涼ちゃんとさみ姉   作:えーひち

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武蔵恵美について

あたしは北海道のとある農家の二女として生まれた。19年ほど前の事だ。なぜか幼少のころから海に深い共感を持っていた。小学校に上がる頃まで海など見たこともなかったのに不思議なものだ。あたしは海を初めて見たとき懐かしいとさえ感じた。その空気を、潮風をまるで慣れ親しんだ自分の故郷の空気であるかのように感じるのだ。

そんな話をすると、大人たちは大体艦娘の話をする。

「君は将来艦娘になるんじゃないかな」

そんな風に言われる。それは実際艦娘になった子たちの共通の感覚なのだそうだ。

「恵美ちゃんは姓が武蔵だから、戦艦武蔵になるかもしれないね」

艦娘になった時の名前が人間だった時の名前と被ったり、境遇に関連があったりすることはよくあるそうだ。でもあたしの名前はムサシではない。

武蔵恵美(たけくらめぐみ)だ。

そうはいっても艦娘になって、しかも戦艦武蔵となって活躍するなんてことは幼いあたしにとってもワクワクするような話だった。

 高校を卒業してあたしは東京のとある専門学校に入学するために一人上京した。そう東京、と友人たちには言ったけど、実際は神奈川県なのだが、まぁ、東京といった方が解りやすいだろうという判断と、ぶっちゃけ見栄もあったと思う。

一人暮らしの拠点は学校から聊か遠かったけど海の近くに決めた。江の島が見える由比ヶ浜の近くの2dkだ。一人暮らしにはちょっと広いが、実家はわりと裕福な方だったし、仕送りも充分あって、親におんぶにだっこといったところで、結構優雅なものである。

この歳になっても妖精さんは現れなかったけど、あたしは海に対する共感覚からか、はたまた海上を滑るように進む艦娘のイメージに引っ張られたのか、高校生の頃にサーフィンを初めていた。由比ヶ浜近くに決めたのはサーフスポットが近い事が理由だ。実家にいた時は苫小牧によく行ったものだが結構遠くて、ここはちょっと歩けばすぐに海岸なので嬉しい。

といっても上級者になる気もなく。わりとちゃぷちゃぷやっている感じだ。結局単に海が好きなんだと思う。

学校にもだいぶ慣れてきた秋口あたりにあたしは、学校の授業で習った電気系統のシステムを応用してボードにちょっとした仕掛けを試みていた。足元にタッチパネルをつけて足の動きでボード下の舵を調整するといった仕掛けだ。波乗りの技術を鍛錬するのではなくて、そういう方向性に行ってるあたりが、あたしのサーフィンに対する姿勢が垣間見えるだろう。そういう変なサーファーなのだ。

それがなかなかうまくいかず、海岸の砂の上でシステムのユニットにつないだノーパソで設定調整をやっていると「面白いことやってるね」と声をかけて来る男がいた。

振り向くとしゃがみこんであたしの肩越しにパソコンの画面を覗き込んでいる白Tシャツ紺短パンの若い男がいた。

「覗き込むのやめてもらえます?」

あたしはノーパソをパタッと閉じて軽く身を引く。

「俺サーフィンは詳しくないけど、そうやって舵動かすとなんかいいことあるの?」

へぇ、と思った。ぱっと見でこれが舵動かすシステムだってわかるんだ。肌も焼けてないし、確かににサーファーには見えない。

ナンパ男には慣れていた。自分で言っちゃ何だけど、あたしは結構な美人なのだ。こう見えても。見かけ通り。

中学高校と結構モテた。高校の時は彼氏もいた。一応念のため言っておくがまだ処女です。別にそれを求められなかったわけではない。高校生ともなれば、周りの級友達にも経験者は少なくはなかったし、別にセックスに対して嫌悪感を持っていたわけでもない。もちろんゲイでもない。

艦娘は処女でないとなれない。という噂は聞いていた。それを真に受けていたわけでもないけれど、その噂の真贋さえはっきりわからなかったが、引っ掛かりになっていたのは確かだ。それにもう一つ理由があった。たぶんそっちの方が大きい。

