ぎゅう、と円也はカナタに抱き締められた。同年代の女子より豊満な胸に顔を埋められて後頭部を手で抑えられた。
「おぅ……」
抵抗はせずになすがままに抱かれ、頭を撫でられる。
このやり取りは円也とカナタが出会えは必ず起きる光景だ。
「はぁ……円也君の温もり。ほぁあ……」
恍惚とした表情と緩んだ瞳は彼女の二つ名である『
「アッハハハハハ!! いやいや人外! 何だそれ!! 打ち上げられた昆布みたいじゃあないか」
抵抗はせずにだらんと下がった体、円也はされるがまま力無くカナタに寄りかかる。
その光景を腹を抱えて、笑うのは泡沫。
あの憎いあんちくしょうが抵抗も出来ず為すがままにされる姿はまさに滑稽という言葉が相応しいと思いながら、この光景が繰り広げられる度に、泡沫は嘲笑する。
「泡沫君何を笑っているのですか? 家族の触れ合いを笑うなんて」
「おおっと、相変わらず円也に対しては甘いね。面白い物を見れたし僕は退散するよ。そこの人外と同じ空気を吸うなんてやだやだ」
睨むカナタの視線を泡沫は躱しながら円也以外の人間を相手にする時の性格で生徒会室から出て行った。
「相変わらずですね。あんなにも円也君を嫌うなんて」
こんなにも愛らしいのに。抱き締めていた手を放し、床に正座する。
「さあ!」
「……えぇ」
ポンポンと正座した己の太腿を叩く。要求は一つ、頭を乗せろ。膝枕をさせなさい、だ。
幾度となく交わしたやり取り、つまり断ればどうなるか円也は良く知っている。
泣く。それはもう盛大に。元服した十八の成人女性とは思えない程に泣く。泣くどころかひっついて離れない。
背中から手を回し肩に顎を置いて蛸の吸盤の様な吸着力を発揮する。
こうなったカナタを戻す方法は一つ、円也が彼女の要求に応える事。
彼女の気が済むまで為すがままにされていればいい。円也は此処で膝枕されるのと、断った時の事を天秤にかけて前者を選んだ。
膝に乗った髪を触り頭を撫でる。カナタの手は徐々に下、額、瞼、鼻、頬を撫でながら唇に触れる。
「カナタ、さっきはありがとう。助かった」
「なら、危ない事は……危なくはないですね。でも、三十人を斬ったのでしょう? 変な事は控えて下さいね。もしくは私におっしゃって下さいね」
カナタが首元を撫でながら円也に忠告しつつも、円也は守らないだろうとカナタは確信を持っていた。
それでも良い、カナタにとって重要なのは円也に危害が加わらないことだからだ。
今回の様に面倒な事に巻き込まれてもカナタの方で根回ししながら、円也にとって不都合な事は握り潰せばいい。
……こういう時、権力は便利ですわ。
肩を触り腕へと手を伸ばした事で、カナタはある事に気付いた。
「あら、この前より筋肉の質が変わってますわね。後、骨と関節が増えましたね」
「ん……ああ、彼の御蔭だよ。『一刀修羅』の……なんだっけ?」
「黒鉄一輝君でしょう? もう少し他人を覚えて認識しましょうね。とは言え、彼の能力は骨を増やしたり出来ないと記憶してますが」
問うカナタに円也は自分の手を握るカナタの手を軽く握り返す。
「彼の技を真似てる時に、色々肉体に不足と無駄が出来ているのを見つけたんだ。だから変えた」
常人には不可能な行い、事情を知らない者からすれば理解不能の会話を二人は続ける。
「ふふ、相変わらずですわね、円也君は」
だからこそ、可愛くて愛おしくて仕方ない
貴徳原カナタは石神円也を愛している。
その感情は男女の愛や恋と言ったモノでは無く。家族に対する愛情、母から子に送る母性愛だ。
貴徳原カナタと石神円也の出会いは、彼女の家、貴徳原財閥が運営する養護施設『若葉の家』から始まる。
幼少の頃よりカナタはそこへ出入りをし、東堂刀華、御禊泡沫達と交流を深めていた。
そこに円也の姿もあった。無口で無表情。暗い瞳を持った少年。時折、刀華の言葉に合わせて微かに微笑み、泡沫から毛嫌いされながら苦笑する。そして、カナタの話に相槌を打つ、物静かで何処か浮いた雰囲気を持つ子供だった。
だからだろうか。当時からカナタには一抹の不安があった。交流を深めれば深めるほどに石神円也と言う人間の異質さを感じ取っていた。
風船、とカナタは円也をイメージした。手を離せば遠くに行ってしまう。見えるのに時間が経てば経つほどに遠くへ行って最後には弾けてしまう。
その時、初めて体が震えていた事にカナタは気づいた。
