とある土曜日。いつもなら昼近くまで寝ているというだらしない生活をしている僕だが、今日はそうはいかなかった。
休日には設定していないはずのアラームの音で起こされた、と思っていたのだか、スマホの画面を見ると、美竹さんからの電話だった。まだ寝ぼけていた頭が一気に覚醒し、布団から飛び上がって、慌てて電話に出る。
『もしもし』
頭は目覚めても、体はそうではないみたいで、普段より低めの、掠れた声が出てしまった。
『……寝てたでしょ』
呆れた顔をしている美竹さんが容易に想像できた。ここで否定することもできたが、上手い言い訳が出てこなくて、僕は、まあうん、と曖昧な肯定をした。
『ごめんね、起こしちゃって』
『いや、全然大丈夫。それで、どうしたの?』
『うん、えっと……』
美竹さんは言いにくそうにしていた。こういう時は大体、僕に何かを頼んでくる時だ。美竹さんの頼みならほとんどのことは聞き入れられる自信があるけど、一体何がくるのだろう。
『き、今日、あたしに付き合ってくれない?』
それは、寝起きの僕には衝撃が強すぎるお誘いで、思わず間抜けな声を出してしまった。
*
それからというもの、僕は急いで準備を済ませた。といっても、時間には大分余裕がある。美竹さんから電話がかかってきたのが10時半くらいで、正午にCiRCLEのカフェテリアで昼食をとってから、買い物に行くということだった。CiRCLEは僕の家からさほど遠くはないので、僕は11時半に家を出るつもりだ。
それまで時間をどうしようか、と色々考えたが、結局は家にいることにした。
出かけるための服装で、自室にいるのは嫌だったので、僕は一階のリビングに降りる。
そこには父と母の姿はなかった。僕はソファーに腰掛け、テレビを付ける。土曜の朝ということもあって、面白そうな番組はやっていなかった。僕は適当にニュースを流したまま、スマホの音ゲーをすることにした。
少しの間、リビングに1人そこそこの音量で、音ゲーをするという普段なら絶対にありえない状況が続いたけれど、姉がリビングにやってきたことで、それもその時間も終わった。
「あれ、珍しいね。どっか行くの?」
姉はこの春大学生になったばかりで、自宅から大学に通っている。
「うん。友達と遊び行ってくる」
「へえ。カイくん?」
「いや、違うよ。それより、父さんと母さんは?」
「あの二人は買い物。仲いいよね、ホント」
姉は僕と違って、休日でもちゃんと起きている。まあ僕も、たまに買い物に連れ出されることもあるが。
腕時計で時間を確認する。そろそろ、家を出た方がいいだろう。
「じゃあ、行ってくる」
「はいよ。気をつけてね」
僕はそのままリビングを出ようとしたのだか、姉の、あ、そうだ、という声に引き止められた。
「帰り、もし覚えてたら、アイス買ってきてくれない?」
僕はそれに適当に返事をして、家を出た。
*
そこからは特に何事もなく、待ち合わせ時間10分前にCiRCLEに到着した。辺りを見回しても、美竹さんの姿はない。美竹さんが来るまで僕は足湯に入って待とうかと思ったけど、すぐに美竹さんが来るかもしれなかったから、それはやめておいて、無難にテーブルに腰掛けることにした。ここ、足湯なんてあったんだな。
「こんにちは、篠原。待った?」
「全然大丈夫だよ」
美竹さんは、僕の向かい側に腰掛けた。
「取り敢えず、ご飯にしよっか」
「だね。篠原は何食べるの?」
ぱっとメニューを眺める。うーん。チョココロネじゃ足りないだろうし、マカロンタワーなんて完全におやつだ。
ここは無難に、ミートソースパスタにするか。
「ミートソースパスタにする。美竹さんは?」
「あたしもそれで」
店員さんを呼んで、それを2つ頼んだ。待っている間に、今日の目的を聞いておこう。
「美竹さん、今日はどこ行くの?」
「楽器店に行ってから、ショッピングモールに行こうと思ってる。ちょっと遠回りになっちゃうけど、大丈夫?」
楽器店。この辺で楽器店って言ったら、江戸川楽器店だよな。あそことショッピングモールはちょうど反対側に位置するが、それくらいなら問題ない。
「わかった。美竹さん、今日はよろしくね」
「うん、こちらこそ」
*
自動ドアが開く音とともに、店内に入る。16年間生きてきたが、こうして楽器店に来るのは初めてだ。改めて店内を見てみると、使い方どころか、名前すら知らない物もあった。
楽器のことなんてまるで分からない僕はただ美竹さんについて行くだけだ。
「ねえ、どっちがいいと思う?」
その声に反応して美竹さんを見ると、その手にはギターのピックがあった。形はどちらも同じだったが、色が違った。右手に握られているのは赤色で、左手は青。
どちらも悪くないと思うが、美竹さんに合っているのは赤色だろう。
「赤の方が美竹さんぽくていいと思うよ」
だから思ったままを伝えたのだが、美竹さんは恥ずかしいのか、顔を赤くしてしまった。
「あ、ありがと……」
今更かもしれないけど、美竹さんって結構シャイだよな。もっと自分に自信を持ってもいいと思うんだけどなあ。
「美竹さんって恥ずかしがり屋だよね」
「そ、それはいいから! さっさと買うよ!」
