プールを出た五人はシャワーを浴びて着替えると、昼食を取った後にライディングデュエルが行われるサーキットへと足を運んだ。
そこはスタジアムのように四方を客席で囲まれており、その外周を楕円形のオンロードのコースが設けられている。レースゲームのコースのように複雑なカーブやバンクなどはなく、あくまでスタジアムの外周をぐるぐると回るだけのシンプルなコースのようだった。これならばよほどのことが起きない限り事故の心配はないだろう、とほっと遊希以外の四人は胸を撫で下ろす。最も遊希は「万が一が起こるのがデュエル」と用心しているようではあったが。
サーキットを見学した五人は遊希に用意された控室へと入った。控室にはDホイールのキーとレーシングスーツ、そしてヘルメットが既に置かれていた。Dホイールもデュエルを行うためのものとはいえ、平たく言えばバイクである。安全および体調に最大限の考慮が必要になるのだ。
「へえ、これを着るのね……」
「ちょっと身体の線が出るから抵抗あるんだけど」
鈴はレーシングスーツを身に纏った遊希の姿を想像した。眉目秀麗な遊希が着るのだからレーシングスーツも様にはなっているのだが、身体の線が出るそのスーツを身につけた姿を想像して何故か彼女の顔が赤くなったのは言うまでもない。
「ところで、ライディングデュエルと普通のデュエルにはバイクを運転する以外に違いがあったりするんですか?」
「普通のフィールド魔法とは違って別のフィールド魔法が常時発動するみたいよ。確か……ああ、これ。《スピード・ワールド》っていうフィールド魔法よ」
遊希はDホイールのキーの下に置かれていたそのカードを四人に見せた。ライディングデュエルには専用のフィールド魔法が存在し、このカードが常に発動され続けるのだ。
《スピード・ワールド》
フィールド魔法(オリジナルカード)
(1):このカードはカードの効果では破壊されず、他のカードの効果によって墓地には送られない。
(2):お互いのプレイヤーはお互いのスタンバイフェイズ時に1度、自分用スピードカウンターをこのカードの上に1つ置く(最大8個まで)。 1ターンに1度、自分用スピードカウンターを任意の個数取り除く事で、以下の効果を適用できる。
●2個:相手に300ポイントのダメージを与える。
●4個:自分のデッキからカードを1枚ドローし、その後手札を1枚デッキに戻す。
●6個:フィールドに存在するカード1枚を対象として発動できる。そのカードを破壊する。
●8個:相手のカードの効果の発動を無効にして破壊する。
「“スピードカウンター”?」
聞き慣れない単語に千春は首を傾げる。だが、無理もない。スピード・ワールドおよびスピードカウンターについてはあくまでライディングデュエル専用のカードおよび効果なのだから。
「お互いのスタンバイフェイズごとにカウンターがそれぞれのスピード・ワールドに乗るの。そのカウンターを取り除くことで様々な効果が発動できるわ」
「手札交換に破壊にカード発動無効か。この効果、使いどころが大事そうだな」
「そうね。最後の効果を発動するためにはスピードカウンターを8個、つまりスタンバイフェイズを8回迎えないといけないわけだから……ちなみにこのカードは特殊なフィールド魔法でこのカード以外にも1枚だけフィールド魔法をいつものデュエルと同じように発動できるみたい。だから【ドラグニティ】とか【暗黒界】みたいなフィールド魔法に依存するデッキも問題なく使えるそうよ」
「そうしないと不公平ですからね……」
今後I2社および海馬コーポレーションはこのスピード・ワールドやそれに付随したライディングデュエル専用のカードを展開していくという。最もまだライディングデュエルというデュエル自体始まっていないため、それが実現するのはいつになるのか、という次元の話なのだが。
そんな時、遊希たちの詰める控え室のドアがノックされる。遊希が「どうぞ」と言うと中に入ってきたのは作業着姿の若い男性だった。
「天宮 遊希さんですね、今回あなたのDホイールを整備させて頂きますメカニックの宮下(みやした)と申します」
「ああ……これはご丁寧に。ちょうどこれからご挨拶に伺おうと思っていたところでした」
