あまりにも、それが当たり前のようだったから。だから、気がつくことが出来なかった。
あの子が、弦巻こころが側にいる生活が。どれだけ私の心を癒し、支えていたのかを。
だって、ほら。
たった一言を口にするだけなのに、こんなにも心が痛い。私の言葉を聞いたあの子がどんな表情をするのか、そればかり考えてしまう。
悲しむのだろうか。それとも、自然体のままでどこかにいってしまうのだろうか。
私には彼女の存在が必要不可欠だけれど、彼女には私が本当に必要なのだろうか。分からない。分からないことが、恐ろしい。
悲しませたくないと思う自分がいて、悲しんでほしいと願う自分がいる。
いつもように笑顔で過ごしてほしいと願う自分がいて、私がいなくても笑っていられる彼女を見たくない自分がいる。
なんて、様だろうか。
これから私は毎日、こんな矛盾に苛まれながら、日々を過ごさねばならないのだろうか。
ああ、自分で自分が分からない。
でも、それは悪いことではないはずなのだ。彼女に依存しつつある、というよりも、依存から抜け出せなくなりつつある。私の惰弱な精神を叩き直すには、絶好の機会に違いない。
患部に巻いた包帯を外さなければ、怪我が治っているのかどうかは分からない。化膿しているかもしれないし、しっかり治癒しているのかもしれない。
それを剥がすときに発生する痛みは、一過性のものに過ぎないのだから。
私は自分の意思で外さなければならない。
私の心の傷に巻きつけられた、弦巻こころという金色の包帯を。
案外、痛くない可能性だってある。私の心は至って正常で、布を引っ張っても血と肉は巻き込まれずに、綺麗な表面が姿を現わすかもしれないじゃないか。
彼女なしでも、普通の人間のように。人らしい営みを、人らしく。
…………内心、そんなことはありえないと理解していながらも。
それでも私は祈らずにはいられない。
弦巻こころという存在を、無理やり引き剥がした後の私の心が。
醜い独占欲と、くだらない自尊心と、獣の本能と、異常なまでの執着で。グズグズに腐りきった、見るに堪えないものではないことを。
☆ ☆ ☆
「そう、残念ね」
私が想像していたように、そして予想していた以上に。弦巻こころが見せた表情と、吐き出された言葉は落胆の感情に溢れていた。
その落胆というものが───私そのものに向けられた感情ではないと知っていても、私は恐怖で肩を震わせてしまう。だって、もしも彼女の機嫌を損ねてしまったら。彼女が私に飽きてしまったら、興味を失ってしまったら。
ありえないと分かっているはずなのに。そんな事ばかり考えてしまう私は、きっと自意識が発達し過ぎているのだろう。
本当なら、申し訳なく思うべきなのだ。
もっと早く言うはずだったのに。私が臆病で、変に怯えてばかりだったから。結局、彼女に何も伝えないまま放課後になってしまったのではないか。
今日も彼女は、私と一緒に遊ぶことを考えていたのだろう。授業を受けている間も、昼ごはんを食べている間も、食後の眠気でうとうとしている間も。きっと、楽しいことだけを考えていたのだろう。
それを私が、目の前で取り上げたのだ。
私が臆病だったから。
自分のことしか考えられなくて、自分が嫌われる事ばかり想像してしまったから。
もっと早く伝えていれば、ここまで悲しませることはなかったんじゃないだろうか。いや、そうに違いない。
たった一言、本当に短い言葉だったというのに。
「今日はアルバイトの研修があるから、放課後は遊べない」
たった、それだけ。
だけど、その言葉を口にするためには、沢山の勇気が必要だったのだ。それこそ、彼女の目を見て話すよりもずっと、多くの勇気が。
でも、彼女が見せた悲しみの感情は。私が瞬きをしている間には、もう消えて無くなっていて。本当、なんでこんなことで悩んでいたんだって思えるくらいには。次に彼女が浮かべた表情は、それはもう、いつも通りの笑顔そのもので。
それが私には、「あなたがいなくても大丈夫」だと言われているような気がして。なんだか、少し寂しくて。そんな事はないのだろうけど、それでも苦しかった。
そして…………こんな時でも自分のことばかり考えている自分自身に、吐き気が止まらない。
俯きそうになる顔を必死に上へと持ち上げ、彼女の顔を見る。
人形のように綺麗な顔に取り付けられた、小さな唇が空気を震わせるのを、黙って見つめていた。
