長期休暇中やゴールデンウイークといった長い休みの間はセントラル校全体が休みになるため、学内の施設はほとんどが休業する。それは学食も例外ではなく、その間学校に残る生徒は食事や入浴などは自分たちで済まなければならない。
遊希と鈴は二人部屋のため、炊事洗濯といった日々の作業は交代制になっている。しかし、遊希は案の定それらの仕事に積極的ではないため、実際は鈴がそれを取り仕切っている状況にあった。
「遊希」
鈴はまな板に乗せたニンジンを切りながら視線はそのままに後ろで戸棚から皿を取り出している遊希に声をかける。
「……何?」
「あんたはあっちで休んでいていいわよ。それか先にシャワー浴びちゃって。あんたどうせ大して手伝わないんだし。だったら先にやれることはやっておきたいの」
「……そう? じゃあ、お言葉に甘えることにするわ……」
キッチンで盛り付け用の皿を並べていた遊希に、鈴はそう言って遊希を先に風呂に入れる。部屋に戻った後の遊希はやはりいつも以上に口数が少なく、何処か気が抜けてしまっているように思えて仕方がなかったのだ。そしてそんな彼女に変に手伝わさせたものなら、皿の1枚2枚平気で割ってしまう姿が思い浮かぶ。それなら自分一人で夕食くらい作ってしまえばいい―――最もそれは建前であり、鈴の頭の中にはさっき竜司から言われた言葉がぐるぐると回っていた。彼女なりに父の言葉について考えていたのである。
「彼女はとても強く凛々しいが、それと同時にとても繊細でか弱い子だから」
竜司からのメッセージを字面のまま受け取れば、今のクールな遊希は仮の姿だったりするのだろうか。しかし、このひと月の間彼女と寝食を共にした鈴には到底それを信じることができなかった。
遊希はデュエルは学年の誰よりも強く、勉強に運動と学科の成績も優秀。加えてその容姿はモデルや女優が裸足で逃げ出すレベルで美しく、髪は癖こそついてはいるが、大和撫子と呼ぶに差し支えない綺麗な黒髪だ。当然スタイルもセントラル校に入学するまでほぼ引きこもり同然の不摂生な生活を送っていたとは思えないほど均整の取れたものを保っている。ファッションなど年頃の女子が気にすることに全く気を留めないところは短所と言えるが、同性である鈴から見ても天宮 遊希という少女は魅力の塊と断言できる存在であった。
(おまけに……あたしと違って胸も大きいし。この間お風呂一緒に入った時に後ろから揉もうとしたら思い切り殴られたけど……って、何考えてんのよあたし。まあ結論から言うと遊希は女子力がないところを除けば完璧な美少女、よね……)
それが鈴が遊希という人間を評価するにあたって出てきた言葉だ。しかし、よくよく考えてみると自分はまだ遊希のことをそんなに知らないことに気付く。竜司が家に連れてきた時は本当の姉妹のように仲良く振る舞っていたが、その時はまだ子どもだったこともあってそこまで深く意識はしていなかった。
(でも、遊希はこの間パパに負けて今日はエヴァちゃんに負けた。負け知らずのあの子がこうも立て続けに負ける……それで心が折れるくらいならプロになんかなれるわけないし)
鈴が考えれば考えるほど遊希という人間がわからなくなる。あとで直接竜司に遊希のことについて話を聞きに行くべきだろうか、と悩んでいるうちにニンジンを切り終わる。今夜の夕食のメニューはカレーライスだ。すっかり日本の国民食となりつつあるこの料理を嫌いな者はそうはいない。美味しいカレーを作れば遊希もきっと元気になるはず。そう思いながら鈴はジャガイモの皮を剥き始めた。
そうして鈴がカレーライスを作り終わるころ、遊希がやや長めの風呂から出てきたので、交替で鈴が風呂に入ることになった。だが、シャワーで髪や身体を洗い流す時も、浴槽に浸かっている時も、髪を乾かす時も、ずっと鈴は竜司の言葉について考えていたため、いつもより少し長めの風呂になってしまっていた。