行って欲しくない。何処にも行かないで。皆と一緒が良い。幼いカナタは仲の良い友人が消えてしまうという事実に耐えることが出来なかった。
放って置くなんて事はしたくない。刀華、泡沫、円也、皆と一緒が良いのだ。皆で笑い、遊ぶ時がカナタにとって大切な時間だから。
最初は手を繋いだ事が始まりだった。風船のような彼が消えてしまわない様に遊ぶ時には手を握った。
次は腕を絡める。睨む刀華が怖かったが我慢した。抱き付いた。抱き絞めた。少しずつ少しずつスキンシップを増やしながらもどうにかして円也を繋ぎとめようと努力を続ける。抱き付いた辺りから刀華から殺気を向けられたが気にしてない。
だが、時が経てば経つほどに円也の何処かへ行ってしまう浮遊感が増していく。
見識を広げ、知識を増やし、心と体が成長する中で、何故こんなにも円也の事を心配しているのかカナタは考えた。
心配だからという事は分かっている。だが、何故此処まで彼を心配するのか。
心に疑問を作りながらスキンシップを取る日常で、決定的な事件は起こった。
破軍学園への入学試験の際、円也が自らの固有霊装で己の腹を斬ったのだ。
地面へ流れる赤い血液と背中から飛び出る刃にカナタの思考は停止した。担当の面接官もついでとばかりに吐血したがそれはどうでもいい。
刀華と共に駆け寄り、彼を抱き上げる。カナタは周囲などお構いなしで、円也、円也と叫んだ。
次の瞬間、傷が消え目を開けた円也に「何?」と聞き返された時はただ抱きしめる事しか出来なかった。
……生きている。
彼が、石神円也が生きている事が嬉しくてしょうがない。生きていればそれでいい。
円也が死ぬという事実に耐えきれない。生きて欲しい。
全てに興味が無いと思えるその生き方を変えて欲しい。
どうか笑って幸せになって欲しい。
……そういう事だったのですね。
カナタは己の意思を自覚した。それは母性、庇護欲。
手を離せば消えてしまいそうな円也をほっとけない。あらゆる事柄に興味が無さそうな円也に楽しく笑って欲しい。何処か諦観しているから幸せになって欲しい。
その日から、カナタは愛を円也に注いだ。やってみれば心に存在した疑問が消えていた。
……私が彼の母になればいいのです。
円也は孤児だ。『若葉の家』の前に段ボールに入れられて捨てられていた。
親からの愛など知らない。親の顔すら知らない。
ならば、自分が愛してやればいいのだ。これから、ずっとずっと。円也を生んだだけの母親でもない女に代わって。母がやるべき事、して上げる事を私がやるのだとカナタは決意した。
愛して、抱きしめて、撫でて、頬擦りして、生きて良いのだと肯定しよう。幸せになって良いのだと肯定しよう。彼のしたいことを、行動を肯定して、誰よりも味方であり続けるのだ。
その意志のままに行動していた所、泡沫がカナタに忠告をした。
『あの馬鹿は愛なんて理解していない』と。
「そんなの知ってますわ」
「ん? どうしたの?」
「何でもありません。ほら良い子良い子」
理解してないなら教えればいい。教え続ければいいのだ。愛情を際限なく惜しみなく注いであげよう。
愛の器を満たして、溢れても満たして、器が壊れても飲み込むほどに。それくらいが円也にはちょうどいい。
貴徳原カナタは石神円也を愛している。息子にしたい。出来る事なら産みたい程に。
……私は円也君の母になりたい。
電子音が鳴る。発生源は円也の胸ポケットの中、円也が取り出すと生徒手帳のディスプレイにメールが届いているのが確認できた。送信者は『選抜戦実行委員会』。
「あら? 円也君の対戦相手が発表されたのですね」
「うん。新技の調整が出来る相手ならいいけど」
「新技? それは楽しみです」
相手には興味が無い。技の練習台になってくれるくらいの相手が良いなと思っていると生徒会室のドアが勢いよく開く。
「円也君!! また無茶しとったね!? って、カナタちゃん何してるんですか!! 羨ましい!! 代わって下さい交代してください!!」
「嫌です。たとえ刀華ちゃんの頼みでも今だけは絶対に嫌です」
騒がしくなったと思いながら、二人の会話を無視して送られたメールの内容を読む。
『石神円也様の選抜戦第一試合の相手は、三年二組の久陽創哉選手でしたが、久陽選手の棄権の為不戦勝となります』
新技を使うのは先になる予定のようだ。
月が嫌いだ。否、嫌いになった。
