二宮 橙季は男性だった―――その事実にロッジが(物理的ではないが)揺れた。取り敢えず一度水で身体を濡らしてしまった橙季以外の参加者たちは風邪をひいてはいけないため、先に風呂に入ることとなった。
居間のソファーには服を着た橙季と彼を指導していた皐月、そして遊希・鈴・千春・エヴァの四人が向かい合うように座る。目の周りを泣き腫らして真っ赤にした橙季を慰めるかのように皐月は彼の頭を撫で続けていた。
「……えっと、さっきはごめんなさいね。色々と見ちゃって……」
何処か申し訳なさそうに話す千春。彼女には弟が二人おり、長女として面倒を見てきたこともあってか遊希たちより異性の身体には耐性があった。だからといって脱衣所に乗り込んでタオルの下を覗いていい、なんてことはないのだが。
「いえ……私は……」
気まずい雰囲気が流れる。詰問するためにこの場を設けたのではない、遊希たちは指導する立場にある人間として橙季がどうして少女の格好をしていたのかということを聞く必要があった。
「……取り敢えず何から聞いたらいいのだろうか」
「何から聞くって、やっぱりそれしかないでしょうね」
「このままでいても埒が明かないからさ、聞かせてもらうけど……君はどうして女の子の格好をしていたの?」
鈴が意を決して尋ねる。少年であるはずの橙季がどうして少女の格好をしていたのか、というこの場にいる彼以外の誰もが気になることであった。
「あの……実は……」
橙季は少し辛そうな様子を浮かべながら、自分の身の上話を話し始めた。彼は生まれてすぐ父親と死別し、母親が女手一つで育ててきた。いわゆるシングルマザーとなった彼の母はそんな一人息子に精一杯の愛情を与えて育ててきた。
しかし、橙季の母はどうしても娘が欲しかった。再婚をしようとも、亡夫のことが忘れられなかった彼女の再婚話は上手くまとまらず、その結果辿り着いた答えが息子である彼を娘としても育てる、ということだった。元々色白で華奢、女顔ということもあって母の用意した少女向けの服がよく似合っており、事情を知らない人間は指摘されなければ橙季が少年だとは気づけないほどであった。
だが、そんな彼も思春期を迎える。少女の服を身に纏っていたとしても、成長と共に彼の身体は少年のものとなっていき、精神も自我も少女のそれではなくなってくる。しかし、自分のことを女手一つでここまで育ててくれた母のため、橙季はその自我を押し殺して少女として振る舞ってきた。今でも男性用の服よりも女性用の服を着た方が落ち着くが、違和感は拭えない。それでもただ、彼は愛する母の喜ぶ顔が見たかった。それだけだった。
「……」
その話を聞いた遊希たちは返答に困った。自分たちが思っていた以上に橙季が抱えている問題は大きかったのである。しかし、その裏で彼にやましい動機が無くて良かったという安堵の気持ちも生まれていた。
「あの、橙季……くん?」
そう呼んでいいものか、と悩みながら遊希は橙季に尋ねる。
「はい……」
「もし君がなにかしらのやましい気持ちをもって来ている、というのなら私たちは悲しかった。でも少なくともそうじゃない、ということはわかったわ」
「最近よく話題になるわよね、そう言うのって」
「日本のみならず世界各国で今のような問題を抱えている子は多い。幸いにもそう言ったことに対する理解は広まっているがな」
「……まあ、驚いたけど、私たちは君を見捨てるようなことはしないからさ。安心してね」
鈴のその言葉に橙季はほっと安心したような表情を浮かべる。彼を指導する立場にあった皐月もまたありがとうございます、と何度も四人に対して頭を下げて感謝の言葉を告げていた。
「でも安心するのはまだ早いわよ?」
「そうね……」
「一番大きな問題はこれからだ」
遊希たちにはまだ大きな問題が残っていた。それは橙季のことを他の参加者たちにどう伝えるか、ということである。話してもわからない、というよりまだ幼く純粋な未来以外の四人なら事情は理解してもらえるだろう。
しばらくして風呂から出てきた五人はやはり何処かよそよそしかった。夕食の担当は未来を除いた紫音たち五人である。しかし、橙季の性別が明らかになる前と後では目に見えて会話の数が減っていた。
「思っている以上にやばいわね、どうしよう」
「……取り敢えず食事の席で話すようにしましょうか」
