ジュニアCクラスの中から突如あふれ出したタイキシャトル復帰の報。
それは同級生たちによって瞬く間に所属チームに持ち帰られた。
その後学園は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる。
特に短距離路線で売っているチームは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
エルコンドルパサーが所属しているチーム『コメット』も、シニアの二人は主に短距離からマイルで活躍するウマ娘である。
しかし話を持ち込んだ怪鳥は、この程度でどうにかなる先輩方とも思っていない。
Cクラスの授業後に集ったコメットの部室。
下の二人を待つ間の話題は自然とタイキシャトルに関するモノとなった。
「タイキシャトルがねぇ……あいつが帰ってくるたぁ……ま、めでてぇな」
「本当に戻ってこれるの? 何かの間違いじゃなくて」
「リギルの同級生が本決まりって事でしゃべってましたから。後はレースの日程を組むだけ、当人はばっちりって感じだと思いますケド~」
「……そう」
シルキーサリヴァンはほろ苦い笑みでかつてのライバルの一人を語る。
そしてシーキングザパールは舌打ちでもしそうな程に顔をゆがめていた。
その反応はエルコンドルパサーの予想に反する。
てっきり鼻で笑って迎え撃つものだと思っていたのだ。
「どうしたんデース? もしかして、先輩方ビビってル~」
「おめぇタイキシャトルの戦績知ってんのかよ」
「んー、昔のマイル路線の事はちょっと」
「……20戦11勝2着1回よ」
「……おめぇが覚えてるのも意外なんだが」
「死ねばいいとすら思っている相手を無視するのも難しいでしょう」
艶然と微笑むシーキングザパールに背筋が凍る元牡馬二人。
エルコンドルパサーは思わずといったていでシルキーサリヴァンの影に隠れる。
「おぃ、後輩がビビってんぞ」
「びびびびってないしっ」
「声震えてんじゃねぇか……」
「キャラ作りも忘れてるわよ」
そら恐ろしい雰囲気を消したパールが何時もの様子でからかってくる。
これが先程まで誰かの死を望んでいたウマ娘の態度だろうか。
妖怪でも見たような心地のエルコンドルパサーである。
「まぁ、其処だけ聞くとそこそこのウマ娘って感じだろ?」
「いや、スタート一つ間違っただけで潰しのきかない短距離からマイル戦で二桁勝ってるって凄い気が……」
「そういやそうか……しかも12戦11勝2着1回でもあったんだぜ」
「ん……ん!?」
聞き流しかけてその意味に気づいた怪鳥。
「つまり出だしからはほぼパーフェクトだったんデース?」
「そう言うこった。今マイル以下の路線でテンパってる連中はその事を覚えてる奴らだろうな」
「……でも逆に言うならキャリア後半で失速したんデスよね? こう言っちゃーなんですケドー……終わったウマ娘なんじゃ?」
「その通りよ」
「黙れパール」
「ふん」
シルキーサリヴァンが珍しくシーキングザパールをたしなめる。
つまらなそうにそっぽを向いたパールだが、部屋を出ようとはしなかった。
一応話に加わる心算はあるらしい。
「キャリア前半のあいつは淑やかなお嬢さんって感じでよぅ」
「先輩も見た目だけならそんな感じデスヨ~」
「奴の場合は中身もだ。俺達と同じアメリカ生まれで、慣れない日本語で片言でさ……丁度お前さんのキャラ作りを素で行ってる印象だったな」
「キャラ作りじゃないデースっ」
「まだそう言い張れる貴方には感心するけれどねぇ」
「……まぁ、当人がそういうなら尊重しようじゃねぇか」
「そうね」
「むぐぐぅ」
何やら分かり合ったような年上二人。
この場では若輩である事を自覚している怪鳥は不満を耐えて飲み込んだ。
「実力は本物だった。だがどうにもメンタルが弱くてな……寂しがりって言うんだか、異国で一人戦っていくには心もとない部分もあったもんだ」
「それでも、勝ち続けたんデスネ」
「ああ、見事なもんさ。だが勝ち続ければ周囲の見方は変わってくるもんだ。やっと環境に慣れて、国内のマイル路線を制圧し終わるころには海外遠征って話を望まれて……トントン拍子に決まっちまった。当人やトレーナーが熟考する暇もなくな」
