意を決して皐月が向かったのはイベント運営の本部だった。本部のドアの前に立った皐月は自分を落ち着かせるために数回深呼吸をする。
竜司とは普段鈴を通してよく会っているため、決して知らない仲ではないのだが、それも古い付き合いである遊希や娘である鈴のような深い関係にある親友を通してのものであり、自分一人で対峙する、というのは初めてのことだった。
よし、と決意を新たに皐月はドアをノックする。中からは竜司の声で「どうぞ」と返ってきたため、一拍置いて「失礼します」と運営本部に足を踏み入れた。
「おや、織原くん? どうしたんだい?」
竜司は机に座ってコーヒーを片手に資料とにらめっこしている最中だった。そこには開会式の時に挨拶をしたベアトリスら他の協賛者もいたため、皐月の背中には緊張で嫌な汗が流れる。
「校長先生、お願いしたいことがあるんです」
「お願いしたいこと?」
そう切り出した皐月は今回事前にアカデミアの学生たちに配られたイベント用のパンフレットを取り出すと、そこに書いてある規則のページを開いて見せた。
「ここにある“アカデミアの学生一人に原則一人の参加者がついてデュエルを学ぶ”というところなのですが……」
「ああ。ここは書いてある通りだね」
このルールを定めたのは竜司たち教師陣である。いくらアカデミアの学生と言えども所詮は10代の高校生であり、教員たちのように指導に必要な技術や知識を十分に学んでいない。
そんな状態で一人に何人もの参加者がついてしまえば、ろくに指導できずに参加者同士に格差が生まれてしまう。また、指導する学生側にも負担となってしまうケースも考えられる。これらのリスクを踏まえた上で竜司たちはこのルールを制定したのだ。
「実は……」
皐月はこれまでの経緯を竜司に包み隠さず話した。内気で中々指導してくれる学生を見つけられない橙季のこと、橙季を皐月に紹介した愛美のこと、愛美と橙季のデュエルのこと、そして皐月が愛美と橙季の二人の面倒を”自分一人で見たい”ということを。
「そうか、確かにみんながみんな自分でパートナーを見つけられるとは限らないからね。誰か一人が浮いてしまうという事態も十分に起こり得ることだ。そこは我々の見通しが甘かったと言わざるを得ないね」
「それでは……」
ほっ、と安堵の表情を見せかけた皐月に竜司はあくまで真剣な顔で返す。この時は娘に甘い父親ではなく、いち教育者としての顔を見せていた。
「しかし、問題は君だよ織原くん。君が一人で二人の中学生を見るとなると君にかかる負担は大きくなってしまうのではないだろうか?」
「それは認めます。正直私も中々パートナーを見つけられずにいましたから。でも、ここで彼女たちどちらか一人を切ることになってしまえば……私が一番後悔するんです」
「お願いします!」という言葉と共に竜司に対して皐月は何と彼に対して深々と頭を下げたのだ。それを見ていたヴェートら他の運営関係者らは皆一様に驚いた様子を見せる。
今日出会ったばかりの赤の他人である愛美と橙季のためにここまでできるものなのか。それだけこの織原 皐月という少女は強い覚悟をもって臨んでいるということなのか。そんな彼女の様を見たヴェートの中にはとある感情が浮かぶ。
(日本人は礼を重んじると聞きましたが……このイベントはそれだけの物なのでしょうか)
頭を下げたままその場を動かない皐月に対して、やれやれといった様子の竜司は頭を上げるように促す。
「……わかった。その子たち二人は織原くん、君に任せるよ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。第一に“原則”だからね。例外もある。それに、君には鈴をはじめ頼れる仲間がいるだろう? 彼女たちは皆君のことを大事に想っている。辛い時や厳しい時は彼女たちに助けを求めていいんだからね?」
「はい……」
「ほら、その報告を今にも待っている子たちもそこにいるし」
そう言われて振り返った皐月が見たものは入口のドアの隙間からこっそりとこちらを覗いている愛美と橙季の姿だった。バレてない、と思っていたのかドアを開けすぎたのが運の尽き。皐月が振り返った瞬間に足をもつれさせて転んでしまった。
「あ、あなたたち……もしかしてずっと見てたんですか?」
「ごめんなさい、ボクたちどうしても気になっちゃって」
「でも……全部見てました。私たちのためにそこまでしてくれるなんて……私、嬉しいです……」
「もう、待ってて下さいって言ったのに……恥ずかしいじゃないですか! でも、良かったです」
皐月が手を差し伸べ、愛美と橙季がゆっくりと立ち上がる。そして満面の笑みを見せた二人は皐月の前にきちんと並んで整列する。