「難易度がいくらか下がるかなと思って」

ちょっとめんどくさかったので適当に答えておいた。実際の所、うまくいってもどれだけの効果があるか解らないし、足でタッチパネルの操作をするとかどうなんだろうとかは思っていたけど、結局のところ新しく得た知識や技術を使ってみたかっただけなのだ。そのあたりの説明がめんどくさかった。

「難易度は上がりそうだけどね、足で操作とか」

男が言う。ですよね。

「操作の挙動でバランス崩しそう」

いちいちごもっともで。

「でも、面白そうだね」

男はそう言ってニコヘラっと笑うと「じゃぁ頑張ってね」と言って去っていった。

あたしはしばらくその後ろ姿を見ていた。特に筋肉質というわけでもなく、太っているというわけでもなく、いわゆる中肉中背。歳はあたしと同じか少し上くらいだろう。短く刈上げられた髪には、その髪に対する愛情は全く感じられない。髪は生えてくるから、邪魔にならないように短く刈ってますと言わんばかりである。顔は美しいわけでもなく、男らしい精悍さがあるわけでもなく、変な顔でもない。でも、笑った顔が妙に親しみの湧く良い顔だった。

あぁ、そうか、高校の時付き合ってた何人かの彼のうちの一番長く付き合ってたあの彼の笑い方と少し似てるんだ。

それは確かに親しみも沸くだろう。今の今までその彼のことなど忘れていたわけだけど。

あと声が良かった。細谷佳正みたいな声だった。数年前にネットで流行った『止まるんじゃねえぞ・・・』の人の声や先祖返りの一反木綿の声とかやってた声優だ。あの何とも言えぬ不器用そうでいて達観したような、すっとぼけたような心地よい声。

『また会えないかな』

なんて珍しく思ってしまった。

だけども彼はその後、待てど暮らせど海岸には現れなかった。

 

 

 

 

「変なサーファーちゃん」

アパート近くのコンビニで会計をしようと財布の中のポイントカードを探していたら、カウンター越しに店員がそう言って声をかけてきた。顔を上げると果たしてそこには例の細谷佳正声が、青い縞の入った制服を着てニコヘラっと笑って立っていた。

「カップ麺すきなの?」

あたしが細谷声の顔を見てぼーぜんと突っ立ってると買い物のカップ麺六個と紙パックのお茶二本を袋詰めしながら細谷声が言う。

いや、大きなお世話だし。てか、あんなに海岸で待ってたのに現れなかったくせに、なんでこんな近くのコンビニにいんのよ!しかも店員?あたしゃお客様だぞ、なんだその口の利き方はー!

と思ってから、はたと気づいた。あたし待ってたんだな。会いたかったんだもう一度。

「お会計は現金で?」

「あ、パスモで」

スキャナの上にパスモを置く。ピピっと決済音が鳴ると細谷声は「ありがとうございました」といってまたニコヘラっとする。

「ここ結構来るのに。ここで会うの初めてですよね?」

「あー、普段と時間帯違うんで。普段は夜勤なんで」

ほへーっとしてると細谷声は明後日の方を向いた。

「まー、俺は君のことはちょくちょく見かけてたけどね」

ん?なんだコレ、こいつ照れてるな?美人か?やっぱあたしが美人だからか?

「か、カップ麺は・・・別に好きじゃナイデス」

なんだなんだ。あたしもちょっと緊張してる?

「あんまり料理とかできないけど、おなかは空くので」

「そうなんだ、俺は料理得意だけどね。調理師免許もってるし」

「あ、そうなんですね」

は?だから何?『じゃうちに作りに来て』とか言うとでも?そんなこと言いたくても言えるかよ。とか思ってると細谷声はこともなげに、まさにその細谷声で言いやがりましたよ。

「じゃ、俺が作りに行ってあげるよ。君の部屋に」

えー、と思って顔をマジマジ見ると、相変わらずのニコヘラ顔である。かるいなー、いや、超かるいなー。

「あ、とりあえずはカップ麺六個買ったんで、これ消費してから、っていうか、いや、そんな、悪いですよ」

とかいってシドモドになっていると、後ろから咳払いが聞こえた。振り返ると後ろに長蛇の列が形成されている。

「あ、じゃぁまた!」

とか言ってあたしは逃げるようにお店を出た。

 

