「……ん?」
とあるオフィスの一室で、ある若い男がキーボードを叩く手を止めていた。
向き合っているのはパソコンのモニターだ。そこに羅列された無数の文字列を凝視して彼は唸る。
そんな彼の様子を気にかけて、隣に座っていた同僚が声をかけた。
「どうした?」
「今アイングラウンドのNPCデータを見ていたんだが、なかなか面白いのがいる」
「ほう」
「なんでも、アインクラッドが創成された根本的な理由を司る存在。双子の女神、だそうだ」
彼のその話を聞いて、同僚も興味深そうにモニターを覗き込んだ。
「へえ、そんな設定のNPCがいるのか」
「浮遊城アインクラッドには大地切断っていう大元の設定がある。それを拾ったんだろう」
「なるほどな。その双子の名前は?」
「それが、ないんだ」
「……はあ?」
「別に冗談じゃない。名無し、NPCとしての役割も与えられていない。nullなんだ」
同僚の怪訝な声に対して彼は首を竦めながらそう言った。
実際、彼がモニターで見ているプログラムでは、そのNPCは他のNPCのデータに比べてかなり簡単な内容に留まっている。
「どういうことだ? これじゃ実装してもまともに動かないだろ」
「そうだな。ただトップダウン型のAIは与えられているから、実装する予定ではあったらしい」
「ふうむ……あれかね。そのキャラの設定で揉めて後回しにして、そのまま俺たちに引き継いだのかねえ」
「案外、そういうことなのかもな」
彼は椅子の背もたれを背中で押し倒しながら嘆息した。
彼らはVRMMO『アルヴヘイム・オンライン』を運営している会社のプログラマーだ。今は新生アインクラッドのNPCの設定を担当している。
上司から渡された、ソードアート・オリジンというゲームのデータ。ザ・シードの出現に伴って様々な理由で開発中止になり、権利を会社が買い取ったらしい。
ベースがSAOであるという共通の仕様から、いくつかデータを流用できないかという試みだった。
「そのSAOの成り立ちの話、もっと詳しく聞かせてくれよ。興味がある」
「ん、いいぞ。新生アインクラッドを創るなら知っていて損はない」
同僚の頼みを彼は快く引き受けた。
彼はSAO事件にこそ巻き込まれていないが、世界観を独自に調べるくらいにはSAOに惹かれたゲーマーの一人だ。その知識がこんな場面で活かせるとは思ってもいないことだった。
「アインクラッドは初めから宙に浮いていたわけではないんだ。もともとはアイングラウンド……ソードアート・オリジンの舞台のように地上にあった。
そこから天変地異が起こって、切り分けられた大地が宙に浮いて、積み重なってあの城になった」
「それが大地切断ってやつか」
「ああ。大地切断のせいで魔法はほとんど失われて、代わりに剣が栄えた。だから『ソードアート・オンライン』だ。ゲームでは大地切断が起こってからかなり時間が経った設定らしい」
「SAOには魔法職がなかったって話、そこから来てるのか。……面白いな」
「そうだろう? その話の起点になるのが双子の女神なんだ。SAOの伝承だと双子の仲違いだとか、彼女たちが大地への祈りを忘れたからだとか言われてたそうだが、オリジンはそっちの掘り下げもやる予定だったのかもしれないな」
また、その設定がnullなのだが。二人は揃って苦笑した。元も子もないとはこのことか。
そのNPCが置かれている状況は、偶然にも『人工知能育成プロジェクト』に近かった。十数年前から今に至るまで盛んに行われている実験だ。
SNSやVRチャットなどにAIを投入し、文章を読ませたり実際に会話することでAIを学習させる。技術の発展に伴い、今ではかなり人に近い応対ができるようになっているAIもあった。
設定がない、ということを裏返せば、プレイヤーとの応対を通してこれから学んでいく、自らを形作っていくということになる。そのような意図があったのか、なかったのか。ソードアート・オリジンの開発が中止された今となっては分からず終いだ。
「なあ、そのNPC、3Dモデルもないのか? それだったら開発コスト的に流用するメリットがないぞ」
「ちょっと待ってくれ。……いや、3Dモデルはあるな。意外だ」
「どれどれちょっと見せてくれよ」
同僚に促されるままに、彼はプログラム中のあるリンクをクリックしてそのNPCの3Dモデルを表示した。
そこに映ったのは、まだ年端もいかないといった造形の、儚げな雰囲気を持った少女だった。
髪は黒髪のショート、金色の髪飾りをつけている。瞳の色は碧く、明るいが深みがある。衣装は青と白を基調としていて、軽装ながらも異国の巫女服を彷彿とさせるようだった。
「おおっ……これは、けっこういいんじゃないか?」
「ああ。ここまで作り込むのには時間がかかっただろうな。デザインも悪くない。流用する価値は十分にありそうだ」
「ただ、設定が決まってないってのがやっぱりネックだよな。大元の設定でも新生アインクラッドは大地切断が起こった後になるわけで、そこの兼ね合いも難しそうだ」
「そこはむしろ楽しませがいのあるものになるかもしれない。謎多き少女というのは割と定番のネタだし、ストーリー的にも外伝のような形で絡ませやすいだろう」
「言われてみれば……いいや、それよりもこんなにかわいい子をボツにするわけにはいかない! ちょっと上に掛け合ってみるよ」
