ネトフリにアニメ版があるからそっちでも可。
心操人使は言ってみたいセリフがあった。
言えばどうなるかは想像に容易いので、言わなかった。言う事も無いと考えている。
――――――――
穏やかな日差し、澄んだ青空、ほんのちょっぴりの白い雲、深い新緑が芽吹く季節。雄英高校普通科第一学年もまた、そうだった。
厳寒のような受験戦争に勝ち残り、かじかみ、こわばった心身は、高校生活という新たな社会にようやく溶かされた。つまりは、ふだん連むグループのようなものが形成され、新たな友人関係が生まれ出す時期。
雄英と言えば超が付くほどの一流校。プロ後からがスタートラインであるヒーロー科はともかく、普通科と経営科は、そこから続くであろう進学にしろ就職にしろ、一定の成功が保証された未来が垣間見えた事を実感しだす。
将来は大手プロヒーローの事務職か、アイテム開発企業か、はたまた大企業の給与人か、といったところ。もちろん、全員が全員という訳ではなく、例外はいる。
普通科からヒーロー科への編入を目指すという、孤独に難き道を歩む者。
心操人使がそうだった。
「いやさマジマジ。無料で出た」
「はぁーふざけんなよマジか。個性使っていい? 俺の『落下』でお前のスマホ叩き割るわ」
昼休みの廊下で数人の普通科学生が学食からの帰り道で駄弁っている。おそらくソシャゲの会話と思われた。
「ごめんウソウソ。今回はマジで欲しかったからチャリンした」
「はぁーふざけんなよマジで。ウソかよ」
一人が個性を使って指から発生させた水滴を、ぺいっ、とデコピンの要領で飛ばす。
「おまっマジでやめーや」
「いやワザとじゃねーってマジで」
「マジな訳ねーだろ」
と、笑って軽口を続けた。
「んだよおまえー、個性使うぞマジで」
「お? マジ? こいよ。お前の個性くらいなんて事ねーから」
軽快な笑い声が心操の耳に痛かった。
やがて教室が近づく。しかしちらとドアの窓から中を覗くと、そろそろ授業だと言うのに人がまばらだ。集団が教室に入ってすぐに、一人の男子学生が声を掛けた。
「マジおせーよ、なんか次の授業は移動教室なったぞ。校庭に集合らしい」
マジかよ、と集団の一人が黒板を見やるとその旨が書いてある。
「マジ?」
「マジマジ。なんかヒーロー科の連中が個性把握テストでいい感じに校庭を荒らしたから、そこから保険金がどれくらい下りるかとかの推定を経営課と合同でやるんだと」
「マジかー、民法系って受験の時だけでだいぶキツかったからなー。ヤダなー」
「てかお前さ、それを言いにわざわざ俺達を待っててくれたん? マジでいい奴だな」
「べ別にお前らの為じゃねーよ、マジでバカじゃね。ちょっとのんびりしてただけだし」
「悪いんだけど、通してくれるか?」
出入り口で喋る集団に心操がそう言うとサッと道が出来た。うち一人が、あっマジでゴメン、と反射的に口走り、しまったと言わんばかりに口を堅く閉じた。
心操はその反応に慣れたもので、机からノートと筆記用具を手に教室を出る。背後からはややあって会話が再開された。
「……心操ってヒーロー科への編入を目指してるってマジ?」
「知らんけどガセっしょ。編入出来た人ってマジで存在しねーんじゃね」
「てか次からはお前も学食来いよマジで、弁当持って来るヤツ結構多いぞ」
「マジ? いやでも学食注文せずに弁当食べるってちょっと肩身が狭いってかさー」
(マジメか)
心操は突っ込みたかったが仕方がない。同級生といまいち馴染めない原因は、彼の個性にある。
その名も『洗脳』。彼の問いかけに答えると、その名の通り洗脳されてしまうのだ。心操がおおっぴらにこの個性を雄英高校で語った事は無いが、中学時代の同級生から自然と高校まで噂が届いたのだろう。だから誰もがひとまず、彼と一定の距離を置いた。
洗脳という圧倒的な力を持つ者が近く居るのは、自然と周囲に緊張感を走らせる。中学時代にそれなりに仲良くなった同級生はいた。いたが、気の置けない奴とは胸を張って言えなかった。
俺の個性でお前のスマホを叩き割るなどという冗談はもってのほか。どこか自分の機嫌を損ねないように慎重さを含ませた口調でしか会話は成り立たない。
心操が勇気を出して少しふざけた事を言ってみても、周りからすればそれは本気で言っているのか笑っていいのか判断に困るといった表情を向けられるだけ。
