WLW短編集   作:聖華

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お題箱、『マグスとハンスのお話を下さい』というリクエストより。
マグスとハンスがケンカをするようです。キャラ崩壊注意。


ばたふらいふぁいとっ!

「『マグス・クラウン』」

 

 彼はその時、眼前の人が初めて自分の名前を呼ぶのを聞いた。つまり、普段は『マグス(ボク)』だの『キミ(ボク)』だのと呼ぶ人が、その時ばかりは正式なキャストとしての名称を持ち出したのだ。

 平時の穏やかな雰囲気は、はてどこへ消え去ってしまったのか。眉を吊り上げ眼前を見据える桃色の瞳は、猛禽が如き鋭さを湛えている。

 手にしたトランクを肩の高さまで持ち上げると、彼はそのまま手を離す。派手な音を立てて、トランクが床を跳ねた。留め具が弾けて、中身が外へ零れる。

 

 ぶわり、と。

 

「ッ……!」

 

 極彩色の洪水が部屋中を舐め回した。トランクの中から飛び立った蝶の群れは、道化師の包囲するように、部屋の中をぐるぐる回り始める。羽搏きの音で鼓膜が叩かれて、酷く煩い。蝶の壁に阻まれて、スーツを着た一人の姿が視界から掻き消えた。

 こめかみに伝った汗が、道化の帽子に吸われた。

 

「これ、冗談だよね……?」

 

 返答。

 

「マグス・クラウン。この世の中にはね、やって良いことと悪いことがあるんだ」

 

 その口調は子どもを窘める時に母親が発する物に、とてもよく似ていた。

 だからこそ、

 

「キミがやったのは、『悪い方』だよ。もっと言えば、あらゆる悪徳には、罰が与えられて然るべきだろう」

 

声音に混じった明らかな怒りの声に、悪寒が走る。

 

 蝶の羽搏きにまぎれこんで、足音。聞くや否や、後方、八時の方向に後ろ蹴りを飛ばした。蝶の中から、振り被った拳と共に現れた人の、その顎を靴先が捉える。捉えるのを、確かに仮面越しに見届けた。

 瞬間、蹴りが宙を切る。光り輝く蝶の群れに足が埋もれる。

 靴が肌をなぞった時には、黒スーツの輪郭は蝶へと置換されていた。道化師には見慣れた光景である。気にせず、背後に沸き上がった蝶の塊に裏拳を振るった。今度はきちんと感触がある。蝶がずるずると引いていって、上段に構えた右腕で裏拳を受ける人の姿が残った。

 

 ぴたり、腕を交えた状態で二人は静止する。

 

「参ったな。こんな形でキミ(ボク)の怒りに触れるなんて」

「ボクとしては、ここではっきりさせておくべきだと思うんだよ」

 

 道化師の腕を押し退けながら、胸元目掛けて拳を突き入れる。道化師は手刀をもってその手首を横から払って標準をずらし、そのまま姿勢を低く取って相手にローキック、足元から崩す算段。黒スーツのシルエットが宙を一回転、バク転でこれをいなしながら浮いたシルクハットを被り直す。キュッと床で皮靴の底を鳴らしながら、再度跳びかかった。

 

「キミとボクが同一人物であっても――それは個としての同一ではない、ってね」

 

 正面から挑んできた人にカウンターを合わせようとしたその瞬間。眼前の桃色の虹彩が、魔力の輝きに煌めいた。薄い唇が、詠唱を紡ぐ。目には見えない指輪を回した。

 

「『KHM166:Der starke Hans(任せたよ、空気の精!)』」

 

 風が、舞い上がる。横殴りの突風。浮遊感。

 周りを飛んでいた蝶ごと、道化師の体は宙を舞った。五線譜の書かれた前垂れが、バタバタとうるさく騒ぐ。彼はどうにか壁の装飾を掴んで体勢を持ち直そうとするのだが、

 

「ッ!?」

 

その前にぐいっと裾を掴まれ引き摺り下ろされ、床の上に組み伏せられる。黒いスーツを着た人が胴に馬乗りになって、道化師を見下していた。

 部屋の照明はいまだ風に揺れている。部屋中の影が忙しなくゆらゆら動く中、彼の瞳が逆光の暗がりで妖しく光っていた。

 

「これは正当な暴力だとも」

 

 道化師が返しの言葉を紡ぐよりも、手袋をつけた手が襲い掛かる方が早かった。

 無防備な脇にガッと指先を突っ込んで――こちょこちょと、服の上から丹念に肌をくすぐり始める。「ひゃ!?」と素っ頓狂な悲鳴。

 

「ちょ、キミ(ボク)なにし、て……!」

「この! キミに食べられてしまったミルクプリンくんの敵討ちだ! この、このっ!」

「や、やめ……やめないかっ! もう!」

 

 下敷きになっていた人はしばらく体をくねくねとして身悶えていたが、最後には堪え切れなくなってその腕を振り払った。

 

 ぜぇぜぇと息をして肺を痙攣させているマグスを他所に、ハンスは頬を膨らませてそっぽを向いていた。トランクの外側をトントンと叩くと、部屋を舞っていた蝶たちがトランクの中へと戻っていく。

 マグスは額の汗を拭うと――帽子で覆われているので、正しくは拭うモーションを取っただけなのだが――言う。

 

「だってあれ、今日までの賞味期限だっただろう……」

「今日食べるつもりだったの! 今日の為にヴィルヘルムに言われた仕事を期限内にやり終えて、ティーブレイクの間は絶対に呼ばないでねって約束までさせたのに……!」

「まったく、どうしてミルクプリンの為にそこまで」

「あれはただのミルクプリンじゃないんだよ! カラドリウスのタマゴを使った、とっても、とーっても希少な物で!」

「分かった、分かったとも」

 

 食って掛からんばかりの勢いに、どうどうとハンスの肩を掴んで落ち着かせる。仮面を手で覆って、はぁと溜め息。

 

「確かに無断でプリンを食べたのは、他ならぬボクの非だろう。何かしらの形でお詫びするさ」

「ほんとかい!? じゃあ、明日一日は好きに食べ歩きさせて欲しいな!」

「おいおい、キミの質量が増えるとボクにまで影響が」

「…………」

「分かったから、無言で指を蠢かせるのはやめないか。キミはボクがくすぐったがるポイントを熟知しているからタチが悪い……」

 

 ハンスは「わーい!」なんて歓声と共にバンザイ、ようやくマグスの上から退いた。

 どうにかこうにか立ち上がって、パッパッと服を払うマグス。そのまま、ニコニコ笑顔で手帳を開く人を尻目に、部屋を後にしようとして。

 

 ガシッと、肩を掴まれた。

 

マグス(ボク)はコーヒーが好きだし、やっぱりコーヒーゼリーが美味しいお店には行きたいよね。何件目が良い?」

「…………」

 

 高い授業料だなぁ、なんて思うマグスであった。




タイトルでも取り消し線が使えるなら『きゃっとばたふらいふぁいとっ!』にしたかったです。
二人とも格闘戦は苦手そうですよね。苦手だからこそ取っ組み合いのケンカの時は格闘戦になったりしたら可愛いなと思うんですよ……という訳で、今回拳が当たる時のSEは全て「ぺしっ」です。腑抜けている。
どうでもいいですが、カラドリウスのミルクプリンって、とても健康に良さそうですね。
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