 

「好きだよ」

と言った声は細谷声で、その声の主はやっぱりニコヘラ顔で窓から挿し込む街灯の光が彼の頬を柔らかく包むように照らしていた。あたしはその顔を見上げながら思うのだ。この声とニコヘラ顔に参ってしまったんだな、と。

あたしはもう、服は身に着けていなくて、同じように全裸の彼は覆いかぶさるようにしていた。

彼の顔が近づいてきて。あたしの唇を吸う。

今日これまでに何度キスをしたことだろう。

何度も何度も、もう数える気もなくなるほど、あたしと彼はたくさんのキスをした。

 

あの日コンビニレジで彼と会ってから、あたしはそのコンビニに足が遠のくどころか、折に触れ、しかも夜勤で彼がいる時間を狙って足を運ぶようになった。そうしてたくさん話をするようになって結構仲良くなった頃、彼がまた食事を作りに来てくれると言った。今度はあたしも断らなかった。

 

部屋は彼がいつ来ても良いように綺麗にしてある。キッチンは特に念入りに掃除しておいた。

夜勤務の彼は完全に夜型で、休みの日も夕方過ぎくらいに部屋に来た。

「カチャトーラを作ってきたよ」

そういって彼はコンビニの手提げ袋に入ったタッパーをかざして見せた。タッパーの他には柔らかそうなフランスパンが入っている。あのコンビニで売ってるやつだ。彼はもう一個手提げ袋を持っていて、そこにはワインが1本入っていた。

「カチャトーラ?」

「鶏肉のトマト煮込みだよ。南欧の家庭料理」

「もう作ってきちゃったんだ?」

「煮込みにいくらか時間がかかるんでね。あと煮込んでから味を落ち着かせるのにも時間がいるんだ。これ温めるからキッチン借りるよ」

玄関入って右手はバスルームがあるスペースで壁になっている。そのわずかなスペースを入っていくと右奥がキッチンになっていて、キッチンに立つと右手に脱衣所、その奥がバスルームになる格好だ。

二人で並んでキッチンに立つ。彼がシンク前に立って手を洗い始めた。そしてあたしを見て「綺麗だ」と言った。

「あ、いや、そんないきなり・・・でも、ありがとう」

「・・・いや、キッチンがね。綺麗にしてるなと」

勘違いを見透かされて顔が一気に熱くなった。頭から湯気を出しているあたしを見て彼はまたニコヘラっとして、あたしの耳元に口をよせて「もちろん君の方が綺麗だ」と細谷声で囁いた。

 

カチャトーラはおいしかった。骨付きの肉だったので、これ齧って食べるのかなーと思ったけど、スプーンを当てたらスッとほぐれるくらい柔らかく煮てあった。時間をかけてくれたんだと思うと嬉しかった。ワインはピンク色の炭酸の入った綺麗なワインだ。良く冷えていて甘くて飲みやすい。

「あたし、ワインってあんまり好きじゃなかったんだけど、これはおいしいわ」

「山梨のワインなんだ。軽食に合わせることが多いけど、今日はコレが良いかなと思ってね」

「ワイン詳しいだ?」

「詳しくはないかな。知ってる物だけ」

なんだろう、いつもの部屋で、いつものテーブルなのに、

おいしい食事と甘くて綺麗なワイン、向かいにはニコヘラ顔の細谷声の彼がいて、とても幸せな気分だ。

 

ワインを一本二人で空けて食事が終わった頃、彼が黙ってテーブルの向かいのほろ酔い気分のあたしに向かって、手のひらを上にして差し出してきた。お手?と言った感じだ。?ってなって不思議顔をしているとまたニコヘラっとして「手」とだけ言った。あたしが彼の手に手を重ねると、彼はスッと指を絡めてきた。そうしてそのまま彼は腕を引く。あたしはそのまま抵抗もなく引き寄せられて、テーブルをはさんでのり出してきた彼と軽く唇を重ねた。唇を離すとかれがこちら側に回ってきた。あたしはあわせるように椅子から立ち上がるそのまま彼があたしを抱きしめた。あたしも彼の背中に手を回す。

