弦巻こころという少女は、突拍子もない行動に定評があるといっていいだろう。
なにしろ、普段から考えていることが「楽しいことを探す」という。まぁ、なんだ、ちょっと能天気が過ぎるような性格の子だ。そこが彼女の魅力でもあるわけだけど、普通に付き合う分には不都合な場合もある。
初対面だった私に興味を持ったばかりに、その日の全ての時間を私と過ごしてしまうほどだ。好奇心の高さだけでいえば、彼女ほどの人材はそうそういないだろう。っていうか、いたら困る。
想像してほしい、あの子が二人に増えたようなものだ。確実に収拾がつかないってレベルの話じゃなくなる。
…………こころが二人、か。いや、別にだからなんだって話だけど。もしもそんな事になってしまえば、毎日が騒がしくて仕方がないんだろうな。勝手にどこかに居なくならないように、片手ずつ手を繋いでおかないといけないだろうから。はたして、私の体がもつだろうか…………。
まぁ、そんな現実的じゃない事を考えても意味がないか。
話が逸れた。
なにが言いたいかというと、彼女は目を離したらすぐに姿を消してしまうということだ。
だって、この世界に存在する全てのことが、彼女にとっては興味の対象なのだから。それは道端に咲いている花でもいいし、川を優雅に泳ぐ魚でもいい。いっそ、そこら辺を普通に歩いているだけの通行人でも構わない。
常人とはかけ離れた彼女の感性が、少しでも「面白そう」だと思ってしまえば、それが一般人には理解できないことであっても、彼女にとっては大切なものとなってしまう。彼女の、瞳の中に輝く星になってしまう。
私も、
ともかく、そんな彼女を連れて目的地までいくのは、それはもう神経と体力を使う。
走り出そうとする彼女を抑えて、好奇心のままに関わろうとする彼女を宥めて、本来の目的を思い出してもらう。
彼女にとっては全てが特別なことだから、その中での優先順位はないに等しい。だって、なにを選んでも彼女に損はないのだから。
だからこそ、私が彼女に真剣に向き合って話をすれば、彼女は私の話をちゃんと聞いてくれる。興味に、好奇心に、しっかりと順序をつけてくれる…………私を、優先してくれる。
きっと弦巻こころのことを理解していない人は、彼女を「自由の人」で「人の話を聞かない人」だと思っていることだろう。無理もない。でも…………前者は合っているけれど、後者は違うのだ。
彼女はしっかりと話を聞いて、その上で判断してくれる。こんな私の拙い言葉でも耳を傾けて、彼女の大切な時間を預けてくれる。
彼女が人の話を聞かないというのは、ある意味では正確だけど、それ以上に間違った認識なのだ。
ただ、普通の人よりも自分の感情に正直なだけ。
彼女が人の言葉に耳を傾けていないのではなく、人が彼女の心に真剣に向き合っていないだけなのだ。
バカバカしいだとか、常識的に考えてだとか。そういった「空気を読む」という行動を、彼女はしない。
だって、そんなものは全然「楽しいこと」ではないのだ。彼女は純粋で、そして正直だから。なによりも「楽しいこと」を素直に求め続けている。
たしかに社会一般の常識でいえば、それは欠点だと思う。人に合わせて、妥協して、自分を抑えてこそ、人は社会に適合できるのだから。その他大勢の一つに、収まることができるのだから。
だが、しかし。
人によって、彼女への評価は変わるだろう。自分勝手だと批判する人もいれば、人の迷惑を考えろと思う人だっている。それは、悲しいことだけど。
だけど私は、彼女のその精神を、在り方を、美徳だと感じている。
だって、それだけの場所に立っているのに、彼女は人を傷つけることも、悲しませるようなこともしないのだ。自分が楽しければいい、ではなく、みんなも楽しく過ごしてほしいと。心の底から、そう思っている。それは間違いなく、彼女の善性からくるものだ。
だったら、あとは彼女の好きなことをさせてやればいいじゃないか。
それを理解できていない人が彼女の行動を止めようとしても、きっと上手くいかない。自分たちの中にある常識を押し付けて、彼女をただの人間の枠に当てはめようとするなんて、それは無茶というものだ。
だからきっと、弦巻こころと上手く付き合っていくためには、コツがいるんだ。
なにも、彼女の感性を受け入れろというわけではない。そんな強制を、彼女自身が求めていない。
だから、もっと簡単なことだ。
彼女と正面から向き合って、彼女の心と会話する。自分はこうしたいんだと、彼女に正直に伝える。そうすれば、彼女はきっと話を聞いてくれる。
