それからしばらくの間は、鳩羽つぐの事がどうしても忘れられなかった。
自分の娘が同じように行方不明になったらと思うと、心が痛んだ。なにしろ、娘ととても良く似ているだけに、他人事とも思えなかったのだ。
変質者に誘拐されたのだろうか? それとも、何か事件や事故に巻き込まれてしまったのだろうか。
今は、どうしているのだろう。どこかで、生きているのか? それとも、今もまだ、誰も知らない何処かの暗い闇の中に閉じ込められているのか──?
図書館に行って、過去の新聞のマイクロフィルムを読み返してみたり、知り合いの年寄りに尋ねてみたりしたが、鳩羽つぐが見つかったという情報はひとつもなかった。
その事を娘にも話してやった。
娘も、自分にそっくりな女の子が隣町で行方不明になり、誰からも忘れ去られてしまっていた事に、思うことがあったらしい。
“動画で、この子の事をみんなに思い出してもらおうよ”と言い出したのだ。正直、それはいいアイディアだと思った。
もはや誰も覚えていないかもしれないこの哀れな女の子を、動画を見る人達の記憶の中に取り戻させてやろう。
彼は早速、かつて鳩羽つぐが通っていたであろう、西荻窪の小学校の制服に似た衣装を、洋服店に特注で仕立ててもらうことにした。
もちろん、自分の娘に着てもらい、動画の中で“鳩羽つぐ”になりきってもらうためだ。試しに娘に着せてみると、まさに新聞に載っていた鳩羽つぐそっくりになった。
そうして、彼は動画を撮り始めた。
はじめは撮影用のスタジオを借りて撮影をしたが、それから西荻窪の街角や、自宅の洗面所なども使って撮影した。
そして、動画を撮るにあたっては、できるだけ怪しげな気配や雰囲気を言外に漂わせるような動画にすることを心掛けた。
基本的に、動画には“鳩羽つぐ”としての娘しか映さなかったが、怪しげな物音を立てたり、無機質な部屋を使ったりと、工夫も凝らしてみた。
この子は何者なのか? どうしてこんな動画を撮影されているのか? 動画を撮影しているのは誰なのか──などを、視聴者に推測させるためだ。
そうすれば、いずれは──動画を見た誰かが、鳩羽つぐの真実に辿り着くのかもしれない。
あるいは、辿り着かなくても──誰かが、鳩羽つぐという少女の事を記憶に留めていたという記録くらいにはなるだろう。
「うまく説明出来ないんだが…撮影した理由としては、概ねそんな所だよ」
「じゃあ、別に自分の動画の再生数を上げて、広告収入を稼ごうとか、そういう目的ではなかったんですか?」と、美兎は訝しげに彼を見つめた。
「…いや…否定は、しない。自分の動画が人気になってほしかったという気持ちがなかったとは言わないよ。だから、説明もせずにこんなことを始めてしまったんだし…」
「けど、ほんまの鳩羽つぐちゃんのお父さんとかお母さんだって、見てるかも知れない訳やないですか? それを自分の動画の題材にするっていうのは、どうかと思いますけど…」
「それは…」
「本当のつぐちゃんのお友だちのおねえさんは、どうがのこと知ってたよ」
「それで、オレ達がここまで来た訳ですしね。確かに、どっかにいるご家族が見ててもおかしくないんじゃねえかな」
「……」
彼は、目線を落として押し黙った。
父親の雰囲気に気がついたのだろうか。テレビを見ていたはずの彼の娘が、いつの間にかテーブルの脇に立って、不安そうに父親の服の袖を掴んでいた。
「…お父さん? どうしたの? 大丈夫?」
「あ…ああ、あかり。心配ないよ。なんでもないから、向こうでテレビを見てなさい」
「でも…お父さんたち、ケンカしてるのかなって思って…」
それでも不安そうに、彼女は父親と訪問者達を交互に見回した。
