―――行方不明者は、星乃 鈴と織原 皐月だ。
部屋に戻った遊希は食事をするどころか服すら着替えず、ずっと二段ベッドの下の段で両ひざを抱えたまま座っていた。料理や洗濯など普段自分たちが日常的にしていることですらできないほど彼女は混乱していたのだ。そんな彼女の脳裏では保健室のべッドの上でミハエルから聞いた言葉が幾度となく再生される。
―――行方不明者は二人、星乃 鈴と織原 皐月―――
―――行方不明者は二人、星乃 鈴と織原 皐月―――
―――行方不明者は二人、星乃 鈴と織原 皐月―――
「もう……やめて……」
遊希は両手で耳を塞ぐ。それでもあの時言われた言葉が頭の中では鳴り止まない。鈴と皐月がいない。当然無事かどうかも分からないし、最悪の場合もう帰ってこないかもしれない。止めたくても、悪い考えが水泡のように浮かんでくる。
「やめてよ……やめて……!!」
今の遊希には懇願するようにすすり泣くことしかできなかった。仲間たちを傷つけた非道の敵が千春だったということ、そんな千春を不可抗力とはいえ傷つけてしまったこと、そして鈴と皐月までもが行方知れずだということ。
この突きつけられた三つの事実が少女の小さな心を破壊することは容易だった。遊希の心はすっかり砕かれてしまったのである。身体の痛みや病気ならいずれ治る。しかし、心の傷はいつまで経っても完治することはない。
「あれ、光子竜?……光子竜……どこ……?」
―――遊希? 私はここにいる! 遊希!!
そしてこの壊れてしまった少女には精霊であっても干渉することができなくなってしまっていた。双方が共に互いのことを必死で呼びかけるも、その想いは行き違うばかりであった。
「あはは……だれもいなくなっちゃった……わたしは……また、また……ひとりぼっち」
―――遊希……くそっ!!
誰よりも身近な存在のはずなのに。その声は届かない。傍に寄り添って彼女の心の安寧になりたいはずなのに。光子竜の声が聞こえなくなり、もはやそのまま消えてしまいそうな遊希。そんな時、誰もいないはずの部屋に別の人間の声が響いた。
「お前は……ひとりぼっちなんかじゃない」
驚いた遊希が顔を上げると、目の前の暗がりにはパジャマを身に纏ったエヴァの姿があった。留学生の彼女は普段一人部屋で過ごしているのだが、状況が状況であるために一人だけで過ごすことに危機感を感じていたため、こうして遊希の部屋へとやってきた。最もそれは建前に過ぎず、本当は精神的に動揺しているであろう遊希を気遣っての行動だったのだが。
「なんで……」
「不用心極まりないぞ? 鍵もかけないで……学校と言えど安全ではないのだからな」
「……」
「隣、失礼するぞ」
エヴァは遊希の隣に肩を寄せ合うように座る。もう体感することが出来ないのではないか、と思っていたもの、生きた人のぬくもりがじわりと遊希の肌に伝わる。
「全く、髪もぼさぼさで制服も皺が……遊希も一角のレディなのだからもっと身だしなみに興味を持つべきではないのか?」
「ご、ごめん……なさい」
「夕ご飯を食べては、いないな? ロシア料理だったらいつでも振る舞えるが、無理に食べると身体に悪い。だったらシャワーだけでも浴びよう」
「あ、あの……エヴァ?」
「なんだ?」
「どうして……どうしてこんなことを?」
自分の代わりに色々としてくれるエヴァに対して遊希は困惑した様子で問いかけた。質問される形となったエヴァはきょとんとした様子で首を傾げる。
「どうしてもなにも、遊希は私の仲間だからに決まっているだろう?」
「なか……ま?」
「ああ。私がこの街に来て輩に絡まれていた時に助けてくれたのは遊希だったな。そしてこの学校で初めてデュエルをした相手も遊希だ」
この国に来るまで、エヴァにとって遊希はまさしく憧れの存在に他ならなかった。そのため以前の自分に「日本でその憧れの存在と同じ学校で学ぶことになる」と言った場合きっと信じなかったかもしれない、とエヴァは自分で苦笑いする。
「そして何より……私とこの子を近づけてくれたのは遊希だ」
そう言ってエヴァは手に持ったレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトのカードを見せた。スカーライトのカードは心なしか以前までよりもキラキラと輝いているように見えた。
