練習の休憩時間に、隣でSNSを見ているひまりを見て、あたしはふと思った。
篠原って、ツイッターとかやってるんだろうか。あたしでもやってるのだから、やっていると考えるのが自然だ。といっても、あたしはただ見るだけだし、フォローしている人も、Afterglowのみんなと、湊さんや香澄、あとは好きなバンドくらいのものだ。
リュックから携帯を取り出して、ツイッターを開く。新しい投稿を適当に眺めて、気になったものはブックマークに追加する。あらかた見終えたところで、あたしの指はあるワードを打ち込んでいた。
篠原啓介、と入力したところで、あたしははっと我に返って、慌ててそれを消した。
何をしてるんだあたしは。そもそも、彼がツイッターをやっているなんて保証はないし、やっていたとしても、急にあたしなんかにフォローされたって困るに決まってる。
気持ちを切り替えるために時計を見ると、休憩に入ってからそこそこ時間が経っていた。そろそろ再開しよう。
「蘭〜? 何かあった〜?」
モカが発したその声であたしは驚いて肩を震わせてしまった。
「な、なに?」
「いや〜、蘭が携帯を見て、一喜一憂してるみたいだったから〜、もしかしてって思ってー」
「も、もしかしてって何が?」
あたしは自分が発したその言葉を、すぐに後悔した。
「篠原くんと〜、ラインでもしてたんじゃないの〜?」
「し、してないって。あいつの連絡先知らないし、あたし」
それを聞いたモカは珍しく、ハッキリと驚いているとわかる表情になった。いや、モカだけじゃない。それは、この場にいるみんなに言えることだった。揃いも揃ってどうしたんだろう、みんな。
「……蘭、それほんと〜?」
「そうだけど……」
あたしの返答にモカはふむふむ、と呟いて、考え込んでいる様子だった。しかしそれも束の間、すぐにいつもの表情に戻った。
「ではでは、そんな蘭ちゃんに質問です〜」
「……急になに?」
「篠原くんとラインしたいですか〜?」
「……は?」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。しかしあたしの頭はすぐにモカの質問の意味を理解してしまった。
「ちょ、何言って──」
「ほらほら、顔赤くしてないで答えなさい〜」
あたしの抗議の声も全く聞き入れてもらえず、あたしに逃げ道はなくなってしまった。適当に答えることもできたのだろうけど、あたしの脳内にこびりついたモカの言葉が、それを許してくれなかった。
篠原と、ライン。もし、それができたら、今みたいに学校だけだったり、休日にたまたま会うだけじゃなくて、毎日。毎日、話したりできる。
「おお、これは完全に乙女スイッチ入ってますな〜」
モカ達が何か言っているけれど、どれもあたしの頭には入ってこなかった。
「──たいです」
「ん〜?」
「……ライン……したいです……」
「おほ〜。蘭、りんごみたいになってる〜」
「う、うっさい!」
ああしまった。モカに乗せられてしまった。あたしはようやく、自分がとんでもないことを口走ったのを理解した。周りをよく見ると、みんな、生暖かい目であたしを見ていた。今日のことは、しばらく忘れられないかもしれない。
***
それから数日後。この間あんなことがあったから、あたしは篠原と──あたしの一方通行ではあるが──顔を合わせにくくなっていた。とはいえ、知っての通り、あたしと篠原は隣同士なので、顔を合わせるどころか、話す機会の方が多い。なんとか平静を装えているとは思うけど、これからはどうなるか分からない。
篠原の隣になってからは、楽しいことばかりだったが、今回ばかりはこの席を恨む。最近は普通に話すだけでもドキドキしてしまう。
あたしも大分キてるな、と思いながら、視線を隣に向ける。
今は朝のSHRが終わった時間で、篠原は顧問の先生に呼び出されて、職員室に向かっていた。篠原は文芸部で、どうやら小説を書いているらしい。そのことを知った時に是非ともそれを読ませてほしい、と頼んだのだが、恥ずかしいから、と断れてしまった。あのときの篠原はAfterglowのことを知らなかったし、今なら、それを武器にしたら読ませてくれるかな。
1時間目の準備をしていると、ようやく篠原が戻ってきた。篠原の手には現代文の教科書があった。戻ってくる際にロッカーから持ってきたのだろう。
あたしの頭に浮かんでいた思いはいつの間にか消えていて、あたしは自分の席に腰掛けた篠原に話しかけた。
「戻ってくるの、遅かったね」
「顧問の先生が話長くてさ」
篠原は苦笑を浮かべていた。それにつられてあたしも笑みを浮かべる。良かった。今なら普通に話せてる。でも、あたしの脳裏にはいつも、あのときのモカの言葉が浮かんでいた。
*
「でも、実際のところどうするの? いくら篠原くんの連絡先知りたくても、肝心の蘭がこんな感じなんだし」
こんな感じって。そういうひまりに文句のひとつも言いたくなったが、今はあたしが圧倒的に不利な状況なので、下手なことは言えない。
「うーん、そうだな……」
みんな真剣に考えてくれるのは嬉しいけど、それはもっと違うところで発揮するべきなんじゃないかな。
みんなが唸っている中で、そうだ、と一番に声を上げたのはつぐみだった。
「篠原くんって、私たちのライブ見に来てくれてるんだよね?」
「うん、そうだけど……」
それが何か関係あるの、という言葉を言う前に、つぐみが自分の意見を伝えてきた。
