ついこの前、席替えが行われた。クラス内で話せる友達がさほど多くない僕にとっては、このイベントはあまり心躍るものではなく、後ろの方になれればいいかな、程度のものだった。
席替えはジャンケンの結果、廊下側の人からクジ引きで行うことになったが、引く順番は真ん中の席の僕にはあまり関係ない幸運なことに──彼らにとっては不幸だろうが──前の席はどんどん埋まっていき、残っていたのは中央から後ろの席ばかりだった。しかしながら、前列になることはほとんどないとわかっていても、やはり緊張はするもので、僕は自分の番が近づくにつれて、胸の鼓動が早くなるのを感じていた。
そして僕の番になった。
「ケイ〜。しっかり俺の隣引けよー」
カイからの声援を受けながら、僕はクジを引いた。それに書かれた番号を見ると、後ろの席、それも窓側の方を示していた。カイの近くではなかったが、これはなかなかいい結果だ。
「うわ、ケイ窓側かよ〜。いいなあ」
「だろ?」
今回は最前列になってしまっていたカイの嘆きの声を聞き流しつつ、自分の席に戻る。改めて、黒板に描かれた簡易的な座席表で、自分の席を確認する。場所の素晴らしさは言わずもがなだが、その他にも、隣の席の人も重要だ。できれば男子に来て欲しいけれど、この学校は数年前まで女子校だった影響で、女子の生徒数の方が多い。そんな中で隣に男子が来るという確率は、あまり高いとは言えない。
僕がそんなことを考えている間に、クジ引きも終盤に差し掛かり、もうかなりの数の席が埋まっていた。その埋まっていた席の中には、僕の隣の席も含まれていた。恐る恐る、そこに書かれている名前を確認する。
女子か、男子か、さあどっちだ。
──美竹蘭。
それが、僕の隣の人の名前だった。
***
そんなこんなで、僕の隣が美竹さんになった。美竹さんはあまり話すタイプではないようで、新しい席になってから一週間近く経つが、お互いに無干渉だった。僕としても、それはありがたいことだった。
けれどもやはり、話さなければいけない状況というのはやってくるもので、今僕たちが置かれている状況が、まさしくそれだった。
英語の授業。先週は行事やら何やらで、英語の授業が無かったから忘れていたけれど、僕たちの英語の先生は、よく隣の人と何かをやらせる先生で、それは英文を読むことであったり、単語の確認であったり。今回は一文交代で英文を読む、というパターンだった。
「……」
「……」
周囲が、読み上げる声が聞こえ始まるなか、僕たちは沈黙。ああまずい。何か話さなければ。でも美竹さんってちょっと怖いし、何話しかけてんだみたいなこと言われたら立ち直れる自信がない。
ああどうしようどうしようと内心右往左往していると、何故かこちらを見ていた美竹さんと目があった。
──ちょっと待ってこの人可愛過ぎない?
自分でも気持ち悪いと思うが、それが真っ先に思ったことだった。
実を言うと僕は、今まで美竹さんとちゃんと向き合ったことがなかった。だから、その吸い込まれそうになるほどきれいな赤い目も、艶やかな黒髪も、白磁みたいに滑らかそうな肌も、しっかり見たのはこれが初めてなわけで。
まずい。ただでさえ緊張しているというのに、自分の隣にこんな美人が座っているとわかったら、さらに緊張してきた。
──でも。
美竹さんの目にも、僕と同じ、緊張と戸惑いの色がある、ように思えた。もしかしたら、僕の勝手な思い込みで、本当はそんなこと全然思ってないのかもしれない。
でももし、あれが本物だったら。
そう思うと、迷いはいつの間にか消えていた。
「えっと、美竹さん。僕からでいい?」
情けないことに、声は少し震えてしまったが、何とか1歩踏み出せた。
「……うん」
そんな会話とも呼べない会話が、僕たちが、互いの存在をしっかり認識したきっかけになった。
あと、美竹さんは意外とカッコイイ声だった。
*
「起立、礼」
英語の授業を切り抜けた僕は、解放感から礼が終わってすぐに座り込んでしまった。ふぅ、と一つ息を吐こうとして、まだ美竹さんと机を繋げたままだったのを思い出し、何とかそれを呑み込んだ。
机を離すために、美竹さんを横目に見ながら立ち上がる。すると、またまた美竹さんの視線と僕の目線がぶつかった。すぐに目をそらして、机を離そうとする僕の耳に、美竹さんの声が響いた。
「あ、あのさ」
僕は再び焦点を彼女にあてる。
「……さっきはありがと、篠原」
美竹さんのその言葉に、僕は胸の中が暖かいもので満たされるのを感じた。別に大したことはしていないけれど、それでもあの時、声を出してよかった。
「……どういたしまして」
僕がそう言うと、美竹さんはもう話すことはないと言わんばかりにそっぽを向いてしまった。でもそれは僕のことを不快に思ったのではなく、ただ照れているだけだろうというのは、美竹さんの形のいい耳が赤くなっているのを見れば、容易に想像できた。
それがなんだか嬉しくて、思わずニヤけそうになるのを堪える。
「何固まってんだよケイ」
カイのその声で現実に戻った僕は、急いで机を離した。
***
「ていうか、僕の名前覚えてたんだ」
学校の帰り道、カイから一緒に行こうと誘われた本屋から出たところで、僕は思い出したかのようにそう言った。
「ん? 篠原啓介だろ? 何を今更」
「いや、カイのことじゃなくてさ、美竹さん」
僕の訂正にカイはああそっちね、と納得する。
「でも、隣のやつの名前くらい分かるだろ、普通」
「そうだけど……ほら、美竹さんってあんまり周りに興味なさそうって言うか」
「まあ、確かにそんな感じはするな」
「でしょ? だから意外だった」
休み時間とかでも、美竹さんはクラスの誰かと喋ったりせず、一人でいることが多い。良くない言い方すれば、浮いてしまっている。多分、クラスメイトの多くは、美竹さんに対して僕と同じような印象を抱いているか、ちょっと話しかけづらいと思っている。僕も今までそれを疑うことはなかったし、実際その通りの人なんだろうと考えていた。でも、あの時の美竹さんを見ると、本当は違うんじゃないかと思えて仕方がないのだ。最も、何の確証もないし、僕が勝手にそう思っているだけかもしれないので、カイには話さないが。
「もしかして、美竹さんのこと気になってるのか?」
「別にそこまでじゃないけどさ」
そういう気持ちが全くないかと聞かれれば、嘘になるが、僕にとって美竹さんはただのクラスメイトに過ぎないし、あっちだってそうとしか思っていないだろう。席替えだって、別に今回限りって訳でもないし。
「そっか。あっ、俺コンビニ寄ってくわ。ケイは?」
「僕はいいや」
「分かった。じゃあまたな」
「ああ」
軽く手を振って、コンビニに向かうカイと別れる。
もう歩き慣れた道で、景色だって見慣れてる。でも今日の夕焼けは、いつもより眩しかった。