草原を一陣の風が吹いていく。
風は軽やかに、しかし勇ましく、青空の下を駆ける。
アルヴヘイムという名の仮想世界の大地。白日の下に翻った
「フィリアー! 目くらましお願い!」
そんな風のような翅をもった妖精──少女は大きく声を上げた。少しだけ間延びするような、柔らかい声音だ。
「はーい!」
その呼びかけに応えたのはもう一つの声。はきはきとしつつも落ち着いている。
その声の持ち主もやはり少女のものであり、背中には透き通る紫紺の翅が生えている。上方から鞭のように振り下ろされた何かを最低限の動きで回避した彼女は、その場に留まり両手を前に突き出した。
「þú verða myrkr banding……!」
そして詠唱。空中に文字が浮かび上がり、魔法が構築されていく。一抱えほどの大きさの黒い霧の塊が鞭とすれ違うように放たれ、人の背の三倍はあろうかという木のモンスターの顔面にぶつかった。
それまで枝のような腕から縦横無尽に蔦を振るっていたそのモンスターは、僅かにその動きを鈍らせる。
「当たった! レインよろしく!」
今魔法を放ち、素早くその場から飛び立った彼女の名前をフィリアというようだ。そして、そのフィリアの掛け声を合図にモンスターへの懐に突っ込む赤い翅の少女──レインの手には、それぞれ一振りの剣が握られていた。
二刀。武器種としては存在しないそれは、片方ずつひとつの片手剣として見なされている。今、レインの右手に持った剣が眩い緋色の光を帯びた。片手剣三連撃ソードスキル「シャープ・ネイル」が対象を捉える。
木のモンスターは大きくノックバックしその頭上に掲げられた三段のHPゲージの内の最後の一本を大きく減らした。
しかし、それだけには終わらない。「シャープ・ネイル」の光が消えゆく直前に、今度は彼女の左手に持った剣が水色の光を放つ。
「まだまだっ!」
レインは威勢よくそう言いながら、流れゆく水色の光に追従するように空中で高速にその身を走らせた。
今彼女がやってのけたのは、スキルコネクトと言う技術だ。公式には存在しないのでシステム外スキルと呼ばれている。
かなり難易度の高いその技術を用いて彼女が繰り出したのは、「ホリゾンタル・スクエア」という片手剣四連撃ソードスキルだ。対象を中心に正方形を描くように。高速で移動しながら斬撃の軌跡を描くそのスキルは、高い威力をもちつつ見栄えも良いためとても人気が高い。
そんな「ホリゾンタル・スクエア」も綺麗に叩き込まれ、とうとうモンスターは虫の息となる。あと一押しで決まる。技後硬直に囚われる一瞬前に、レインは声を張り上げた。
「スイッチ!」
「了解っ!」
そしてまるでそう決まっていたかのように、鮮やかにレインとフィリアは立ち位置を交代する。反撃を加えようとして腕を振り上げていた木のモンスターを出迎えたのは、フィリアの手に持っていた短剣の放つ眩い閃光だった。
短剣突進ソードスキル「ラピット・バイト」が炸裂し、モンスターは光の泡沫となって霧散した。
「クエストクリア―! おつかれさま!」
「おつかれさま~」
「さてさて、それじゃあ討伐報酬の御開帳! えーっと……」
「あっこれこれ、この鉱石だ! やっと見つけたよ~」
「わたしのにもある! ふふふ、お宝発見!」
翅で空を飛んで戦っていた彼女たちは、地面に降り立って目の前に広がるクエスト報酬画面を確認していた。レインがほっとするような声で呟き、フィリアは悪戯を成功させた子どものように笑っている。
「ありがとうフィリア。この素材、なかなか見つからなくて困ってたんだ」
「イベント限定素材でさらにそのイベントが不定期発生っていう曲者だからね。これがトレジャーハンターの勘ってやつだよ!」
そう言って胸を張るフィリアに対し、ぱちぱちと拍手するレイン。実際、レインが手に入れた鉱石素材はかなり貴重なものであり、攻略サイトを見ても不明瞭な情報が多かった。その情報をフィリアは精査し、数あるクエストの中から目的のそれを選び取っていたのだ。
「この素材、確か鍛冶に使うんだよね。この前のアップデートで追加された強化先に使うんだとか」
「そうなんだ。見ての通り私は鍛冶の種族レプラコーンなので。この素材は手に入れておきたかったのです」
「わたしはちょっと使わないかも……でも、その話を聞く感じレプラコーン領の市に持っていったら高く売れるかな?」