エルコンドルパサーはシルキーサリヴァンの話を聞きながらシーキングザパールの様子を盗み見ていた。
恐らくこの時マイル路線にはパールもいた筈である。
そして当時のタイキシャトルの戦績。
彼女もまた、制圧された側だったろう。
しかしその一事を持ってこれほどまでに忌み嫌う事があるのだろうか。
その辺りをもう少し聞いてみたい気もするが、今はシルキーサリヴァンの話も興味深い。
「海外遠征にはどうしたって金がかかる。だがファンはタイキシャトルの海外制覇を夢見て、その人気に乗っかるように学園も多少の支援を申し入れてきたんだとさ。当時、リギルは今ほど大きくも強くもなかったからな。確かに千載一遇の好機って奴ではあったのさ。だけどこの話にはもう一つおまけもついていたんだよ」
「おまけ?」
「当時はリギルより大きいチームでエース張ってたパールさ。保険って事なのかねぇ……ほぼ同時に学園からチームに提案があったそうな。『少し』資金出してやるから海外遠征しねぇか? ってな」
「私の方の話をおまけ扱いは酷いんじゃないかしら?」
「んな事言ったってあの扱いはおまけか保険だろ。当時おまえが勝ったって聞いた時、周りで喜んでたの俺しかいなかったからな? 皆きょとんとして何時行ってたの? って不思議がってたぞ」
「……っ」
「蹴んなって」
間髪入れずに飛んできたローキックを、右の足裏で受けるシルキーサリヴァン。
ウマ娘の脚力を片足で止められたのはパールが本気ではないからだろう。
それでも膝に抜けるような衝撃を感じたが。
「で、この結果は知ってるよな。見事パールもシャトルも欧州G1を勝利して凱旋さ。あんときは盛り上がったもんだ……当事者同士で何があったかは知らねぇがな」
「何か……あったんデス?」
「あったんだろうなぁ」
そう言ったシルキーサリヴァンは半眼を一方の当事者に向ける。
シーキングザパールは顔色一つ変えずにその視線を無視した。
「パールが戻ってシャトルが戻って……すぐの事だった筈だ。これに関しちゃ未だにどっちも口を割らねえんだが……俺が見たのは校舎裏でパールを締め上げて今にも殴ろうって感じのシャトルだった」
「……淑女はどこにいったデース」
「だから俺も驚いた。驚いて…………はぁ」
憂鬱な息を吐くシルキーサリヴァン。
それは今まで怪鳥が見て来た彼女にはとても似合っていなかった。
困ったようにシーキングザパールを見るが、その顔は能面を思わせる無表情。
少なくとも自分やシルキーサリヴァンが何を言おうと口を割らせることなど出来そうもなかった。
「思わず張り倒して引き剥がしちまったんだよな……シャトルの方を」
「それ、もしかしなくてもタイキシャトル先輩は以前……」
「男だったと感じてる」
「じゃあ先輩の目には男の人が力任せに女の人を締め上げて殴ろうとしている場面ですか……」
「咄嗟だった。だけどあの時のシャトルの……心底傷ついたってのより前に来た信じられないものを見たって目は今もって忘れられねぇよ」
「んー……シルキー先輩ってタイキシャトル先輩と仲良かったんデース?」
「同じ短距離からマイルが戦場だったし、そもそもアメリカ生まれだしな。特に一回オープンで差し勝った後は懐かれてたと思う。多分冗談だったんだろうが、リギルに来ねぇかって誘われてもいたしな」
「へぇ……」
エルコンドルパサーはシルキーサリヴァンがうな垂れている間に、ふと立ち上って自分のロッカーを開ける。
取り出したのは学生カバンの中にあるノートと筆記用具。
その一ページを静かに破り、さらさらと文字を書いていく。
「……話を戻すが、シャトルが失調したのはその後からだった。帰国後初戦のマイルチャンピオンシップは勝ったものの明らかに太め残りで調整を欠いていたし、その後のスプリンターズステークスに至っては絞る所か更に増えてやがった。もう真面な状態じゃなかったんだろうな」
「その間ってシルキー先輩はどうしてたんデス?」
