【注】
今更ですが。一部、話のタイトルやセリフに歌詞の引用の誤解を招く箇所がありますが、歌詞の引用ではなく、CDアルバムの曲名やタイトルを引用しているのであり、ハーメルン様の禁止事項(・著作権が切れていない歌詞の転載)に抵触するものでありません。
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まず気付いたのは吉良だ。この状況でもっともしてはいけない事をしている。無力化されたプロヒーローへバカみたいに視線を落としている事が致命的にマズい。たとえそれが数秒の間だとしても。敵から目を離すなど。
顔をあげるが、もう少年はいない。少年? 違う。確実なのは、吉良も葉隠も、少年ではなくヴィランと戦闘状態に突入しているという共通の認識があるだけだ。
「ジョックさん!?」
「頭部を強打されている、動かすんじゃあない。虫の息だが、即死ではない……それよりも警戒すべきだ、葉隠くん」
ジョックに駆け寄りそうになった葉隠はその言葉で冷静さを取り戻す。そうだ、救急車を呼ぶにも、まずはここから離脱しなければいけない。そしてある事に気付く。
「……吉良くん、ジョックさんが持っていたライトがない」
言われて気が付く。なぜだ。その思考に合点をいかせると同時に出口のシャッターが下り、非常灯までもが消された。管理室で操作されたのだろう。
「……戦い慣れている、相当に」
「どういう」
「暗闇にする事で『透明』のアドバンテージを削ったのだ」
「二人以上いるのかな」
「いや、一人だろう。二人以上ならジョックをブチのめした後に消える必要が無い。戦闘を続行するはず。わずかだが、攻撃から消灯までに、ほんの10数秒ほどだがタイムラグあったのも、全てを一人で行わなければならなかったからだ」
逆に言えば、その全てを一人でやってのけるほどの個性使いを相手しなければならないという事。あの速度からするに肉体強化系か。ジョックまでの距離を詰めた時間からして、時速60キロメートル、秒速約16メートルで移動していたことになる。
そして、先に暗闇にするとジョックが警戒するので不意打ちで落としてから、視界を奪い、残りの二人をじっくりと対処する戦略を取っている。まずプロから、次いで『透明』と個性が割れているやつと事務職の風貌の男という優先順位を付けたのも油断ならない。
慎重に出口へ向かっている途中、まだ闇に順応していない吉良の視界にヴィランが飛び込んで来た。
「速い!? だが!」
葉隠を後ろに追いやり、ヴィランと自分の間に形ある像を顕現させる。カウンターで下顎にストレートを食らわせた。スタンドは目視不可ゆえに回避防御は困難を極める一撃。
顎は砕け、脳味噌がぐにゃりとたわみ、白目をむく。そのはずだった。
ヴィランにダメージは無く、キラークイーンを通り抜け、懐に潜り込もうとしている。
「なんだと」
やむを得ずキラークイーンで対応する。
スタンドはスタンド使いにしか見えず、スタンドはスタンドでしか攻撃出来ない。だがスタンドでスタンド以外の攻撃を防御することは可能だ。当然、その時にスタンドはダメージを負うし、いくらかは本体にフィードバックされる。
弱いスタンドでコンクリートを殴った時に本体の手を痛める、というイメージが近いだろうか。
「こいつの速さは!」
時を止めたかのような、とまではいかないにしろ、プロボクサー並みのラッシュを仕掛けてくる。どこか不自然な速度。
B級映画にあるような早回しのアクションだとかそんなレベルの違和感じゃあない。初速が最高速で打ってくる! 立て直さなければ、やられる! メリケンサックを嵌めたフックがキラークイーンの前腕にめり込み、同じ部位に鈍痛が響く。
「伏せろ葉隠くん!」
天井が十数メートルに渡って爆破された。あらかじめ爆弾に変えていたむき出しの配線を起爆することで、通路が爆風圧で満たされた。舞い上がったチリやホコリに紛れ、葉隠の手袋を目安に腕を引っ掴んで駆けだす。出口とは逆方向だが、仕方がない。
そう、仕方がない。爆破してやる。正当防衛だ、これは。確実に。でなければやられる。