「じゃあ改めて自己紹介しますね。ボクは藍沢 愛美です! これで正式にパートナーですね!」
「わ、私は二宮 橙季です……サイバース族が好きな変わり者ですけど……宜しくお願いします!」
「お二人とも、ご丁寧にありがとうございます。私は織原 皐月と申します。これから3日間、一緒に頑張りましょう!」
*
(最初出会った時は少々不安だったが……彼女も変わったものだ)
竜司は春先のことを思い返していた。鈴が入学早々に親友となった千春と皐月のことを竜司に紹介したのである。遊希に関しては鈴と同じくらい竜司と過ごしているため問題ないものの、他の二人はやはり日本を代表するプロデュエリストだった竜司を前にして緊張の色を隠せないようだった。
それでも千春はあの明るさがあるため、緊張しながらもすぐに竜司と打ち解けることはできた。しかし、皐月は千春とは性格が180度異なるため、最初は竜司の目を見て話すことすらできなかった。今でこそだいぶ慣れたとはいえ、少なからず対人能力に劣る点があるところは否めない。しかし、そんな彼女が意を決して竜司に自分の意志を訴えかけたのだ。
(織原くんのあの時の目からは強い決意が感じられた。こうやって生徒の成長を肌で感じられるとは、教育者冥利に尽きるというものだ)
竜司が安心したような笑みを見せると、後ろの方で何やら言い争うような声が聞こえた。竜司が振り返るとヴェートと彼女の両親が何やら言い争いをしているようだった。
「……何かあったのですか?」
「ああ、星乃さん。星乃さんからもこの子に言ってあげてください」
ヴェートの母が困った様子を見せる。その原因は先ほどの皐月であったのだ。
「私もこのイベントに参加したいんです! 今からでは遅いでしょうか?」
「い、今からですか?」
「はい、突然このようなことを申し出ることが非常識であることは理解しています。ですが、私も未熟ながらひとりのデュエリストです。異国のこの地で、フランスにはないこの環境で自分をより高めたいんです!」
そう訴えかけるヴェートの目は真剣そのものだった。彼女は本来ゲストであり、参加者ではない。それでもデッキもデュエルディスクもフランスからしっかりと持参している以上、彼女もデュエリストである。同じデュエリストとして、竜司は彼女の向上心に水を差す真似はできなかった。
「私は別に構いませんが……」
「ほら! いいでしょう、お母さま!」
「ですが……」
それでもなお渋るヴェートの母。中々結論が出ないとき、助け船を出したのはヴェートの父であった。
「わかった、ヴェート。お前はお前のやりたいようにしなさい」
「あなた!」
「“可愛い子には旅をさせよ”って言葉もあるだろう? このイベントで君が人として、デュエリストとして成長してくれることを願っているよ。ヴェート?」
「お父さま……!」
「ただし!」
「ただし?」
「怪我だけはしないように。あと他の人のことを考えて行動するんだぞ。それからそれから……」
国籍に関係なく、父親は娘に甘いんだな、と自分を見つめなおす竜司であった。
*
「ついに私のデュエリストとしての道が拓かれるのですね!」
特別に参加者として名乗り出たヴェート。しかし、彼女の服装は朝あいさつした時のものとは大きく変わっていた。
朝の時点ではまさに高家の娘、お嬢様といった様子のヴェートであったが、今の彼女は地方の農場で野良仕事をする農家の娘という出で立ちだった。フランスを代表する大農場・大牧場の娘であるヴェートは何よりも自然と共に生きてきた少女である。自分の立場上、立派な身なりをしなければならない、というのは理解しているが、やはり彼女は土を弄ったり花の手入れをする時に着るこの白のツナギが一番落ち着くのである。
「さて、まずはパートナーを見つけましょう」
そう言って意気込むヴェートであるが、時すでに遅し。もうほとんどの学生と参加者がパートナーを組み、彼女が組める相手はほとんど残っていなかったのである。そう上手くいくことばかりではない、とヴェートは肩を落としながら、周囲の自然を散策する。嫌なことがあった時は自然に触れて慰める。それが彼女の気分転換の方法なのだ。事前に用意していたガイドブックによると、この湖の周辺には日本原産の貴重な花が群生している箇所があるという。
「あら?」
しかし、そんな誰も知らなそうなスポットには先客がいた。しゃがんで花を眺めている銀髪の少女。花の美しさに見とれているのか、少女の銀髪がゆらゆらと揺れるばかりでヴェートには気づいていないようだった。
「……綺麗な花だ。花はいい……」
―――ちょっと、エヴァ。あんたいつまでそうしてるつもり? もうすぐお昼よ?