白いから、否が応でも思い出すから。
深夜の洗面台で桐原静矢は嘔吐していた。
魘される悪夢が彼の心を抉る。明日に迫る選抜戦、対戦相手は黒鉄一輝。
「はぁ、はぁ……怖いなぁ」
強者が怖い。あの戦いに恐怖を持ちながらもそれを凌駕して戦いに臨む闘争心が宿る眼光が恐ろしい。
一年前、主席で入学し、スーパールーキーと言われてもてはやされた時期が有った。
桐原自身もそれに乗った。性格的にそしてその才能があったから。事実、その戦闘スタイルで一年にして七星剣武祭に出場を果たした。
だが、二回戦で桐原は敗北した。前年度に優勝を果たし、七星剣王である石神円也によって。
今までの戦い方を見る限り、円也は
桐原は舞い上がる。二回戦で七星剣王を自らが降す。それも一方的に、だ。その情景を描いては心は沸き立ち戦いに赴いた。
結果は凄惨な事になった。自身の姿を消す『狩人の森《エリア・インビジブル》』を開始と同時に行って、矢を放つ。矢は簡単に掴まれて……目が合った。
鳥肌と危機を知らせる警報が鳴る暇も無く、完全に姿を消した筈なのに気が付けば、右腕が落ちていた。
降参を叫ぼうとして左腕が落とされ、気が付けば両足を置いて四肢を失った肉体が宙を舞っていた。
重力に従い落ちて行く肉体。意識はそれを他人事の様に、テレビで見るかの様な感覚で見ていた。
落ちた先に、円也が居た。暗い、仄暗く闇を幻視する程の眼が合った。
悲鳴を上げた。何かの間違いだと言い聞かせるが現実は無情に桐原に迫り、首を掴まれてフィールドに叩き付けられた所で意識が飛んだ。
桐原が目を覚ましたのはそれから一週間後、病院で起きた直後に悲鳴を上げてのたうち回る。
あの目がやってくる。iPS再生槽で体は修復したが、心に刻まれた恐怖が幻痛となって桐原に襲い掛かった。
吐瀉物を撒き散らし、悲鳴を上げて上げ続けて漸く心を落ち着かせることが出来た。
何だあれは。理解したくなかった。自分は天才と言われた。スーパールーキーで今まで負けた事なんて無かったのに。
自分が天才ならあれは何だ。
「化物め……」
人には越えちゃいけない領域があるだろうが。自身の試合の映像を見て、叩き付けられたフィールドは使い物にならない程にクレーターが作られていた。その中心に円也に掴まれた桐原が居る。ダルマの自分は血潮をぶちまけて加工される前の生肉みたいな姿になり果てていた。
人間ってなんだ。あれを人間と認めて良いのか。
違う、あれは人間じゃない。
心は折れた。桐原は上を目指す事を諦めた。あんなモノと競い合いたくないと、そして視線は自然に自身より下の人間に目を付ける。
黒鉄一輝。Fランクの才能ナシ。『落第騎士』。
壊れた心を、自尊心を満たす為に彼を苛めた。
馬鹿にして口悪く絡めば、ほんの少し心が軽くなって、結局苦しくなる。苛めても少し時間が経てば恐怖が迫って来る。
自身が持つ力が圧倒的暴力の前で無力になるのが怖かった。何も抵抗できず痛みだけが桐原を苦しめる。
一年、苛めと幻痛、嘔吐で過ごして来た桐原にある映像が流れて来た。
ガールフレンド達が見せて来た、黒鉄一輝とステラ・ヴァーリミオンの試合。
あのFランクが勝利した。Aランクに、あの石神円也と同じランクに!!
呼吸が出来なくなった。部屋へ飛び込んだ所で、治まってきた幻痛が斬られた箇所に走った。
斬られた当初を思い出す痛みに転げ回り、嘔吐した。
……苛めていたアイツが、才能ナシだと思っていたアイツが化物だったッ!!
「我慢してただけか。何時でも倒せる雑魚だって見下して……糞糞糞糞糞がァァァァ!!!!」
怒りと憎悪を燃やす。そうしなければ今度こそ自分が壊れてしまいそうで。虚勢を張ってどうにかして恐怖を消す事に必死になった。
「勝つんだ。勝つしかないんだ……」
殺される。苛めた以上恨み憎み殺しに来るだろう。
「僕ならそうする。絶対にッ!」
口にして自分の矮小さに乾いた笑いが出る。惨め極まる三下、チンピラじゃないか。
惨めでカッコ悪い。普段の自分とはかけ離れた表情が洗面台の鏡に浮かんでいる。
逃げたい。逃げ出したくてしょうがないが、その選択を選ぶことは出来ない。
震える体に力を籠める。幻の痛みを必死に我慢する。
「やるしかないんだ」
Fランクの格下が挑むんじゃない。これは桐原静矢と言う恐怖に震える狩人が、化物を倒す戦いなのだ。
一人は愛を
一人は恐怖を
それぞれ同一人物に抱く。