「あのヴィラン――」
と言いさした葉隠を吉良が制した
「頼みがある」
「聞いて、どうでもいい事かもしれないけど」
「どうでもいいのなら後にしてくれ。どういう訳だか打撃が効かない。はっきり言って『透明』が役に立つ状況じゃあないんだ」
一拍の沈黙の後に、わかったと返事が返ってきた。
――――――
ヴィランはほんの少しその場に立ち止まって考えていた。天井の爆発は電気系統のショート? にしては大げさだが全体的に老朽化しているし、腐敗ガスに引火もありえなくはない。
爆風圧でボロボロになったコートを脱ぎ捨て、ジャージ姿で二人が逃げた方へ駆ける。すぐに、角を曲がる男と動く手袋とブーツが薄らと視認できた。店子に隠れるという愚は犯さなかったようだ。
狙いはおそらく管理室に入り、非常灯を点けるかシャッターを開くこと。
室の前で二手に分かれるようだ。透明人間がドアノブを握り、男は通り過ぎようとしている。この場合の優先順位は当然、透明人間。おそらくここが腹部とあたりを点けて殴る。
そのヴィランの鋭いボディーブローを放つ手首を、手袋が掴んで防ぐ。
「『透明』がぼくの打撃を受け止めるだと!?」
消えろ、跡形も無く。
吉良は内心で呟くと、
透明だからな、葉隠もキラークイーンも。手袋が浮いていればそれで誤認してしまうものだ。こんな薄暗いところなら尚の事。
管理室前に辿りつく前から二手に分かれていた。すでに。
吉良が勝利を確信した瞬間、空気を裂く音と共に右足に激痛が走った。ヴィランのつま先がめり込んでいる。思わず座り込みそうになるのを壁に体重を預ける事で堪えた。
ばかな、ありえない。キラークイーンは確実に爆破したはず。なのになぜ、生きている。無効化された? 効かなかった?
「よく悲鳴をあげなかったな。安全靴で骨を割ったのに」
まったくの無傷でヴィランは周囲を確認した。
「透明人間はどうした? 隠れたのか? まいったな」
ふむと、逡巡して声を張り上げる。
「たしか葉隠、とか呼ばれていたな! 聞こえるだろう! ぼくの個性は『無敵』だ。どんな攻撃も効かないし、止まらない。
脂汗を流しながら、吉良は考えるのをやめなかった。
個性を付け替えできるという事か。そんな個性使いに、自分の『無敵』を自分の意思で渡そうとしているのか? その待ち合わせ場所が最悪な事にここで、しばらくすると黒霧とかいうのが迎えに来る?
「む、無駄だ。彼女には逃げるように言って、ある」
「へええ、自己犠牲ってやつかい」
そうだ、と言いたいところだったが、本当はキラークイーンの無敵の爆破能力を知られたくなかったからだ。誤算だったのは、ヴィランに効かなかった点、ただその一点。
それに、『透明』が戦闘で何の役に立つ?
「でもね、たかがシャッターでも『透明』で破れるほど柔な作りじゃない」
「おまえが非常灯を落とすために管理室へ行っている間に、最初にやられたヒーローの懐からカードキーを抜き去っているのでね。今頃は地上だ」
「……きみは何者だ。ヒーローには見えないが、ずいぶんと場数を踏んでるって感じだ。まあいいけどな、きみのB品個性はあのお方に相応しくない」
来る、あの防御を全く考えない超高速ラッシュが。片足が砕かれたキラークイーンでどこまで持つ。
ゴッ、と金属音がした。ハッとして見やると消火器の頭がこっちを向いて置かれている。あんなところにあっただろうか。いや、鉄パイプがゆっくりと持ち上がる。こんな芸当が出来るのは一人しかいない。バカな! 逃げろと言ったはず。
そのままゴルフのスイングのように消火器の底をぶっ叩く。老朽化で傷んだ消火器は、出来た亀裂から凄まじい勢いで薬剤を噴射しながらヴィランの方へすっ飛ぶ。
舌打ちで回避するヴィランの口惜しそうな表情が噴煙で覆われた。吉良は辺りを覆う煙幕に紛れて消火器が飛んできた方へ向かう。右足はダメだが、キラークイーンの肩を借りられるので小走り程度は出来た。
ぐいと葉隠に腕を掴まれ、先導されるがままに付いて行こうとした矢先に背後から嫌な音が聞こえる。
ぱきり、みしりと、ショーウィンドウのガラスを外す音。