「まあそのときの一番のお客さんは私だろうね~。というか今ここで取引を始めたいところだよ」
そんな他愛無い会話を交わしながら、二人は帰路に就く。とは言っても近場の転移石からそれぞれの拠点の街へと戻るだけなのだが。
モンスターが頻繁にポップする場所でもなかったため、散歩のようなものだ。草原を吹き抜ける風は心地よく、目的を達成した二人はのんびりと散歩を楽しんでいた。
「そう言えば、やっぱり使っちゃうね。あの連携」
「あぁ……やっぱりあの頃の癖って抜けないよ。二人でパーティ組んでたら自然とローテーション組んじゃうし」
「じゃあ──すいっち」
「はーい」
そう言って互いにひらりと立ち位置を変える。やはり申し合わせていたような動きになってしまって、二人とも笑ってしまう。
それを笑ってしまえることが、どれだけ幸運であるか。
そのことを、ごくわずかな人だけが知っている。
「あの頃、なんて言えるくらい昔でもないんだけどなあ。こうやって癖は染みついてるし」
「うんうん。ソードスキルの動きも、立ち回りも、全部あそこから貰ってきてる。わたしのトレジャーハンターってスタイルも、結局引き継いできてるし……でも、そのおかげでわたし、レインと会えたからよかったかな」
そう言ってフィリアは笑った。
「……今すごく恥ずかしいこと言ったねフィリア」
「……できれば! できれば忘れてね! お願い!」
互いに頬を赤らめながら目を逸らす。ただ、フィリアが言った通り、二人はその共通点以外なにも接点はなかった。逆に言えば、その共通点があまりにも特異だったとも言える。
SAOサバイバー。
SAO事件と言う前代未聞の大事件に巻き込まれ、そして二年以上の時を経て生還した人々のことを指す。人数は約六千人。SAO事件そのものに巻き込まれたプレイヤーの数が約一万人であるため、その数字だけで事件の凄惨さが伺える。
フィリアとレインもまた、その事件からの生還者の一人だった。
SAOサバイバーの多くは、VRやARといった危機に拒否反応を示し、ましてVRゲームに手を出すことなどまずない。フィリアとレインはその中でも例外といえる存在だった。
レインとフィリアがそのことを互いに知ったのは最近のことで、それまでは互いにその事実を隠していた。
では、なぜそれを知ることができたのか? その答えは単純で、二人が使う武器にあった。
ALOにおいて琴音が使う武器は短剣、虹架が使う武器は片手剣であり、二人はSAOのときから継続して同じ武器種を使っていた。そうすると──互いに自覚はあったようだが──剣の振るい方の癖がSAO仕様のままになってしまうのだ。特に敵に止めを刺すときにソードスキルのモーションを取ってしまう癖は未だに直っていなかった。
互いに出会ってはいなくとも、短剣や片手剣を使うプレイヤーは山のように見ていた。だから、二人で連携して戦ううちに、その既視感のような何かが重なっていった。
そして、決め手となったのが先ほど二人が演じたスイッチという連携技術だ。
デスゲームと化したSAOにおいて、必殺技であるソードスキルを放った後にできる隙は非常に危険なものだった。これの対抗策として初期のころから考案されていたのがスイッチだ。
ソードスキルを放ったことで集中しがちなヘイトを、前衛と後衛の素早い入れ替わりによって分散しリスクを減らす。SAOのプレイヤーの中でも、積極的に外に出て活動していた人々は全員この技術を習得していると言っても過言ではない。たとえソロプレイヤーであっても。そうでなければ生き残れなかったのだ。
レインとフィリアもその例にもれず、二人で強力な敵と戦っている最中に何の打ち合わせもないままにこのスイッチを二人でこなしてしまっていた。それがきっかけとなって、二人は互いがSAOサバイバーであることを知ったのだ。
「SAOに引きずられてる……か。私もそうなのかも」
レインはそう呟いて、背中に提げた二本の剣のうちの一本を手に取った。
「剣を二本もつスタイルはここで編み出したものだけど、SAOで使ってた楯持ち片手剣の楯が剣に変わっただけだしね。フィリアと合う前はソロプレイヤーだったし、う~ん。こう考えるとほんとに引き継いじゃってるんだねぇ」
「……レインは、それが嫌なことって思う?」
レインの手に取った剣が日の光を反射してきらめく。フィリアはやや戸惑いがちにそう尋ねた。