だから心操もまた周囲の人間に対しては距離を置く。妙に気を使われるのも、それに気を使うのもうんざりだからだ。
下駄箱で靴を履き替えてグラウンドに出ると、ものの見事に大穴が空いていた。その周囲に数クラス分の学生が集まっている。まだギリギリ昼休みなので整列はしておらず、グループごとに分かれておしゃべりをしている。無論、一人でいるヤツもいる。それが望んでか友達とかイラネという精神なのか、はたまた心操のように個性という潜在的なコミュニケーションの弊害があるのか。
少なくとも心操は、軽口を言う事も言われる事もない人生を送るのだと考えていた。
教室の中で見つかった不発弾のような扱い、その覚悟もできていた。
そいつに会うまでは。
心操が水面下で距離を測られているとすれば、そいつは水面に浮かぶ幽霊船のようにあからさまな不気味さで距離を取られていた。
まずいでたちがおかしい。この場の全員が雄英高校指定の灰色のブレザーを着用しているにもかかわらず、そいつだけは円熟したブドウのような紺の2つボタンツーピーススーツに、グラスに注いだ赤ワイン色のシャツ、肥沃な土色のニットタイを締めている。
そいつが心操に気が付き、シボの入った黒のフルブローグで校庭の砂ぼこりを気にせず歩み寄る。もちろん他のクラスメイトは道を空ける。
言うに及ばず雄英校の校則では指定の服装の着用が原則だが、例外もある。
説明せねばなるまい……かつて雄英に、一見して学校指定の制服だがなぜか生地がデニムの男がいた事を!
そう、今はベストジーニストとして一線で活躍しているプロヒーローの個性は、身に着けている衣服の化学繊維の比率が低く、またデニム生地の方がポテンシャルは高くなるのだ。
「なぜあいつの制服だけ色落ちしているんだ?」
「どーしてチェーンステッチのアタリが出てるんだ?」
例えどれだけ同級生から風変わりな風貌を影で言われても、どれだけ教師が口を酸っぱくしても、圧倒的実力をもってしてそのデニムスタイルを貫き通したことはあまりにも有名! Wikiにもそう書いてあるし、おまけでウェハースが付いてくるヒーローマンチョコのシールの裏にもその記述がある。
また、ヒーロー名鑑のインタビューでは以下のように語っている。
「型紙は指定の制服に合わせたのですが、ゆったりテーパードもいいなって思いました。というか、ふっと501の呪いが解けた感じがしましたね。そこから一皮むけた気がします。ポリウレタン入りのストレッチデニムも受け入れられるようになって、個性の幅が広がったのは確かです。自由……ですかね。セルヴィッジじゃなくてもロールアップするような、アタリとか気にせずオモテですぐ洗っちゃう、そんな開放感……みたいな(笑)」
そもそも常在型で一般的な人間の体型から離れているが故に制服を着る事の出来ない学生はいる。その理由も手伝って、雄英では申請すれば例外として衣類は自由なのだ! このことはどうか覚えておいていただきたい。
「ずいぶんとギリギリじゃあないか心操くん」
そしてどこか馴れ馴れしく挑発的に話しかけてくるそいつに、心操は短くその名を口にした。
「……吉良」
心操にとって吉良はまったく異質な存在だった。
入学式当日、心操はこれまでの学生生活と同じく不発弾のように扱われる人間関係が続くと思うと憂鬱だった。『洗脳』の個性がバレるのも時間の問題だから。
しかし教室に来てみれば、生まれて初めて自分よりも扱いに困りそうなやつが物憂げに席についていた。しかも隣の席。誰もが遠巻きにそいつについて小声で議論を交わし、あるいは意図的に視界に入れないようにしている。
大人びたというか、がっつり大人な風貌、なぜかスーツに上履き用の革靴。気品を帯びた顔立ちというのも奇妙さを加速させた。
吉良とはまったく接点は無かったが、『洗脳』の個性がまことしやかに噂され出すと急に話しかけてくるようになったのも、心操を困惑させる理由の一つだ。
「いくらでも悪用できるジャン」とか「すげーヴィラン向きジャン」とか、おだてているつもりでそのおこぼれに与ろうとする者を除いて、証拠が残りにくい個性使い相手にこうも距離を詰めてくる他人は初めてなのだから。
個性を知られれば、誰も喋りたがらない。それが心操にとって普通の反応だ。そのはずだ。こんな個性じゃなきゃよかったと何度願ったか。そのはずだった。
心操は無意識に数瞬の思考を経て答える。自分のセリフが相手に警戒心を与えないようにする身に沁みついた処世術。