「俺の方でもハードバージの件で駆けまわっていたんだよ……あいつが一番ダメだった頃だ。その上、シャトルの件でリギルは出入り禁止喰らっていた。俺も手を上げちまった手前何も言えなかった」
「シルキー先輩が前にコミュニケーション失敗したって言ってたアレ、タイキシャトル先輩の事だったんですネ」
「その後のあいつは……見ちゃいられなかった。不自然な程激太りして来ることもあれば周ってこれるのか心配な程痩せてきたり……結局、掲示板に乗る事もなくなっちまった。去年に至っては一走もしてねぇ筈だ。終わったウマ娘ってのはパールだけじゃねぇ、多分皆思ってたろうな」
顔を上げることなく、当時のライバルの様子を語るシルキーサリヴァン。
エルコンドルパサーはその隙に、破ったノートの切れ端をシーキングザパールの上着のポケットに押し込んだ。
いぶかしげな顔をしたパールだが、この場で紙を確認する様子はない。
「それが何で今になって皆大騒ぎしてるんデスか?」
「其れこそ、東条ハナとあいつのリギルが今日までに培ってきた名声と、ある種の信頼だろうな。シャトルが海外遠征に行った頃はまだ周りの雑音に振り回される青臭さが残ってたもんだが……今のあいつは超がつく一流どころのトレーナーさ。奴が一年以上強制的に休ませたウマ娘のリスタート、必ず何か用意してる……ってな」
「成程ネ」
エルコンドルパサーがシーキングザパールから離れた時、シルキーサリヴァンも顔を上げた。
その瞳には常の闊達さが戻っている。
チームメイトはそんなリーダーの様子にひとまず安堵の息を吐いた。
「この時期から出てくるって事は、大目標はマイルG1の安田記念だろうな。うちも折角五人揃ってオープンの出走権が手に入ったんだ。こりゃ、派手に出迎えてやらにゃなるまいよ」
「出るのね」
「おぅ、おめえはどうする?」
「終わったウマ娘が一人出てくるくらいで回避する理由は無いでしょう」
「……決まりだな」
活気づいてきた雰囲気がエルコンドルパサーにも心地よい。
「先輩方、頑張ってくださいね!」
「おぅ。いや、おめぇはどうすんだよ」
「はい?」
「いや、おめぇさん……クラシック……」
「……あ」
§
その後しばらくして、トレーナーを含めた全員がコメットの部室に集合した。
実はコメットは平時の集まりが悪いチームである。
基本的なメニューはトレーナーによって指導されるのだが、それをこなすもこなさぬも自分次第。
それによって得られる結果に関しても自己責任というのが基本姿勢としてあった。
しかしチームに仲間意識が無いかと言えばそれも違う。
コメットはチーム内の誰かが相談事やトレーニングパートナー探しに声をかければ自然と全員が集まってくる。
「そいじゃ、先ず決まってる事から行きましょ!」
テンションの高いアグネスデジタルがホワイトボードに書き込むのは安田記念の文字。
其処にシルキーサリヴァンとシーキングザパールの名前を記入する。
これは春の最終目標であり、どんなステップレースを踏むかは未定であった。
「ステップレースはエルコンドルパサー先輩の路線次第でしょうかー?」
「そだねドトウちゃん。今年は多分……出るよ」
「怨霊ですかぁ?」
「違う! 三冠ウマ娘! ナリタブライアン先輩以来六人目の三冠だって」
「それでしたら、シンボリルドルフ会長以来の無敗の三冠ウマ娘も行けるのではないかとー」
「それだ」
メイショウドトウとアグネスデジタルは決まったかのように言ってくれる。
その信頼はエルコンドルパサーの胸を熱くしたが、反面では罪悪感も煽ってくる。
そうしていると何故か隅の方に座っていたハードバージが手を上げた。
「はい、トレーナー」
「私もエルちゃんなら本当に取れちゃうかなーって思うんだけどさぁ」
「んっひひひひぃ、たんまぁーには良い事言いますねぇ」
「本当ですよね……エル先輩がクラシック取れないと、デジちゃんはともかく私とか、ほら……夢も希望も……」
「そこの負け犬だって皐月は取ってんだ。おめぇもそんくれぇ余裕だろうさ」
「あぁ、えぇと……がんばりますぅ」
シルキーサリヴァンの言葉に疑わし気な視線を返すメイショウドトウ。
