『楓ちゃん、例の失踪事件の新聞記事、見つかったよ』
「ほんまですか!?」
その数日後の夜、楓に電話を掛けてきた凛先輩は、開口一番そのように言った。
静凛は、楓や美兎の通う高校の一個上の先輩で、高校3年生である。ネットやゲームのことにも詳しく、勉強や学校のことでいつも助けてくれる、頼れる先輩だ。
あの女性と駅前の喫茶店で面会した後、楓と美兎はネットで鳩羽つぐ失踪事件の経緯を調べていたのだが、ネットが普及するよりも遥か昔の事件であるためか、これと言った情報が見当たらなかったのだ。
そこで凛先輩に頼み、図書館で当時の新聞記事のマイクロフィルムなどを手分けして調べてもらっていたのである。女性の話を疑うわけではないが、あまりにも突飛な内容だけに、話の裏付けが欲しかったのだ。
それに、当時の記録があれば、もっと何か分かるかもしれないと楓は思ったのだが─
「それで、何か新しい情報とか、書いてませんでした? つぐちゃんを探すのに手がかりになりそうな事とか…」
『特には。学校の帰り道に、突然行方がわからなくなったんだって。何の前触れも手がかりもなく居なくなってしまって、それっきりだったみたい。不審者が出たとか、家が荒らされたとか、そういうのもなし。近くの池とか側溝とかも片っ端から浚って調べたみたいだけど、何にも出なかったみたい』
「そうですか…」
『うん。手がかりがなさすぎて、神隠しにあったんじゃないかなんて言う人も居たらしいよ。でも、その後の進展が全くなかったから、そのうち皆の興味が薄れて、忘れられてしまったみたい』
どうやら、あの女性が何か嘘をついているわけではなさそうだと、楓は思った。ただ、事件を調べる手がかりが何もない。
古い事件であっても、人々の興味を惹くような手がかりが残された事件は、いつまでも人口に膾炙されるものである。
たとえば、古くはイギリスの切り裂きジャック事件。人里離れた場所で起きたドイツのヒンターカイフェック事件。意味深な『ルバイヤート』の一節が残されたオーストラリアのタマム・シュッド事件に、アメリカのボーイ・イン・ザ・ボックス。
日本でも、鳩羽つぐの失踪とほぼ同時期に、「男に追われている」という謎めいたメモを残して女性が殺された、京都の長岡京殺人事件が起きている。
しかし、こうした多くの闇と謎に彩られた数々の事件と違い、鳩羽つぐの失踪は、あまりにも静かであったらしい。まるで、鳥が水面を濁さずに飛び去るように。
敢えてはっきり言ってしまえば、世間の人々の目には、彼女の失踪はさほど面白くなかったのだ。だから、事件は忘れ去られた─。
「凛先輩、ありがとうございます。とりあえず、今度の休みに私らで西荻窪に行ってみます。地元の人なら、何か分かるかもしらんし、フィールドワークしてきますね」
『…ケーキバイキング』
「え?」
『今度一緒に行くって約束してたでしょ。あれ、私の分は楓さんと美兎さんの奢りだからね。ここ毎日、学校帰りに閉館まで図書館で粘るの、結構大変だったんだから。そこ、忘れないように』
「うっ…わ、わかりました」
『ふふ。何か分かったら、また連絡するから』
「ありがとうございます。よろしく!」
『うん。それじゃあね』
電話を切って、ふう、と楓は息をついた。凛先輩も引き続き調べてくれれば、また何か隠された手がかりが出てくるかも知れない。
あとは、ちひろの魔法が事件を鮮やかに解決してくれる事を期待しよう。まあ、どんな魔法が使えるのかも、よく知らないのだけれど。
「ん…」
楓の机の上に、あの女性が渡していった、彼女の連絡先の電話番号を書いたメモが置いてあった。
スマホの連絡先に登録しておくか。スマホを操作しながら、名前欄を入力しようとして、楓ははたと気がついた。
(しもた。電話番号だけで、あん人の名前聞いてへんやん。…ま、番号だけ分かればええか…)
* * *
その週末の土曜日の朝、私服姿のちひろ、楓、美兎の三人は、自宅の近所で集合した。
今日は西荻窪をまず訪ねてみて、そこで何も情報が得られなければ、午後からはちひろの知り合いに魔法やその他の不思議な事に詳しい人がいるというので、その人達に会って、協力を仰ぐということになっている。
「ねーねー、ちーちゃん。ちょっと教えてほしいんですけど…」
と、先頭に立って駅の方に向かって歩くちひろに、美兎が声をかけた。
「んえ?」