「ま、マズい。葉隠、目を守れーッ!」
「見えない存在を攻撃するには、見える限りを攻撃するに限る。ぼくはそう思う」
ヴィランは巨大な一枚の分厚いガラスを垂直の状態で手放し、初速が最速のラッシュで砕き飛ばした。無数の鋭利なガラス片が凄まじい速度で白煙を突き破り、二人のいる空間に殺到する。
キラークイーンで可能な限りのガラス片を叩き落としながら葉隠に覆いかぶさるように倒れこむ。防ぎきれなかった一片が頭部に当たり、どろりと血を見せた。
「は……葉隠ッ!」
「だいっ……じょぶッ、こっち!」
すぐさま立ち上がり、逃げる途中で消火栓に備え付けてある火災報知器を鳴らして足音を消す。耳をつんざく警告音が地下を満たす。
なんだ、さっきのわたしの動揺は、と吉良は自問した。
飛来する無数のガラスの欠片が葉隠の目を傷つけないか、それほど心配だったのか? 赤の他人の小癪な小娘に取り返しのつかない怪我がなくて心から安心したというのか。
いや、違う。ここで運悪く動脈にブッ刺さって借りを返さないうちに失血死なんてされたら困るからだ。だから今、赤の他人の女が無事な事に心底ホッとしているのだ。
この吉良吉影が他人の為に案ずるなど……ありえない。くそっ何だこの感覚は。
その泥のような鈍い思考は、右足の痛みでかき消された。一歩進むごとにうめき声が漏れる。
「ちょっと隠れて休もう」
「いや、きみは……」
「いいから」
強引に店子の中へと引きずり込まれるように連れていかれた。足のせいで抵抗する気は起きない。元文具店のようで、使い物にならなくなったペンやノートが散乱していた。
「やっぱり何か妙だよ、あのヴィラン」
「なぜ逃げ」
「だから聞いてってば!」
押さえてはいるが、葉隠の怒気を孕んだ声色は初めて聞いた。
「たしかにわたしの『透明』に破壊力とかはない。けど、逃げる訳にはいかない」
吉良は黙って続きを促した。
「他の科には伏せられてるけど、USJ襲撃時にオールマイトに匹敵しかねない脳無っていう複数の個性を持った改人がいたの。そいつはヴィラン連合の黒霧っていう『ワープ』の個性使いと一緒にワープして来た。さっきのやつはヴィラン連合の黒霧に接触して、『無敵』を『個性を奪い、与える個性』の人に渡すと言っていた。もしその人が脳無に複数の個性を与える役割なら、『無敵』の脳無を造りだされるかもしれない。そうなったら、今度こそオールマイトは……」
だから、だからねと自分に言い聞かせるように、震える拳を握りしめて続ける。吉良の個性で下顎を抜かれてもまるでダメージを負わずに連打する姿は、人間とは思えなかった。畏怖を覚える。
「わたしだけ逃げて、助けを呼んで戻って来た時にはもう『ワープ』で逃げられるかもしれない。管理室に入った時、思ったより早かったなって口調だったからもう時間が無い。ここで『無敵』をヴィラン連合に渡す事だけは、絶対に出来ない。弱個性だからとか、個性が割れてるからとか、破壊力がないからとか、だからってそれが逃げる理由になるって領域を遥かに過ぎ去ってるの! 闘って、ここで阻止しないと確実に取り返しのつかないことになる!」
ふだん葉隠は、朗らかで、さっぱりとした性格で物事に強くこだわる性格では無かった。ストレスを抱え込んで病気になる事は、透明人間にとって致命的だからである。
ここまで情感を発露させて語る事は個性が発現してから一度も無かった。荒くなった呼吸で、壁を背に片膝を立てて座っている吉良を見やる。
彼の目は瞬きもせずに葉隠に向けられていた。伝わっただろうか、問題はこの場に居る人間の命だけではないという事が。
ゆっくりと口が開かれる。
「……逃げろ」
一瞬で血が上ったのがわかる。刺すように睨みつけ、強く食いしばった。
「ではなく、逃がすな。つまりこういう事だな」
ほっと胸をなでおろす。
吉良は続けて言った。
「一つだけ、いい知らせがある」
「なに?」
「やつの個性は『無敵』ではない可能性がある。もっとも、それに近しい個性である事には変わりはないが、正確には違うだろう」
「どういう事」