彼女の内気でマイナス思考な気質はハードバージに共通するものがある。
しかしお互いの中に自分の嫌いな部分を見てしまう為、出来る事なら柵の外から礼儀を尽くしたい相手でもあった。
それはハードバージの方でもそうだろうが。
「先ずは当人の考えを聞いてみようよ」
「むー……ちょっと待ってくださいネ~」
話を振られたエルコンドルパサーは自分の春レースに展望が無い事を改めて意識した。
正確には彼女の中にはしっかりとした目標もあれば道筋もある。
その目標に照らし合わせた時、春のクラシック戦線は本当に必要なのか。
他のチームであれば何となく皐月賞のトライアルを模索し始めていたかもしれない。
しかしシルキーサリヴァンは言っていたのだ。
チームの利点はこの国のレースに出られるだけだと。
出られなければ海外の重賞を狙えばいいとも。
世界に出る。
コメットにはその土壌がある。
それならば……
「前にちょっとパール先輩には話したんだけどさ……私ジュニアBの頃、やりたい事があったんだよね」
「夢ですか?」
「そう夢。ジュニアCの同期でチームを作る。そしてクラシックで世代最強を決めながら宝塚、秋天、JC、有馬でシニアクラスを薙ぎ倒す。そんで解散。誰かが最強なんじゃない、私達が最強だったって後々まで語られるような……そんな挑戦がしたかった」
「……」
「言ってる事だけでっかくてもーって笑われるかもしれないけどね。きっと出来るって信じられるだけのメンバーも四人見つかった。最後、あと一人がどうしても絞れなかったんだけど……そうしてるうちに、タイムリミットが来ちゃった」
メイショウドトウとアグネスデジタルはそれぞれにクラスメイトの顔を思い浮かべる。
エルコンドルパサーが語った、終わった夢。
それほどまでの想いを共有できる仲間がクラスの中に何人いるだろうか。
「私にとってこれから目指す夢は、諦めたこの夢を埋め合わせるモノじゃないと駄目なんだよ。そう考えた時さ、無敗の三冠ウマ娘程度じゃ全然足りそうもないんだよね」
「初めて会った時からそうだったけれど、器の大きさは本当に凄いわね貴女」
「頼もしい限りじゃねえか。そんで、お前が腹いっぱいになる夢ってのは何なんだ?」
「私は、世界一のウマ娘になります」
「具体的には?」
「――凱旋門賞」
「なるほど」
「――ドバイワールドカップ」
「おい」
「――ブリーダーズカップクラシック」
「……」
シルキーサリヴァンは信じがたいものを見たといったていで後輩の顔を見る。
それはハードバージやシーキングザパール。
そしてアグネスデジタルやメイショウドトウも同様だった。
「ま、ワタシは謙虚なウマ娘なのでこの三つくらいで勘弁してやりマース!」
「どれかじゃなくて?」
「イエース! って所を目指していきたいんですけど……ダメ?」
「いや、やれるもんならそりゃやっちまって欲しいもんだが……」
シルキーサリヴァンとシーキングザパールが互いに顔を見合わせて言葉に詰まる。
凱旋門賞は12ハロンの芝レースでありドバイWCとBCクラシックは10ハロンのダート戦。
しかも全てが違う国で開催されるレースである。
これを狙いに行くと言葉にするのは容易いが、実行するとなるとどのように支援していくか。
年長組が思案に暮れている中、年少組は先ずレース自体を調べだす。
いささか奇妙な事に、この時エルコンドルパサーの夢を不可能だと感じた者はいなかった。
「えっと……凱旋門賞が10月でドバイミーティングが春の頭でこっちはもう間に合わなくてぇ……ブリーダーズカップが11月ですかー。一年で回るのは無理ですねぇ」
「本気で取りに行くんなら、先ず凱旋門でしょ! 後回しにすると勝負服の重りがきつくなっていくし此処だけ芝だもん。日程も三つの内で真ん中だし、此処だけ切り離して考えたほうが良いかも。年間の日程にすると……」
ホワイトボードにエルコンドルパサーの名前を書き込んだアグネスデジタル。
その下には一年目、二年目、三年目の文字が追加される。
