「あ、あの…………何処かで会ったこと、ありましたっけ?」
最近、他人から話しかけられる機会がそれなりに多かったことが役に立った。こうして見知らぬ少女に声をかけられても、目をそらすことなく言葉を返すことができたのだから。そう考えると、あれだけ勢いの強い同級生達に追及されたことも、無駄ではなかったんだなと思える。
だけど、流石にこの一言を口にするのには、勇気が必要だった。
自分の名前を呼んできた相手に、「あなた、誰でしたっけ」なんて。流石に…………なんだ、ちょっと失礼かなって自分で思わなくもない。
いや、だって。本当に見覚えがないのだ。この頭の中に染み込むような特徴的な声だって、一度聞いたら忘れることはできないだろう。
正直、人違いかなんかだと一番楽なんだけど。
でも、相手は私の名前を知っているのだ。人違いという可能性は、まぁ、多分、ないんだろう。
何が言いたいかというと、あれだ。すごく気まずい。
目の前の少女は私の言葉を聞くと、キョトンとした表情を浮かべる。何を言われたのか、分からないといった様子だ。いや、そんなに意外だったのか?
でも、次の瞬間には少し困ったような笑顔をしていて。それが私を、なんだか申し訳ない気持ちにさせる。
最初に感じた不気味な気配が、まるで嘘のようだった。
「え〜? 忘れちゃったの? 本当に? あんなことがあったのに? …………あっ、そうだ。これで思い出せない? ほら、ほら!」
彼女は自分の短く編まれた三つ編みを両手で隠すと、一歩距離を詰めて顔を近づけてくる。反射的に、一歩引いてしまった。見た目の印象よりも、遥かに行動的な人だ。
三つ編みを隠した彼女の顔は…………やっぱり、全くもって記憶にないものだった。困った、本当に覚えてない。私と知り合いだった時の髪型を教えてくれているのだろうか? だとしたら、流石に思い出せない私が悪いだろう。
正直に、言葉にする。
「いや、ごめんなさい…………えっと、氷川さん? でしたっけ。五年前ぶりっていうと…………もしかして、元クラスメイトだったりしますか?」
「え? 同じクラスな訳ないじゃん! それ本気で言ってる? …………美咲ちゃんって、本当に面白いよね!」
「あっ、はい…………すみません」
「えっ、どうして謝ってるの? うーん…………あたし、分からないな〜!」
────前言撤回、申し訳ないって気持ちは無くなった。
なんていうか、この人、なんかめちゃくちゃ失礼だ。多分本人に悪気がないんだろうけど…………っていうか、悪意は感じられないんだけども。それでも、言葉がナチュラルに煽りっぽいのはなんなのだろうか。本人は本気で分からないって顔をしているし、悪意がないことが逆にタチ悪いタイプだ。
なんだろう、ちょっと苦手な感じの人だ。やけに距離が近いし。
というか、少し怖い。自分は相手を知らないのに、相手に自分を知られているというのは、こんなにも居心地が悪いものなのだろうか。フレンドリーな態度にも関わらず、透き通った麦わら色の瞳が、やけに冷たく感じてしまう。
というか、少し面倒くさくなってきた。
今からアルバイトに行かなくちゃいけないって時に、見知らぬ人に知人面されても困る。せめて、元の関係を教えてくれればいいのに。私の機嫌が悪くなりつつあることにも、気づいた様子はない。
立ったまま片手に肘を乗せて、人差し指を口元に当てて考え事をしている姿は、まぁ、やけに様になっているけれど。
────彼女の指先が唇に触れているのを見て、朝の夢のことを思い出す。せっかく、忘れようとしていたのに。
赤面しそうになる顔を逸らして、明後日の方向を見る。家に帰って着替えてから研修に行けばよかった。そうすれば、帽子の鍔で目線を隠せたのに。
「え〜、でもでも、日菜ちゃんちょっとショックだな〜! あんなに『るんっ!』とくる夜だったのに…………ねぇねぇ、本当に覚えてないの? ほら、流れ星が綺麗で────」
「いま、なんて言いました?」
意識の外から聞こえてきた、思いもよらない言葉に反応して、視線を元に戻した。私が勢いよく話題に食いついたことに、驚いたのだろうか。彼女は大きな瞳を、さらに大きく広げていた。
