2通の手紙
鈴が退院し、セントラル校に戻ってきてから早くも一月近く経った。セントラル校は何事もなかったかのように夏休みに入っていた。
夏休みのセントラル校はほとんどの生徒が帰省し、残るのは完全に寮を実家としているわずかな生徒だけだった。入学の際に住んでいたマンションを引き払った遊希もそのうちの一人であり、同じくロシアから留学してきたため寮に住んでいるエヴァなどと一緒に過ごしているため決して人恋しさを感じるレベルではないのだが、それでも夏休みに入って遊希は暇を持て余しつつあった。
「私宛に郵便物、ですか?」
セントラル校の寮に入寮している生徒に対する郵便物はセントラル校の管理室に届いており、何か重要な郵便物が届いた時はそこから各部屋に連絡が行くようになっている。
当直の管理人から連絡を受けた遊希が郵便物を取りに行くと、2通の封筒が届いていた。片方は日本語で「天宮 遊希様」と印刷されている如何にも事務的な封筒。その一方でもう一通の封筒は日本語に慣れていない者が書いたのだろうか、かろうじて遊希の名前が読めるというレベルだった。
遊希は宛名が印刷された封筒を机の上に無造作に放り投げると、もう片方の封筒の封を切った。手紙の主―――ジェームズ・アースランドはこの時故郷である英国に帰国していた。ジェームズは先の事件を受け、エヴァそして自分たちを救ってくれた遊希に対して一通の手紙を送っていた。
「……無理に日本語で書かなくてもいいのに」
ミミズが這ったような日本語、それも全て平仮名で書かれた手紙は正直言ってとても読みにくい。それでもジェームズなりの気持ちが込められた手紙となっていた。
ジェームズは退院後、母国である英国に帰った。そして実家にエヴァとの復縁を申し出た。もちろんあのような出来事があったため、彼らを納得させるのには相当な苦労をしたようであるが、竜司さんたちの後押しが良い方向に働いたのか、両家の関係は修復の傾向を見せているという。
すっかり回復したジェームズは学業と並行して父の会社を継ぐための勉強をしていた。手紙の内容からその苦労が窺い知れる。それでも彼は充実しているようだった。
「……でも、なんだかんだ言って上手くいっているようで何よりか。さて、次はこっちね」
ジェームズへの返信は図書館で英語辞典を引きながら書くとして、次は机の上に投げ置いたもう1通の封筒の封を切った。封筒の裏には「KC」の2文字が書かれており、その中から出てきたのは指定された日時および併設されたテーマパーク「カイバーランド・シー」の1日フリーパス券とホテルの無料宿泊券が5枚ずつ。
遊希にとってはいつ来るかいつ来るか、と思っていた手紙であったが、案外来てしまうとそんなもんか、と思えてしまう。しかし、彼女にとってそんなもんか、と思った手紙が彼女の人生をまた左右するものでもあった。
*
「改めて遊希って凄いわね……あのカイバーランドのフリーパス券貰えるなんて」
5枚分のフリーパス券と宿泊券を鈴・千春・皐月・エヴァに渡した遊希は1泊2日のスケジュールを組むと、学校から遠く離れた海沿いの県にやってきていた。
カイバーランドは元々軍事企業だった海馬コーポレーションをエンターテインメント主体の企業に転換させた2代目の社長が作りあげたテーマパークであり、その2代目社長が特に愛用していた「青眼の白龍」が各地にあしらわれていることで有名な遊園地である。
今回遊希たちが招待されたカイバーランド・シーは通常のカイバーランドがジェットコースターや観覧車など普通の遊園地をモチーフにしているのに対し、ウォータースライダーや流れるプールなどのウォーターアトラクションをメインに設置している施設である。
「そこはさすが元プロデュエリスト、といったところですね……」
「カイバーランド・シーかぁ……最近できたばっかりでチケット買えないから行けるのはまだまだ先になると思ってたけど、こんなに早く行けるとはね。持つべきものは友ね!」
「カイバーランド……ロシアにはそんなものはなかったな」
喜ぶ千春と皐月、そして何処か複雑な表情をしていたエヴァを尻目に遊希はずっと電車の窓の外から流れる景色を見ていた。電車の外では横を通る高速道路の上下線を多数の車が行き来している。この車は何処へ行き、何処へ向かうのだろうか。
遊希がそんなことを考えているなど知らず、無表情で外を見ている彼女のことが鈴は気がかりでならなかった。単に遊びに行くだけなのに、遊希の顔にはあまり笑顔が見られないからだ。元々表情が硬い方なのかもしれないが、春に出会って今の今まで遊希はすっかり丸くなっていた。遊希も鈴たちを信頼しているからこそ、彼女たちの前で泣き、怒り、笑うことができるのだ。