「あ、いや、ちょっと食堂からのんびり帰っててさ。てかさ、吉良ってどこでメシ食ってんの」
「校舎からほんの少し離れた所に静かな場所があってね。パン屋で買ってきたサンドイッチをそこで食べている」
「学食は行かないのか。あそこなら好きなサンドイッチを作ってもらえるだろ」
「わかっていないなー心操くん。確かに雄英の学食ならなんでも好きな具材を注文できるだろう。幸せを感じるかもしれない。だが融通が利きすぎる。お気に入りの店で、棚に並んであるパンの中から選ぶという制約が大事なのだ。無軌道な自由よりもな。幸福とは適度な選択から生まれるのだ」
朗々と幸福について語る吉良に、へーそーと生返事で返しながら、心操は首裏を撫でてポツリと零す様に言った。
「あー、一人で?」
「そもそも学食のような騒々しい場所で食事したくないのでね」
なぜ吉良はこうも普通に会話を続けるのだろうか。心操は、もしかしたらと鼓動が静かに速まるのを知覚した。
「じゃー、その……パン屋ってさ」
「はーいじゃあこっち集合―!」
心操の言葉を掻き消す様に、普通科教師の声が校庭に響いた。
「ヒーロー活動中の個性により地面が損壊した場合ー、それが常在型か発動型かによって責任の多寡が違ってくる訳ですがー、原則として私有地の場合はー」
教師の授業を受けながら、吉良は心中でままならなさに苛立っていた。なかなか心操が『洗脳』を使ってこない。
吉良吉影は別段、心操と仲良しこよしがしたい訳ではない。それどころか、噂によれば『洗脳』などという危険すぎる個性を持っていると聞く。故に最重要危険人物だと判断していた。にもかかわらず積極的に絡むのは、その強力過ぎる個性を使われた場合、どの程度の強度なのか、洗脳中はキラークイーンを動かせるのかという事を確認する為だ。
完全に敵対した状況下では手遅れだ。なので苛立たたしい同学年という枠である内に個性を使われるべきという、極めて利己的かつ打算的に心操に話しかけているにすぎない。
危険なものほど理解すべきであって、安全なうちに知ろうとしないのは平穏から遠ざかる行為なのだから。
その為にわざわざ、もしも自分だったら個性の一発や二発はこっそりとお見舞いするであろう馴れ馴れしいキャラを演じているというのに。
自分がストレスに感じる振る舞いをしているせいか、さいきん胃がしくしくと痛むようにまでなってきた。いや、それは心操に関してだけではない。
吉良は内心で毒づく。
あの小癪な葉隠に借りを返すにはどうすればいいのだ。
学科が違うとはまるきり想定外だったので何のプランも無い。
いっそのこと彼女が何かしらの危機的状況に直面してくれれば解決は早そうだが、と不謹慎な見通しを立ててみる。立ててみるがしかし、ここは天下の雄英高校。元プロの教師や最先端の警備システムによって厳重に守られている。滅多な事は起こるまい。
今日はたしかUSJとかいう施設で災害時の訓練をやると聞いたが、人工的な災害も管理されているのだろう。不測の事態など起こるはずがない。
―― 一方その頃USJ ――
「動くなあれは」
引率のイレイザーヘッドこと相澤が語気を荒くして断定した。
「ヴィランだ!!!!」
―――
そういえば先日、雄英の門が破壊されたとかで何やら不穏だったな。だが流石にヴィランといえど雄英に乗りこんで来るなんて事は、しかも生徒を襲うなんて。
―――
その頃。黒霧と呼ばれた男の個性が発動し、暗黒のモヤが1-A生徒を飲み込み、戦力と情報を分断させていた。
―――
やはり考え過ぎだ。妄想の類。それほど都合よく葉隠のピンチが訪れる訳がない。
―――
その頃。葉隠は文句なくピンチだった。
土砂災害エリアで待ち受けていたヴィラン達が一瞬で氷像と化したとて、まだ無傷の輩がどこに潜んでいるかわからない状況。
それも明確な殺意を持った人間が、という鋭利な現実の中で。
だから、こんな時――と無意識に他者へすがらざるを得なかった。それはほんの少し前に経験した、端田屋という明確な害意を持った人間に追い詰められそうになった時の反芻にも似ている。
こんな時――
―――
あの時以上のピンチなど、そうそうあるものではない。それに万一に何かあっても担任のイレイザーヘッドが対処する。
―――
その頃。脳を露出させた夜色の巨漢にイレイザーヘッドは組み伏され、腕をストローのようにへしゃげられていた。