彼女は考えるように左上へと視線を向けると、小刻みに瞳を揺らす。そして再び、視線を元の位置へと戻すと、私の瞳を覗き込んできた。
面白いものを見つけた、とでも言いたいのか。口角が上がり、目が細められる。ニヤリ、と音が聞こえてきそうなほど。それは見事なほどに、皮肉っぽい微笑みだった。
背筋に悪寒が走る。
「やっぱり覚えてるじゃん! なんで誤魔化したりするの? あの日だって急にいなくなっちゃったし…………日菜ちゃん、探したんだからね?」
彼女の目つきが、責め立てるように鋭く変わる。ツリ目がちな彼女のその瞳は、とても力強く、威嚇する猫類のように尖っていた。
でも、そんなことは関係ない。
それよりも、聞かなければいけないことがあるのだから。流星群、なんて。あの日の夜以外は、ありえない。
バクバクと煩い心臓と、はやる心を押さえつけて。なるべく冷静に、平坦な言葉で、疑問を投げつける。
「いま、流れ星って言いましたよね? それって、五年前の流星群のことですか?」
「うーん? なんでそんな事を聞くのか分からないけど、そうだよ? っていうか、そこまで分かっててどうして覚えてないフリするのかなー?」
さっきまでの怖い顔を捨てて、彼女は不思議そうに目尻を下げた。本当に、表情が豊かな人だ。もしかしたら、もう少し穏便に話し合えたかもしれない。
でも、遠慮するつもりはない。
そんな期待をおくびにも出さず、淡々と、言葉を返す。
「いや、知りませんよ。私は…………あなたとは、初めて会ったと思ってますし」
「ふーん?」
まただ。人差し指を口元に当てて、左上へと視線を向けている。私の言ったことの真偽を。あるいは、真意を。頭の中で整理しているのだろうか。分からない。
分からないけど、
「正直、さっさとここを立ち去りたいと思ってます。バイトの研修もありますから…………でも、あなたに聞きたいことができました」
「……………………」
「日菜さん、あなた…………五年前の流星群の日に、私に会ってるんですか?」
心を、覗き込む。
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「は?」
無意識のうちに、そう呟いていた。
だって、瞳を通じて覗き込んだ彼女の心の中が、あまりにも、あまりにも────。
まずい、と。そう思った時には手遅れだった。どろりと濁った瞳から溢れた雑音のような思考の数々が、私の、私の中へと、心へと滑り込み、ちっぽけな意識を蹂躙するために暴れ始めた。
【01011011111011011101011000100】【6BB7553FF0B36EFDD7E3DDE648483302】【縺医?縺ュ縺イ繧??繧??縺イ繧?◆縺ョ縲阪※縺ェ縺ョ縺ッ縺ィ縺ョ縺オ繧】【UYQ1MZ800419SXP8】【うえいいあおうえええいあいお】【ImvrZjAE】【────────】【─────】【-・・- -・ ・・ --・-・ ・・・ ・-・ ・- ・・-- ・-・・ 】
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「ぅ…………ぇ、はっ…………」
胃の中から込み上げてくるものを、口元に手を当てて必死に抑え込んだ。少しでも気を抜いてしまえば、昼ごはんどころか、内臓の全てを吐き出してしまいそうなほど。彼女の心が私に与えた影響は、大きかった。
冷や汗が止まらない。頭の中に釘を打ち込まれたかのように、鋭い痛みが走る。自然と涙が流れ、地面へとこぼれ落ちた。赤い液体。涙ではなく、私の血液。いや、違う。これは幻覚。私の脳が見せた、偽りの。
震える足では、体を支えられない。たまらずアスファルトの上に膝をつけば、その冷たさが肌を通じて伝わってくる。
呼吸がままならない。吸った空気を吐き出せない。手で胸を叩きたくなるほど、酸素が足りない。新しい空気が、ほしい。でも、手を離してしまえば、全てを吐き出してしまう。苦しい、苦しい、頭がいたい。楽になりたい。酸素が、呼吸が、私の体、どう、なって?