「自分が楽しい」ではなく「みんなが楽しい」を優先して、どんな些細なことでも「楽しいこと」に変えてしまう彼女のことだから。そうすればきっと、彼女は一緒に行動してくれる。
だって私はそんな彼女だからこそ…………友達になりたいと、そう思ったのだから。
☆ ☆ ☆
仕方がない、仕方がないことなんだ。
だって、こうしないと逸れてしまうだろうから。多分、ではなく、ほぼ間違いなく。
弦巻こころを連れて歩くというのは、こんなにも神経を使うことなのだ。頭の中が彼女のことでいっぱいになって、他のことが考えられなくなってしまうほど。
というか、今から私の家に連れて行くって事でいいんだよね。本当にいいんだよね、私の家に連れ込んでも。
遠くから見守る黒い服の人達は何も言ってくれない。いや、当たり前か。彼女たちは弦巻こころに危害が加わらなければ良いのだから。ましてや、彼女自身が望んでいる事を拒む理由なんてないんだろうし。
いや、違うんだよ。言い訳ばかりの人生だけど、こればっかりは仕方がなかったんだって。
久しぶりに出会った彼女は、半年前と比べて明らかに身長が伸びていた。いや、これは本当に驚いた。
多分、10センチくらいは伸びているんじゃないかな。私も多少は成長したけど、頭一つ分くらいあったはずの身長差は縮まり、今では彼女とは5センチほどの違いしかない。
最近の子供とは、こんなにも発育がよろしいものなのだろうか。いや、でも、よく考えたらクラスに一人くらいはいるよね。やけに身長の伸びが良くて、男子どもにからかわれるタイプの子。そのくせして、後になってその子に女を意識してしまうんだから、男ってほんと…………なんだ、単純な生き物だよね。
今の私が、とやかく言えた事じゃないのかもしれないけど。
だって、ほら、身長が伸びたってことは…………ね? 他の部分も結構育っているってことで。
…………もともと大きかったのに、いま腕に感じているモノはそれ以上である事がよく分かってしまって。うん、いや、仕方がないんだって。
今回ばかりは、私は悪くないと思う。
だってほら、ちゃんと繋いでおかないと離れちゃうかもしれないじゃん。だから私は提案したんだ。「手を繋いで歩かない?」って、そしたら、だって、あの子の方から、くっついてきたんだもん。
私の片腕に、弦巻こころが抱きついている。柔らかくて、温かくて、そして子供のように綺麗な肌の、彼女の腕が、体が、私の腕に絡みついて、私は、自分が嫌になるくらい緊張してしまっていて。
私が知らないだけで、これは当たり前のことなのだろうか。世の中では友達同士で腕を組んで、まるで恋人のように抱きついて、人通りの多い往来を歩くのは、当たり前のことなのか。私が変に意識しすぎなのか、それとも、弦巻こころの愛情表現が過剰なのか。
いや、愛情表現だなんて、そんな、深い意味で言ったわけではなくて、えっと、その。
なんで私は、こんなにも平常心を掻き乱されているんだ。思春期か、と。自分で自分に怒鳴りつけたくなる。まぁ、年齢的にも思春期だけど。
平静を装って、彼女の方をチラりと眺める。
今日の彼女の格好は、それはもう可愛らしいものだった。服を選んでいるのも、あの黒い服の人達なのだろうか。だとしたら、そのセンスの良さを褒めておきたい。
ボーダー柄のシャツと、サスペンダー付きジーンズ柄のロングパンツ。子供らしさと可愛らしさを両立させた、彼女によくにあうコーディネートだ。
ただ、肌寒い今の季節には少し薄着過ぎるかもしれない。そこは、私がなんとかするから問題ないけど。
彼女は私の腕に両腕を絡ませながら、心底楽しそうに周囲を見回している。きっと、また例の「楽しいこと探し」をしているのだろう。毎日暮らしている街だろうに、どうしてそこまで楽しそうにできるのだろうか。
ちゃんと手綱を握っていないと、何処に行ってしまうか分かったものじゃない。
そんなことを考えていたからだろうか。いつのまにか、少し横目に見るだけのつもりだったのに、ついつい彼女の顔を見つめてしまっていた。
こんなに近い距離から見つめていたわけだから、そりゃ、相手にも気づかれるわけで。
私の方へ顔を向けた弦巻こころが、少しだけ不思議そうな顔をした後、ひまわりが咲くような笑顔を浮かべる。
この笑顔がどうしようもないほど…………私の視線を、引きつけるんだ。
「引っ越しっていいわね。あたしのじゃなくて、美咲のだけれど。それでもあたし、こんなにワクワクしているんだもの!」
そんな笑顔で、そんなことを言ってしまえる君だから。
だから私は、勘違いしてしまいそうになる。私は彼女の本当の意味での特別であるんだと。それが、私の希望を多分に含んだ願望であると分かっていながらも。どうしても、錯覚してしまう。