不意に訪れた訪問者達が、父親を一方的に責めているように見えたのかも知れない。
「ね。あなた、あかりちゃんって言うん?」と、楓が彼女の頭にそっと手を乗せて撫でた。
「うん」
「そっか。ね、お父さんと一緒に動画撮るのは、楽しい? 辛かったりせえへん?」
「うん。たのしいよ! みんな、いっぱいいろんなコメント書いてくれるし。きっと、天国のお母さんも見ててくれてるって思う」
「…うん」
「私、あんまり難しい事はよく分からないけど…でも、みんながお父さんと私の動画を見て楽しんでくれてたらうれしいし、つぐちゃんの事も、誰かが見つけてくれたらいいなって思うよ。だから…」
楓の目を真っ直ぐ見て話す彼女の眼差しはとても澄んでいて、瞳は星屑のようにキラキラと輝いていた。
そこに、濁ったものは何もなかった。ただ、動画を作ることを楽しんでいる、小学生の女の子がいるだけだった。
「…そっか。あんね、お姉さん達、別にあかりちゃんのパパとケンカしに来たわけやあらへんの。ただ、今後の動画の方向性を一緒に考えとるだけなの」
「ほーこうせい?」
「そ。せやから、心配しなくても大丈夫。ちーちゃん、私らが話してる間に、あかりちゃんと遊んでもらってええ?」
「よしきた!」
ちひろは座っていた椅子からポンと飛び降りると、あかりの両手を掴んで、リビングのソファーに誘導した。
「よーし! げーむしよう!」
「げーむ?」
「うん。面白いのあるから!」
そう言って、ちひろはすまほを取り出して、何かのゲームのアプリを起動した。
「このツボに入ってハンマー持ってるおじさんをそうさして、上にいくの」
「へー。なんか、面白そうだね。やってみる!」
「ちょ、何でいきなりそのゲームなんですかちーちゃん!?」
美兎のツッコミもさておいて、ちひろとあかりの二人は、わいのわいの言いながらその過酷なゲームをやり始めた。
「いや、意外に楽しそうじゃないスか? 二人とも」
「ま、まあ、二人が楽しんでるならいいんですけど…」
「はは…小学生のツボはよう分からんね…」
楽しそうな娘を見て、しばらく押し黙っていた男性が、ぽつりと呟くように言った。
「…君たち。私は、これからどうしたらいいと思う? 動画を投稿するのは、もう辞めたほうがいいんだろうか?」
美兎と楓は、目を見合わせる。
もちろん、辞めたほうがいいというのは、簡単なことだ。現実にまだどこかにいるかもしれない鳩羽つぐの家族の事を考えると、彼女に成りすまして動画を作り続けるのは、得策ではないだろう。
しかしこの二人にとっては、頑張って動画を作ることに取り組み、出来上がった動画を視聴者に楽しんでもらう事が、半ば生きがいになっているようだった。
「なら、こうすればどうですか? 動画を辞めるんじゃなくて、“鳩羽つぐ”を辞めれば良いんですよ」
美兎は、ピッと人差し指を立てた。
「“鳩羽つぐ”を辞める?」
「ええ。鳩羽つぐちゃんのお友達だった方も動画を見てくれたわけですし、目的は果たせたと思うんです」
「そうっスね。つぐちゃんを誰かに思い出してもらうってのは、達成できてるよな」
「そういうことです。それから、そういう目的があって動画を作っていたってことを、次の動画の中でみんなに説明して分かってもらいましょう。その後は名前を変えて、別の題材で動画を作ればいいじゃないですか、二人で」
「ええやん、それ。もしつぐちゃんの家族に見られても、それで悪気はなかったって分かってもらえますよ」
彼は目線を落として、しばらくの間、黙ったままその話を聞いていた。
そうした後、彼はテーブルを囲っている全員の顔を見回してから、そうだな、と呟いた。
「…そうだな。分かった。それが良さそうだ。でも、次の題材か…今は、何も思いつかないな。どうするか…」