「遊希?」
「……」
「遊希、ちょっと、遊希」
「っ!? どうしたの鈴?」
「あんたさっきから顔に生気がないわよ。何処か体調悪いとか無いわよね」
「……別に、大丈夫だけど。そもそも体調崩してたら今日こうして来てないわ」
「それもそうよね、大丈夫なら別にいいわ」
遊希本人が大丈夫、というのならば大丈夫なのだろう―――と鈴は思えなかった。この数か月一緒に過ごしてみてそれとなく天宮 遊希という人間を理解していた鈴は遊希が何かを隠している、ということを察知していた。
それでも無理に掘り出そうとすればへそを曲げてしまう。天宮 遊希とはそんな面倒な人間なのだ。頑なな彼女の心を溶かす方法。それは彼女の方から歩み寄ってきてもらう。遊希が弱っている時、受け入れてあげることが大事である。鈴はそれを理解していた。
(まあ、今は楽しむとしようかな)
鈴はそう思い、千春や皐月とカイバーランド・シーについての談義に花を開かせるのであった。
*
カイバーランド・シーは入場前からプールで遊びたい家族連れや団体客などで長蛇の列を作っていた。そんな人たちを横目に専用の入場口からフリーパスで入場するというのは聊か気恥ずかしい気がする。
それでも入れてもらえるのだから、堂々と入ろうと思った5人はカイバーランド・シーの中に入ると、持参した水着に着替えることにした。遊希からカイバーランド・シーに行ける、ということを聞いた鈴と千春は、遊希とエヴァを連れて新しい水着を買いに行った。
「水着なんてただの布なんだし、なんでもいいじゃない」
「正直私もそれほど興味がないのだが……」
容姿端麗でスタイルがいい割に水着に興味を示さない遊希とエヴァを鈴と千春が無理やり引っ張って行った水着ショップ。夏とだけあってビキニから競泳水着まで多くの水着が取り揃えてあった。そこで選んだ肝入りの水着を着た鈴が鏡の前に立つ。
「……うーん、こんなんでいいかな」
鈴の水着は青と白のボーダー模様のビキニである。最初はもっと地味な色のものを選ぶ予定だったのだが、どの水着にしようか悩んでいた彼女に声をかけた女性店員のある言葉が決定打となった。
鈴は自分のスタイルにそれほど自信があるわけではなかった。決して胸は小さくないし、ウエストも太くはない。ただ大きすぎるわけでもなければ小さすぎるわけでもなく、太すぎるわけでもなければ細すぎるわけでもない。つまり、メリハリのある身体ではないのである。
そんな彼女に派手な水着を着せる決心を付けさせた店員の言葉。それは「ボーダーは膨張色ですよ」というもの。膨張色であるボーダー柄の水着を着用すれば普通サイズの胸もお尻も少しはメリハリが付くのではないだろうか。それを願った上でこの水着を買ったのである。
「……やっぱそんな変わんないや」
「どうしたのよ、そんな暗い顔して」
落ち込む鈴の肩を叩いたのは千春だった。千春は上は水玉柄のタンクトップ、下はデニムのパンツという組み合わせだった。いわゆる「タンキニ」という着こなしであり、露出を極力少なくした上でおしゃれさと可愛さを出した水着であった。
「ううん、なんでもない」
「あら、その水着意外と似合ってるじゃない! 鈴らしくて可愛いと思うわ」
「……なんだろう、あんたに褒められてもそんな嬉しくない」
「何よそれ!! どういう意味!?」
「まあ、こんなところにまで来て喧嘩してちゃダメよね……あれ、遊希と皐月は?」
「あら、さっきまでそこにいたような……」
鈴と千春が周囲を見回すと、着替えを入れるロッカーの陰から遊希が顔を出して同じようにキョロキョロと周囲を見回していた。何かを探しているのだろうか、と思った鈴と千春に気付いた遊希は何も言わずに「こっちこっち」と2人を手招きする。
どうしたのかしら、などと言いながら遊希の元に向かった鈴と皐月は遊希の水着を見て「うっ」と変なうめき声を出した。遊希の水着は上下黒のビキニであり、その水着はシンプルな色合いながらスタイル抜群かつ白い遊希の肌に映えたものとなっていた。
黒のビキニはそれこそ彩りこそ足らないものの、プロポーションが抜群な女性が着ればそのセクシーさは群を抜いている。遊希がまさにそれであり、5人の中で皐月に次いで豊満なバスト、ほどよく筋肉がつきながらかつ女性らしい柔らかさを残したウエスト、そして長くすらっとした脚を支える締まったヒップ。そのどれもが下手なグラビアアイドルが裸足で逃げ出すレベルのものであったのだ。
「あのね、皐月が……ってなんなのよあんたら。そんな死にそうな顔して」
スタイル抜群のセクシー美少女を前にして鈴と千春は自分の身体を死んだ魚のような眼で見ていた。
「けっ、牛みたいな乳しやがって」
「けっ、馬みたいなケツしやがって」