「だってみんな私と組んでくれないのだぞ? 何故だ、私のどこがいけなかったんだ?」
遊希と同じ悩みをエヴァも抱えていた。彼女も遊希同様プロの世界で勇名を馳せたデュエリストであるが、既にプロを辞めている遊希とは違って学業に専念しているとはいえ、彼女はまだ現役のプロデュエリストなのだ。
現役のプロデュエリストと組むというハードルは参加者の中ではとても高く、握手やサイン攻めには遭うものの、パートナーを組むまでには至らない。そんな有様だったのだ。
「ああ花よ花よ、どうしてお前は花なのだ?」
―――ダメだこの子……早くなんとかしないと……
「お花が好きなんですか?」
「ああ、そうなんだ……ってうわっ!?」
花をぼーっと眺めていたエヴァは後ろから声をかけられたことに驚いて飛び上がる。振り返るとそこには自分と同じ異国の人間が不思議そうな顔をして立っていた。
「お前は……何処かで見たような」
―――この子あの子よ。朝挨拶してた女の子! いやー、服変わると全然印象違うね!
スカーライトに言われてエヴァはヴェートのことを思い出した。開会式の時、エヴァは次々と登壇する偉い人たちの挨拶に退屈して今日がどんな日になるか楽しみで仕方がなく、開会式の時は上の空であった。
「思い出したぞ! 今回のイベントの協賛者の……」
「はい。ヴェート・オルレアンと申します。そういうあなたはエヴァ・ジムリアさんですね? プロデュエリストとしての日々の活躍、フランスでも大いに讃えられてますよ」
「……改めて言われるとこそばゆいな。ところでそのヴェートがどうしてこんなところに? 後何故よりによってそんな野良仕事のような服装を?」
そう言ってヴェートの服装を指さすエヴァ。ヴェートは嬉しそうに腕を広げてくるりと一回転する。身長が高く、ファッションモデルとしても通用するレベルの美少女である彼女ならどんな服もそれなりに着こなせてしまうのだ。
「この服の方が落ち着くんです。実は私、星乃 竜司さんから許可を貰ってこのイベントに途中から参加することになったのですが……生憎組んでくれる相手が見つからなくて……」
「奇遇だな、私もだ。プロデュエリストだからって敬遠されてしまって……独りぼっちは寂しいもんな」
「そ、それでしたら私と組んで頂きませんか? 同じ外国人同士ですし、それに日本には“残り物には福がある”という言葉もあるようですよ」
「残り物……そんなあまり良い響きではないな」
エヴァとヴェート。ここに超局地的ではあるが、歴史上に前例の少ない露仏同盟が成立した。
「ただ組むのはいいですが、少し知っておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「ここに来るということはお前もデュエリストだろう? それならデュエリストの一番の武器であるデッキ……それを知らないと教えようがない。なのでここでデュエルをしないか?」
「わ、私がですか? 構いませんが……実を言うとそんなにデュエルには自信がないんです……」
「このイベントはそんな人のために開かれたものだ。だから気にしないでいい。その代わり私も全力で行くがな?」
「えっ」
「アカデミアの生徒たるもの、デュエルにおいて手を抜くのは失礼にあたる。だから私も全力を出す。お前も今持てる全てを出して向かってこい!」