 

 

処女でないと艦娘にはなれない

例のうわさが頭に浮かんだけど、なんだかもうどうでもよくなっていた。

艦娘になるとおっぱいが育つ

なんてうわさもあった。あたしが今まで処女でいた一番の理由だ。美人でチヤホヤされてきたあたしが、こんな貧相なおっぱいしてるとか、男の前で服を脱ぐなんて全くもって無理だった。それも今となってはどうでもいい。

服を脱いだあたしを見ても彼はがっかりした様子などみじんもなく、「綺麗だね」「好きだよ」とあの細谷声で囁いてくれた。

自分の処女性に特別な重要性を感じてたわけでもないあたしは、今まさにそれを喪失しようとしている事に対して何のの感慨もなく、ただ単に愛されて抱かれることが、ただそれだけがうれしかった。

しかし全くあたしときたら、あんだけチヤホヤされてきたのにまだ愛されたいかな。どんだけ愛されたい子ちゃんなんだ。あー、でも艦娘にはなれないかもなのか。そこはちょっと寂しいかもしれない。

「あの、あたし・・・・初めて、なんだけど?」

言ってみてなぜ疑問形?と思ったけど彼の顔色を窺ったのかもしれない。処女ときいて喜ぶのかガッカリするのかを見たかったのだと思う。

でも彼はそこにはっきりとした感情を見せなかった。ただそのニコヘラ顔がちょっとしあわせそうな笑みに見えただけだった。

「ここ、触って」

そういって彼はあたしの手を自分のペニスにあてがう。固くなっていた。

「かたい・・・」

「君の事大好きだからね。こんなんなっちゃった」

「すごい勃ってる」

「それは君が綺麗だからだよ」

「赤ずきんちゃんとオオカミの会話みたい」

「今から俺が君を食っちゃからね」

「同じようなものだよ」といってから彼はあたしの唇を吸って「すきだよ」といってその固くてすごい勃ってる物ををあたしの性器にあてた。

だけれど彼のペニスはあたしの中に入ってこなかった。

入口のところで止まってしまって、それ以上入っていかないようだ。

「力、ぬいて」

「う、うん」

「いたくない?」

「うん、大丈夫」

暫くの間試みていたけど、強く押しても上下にそれてしまって入っていかない。

「あんまり濡れてもいないみたいだね」

「あんまり濡れない体質みたいなの」

「そっかー」

そういって彼はまたキスをして、あたしの脇にごろんと寝ころんだ。

「まー、時間かけてゆっくりならしていこう。今日は諦めるよ」

「ごめんなさい」

「あやまるようなことじゃない」

「あ、じゃぁ口でしてあげる・・その・・固くなってるそれ?」

「したことあるの?」

「ないけど、がんばります」

「あんまり無理すんな、大丈夫だよ。家帰ってから今の君のきれいな身体を思い出して自分でするから」

「ダメ!ちゃんとあたしにやらせて、したいの」

「そっかー、じゃ手でしてくれる?君の可愛い顔みながら、キスいっぱいしながらイキたいデス」

そうしてあたしと彼はまたいっぱいキスをした。あたしは彼の固いものを懸命にしごいた。結構時間がかかったけどやがてその先端から白い液体が勢いよく噴き出てきた。イク瞬間の彼の顔が切なげでかわいらしかった。

あたしのおなかから胸元にかけて、彼の熱い精液がかかっていた。不快ではなく、その温度が幸せに思えた。

「ごめん、いっぱいかけちゃったね」

彼はそう言いながらベッドサイドのティッシュを数枚引き抜いてそれを拭き始めた。

「うん、大丈夫だよ」

といいつつ少し残念な気もした。もうちょっとその温度を感じていたかった。でもそのあと彼はぎゅっとあたしを抱きしめてくれたから、心臓の鼓動とその温度を身体で感じることができたから、あたしはとても満足できた。