「いまなんか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたんだけどー」
「気のせいじゃないかしらー」
「ええそうよー、で、皐月がどうかしたの?」
「……ああ、皐月なんだけどね……」
遊希に連れられていった先には脱衣所で一人苦悶の顔をしている皐月の姿があった。皐月は時間が合わなかったのもあるが2年前に買った水着があるから、と遊希たちと一緒に水着を買いに行かなかった。しかし、皐月の身体の成長具合は本人の予想を上回っていたようで、持参した水着がどうしても合わなかったのである。
「すいません、着るの手伝って貰ってもいいでしょうか……」
「すまない。私も手伝っているのだが……」
顔を真っ赤にして必死に身体を水着に収めようとする皐月とそんな彼女を手伝っているエヴァ。当然のことながら、エヴァも遊希に負けず劣らずのプロポーションをしているのだが、そこは民族の違いということで割り切ることができた。できたのだが、遊希に対しては色々な感情が入り混じったがために衝動的にならざるを得なかった。
「ということで紐結ぶから持っててほしいんだけど……ってなんでそんな病んだ眼してるのよ」
「……このー! 大きいからって調子乗んなー!!」
何故か半泣きの鈴は遊希の胸を思い切り両手で掴み上げる。突然の鈴の行動に遊希は唖然としたような呆然としたような顔を浮かべるだけで悲鳴すら上げることはなかった。
あまりに行動が突然すぎたため、遊希は今自分が何をされているのかがしばらく理解できなかったのである。しかし、さすがにくすぐったくなってきた遊希は止めに入ろうとするも危ない目をしている鈴は中々やめようとしない。
「ちょっ……」
「遊希ばっかりずるいわ! 顔も可愛くて髪も綺麗で背も高くて性格は悪いけど脆いところがギャップで愛らしくておまけに胸まで大きくてー! このこのこの……もっと寄越せー!!」
「っ……この変態! ちょっとは自重しなさい!!」
変態呼ばわりされた挙句、遊希に拳骨を食らった鈴とそれを無表情で眺めていた千春は改めてこの世に神がいないこと、そして「天は二物を与えず」という言葉が大嘘であることを思い知らされるのであった。
結局皐月はその水着を着れなかったため、レンタルのものを借りることにした。上下水色のビキニに、腰に薄手のパレオを巻いたものであり、それは皐月の包容力をまた別の形で表すものとなったため、鈴と千春はさらに打ちのめされるのであった。
「……鈴、皐月。ちょっとこっちへ」
鈴となんとか水着を着れた皐月を遊希が鏡の前の洗面台に呼ぶ。遊希は長い髪を1本の三つ編みにまとめると、毛先を青い髪飾りで止める。その様はまるで龍の尻尾を思わせるようなものであった。千春のように短いならいざ知らず、髪の長い女性はプールやお風呂ではそれを結ぶのがいわゆるマナーなのであった。
「遊希できるの?」
「勿論。皐月はどんな結び方がいい? リクエストには可能な限り応えるけど」
「あ、ではお任せします」
「そうね……じゃあこれでいこう」
遊希は鏡の前の椅子に腰かけた皐月の髪に手を入れて数回ほぐし、ヘアゴムで後ろに一つにまとめる。そのヘアゴムのゴムを緩めてできたヘアゴムと後頭部の間の穴にまとめた髪を上から入れ込んだ。
その後、髪を全てそのゴムの中に通し、最後はヘアピンでその髪を固定する。遊希はこれで皐月の長い黒髪をあっさりまとめてしまった。
「こんな簡単にまとめて頂けるなんて……ありがとうございます。ところでこの髪型は?」
髪型の詳細を問われた遊希であるが、テレビ番組でやっていたおしゃれな髪型、という特集を見ただけであって名前や詳細までははっきりとは覚えていなかった。アメリカ発祥の髪型、というのは聞いていたが。
「えっと……ギブ、ギブ……ギブアップとかそんな名前」
「もしかして、ギブソンタックってやつ?」
「そうそれ。確かそんな名前の髪型」
「あんたにこんな才能があったとは驚きね……私もやってー」
「鈴はそんな長くないから……髪を折り曲げてヘアピンで止めて……こんなんでいいでしょ」
「……上手くまとまったけど、なんか扱いがぞんざいじゃない?」
「そんなことないわよ」
さっき色々と恥ずかしい目にあった復讐、とはさすがに思い浮かばなかったようだった。まあいいか、と思っていると1人ヘアアレンジをしてもらえなかった千春は不機嫌そうにそっぽを向いて膨れていた。
「むー……みんなばっかりずるい。私もヘアアレンジしたい」
「仕方ないでしょ、あんた髪短いんだから。もう少し伸ばしたらやってあげるから」
子供のようにむくれる千春は、来年のその時まで髪を伸ばそうかどうかを検討するのであった。