宮下と名乗った若いメカニック男性はそう言って油か何かで黒ずんだキャップを取って頭を下げる。キャップを取ったことで露わになった彼の左右の頭髪はまるで蟹のハサミのようにぴょこん、と跳ね上がっていた。作業着中が真っ黒になっていたことから宮下はずっと遊希の乗るDホイールの点検をしていたのだろう。それこそ髪に癖がついてしまうほど熱心に。
本当にそんな事情があったかどうかはわからないが、きっとそうなんだろうな、と思った遊希は恭しく頭を下げ返す。Dホイールは運転するドライバーもさることながら、整備を行うメカニックの腕およびドライバーとメカニックの信頼関係も大事になってくるのだ。
「あの人がDホイールを整備しているのね」
「まあマシンが調子悪いとどうしようもないですからね……事故の元にもなってしまいますし」
(あんな風に外面のいい遊希初めて見た……でも)
顔見知りの前では比較的カラっとした様子の遊希であるが、目上の人間だったりお世話になっている人に対してはこうして礼儀正しく振る舞うことができる。そこは元プロデュエリストということも影響しており、幼い時から多種多様な大人たちに紛れて過ごしていたことの経験が活きている。
それでもそんな彼女が素の自分を見せるのは鈴たち親友および心を許した竜司たち一部の大人だけ。そう思うと鈴はそれとなく嬉しかった。
「天宮さんの乗るDホイールのメンテナンスが終わりましたのでご報告にあがりました。もし宜しければ一度ピットに来て見てもらいたいのですが宜しいですか?」
「はい、わかりました。あの、もし可能であれば試乗もしたいのですが……」
「試乗ですか? それなら大丈夫ですよ、では試乗をしてもらった上で不備などありましたらまたこちらでメンテナンスをさせて貰いますね」
「お願いします。今からライダースーツに着替えるので、先に戻っていて貰ってもいいですか?」
「わかりました、ではお待ちしております」
そう言って宮下は遊希たちの控え室を後にする。遊希は控え室の奥にある衣装棚に掛けられていたライダースーツを手に取った。
そのライダースーツは青を基調にしたカラーリングになっており、まるで銀河眼の光子竜の身体を思わせるような鮮やかな輝きを放ったものだった。仮にこれを着てサーキットを走った場合、夜空を彩る月と星、さらにスタジアムの照明に照らされることとなり、遊希のその姿はまさにサファイアのような美しい輝きを放つだろう。
(……やっぱりちょっと派手よね)
最もその派手さを遊希はあまり好んでいなかったのだが。
*
「まあ、こんなものかな」
遊希はなんだかんだ言ってそのライダースーツを身に纏うと、長髪を耳の後ろで2つにまとめる。Dホイールに乗るにあたってヘルメットは当然被らなければならないのだが、長髪が風に揺れてぐちゃぐちゃになるのはできれば避けたかった。そのため少し子どもっぽいかもしれないが生まれて初めてツインテールという髪型を体験した。
「着替え終わったー?」
「うん」
ライダースーツを着た遊希は四人の前でくるりと一回転してみる。青いスーツに白い肌、美しい黒髪のツインテールが風に棚引く。
「ツインテールも似合っていますよ」
「ちょっと子どもっぽいけど……仕方ないわ」
「しかしさぁ……ほんとデカいわねあんた」
「ジロジロ見ないでよ、もう」
意味深な言葉を言いながらジロジロと見てくる鈴と千春にもう少し大きなサイズを着るべきだったか、と軽く後悔する遊希。しかし、ただでさえ慣れないライダースーツの着替えで時間をかけてしまったために宮下を待たせてしまっているため、そんなことを一々気に留めている場合ではなかった。
遊希は自分のデッキが入ったポーチを腰につけると、Dホイールのキーとスピード・ワールドのカードを持って鈴たちと共に宮下の待つピットへと向かった。ピットでは宮下をはじめとした三人のメカニックが遊希の乗るDホイールの調整を行っている最中だった。
「浅沼(あさぬま)、こんな感じでどうだ?」
宮下が浅沼というもう一人のメカニックにDホイールの状態を見せる。オレンジ色の髪をオールバックにしているその男性メカニックはエンジン部分を開くと手にしていたスパナでネジを締まりを確認する。