「これで家帰ってから一人でしなくて済むね」

「いや、するけどね、今夜の君を思い出して」

「するんか!」

「君もしたらいいよ」

「あたしはしません!」

「そう」といって彼はニコヘラっとわらった。

この夜あたしはとても満ち足りていた。

とても幸せだったのだ。

 

秋から冬に移り変わっていく季節の間、あたしたちはいろんなところへ頻繁に出かけた。江の島水族館に行った。クラゲが綺麗だった。イルカショーを最前列で見てイルカが跳ね上げる水をかぶってびしょびしょになった。生シラス丼も二人で食べた。ちょっと値段が高ったけどおいしかった。横浜のランドマークタワーの展望台へ行った。まわりの地形が一望できる、このあたりで一番高い所から見る景色を二人で見た。夜にはスカイカフェで夜景を見ながらカクテルを飲んだ。ジャズバンドに合わせてハスキーなシンガーが歌っていた。箱根登山鉄道に乗って山の奥の方にある静かな温泉宿に泊まった。昔来たことがあるというジョンレノンとオノヨーコの写真が飾ってあった。広い露天風呂がオフシーズンのためか他に誰もいなくて、貸し切りにできるから二人で入って良いと言われた。広い露天風呂は少し持て余したけれど、お湯の中で彼はあたしをお姫様抱っこしてくれて、いっぱいキスをしてくれた。熱海の崖の上に入口のある大きなホテルに泊まった。二人でジェットスキーに乗せてもらった。鎌倉のおいしいあんみつ屋さんに行った。横須賀で艦娘の公開演習を見た。秋葉原のガンダムカフェに行った。

あたしたちは幸せだった。楽しかった。ただ一つの懸案事項を除いて。

『恋人たちはとても幸せそうに手をつないで歩いているからね、まるですべてのことが上手くいっているかのように見えるよね。本当は二人しか知らない』

そんな風に歌っていたシンガーが昔いた。まるであたしたちのようだ。

 

クリスマスイブの前日十二月二三日の夜、あたしの部屋に来た彼は玄関先で靴も脱がずに「俺たち別れよう」と言った。

ニコヘラ顔は消えていた。とてもつらそうにする彼を、あたしは黙って見ていた。予感はあった。

そのころになると彼は挿入を試みることはやめていた。全くうまくいかないことが続いて、行為に及ぶごとに気まずくなってしまっていたからだ。

彼は「君が俺を愛している気持はわかっている」と言った「それを信じたいとも思っている」とも言った。「でも」と彼は続ける。

「本当は心の底では俺を拒否してるんじゃないかと疑ってしまうんだ。そのことでずっと、頭の中でぐるぐる悩んでて、もう、疲れてしまった」

「そんなことはない」と、あたしは言いたかった。でも彼があまりに辛そうだったから。そんなことを思いながら、そんなことを疑いながら、あたしを抱きしめるのはどんなに辛かったろうと思うから。口から出た言葉はそうではなかった。

「うん、わかった。別れましょう」

彼が絶望したような顔になる。あたしは言う言葉を間違えたのだ。

「あ、違うの、あたしもあなたを愛してる。でも・・・」

慌てて訂正しようとしてもそれは意味をなさない。

「ごめん」

彼はそれだけ言うと部屋から立ち去って行った。気づくとあたしは目から涙をぼろぼろこぼしていた。

暫く何も手につかなかった。クリスマスイブも、クリスマスも何もせずに、ベッドの中で過ごした。彼と抱き合ったベッドだ。時折あたしは彼のぬくもりを思い出して自分で性器を刺激して慰めたりもしていたが、終わると余計に辛くなって、悲しくなってまた泣いた。

年末は実家に帰った。飛行機のチケットはとってしまっていたし、帰らなければ両親が心配すると思ったから、重い身体をなんとか引っ張り起こして帰った。

懐かしい北海道の空気は冷たく、浸っている余裕などみじんもないくらいの寒波と雪だった。雪かきをさせられ、ハウスの作物の世話を手伝わされ、のんびりどころではないあたしは、おかげで少し元気が戻ってきたようだった。