恥ずかしくて、帽子のつばを下げた。何も言わずに視線を前へと向けて、彼女の瞳から目をそらす。
そうしないと、なにも考えられなくなりそうだから。
「あら、どうして顔を隠してしまうの? せっかく綺麗な瞳をしているのに」
あっけらかんと。私の気持ちも知らないで、彼女は平然とそんなことを宣った。いや、ほんと、勘弁してください。
心臓がもたない。
☆ ☆ ☆
思っていたよりは早く、そしてやっぱり言うべきか、予定よりも遅く、私の新居へと到着した。
弦巻こころは今日も好奇心旺盛だったけど、一番興味を持ってくれていたのは私だったみたいで。それなりに時間を潰してしまったけど、それでも素直についてきてくれた。
いつもこうだったら、苦労はしないんだろうけど。
まぁ、流石にそれは高望みをしすぎというものだろう。今日という日が特別なのだ、私と彼女の再会は、彼女にとっても特別な一日でいてくれた。
それだけで、こんなにも満たされているというのに。もしも、こんな日が毎日続いてしまえば…………私はもう、彼女から離れられなくなってしまうだろう。
もう、手遅れだけど。
私は花咲川女子学園と駅の中間ほどの場所に、アパートを借りた。駅に近い物件は高くて手を伸ばしづらかったし、学校に近過ぎるのも怠惰に向かってしまって良くないと思ったから。
かといって、通学にそこまで時間を割くのもどうなのか。そう考えた結果、このちょうどいい距離感に落ち着いた。
この場所ならそれほど家賃も高すぎない。
風呂とトイレは別、ベランダ付きの3LDKだ。
まぁ、それでも一介の女子高生には過ぎたものかもしれないけれど。
特待生制度での入学だから学費は免除されるし、バイトもする予定だから問題はない。なにより、過保護な祖母が家具や生活に必要なものを揃えてくれているし、ある程度なら援助してくれるそうだ。でも、まぁ、なるべく自分のことは自分で面倒を見るつもりだし、余程のことがない限りは
「美咲、入らないの?」
ドアの前で立っていることを不思議に思ったのか、弦巻こころがそう尋ねてきた。
私は少しだけ、焦っていた。あー、そりゃ、そうか。そうだった。
透視で確認した私の家の中は、未開封のダンボールでいっぱいだった。うん、そりゃ、今日が入居日だもんね。
私が
そう思って、すぐに考え直した。いいことを、思いついた。これならばきっと、彼女は喜んでくれる。
鍵を取り出して、ドアを開く。
「ようこそ、私の家へ。歓迎するよ、こころ」
☆ ☆ ☆
弦巻こころは瞳を輝かせて、その光景を見つめていた。
彼女の目の前で、沢山のものが移動を始めている。
それは一人では持てないような大きさの家具であったり、あるいはただの食器であったり、本当に、色々なものだ。
普通の人がその光景を見たら、間違いなくこう言うことだろう。
遠視、透視、
ダンボールの中身を確認し、ダンボールだけ取り外し、種類ごとに纏め、念動力で配置する。
半年前の私には出来ない芸当だ。
弦巻こころと出会い、自分の力に向き合い、前向きに生きることを考えなかった私には、出来ないことだ。訓練して、出来るようになったことだ。
それがこうして、彼女の役に立っている。
彼女の「未知」を開拓し、彼女の「興味」を引き、彼女を「楽しませて」いる。
私の超能力が、彼女を喜ばせている。
ああ、なんて心地よいことだろうか。
不可思議な光景を目の前にして純粋に喜べる彼女の姿に、どれだけ癒されることだろうか。
手品師は、自分の手品にリアクションを返してくれる客を好むという。自分のしてきた努力が、人を喜ばせることに繋がっているという実感を得られるからだろう。
今の私には、よくわかる。嬉しくて嬉しくて、仕方がない。
私の力は、人を笑顔にできるんだ!!
自然と頬が緩む。彼女につられて、私も笑顔になってしまう。どうですか、こころさん。あなたが私にくれたものは、あなたが私にくれた勇気は、あなたを笑顔にできるんですよ。
だからこれからも、私と一緒に────。
弦巻こころが飛び跳ね、正面を見ながら私に言う。
「凄いわ美咲! あたし、知らなかった! 引っ越しってこんなに凄いのね! 引っ越し、あたしもやってみたいわ!!」
…………あっ、すみません、黒服の人たち。
私、ちょっと余計なこと教えちゃったかもしれないです。
ここだけの話なんですけど、「ハロー、ハッピーワールド」編は奥沢美咲の楽しくも忙しい新生活という意味を込めた、いわゆるダブルミーニングです。しばらくは平穏な生活を楽しんでください!