この話題はSAOサバイバーにとってはとてもデリケートなものだ。過去を思い出させてしまうから。しかし、それ故にこの流れでしか聞けないことも確かだった。
「ううん。別にそれを嫌なこととは思わないよ。ああ私やっぱりあの世界にまだいるのかもなあってちょっと寂しい気持ちにはなるけどね」
えへへと苦笑しながらレインは言う。
「この際だから言っちゃうけど、私はSAOに大切な時間を奪われたって思ってるから……、ちょっとだけ恨みはあるんだ。うん。
でも、さっきフィリアが言ってくれた通り、そこからの出会いって言うのもやっぱりある。それを全部否定しちゃったら……前に進めなくなっちゃうよ」
「……それは、確かに」
「……まあ、だからSAOが75層で終わったことを不幸中の幸いって喜んどこうかなって思いまして。あれが100層まで続いてたらどうなってたか分からないし。何でなのかも知らないけどね」
「そういえばあのときは訳も分からないまま、とりあえず早く出られたからよかったのかなって思ってたけど、何が起こったんだろう……?」
レインの返事にほっとした表情をしつつ、フィリアはむむ、と考え込んだ。そのとき浮遊城アインクラッドの中層で活動していた彼女たちは、突然の完全攻略達成のアナウンスと共にログアウトの時を迎えたのだった。
あのとき攻略組という最前線で戦っている人々が、75層のフロアボス攻略に赴いていたことは知っている。しかし、そこで何があったかまでは分からない。
いや、このご時世ならネットで調べてみれば当事者の話くらいは載っているかもしれない、だが。
「ま、いいか。わたしもそこまで詮索しなくてもいいかな! ……でも、わたし実を言うと、ちょっと未練と言うか、心残りはあるんだ」
「へぇ、どんなこと?」
そういう人もいるんだ、とやや驚いた表情でレインは尋ねる。フィリアは少し顔を赤らめながら言った。
「ええと……わたし、トレジャーハンターだったからさ。未開拓のところはたくさんあったし、あそこは一度攻略された場所でも宝箱とか復活してたりするから、まだやって行けたと思う。それに……」
「それに?」
「…………わ、わたしもその、あの攻略組にいた閃光のアスナさんみたいに、素敵な出会いとか、あったのかなって……」
尻すぼみになるフィリアの言葉を聞いて、レインはにやにやとした笑みを浮かべた。フィリアの顔がいよいよ赤くなる。
「へぇ~フィリアもそんなこと考えたりするんだ~」
「言わなければよかった! 言わなければよかったよこんなこと!」
「私と最初にあったころはあんなにつっけんどんな態度だったフィリアが、そんな夢を持ってたなんて意外だったな~。微笑ましいなあ~」
「あーもう忘れて! さっきのも含めて全部忘れてー!」
それからは二人での追いかけっことなってしまった。二人のALOでのプレイヤースキルは相当に高いため、やたらとハイレベルな追いかけっこが繰り広げられた。
そんなことをしているうちに、二人は転移門へと辿り着く。レインの種族はレプラコーン、フィリアの種族はスプリガンなので拠点がそれぞれ異なる。別れの挨拶をしようとしたところで、フィリアがふと思い出したように言った。
「そう言えば、レインは『絶剣』の噂聞いた?」
「ああ、あのインプの子だよね? うん。私あの子の辻デュエル見に行ったよー」
「ええっ!? いつの間に……ど、どうだった? すごく強くて誰も勝てないって噂だったけど……」
『絶剣』とはあるプレイヤーの少女につけられた二つ名だ。その少女は「デュエルをして勝利した人に11連撃のオリジナルソードスキルを渡す」という触れ込みで数多くのプレイヤーと戦い、その悉くを返り討ちにしているのだという。
オリジナルソードスキル、通称OSSは最近ALOに実装された、自分でオリジナルのソードスキルを創り上げることができるという夢のようなシステムだ。しかし、その構築が恐ろしく難しく、プロレベルのプレイヤーでも5連撃程度が精一杯、11連撃などまさに桁が違う代物だった。流石はそんな凄まじいOSSをくみ上げるだけあって、その少女のプレイヤースキルはずば抜けているらしい。
「うーんあれは強いね。私が見たときにはウンディーネの女の人が戦ってて、その人も相当上手かったんだけど『絶剣』の方が一枚上手って感じだったよ」