つぐみが言ったことをまとめると、あたしがライブがある時は、その日程とかを教えたいから、ラインを交換しよう、というものだった。これはいい方法かもしれない。
「おおー、つぐ、ナイスアイディア〜」
「でも、これだと業務連絡だけになっちゃわない?」
ああそうか。そういう可能性もあるのか。
「てか、普通に聞けばいいじゃんか。それじゃ駄目なのか、蘭?」
「無理。絶対無理」
あたしみたいな気弱な人間は、何かちゃんとした理由がなければ、そういうことは出来ないのだ。ただ話したいから、なんて彼の目の前で言う羽目になったら、消えてなくなる自信がある。
「まあでも、取り敢えず交換しないと何も始まらないよね。蘭ファイト!」
*
というわけで、そのことを言うタイミングを探っているのだけど、なかなか上手くいかない。でも今がそのチャンスかも。あたしは覚悟を決めて、事前に何回もシュミレートした言葉を言う。
「そういえば篠原って、ツイッターとかやってるの?」
あまり不自然さがないように、自分なりに必死に考えたことではあるが、どうしても不安がつきまとう。
「うん、やってるよ。美竹さんは?」
「あたしも」
「そうなんだ」
篠原は、意外だというふうに言った。それに対して文句を言いたくなったが、今はそれよりも優先することがある。
「ねえ、もしよかったら、フォローしてもいい?」
「うん、全然いいよ!」
よし、今のところ順調だ。この流れでいけば、特に怪しまれることもなく、自然に交換できるはずだ。
「でさ、篠原──」
ちょうどそこで、1時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴った。それと同時に先生が入ってきて、話を終えざるを得なかった。
*
それからも言い出す機会はあったものの、悉く何かに邪魔され、目的を果たせないまま、昼休みになってしまった。
「……はあ」
ため息が零れた。
「蘭ちゃん、落ち込んでるね……」
こういうのは、今に限った話ではなかったAfterglowのことを言い出そうと思ったときも、今みたいな感じになった。
全く、つくづくツイてない。あたしはお弁当の卵焼きをつつきながら、もう諦めようかな、なんて終了モードに入っていた。
「お、おいどうするよ。蘭、負のオーラ全開だぜ」
そうだ、ツイッターのことを知れただけでも儲けものじゃないか。アカウントはあとで教えてもらうとして、この件はこれで終わりにしよう。
「蘭、モカちゃんのグリンピースあげるから、元気だして〜」
「うん、ありがと……」
「あ、あの蘭がグリンピースを……!」
グリンピースは本当は苦手だけど、今はすんなり食べることができた。そのまま黙々と弁当を食べていると、ガチャ、と中庭の入口が開かれた。流れでそこに目をやると、そこには、篠原の姿が、
あたしは手に持っていた箸を落としそうになった。どうしてここに。篠原はあたしの姿を見つけると、こちらに向かって歩いてきた。
ああまずい。ちょっとドキドキしてきた。
「美竹さん、良かった。ここにいたんだね」
「う、うん。どうしたの?」
「これ、先生から渡すように頼まれてさ。ごめんね、折角のお昼に」
篠原から手渡された物を見ると、今朝提出した英語の課題だった。ご丁寧に、再提出の印である付箋が貼られている。
「ううん、全然大丈夫」
「そう? なら良かった。美竹さん、じゃあまた後でね」
「ああうん、またね」
そう言って去っていく篠原の背中をあたしは黙って見ていた。そうだ、これでいい。
「蘭、今がチャンスだよ!」
でも、そう言ってくれるひまりの声があったから、あたしは思わず、その背中に篠原、と声をかけてしまった。
「どうかした?」
ああどうしよう。咄嗟に声をかけたものの、言うべきことなんて何一つ浮かんでいない。どうしようどうしよう。それはきっとほんの数秒だったろうけど、あたしにしてみれば何十分にも感じられた。
ついに周りの視線に耐えられなくなったあたしは、
「ラ、ライン交換してください!」
さっきまで考えていたことなんて全部ぶち壊して、シンプルに、そう言った。
*
それからは、拒絶されることもなく無事にラインを交換し、ツイッターのアカウントも教えてもらった。
自室の布団の上で、ラインを開く。そこに登録された、新しいもの。何故かアイコンはつくねの画像だったけれど、本人は気にしないで、と言っていたので、あたしもあまり深くは考えないようにする。
そこから、まだ試しに送られた会話しかないトークルームを開く。
なんて送ろうか、と考える前に、あたしにはまず真っ先にやらなければいけないことがあった。
『あんなふうに交換させちゃってごめん。嫌じゃなかった?』
そう、今日のことを謝らなければならない。あんな、断りようのない雰囲気で、交換させてしまったのだ。これは素直に謝るべきだろう。
既読はすぐについた。どんな返信が来るんだろう。これで嫌だった、なんて言われてたら、あたしはもう学校には行けないかもしれない。
『全然そんなことないよ! 僕も美竹さんとラインできて嬉しいし』
「〜〜っ!」
あたしは思わず枕に顔を埋めて、足をバタバタさせてしまった。
ああ、本当に嬉しい。これを見れただけで、今日は頑張った甲斐があった。
その日の篠原とのトークは、あと少しして終わったけれど、あたしは嬉しすぎて、ろくに眠れなかった。