ふぅ、と深く息を吐きながら、体育館の隅に腰を下ろした。窓を開けると、心地良い風が吹いてきて、バスケで熱くなった体には最高だった。タオルで汗を拭いながら、コートにの様子を見ると、女子たちがのんびりバスケをやっていた。そして備え付けの時計に目を遣ると、あと一試合は可能な時間が残っていた。嬉しくも悲しくもあるその事実に、なんとも言えない気持ちになったところで、カイが俺の隣にやってきた。
「いやー、暑いな」
そう言うカイの顔にも汗が浮かんでいた。
「だな」
暑いと言っても、気温自体はそこまで高くないからまだいいが、夏の体育は地獄であろうことが予想できた。
「ナイス美竹さん!」
「おっ、美竹さん決めたみたいだな」
コートから聞こえたその声と、カイの声につられてコートを見ると、確かに美竹さんがシュートを決めたみたいだった。美竹さんは同じチームメイトになった女子に囲まれいる。美竹さんは確かにクラス内で浮いてはいるものの、それは嫌われているということではなく、ただ単に話しかけづらいだけだ。何かきっかけがあれば、きっとこんなものだろう。
それにしても美竹さん、この前やった時も決めてたような。勉強はあんまりみたいだけど、運動は得意なのかもしれない。
試合終了のブザーがなった。結果は美竹さんたちのチームの勝利だったが、みんな勝ち負けはそこまで気にしていないので、あまり意味はない。さて、次は僕たちの番だ。
「おーい、啓介に快斗、早くしろよなー!」
「ああ、悪い! ケイ、行こうぜ」
「ああ」
*
恥ずかしいことに、突き指をしてしまった。怪我の程度はそこまでではなく、数日もすれば治るらしいが、まだ僕の右手はズキズキと痛みを発していた。利き手じゃなかったこと、あまり使わない薬指だったのが救いだ。
そんなこんなで、僕は今カイの隣で弁当をつついているわけだが。
「にしても、一時間目から怪我するなんて災難だったな」
「ああ。まあでも、すぐ治るらしいし」
「ならいいけどな。おっ、お前の推しチーム勝ったってさ」
「マジで?」
ほら、と差し出されたカイのスマホには、確かに僕の好きなNBAチームの勝利のニュースが載っていた。
「でも、優勝は厳しいかなあ」
「まあな」
僕とカイが仲良くなったきっかけもNBAだけど、その話はまた今度。
そうして二人で話しながら食べていると、カイがあっ、と声を上げた。
「どうしたよカイ」
「そういや今日の体育ノート、お前だったぞ」
「マジか。持ってきてない……」
「まだ時間あるし、取ってくれば?」
「ああ、ちょっと行ってくる」
僕は食べ終えた弁当を片付け、体育館に向かった。
*
「失礼しました」
体育館についたが、中にノートがなかったために体育館職員室に入るはめになった。ここに入ったことはあまりなかったから、少し緊張してしまった。体育館の入口の時計を見る。昼休みはまだ十分程残っていた。時間に余裕もあることだし、ゆっくり帰ろう、と踵を返そうとしたら、目の前に美竹さんがいた。
「あれ、美竹さんどうしたの?」
「ノート取りに来た」
「美竹さんも今日ノートなんだね」
「うん、篠原も?」
「そうなんだよ。ほら」
僕は左手に持ったノートを美竹さんに見せる。美竹さんの視線は一旦はノートに行ったが、その後に包帯に巻かれた僕の右手に行った。
「それ、大丈夫?」
美竹さんの目はいつになく心配そうだった。
「うん、大丈夫。そこまでひどくないらしいから」
「そう」
これも短い付き合いで分かったことだけど、美竹さんはかなり優しい。なんだかんだ言って心配してくれたりするし。
「美竹さんっていい人だよね」
「な、なに急に」
「いや、今も心配してくれたし」
「べ、別にそういうのじゃないし。クラスメイトが怪我してたら、普通心配するでしょ」
美竹さんは赤くなった顔を隠すように、そう捲し立てた。それが美竹さんなりの照れ隠しだということは簡単に分かった。
「でもこの前だって──」
「そ、その時の話はいいから! じゃああたし行くから」
美竹さんはそう言って体育館職員室に向かった。僕も教室に戻ろう。
*
放課後の教室。僕は周りの喧騒の中で、体育ノートを書いていた。本当は放課後までに終わらせるつもりだったが、移動教室が重なったりと、いろいろあって時間が取れなかった。体育ノートに書くことは授業の内容と、やったことの感想とか反省だったりするのだけど、今日に限っては書くことがあまりない。試合も今日はそこまで盛り上がらなかったし。反省だって、今度は怪我しないようにしますくらいしかない。
一度ペンを置いて隣の席を見る。美竹さんはいなかった。もう書き終わって出しに行ったのかもしれない。
それから少しスマホをいじってから、僕は再び書き始めた。なんとか内容を絞り出して、ノルマにはギリギリ足りた。よし、出しに行こう。僕は立ち上がって体育館に向かうために、教室から出る。
すると、今買って来たのか、ペットボトルを手に持った美竹さんが教室に戻ってきた。僕が美竹さんの横を通り過ぎようとすると、美竹さんがねえ、と僕に声をかけた。僕、ほんとに綺麗な目だよなあ、という気持ち悪い感想と共に、美竹さんを見る。
「ノート、今から出し行くの?」
「うん、そうだけど」
「じ、じゃあさ」
じゃあなんだろう。ついでにあたしの分も出してきて、とかかな。美竹さんにはいろいろ助けられてるし、それくらいなら全然──。
「い、一緒に行かない?」
*
部活をしている生徒の声に混じって、僕と美竹さんの廊下を歩く音が響く。僕と美竹さんは適当に話をしながら体育館に向かっていた。まさか美竹さんから誘ってくるとは思わなかった。それだけ美竹さんの中で僕の好感度が上がったのか、それともただの気まぐれか。間違いなく後者だろうけれど、それでもこうして美竹さんと一緒に何かをできるということは、僕にとって嬉しいことだった。
「美竹さんって運動得意なの?」
「なんで?」
「いやだって、今日もこの前もシュート決めてたじゃん」
「あれはパスが良かったの。決めたのはたまたま。そういう篠原だって──」
そうやって話しているうちに、いつの間にか体育館についていた。僕と美竹さんは体育職員室の横にあるカゴにノートを提出した。あとは戻るだけだ。
「よし、じゃあ戻ろっか」
「うん」
教室への帰り道でも僕たちの会話は途絶えることはなかった。話題は学校生活のことから、美竹さんの友達のことになっていたが、とりあえず羽沢さんが天使だということは理解出来た。
教室に戻ると僕たちは帰る準備を始めた。そうだ、美竹さんが帰ってしまう前にお礼を言わないと。
「美竹さん、付き合ってくれてありがとう」
「別に良いよ。あたしから誘ったんだし。それに──」
それに。美竹さんはその言葉の続きを少し溜めてから言った。
「篠原と話すの、た、楽しいから……」
「────」
美竹さんが林檎みたいに顔を真っ赤にしながら言ったその言葉に、僕は思わず固まってしまった。だって、クラス一の美人に──これは僕が勝手に思ってるだけ──そんなこと言われてみろ。それで何も思わないほうが無理だろう。
美竹さんは冷静になって自分がとんでもないことを言ったことに気づいたのか、鬼のような速さで荷物をまとめてから教室を出て行った。教室に一人取り残された僕の鼓動は、まだドキドキしたままだった。