いつかはこんな日がくると思っていた。
だって、そうだろう。私という前例がある以上、ありえないことじゃないんだ。でも、それはもっと先のことだって、信じたかった。
知っていたさ。弦巻こころという存在の持つ魅力に気がつく人間が、いつか私の目の前に現れるってことくらい。
それが、取るに足らない面白みのない人間ならどれだけよかっただろうか。
弦巻こころの興味を引かない、ごくごく普通の一般人だったら…………と。私はそれがあまりにも見苦しい感情だとわかっていながらも、願うことをやめられなかった。
私が本気を出して実現できないことなんて、ほとんどないといっていい。それこそ、今すぐ弦巻こころを連れて火星に飛んでいくくらいなら、想像よりも遥かに容易い事だと思う。彼女も、喜んでくれるだろう。
私は彼女を笑顔にすることができる。でも、それは…………私が超能力という特別な力を持っているからで…………言い換えてしまえば、それがない私では、きっと、不可能なことなのだろう。
よく考えてみてほしい。
人を笑顔にさせるために、はたして「超能力」なんて大それたものが、本当に必要なのだろうか。
答えは決まりきっているだろう。そんなものは「必要ない」のだ。
弦巻こころが私を笑顔にさせるために、一度でも超能力を使ったことがあっただろうか。ないだろう? 彼女はただ、私のことを想って、私に触れて、私に話しかけて、それで…………それで…………。
そう、ただそこに在るだけで────。
人間としての魅力というものは、決して能力だけに依存しない。人を笑顔にするために、人知を超えた力なんて必要ない。
だから、私じゃなくても出来ることなのだ。弦巻こころを、私の、私にとっての太陽を、笑顔にすることも、楽しませることも。
弦巻こころの隣にいる人間は、私じゃなくてもいいのだ。
そんなこと、認めたくはなかった。
私には、私には彼女しかいないんだ。
弦巻こころが必要不可欠なんだよ。
彼女以外に心を許せる相手なんて存在しない。両親は嘘つきで、妹弟を見捨てたのは私で、祖母は頼れなくて、クラスメイトは他人だ。
だから、弦巻こころだけは譲れないんだ。
なのに────。
なんで、どうして。私から彼女を奪うんだ。あんたには家族も、友達もいるんだろう。信頼できる相手が、心を許せる相手が、沢山いるんだろう。
なぜ、私の居場所まで奪おうとするんだ。
私が生きていくために必要なものを、横から持っていかないでくれよ。
これが、的外れな嫉妬だってことは分かってるんだ。子供なんかよりよほど幼稚で、わがままで、大人よりも恥知らずな感情だってことくらい、言われなくても知っているんだよ。
被害者ぶって、自分を悲劇のヒロインか何かと勘違いしている。それでいて、抑えるつもりがないからタチが悪い。そんな醜い怪物に人の皮を被せたのが、私なんだ。
でも、だからって。望むことまで、欲しいと願う気持ちまで、否定されなきゃいけないのか?
私はそこまで、罪深い生き物なのか?
誰か教えてよ。私はどうやってこの気持ちに整理をつければいいんだ。
私の知らない場所で、私の知らない人の前で、私の知らない笑顔を見せている彼女の姿を。私はどんな気持ちで、受け入れればいいんだ。
やっぱり、彼女の側から離れるべきではなかったんだ。
ずっと、ずっと、一緒にいるべきだった。
そうしなかったから、バチが当たったんだ。約束を守れなかったから、大切なものを見失ったから。だから私は、いつも間違いばかり起こしてしまうのだろう。
心が張り裂けそうだ。汚泥の中で育った怪物が、心臓を突き破って、生まれ落ちてしまいそうだ。
痛い、苦しいよ。だって、私には何もないんだ。
彼女の関心を惹けるほどの魅力も、彼女を楽しませられる技術も。
唯一彼女を喜ばせられる笑顔でさえ、彼女から貰ったものなのに。
超能力がなければ、私はそんなちっぽけな存在と変わらないんだ。その事実を認識するたびに、足元が崩れ落ちていくみたいで。
あの子の声で、あの子ではない何者かが囁くのだ。
『あなたって、本当につまらない人間なのね』
違う、これはあの子じゃない。だって、あの子はこんな事を言わない。だから、ああ、これはきっと、私の恐怖が形となって現れたもので。
だからこそ、彼女の姿と声をしていることが、なによりも認められないのだ。
だってそれは、私が彼女を信用できていないということだろう? 彼女は私を捨てたりしない、私に飽きたりしないって分かっているはずなのに、それでも『もしも』を考えてしまう。心が弱いから、人を信じられないから。理由なんていくつも思いつくけれど、言い訳は一つも出てこないんだ。
特別だ、大切だ、なんて。そう口にしたところで、私は本当の意味で、彼女を信じられていないのではないか?
そんな私なんて、捨てられても文句が言えないんじゃないか?