「あのデュエルから少しだけこのカードの気持ちがわかるようになった、そんな気がするんだ。もし遊希と出会わなければ私は今もなおずっと苦しんでいただろう。遊希は……私の恩人と言ってもいい」
「そんな……」
「私に何ができるかはわからないが、遊希が辛い時、私はお前を助ける。お前が私を助けてくれたように……」
そう言ってエヴァは両手を広げる。そしてにっこりと笑う。
「だから……私を仲間として、鈴や千春、皐月と同じように見てくれないか? もちろん、デュエルでは負けるつもりはないがな」
「……エヴァ……」
遊希はエヴァの名を呟くように言うと、倒れるように彼女の胸にもたれかかった。暖かい。エヴァの胸が遊希の涙で濡れたのだ。声を殺して涙を流す遊希の姿を見て、エヴァの目からもふと涙がぽつぽつと零れ落ちていく。精霊を持つ者同士として繋がるところ、共感を感じるところがあるのか、遊希の辛い想いが自分の中にも流れ込んでくるように感じた。
(震えている……余程堪えたのだろうな。ダメだな……私は遊希を慰めなくてはならないのに……私までこんな……)
宵闇に紛れて二人の少女は声も出さず涙を流し続ける。初夏の夜はこうして更けていった。
*
「これは一晩遊希に付き添った私の私見ですが……今の彼女にデュエルは難しいと思う。身体も精神も疲弊しきっている」
次の日の朝。エヴァは遊希が眠っているのを確認すると朝一番で校長室に向かった。校長室には竜司とミハエル。そして竜司から鈴が行方不明になった、と連絡を受けてアカデミアにやってきた蘭の姿があった。
以前遊希たちが会った時はエネルギッシュだった蘭であったが、娘が行方不明になったこの時ばかりはかなり憔悴しきったようであった。最も蘭がここに来たのはそれだけではないのだが。
「……昨日の彼女は相当取り乱していたそうだね」
「はい。寝言でもしきりに一人になることを恐れている、といった様子でした」
「そうか……」
竜司の脳裏に子供の頃の遊希の姿が走馬灯のように流れる。以前鈴にケアをさせた時もそうだが、彼は遊希の弱い少女としての一面を知っている。故に悲痛に暮れる彼女の姿は直接目に触れなくても容易に想像できてしまった。
「天宮 遊希が戦えない、というのは厳しいな。彼女は1年生はおろか3年生をも凌駕する実力を持っているのだが……」
「何、彼女が戦えないのであればその分私が動けばいいだけのこと。これでも曲りなりに現役のプロデュエストですから」
「……すまない。我々とて力になりたいのだが……」
今回の事件について幸いまだ外には漏れていないため、大騒ぎにはなっていない。しかし、この状況をすぐに解決しなければ今アカデミアで何が起きているのかが明るみになるのも時間の問題である。
本来生徒を守るべき立場にある竜司やミハエルたち教師陣は保護者対応などに追われる始末で手一杯であり、学生たちは基本外出を禁止、その中でもエヴァのような腕のある学生たちに自衛を要請する有様だった。
「思っていた以上に不自由なものだ、教師とは」
「私たちとしてはすぐに終わらせ、警察と協力して犯人捜索に入りたいのですが……」
ミハエルは横目でずっと黙ったままの蘭を見る。蘭は何か言いたそうな顔をしていたが、緊迫したこの場の雰囲気に飲まれて言い出せないようだった。
(全く……昔と変わらないな)
ミハエルは竜司と蘭の結婚前を思い出していた。二人で気持ちを寄せ合っているのにも関わらず、大事な場面に限って歩み寄ることができない。
「奥様、何か言いたそうな顔をしてますが?」
「……えっ? ええと……」
「蘭?」
「ごめんなさい、鈴がいなくなったって聞いて急いで駆けつけたんけど……私が思っている以上に事が大きくて……」
「……そうか。ありがとう蘭。君に気を遣わせてしまったようだね」
「あなた……でも私はあなたも心配なのよ! 確かにあなたは校長先生だから、学校で一番偉い人だから頑張らなきゃいけないけど……娘が、鈴が居なくなって辛いのはあなたも一緒なの! 遊希ちゃんだって蘭が居なくなったことに凄くショックを受けているんだからあなただって……」
蘭が娘の安否と同じくらい気がかりだったこと。それは竜司自身のことであった。竜司は昔から誰に対しても優しくどんな時でも平静沈着な男であり、蘭は竜司のそんなところにも惹かれていた。しかし、その反面体調を崩した時などは周りに心配をかけまいと何事も無かったように振る舞おうとしていたため、彼自身の問題に気付くことが最初は中々できなかったのである。
