「いやー、酷い目に合いましたね、楓ちゃん…」
「う、うん…まさかちーちゃんがあんなスピード狂やとは思わへんかったわ…」
「どっちかっていうとあれは…魔法少女っていうより、サイヤ人の舞空術でしたね…」
「うぷっ…あかん、このまんまやとゲロインになってまう…」
西荻窪駅近くの雑居ビルの路地裏からふらふらした足取りの楓と美兎が出てきたのは、それから一時間半ほどしてからである。
ちひろがあれだけ飛ばしたにもかかわらず、それだけの時間が掛かったのは、そもそも楓の指示した方角が微妙に間違っていたために、西荻窪どころか富士山の方角に向かってしまったからだが、それだけではない。
スピードに乗りまくったちひろが、せっかくだから富士山をちょっと間近で見てから西荻窪に向かおうと言い出し、丹沢山の尾根筋をスレスレでかっ飛ばした挙げ句、富士山の中腹で水泳選手のようにタッチターンして東京まで戻るというフライングハイぶりを見せつけたからでもあった。
「うー、ごめんなさいおねえちゃん…わたし、ゲームとかでも、けっこう負けずぎらいであつくなっちゃうほうだから…」
「いやーいいですよー…一時間半で東京と富士山を往復するなんて荒業、滅多に体験できないですし…ね…、ヴォエッ!」
「ちーちゃん…私がもし何か出してもうたら、虹色に光らせる魔法かけてな?」
「そんな魔法ないんだけど…」
二人とも、腕・胴・腰・膝がそれぞれ90度になった、アスキーアートのように綺麗な四つん這いを披露している。
ちひろはともかく、楓と美兎はしばらく使い物にならないかもしれない。
何をしに来たのかよく分からなくなったが、ちひろは何だか二人の綺麗な四つん這いが面白くなり、とりあえずすまほで写真を撮るのだった。
* * *
西荻窪という地名は、正式には既に存在しない。
この地名は1970年ごろに廃止となり、現在は西荻北と西荻南という2つの地名に分かれている。
北はおおよそ善福寺川と女子大通り(都道113号線)から東京女子大学の付近までを北限とし、南は国分寺通り(都道7号線)までを南限とする。
現在は凡そ、これらの地域や隣の松庵地区の一部などの駅周辺のエリアをまとめて、西荻窪や西荻という通称で呼び表している。
人気のある西隣の吉祥寺と比べると、地味な住宅街ではあるものの、独特の落ち着いた雰囲気と、味わいのある個人経営の店が軒を連ねており、隠れた穴場の側面を持ち合わせている。
「そうですか…。どうも、ありがとうございました」
閑話休題。
ようやく落ち着きを取り戻した三人は、早速西荻窪の街で調査を始めていた。
三人が一番始めに訪ねたのは、西荻窪駅前にある、ペット用の熱帯魚店だった。
動画の通りであれば、鳩羽つぐはここで金魚を買ったはずである。つまり、店主はその時に彼女に会っているはずだと、楓や美兎は踏んだのである。
しかし、店を出てきた美兎は、店の前で待っていた楓とちひろに向かって、静かに首を振った。
「うーん、駄目ですね。ここの店主さん達は、動画のことも知りませんでしたよ。つぐちゃんらしい人を見たこともないそうです」
「ここで、きんぎょを買ったんじゃなかったの?」
「違うみたいですね。ここでは撮影をしただけで、実際には別のお店で買ったのかも知れませんよ」
「ま、あの動画は夜に撮ったっぽいし、営業時間外やったらそら、見とらんかもなあ…」
「むー、ざんねん…」
「一応、このあたりで他に金魚を売っているお店がどこかも聞きましたから、そのへんも廻ってみましょうか」
「おっ美兎ちゃん、冴えとるやん!」
「ふふふ。何しろわたくし、学級委員長ですしね。そのへんはお任せですよ」
「よーし、じゃあほかもまわろー!」
「「おー!!」」
そうして三人は、付近の店を虱潰しに廻ってみることにした。
しかしどの店でも、返ってきたのは「そうした子が最近訪ねてきて、金魚などを買い求めたことはない」という返答だけだった。