「ねーねー皆! あかりちゃんすごいよ! みてみてー!」
ちひろが叫ぶので、美兎達がちひろのスマホを覗き込んでみると、あかりがハンマーを軽快に操作して、どんどん上に登って行くところだった。
「な、なんか見たことないとこまで進んでますけど、これどこですか?」
「最初の岩山ぜんぶのぼった上のとこだよ!」
「うそやん…始めてまだ10分も経ってないのに…」
一方のあかりは、「このゲーム、むずかしいけど面白いよ!!」と言いながら、目を輝かせつつ、縦横無尽にハンマーを振るってどんどん上に上がっていた。
「…私はゲームの事はよく分からないんだが、そんなにすごいのかい?」
「ゲームのオリンピックに出たら、金メダルでオセロが出来るかも知れませんね…」
「そんなに?」
「そんなに」
「まいったな! ただ単にこのくそげー消す前にきねんにあそんでおこうと思ってただけなのに、とんでもないさいのうをはっくつしちまったぜ!」
(クソゲー…)
(この子クソゲー言うた…)
ドヤ顔で胸を張るちひろである。
自分でもやらないゲームを人にやらせておいて、才能を見つけ出す魔法少女、恐るべし。…一同は心の中でそう思ったのだった。
「ま、これで次の動画のお題はゲーム実況ってことで、決まりっスね?」
「ゲームか…。そうだな、私はあまり詳しいことは分からないが、娘が楽しんでくれるなら、それも良いかも知れないな。ところで、どんなゲームがおすすめなのかな? パソコンでやる奴がいいのかい?」
「あ、それならわたくし、おすすめのゲームがありますよ。ヨーロッパ企画っていう劇団が作ったゲームがありましてね…」
「子供に何やらそうとしとんねん、この女は」
「じゃあ、じゅうでもうちませんかい? うったりうたれたりやったりやられたするの楽しいよ!」
「…ちーちゃん、さすがの私でもボケが複数居ったら追いつかんから」
そこにいる全員が、目をキラキラさせながらゲームに勤しむあかりを見た。
きっと、彼女のプレイするゲーム実況動画が、視聴者を楽しませてくれる日も近いだろう。
そしてそうなれば、彼女自身が本当の
それでいいのだと、そこにいる誰もが思った。人間は誰も、他人になれはしないのだから。
その日、幻は彼岸へと消えた。
* * *
それから数日後の週末。三人は、事件の始まりになった駅前の喫茶店に、再び集まっていた。
今日は、“鳩羽つぐ”捜索の依頼主のあの女性に、事件の解決を伝えることになっている。彼女が電話でその面会場所として伝えてきたのが、ここだったのだ。
今回も、三人は前回と同じアメリカンコーヒー、カフェモカ、アールグレイを注文して、依頼主が到着するのを待っている。
謎の人物を警戒して、幾らか緊張していた前回とは違って、今回の三人の雰囲気はゆるやかだ。
リラックスした店内のBGM。たっぷりの砂糖とミルクを入れた、それぞれの飲み物。他愛もない話。
「あ、そういえば、つぐちゃんの新しい動画、出とったよ」
楓はスマホを取り出して、動画を二人に見せた。
動画には、あの夜にあかりの父と話し合った通り、鳩羽つぐがかつて存在した実在の人物であること、実際に行方不明になっていることを知ってほしくて動画を作成したこと、彼女の無事を祈っていること、そして、彼女を騙った事に対する謝罪のコメントが、字幕で掲載されていた。
そして、今後は“鳩羽つぐ”としてではなく、別名義で活動すること、次はゲームの実況動画を投稿することなどが述べられていた。
動画の最後は、“鳩羽つぐ”の衣装を纏ったあかりが、父親と手をつないで、笑顔で歩いていく様子で終わっている。身体を纏っていた、どこか仄暗い水底にいるような気配は、そこにはもうなかった。