「……本音を言ってしまえば私も辛いさ、娘が行方不明になったのだから。だけど校長という立場にある以上生徒をを守らなくてはならない。その先頭に立つ私が堂々としていなければなんとするか。でも……妻にそんな心配をさせているようじゃまだまだだね」
「あなた……」
「ゴホン!ゴホン!!」
ミハエルが呆れた様子で咳ばらいをする。竜司と蘭はそそくさと自分の座っていた席に戻った。
「全く、緊張感の欠片もない……」
「も、申し訳ない」
「ですがそれでこそ星乃 竜司だ。昔となんら変わっていない。そんな竜司、いや校長だからこそ私は教頭の職を受けたのです」
「ミハエル教頭、ありがとうございます」
「……ところで天宮 遊希についてですが」
ミハエルは遊希を一度病院に連れて行き、カウンセリングを受けさせることを提案した。プロの世界で長く生きてきたミハエルも遊希を幼いころから知っており、彼女を襲った悲劇の子細についても竜司同様理解している。
今の状況で遊希に頼り切りになることも得策ではない、という点は竜司たちとは一致していた。しかし、だからと言っていつまでもそのままにしていては彼女にとっても良いことではない。そのため専門機関によるカウンセリングを受けさせることで遊希の心に巣食う過去の記憶に向き合えるようにするべきである、と考えたのである。
ミハエルは若いころから一言多いタイプだったので正直遊希とはさほど反りは合わなかった。それでも遊希の実力は高く買っており、このままその才を埋もれさせたくは無かったのである。
「もちろん一朝一夕で治そうとは思っていません。ですが少しばかり彼女には安らぎを与える必要があるでしょう」
「教頭先生……わかりました。そうしましょう。エヴァくん、天宮くんのことを頼めるかな?」
「はい、わかりました!」
*
「遊希、歩けるか?」
「……うん」
遊希は服を着替えると、エヴァと蘭に連れられて心療内科へ向かうことになった。エヴァが一晩中隣に寄り添ったことで眠れはしたようだが、それでもなお遊希の顔からはいつもの気高さはまるで感じられなかった。
「あの……蘭さん。ごめんなさい……私がいながら……」
「そんな……遊希ちゃんは何も悪くないわ。だから気に病まないで」
「私が車で送っていく。教頭、その間留守を頼めますか?」
「もちろんです。ああ、何かあってはいけないから外まで送りましょう」
竜司とミハエルが遊希たちを外まで連れて行こうとしたその瞬間である。誰もいないはずの朝の校舎内に悲鳴が響き渡ったのは。
「……!? 今のは……」
「校長、こちらです!」
「私たちも行くぞ!」
「ええ! 遊希ちゃん、大丈夫?」
悲鳴のした方に一目散に駆けだした竜司とミハエルを遊希を連れたエヴァと蘭が追う。しかし、上手く歩けないでいる遊希を連れていた状態のため、エヴァと蘭が竜司とミハエルに追いついたのは数分ほど経った後だった。
「あなた! いったい何が……」
竜司とミハエルの姿を見つけた蘭が声をかける。すると、しゃがんでいたミハエルの腕の中には一人の女子生徒の姿があった。恐らく昨日の翔一同様襲撃を受けたと思われるようで、やはりボロボロであった。
「ミハエルさん、いったい何が……!!」
ミハエルに状況を確認しようとした蘭は言葉を失った。竜司が一人の男と対峙していたのである。
「……君は今香港にいると聞いていたが。何故ここにいる?」
高級ブランドのスーツを纏い、立派な顎鬚を蓄えた男は見たところ竜司と同年代のようであった。それだけ見ればダンディな初老の男性、といった出で立ちであるがその左腕にはデュエルディスクが装着されている。そして一目見てわかるようにその男もまた昨日の千春同様正気ではないようだった。
「答えないか……ならば質問を変えようか」
傍から見ればいつも通りの穏やかな口調で問いかける竜司だったが、蘭とミハエルは気づいていた。竜司の口調に強い怒気が混じっていることを。だが、それも無理もない。
「君は……お前は自分が何をしたかわかっているのか!! 雄一郎!!」
竜司の目の前に立っている男の名は藤堂 雄一郎(とうどう ゆういちろう)。竜司同様若いころからプロデュエリストとして活躍し、竜司がプロを引退してセントラル校の校長になった今もなおライバルとして切磋琢磨する仲。そして倒れていた女子生徒・藤堂 桜の父である。