「大雑把に考えてる所だトー……一年目で国内荒らして遠征費調達、二年目の何処かでフランスに入ってトライアルから凱旋門賞、終わったらすぐにダートのトレーニングに切り替えて三年目頭でフェブラリーステークス……これはドバイとBC両方のトライアルになってマスから、此処で勝てるかが分水嶺になるネ」
「……フェブラリーステークスの直後にドバイワールドカップが来る日程が苦しいな」
「其処さえ超えてしまえば、BCまではある程度余裕を持って現地入り出来るわね」
「一年目を効率よく進めるためには秋、世代混合戦が本格的に始まってからが重要だねぇ」
ハードバージが立ち上がり、アグネスデジタルが陣取るホワイトボードの前に立つ。
其処でデジタルからマーカーを受け取り、一年目の欄に記入していく。
「秋の頭の京都大賞典か毎日王冠、次のマイルチャンピオンシップかジャパンカップ、後は有馬記念……この三つの内二つが取れれば、年明けに海外遠征を表明しても表立って文句は出ないと思うよー」
「GⅡはどっちでも良いんですケド……凱旋門狙いなら距離が同じジャパンカップで勝ちたいデスネ~」
「そうだね。世界挑戦をアピールするなら、ジャパンカップが一番の決め手になるよー。其処で決めてしまえれば有馬記念を待たずに次の行動に移れるしね」
ハードバージはそう言って一年目を締めくくり、二年目の欄を埋めていく。
「フランスのレースを全部は覚えてないんで後で調べておくけれど……凱旋門賞のトライアル、フランス国内で絞るとエルちゃんが使えるのはフォワ賞だね。此処は本番と同じロンシャンレース場で、同じ距離だから慣れるためにもいいと思うー」
「ある意味そっちが重要なんだよな。勝たねぇと先がねえんだから」
「そうだね。このフォワ賞が大体九月だから……あっちの気候や芝に慣れるためにも春頃には渡仏したいかなぁ」
一年目の結果次第だが、此処で躓いても最悪二年目の春に挽回がきく日程だろう。
ジュニアCクラスのうちからシニアクラスを倒していくのは容易ではない。
しかし出来れば春天前には結果を出して渡仏したい所である。
「最後にエルちゃんの構想にあった凱旋門賞の後のフェブラリーステークス一本狙いだけど……此処をあえて外してしまうルートもあるね」
「と、言いますトー?」
「ドバイの方は有馬記念とか、アメリカのペガサスWCをトライアルレースに使っていくルートもあるって事ー。同じように、BCクラシックだってアメリカ国内でBCチャレンジシリーズっていうトライアルがあるからね」
「それって国外ウマ娘のワタシが出れましたっけ?」
「出られるよー」
正確には追加登録料を払えばとつくのだが、其処は言わぬが花だろう。
この段階までエルコンドルパサーの計画が進んでいれば資金面で苦労することは無い筈だった。
「その場合凱旋門から後、12月の有馬記念か1月のペガサスWCをトライアルに春のドバイWCを獲る。そしてアメリカに渡って9月くらいのBCチャレンジシリーズの中からクラシックのトライアルを選んで11月に本番かな。フェブラリーステークスを外すとトライアルが早くなる分ドバイに早く入れるし、こっちの方が日程は楽になるよ……ただ、有馬やペガサスは楽に勝てるレースじゃないけどね」
「……チョット待ってくださいネ~。ペガサスカップって簡単に出まーすって言えるレースじゃなかったような?」
「シルキーが一枠出走権買ってるから出られるよー」
「はぁ!?」
「今年そのままシルキーが勝ってるから、来年の登録料も払ってるー」
エルコンドルパサーが呆然としたようにシルキーサリヴァンを見る。
どうだと言わんばかりのドヤ顔を返されるが、それが妙に頼もしい。
「おめぇさんが今年と来年の計画を順調に進められたなら……世界最高の賞金レースへ出してやるぜ」
「……先輩ってお金持ちのボンボンとかデース?」
「なんでだ。普通にBCスプリントやらなんやらで勝ってるんだよ」
「それにしてもよくそんな買い物許されましたネ~」
「むしろハードバージ以外は大賛成したんだぞこれ」
「コメットって……」
「まぁ、詰まるところ……なんだ」
シルキーサリヴァンはチームメイトの顔を一人一人見渡した。
「お前さんの世界三冠狙いとか、めっちゃくちゃ俺ら好みだってことだ」