「それじゃあ美咲、また明日。アルバイト…………頑張って!」
「あ、うん。また明日」
あまりにも、あっけない一言だった。
呆けたような声で、言葉を返す。
きっとそれを他人が見れば、これ以上ないほど落ち込んでいるように感じられるのだろう。まぁ、実際その通りなのだからどう思われても文句は言えない。
ジワリと、目尻に涙が浮かび上がりそうになって。慌てて抑える。
彼女の前では笑顔でいると約束したはずなのに、たった一日。いや、その半分もない程度の時間離れてしまうだけで、こんなにもあっけなく心が折れてしまいそうになる。
でも、仕方ないじゃないか。
弦巻こころが、私の知らない場所で、私の知らない人と一緒に、私の知らない笑顔を浮かべている。
それは…………言葉で表すことが出来ないほどの、絶望感。
半年近く、離れていたのに。我慢できて、いたはずなのに。
たった数週間一緒に過ごしただけで、たった一日がこんなにも我慢ならない。それはきっと、私が弱くなってしまったことの証明だった。
だから────────。
「美咲、私の目を見て」
もう、とっくに居なくなってるものだと思っていたから。
私に背を向けて、いつものように無邪気に駆け出しているものだと、思っていたから。咄嗟に反応することすら、出来なかった。避けようという気持ちは、元からなかったけど。
彼女は力の入っていない私の腕をとって何度か振ると、私の背中へと手を回して、軽く抱きしめた。
なんの匂いだか分からない、それでも上品であることは分かる。そんな香りが仄かに鼻孔をつき、私の心を落ち着かせる。
どれだけの間、そうしていただろうか。
弦巻こころはそっと私の背中から手を離すと、私の瞳を覗き込んでくる。目をそらす事は、出来なかった。
「あたし、少しだけ超能力が使えるようになったかもしれないわ。だって、美咲の目を見ただけで…………あなたが寂しそうにしているのが、よく分かったもの」
「…………」
「あなたって本当、びっくりするくらい心配症なのね。そんな顔をしなくても、あたしは居なくなったりしないのに」
「そんなに、分かりやすい?」
「まるで迷子みたいだったわ」
不思議な感情だ。心の中を見抜かれて、普通なら恥ずかしいと思うはずなのに。なぜか私は、とても嬉しく感じてしまっている。
胸の中から温かい感情が溢れて止まらない。私を分かってくれる人がいるという事実が、私を分かろうとしてくれる人がいる現実が、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
もう、ダメだ。我慢できない。
「
感情が求めるままに、目の前の小さい体を抱きしめた。強くて、貪るような、相手のことを考えていない、そんな抱擁。
きっと痛いはずなのに。彼女はそれでも、笑顔で私を受け止めてくれた。私は、わたしは、彼女の、大切な人の、その姿が、表情が、たまらなく愛おしくて。
その小さな唇へと、私は自分の唇を押し当てた。
☆ ☆ ☆
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☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
と、いう夢を見た。
「…………ぇ、ぁ?」
周囲を見渡せば、そこはいつも通りの私の部屋のベッドの上。私はパジャマを着ていて、掛け布団はベッドから半分ずり落ちている。
「ぁー…………は?」
少しずつ意識が現実へとシフトし、自分が今まで目にしていたものが、私の脳が見せた映像である事を理解する。
両手を顔に当て、天井を仰ぐ。羞恥とか、なんか、もう、ほんとダメ、無理、なに、この、いや、だって、流石にそれは、嘘でしょ、私って、私って、おい、ちょま、ちょっとまって、ちょっと。
しばらく、心の中を整理したあと。
一拍おいて────。
私は夢の中の私へと、思いっきり叫んだ。
「あんたなんか、私じゃない!!」
いや、違うんだ。本当、まってほしい、信じられない、あんな、あんな夢を見るなんて。
たしかに、たしかに不安に思っていたのは事実だ。夢の中の私が抱いていたような、なんというか、彼女の関心を失ってしまうかもしれない、という恐怖は、たしかに存在していた。ただし今となっては、寝る前は、という冠詞が付くに違いないけど。