正月も過ぎて由比ヶ浜のアパートに帰ってきたあたしは、帰りがけに彼の働いていたコンビニを外から恐る恐るのぞいてみた。果たして彼は元気に働いていた。

夜勤のはずだったが、今日は昼間にいるんだなと思った。

あたしは折に触れ、コンビニを外から覗くようになった。

いろんな時間帯に彼がいて、とても元気そうに働いていた。

それを見るにつれ、あたしは少しづつ元気を取り戻していった。

春頃に彼が女の子と仲良さげに手をつないで歩いているのを片瀬江ノ島の駅前で見た。すれ違ったけど彼はあたしに気づくことはなかった。

その夜あたしはチューハイ缶を一本片手に海岸に出て脇の方にある桟橋の先に座り込んだ。誰もいないし、暗くて手元もよく見えない。缶を開けて一口くいっとあおる。

「振られてしまったなぁ、あたし」

そんな言葉をつぶやいて、いまさら実感する。そしてあたしは高校のころ読んだ小説のことを思い出していた。

彼女の性器が濡れなくて、自分の性器を挿入できなかった男の子が、自分が愛されてないと感じて車の中にマフラーから延ばしたホースを突っ込み、窓を閉め切ってエンジンをかけて排気ガスで自殺してしまう話だ。彼を失った女の子は数年後、彼の親友だった男の子と流れでセックスしてしまう。その時彼女の性器はちゃんと濡れて、その親友の男の子の性器を受け入れてしまうのだ。親友の男の子は彼女を愛していたのだけど、彼女は自分が性欲にだけまみれた愛のない女になってしまったと絶望して、首をつって死んでしまう。という救いのないお話だ。

「そんな風にならなかったし、よかったわー」

もう特に涙も出なかった。彼との楽しかった、ほんの半年弱の日々が懐かしくて心が和むほどだ。素敵な思い出を、自分は得難いものを得たんだと思えた。

その時だ。あたしの周りに小さな光が三つ湧いて出た。いや、そんなに飲んでないし、酔っ払って幻覚でもないし、すうっと出て、だんだん大きくなる。十五センチほどに膨らんだころそれが何であるかはっきり見えた。

妖精さん?妖精さんだ!

妖精さんの一人があたしの目の前にきて告げた。

「お嬢ちゃんは軽巡洋艦の夕張ちゃんだよ!おじさんと一緒に最寄りの鎮守府に行こうね」

軽巡洋艦?夕張?戦艦武蔵じゃないの?

あ、と思った。夕張という艦があるなんてあたしは知らなかったけど、言われてみればそうだ。あたしの実家は夕張市にあって夕張メロンを出荷している農家だった。

斯くしてあたしは赤レンガ鎮守府と呼ばれる横浜の鎮守府にて艦娘となる運びとなった。失恋はしたし、戦艦でもなかったけれど、子供のころの夢みたいなものが一つ叶ったわけだ。

 

 鎮守府の寮で同室になったのは軽巡洋艦の由良だった。ボリューム感のあるサイドテールが美しい顔やスタイルをきわだたせている、おしとやかな雰囲気の綺麗な娘だ。サイドテールの半分くらいまで薄ピンクになっていて、そこから下が黒髪になっている。

「由良さんて処女?」

あたしは開口一番彼女にそう問うた。

「は?いきなりなんなんですかアナタ」

処女でなければ艦娘になれない。と言われている噂の真偽を確かめようと思ったのだ。実際あたしは結局処女のままだったのだし。気になって聞いたのだけど、いきなり聞くことじゃなかったかもしれない。

「経験済よ」

それでも律儀に由良さんは答えてくれた。いきなり噂が否定されてしまった・・・・

「あ、でも男性とはまだかな」

「え?・・・・」

前言撤回。噂はまだ生きていた。

「それって・・・?」

「あたし女の子が好きなの。同性愛者よ」

と、こともなげに言う。「ここでは珍しくもないわ」とも言った。

でも、何というか、納得してしまうものはあった。鎮守府に来てみてあたしが思ったのは、一様に皆美しい娘ばかりだと言うことだった。中には芋っぽい娘もいるけど、それはそれでかわいらしくて、見ているとまた違った性癖が芽生えてきそうだ。これだけ美しい女の子に囲まれていたら、そんな気になるのも自然な気がした。