ヴェートの作ったフランス料理と橙季の作った関西の料理が机の上に並ぶ。料理にも精通している千春や遊希が手伝ったこともあって、夕食はとても豪華なものになっていた。
「これで全部?」
「そうみたいだな。うん、どれもいい出来だ」
「じゃあ遊希、挨拶宜しくー」
「は?」
鈴から無茶ぶりを受けた遊希は渋々立ち上がる。食事前、しかもこんな時に自分に何を喋れというのか。鈴に対して内心で恨み節を言いながら遊希は言葉をまとめて話し始める。
「えっと……1日目、まずはお疲れさまでした。今日1日でそれぞれ指導を受けて教えられる側も教える側も様々なことを学ぶことができたんじゃないか、と思います。うーん……もう何喋ればいいのかわからいんで、私から言えることは以上です」
中途半端なところで締めた遊希に「おいおい!」と茶々を入れる鈴と千春。やはり喋るのが苦手な様子な遊希を見て気まずい雰囲気だったロッジに笑いが生まれた。そう言った意味では彼女にスピーチを任せたのは正解だったのかもしれない。
「……じゃあ、いただきます」
恥ずかしさに顔を真っ赤にした遊希がそう言うと、皆が食事に手を伸ばし始めた。遊希のキャラに似合わぬたどたどしい挨拶のおかげで場が和んだこともあってか、食事の場は先ほどと比べると和気藹々としていた。
「わっ、美味しい! ポトフって初めて食べたんだけどこんなに美味しい料理なのね!」
「喜んでいただけて何よりです。作り方を後でお教えますね」
「このお好み焼きも中々……」
「せやろせやろ! 天下の台所たる大阪の料理、たーんと味わってや!」
作った料理を褒められて嬉しいのか華とヴェートは上機嫌といったところだった。また、口に食べかすを付けてしまっている未来の口を遊希が拭いてあげるなど、微笑ましい光景が流れたことで周囲の空気は一気に和んでいた。
それでもそんな場において目に見えて様子がおかしい三人。当事者の橙季と風呂場から飛び出してきた時に顔を真っ赤にして怒っていた紫音、脱衣所で最初に橙季が男性であることに気が付いた愛美である。特に明るく朗らかな愛美が妙に大人しいのは今日1日彼女たちを見守ってきた皐月には不安で仕方なかった。
「遊希さん……」
「そろそろかしらね……ねえ、みんな。食べながらでいいから聞いてもらえる?」
詩織に促されて遊希が切り出した。皆の視線が一斉に遊希に向けられる。未来以外の全員が遊希が何を言いたいかを理解しているようだった。
「みんなは私が何を言いたいか理解しているようね……あのね」
「あっ、あの!」
遊希が言いかけた瞬間、橙季が手を上げて立ち上がった。皆が食事を取り始めてからもあまり食が進んでいないなど元気が無かった橙季であるが、これは自分の不始末から出た問題である。遊希の口からではなく、自分の口から皆に事情を説明しなければならない。彼はそう決意していた。
「……私から、言わせてください」
「……そう。わかったわ」
「あの、私の性別は男です。でも女の子の格好をしていたのには理由があります」
橙季は先ほど遊希たちに話したことを改めて告げた。自分が何故少女の格好をしているのかということから、自分の生い立ちおよび家庭の事情まで。今回は遊希たちは予め事情を知った上で話を聞いてくれている。少なくともこんな自分を後押ししてくれる彼女たちのためにもここで思い切らなくてはいけないのではないか。心の心中には強い決意が生まれていたのである。
「……以上が、私が女の子の格好をしていた理由です。本当は最初に言わなきゃいけないことだったけれど……私がずっと黙っていたからこんなことになってしまいました。ごめんなさい」
橙季が深々と頭を下げる中、ゆっくりと席を立つ者が一人。愛美である。彼女はトレーに自分の分のポトフとサラダ、お茶碗を載せていた。当然まだ食べ始めたばかりなので完食しているわけではない。
「愛美……ちゃん」
「……キミが言いたいことはそれだけ? 悪いけど、ボクは君と同じ部屋でご飯を食べたくないよ」
「……!!」
そう言って踵を返した愛美は一人で他の部屋に行ってしまった。声のトーンは低く、無機質なように聞こえたが部屋を出ていく彼女の横顔は辛く、切なそうに見えた。
「愛美さん……あの、事情は分かりましたが私も二宮さんとは距離を取りたいです。だって……その……裸を見られたわけですから」