「ジョックを倒したあとの戦略からして対個性戦に相当慣れている。にも拘らず、自分の能力を大声でバラすのは不自然だ。きみが離脱に成功した場合、黒霧に繋がる組織か人物に『無敵』が渡った事と、能力の内容が漏れてしまうわけだからな。だから正確に『無敵』ではないか、一部の嘘か、言っていない秘密がある。その脳無ってやつに与えられるとやばいのは変わりなさそうだから、ここでケリをつける事には賛成する。ただ、そこが弱点なのだ。偽の能力を喋った。そこに秘密がある」
葉隠はその洞察に固唾を飲んだ。
実技試験の時も感じた、吉良吉影の判断力、これだけの怪我でも冷静でいられるなんて。
「たしかに、でも何か。他に目的があるように思える。
暗がりだったので確認は出来なかったが、メリケンサックを付けているとはいえキラークイーンのタフネスを上回って本体にダメージを与える程なのだから、当然だろう。
「それが何か個性と関係があるのか?」
「わたし、個性にパワーが無いから中学の時に身体を鍛えてて、プロテインとか調べるついでにステロイドについてもいろいろ検索してたんだけど、副作用の一つに食欲減衰ってのがあった」
「それで?」
「覚えてない? やつはジャンクフードをもりもり食べてた。それに髪の毛もあったし、顔も横に膨らんでない。ステロイドってのは、やめるとすぐに筋肉が落ちるから今も続けてなきゃおかしいよ。白内障なんかの肉体の副作用ダメージを『無敵』の個性制御で防ぐのはわかる。でも肉体ダメージではない副作用を防ぐのは違和感がある」
吉良は表に出さないもののその視点に舌を巻いた。
実技試験の時も感じた、葉隠透の観察力、凄まじい。見られる事が無い分、観るという事に長けているのか?
サイレンが鳴り止んだ。
どうやら『無敵』には秘密がある事はほぼ確実のようだ。
吉良は葉隠が持っていた鉄パイプを杖に肩を借りてなんとか立ち上がって確信する。
秘密とは武器だ! その武器の威力を弱める理解こそがカウンターであり、したがってこの世で最も強力な力。暴かなければ、あの男の個性!
「それでも、敵の個性に秘密があっても強い。協力して闘わないと負ける」
葉隠は消えそうな声で喋った。
「だから教えてほしい」
「なにをだ」
「吉良くんの、秘密の個性を」
吉良は黙って葉隠が見上げているであろう視線に合わせた。まさか入試の地下駐車場の時点ですでに……
いや、吉良吉影が他人を信頼して能力を明かす事など。
「やっと見つけた」
店子の出入り口にヴィランが佇んでいた。
「出口に近い店から一軒一軒、出口を往復しながら確認したので時間が掛かってしまったが。これが確実なのだからしょうがないな。きみ一人か? 吉良とか言ったな」
逃げ道が無い。最悪の状況だった。だが吉良にとってはそれが一つの証明に思えた。最悪である事が故に逆にわかることがある。
「……めい……は」
「はあ?」
「運命は常にわたしに味方する……」
ヴィランは黙って、震える足を庇うように壁に手をつき腰を落とした吉良を見下ろした。吉良は脂汗を一筋流し、ねめつけるようにヴィランを見上げる。
「どんなピンチだろうと、この吉良吉影が乗り越えられないはずがないのだ。最悪だからこそ、チャンスとなってわたしに返ってくる」
「へー。名前まで教えてくれてありがとう。でも残念ながら、きみはぼくの『無敵』の個性に敗北する。ぼくは運命なんて都合のいいモノを信じたりはしないが、あるとすればその結果しかない。きみの敗北、それだけだ」
ヴィランは瞬きの間に接近し、連打を仕掛けるが何かに阻まれる。
「うーん、なんだろうこれ。素早くてそこそこ硬い。見えないから避けられない。邪魔だ、が」
3メートルほどのバックステップの後に全体重と最高速度を乗せた正拳突きに吉良は反応できず、商品棚に吹っ飛ばされる。葉隠は声を押さえるだけで精いっぱいだった。
拳や上半身を使ったフェイントではなく、身体全体を手品のように前後させる不意打ち。速すぎる、何もかも。
「あばらをブチ折ってやったからな、肺に突き刺さって呼吸が辛いだろう? 叫んで助けを求めたらどうだ、葉隠ってやつに……まあいいけどな」