「ん……ありがとうございます」
エルコンドルパサーはチーム一堂に深く頭を下げる。
ジュニアCクラスのメンバーをチームが支援するのは、其処に生涯一度しか出られないレースが集中しているからである。
その王道を敢えて外れて行く自分にこれほど協力してくれるチームは、決して多くないだろう。
「しかしそうなると、エルコンがある程度自由に鍛えこめる最後の機会がこの春って事になるか?」
「その後の日程は何かしら直近の目標に沿ったトレーニングが必要だものね」
「エル先輩って此処までダートで全勝ですよねぇ。秋の事考えると芝路線は必要だと思いますけどー」
コメットのメンバー達は自然と椅子を持ち寄って円を作る。
それぞれがエルコンドルパサーの春レースについて案を出す中、当の本人は眉間にしわを寄せていた。
今年の怪鳥が目指すのは秋の世代混合戦である。
既に本格化を迎えているシニアクラスのウマ娘達に勝っていく為に必要なモノは何なのか。
エルコンドルパサーは自他ともに認める才能豊かなウマ娘だった。
そんな彼女でも、欲しいと思う武器はいくらでもある。
しかし春シーズンという短い期間で会得できるものは決して多くない。
だから一番欲しいものを目指す。
「マイル路線で勝負しマース」
「……思い切ったわね」
「大目標はジュニアC限定戦のNHKマイルカップ! これなら先輩方と一緒に練習が出来るデショ。ワタシがこのチームに入った切っ掛け。秋と、その先の海外を戦っていく為に一番欲しい武器……シルキー先輩の末脚が欲しいです」
「……そうさな。俺の脚をおめぇが使えるかはやってみねぇと分からんが、幾つか俺から仕込んでおきてぇ事もある」
「よろしくお願いします」
「おう」
それ以降は特に意見も出なかったので解散となったチームコメット。
部室の片づけは年少のドトウとデジタルが引き受けた。
最も椅子は使用者が退出時に片付けているのですることは殆ど無いのだが。
「……まっさか怪我も距離不安も無しに皐月賞やダービー蹴っ飛ばして秋を獲りに行く路線を間近で見る事になるとはねー」
「しかも目指す所は世界三大レースの完全制覇ですよぉ」
「日本のウマ娘は三つとも誰も勝ってないね。一つ取れば伝説、二つ取ったら神話。三つ取ったら……こういうの何て言うんだろうね」
「想像もつかないです。あぁ、だけどねデジちゃん」
「ん?」
「私は……エル先輩の最初の夢も、見てみたかったなぁ」
「……そだね」
エルコンドルパサーが語った二つの夢。
終わった夢と始まる夢。
それぞれをどんな表情で語っていたかを思い出した二人は、怪鳥が抱えた寂寥を思い胸を痛めた。
§
練習後。
エルコンドルパサーは呼び出された校舎裏に向かう。
一口に校舎裏と言っても只管広いトレセン学園の事である。
正確に指定してもらえなければ迷っていたかもしれない。
だから目的の場所に目的の人の姿が見えた時、エルコンドルパサーは思わず安堵の息を吐いた。
「学校案内でもこんなとこ来た事なかったですヨ~」
「良かったじゃない。私と同じ経験を詰めたわよ貴方」
くつくつをしのび笑いを漏らすのはコメット年長組の片割れ、シーキングザパール。
彼女がトレーニングウェアのポケットから取り出したのは部室で怪鳥が押し付けたノートの切れ端。
其処に書かれた一文が呼び出しの理由だろう。
「痴情のもつれ……ねぇ……」
「いや、当たってるとは思ってないんデスヨー。ただそう勘ぐられるのが一番パール先輩は嫌がりそうで、ワタシを放っておいて妄想を膨らませた挙句、うっかりシルキー先輩に話されると嫌でショ?」
「それは最悪ね」
「だからシルキー先輩に話せない事で、ワタシには釘を刺しておきたい事なら真相って言うのを話して貰えるんじゃないカナー……ってネ」
心底面倒くさそうに舌打ちをしたシーキングザパールである。
しかし此処で話すデメリットと話さないデメリットを比べれば後者の方が遥かに危険ではある。
恐らく話さなくてもエルコンドルパサーが有る事無い事をシルキーサリヴァンに話すことは無い。
そうは思うのだが、こうしてそのリスクを意識させて交渉してくる程度の強かさは持っている相手なのだ。