*
楽器店での買い物も終わり、僕達はショッピングモールに来ていた。ここにくれば大体の物は揃うので、重宝している。ここでは何をするのだろう。
「見たい映画があって」
映画か。最近はレンタルしたのばかり見ていたから、映画館でみるのは久しぶりな気がする。
「何の映画?」
これだよ、といって美竹さんが僕に向けたスマホの画面を見ると、確か、今CMとか、動画の広告でよく宣伝されている話題のものだった。今朝も見たような気がする。
でも、こういう映画ってそこまで面白くないんだよな。しかし、見ないで決めるのも良くない。
僕達は映画館に入り、チケットを買う。
「高校生2枚でお願いします」
「はい。座席はどちらにいたしましょうか?」
「あー……。美竹さん、どうする?」
「後ろの方がいいかな」
「じゃあ、こことここで」
「はい、承知致しました」
僕と美竹さんはチケットを受け取り、劇場内に入ろうとしたが、すぐに考え直した。今日は美竹さんと一緒に来ているんだ。僕は映画館で見る時は、ポップコーンは買わないのだが、美竹さんはどうだろう。
「美竹さん、何か買う?」
「飲み物だけ。篠原は?」
「僕も飲み物だけにしようかなあ」
またまた、二人して同じ爽健美茶のSサイズを頼んだ。
それから劇場に入り、上映されるのを待つ。劇場内の明かりが少し暗くなったところで、いつものように、盗撮の注意喚起の映像が流れた。そういえば、前にネットニュースか何かであれの中の人は超イケメン、という記事を見たことがある気がするが、本当なのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていたら、いよいよ映画が始まった。
映画のストーリーは良くあるファンタジー映画のもので、攫われたヒロインを主人公が助け出しに行く、といった感じだった。
ストーリーの筋自体はさほど珍しさを感じなかったが、アクションがかなり良くできていて、思ったより楽しめそうだ。
そして、映画も中盤に差し掛かったところだろうか。なんだか唐突にホラー映画のような雰囲気になってきた。
こういうときは突然脅かしに来るから、気をつけておこう。僕が警戒しながら続きを見ていると、やはり、急に驚かせに来た。
僕はホラーがそこまで得意ではないから、警戒しておいて良かった。
気を取り直してもう一度映画に集中しようと思った瞬間、僕の左手に暖かい感触がした。
気になって見てみると、僕の左手を、少し涙目になっている美竹さんが握っていた。
──えっ。
突然の事態に僕は混乱してしまって、手を放すという選択肢は頭から追いやられてしまった。むしろ、握り返すというかなり気持ち悪いことをやってしまったが、そんなことを気にしている余裕は僕にはなく、何この子手柔らかすぎでしょ、なんて思考が頭をぐるぐる回っているうちに、エンドロールが始まっていた。
*
美竹さん、もしかしてホラーが苦手なんだろうか。でも僕もあの映画にホラー要素があるなんて思いもしなかったし、仕方ないことだ。でも、一応聞いておきたい。
「美竹さん、もしかして──」
「何も言わないで」
「あっはい」
美竹さんのその言葉で僕は全てを察した。しばらく二人の間に沈黙が流れたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
「美竹さん、この後はどうするの?」
「うーん……。特に考えてなかった。篠原は、行きたいとこある?」
行きたいところか。ぱっと浮かぶのはゲームショップだけど、女の子と一緒に行くところではないだろう。ああそういえば、欲しい本があったんだった。
「なら、本屋に行かない?」
「わかった」
美竹さんの了承を得られたので、僕達はモール内の本屋に向かった。僕が欲しい本は発売から1週間ほど経っていたので、残っているか不安だったが、なんとか買うことができた。
本屋からでて、近くのベンチに腰掛けて休んでいるときに、美竹さんがこんなことを聞いてきた。
「どんな本が好きなの?」
「特にこれっていうのはないかなあ。気になったのを片っ端から読んでる感じ」
「そうなんだ。おすすめとか、あったら教えてよ」
「うん、もちろん!」
「ああ、そういえばあたしさ──」
*
それからもいくつかの店を回って、買い物は終了した。今は家に帰ってきて晩御飯を済ませ、部屋で今日買ってきた本を早速読んでいるところだ。
ううん。せっかく買ったけれど、これは微妙かもしれない。一旦休憩にするか。飲み物を取りに行くためにリビングに向かおうとすると、ちょうど良くスマホが鳴った。手に取って見ると、美竹さんからのLINEだった。
『今日は楽しかった。ありがとう』
その文章は簡潔なものだったけど、でも、十分、美竹さんの気持ちは伝わってきた。
『こちらこそ、誘ってくれてありがとう! 僕も楽しかった』
その文章を送信してから、リビングに向かうために部屋を出る。階段を降りようとしたところで、姉さんに出くわした。といっても、喋ることは特にないし、僕はスルーしようとしたのだが、
「ニヤニヤしてる啓介くん、アイスは買ってきてくれたのかな?」
あっ。