ピクリとも動かない吉良に見切りをつけると、どこかのチンピラが捨てたのであろうライターで火炎感知器を作動させる。
スプリンクラーが作動し、さあさあと放水された。
あっという間の決着に身動きする暇もなかった葉隠は天井を見上げ、次いでその意図を理解した。衝突する水滴が、くっきりと身体を象っている。
焦燥した瞬間に足首に衝撃を受けた。
ヴィランの放った足払いが葉隠の身体を一回転させて地面に叩きつけ、そのまま適当に踏みつけると、人肉の感触が靴越しに伝わる。鉄板の入った厚底の安全靴なのでどこの部位なのかはわからないが。
「はっきり言って。きみ達を見逃してもよかったんだが、あのお方は『透明』の個性も喜んでくださると考えてね。
そのまま踏みつける足に体重と力を徐々に強めていった。
「ぼくの過去はいたって普通で、良くも無ければ悪くも無い、どこにでもいる目立たない男だ。興味ないだろうし、面白くないから言わないけど、あのお方の考え方は素晴らしいという事は信じてくれ。きっときみも挺身するだろう。表舞台に立つ事を避けていらしたようだったから仕方がないが、もっと早くお近づきになりたかった。無為な時を過ごした。五年ほど前のオールマイトとの死闘を聞いた時は涙が出てきた。その時ぼくは何をしてたと思う? のんきに娘の授業参観に行ってたんだ。情けないよ」
かかる圧力に、葉隠は思わず苦痛の声を漏らす。力いっぱい殴ってみるがビクともしなかった。
「正直なところ『透明』が異形型だと残念ながらあのお方に使われる事はないだろう。でも安心してほしい、脳無という改人になれる。とても強靭な肉体で、きみが素体なら他の人間の個性も与えられる。正直言うと、ぼくなんかの『無敵』があのお方のお眼鏡にかなうか自信が無い。だからひょっとしたらぼくたちは一緒の脳無になれるかもしれないな」
骨が軋む音が骨伝導して葉隠に響く。痛みで嫌な汗が噴き出る。
「考えてみれば
「
ヴィランは、壁に肩を預けてなんとか立っているだけの吉良を見やった。降りかかる水で前髪は垂れて目元は窺えず、額からの出血が流され、ジャケットとシャツに不気味な染みを作っている。
商品棚に吹っ飛ばされる直前にキラークイーンの前腕で防御できたので、あばらはヒビ程度で済んだとはいえ、代償として右腕はぱっきりと折られて、力なく揺れている。
「けっこうタフなんだな」
「彼女の手を踏む足をどけろ、と言ったのだ」
指を曲げたまま踏まれていた二本が乾いた音を立てた。葉隠は叫び声を飲み下そうとした、負けを認めるようだったから。
降り注ぐ水の音に、少女の堪え切れない嗚咽が混じった。
吉良が熱の無い声色でぽつりと零す。
「
「は?」
「射程距離は2メートルほど、形ある像を動かせる。本体のわたしが望まない限り、像は物質を透過する。そしてその像が触れたいかなる物質をも爆弾に変える事が出来る。起爆方法は3つあり、触れた瞬間に爆破する即時起爆、爆弾に触れたモノだけを爆破する接触起爆、爆弾そのものをスイッチで任意に爆破する遠隔起爆」
ヴィランは怪訝な顔で、朗朗と語られる説明を聞くだけだった。
「爆破は超自然的な現象で、被爆破対象は跡形も無く消え去る。その一部を残す事も出来る。爆弾に変えた物質を起爆しなければ、新たに爆弾を作る事は出来ない。何をアホ面下げて突っ立っている。わたしの能力の話だよ」
「……それが事実なら、文句なくA品個性だ。本当ならね。新入社員にするどーでもいい社内研修みたいな説明をどうもありがとう。きみのような対個性戦に手慣れた者が、個性をバラす事に何のメリットがある。嘘だね。本当ならあのお方に挺身させる」
「ああ、まったく。子供を襲って喜ぶ程度の奴らが集まる、しかも尻尾を巻いて逃げたケチな犯罪組織に秘密の個性が奪われるかもしれない。これでは例えここから逃げたとしても安心して熟睡できない。ついでに言っとくと、さっき戦い慣れた者が個性をバラすはずがないって言ったな。ということはやはりきみは『無敵』ではないと自白してくれた。こちらこそありがとう」
「なにが言いたい」
と苛立った口調でヴィラン。小ばかにするように答える。