「……そのキャラ作りがやっかいなのね。阿保っぽく見えていつの間にか油断しているんだわ」
「何度も何度も何度も何度も申し上げますが、断じてキャラ作りではありません」
「分かったわよ。だからその……真顔で詰め寄るのやめて頂戴」
「ハーイ」
一つ息を吐いて観念したパールだが、すぐには話に入れない。
此処に来る間、当時の事は何度も反芻した。
それでも整理しきれない想いがあるのだ。
「ほんっとーに御免なさい。ワタシも興味本位でひと様の事情に首を突っ込みたくないんですケドー……ウマ娘に蹴られて死にたくないしネ」
「ふん」
「だけど先輩も知ってるデショ? ワタシの親友がリギルなんですヨ……タイキシャトル先輩とも仲好いんですヨ……何処に地雷があるか分からないとヤバイって所まで来てるんですヨ~」
「ああ、いたわねぇ」
「グラスを怒らせたくないんデス。怖いし」
本当は怒らせたくないのではなく泣かせたくないエルコンドルパサーだが、此処ではあえて言わなかった。
「……貴女は、同期の桜とチームを作って戦っていこうとしていたのよね?」
「イエス」
「かなり具体的な所まで行った話だったのよね」
「まぁ。あと一人見つかればリギルからグラス引き抜いてましたネ~。トレーナーどうするかって問題はあったけどヘイローちゃんには当てがあったみたいだシー」
「私が、貴女に感心するのはね……トモダチとライバルを兼ねることが出来る他人を、チームが作れる寸前まで集めることが出来た、その器なのよ」
「……」
「私は、タイキシャトル一人だってその両方には出来なかった。私はあの子のライバルに成りたかった。あの子は私のトモダチに成りたかった」
根が深い感情に触れた怪鳥は退きそうになった足を気迫で止めた。
軽い気持ちで踏み込んた話題ではないと、先程自分で言ったのだ。
「あの子と私の関係はね。私は力が足らなくてあの子のライバルとして認められなかった。あの子は私のトモダチになろうとしたけれど、私はそれを少し手酷く拒否した。そんな関係かしらね」
パールの脳裏に再現されるかつての安田記念の光景。
大雨の中バ群を突き抜け、力強くゴールまで駆け抜けていったタイキシャトルの背中。
たった1600㍍が重い芝と土によって遠く感じたあのレースで、シーキングザパールの絶望と憎しみは始まった。
10着と大敗した自分に勝者から掛けられた残酷な優しさによって。
「その手酷くっていうのがとても気になりマース」
「……」
「……聞いた話ですと、海外G1を獲る時にはタイキシャトル先輩から日程聞いて出し抜いたとも言われてますガ……」
「……それでもあの子は堪えてなかったわよ。嬉しそうに、私の勝利を喜んでくれたもの」
「完っ全に競争意識無いデスね……」
「腹が立つの、分かる?」
「ええ」
「だからさっさと帰国したのよ。チームの皆は勝利の凱旋って喜んでくれたけど……ここでもあの子に相手にされていなかったと分かっただけ。其処にハードバージ先輩を何とかしようと苦労している、あの不良赤毛がいたわけ」
シーキングザパールの瞳に無機的で冷たい光が宿る
しかし赤い唇は微笑の形に歪められ、吐き出される言葉は炎のような激情に震えていた。
「タイキシャトルが当時懐いていたのが、同じアメリカ出身だった私とあいつ。そんなあいつが、ハードバージ先輩の居場所を作ろうとしていたわ。あいつ自身にとっては余り必要のなかったチームコメット……」
「……」
「あの子があいつをリギルに誘っていたのは知っていたわよ。虫唾が走る思いをしながら、なかなか返事をくれないって悩みを聞かされた事もあった。その上で私はシルキーに言ったのよ――あんたがチームを作るなら私も混ぜなさいよ……って」
「オゥ……マイガッ」
後から帰国し、全てを知ったタイキシャトルの目に映ったものは何だったのか。
それを見て何を思ったか。
全てはシルキーサリヴァンの言葉の中にあった。
その時、おそらく初めてタイキシャトルはシーキングザパールが望んだ眼差しを向けたのだろう。
敗北者としての惨めさと自身の不甲斐なさへの怒り。