「……遅かったわね」
入りすぎたかな、と思いながら鈴が風呂から出ると、既に二人分の食事の準備を済ませた遊希は座って鈴が出てくるのを待っていた。鈴が出てくるタイミングで皿に盛りつけてくれたのだろうか、カレーライスからは湯気と香ばしい香りが立ち込める。
「あら、先に食べててもよかったのに」
「……私がそんな千春みたいな真似するわけないでしょ」
いないところで貶される千春は今頃クシャミが止まらないんだろうな、と思い鈴は苦笑いしながら席に座り、二人揃って夕食を取り始めた。
「ねえ遊希。この芸人面白くない? 最近の流行らしいわよ」
カレーを食べながら、テレビのバラエティ番組を見る二人。いつもなら鈴がテレビ番組でネタをする芸人で笑い、その手の情報に疎い遊希は「何が面白いの、夏には消えてるわよそんな若手芸人」と毒を吐くのが日常の光景。
スポーツ中継なら贔屓の野球チームが下位に沈み、応援する鈴がしょげている横で遊希がそのチームの弱点を延々と楽しそうに語る。それも彼女たちの日常。しかし、今日の遊希にはそれがない。
「……そうなのかしら? まあ、そうなのかもしれないわね」
正直自分でも面白さがわからない音ネタ芸人のネタに面白いわね、と振ってみると遊希からは期待した答えが返ってこないのである。この瞬間、鈴は間違いなく遊希に何かがあった、もしくは何か悩みがあるということを確信する。そして、この後彼女は少々思い切った作戦を取ることにした。
「じゃあ、私もう寝るから」
夕食を食べ終わった遊希は自分の分の食器を片付けると、すぐに寝る準備を始めた。元々遊希はやることがない時はさっさと寝てしまうなど早寝な方ではあるが、寝る前には結構な確率でどっちが二段ベッドの上で寝るか、ということで一揉めする。
だが、今日は疲れているとはいえ、それすらせずになんとだいたい鈴が眠っている下のベッドに潜り込んでしまったのだ。当然ながら二人部屋のこの部屋においてここにいるのは遊希と鈴の二人だけ。そして、今日この夜の出来事を知ることも二人だけ。
「ねえ遊希」
「……何?」
「今日さ、一緒に寝ない?」
鈴がそう言うと、遊希は布団を被ったまま「狭いから嫌よ」と突っぱねる。しかし、鈴はここで食い下がらず、無理やり遊希の布団を引っぺがそうとした。当然遊希も抵抗する。
「ほらほら良いじゃない、女の子同士なんだからさ!」
「ちょっ、いい加減にしなさい……親しき仲にも礼儀あり、って言うでしょう……」
「あら、スキンシップも大事! ほら、観念しなさい!」
「や……やめ……」
数分の格闘のうち、抵抗虚しく被っていた布団を剥がされる遊希。そんな遊希に鈴はそっと優しく話しかけた。
「……見ないで」
「……ごめん、しつこかったかな。でもさ、そんな眼を真っ赤にして泣いてるあんたを見ると……放っておけないよ」
布団の中に身を隠していた遊希の眼からは大粒の涙が絶えず流れていた。その影響で目の周りは早くも涙の跡がついている。鈴はさりげなく遊希の眠る下のベッドに身を乗せると、剥がした布団を被って無言でこっちを見ている彼女と向き合う形で横になった。
「ふふっ、暖かい。でさ、何があったの。あたしで良かったら話聞くよ? まあ話したくないなら無理に話さないでいいわ。ただ話せば少しは気が楽になるかもね」
そう言って鈴が遊希の布団に潜り込んで数十分。その間二人は無言のままだった。鈴は遊希が話すまでじっと彼女の潤んだ瞳を見つめ、遊希は極力鈴と目を合わせないように視線を上下させる。
「あ、あのね……」
やがて鈴に根負けした遊希が話しだした。涙交じりなので聞き取るのはやや難しかったが、鈴は必死に彼女の想いを自分の中に刻み込む。