「わからないかな~。つまり、わたしが平穏な生活を送るにはきみを今日いまこの場でブチのめすしかなくなった、って事だ。わからないだろうな」
前髪を搔き上げ、情感が消え去った漆黒の意思の瞳で見据えて告げる。
「これは『覚悟』だッ! わたしの能力を知るきさまを、ここで確実に再起不能にしてやるという『覚悟』だ!!」
「やってみろ……ガキの手が砕ける音を聞いてから!」
キラークイーンが小さなコンクリート片を、葉隠の手を踏むヴィランの靴と地面の間に素早く投げ入れる。
「なっ!?」
「鉄パイプをやつに向けろ!」
葉隠は涙で滲む視界を拭い、吉良が杖代わりにしていた鉄パイプを握る。握った端は力任せにねじ曲がっていた。
「キラークイーン!」
カチリとスイッチが入る。上を向く鉄パイプの内部の底の小石が遠隔起爆され、その上の壊れたペンや辺りに転がっていた釘、割れた物差しやカッターの替え芯が、爆風圧によって即席のパイプガンの弾丸として発射される。
どれほど強い人間でも反射行動を制御する事は難しい。おそろしい速度で顔面に飛び込んで来る飛翔体に思わず手で庇い、身をよじった。一瞬弱まった足の力の隙に葉隠は手を抜き出す。支えとなっていたコンクリート片が遅れて踏み抜かれる。
葉隠はすぐさま吉良に肩を貸して、可能な限りの速度で店を出て、ある場所に向かった。
「やっぱり違うんだ、吉良くんの言う通り、あいつの個性は『無敵』じゃない。十代の姿で娘の授業参観にノンキに行ける男が、普通の人生を送る目立たない男? そんな訳がない。個性で肉体の年齢を変えられるんだ」
そうだとしたら、と吉良は呼吸するだけで痛むあばらを意識しないように思考を口にする。
「肉体を十代の姿で維持できるのか。維持されているからダメージが通らないのか? だが初速が最高速度の動きとステロイドの副作用を無視しているのは一体……」
背後から獰猛な肉食獣が駆けるような足音が、瞬間的に接近する。
「追いつかれる」
「まだだ!」
先程鳴らした火炎報知器の消火栓を爆破し、凄まじい勢いで噴き出す水圧で一時は退けてなんとか距離を取る。
背後から呪詛のような叫びが木霊した。
「吉良ッ! おまえは見逃してやる。だから『透明』は置いていけ、彼女の個性と最も相性がいいのはぼくだ! 逃げきれはしない! さもなくば死ね!」
死、か。と吉良は初対面でファンに言われた事を思い出した。いいツラだ、でも死ぬ。その通りになりそうだ。同時にもう一つの言葉も想起した。
十代とは
ダメージの無い最高の肉体、成長できる最高の時期、初速が最高速度の動き。まさか、やつが維持しているのは――
なんとか目的の出口にたどり着く、足はもう限界だった。シャッターを背に二人は座り込む。カードリーダーは破壊されていた。
「葉隠、きみが選べ」 暗闇の中から、ゆっくりとヴィランが輪郭を浮き上がらせて近づいてくる。 「きみがぼくと共にあのお方の元に来るのなら、その男は殺さないでおい」
遮って吉良が口を開く。
「おまえは『無敵』ではない。
おどっ、と口どもってから驚いたなと答える。
「その口ぶりだと確信してるって訳か……ぼくがどれだけ取り繕っても無駄そうだな」
「いつでも、ほんの一瞬だったとしても偶然の記録だとしても、人生の中で出した最高が出力される。だから初速が最高速度の動きが出来る。薬の副作用を含むダメージも一瞬で最高の体調に塗り替えられる。人生の成長期である十代の肉体が維持される」
ヴィランは深い溜息を吐いた。
「……きみ達は本当に何者だ? わが個性『
貯水が切れたせいか、スプリンクラーの放水が止まる。一歩一歩、水浸しの床を踏みしめながらヴィランは続けた。
「捉えているからな。ぼくの走力は、むかーしドーピングしまくった時に叩き出した時速67キロメートルだ。今からシャッターを爆破してもこの距離なら1秒で詰めて、今度は頭蓋骨をブチ抜く。次は何を『爆破』で飛ばす? 必要ないが、避けてやるからな。それともキラークイーンとやらで殴るか? 無駄だがな。ぼくの個性は『無敵』ではないが、『