「ああ、これで大丈夫だな! しかし、こいつも幸せもんだよな? だって俺たちに整備してもらえるんだからよ!」
「当然だ、何故なら米国一のデザイナーであるこの俺が設計したのだからな! しかし、さすがに疲れたぞ、おいコーヒーを持ってこい! インスタントのではないぞ、1杯3000円のブルーアイズ・マウンテンだ!」
「何が米国一、だ! お前さっきからコーヒー飲んでばっかでなんもしてねーだろ! 少しはこっちに協力しやがれ!」
金髪で長身の外国人に食って掛かる浅沼。それが彼らの日常の光景なのか、宮下はその二人の言い争いには全く関与しようとはしなかった。工具を片手に汗を拭っていた彼は遊希たちが来ていることに気が付く。
「ああ、天宮さん。こちらがあなたのDホイールですよ」
宮下がメンテナンスの終わったばかりの遊希が乗るDホイールに手を向けた。そのDホイールは全身が白く塗られており、ライトやハンドルが設置されているフロント部分が横から見るとまるで竜の顔のように見える流線形の機体だった。
前輪および後輪は竜の顎と尻尾に見える部分で守られている。また座席からマフラーにあたる部分は鱗と翼をモチーフにしたのか、足をかける部分から車体の後部まで斜めに長く伸びていた。
「これが……教習用のDホイールとはだいぶ異なるんですね」
「教習用のものはあくまで練習用のものでしかありませんからね、性能は控えめにセッティングされているんです。こちらは我々が海馬コーポレーションおよび星乃 竜司さんから依頼されて作り上げた特注品なので、性能は自分で言うのもなんですが、折り紙付きと言っていいでしょう」
竜司はこんなところにまで手を回していたのか、と呆れつつも遊希は内心感謝をするのであった。しかし、外見やカタログスペックは凄いものなのかもしれないが、それだけでこの機体を値踏みするわけには行かない。
数時間後には遊希はこのDホイールを駆ってライディングデュエルをするのだから、本当にこの機体が遊希の身体に合うのかどうかを直接確かめなければならない。そのためにこのピットまで足を運んだのだ。
「あの、早速試運転をしてみたいのですが……」
「はい。燃料も満タンにしてあるのでいつでも走れますよ。ああ、今ガレージを開けますね」
宮下がガレージを開けると、陽の光とともにどこか潮の匂いがする風がピットに吹き込んでくる。遊希たちの眼前に広がったのは誰もいない客席と誰もいないサーキット場だった。
後にここが世界で初めて行われる形式の全く新しいデュエル、ライディングデュエルの舞台となるのだ。嵐の前の静けさ、この空間が不気味なまでに静かに感じるのはやはりここがデュエルモンスターズの歴史を変える舞台になるということを知っているからなのかもしれない。
遊希はヘルメットを被り、Dホイールのスタンドを足で蹴りあげた。そしてその機体をゆっくりとサーキットの方へと押していく。Dホイールといえども基本は普通のオートバイと同じであり、教習では押し方や倒れた時の起き上がらせ方を習っている。しかし、あちらは宮下も言っていた通り教習用のDホイールであり、性能が抑えられているどころか機体の重量も軽い。
そのため女性の遊希でも教習用Dホイールなら無理なく自分の力で動かすことができた。しかし、これはレース用の本格Dホイールであり、あちらと比べると重量もかなり重く、そして性能も桁違い。そのため慎重に扱わなければ搭乗者に牙を剥く恐れもあったのだ。遊希は喉をゴクリ、と鳴らすとDホイールを外に出してはその機体に跨った。
「キーを刺す箇所はここです。ここに刺して右に回して下さい、エンジンが掛かりますので」
「はい」
宮下に言われた箇所にキーを刺した遊希は一度深く深呼吸をすると、そのキーを右に回した。
「―――っ!!」
その瞬間である、閑静なサーキットにまるで竜が雄叫びを上げたかのような轟音が響き渡ったのは。シートを通じて遊希の身体には生き物における心臓の鼓動にあたるDホイールのエンジンから生じる振動が伝わってくる。これが本物のDホイールの力。想像以上の力に戸惑う遊希であったが、彼女の心には戸惑いからなる焦りともう1つの感情が迸っていた。
(……すごい! 動かしたい……この子を……!!)