遊希の涙の原因は、やはりここ数日の自分の戦績にあった。先日はエヴァの出迎えに関して竜司とデュエルを行い、敗れ、今日はエヴァをあと一歩までのところに追い込みながらも自分の油断から慢心して逆転負けを許してしまった。戦績でいえばたくさんのデュエルのうちのわずか2敗。しかし、その2敗が彼女の心に大きな傷を残していた。
「前に……私の家族について……話したじゃない……」
遊希の家族が悲惨な最期を迎えたことは誰もが知っている。しかし、その真実を知るのは少なくとも生徒では鈴一人。
「私、今でもずっと思っているの……私がもっと強ければ、あんなことにはならなかったって……」
遊希の家族が命を落とした真相について知っているのは、鈴を除けばこの学校では竜司をはじめとした数人の教員とのみである。もしこの涙の理由がただ負けが込んでいるだけ、ということだけだったのならば鈴は「私の方がもっと負けてるから気にしちゃダメ!」と喝を入れる形で励ましていただろう。
しかし、鈴はその理由を知ってしまっている以上、強く遊希を励ますことができなかった。彼女の心に残るのは自責の念。プロを引退して今日この日まで自分をずっと責め続けていた。決して遊希のせいではなく、悪いのは遊希の両親に手をかけた人間である。彼女の家族の訃報を聞いた多くの人が彼女を哀れみ、慰めた。
それでも彼女の心の中には絶えず渦巻いていたのは家族を守れなかった後悔。プロ引退後、デュエルから離れていた時は全てを捨て、ひっそりと生きては亡くなった家族を弔い続けてきた。やがて竜司ら多くの人間に支えられ、セントラル校に通い、デュエリストとして復帰して以降は勝ち続け、誰よりも強くあることを亡き両親に誓っていた。
両親への罪悪感、周囲からの期待、敗北への恐怖―――今まではそれを必死で抑え込むことができていた。だが、その少女の心には限度が来ており、それが今日、崩れ落ちたのだ。
「みんな……私に期待してくれている……私はプロデュエリストだった……それにふさわしくなきゃいけないのに……」
「うん」
「……私は……強くなきゃいけないの……強くないと……みんなを悲しませちゃうから……お父さんと……お母さんと……妹のためにも……それ……なのに……!!」
今まで必死に堪えながら言葉を発し続けてきた遊希だったが、家族のことを口にした途端、抑え続けてきた感情が涙となって堰を切った。そこにはいつもクールで美しい天宮 遊希というデュエリストの姿はない。顔を真っ赤にして泣きじゃくる一人の少女がいるだけであった。
「……ねえ、遊希」
「なに……りん」
遊希の独白を全て聞き届けた鈴は、遊希が答える間もなく遊希をぎゅっ、と強く抱きしめた。遊希の顔が鈴の胸に埋まるような形になる。鈴は自分のスタイルにそれほど自信は無い。スレンダーではあるが、遊希のようにグラマラスではないからだ。そのため包容力というものはないかもしれない。それでも自分が幼い時に母にこうして抱きしめられた時、心が安らぐのを覚えていた。
「遊希。もしさ……また辛いこととかあったりしたら自分でため込んじゃダメよ? ここには千春もいれば皐月もいる。パパだっているし、エヴァちゃんだって同じプロなんだからあんたの悩みや苦しみを理解してくれるはずよ。それに、あたしもいる。だから……辛いときはもっと頼ってよね?」
鈴はそう言うが、遊希は答えなかった。それと同時に彼女の胸の辺りがじわりと熱くなるのを感じた。遊希は声を押し殺してまた泣き始めていた。鈴は何も言わずそんな遊希の頭を優しく撫で続けていた。
*
「寝ちゃったか……まあ今日は色々と大変だったもんね」
何十分か経った後、小さな寝息を立てて眠る遊希の頭を鈴はまるで子供をあやすように撫で続けていた。目の周りは真っ赤に腫れているが、眠りについた遊希は母親の腕で眠る乳児のように安らかなものだった。
(……さっきのパパからのメッセージ……今ならわかる気がするなぁ)
―――彼女はとても強く凛々しいが、それと同時にとても繊細でか弱い子だから。
