「ここが、その人に指定された喫茶店ですか…」
『依頼人』に指定された喫茶店は、駅から歩いて5,6分ほどの、雑居ビル群の裏路地にひっそりと佇んでいた。
調度品や内装は木造りで設えられており、周囲の喧騒から切り離された落ち着いた空気が、まさしく隠れ家的な雰囲気を醸し出していた。
普通なら、ゆったりとリラックスして紅茶やコーヒーを飲めそうなところだが、この店は表通りを通る人々の視線からは隠されている。
これから、ここで得体の知れない相手に遭遇するかもしれないと思うと、否が応でも背筋に緊張感が走るのを、楓と美兎は感じざるを得なかった。
「『依頼人』は、まだ来ていないようですね」
「せやな…」
「楓おねえちゃん、美兎おねえちゃん、何か飲もーよ! ちひろね、大人だからコーヒー飲む! かもんますたー!」
「ちーちゃんは呑気やなー」
「とりあえず、わたくし達も何か注文しましょうよ」
何があってもちひろを守ってすぐ逃げられるようにと、楓と美兎はちひろの両脇を固めるようにして座る。
ほどなく、寡黙で温厚そうな雰囲気を漂わせた、痩せ型の男性店主がやってきて、三人の注文を取った。
ちひろは宣言通りのアメリカンコーヒー。楓はカフェモカ、そして美兎がストレートのアールグレイ。10分もしないうちに、店主がそれらを三人の前に供した。
「それじゃあ、いただきますっ!」
「ちーちゃん、お砂糖とミルクは要らんの?」
「ちひろ、そのまま飲めるし! もう大人だし!」
「ほほー?」
自信満々のちひろは、ブラックのコーヒーをそのまま口に運ぶ。
「ほな、大人のちひろさん、感想をどーぞ?」
「…………今日は、このへんにしといてやる」
と言って、砂糖とミルクをコーヒーに投入するちひろを見て、ナハハハと爆笑する楓。
「くくく…いやー、やっぱ子供やなー、ちーちゃん」
「そういう楓ちゃんも、ずいぶん砂糖を入れてるじゃないですか。太りますよ? 淑女たるもの、わたくしのように優雅にストレートティーですよ」
「美兎おねえちゃんもさっきおさとうたくさん入れてなかった?」
「うっ…な、何のことでしょうかね」
「ナハハハハハ」
しばしここに来た目的を忘れて談笑する三人の耳に、喫茶店のドアを開ける、カランコロンというドアベルの音が届いた。
「いらっしゃいませ」
そう告げる店主の視線の先を追うと、そこには一人の女性の姿があった。
「こんにちは」
* * *
女性が店主に頼んだのは、『九曲紅梅』という紅茶だった。
普通の紅茶よりも値段の高いそれは、中国の浙江省というところの山奥で作られている、珍しいお茶なのだそうだ。
そう言われると、よくは分からないが、香りもなんだかフルーティだし、優雅で繊細な気がすると、楓は思った。
「あなた達が、“魔法少女”さん、でいいの?」
「はあ…いえ、正確には、この子だけです。私達二人は、ただの付き添いで来ました」
「うん。勇気ちひろです。いちおー、魔法少女やってます」
「私は月ノ美兎といいます。で、こっちは樋口楓」
「…よろしく」
「そう。ちっちゃくて可愛い魔法少女さん達ね…」
そう言って女性は、口元におだやかな微笑みを浮かべ、紅茶を一口だけ口に運んだ。
年の頃は、50代くらいのように見える。言い方は悪いかもしれないが、中年女性と言っていい年代だろう。
紺鼠色のトップスに、膝下までの灰色がかったスカート。薄く灰色がかった茶色のピンヒールが、全体の雰囲気を引き締めている。派手過ぎす、それでいてスッキリとまとまった、大人の女性らしい出で立ちだ。
亜麻色がかったセミロングの髪は、ややウェーブがかかっている。顔立ちは上品でいて、すこし睡たげというか、儚げな印象だった。左目の下には、泣きぼくろがひとつ。
一見して、何か悪いことを企てるような女性には見えなかった。どこかの社長夫人か、女性雑誌の編集長とでも言われれば、納得したかもしれない。
「早速ですけど、この子…ちーちゃんに、人探しを頼まれたって聞いたんですけど。どういうことか、詳しく聞かせてもらえますか?」
本題に入る口火を切ったのは、楓である。
美兎は、楓の喋り方が標準語に切り替わっていることに気づいた。
楓は、気を許した相手には自然と関西弁で話すのだ。まだ、女性のことを警戒しているのだろう。
「そうね、どこからどう話したらいいのかな…まずは、この動画を見てもらったほうがいいのかしらね」
女性は、持っていたポシェットからスマートフォンを取り出すと、インターネットブラウザを起動して、動画サイトにアクセスした。
そして、ある動画を開くと、スマートフォンの向きを変えて、ちひろ達三人にそれを見せた。
その動画は、不思議な内容の動画だった。
雨の降るどこかの街角で、傘を差した女の子が一人、カメラに向かって何かを喋っている。
女の子の年頃は、ちひろと同じくらいだろうか。目の前の女性と同じような、色素の薄い亜麻色の髪に、黒いベレー帽を被っている。
そして、どこかの学校の制服なのだろうか、白いシャツと黒いスカートをまとっていた。
雨の音に紛れてしまって、この子が何を話しているのかは、聞き取れない。
「…何ですか、この動画?」
「まだ他にもあるわ」
女性はまた別の動画にアクセスする。すると、先ほどと同じ女の子が、どこかの建物のドアの前でまた何かを話しているが、これもまた、車か何かの音に遮られて、聞こえない。
同じような動画が、いくつかあった。今度は熱帯魚店の前で、「この子にしました」と話す女の子。場面は家の中に移り、家の中で何か硬いビー玉のようなものを、何かの容器に大量に移していくらしい、カチャカチャとした音がしていた。
「この子を、探してほしいの」
「この子を…? どういうことですか? この子は一体誰なんですか?」
女性は、また別の動画を再生した。
「“鳩羽つぐ”です。西荻窪に住んでます」
何処かの無機質な部屋の中で、その女の子はそう名乗った。
「“鳩羽つぐ”…この子の行方が、分からないの」
「! それは…行方不明ってことですか?」
「そう。そういうことに、なるかしらね」
女性は、やや伏し目がちになって、俯いた。
その表情には、どこか悲しげな影が差したように見える。
「あの、ちょっとおかしくないですか、それ?」と、動画の説明欄を見ていた美兎が口を挟んだ。
「だって、この動画ですけど、一番最後に投稿されたものでも、先月ですよ」
「え? ほんま、美兎ちゃん?」
「ほら、ここ見てくださいよ楓ちゃん」
ちひろと楓も、動画の説明欄を覗き込む。動画の説明欄の文章には、これといったことはほとんど書かれていなかったが、動画の投稿日は、確かについ先月になっていた。
「この子、行方不明になったんでしたよね? ということは、居なくなったのは、つい最近のはず。だったら、今頃大ニュースになっているはずじゃないですか。でも、そんなニュース、テレビでも新聞でもやってないですよ」
「…確かに」
「ちひろも見てないー」
美兎の当然の疑問に、女性は顔を上げて応えた。
「それはそうだわ。その子が居なくなったのは、もう40年も前のことだから」