―――
まさかな。
吉良は授業が終わると、普通科校舎からちょっと歩いたところのベンチの木陰でのんびりと昼食のサンドイッチを頬張り、ゆったりと流れる雲を眺めながらそんな事を考えていた。
「バカなッ!」
後日、授業の間の休憩時間に、心操から1-Aがヴィランの襲撃に会ったと聞いた吉良はそう叫んだ。周囲の人間が一瞬だけ視線をやるが、アンタッチャブル感漂う二人だったので気にしない事にした。
「まー確かに雄英に直接乗り込んで来るなんて……そんなショックを受ける性格には思えなかったが」
もちろん吉良が動揺しているのはヴィランが教育機関に乗り込んで来た事そのものではなく、葉隠に借りを返す千載一遇のチャンスをみすみす逃してしまったことだ。
どうすればその損失を未然に防げただろうか? 吉良は即座に反省点を洗い出す。仮にヴィラン襲撃を即座に確認したとしても、普通科校舎からUSJまで駆けつけるにしても時間が掛かる。雄英の敷地が広大過ぎるのだ。
一定距離が開く場合にこっそりと葉隠に付いて行けばよかったのか? いやそれはただの変質者だ。私が葉隠のピンチになってどうする。
あれこれ試算してみるが、そう、結局のところは全て、学科が別という問題点に収束する。
「吉良……おい吉良」
強く肩を揺すられ、ようやく自分が深い思考に使っていた事に気が付く。同時に、口に鉄の味がした。親指に鈍痛。どうやら無意識に悪癖を生じさせていたようだ。
「お前大丈夫かよ」
言葉で若干引き気味に吉良を案ずるが、内心では見直していた。学生が襲われたと知り、まさかここまで憤慨する奴だとは思わなかったからだ。
普段はまったく感情的にならないくせに、こういう悪事に対しては正義感が表に出てしまうのだろうか。自分と同じく、ヒーロー科を受けていたという噂は本当のようだ。
本当に、吉良はヒーローを目指していたのだろう。たぶん。自分と同じく。きっと。まだ諦めていないはず、ヒーローへの道を。
だが普通科からヒーロー科への編入など、制度はあれど前例は数少ない。目指すなんて無謀過ぎる。自分以外にそんなやつがいるのだろうか?
実際は正義感などではなく、やはり吉良の利己的な理由だが、状況からして心操がそう判断してしまっても仕方がない。かもしれない。
「心操くんッ! ちょいと耳にしたんだがなッ」
吉良は唐突に心操の両肩を掴み、鬼気迫る形相で言った。
「雄英体育祭の成績如何によってはヒーロー科への編入を検討するそうじゃあないか! きみが他クラスで揉めそうになった時にそう言ったそうだが、本当かねッ!」
え、ああ1-Aに宣戦布告しに言った時のアレねと、掘り返されると少し恥ずかしくて頬をかいて答える。
「ま、まあ。検討してもらえるってだけで前例は少ないし、過去に編入した先輩方はやっぱプロになっても結果出してるくらい実力があるし……」
「実績があるならそれで十分だ」
それだけ言うと吉良は手を放し、背を向けて歩き出した。
「おいどこいくんだ、授業始まるぞ」
「保健室で例年の体育祭の傾向をチェックする。ネットの動画にいろいろアップロードされているだろうからな。綿密な
「……本気か? 編入出来た奴なんて片手で数える程度だぞ。プロがスカウトに来るって公言されてるからヒーロー科の連中も必死だ」
「無謀だってのはわかる。わかるが、だからってどーしてわたしが諦めなくっちゃあならないんだ」
吉良はおもむろに振り返って言った。
「どんな困難だろーと、この吉良吉影に乗り越えられない壁は無い。今までの一度だってな、これからもそうだ」
いつまでも普通科でくすぶっている訳にはいかない、ぶつぶつぶつ。と、再び保健室へと歩みだす。
それを聞いて心操は、こいつなら――と拳を握りしめた。
言ってみたいセリフがある。
一方、仮病を使って保健室のベッドで携帯端末をスワスワしていた吉良は、当初は体育祭などヤル気にはなれなかった。だが状況が状況だ。ネットニュースを見るに、ヴィラン連合と名乗った連中はきっとまた雄英のヒーロー科を狙ってくるだろう。編入は一刻を争うという訳だ。
順位などで目立つ結果を出すのは平穏な人生を求めるスタンスとは反するが、やむを得ない。
やるしかない、この機を逃せば来年という最悪の状況だが乗り越えられるはず。
最悪の時にこそ、チャンスは訪れるのだから。
次回 明日か今日か明後日