(パパの言う通りだった。外面は美人でクールでカッコいいけど、本当は脆くて弱くて泣き虫で……それでいて不器用なんだから。本当にいじらしくて可愛い子)
鈴は二段ベッドの上で眠ろうとしたが、自分の手を握り、寝言で何度も鈴の名を呼びながら眠る遊希の姿を見ると動くに動けなかった。そうしていつしか鈴も眠りに落ちていた。二人の寝息だけが響く静寂の世界。
しかし、その二人だけの世界にはもう一人、いやもう一体いた。遊希の身体に宿る精霊・銀河眼の光子竜である。光子竜は遊希と鈴のやり取りに敢えて介入することなく過ごしていた。何故光子竜は遊希に言葉をかけることなく黙っていたのか。
―――デュエルモンスターズの精霊というものは神秘の存在だ。空を飛び、魔術の類を自在に操る。人間にできないことの大半が自分の力できるのだ。だが、精霊とは万能の存在ではない。自分の大切な存在が苦しんでいる時、悲しんでいる時……声をかけてやることはできても、その涙を拭い、親のように優しく抱きしめてやることはできない。
彼は知っていたからだ、自分には遊希を助けてやることなどできないということを。傷ついた人間を助けられるのは同じ人間でしかないことを。
―――精霊とは、案外無力なものなのだな。
その夜、眠りに落ちた鈴を呼ぶ声がした。鈴は寝ぼけながらもその声のことをよく覚えていた。少し低めの男性の声。もちろんその声の正体はわからない。しかし、声の主が何を伝えたいのかははっきりとわかっていた。
―――遊希を助けてくれてありがとう、と。
「……う、ううん……」
翌日、どこかから漂ってくるいい匂いで目が覚めた鈴。眼をこすりながら横を見るとそこに遊希の姿はなかった。
「おはよう」
ベッドから出て匂いのする方に向かった鈴を出迎えたのは長い髪を後ろに束ね、エプロンを付けて朝食を作る遊希だった。容姿端麗なだけあって、エプロン姿もよく似合っている。
「おはよう……ってあんた料理……」
「できないなんて一言も言ってないでしょ。二人分作るのが面倒だから嫌だっただけよ」
遊希の作った味噌汁を試飲すると、味付けから具のバランスの良さまで明らかに自分より上手だった。それだけにその腕を面倒という理由だけで披露しない遊希のことがまたもよくわからなくなる。
「まあ一人暮らし長かったからね。それに自分から作るのは今回限りよ」
鈴がなんで、と驚いたように尋ねると、遊希は顔を真っ赤にしてもじもじしながら言った。
「……昨日の……お礼がしたかったから」
そんな遊希に鈴は素直にありがとう、と微笑み返し、彼女を抱きしめた。いつになく慌てながら拒絶する遊希に構わず、鈴は自分から離れるまで抱きしめ続けた。
彼女の苦しみをすべて理解したわけではないし、自分が思う以上に遊希の心には重い影が存在するのかもしれない。それでも、鈴は自分の目の前に立つ愛らしいこの友と共に歩んでいくことを改めて誓うのであった。
『銀河の竜を駆る少女』
第一章 完
今回の話をもって『銀河の竜を駆る少女』の第一章が終わりとなります。
第一章では天宮 遊希という一人の少女がアカデミアに入学してから鈴や千春、皐月ら親友となるデュエリストたちとの交流、そして自身と同じ経歴を持つ留学生・エヴァの登場といった今後の章に繋がるキャラの登場、そして精霊を操る遊希がなぜプロを辞めてしまったのか、などといった彼女の心中を少しずつ描いていく、といった感じの章でした。
以下は第二章のあらすじとなります。
○第二章あらすじ
学年の違う学生デュエリストたちの交流、並びに学内のレベルアップも兼ねたデュエル大会を開くことが竜司たちによって結成された。遊希たちはそれぞれ違うブロックに分かれて出場し、順調に勝ち星を重ねていく。
デュエル大会が開かれ、嫌が応にも盛り上がるセントラル校だったが、そんなセントラル校を覆い尽くす黒い影が近づいていることに気が付くものは誰もいなかった。