「天宮さん、アクセルとブレーキはここです。ここを適宜操作してくれれば問題なく起動します。最も今はデュエルモードではないので運転はマニュアルになります。そこはお気をつけて」
「……はい。では、行ってきます」
遊希はハンドルをしっかりと握り、アクセルとなっているハンドルグリップを少しずつ回していく。Dホイールはそれに呼応して少しずつゆっくりと進んでいき、遊希がアクセルを奥に回せば回すほどスピードを上げていく。
「遊希!!」
「……すごいです」
「迫力たっぷりね……!」
「これがライディングデュエル……」
鈴たちはピットから無人のサーキットをDホイールで駆ける遊希をじっと見つめていた。バイク特有の排気音を響かせながら楕円形のサーキットを周回する遊希の姿はそのDホイールの形状も相まって、まさに“竜を駆る姫騎士”と言わんばかりの独特な激しさと美しさをこれでもかと見せつけていた。
コーナーの回り方やインの取り方、サーキットでのスピードの調整などを兼ねた遊希のドライブは10分ほどで終了した。しかし、見ている側および乗っていた遊希は時計を見ても10分しか経っていないとはとても思えなかった。
「はぁっ……はぁっ……」
戻ってきてDホイールから降りる遊希。ヘルメットを取った彼女の頭からは汗が滝のように流れ出ており、数分の試運転でもその身体にかかる負担は相当なものであることが伺われた。
疲弊しきっている様子の遊希を見て心配に思った鈴が駆け寄ろうとするが、遊希はそれを何も言わず手で制した。鈴もまたそんな遊希の表情を見て彼女が何を感じているのかを悟った。
遊希の顔はひどく紅潮しているものの、それは疲れや焦りによるものではない。本格的なDホイールを駆ってサーキットを駆け抜けたことによる興奮そして歓び。エンジンを掛けた時の振動が、Dホイールという生き物の鼓動が伝わったことによる恍惚からなるものだったのだ。
「天宮さん、お見事です。あなたのような方に運転してもらえてこいつも喜んでいるでしょう」
「宮下さん、こちらこそお礼を申し上げなければなりません。皆さんがメンテナンスをしてくれたからこそこの子……えーと」
「ふん、この二人もメンテナンスもさることながらこの俺。米国を代表するデザイナーである“スター・フィールド”が設計したDホイール“ドラグーン”だ、このくらいできて当然だ!」
「ドラグーン?」
スター・フィールドと名乗ったアメリカ人が遊希の乗ったDホイールの設計者を自称する。自分の口では米国を代表するデザイナー、と大言壮語するものの実際のところはまだまだ駆け出しの若手デザイナーに過ぎないのだが。それでもその尊大さに見合った才能はあるようであり、実際遊希は彼が設計したこのDホイールに乗ってみてとても気持ちよく走ることができたのは言うまでもない。
「ドラグーン、とは龍騎兵。すなわり銃火器を持って戦場を駆ける騎士のことを指す。最も俺の言うドラグーンとはその意味ではない」
「じゃあどういう意味だってんだよ」
「お前にはわからぬのか!? 彼女がそのDホイールを駆って走る様、まさに竜を駆る姫と呼ぶに相応しいではないか!! 馬ではなく竜を駆る。故にドラグーンと名付けたのだ!」
そんな大声で恥ずかしいこと言わないで、と思いつつも遊希はこのDホイールをドラグーンと名付けることにした。遊希の命運を分けるライディングデュエルのその時は刻一刻と迫ってきていた。