「よろしく頼む」
そして彼らは、名前のない彼女を新生アインクラッドに実装させるために動き出した。
新生アインクラッドに実装されたときには、『設定のあるNPC』になっているかもしれない。名前が付けられて、あるクエストにだけ登場するような存在になるかもしれない。
あの世界線とは、まったく別の道を歩むのだろう。
それでも、それでも彼女は。
それから数週間が経った日のこと。
「……ん?」
彼はまたパソコンと向き合ったまま怪訝な顔を浮かべていた。
呟きを聞きつけた同僚が隣の席から彼に話しかける。
「どうした?」
「いや、SAOからサルベージしたMHCPのデータを見ていたんだが、不可解なことが起こっていてな」
「なんか既視感のあるやり取りだな……それで?」
「MHCPの001番と003番のデータがない。引き抜かれている」
MHCP、正式名をメンタルヘルスカウンセリングプログラムという。ゲーム内にいるプレイヤーの精神状態などを読み取って、相談に乗ったりサポートをすることなどを目的としたAIだ。
「引っこ抜かれてる? この前みたく設定がないとかではなくてか」
「むしろ、その逆だ。詳細な設定は決まっているのに、AIと3Dモデルが無い。ダウンロード……いや、データの移行と言うべきだろう」
「なんというか、SAO絡みとなると不思議なことがよく起こるな……」
同僚は何とも言えない顔で呟いた。
新生アインクラッドは階層構造もSAOに近づけている。そのためSAOのデータをサルベージして再利用しているのだ。
NPCについても、使えそうであればデータを流用して再利用するらしい。彼らにも当然のように仕事が割り振られた。
その仕事の最中にこれだ。別にバグを潰すような作業はしていないので技術者として状況を面白がれるところだが、若干ホラーを感じなくもない。
「というか、MHCPってSAOにもいたのか。プレイヤーのカウンセリングでもしていたのかね」
「いいや、いなかった」
「はあ?」
「彼らはデータとして存在はしていたが、SAOがクリアされるまで実装されることはなかったそうだ。観察以外の権限を剥奪されていたらしい」
「……そりゃまた……MHCPっていう計画そのものがカモフラージュだったってことか。相応のコストがかかるはずなのに、用意周到なこったなあ……」
同僚が嘆息するのを傍目に、彼はマウスを動かしてAIと3Dモデルがない、いわゆる抜け殻状態のNPCのプロフィール画面を開いた。
「MHCP001《ユイ》とMHCP003《ハルフィール》。何か別の役割を与えられて権限を取り戻したのか、あるいは……」
「まあまあ、いなくなった方に注目しても仕事は進まないぜ。ちゃんとデータが残っている方を紹介してくれよ」
考え込み始める彼に、同僚は苦笑しつつ言った。
あくまで彼らの仕事は使えるNPCを探すことだ。使えないNPCについて考察するのは仕事の範疇を超えてしまう。
「……それは確かに。
データが残っているのは、MHCP002《ストレア》と004番以降だ。ただ、004番以降は設定が簡素で使えそうにない。基本はこの3体で活動させる予定だったんだろう」
「ふむ、ならその《ストレア》のことは注釈付きでリストにまとめておくよ。新生アインクラッドにもMHCPは実装予定だったはずだ。それのいいモデルになるんじゃないか?」
「そうなることを願おう。……この前のオリジンのNPCもそうだが、日の目を見ることもないまま消えていくのは、彼らも歯がゆいはずだ」
「AIが、か? そりゃまたロマンチックだねえ。否定はしないけどな」
「……らしくもないことを言った」
同僚は朗らかに笑い、彼は気恥ずかしそうに頭をかいた。
彼らの仕事柄、無機質な存在であるはずのAIにも愛着が湧いてしまうのだ。
「そう言えば、ちょっと気になることがあるんだが」
「なんだ?」
「さっきMHCPは観察以外の権限が与えられなかったって言ってたよな。つまり、観察はしてたわけだ。このストレアってNPCを今ここで復元したら、SAOのことが色々聞けたりするんじゃないか?」
「いや、残念ながら。実はデスゲームになったSAOのデータはクリア直後にほとんど全て消されているんだ。新生アインクラッドのフィールドはSAOを開発していたときのバックアップデータをもとにしているし、今ここで見ているMHCPのデータは初期化されて消されようとしていたのをなんとか拾い上げたに過ぎない。だから、彼女を復元しても当時の記憶は失っていることになる」
「そうかー……惜しいな。じゃあせめて、彼女の3Dモデルを見せてくれよ」
「分かった。……これだな」
「お、おお! どことなくお姉さんっぽい感じの……SAOの開発陣とは仲良くできそうだ! よし、この子がちゃんと実装されるように気合い入れてプレゼンするか!」
「ぶれないな、本当に……」
そんなやりとりを交わしながら、彼らはまた仕事へと戻っていく。
もし、抜け殻となっていたMHCPが今どこで何をしているかを彼らが知ったとしたら、どのような反応をするだろうか。
きっと、ひどく驚いて、そんなこともあるのか、と。
ぜひ、
プレミアと、ストレア。
たとえ、出会えなかったとしても。
その存在を、祈る。
次回がこの短編で一番書きたかったお話なので、最後までお付き合いいただければ幸いです。