そんな愛美の後を追うように顔を真っ赤に染めて紫音も自分の分の食器を持って部屋を出ていってしまった。紫音自身が怒っているのもそうだが、今の愛美を一人にしてはならない、と判断しての行動でもあった。
「まあどんな事情があったにしても、この歳で男と一緒にお風呂ってのはさすがのうちもきっついわ」
「……うん、わかっています」
「でも、橙季ちゃん……橙季くんって呼べばええんかな? うちは橙季くんが悪いやつじゃないってのは知っとるで」
この時、華は昼間の出来事を思い出していた。
*
全員がロッジに集合し、参加者である自分たちはロッジの二階に寝泊まりすることになった。昼食を取る前に部屋に荷物を置いたり着替えたりしていた時、自分のデュエルディスクを広げていた紫音が困惑していたことに気付いた。
「ん、どうしたん?」
「それが……私のデュエルディスクが上手く作動しないんです」
「デュエルディスクが?」
「はい。デュエル自体は行えそうなのですが、内蔵のコンピューターの調子が……」
「あの、ちょっと見せてもらってもいいですか?」
慌てふためく紫音からデュエルディスクを受け取った橙季は手持ちの荷物から年頃の少女が持つものとは思えない無骨な箱を取り出す。その箱の中にはドライバーなどの工具が入っていた。
「ちょっと分解させてもらいますね?」
「分解?」
「はい。私、サイバース族が好きなんですが、その理由の一つが昔からパソコンが好きだったからなんです。電気街のお店に売っている部品を使ってパソコンを改造したりしてて……」
サイバース族という種族は【星遺物】などの一部カードを除いて大半のカードがコンピューター用語やインターネット関連の言語をその名前に取り入れたカードが多い。ネット社会が発達した今だからこそ成立した種族であるとも言っていい。自分で言うようにパソコン関連に強い橙季からしてみればこれ以上にぴったりの種族はないと言っていいだろう。
「はい、これで大丈夫だと思います。試運転してみて下さい」
「えっと……あっ、直ってる」
「マジで!? 橙季凄いな!!」
「さすが橙季ちゃん! ボクが見込んだだけあるよ!」
橙季の趣味は同年代の少女たちには理解されるものではなく、同じ話ができる相手はいなかった。もちろん同年代の少女である他の参加者たちはいずれもパソコンやネットに明るいわけではない。
しかし、デュエリストにとって必需品であるデュエルディスクを直してくれた橙季は紫音にとってみれば恩人であり、もし自分たちのデュエルディスクに何らかの不備があった場合でも橙季が直してくれる。その事実が橙季が紫音たちにとって決して欠けてはいけない存在であり、この三日間を共に過ごす仲間であることの証明となっていたのだ。
*
「まあ、うちはパソコンとネットとかそんな明るくないんやけど……そういうのをしっかり直してくれるあたり、橙季くんはめっちゃええ人っちゅーことはわかるやん? まあ男だったってのは驚いたけど、そんな目くじら立てて拒絶しようとはうちは思わんかったで?」
そう言ってケラケラと笑う華。関西人特有のノリの良さが際立つ彼女であるが、人の良いところを見抜くだけの鋭さは持ち合わせていた。
「あっ、あの……わたしは橙季おにいちゃんのことだいすきだよ? おとこのこだったのにはおどろいたけどやさしくしてくれたから……」
「私もです。むしろそのような悩みを抱えているのにも関わらず、気づいてあげられず申し訳ありませんでした」
「皆さん……」
華、未来、ヴェートにとっては性別などさしたる問題ではなかったのかもしれない。しかし、この三人が橙季のことを受け入れたのに対して、部屋を出ていってしまった愛美と紫音のことがより気になってしまった。
(あの二人……どうにかしなきゃね)
*
「はぁ」
食事を終えて後片付けをした後、参加者たちの洗濯物を洗濯機に掛けた遊希たちが入浴をしていた。シャワーでボディーソープを洗い流した遊希は浴槽に浸かり、ため息を漏らす。
「遊希ったら、おじさん臭いわよ」
「仕方ないじゃない。疲れたんだから……」
「まあ今日は色々とありましたからね」
「遊希、遊希」
浴槽で音速ダックを模したのおもちゃを突っつく千春とお湯を手ですくい肩に掛ける皐月。この県は温泉が多いことでも有名であり、風呂のお湯は温泉を汲み上げて利用できるようになっていた。そんな時、湯水の中で腕を優しく撫でる遊希の肩をエヴァがツンツン、と突っついてくる。
