカイ。これからこのスピカで、お前の夢を追いかけてくれ」
「夢ですか?」
「ああ。そうだな……最初に聞いておきたいんだが、君の夢……目標ってのは、なんだ?」
「目標……んー、具体的にこれって決まって言えるモノじゃないんですけど」
「まだ、見つかっていないのか?」
「……いや、ある」
セイウンスカイは服の下で首にかけているストップウォッチを取り出した。
表示を見ずに手の中だけで、無心に操作を繰り返す。
それはセイウンスカイがこれまで数千、数万と積み上げてきた12秒。
「……」
彼女には意識の中に沈み込むときに見えるモノがあった。
それは常に見えるわけではない。
見えたとしても暗く遠く、擦り切れた映画のフィルムのようにあやふやな景色の先に感じるナニか。
其処には見た事もない葦毛の生き物の姿があった。
不気味さや不快さは感じない。
ただ、其処に居続けると無性に泣きそうになる……そんな心の場所。
「誰かに見て欲しいんだよ」
「誰かって……誰でもいい、不特定のファンって事じゃなさそうだな」
「そうだね。だから勝つ。そして探す。そのうち私が思い出すかもしれないし、もしかしたら向こうが私を見つけてくれるかもしれないしねー」
「そうか……」
トレーナーはセイウンスカイの内面が見た目ほど穏やかではない事を感じ取った。
ウマ娘達はその本能的な部分において走ることを求める。
だからこそ何のために走るのかを自分自身で決めなくてはならない。
ウマ娘一人一人違う夢があり、目標がある。
その目的地を定めないまま走り出してもたどり着くことは出来ないのだ。
男の経験上決して多くはないが、セイウンスカイのように自分でも分からないモノに手を伸ばすウマ娘はいた。
殆どはメンタルに自覚していない爆弾を抱えているタイプであり、順調に勝ち進めたとしても何かのきっかけで壊れる可能性を持ったウマ娘。
彼女を預かると言う事はトレーナとしての信頼はもちろん、チームの一員としてスピカと深い絆を育ませる必要があった。
何時かセイウンスカイの爆弾が爆ぜた時、彼女自身を支える絆を。
「責任重大だな」
「ん?」
「クラシック世代のウマ娘を預かるんだ。お前がうちを選んだ事、きっと後悔はさせないからな」
「期待してるよー」
頷くと同時にスズカ以外のメンバーに群がられたセイウンスカイ。
長身のゴルシにガシガシと頭を撫でられ、ウオッカやスカーレットには今年挑戦するクラシックレースの話をせがまれる。
「責任重大だな……本当に」
この日、ついに五人目のメンバーを揃えて始動したチームスピカ。
彼女らの夢が星のごとく輝くか。
それとも多くのチームと同じように夜空に霞んで見えなくなるか。
未来を知る事は出来ない。
出来る事は未来を信じる事。
そして、現在を努力する事である。
ようやくアニメ一話分が終わりました
短編として最初に考えていたのは此処までです
主に自分が妄想しやすい設定をまとめるために書いていました
ただ、ウマ娘ロスが激しいのとゲームが冬まで伸びたので続き書こうか迷っています