「大丈夫よ、アナタも綺麗で魅力的だけど、アナタには手を出さないわ。あたし恋人いるから」

あたしが答えに窮していると由良さんは察したようにそう言った。

「あの子、すごくかわいいのよ。今度紹介するわね。あとあたしのことは由良でいいわ。夕張、よろしくね」

差し出された右手を見てあたしはうっかり両手で握ってしまった。

「うん、よろしく由良」

由良は「ん?」って顔をしていたが、あたしはそのまま両手を握った握手をした。指、ほっそー。

 

一般的に赤レンガ鎮守府と呼ばれているここ、横浜鎮守府は比較的規模が小さくて戦艦や正規空母はいなくて、駆逐艦と軽巡洋艦がほとんどだ。少しだけ軽空母や重巡洋艦がいるくらい。あと海防艦もちょっといる。

あたしが鎮守府に来て最初にいったのは工廠だった。噂に聞いていた改造手術を受けるためだ。これ結構やる前は怖かったんだけど、麻酔で眠らされて起きたらすっかり終わっていた。脊髄に出入力のスロットをつけるだけの手術だそうで、世間で言われている改造なんて程のものでもないと、後から聞いた。実際の施術は妖精さんがやるらしいが、眠っていたので覚えていない。終わった後もすぐに日常的な生活ができた。

最初に由良の髪のサイドテールが半分黒髪だと解説したけどこれは髪が長かったためにまだ全部生え変わっていないからだと、由良が言っていた。艦娘になる時付喪神が憑くわけだけど、そうすると髪の色が変わる事が結構あるらしい。一気に変わったりはしないで、新しく生えてくる髪から色が変わっていくのだそうだ。あたしもまだ黒髪だけど早速生え際が緑がかった銀髪に変わっていた。なるほど、確かにピンク髪やブルー髪や紫髪が結構いるわけだ。

 

「あたし別にたいして美人じゃないわー」などと思い始めた頃、基礎訓練を終えて一人で夕暮れの寮舎前のベンチでボケっとしていたあたしの目の前を、トテトテと走りすぎる駆逐艦がいた。長くて青い髪、まるで南の海のような透明なような青の髪で毛先が金髪になっていた。その綺麗な髪が乱れて舞う。何もないところなのにその駆逐艦は地べたにドベッという音を立ててコケた。

「ちょ、キミ大丈夫?」

あたしが駆け寄るとその駆逐艦の女の子は身を起こしてそのままぺたんと地面に座り込んで両手で鼻を抑えて「うぅー」と唸った。目が少し涙目になっている。

そして女の子はあたしを見上げる。

青い真ん丸の大きな瞳から涙がこぼれる。真珠の涙?と思った。目が合った瞬間あたしは大きな衝撃を受けた。頭の天辺から濃厚な梅酒でも被ったかのような甘酸っぱい香りが上から下に向かって浸食してくるようにぐぁーーーーっと染みて来る感覚に襲われた。限りなく海色に近いブルーな髪が、水の惑星をそのまま閉じ込めたような丸い瞳が、陶器のような、皮をむいたゆで卵の白身のようなオデコが、つるんとしていてプルンとしているようにも感じるおでこが、細いのにぷにぷにしてそうな指、服の上からではまるでツルペタにしか見えない胸が、柔らかくかわいらしく女の子すわりをしている細い脚が、まつげが、くるぶしが、耳の先が、耳たぶが、ありとあらゆるこの女の子のすべてが愛しく思えてしまった。そして声だ。

「だ、大丈夫ですぅー」

そう言った彼女の声が極めつけだった。透明感の中に甘えるようなかわいらしい音がのっかっている、それでいて歯切れのよい凛とした響も含んだ声だ。

あたしは手を差し伸べることもできずにその場を走り去ってしまった。感情が高ぶってその場にい続ける事は出来なかった。

何なのだろう、この感情は。恋をしたのだろうか?でもそんな恋とか簡単な言葉では括れない何かをあたしは感じていた。そう、まるで運命のような。

後に知る。その女の子は駆逐艦五月雨と言った。

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