いや、あんなものを見てしまったらもう、緊張とかそれどころじゃないでしょ。
夢の中でも、弦巻こころは弦巻こころだった。あの子はいつだって、私がしてほしいことをしてくれて、私がほしい言葉を投げかけてくれる。
いや、でも、それで感極まったからって流石に…………き、き、キス…………なんて。
いや、いやいや、いやいやいや。
体が熱を持ったかのように赤く染まり、小刻みに震える。
両手で顔を隠したまま、今度は俯いて体を前へと倒す。口が開き、自然と言い訳がこぼれ落ちる。
「ちがうんだよぉ…………」
ただの、夢。そう思えたらどれだけ良かっただろうか。思春期特有の、ちょっと若さが暴走した結果の、一夜の過ちだと認められれば、どれだけ良かっただろうか。
あれはただの夢で、実際の私はそんな事をしないと言い切れたら、どれだけ心が楽になる事だろう。
私がこれだけ動揺しているのには…………もちろん、夢の内容が刺激的だった事もあるけれど、他にも理由がある。
私は普通の人間ではない。そう、超能力者だ。いや、これほど自分が超能力者である事実を恨んだことはないけれど。両親の不貞を知った時よりもはるかに今の方が、この人ならざる力を恨んでいる自信がある。
私は超能力者だ。超能力者、奥沢美咲だ。
そして私は、創作物に登場する超能力の殆どを使用することができる。いわば反則級の存在だ。
だとすれば、その私が見る夢とは。
もちろん、ただの夢などではない。
自分でも発動条件がわからなくて、それ故に意図的に使えない。そんな能力がある。
察しのいい人なら、もう分かっているかもしれない。私の見た夢は、私が、見てしまった夢とは…………すなわち、超能力の一つであって…………あぁ、認めたくない。でも、認めざるをえない。
あれは、あの夢は、
それを初めて見た時、自然と「そういうものなんだ」と理解した。超能力に目覚めて以来、私が見る夢は「その日のうちに遭遇する未来」になった。いや、少しだけ違うかもしれない。正しくいえば、「予知夢を見なかった場合に遭遇するはずだった未来」だ。
予知夢を使えるようになった私は、ほとんど夢を見ないようになっていた。仮に、毎晩夢を見るようになっていたら、毎日が既視感に囚われて灰色そのものだっただろう。
そのかわり、夢を見るとき。それは必ず、予知夢としての映像になってしまう。つまり、夢を見たら確定で予知夢。予知夢率100%の確定ガチャだ。
この能力は、私が使える超能力の中で最も制御が効かない力の一つだ。なにせ、私の意思に関わらず勝手に未来を見せてくるのだ。しかもその発動するタイミングは不定期で、更には自分の意思で使うことが出来ないという融通の利かなさ。これほど手に余るものはないだろう。
だけど…………今回ばかりは、感謝しておきたい。ほんっとうに不本意だけど、この能力はそれなりに役に立つ。
まず、この夢で見た未来は変えることができるということ。わざわざ「予知夢を見なかった場合に遭遇するはずだった未来」と言い換えた理由がこれで、夢で見た通りの行動をしなければ、その未来は容易に崩れ去る。
逆に、それが望む未来であれば「予知夢通りの行動」をすれば確実にその未来にたどり着くことができる。なにせ、答えを見ているのだから。
つまり、未来の取捨選択ができる。あぁ、本当に助かった。私の羞恥心は大いに陵辱されてしまったけれど、その代わりに、現実での私の自尊心を守ることができる。
いや、本当に助かった。あんな人目につくところで、友達に襲いかかって唇を奪うだなんて、普通に考えてありえない。
ピンポーン、と。家のチャイムが鳴り響く。ハッと気づいて時計を見れば、既にいつもなら家を出る時間になってしまっていた。
今の私はパジャマ姿なうえに、変な夢を見たせいで変な汗をかいてしまっている。朝ごはんも食べていないし、髪のセットも歯磨きも洗顔もなんなら教科書の準備も終わっていない。いや、流石に教科書の準備は前日のうちにやっておこうよ。そんなんだから変な夢を見るんだ。
ああ、でも、その前にやる事がある。
「はーい、いま出るよ」
鍵を開けて扉を押せば、そこには先ほどまで夢で会話していた友の姿…………ああ、あああ、なんだこれ、なんだこれ! 恥ずかしい!! まともに顔を見れない!!
