こんなはずではなかった。つい30分ほど前は暢気に夏色になってきた空など眺めていた。
しかし今、目の前には駆逐イ級の大群が押し寄せてきているし、魚雷はとっくに打ち尽くし、主砲も副砲も残弾は残りわずか。
現着した時すでに守備隊が交戦していた。守備隊は駆逐艦6隻の編成で、かなり消耗していたようだが、大した被害も出さずにこの大群に対して戦線を維持していた。
あたしたちが合流した時、守備隊旗艦の霞がこちらを振り向きもせず言った。
『遅いわよ!でも来てくれて助かったわ!!すぐに補給に戻らないと弾がもうないの、しばらくここは任せるわね!!』
守備隊が後退する間際、霞が阿武隈に寄って行ったかと思ったらすれ違いざま阿武隈のお尻を後ろ手でペロっと一回撫でた。
『きゃぁぁ~~~~!ちょっと霞ちゃん!!』
『いい尻だわ阿武隈、よろしくね!』
飛び上がるようにして驚いた阿武隈を尻目に(まさに尻目に)霞は全く動じた様子もなく後退していく。そして後方にいたあたしが霞とすれ違う時、あたしには一顧だにしない霞の表情を間近に見て背筋がゾクリとした。戦闘で高揚していたのか目がギラリとした鋭い光を宿していたからだ。目が合ったらそのまま襲い掛かられるんじゃないかとすら思える。しばらくあたしは霞の後ろ姿をみていたが、前方で砲の発射音がしてハッとした。もう艦隊先頭は接敵している。あたしは両手の平を頬に挟む様に打ち付けて気合を入れた。
『おしゃ!いっちょやるかー!』
『おーーー』と気の抜けた気合が前方のサミ姉から聞こえた。
水平線の向こうから次々と湧き出してくる駆逐イ級は単体では全くのザコだけど、いくら沈めても減った気がしないのは意外に厄介だった。霞たちが後退してからどれほど時間がたっただろうか、あたしたち増援部隊も残弾が心細くなってきた頃、群れに途切れができて、若干話をするくらいの間ができた。サミ姉があたしの位置まで退がってくる。
『ふぅ』とサミ姉があたしにもたれかかってきた。あたしの右の頬にサミ姉の右の頬がくっつく。ぷにっとした感触とともに上気したサミ姉の体温と汗を感じる。
高揚していた。ヤバいかもと思った。
あたしもさっきの霞みたいに目がギラついてるかもしれない。それと共に頭の中でやばい物質がぐあーって広がっていく。もうどうしようもない衝動があたしを支配していた。
『サミ姉!』
あたしはサミ姉の細い腰に手をまわした。火が付いたように強く抱きしめていた。サミ姉の体も熱く火照っているようだった。その体温があたしの体全体で感じ取られて、さらに衝動を加速させていく。やがて加速しきった頭の中はまるでお花畑だ。スキスキダイスキヘブン状態。もう、わけがわからない。
あたしはサミ姉の両肩に手を移動させて少し乱暴に体を引き離した。キスをしようとしていた。子供のころによくしていたあのキスじゃなく、性欲が乗っかったエロいキスをしようとしていた。たぶん。
だが、その瞬間背筋が凍りついた。視界の真ん中にサミ姉の顔、上気した頬を赤くしてこちらをみている。そのむこうの水平線のそう遠くないところに大きな人型が見えたのだ。
水平線に垂直に屹立する、大きな細身の女性型の姿。戦艦ル級だ。
『サミ姉やばい!ル級だ!!』
その瞬間になってあたしは、自分がサミ姉を押す形で前進していた事に気づく。周囲に僚艦の姿がなくなっていた。
血の気が引いて正面のサミ姉を見るとサミ姉は振り向いてル級を確認した後、首を左にゆっくりと傾た。しばらくそうしてからあたしに向き直る。
『大丈夫、あたしが涼ちゃんを守るよ』
そう言ってからあたしを後方に押し戻した後、踵を返して転進。加速を始めた。
どう見てもそのままル級に向かって突進して行く動きだった。
『サミ姉!!何やってんだ無茶だ!』
夜戦ならまだしも、この明るさでは近接戦闘に持ち込む前に敵の主砲に狙い撃ちされてしまうだろう。まして魚雷もなし、主砲も残弾残りわずかだ。ル級の装甲を抜ける位置まで迫れるとも思えない。あたしは慌てて後を追った。
すぐにル級はその突進してくる駆逐艦に気づいた。まだ距離があるからかゆっくりと主砲の照準を始める。ル級にしてみれば万全の態勢だ。その時照準をそらすべくサミ姉は大きく取り舵をきった。しかしル級の視線はサミ姉を完全にとらえていて逃さない。
『サミ姉!』
あたしはサミ姉とル級の間に割って入ろうとしたがサミ姉も最大戦速に入っていたので追いつけない。ル級の連装主砲の直撃を受けて大破轟沈していくサミ姉のビジュアルが頭をかすめる。ダメだ!そんなのはダメだ!やがて照準を定めたル級が砲撃体制に入った。
もうだめだと思った瞬間、あたしは異変に気付いた。ル級の足元に向かって気泡が、これは雷跡?4本の雷跡がル級めがけて疾走していた。サミ姉に気を取られているル級はこれに気づいていない。
爆発音が轟き、大きな水柱があがった。それは水平線の向こうの夏の青い空に立ち昇る積乱雲の頭を越えてまっすぐ伸びていった。
咆哮をあげて戦艦ル級が沈んでいく。
前方のサミ姉は停止して少しの間沈んでゆくル級を見ていたが、やがて振り返って手でグッジョブサインを作って空に突き出した。ハッとしてあたしは後ろを振り向いた。後方からは同じ様にグッジョブサインを掲げた霞がゆっくりとこちらに向かってきていた。補給を終えて守備隊が戻ってきたのだ。
霞があたしの脇に着けてきて、肩に手をかけた。
『涼風、大丈夫?』
『あ、おう、、あたしは大丈夫だ』
『そう、良かったわ』
『あの魚雷は霞が?』
『そうよ、涼風ごしに五月雨がアイコンタクト送ってきたから、うまいこと囮をつとめてくれたわね』
霞はクスクス笑いだす。
『もう、涼風ってばそれに気づきもしないで、必死だし、おっかしぃー』
ついには本格的に笑い出した。あたしは何も言い返せず口をぱくぱくさせるばかりだ。
『涼ちゃーん』
サミ姉が下がってきてあたしに抱き着いた。
『涼ちゃん!お姉ちゃん涼ちゃんを守ったよ!すごい?』
この事態に追いつけず、思考が停止していたあたしはサミ姉の体温を感じて我に返り、足が震えてきた。サミ姉を失うと思った。怖かった。そう思ったら涙が出てきた。
あたしは霞に涙を見られないように、サミ姉の胸に顔をうずめる。
『お二人さん、ラブシーンはその辺にしとかないと、次が来てるわよ』
霞がやれやれと言わんばかりの口調で言う。顔を上げると水平線が再び駆逐イ級で埋め尽くされてきていた。
『あ、でももう大丈夫みたい』
霞が振り返って後方をみながら言う。あたしも後方を見た。阿武隈や夕立、守備隊のみんながいてそのさらに後方から主力艦隊が迫っていた。
やがて長距離砲弾と艦載機が頭の上を通過して行き、水平線を埋め尽くしていた駆逐イ級を薙ぎ払っていった。