「こめんとは? みんな何てゆってるの?」
「みんな結構びっくりしとるみたいよ。そらそうやー、あの雰囲気から一転して、今度はゲーム実況やるんやもん。皆何があったんだー言うて驚いてるで」
「まあ、八方丸く収まったって感じで、良かったんじゃないですか? 批難するような感じのコメントもほとんどないみたいですし、頑張ったかいがありましたよ」
「せやねえ。…あ、来はったで」
カランコロンという来店のドアベルが鳴る。ドアのほうを見ると、そこには『依頼主』のあの女性が立っていた。
こっちです、こっち、と楓が手を振って彼女を呼ぶと、彼女は楓に静かな笑みを向け、三人の座るテーブルに着座した。
ご注文は何になさいますか、という店主の言葉に、彼女はあの時と同じ、『九曲紅梅』を頼んだ。
「お久しぶりね、魔法少女さん達。私を呼んでくれたということは…あの件のことで、いいのよね?」
「はい。ちーちゃんのお陰で、無事に解決しましたので!」
「えへへ…」
「あ、お茶来ましたよ、楓ちゃん。まずは、飲んでいただいてから話しましょうよ」
ほどなくして、店主が彼女の前に、透明なガラスポットに注がれた九曲紅梅を供した。
梅のようなフルーティな香りが、相変わらず瑞々しくて心地よい。
女性がそれをティーカップに注いで一口飲むのを見届けてから、楓と美兎は調査の結果を説明した。
「てなわけで、動画のつぐちゃんは、お父さんと動画を撮っとるだけの、普通の女の子です。何も心配いりません」
「“鳩羽つぐ”を名乗る事ももう無いと思います。動画で説明もしましたし、きっと、鳩羽つぐちゃんのご家族も分かってくださると思います」
「…そう。そうだったのね」
じっと三人の話に聞き入っていた女性は、カップの中の九曲紅梅を飲み干して、ふうっと小さく息を吐いた。
それは、家族を失った二人が、新しい生きがいを作ろうと始めたことだった。
行方不明になり、誰からも忘れ去られた少女を憐れんだ二人が、彼女の記憶を蘇らせるために作り出した幻。
それが、“鳩羽つぐ”の正体だった。そしてその幻も、もういない。
「良かったわ。何かの事件に巻き込まれていたとかではなくて。…あの頃の彼女でなかったのは、少し残念だけれど」
「やっぱり、お話されたいですか? つぐちゃんと…」
「…そうね。あの頃の彼女と話したいわ。あの頃の彼女は、何を思っていたのかなってね」
彼女は遠くを見つめるような目で、天井を仰いだ。
消えた友人との、かつての日々を思い出しているのだろうと、美兎と楓は思った。
「あ、そうそう。見事に事件を解決してくれた魔法少女さん達に、報酬をお支払いしなくっちゃね。こんな物しか渡せないのだけれど、はい、どうぞ」
そう言って、彼女はポシェットから封筒を取り出し、美兎に手渡した。
美兎がそれの中身を確認すると、福沢諭吉の肖像画が描かれた紙幣が、何枚も入っている。
「枚数が多いって、やっぱすごい…」
「え、ええんですか、本当に?」
「もちろんよ。普通の人には出来ないことをやってくれたのだから、あなた達はそれを受け取る権利があるわ。それに、探偵さんに頼んだりすると、もっと掛かるでしょうし。三人で相談して分けてね」
「そ、そうですか。では遠慮なく…」
「美兎ちゃん、めちゃくちゃ頬弛んどるで?」
「か、楓ちゃんこそ随分にやけてるじゃないですか」
「や、あたし関西人やし? その辺シビアやし?」
「何でそんな時に限ってやたら関西をアピールするんですか、全くもう。…ふふふ、これでネット回線を新調できる…フライパンも…あとガスも…」
「……」
美兎と楓の二人が、お札に気を取られている間──ただ一人、ちひろだけが、女性の事をじっと見つめていた。