「ちょっと、美咲ちゃん!? 大丈夫!?」
その声で、朦朧としていた意識が一気に鮮明になった。苦しいことは変わらないけど、それよりも、離れなくては。
氷川日菜から、逃げなくては。
「近寄らないで!!」
吐き気を飲み込んで、たった一言。そう叫んだ。その言葉を切っ掛けとして、私の力が周囲へと浸透する。自然の音が、全て消え去る。
木に留まっていた鳥たちが、地面へと落ちる。動物も、植物も、風も。あらゆるものが動きを止めた。金縛りだ。
私の異常性がバレてしまうけれど、今はそんなことを気にしているほど、余裕はなかった。だって、彼女はまだ目の前にいるのだ。氷川日菜は、あの思考の怪物は、人の形をした何者かは。私の目の前に立っていて、いつでも私を…………私を、どうするつもりなのだろうか。
気を抜けば崩れ落ちそうになる体を、無理やり起こす。
立ち上がって、視線を前へと向ける。
氷川日菜が、目の前にいた。
ひゅ、と。声にならない悲鳴が、口から溢れる。彼女は、私の瞳を覗き込んでいた。それは先ほどまで見せていた、歪みを感じさせつつも感情のある、人の瞳ではなく。
瞳孔が大きく開いていて、黒目が縦に大きく割れた、まるで、肉食動物のような、そんな、力強い瞳が、私の、私の目を、心を、覗き込もうとしていて。
動けないはずなのに、動けなくしたはずなのに。そんなことは無意味だと、勝ち誇るように。彼女の腕が動いて、私の肩へと手を乗せる。
口を開いて────。
「もう、急に顔色を悪くするから心配しちゃった。あんまり、無理をするのはよくないよ?」
次の瞬間、私の体の不調が全て消え去った。
吐き気が、頭痛が、幻覚が、過呼吸が、パニック症状が。その全てが一気に霧散し、私はいたって健康な状態を取り戻していた。
あれだけ苦しかったものが、今では全く感じられない。
信じられなくて、両手で身体中を弄る。何もない。冷や汗すら、無くなっていた。
「ちゃんと自分の体は労わらなくちゃダメだよー? 立てる?」
「あ、はい。ありがとうございます」
日菜さんが差し出してくれた手を掴むと、彼女は私を引き上げてくれた。思ったよりも、力が強い。それでいて、全く痛みを感じないくらい、引っ張り方が丁寧だった。こんな華奢な腕のどこに、これだけのものを宿しているのだろうか。
ん? んん? っていうか、あれ?
「私、どうして座り込んでたんでしたっけ」
「うーん、目眩でも起こしたんじゃないかな? 急に倒れるから、日菜ちゃんビックリしちゃった! 救急車呼ぼうか?」
「いや、そこまでしなくても大丈夫です。っていうか、なんだろう、むしろ調子がいい気がします」
「そう? それならよかった…………あっ、そういえば呼び止めちゃってごめんね。バイト、あるんだったよね? 時間大丈夫?」
「あっ」
携帯の時計を確認すると、いつのまにか20分ほど時間が経ってしまっていた。危ない、研修初日から遅刻するところだった。いや、万が一遅れそうになったらテレポーテーションを使えばいい話なんだけど。あんまり日常生活では使う気になれないし、できれば自分の足で向かいたい。
「すみません、もう行かないと…………」
「じゃあさ、また今度ゆっくりお話しよーよ! あたし、オススメの場所があるんだ! 一緒にいこうね!」
「あ、えっと。じゃあ…………また後で連絡します」
「やった!
バイバーイ、と大きく手を振る日菜さんに手を振り返し、駅へと早足で向かう。
少し進んで振り返れば、日菜さんはまだ手を振り続けていた。いや、流石にさっきよりは小さく振っているんだけれど。
なんか、子供みたいな人だな。なんて、失礼かもしれないけれど、そう感じてしまう。
悪い人ではないのかもしれない。いや、初めて会った訳だから、まだ全然人となりは分からないけれど。
でも、なんとなくだけど。
少しだけ、本当に、ちょっとだけ。
SANチェック失敗→アイデア成功→不定の狂気。