「そのデュエル、見に行ってみたかったなあ……。あれ、レインは挑まなかったの?」
「いやいやぁ、わたしなんてとてもとても。勝てる気が全然しなかったからね」
レインはひらひらと手を振った。あれは無理、といった雰囲気にフィリアは思わず唸る。その少女は本物の実力者らしい。
と言うのも、レインはフィリアの直感ではかなり強い部類のプレイヤーであるはずなのだ。片手剣を両手にそれぞれ持つという離れ技をやってのけるし、その上でスキルコネクトというシステム外スキルまで習得している。そんな彼女が勝てないというのだから、その強さは想像もつかない。
「今度、その辻デュエル見に行ってみる! 教えてくれてありがとう!」
「いえいえ~。じゃあ、ここらでお別れかな。それじゃあね」
「うん、また今度!」
お互いに手を振った二人は、転移石の前に手を翳して本拠地の街の名前を呟いた。数瞬後に二人の姿はその場から消えて、その日は解散となったのだった。
────という嘘を、レインはいつもついている。
「…………」
転移した彼女が降り立ったのは、鍛冶と武具屋の声が至る所から聞こえるレプラコーン領の街ではなく、何も置かれていない、暗くだだっ広い空間の壁際だった。
彼女はフィリアと一緒にいたときとは違って無言でメニューウィンドウを展開し、ブラウザー機能を使ってある情報について調べる。それが彼女の朝と夜の日課になっていた。
しばらく経ってからメニューウィンドウを閉じた彼女は小さくため息をついてその場に佇む。そして、ある魔法の言葉を呟いた。
「……ek kalla margr maekir regn」
言い切ったか否かというところで彼女の背後に展開されたのは、宙に浮かぶ無数の剣。その数、十数本に及ぶだろうか。
彼女が右手を掲げて振り下ろす。それと同時に、その無数の剣が一斉に手が指示した方向へと殺到して向かい側の壁へと突き刺さった。
「やっと安定してきたかな。じゃあ、これを登録して……名前、名前かあ。何にしようか。
……サウザンド・レイン、でいいかな。ちょっと名前負けしてるけど、これからもっともっと剣を作れば……」
そう言ってくすりと笑った彼女の笑みは、どこか自虐的だった。
「フィリアには嘘ついてばっかりだなぁ……」
今彼女が繰り出したのは、一見普通の魔法攻撃のように見えて、それとは桁違いの威力を持っている。しかもそれらは全て物理攻撃であるため魔法障壁などが一切効かない。そして幾つもの剣が殺到するのに倣った多段攻撃という反則のような攻撃だ。
これは彼女が独自に編み出したものであるため、OSSと言っても差し支えないかもしれない。それはあるいは噂の絶剣が編み出したものに比肩しうる連撃数と威力を秘めている。類い稀な才能とSAOという土台が生み出した、まさに絶技だ。
しかし、レインはこのスキルを本当に必要なとき以外は使わないとすでに決めている。それはフィリアも例外ではなかった。
SAOを経て再び仮想現実の世界に戻ってきた理由も、自身の本当の実力も、現実での彼女の夢もフィリアには隠したままだ。これからも、明かすつもりはない。
「…………私がALOにいるのは、妹がここに来るのを待たないといけないから。強くなるのは何としてもあの子とコンタクトを取らないといけないから。私の現実世界の夢も諦めるわけにはいかないから……」
まるで自分に言い聞かせるように、胸に手を当てて、目を閉じて彼女は呟く。
それらは全て、自分一人で立ち向かわなければならないものだと。誰かに頼るなんてもってのほかの、独善的で、利己的な願いだと思うから。
そんなとき、ふとさっきまでフィリアと話していたことを思いだした。SAOが75層で完全攻略されたのは、不幸中の幸いだったという話だ。
もしも、とレインは思う。
もし、あの鉄の城でフィリアと出会っていたら、パーティを組んだりしていたのだろうか。
そして、SAOが75層ではなくて100層まで続いていたら、私の歩む未来は変わっていたのだろうか。
全てイフの話だ。思考を切り捨てて、レインは目を開けて虚空を見つめる。
そして、誰もいない空間に向けて、今度は一人淡々と歌いだす。
噓つきの彼女は、今日も自らの夢のためにたったひとりでスキルと歌の練習を続けていく。
奇しくもその嘘は、あったかもしれない未来の彼女と重なっていた。