「どうしたの、エヴァ?」
「日本のお風呂はまずはシャワーで頭と身体を洗ってから入るんでいいんだよな?」
「まあそれが一般的な入り方よ。エヴァはこういったタイプのお風呂は初めて?」
「ああ。欧州はだいたいがユニットバスだからな……んー、気持ちいい。ババンババンバンバ~ン」
何処でそんな古い歌を覚えてきたのかは知らないが、浴槽に浸かったエヴァはまるでスライムのように蕩けて恍惚な表情を浮かべる。最後に身体を洗い終わった鈴も入ったことで許容量を超えたのか、風呂のお湯が溢れ出した。さすがに旅館の大浴場などと比べれば狭いが、それでも女子高生五人が入るには十分すぎるほどの浴槽であった。
「でさあ、橙季くんのことどうする?」
「……どうするもなにも、仲直りしてもらわなきゃ困るわ。特に二人で皐月に指導を受けている愛美とはね」
「そうですね……あのまま険悪だとろくに学ぶことができません」
「愛美ちゃんがなんで怒っているのか知る必要があるわね。まあ大方橙季くんに裸を見られちゃったのが嫌だったとかそんな理由だろうけど……」
遊希たちはなんとかして愛美が怒っている理由を聞き出す必要があった。幸い華やヴェートを通じてその辺りの事情を聞くことはできる。
ただし愛美の性格上、自分たちが場を作るのではなく橙季自身の言葉で、彼自らが謝ることの方が大事であるとは思えた。鈴もまたと愛美と共に食事を取り、橙季に対して嫌悪感を露わにしていた紫音について考えなくてはならない。
(……後で紫音にも話を聞かないとなぁ……)
鈴が浴場のライトを見上げていると、目の前から「きゃっ」という小さな悲鳴が聞こえてくる。千春が自分の左側に座っていた皐月の胸を凝視していた。
「あのさ、詩織……あんたプールに行った時よりもおっきくなってない?」
「えっ……!? そ、そうでしょうか……」
遊希が皐月を初めて見たのはルームメイトとして出会ったときであり、その時は制服を着用していた。制服を纏った詩織はややぽっちゃりしており、髪型やその振る舞いから穏やかそうな女性らしい少女という印象であったが、プールの時にも見たように彼女は思っている以上にグラマラスな身体をしていた。
「でも最近……またきつくなってきたな、とは思ってまして……甘い物や炭水化物を極力控えるようにはしていたのですが」
「だからといって太ったわけじゃなさそうよね……」
「ひっ!」
千春に気を取られていた皐月は自分から見て左側に座っていた鈴の動きに気づかず、彼女に脇腹を触られる。皐月が奇声のような悲鳴と共に泣きそうな顔をして遊希に助けを求めるものの、遊希は諦めろ、と首を横に振った。
「んー、羨ましいわね。こっちなんておっきくしたくてもおっきくならないのに」
「というか、その体形で大丈夫なのか? その、コミケとかいうのに出るんだろう?」
「今年の夏はこのイベントに参加するのであっちは……諦めました。その代わり今日は新作のコスプレ衣装を持ってきてますからね? 今夜は皆さんでファッションショーと行きましょう」
「えー……気が乗らないなぁ」
「ねえ皐月、ちょっとでいいから肉を分けてくれない? 私もナイスバディになりたんだけどー!!」
「無理言わないで下さい……あっ、わ、私よりも遊希さんの方が詳しいと思いますよ!」
「ちょっ……皐月!」
助けを求める友を見捨てたことによる因果応報というべきか。皐月のその言葉を受け、鈴と千春が獲物を狙う肉食獣の如く目をギラリとさせて遊希に迫る。遊希は後ろに下がろうとするも、浴槽の中なので当然逃げ切れるわけもなし。
「鈴……千春……あんたたちどうなるかわかってるんでしょうね?」
「さあどうなるのかしらね? 私知ってるわよ、遊希が意外とこの手の攻撃に弱いって」
「弱いも何も……こういうことに強い人間なんて聞いたことないわよ!」
「鈴、あんたは右から行って。私は左から襲い掛かるから!」
「ちょっ……やめっ―――!!」
調子に乗って遊希の身体中をまさぐった鈴と千春の頭に大きなタンコブが作られたのは言うまでもない。だが、その時殴られたことが逆に鈴と千春にひらめきを与えた。
「ねえ、こんな作戦はどうかな……」
皆に下されたのは橙季と愛美・紫音の仲直り作戦だった。
(……今のままの状態が続いちゃうとみんな不安だよね。星乃 鈴、動きます)