「おはよう美咲! 今日はまだ着替えてないのね、珍しいじゃない!」
「ああ、うん、おはよう。これには色々と訳があるんだけど、えっと、その前に一つだけいいかな?」
「…………? なにかしら?」
彼女から目をそらしつつ、その一言だけはハッキリと口にする。
「ごめん。今日はアルバイトの研修があるから、放課後は一緒に遊べないんだ」
「あら、残念ね。分かったわ! アルバイト? ってやつ、頑張って!」
すんなりと、言葉が溢れた。こんなにも簡単な事で悩んでいたのか、昨日の私。
彼女の唇を意識しないように視線をそらしながら、彼女の顔を視界に入れる。よかった、そこまで悲しくなさそうだ。
「ところでさっきから視線があっちこっちに泳いでいるけど、何かあったのかしら?」
「な、なんでもない」
少しだけ残念そうにしている自分の心に呆れながら、精一杯の力を振り絞って言葉を返した。もう、ほんと。なんで残念そうなんだよ、私ってば。
「でも、瞳が凄い勢いで揺れてるわよ? 新しい遊びか何かなの? なんだか、ちょっと楽しそうね」
「いや、ほんと、なんでもないから」
本当に、勘弁してください。
☆ ☆ ☆
あっという間に、放課後になった。
バイト先から送られてきた情報を携帯で確認しながら、急ぎ足で集合場所へと向かう。こころには、ちゃんと挨拶をしてきた。彼女は一人で街に探索に出るらしいけど、私がいなくても大丈夫だろうか…………いや、黒い服の人達がいるから大丈夫なんだろうけど。
それにしても、商店街での仕事なのに集合場所が駅前というのは、なんの意味があるのだろうか。やっぱりこの仕事、よく分からない。
時間的にはまだ余裕があるけれど、万が一にでも初日から遅れるような事があったら印象は最悪だ。少し早めにつくぐらいが、ちょうどいいだろう。でも、やっぱり良くない内容なら辞めさせてもらおう。なんか、怪しいし。
そんな事を、考えていた時だった。
────にゃー。
小さい、猫の鳴き声が聞こえたような気がして。あたりが一瞬、不自然な静寂に包まれた。携帯をいじっていた私は、足を止めることもなく前に進もうとして。
「────あれ? 美咲ちゃん? 美咲ちゃんだよね!」
後ろから投げかけられた、私の名前を呼ぶ声によって、その場に静止させられる────────聞いたことのない、声だった。
恐る恐る、振り返る。
そこにいたのは…………やっぱり、見たことのない人だった。
色素の薄い藍色の髪の毛に、長い睫毛とつり目がちな瞳。あの子のようで全く違う、煌めきと濁りの二つを宿した麦わら色の瞳。
その瞳に、私の顔が映り込んで────。
彼女の口が新月のように大きく裂けて、真っ赤な口の中を太陽の元に晒した。
弦巻こころとは違う、捕食者のような笑み。
瞳に映る色は好奇心そのものであるのに、何故だろうか、それがひどく歪に見えて仕方がない。
心を読まなくても、分かる。分かってしまう。
この人は────────。
「やっぱり美咲ちゃんだ! んーっ、久しぶり! だいたい五年ぶりかな? あたしだよ、氷川日菜! …………覚えてる?」
どこか、おかしい。