その次に彼女たちは、区民集会所と囲碁サロン、ゲートボールコースのある公園などを廻ってみることにした。そうした所であれば中高年の住民が集まるだろうから、地域の古老から事件の話を聞き出せると思ったのだ。
ところが、運の悪いことに、その時は町内会の旅行だとかで大半のお年寄りは出払っており、残っていた人たちも、事件の後に引っ越してきたか、自分が物心もつかない幼い頃の出来事で、詳しいことは分からないらしかった。
そうなってくると、頼みの綱はやはりちひろの魔法である。
鳩羽つぐの居所に近いであろう西荻窪であれば、さがしものを見つける魔法も、ひょっとすると効力を発揮するかもしれない。
そのように淡い期待を寄せて、ちひろは動画にあった鳩羽つぐの顔を思い浮かべながら、もう一度魔法を使ってみることにした。
けれど今度もまた、矢印はどこを指すこともなく、光球の形に戻ってしまった。
「反応なしかー」
「うー、ごめんなさい…」
「まあ、仕方ありませんよ。今日は、ちょっと魔法の調子が悪いだけかもしれないじゃないですか。気にしないでいきましょうよ」
「んー、それにしても、さすがに腹ペコんなってきた。二人は?」と、背伸びをしながら楓が言うので、美兎がスマホの時計を確かめてみると、もう時間はお昼をとうに過ぎていた。
「もうこんな時間ですね。それじゃあ、どこかでお昼にしません?」
「せやなー、あ、あの店とかええんちゃう?」
楓が指差した先に、木彫りの看板が印象的な喫茶店があった。看板には、漢字三文字の、一見なんと読むのか分からない店名が彫られている。
店の軒先には、ヨーロッパ調のロートアイアンの看板が掲げられ、立て看板には大きく「珈琲」の文字があった。
「いいんじゃないですか? ちーちゃんもそれでいい?」
「おけまるー」
「これ、名前なんて読むんかな。もの…も…?」
「まあ、とりあえず入りましょうよ」
三人の入ったその店は、たくさんのアンティークの雑貨や家具がセンスよく飾られた、居心地のよい雰囲気の喫茶店だった。
壁に幾つも掲げられた、これまたアンティークの壁掛け時計が印象的で、まるで、ここだけ周囲と切り離されて、どこかファンタジーの世界に迷い込んだようでもある。
ファンタジー世界の喫茶店に、本物の魔法少女か。そう思って、楓はくすりと笑ってしまった。
「楓おねーちゃん、どうしたの?」
「ふふ、なんでも。それにしてもええね、この店」
「なんか、古いけどかわいーものいっぱいあるよね! ちひろ、ここ好きー♪」
「もうちょっと近かったら、もっと沢山来れるんですけどね」
注文した紅茶やコーヒー、軽食のサンドイッチやケーキなども、なんとなく洒脱な味わいの気がする。
散々歩きまわった後だけに、この穏やかで緩やかな空気が、三人には何とも心地よかった。
「けど、どうしよ? けっきょく、まだ何にも分かんないままだね?」
「そうやね。いっそ、この辺に張り込んで、動画を撮ってるとこ捕まえよっか?」
「いつ撮るかも分からないのに、そんなこと出来ないですよ」
「まあなあ。ちーちゃん、何かこう、こういう時に使える魔法とかないん? 使い魔みたいな奴出してこのへん見張らせたりとか、匂い嗅がせてつぐちゃん探させたりとか」
「うーん、ちひろね、わるい人がいっぱい来ると思ってたから、こーげきに使える魔法とかはいっぱいおぼえたんだけど、ほかはあんまり…ばくはつさせたり、火でまるやきにしたり、電気でびりびりさせたり、じゅうをたくさん出してばりばりーってうつやつとか、そういうのはけっこうとくいだよ?」
「な…なかなかに攻撃的なラインナップですね」
「ははは、どないして探そっか…」
「あら、あなたたち何か探してるの?」
三人が考え込んでいると、隣の席の片付けをしていた店員の女性が話しかけてきた。
「あ、そうなんですよ。私達、ちょっと事情があって、この女の子を探してるんです。お姉さん、何か知りません?」
楓はそう話しながら、予めプリントアウトしておいた鳩羽つぐの画像を店員に差し出した。
