スポーツテストという行事がある。
僕の学校では、ゴールデンウィークの少し前に行われる。しかしこの学校、体育館もグラウンドもあるのに、何故か近くの陸上競技場を借りて行うのだった。
だから僕は今こうして制服ではなくジャージを着て、いつもの通学路とは違う道を歩いている。
今日は雲ひとつない快晴で、絶好の運動日和だった。とはいえ、僕は別にこれが楽しみなのではなく、面倒だな、というのが正直なところだった。何か一つずば抜けて得意なものがあるわけではない僕は、全ての競技で平均的な記録を出す自信がある。
というか、こういうイベントが楽しみなのはカイみたいな運動部だけなのではないだろうか。
もう何年も新シリーズが出ていないゲームの音楽を聞きながら歩いていると、競技場に到着した。僕はイヤホンを外して先生の案内に従い、観客席に上がった。そこには既に多くの人が来ていて、みんなそれぞれの過ごし方をしていた。
僕は周りの邪魔にならないようにしつつ、クラスメイトの姿を探した。
「おっ、啓介。こっちこっち」
その声に反応すると、僕のクラスの男子が固まっている場所があった。しかしその中に、カイの姿はない。
「カイは?」
「あいつなら、準備とかいろいろあるんだってよ」
ほら、と俊が指差した方を見ると、カイが忙しなく走り回っていた。陸上部って、こういうとき大変だよなあ。
僕も他のクラスメイトと同じように、足元に荷物を置いて椅子に腰掛ける。そのまま皆と話していると、集合を呼びかけるアナウンスが入った。
観客席から降りてフィールドに向かう。そのまま自分のクラスが並ぶであろう場所で突っ立ていると、カイがこちらに歩いてきた。
「よっ、ケイ。お互い頑張ろうぜ」
「ああ。でも確か、陸上部って僕たちとは別に測定するんじゃなかったっけか」
「1500メートル以外な。なんか意味あんのかね」
カイと話していると、皆もぼちぼち並び始めたので、僕もカイも自分の位置に向かった。
先生からの諸注意や、校長先生が話をしたあとに、準備体操をする。
そこからはいよいよ競技開始だ。一年生は立ち幅跳びだから、砂場に向かう。そこには当然、美竹さんの姿もあった。
立ち幅跳びに関してはする順番は決まっておらず、勝手にやっても大丈夫なようだった。僕は最初の方にやるのは嫌だったので、他の人がやり始めてから列に並んだ。
「はいどうぞー」
自分の番が来たので、僕は跳ぶラインの少し手前に足を置いた。そのまま勢いをつけてジャンプ。ズサっという音とともに着地する。どれくらい跳んだかな。自分の身長くらいは跳べているといいけど。
「篠原くん、1メートル83ね」
「はい、ありがとうございます」
結果としては自分のより少し高いくらいで、思ったよりもいい結果だった。立ち幅跳びは2回測定しなければならないので、僕は記録係に自分の記録を伝え、またさっきと同じように並ぶ。
僕がぼうっと突っ立っていると、いつの間にか、隣の列に美竹さんが来ていた。美竹さんもこれが面倒だと感じているのか、いつにも増して気だるげな顔をしていた。僕はいつもみたいに美竹さんに話しかける
「美竹さん」
美竹さんは緩慢な動きでこちらに首を向けた。
「一回目、終わった?」
「いや、まだ。篠原は?」
「僕は終わったよ。これから二回目」
「そうなんだ。それにしても面倒だね、スポーツテスト」
「だよね……。早く帰りたい」
そうやって話しているうちに、僕よりも先に美竹さんの番がきた。
互いに話をやめて、前を向く。でも、美竹さんの跳ぶ姿が見たかった僕は、美竹さんの方を首を動かさない程度に見ていた。そしてそれを見て、美竹さんってやっぱり運動得意なんじゃないかと思った。
*
午前中は立ち幅跳び以外にもソフトボール投げと、50メートル走をやったが、そのどちらも平凡な結果に終わり、今は昼休憩。
僕は俊たちの話に耳を傾けながらも、目の前で測定している陸上部の姿を見つつ、パンをかじっていた。カイが走る姿を体育以外では見たことがなかった僕は、カイが他の陸上部員と一緒に走ったり、ボールを投げたりしているところが、とても新鮮に感じられた。といっても、カイは長距離が専門だからか、他の人に負けている姿もちらほら見られた。
それはともかくとして、あとは午後からの1500メートル走だけなのだが、これがまた。1500メートル走は一年の男子からで、その後は二年生の男子、三年生の男子、そして女子も同じように学年ごと、といった順番でやる。一番最初に終わるのはいいが、それでも緊張はする。
昼休みが終わるまではまだ少し時間がある。今のうちに、飲み物を買っておこう。
「ちょっと飲み物買ってくる」