「逆だ、全てが。射程距離内に捉えたのはこちらで、『爆破』で飛ばさないし、そして避けられない」
「さらに全盛は終わるし、無敵ではない」
葉隠が付け加えた。
キラークイーンが肘打ちで背にしていたシャッターに小さな穴を空ける。
小汚く淀んだ冷たい闇に、清く清純で暖かな一条の光が差した。
全ての闇を照らす事は出来ないほどの、弱々しくすぐにでも呑まれてしまいそうな一筋の光明。それで十分だった。
それこそが必要な物だった。
吉良は二つの『覚悟』を決断していた。一つは自分を、吉良吉影を追い込む為に、敵に能力を明かした事。二つ目は他人を、葉隠透を信頼する為に、能力を明かした事。
折れていない左手で、左側に居る葉隠の右手を誘導する。頭部にひびが入り、右足と右腕が欠けたキラークイーンの左手へ。重なった二つの手の指はヴィランを指していた。
葉隠は一つの『運命』を確信していた。ほんのささやかな、ありふれた事柄の全てが導いたのだという。
入試で吉良と出会った事。
体育祭で助けるという意思の欠如に気付いた事。
ヒーロー科で相澤消太の授業を受けた事。
学友のアドバイスを受けた事。
学友にQUEENを教えて貰った事。
引力のように同じ事務所へ職場体験に来た事。
吉良の能力の名前が
全ては、『個性を奪い、与える個性』の使い手に『
怖かった。体中擦り傷だらけで、指も砕かれた。それでも今、ここでこうしている『運命』に心から感謝した。
ありがとう。
「
葉隠の身体を透過する光のうち一つの光子が、人智を超えた緻密の最奥とも評すべき個性制御により、指先から放たれた。同時に、重なっているキラークイーンの指に触れ、自動的に爆弾に変わる。
放たれた光子は空気中の塵や埃と乱反射するように衝突と屈折を繰り返し、目標に激突して接触起爆の条件を満たす。
『
その間にも途切れなく葉隠によって放たれ続ける光子は、接触起爆が終了した瞬間に自動的に爆弾に変えられたものだ。
マイクロセカンド間で数えきれないほどの破壊と再生が繰り返されたが、終局は純粋に速度の問題だった。『
比喩ではなく瞬きの間にヴィランは半死半生の状態で吹き飛ばされる。最後の破壊に弱々しく再生を試みてはいるが、個性を使うほどの体力は残っていない。
もはや十代の顔ではなく、傷だらけだがどこかいいところの給与人に見えなくもない顔をしていた。どこにでもいる、静かに平穏な暮らしをしていそうな。
『覚悟』と『運命』が、悪意を撃ち破ったのだ。
「対個性戦でまず重要なのは、相手の、種類を、見極める事」
個性制御でへろへろの葉隠が息も絶え絶えで言った。
「社会生活で普通に過ごしてたって事は個性をオンオフ出来てたって事。つまり異形型じゃない。常に全盛を発動しているか、全盛の状態に変形し続けているかのどちらか。個性の維持による体力消費も、身体を最高の状態にし続ける事で実質無限に使い続けているだけ」
異形型は他の型にゴリ押しが効きやすい。相澤先生の授業をマジメに受けてて良かった。
「葉隠くんに対して、ご自慢の時速67キロメートルは遅すぎたな。今日で衰勢だ」
吉良が皮肉を込めて軽口をたたいた。
小さく悪戯に笑い、葉隠はふらつく身体で立ち上がる。『透明』と最も相性がいい個性は無敵でも全盛でもないんだ。それは……
「吉良くんはじっとしてて、足をやられてるんでしょ。わたしはジョックさんの捕縛錠かなんかを借りてヴィランを拘束してくる」
その後、頭部に重症を負ったジョックを下手に動かす事は避け、シャッターを爆破し、拘束したヴィランを引きずりながら、ようやく地下商店街を後にした。
階段を登るたびに新鮮な空気とまばゆい太陽。
そして不自然な喧騒が聞こえる。
そんな、とヴィランを引きずりながら吉良に肩を貸していた葉隠は絶句する。その姿には見覚えがあった。USJで見た、黒いモヤで覆われた個性使い黒霧と、夜色をした巨体、脳無。それと数人のヴィランが待ち構えていた。
晴天の中の逆光で伸びるヴィランの影が、魔の手のように二人へ向かっている。
葉隠の「運命」が尽きかけようとしていた。
次回 たぶん今日の夕方か夜か三割で明日以降、かも