そして勝ったものに対する口惜しさ。
タイキシャトルが全く顧みなかったその背中に、常にシーキングザパールが向けていた眼差し。
「ただ……誓っても良いけれど、此処であいつに助けられたのは偶然だったわ」
「そうなんデース?」
「ええ。ハードバージ先輩が突発的に自傷行為する事があって目が離せなかった時で、普段人がいかない所を探している所だったそうよ」
「なるほど」
「後はあいつが語った通りね」
「……お話を聞けて良かったデース。部室で聞いた話と受ける印象ぜんっぜん違いましたカラネ」
「私とあの子がシルキーに話さないのも分かるでしょ」
「言えませんよねぇこれは」
頭をかきながら苦笑するエルコンドルパサーと疲れたように息を吐くシーキングザパール。
パールとしてはこの話を誰かにするのは初めてだった。
心の中にため込んできたものが少しだけ軽くなった気がする。
しかしそんなパールであっても、次の質問を看過するほど甘くなかった。
「所でパール先輩って」
「うん?」
「当時はリギルより大きいチームのエースだったんですよネ」
「ええ」
「そんな先輩が人数も揃わない、トレーナーも自傷癖持ちの根暗なんてチームに当てつけのためだけに入るって信じられないんですけ――っつぉ!?」
側頭部数センチ手前で止められたシーキングザパールの右足背。
半瞬遅れてエルコンドルパサーの長い髪を颶風が撫でた。
「ウマ娘に蹴られて死にたくない……それは口だけの言葉だった?」
「スイマセンデシタ」
「キャラ作り、忘れているわよ?」
「ホントウニスイマセンデシタ」
間髪入にれずに土下座した怪鳥の頭上から、可笑しくてたまらないといった様子の笑い声が降ってくる。
恐る恐る顔を上げたエルコンドルパサーが見たのは腹を抱えて笑っているシーキングザパール。
何時もよりやや幼く見えるほど格好を崩したパールは手を差し出し、エルコンドルパサーを立たせた。
「ねぇエルちゃん」
「はい?」
「貴女のライバルとトモダチ、大切にしなさい」
「はい」
「貴女は、私みたいにならないでね」
「……」
エルコンドルパサーはそれには答えず、トレーニングウェアの前を開ける。
其処にはかつて貰ったパールのサインがある。
「先輩にも憧れてマスから、先輩みたいになるなっていうのはお断りしマース」
「そこは頷いておきなさい可愛くない」
自分に貰ったサインを見せびらかしながら舌を出す後輩の姿にもう一度笑ったシーキングザパール。
いつの間にかエルコンドルパサーも笑っており、二人の笑いは誰もいない校舎裏にしばらく響いていた。
後書き
今回の話し合いで出て来たエルちゃんの年間日程を『大雑把に』まとめました
ホワイトボードにはこんな感じで書いてあったっぽいです
《1年目:国内制覇》
春短距離路線からマイル路線
5月:NHKマイルカップ
他未定
夏調整
秋中距離路線(世代混合レース狙い)
10月:毎日王冠or京都大賞典
11月:マイルチャンピオンシップorジャパンカップ
12月:有馬記念
《2年目:凱旋門賞》
春渡仏
夏調整
秋
9月:フォワ賞(凱旋門賞トライアル)
10月:凱旋門賞
12月:有馬記念(ドバイWCトライアル)
1月:ペガサスワールドカップ(ドバイWCトライアル)
《3年目:ドバイWC&BCクラシック》
春
3月ドバイミーティング
渡米
夏調整
秋
9月:オーサムアゲインステークス(BCクラシックトライアル)
10月:ジョッキークラブゴールドカップステークス(BCクラシックトライアル)
11月:ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ
書いてて思ったんですが無理だろこれ……
もう少し日程に余裕を持たせてドバイを最後に回すルートだと4年掛かるし
此処までやらないと世界三大レースって取れないんですね……
今後の予定ですが、夏の提督業が始まるので更新は止まると思います
それとこの後はレースも書いていかないとなんですがそれがあまりにも難しく……納得のいくものが書けるようにならないと表に出す事はなかなかorz