「おう」
僕はその場から立ち上がり、財布を持って自販機のある場所に向かった。僕は自販機の前で立ち止まって、どれにしようかと考える。一番無難なのはスポーツドリンクだが、麦茶にしようかな。麦茶のボタンを押そうと指先を向けた瞬間、後ろから声をかけられた。
「篠原」
情けないことに僕はその声に驚いて隣のボタンを押してしまった。自販機から出てきたのは真っ黒なコーラだった。
僕は何とも言えない気持ちのまま、それを取り出し、美竹さんの方を向いた。
「……コーラ、好きなの?」
美竹さんは僕の手を見て、何かを探るような目をした。
「いや、好きじゃないよ。むしろ苦手」
「じゃあ何で買ったの?」
真っ当すぎる疑問だった。美竹さんの声に驚いたからです、なんて口が裂けても言えない僕は、適当な答えでお茶を濁した。
「気分」
いや誤魔化すの下手すぎだろ、と思ったが、美竹さんはそれ以上追求してこなかった。
「美竹さんも飲み物買いに来たの?」
「そうなんだけど……やっぱりいいや」
「そうなんだ。じゃあ美竹さん、午後からも頑張ろうね」
「午後からって1000メートルだよね……。はあ……」
男子の僕と女子の美竹さんで走る距離が異なるが、それでも僕たちにとって、嫌なことに変わりはなかった。僕は美竹さんと別れ、観客席に戻る。携帯で時間を確認すると、もうすぐトラックに集合する時間になるところだった。
「あれ、ケイ珍しいじゃん。コーラ買うなんて」
「ああ、カイ。これあげるよ」
「マジで? ありがとなケイ!」
測定を終え、戻ってきて昼食を食べ終えていたカイにコーラを押し付けることに成功した僕は、それからタオルを持ってすぐにトラックに向かった。フィールドの芝生に腰掛けて先生の説明を聞く。それによると、1500メートル走は二回に分けて行い、一回目と二回目に分かれてペアを組むようだ。僕は真っ先にカイと組んだ。
「カイ、どっちやる?」
「実は陸上部のヤツらと競走することになっててさ。俺二回目でもいいか?」
「分かった。じゃあ僕が一回目だね」
「ごめんな、ケイ」
「いやいやいいって。じゃあ行ってくる」
「おう、頑張れよ」
カイの応援を背に、僕はスタート位置につく。
「よーい、スタート!」
先生のその声を合図に、僕たちは一斉に走り出した。僕は遅くもなく速くもなく、かといって他の男子からの差が開きすぎない程度のスピードで走る。
1500メートルは、このトラックを三周と約半分。長い旅の始まりだ。
黙々と走り、一周目の終わりに差し掛かったところで、応援に来ていた女子たちの姿が見てた。女子たちはみんな声援を送っているが、それが僕に向けられているわけじゃないことは分かっているので、特に何も思わず、そこを通過しようとした、のだけれど。
その中に、美竹さんたちの姿もあった。僕は驚いて足を止めそうになったが、何とか進み続けた。どうして、何で、という疑問よりも先に、今まではなかった緊張感と高揚感が、僕の体を包み込む。
そしてついに、美竹さんと目があった。
「……篠原、がんばれ」
それは小さな声だったけれど、でも確かに、僕の心に響いた。
*
あれから、らしくもなく全力で走り、怒涛の追い上げを見せまさかの三位でゴールインした僕は、汗の始末をしたあとに自販機に向かい、今度こそ麦茶を二本買った。一本はもちろん僕のだけど、もうひとつは美竹さんに渡すつもりだ。美竹さんは一人で、トラックの外側の水飲み場の近くに座り込んでいた。
羽沢さんたちと一緒にいたら諦めようと思っていたので、ラッキーだった。
「美竹さん」
僕が声をかけると、美竹さんはビクッと肩を震わせて立ち上がった。驚かせてしまったみたいだ。
「な、なに?」
「美竹さん、応援ありがとう。これ、よかったら受け取って」
美竹さんは暑さからか、顔を赤くしながらも、受け取った。
「……別に、気にしなくていいのに」
「いやいや、いつも美竹さんには助けてもらってるから」
「……そっか」
「うん。美竹さんも頑張ってね。応援してるから」
「し、しなくていいってば」
「いやでも──」
「一回目の人でまだ記録伝えてない人、いますかー?」
記録係の人のその言葉で、僕は伝えていないことを思い出した。行かないと。
「美竹さんごめん、僕行くね」
「……あ、うん」
そして僕は歩き出そうとしたが、美竹さんに呼び止められた。
「し、篠原」
僕は振り向く。美竹さんはさっきより顔を赤くしていた。
「さっきは、その……か、かっこよかったよ……」
僕は、カイに呼ばれるまでそこから動けなかった。そして、嬉しくてニヤニヤしてたら、カイに引かれたのは、また別の話。