「その…魔法少女っていうのは、誰でもなれるんですかね?」
「んー、どうなんだろ。ほかの魔法少女の子って、まだ会ったことないよ。でも、けーやくすればなれるんじゃないかな」
「た、たとえばわたくしとかでもアリですかね…」
「美兎おねえちゃんが? うーん、わかんないけど、たぶん…」
「うわキツ」
口元に手をあててニヤニヤしながらそう呟いた楓を、美兎が睨む。
「なんですか今の発言は。生意気な口を効くのはそのクチですか。喋れないように縫ってやりましょうかね」と、美兎が楓の両頬を引っ張って横に伸ばす。
「だーってキツいやん。自分何歳やと思てんねん。美兎ちゃんがなってもうたら、魔法少女やなくて魔女やで、魔女。こっわ!」
「楓ちゃんだって同い年じゃないですか! 大体、最近は高校生のプリキュアだっているんですよ! 奇跡も魔法もあるんです!」
「それ、救いはない奴やろ…ん、でも、ちーちゃんって何で魔法少女やってるん?」
「そういえば。魔法少女っていえば、悪の組織ってよくいるじゃないですか。ドツクゾーンとか、ジコチューとか。ちーちゃんも、影でそういうのと戦っているんですか?」
アニメの魔法少女と言えば、悪の魔法使いの手から街や人々を守ったり、人に災いをもたらす魔法のアイテムやカードを回収する仕事をするのが定番のパターンだ。
「んーん。ふだんはべつに何もしてないよ。たまに、こういうかんじで、こまってる人をたすけるのに、魔法を使ってるだけ。きほん、へいわだよ。ぴんふだよ」
「おや、そうなんですか。あ、ということは、ちーちゃんと一緒にいる時に、たまにアイスの当たりくじ当たったりしてましたけど、あれはちーちゃんが?」
「ん! ちょっとだけ、人にしあわせをよぶ魔法が使えるの! ほんのちょっぴりだけだけど!」
「なーるほど。道理で無くしたものが急に出てきたりしたわけやね」
「じゃあ、最初に魔法少女になった切っ掛けは、何だったんですか?」
「んとねーえ、さいしょは、おはなしのできるぬいぐるみに、出会ったの。こまってる人を、たすけてあげてってゆってたんだけど、ホントはけっこう色んなじじょーがあって…」
ちひろの話を要約すると、こうである。
魔法王国歴819年。人間界とは異なる魔法世界に存在する聖魔法王国では、先代の暗愚な国王による独裁政治が行われ、国民は度重なる増税と抑圧に苦しみ疲弊しきっていた。
こうした抑圧的な封建主義的支配体制の中で、国家に革命を起こさんとする叛乱の機運が高まったが、革命軍の規模は小さく、革命が成功する見込みはあまりにも小さかった。
そこで、革命軍は聖魔法王国の地下深くに眠る最終魔法兵器を起動し、国王を宮殿ごと粉砕したのち革命を成就させる叛乱計画を立案する。
その最終魔法兵器の起動には、人間界の人間から集めた大量の負の感情エネルギーをキーにする必要があった。
怒りや悲しみといった負の感情を貯めた人間を何らかの手段で救うことにより、その人間から発散された負のエネルギーを代わりに回収し、魔法世界に送り込む。人間界でその役目を担っているのが、魔法少女であった。
そうして、人間界に送り込まれた工作員─これを通称『ぬいぐるみ』という─が、ちひろを始めとする適格者を見つけ出し、彼女たちと契約して魔法少女としたのである。
当初の計画では、数十年に亘って魔法少女たちを人間界で活動させ、王制に悟られぬよう、負の感情エネルギーを少しずつ魔法世界に送り込む手はずであった。
しかし、ここで事態は思わぬ進展を見せる。頑健そのものにみえた先王が、突然の病に倒れ急逝したのである。
無論、誰しもが第一王子が王位を継承すると考えたが、これを王権を簒奪する好機と捉えたのが、かねてより王位継承を目論んでいた第二王子であった。
独裁政治の打倒と民主政治の確立を旗印に革命軍と結託した彼は、今や国王となった第一王子の弑逆を決意し、夜間密かに王宮に招き入れた革命軍の暗殺者の手により、第一王子を暗殺したのである。
ところが、早晩第二王子が邪魔者となるであろう自分たちの排除に乗り出すことを予見していた革命軍は、返す刀で第二王子をも暗殺する。
それに合わせて、混乱する王都を革命軍の伏兵が包囲襲撃して軍を降伏させ、最終魔法兵器を起動させるまでもなく、王国を完全に制圧したのであった。