店員の年の頃は四十前くらいだろうか。その店員は、よく見ようと紙を顔に近づけて、画像の少女の顔をじっと見つめた。
「うーん…この子、このあたりの子?」
「だと思うんですけど、詳しくは」
「名前は?」
「鳩羽つぐちゃんっていいます」
「私は、見たことはないわねえ」
店員の女性は、プリントに顔を近づけたり離したりしている。
「じゃあ、40年前にこの辺で、小学生の女の子が居なくなったって話は、聞いたことありますか?」
「さあ、聞いたことないけど…これがその居なくなった子なの?」と、彼女は首を傾げた。
「ええ、そうなんです。ちょっと事情があって、昔のことを調べてます」
「ごめんなさいね。私は全然聞いたことないわ。いつもこの店に来てくれる常連のおじさんは昔からここの人だから知ってるかも知れないけど、ちょっと今日は来てないみたいだし」
「そうですか…いえ、いいんです。ども、ありがとうございます」
丁寧に一礼する楓に笑みを返して、店員の女性はプリントした鳩羽つぐの画像と食器を一緒に持ったまま、奥に引っ込んでいった。
「そろそろ、出ましょうか。この後は、ちーちゃんのお知り合いの、こういう話に詳しい人に会いに行くんでしたよね?」
「うん! この子がもし、ゆーれいとか魔法使いとか、そーいうのだったら、その人たちが知ってると思う!」
「へえ、心強いやん。よっしゃ、ほな行こ!」
* * *
三人が店を出てからしばらく経って、一人の男性がこの店を訪ねた。
仕事を定年退職して十年余り、元来の無趣味が祟って特にすることもなく、毎日昼過ぎになるとこの店で珈琲を啜るのが日課であったのだが、今日はぐずって泣き出した初孫の世話をしていたこともあり、いつもより店に寄るのが遅くなったのである。
「やあ、こんにちは」
「あら、徳さん。今日も来たんですね」
「いつもの珈琲頼むよ」
「はいはい」
店員がコーヒーを入れている間に、男性は誰かの顔が印刷されたプリントが、店内にあるカウンターの脇に置いてあることに気がついた。
「おや、この写真は誰なの?」
「ああ、それ? お昼まで居た女の子達がね、その子を探してるんだって」
「へえ」
運ばれてきたコーヒーを飲みながら、男性は記憶を辿った。この子が着ている服を、どこかで見た気がしたからだ。
そして、そうだ、と思い当たった。この近所の私立小学校の、随分昔の頃の制服だ。何十年も前にデザインが変わり、これを着て歩く子も今ではもう見掛けることは無くなったが、この制服ができた当初は、東京でも随一のお洒落な制服だと、他の小学校の子供達からも垂涎の眼差しで見られていたものだ。
「この服、見覚えがあるね」
「そうなんですか?」
「ほら、そこの私立の昔の制服だよ。随分前に今のに変わったけどね」
「あら本当。私が越してきたのは最近だから、よく分からなくて」
「ところで、その子達、何だってこの子を探してるの?」
「さあ…。確か、40年前に小学生の女の子が居なくなったらしくて、その子なんじゃないかって。なんて言ったかしら、ちょっと変わった名前で…徳さん、その子知ってる?」
「40年前に居なくなった…?」
どこかでこの子と会ったことがある、と彼の記憶が告げていた。
沈思黙考して記憶の海底を浚い、あたかも沈没船とともに沈んでいた財宝を見つけた探検家のように、彼は画像の少女の名前に掘り当ててみせた。
「…ああ、そうだ、思い出した。鳩羽つぐちゃんだ」
「そうそう! その名前の子よ!」
「懐かしいねえ。道ですれ違うといつも挨拶してくれて、礼儀正しくてとてもいい子だったよ。ある時急に、行方不明になってしまったんだけどね」
「あら、やっぱりそうなの。その子は、どうなったの?」
「結局、見つからなかったらしい。いい子だったのに、何があったのやら…。もし生きていたら、もう五十路にはなるだろうねえ。しかし…」
と、彼は視線を印刷された少女の顔に落として、呟いた。
「この子は、よく似てるけど、別人だね?」