これにより、800年余りにわたって続いた王朝はついに滅亡し、聖魔法人民共和国が成立した。こうして、新たな時代の幕が開いたのである──。
「ちひろ、くわしいことはあんまり知らないけど、そんなかんじで、もう魔法少女はいらなくなっちゃったから、そっちは好きなようにしてていいよって、ぬいぐるみが」
「……」
「……」
「でもね、せっかくへいわになったってゆってたから、魔法世界もみてこようと思ってたのに、ぬいぐるみが、おーとーはーのざんとう?に、ねらわれるから、来ちゃだめっていうの。ぶー」
「…魔法があっても、夢の国は実現できないんですね…」
「救いはないんやな…」
「ごめんねソーリー」
殺伐としたバックストーリーを、子供らしくからからと笑いながら話すちひろを見て、こいつは将来大物になると予感する楓と美兎であった。
「あ、そうだ。でんしゃで行くってはなしだったけど、せっかくだから、空とんでいってみる?」
「え、飛べるんですか? いいんですか!?」
「うん。三人だからちょっとスピードゆっくりだけど、いい?」
「おっ、いよいよ魔法少女らしくなってきたやん! やろやろ!」
「よーし…」
人目の付きにくい物置小屋の陰に入って、ちひろは再び魔法少女へと変身した。
「美兎おねえちゃんも楓おねえちゃんも、ぜったいちひろから手をはなしちゃだめだからね? おさいふとか、すまほとか、かばんに入れといてね?」
「な…なんか緊張してきましたよわたくし!」
「いくよー!」
「お、おおお…!?」
ちひろを中心に、重力がそこだけぽかりと抜け落ちて、身体が空に投げ出されたような感覚だった。
まるで、いつかテレビで見たアポロ計画の、月面でジャンプする宇宙飛行士のように。
けれど、身体を引っ張る大地の束縛はいつまでも戻ってこず、三人はみるみるうちに近くにあった低層のマンションの高さを飛び越した。
先程まで傍にあった物置小屋は、あっという間に眼下の町並みに散らばる、無数の豆粒の1つになった。
ひとしきり、自分たちよりも背の高い建物が周りになくなったところで、上昇が止まる。
今現在の高さは、ビルの30階くらい。およそ、90mから100mといったところだろうか。
「なんか思ったよりも、結構高くないですか、コレ! ひえええ…」
「なんや美兎ちゃん、高い所駄目なん? 弱点はっけーん」
「楓おねえちゃん、にしおぎくぼって、どっち?」
「あーえーとな、たしか、あっちの方角やね」と、楓が指出す方向を正面に据えると、
「じゃあ、ちょっとずつスピード出してくね!」とちひろが言うが早いか、三人はゆっくりと横方向に滑るように、目的の方角に向かって進みだした。
空は快晴。眼下に広がる東京の町並みを見下ろしながら、特等席での遊覧飛行である。
「わあ…!」
「あ、美兎ちゃん見てみて! あれ、都庁やろ!?」
「どれどれ? あっ、そうですそうです!」
「そしたら、あの向こうに霞んで見えるのが、スカイツリーやな!」
「おおー、結構いい感じで見えてるじゃないですか!」
仲の良い友達と過ごす休日としては、またとない最高の幕開けだと、二人は思った。
「そういえばちーちゃん、わたくし達って誰かに見られたりしないんですかね!? その、結構大っぴらに飛行してますけど!」
「あ、それはへーきだよ。今ね、“にんしきそがい”の魔法っていうので、ほかの人からは見えないようにしてあるから!」
「なーる、さっすがちーちゃん! 抜かりない…って、え?」
楓が、異変に気がついた。何やら、風景の流れるスピードが、さっきよりもかなり早い。
「ちーちゃん、なんかさっきより早よない?」
「うん! やっぱり空とぶときはね、ぶっとばしていかなきゃだから!」
「は?」
眼下の風景が、急流のように後ろに過ぎ去っていく。
「ち、ちーちゃん! そ、そんなに早くなくてもいいですよ!? 西荻窪ってそこまで遠くないですから! ちょっと!?」
「いえーい! かっとばすぜー! ふりおとされねーようについてきなー!!」
「ち、ちーちゃん! ちーちゃーん!? ちーちゃーーーんっ!?」
美兎と楓の二人は、またとない最高の幕開けという前言を心の中で撤回した。
ちーちゃん。この子はやはり大物になる。
「「うわあああぁぁぁぁぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ …… 」」
美兎と楓の絶叫が、空に霞んで消えていった。