私は無価値な人間で、誰かを信じることもできず、人のために行動することもできず、いつも妥協と言い訳を重ねて、そしてそのまま、一人で死んでいくのだ、と。
彼女が私以外に笑顔を見せるたびに、そう思うのだろう。
いっそ、殺してほしい。このどこまでも肥大化した感情を、私の心を。
愛と呼ぶほど綺麗なものでも、嫉妬と呼ぶほど可愛げのあるものでもない。
だから、この感情に名前をつけるとするならば、それは、それはきっと────。
★ ★ ★
夢なんじゃないかと、思った。
バイトの研修を受けるための待ち合わせで、私は駅前へ訪れていた。担当の人はまだ到着していないらしくて、五分ほど遅れるという連絡が入っていた。時間ギリギリにたどり着いた身としては、それは悪いことではなかった。
────らー、ららららー♪
さっき出会った氷川日菜という少女のことを考えて首を傾げていた私の耳に届いたのは、聞き覚えのある声だった。
もしかして、と。
辺りを見回してみれば、なんということだろうか。弦巻こころが、通行人に向けて歌っているではないか。
やたら人だかりが目につくと思えば、なるほど。彼女の存在は、衆目を集めても仕方がない。また、目立つようなことをして、なんて。一丁前に保護者目線で、ため息をついた私は、それはそれは滑稽だっただろう。
これは、星から私への贈り物だと思った。
担当者が遅れたのも、研修前に彼女と話すための時間を与えてくれるのだから、逆に感謝したいくらいだって、そう考えた。
まるで、夢みたいだって。そう思ったのだ。
私と彼女は、見えない何かで繋がっているのだと。少し離れたとしても、また一つになれるんだと。
目を離しても、目の前からいなくなったりしないんだって。私の不安を、彼女が晴らしてくれるんだって。ちょっと痛いかもしれないけれど、割りと本気で、そう思ったんだ。
それが、とんでもない勘違いであるとしらずに。
これは夢なんだと、思いたかった。だって、私の耳に届いた、彼女の声が、言葉が────。
「勇気なら、あたしがあげるわっ!」
「…………えっ?」
私はまだ、彼女に声をかけていない。弦巻こころは、私の存在に気づいていないのだ。
なのに、なんで。その言葉は、その勇気は、私が、私だけに贈られたはずの────。
そこまで考えて、彼女の近くにいる少女の存在に気がついた。
ドラムだ。この往来で、なぜかドラムを叩いてる少女がいた。その少女は、ここから見ているだけでも分かるくらい、気が弱そうで。少なくとも、人前で演奏をするようなタイプの子じゃないんだろう。
だって、あんなにも怯えている。人の視線に敏感で、スティックを握る手は微かに震えている。そんな少女が、震えながらも、怯えながらも、ドラムを叩いている。
なら、きっとそれは、弦巻こころに求められたからで。
だとすれば、さっきの言葉は、弦巻こころが与えた勇気は、想いは、彼女のために放たれたもので────。
あの星空の下で彼女に貰った言葉が、頭の中に蘇る。
『ね、一緒に楽しいことをしましょう? 楽しいことをして、楽しい気分になって、笑顔を思い出しましょう!』
『だってあなたは、ただ笑い方を忘れてしまっているだけなんだもの!』
『忘れてしまったのなら、思い出せばいいのよ! あたしが思い出させてあげる! そのための勇気がないなら、あたしがあげるわっ!』
その言葉が、現実の声と重なった。彼女の、弦巻こころの、声だ。
「あたし、今ここで歌うことが、とっても楽しいの! あなたも一緒にドラムを叩いてくれたら、もっともーっと、楽しくなるっ!」
「楽しくなったら、あなたも笑顔になる! そうしたらね、上手いとか下手とか、そんなこと、すぐどうでもよくなっちゃうんだからっ!」
やめろ、それ以上聞くな、奥沢美咲。
今すぐこの場所を離れるんだ。
耳を塞いで、心を閉じて、何も聞かなかったことにすればいい。
だって、そうしないと、きっと、私は、奥沢美咲という、化け物は。
壊れて────。
「楽しくなったら…………下手とか、どうでもいい…………」
ドラムの少女が、弦巻こころの言葉を反芻する。それはまるで、彼女の言葉を、自分のものとして飲み込もうとしているみたいで。
その姿が、不安を抱えながらも、前に進もうとする姿が。どうしても、どうしても、あの日の私の姿に重なって。
それが、あまりにも恐ろしくて。
やめて、やめてくれ。私はあなたを知らないけれど、あなたがなにを思っているのかは分かってしまう。お願いだから、それ以上彼女の興味を惹かないでくれ。それは私のものだ。その感情は、私だけの、私だけに許されたものなんだ。
今すぐ駆けつけて、そう叫んでやりたかった。でも、意思に反して体は全く動かなくて。それはまるで、私が金縛りに遭ってしまったようで。
だから、逃げることすら出来なかった。
弦巻こころが口にした、決定的で、致命的な言葉から。目をそらすことも、耳をふさぐことも、出来なかった。
「そうよ、楽しくなくっちゃ意味ないわ! だから────」
やめて、こころ、お願い、口にしないで、私に聞かせないで、私に気づいて。
私だけを見て────────。
「花音、あなたが
★ ★ ★
あ、あは。
あはは、なんだろう。笑いが止まらない。だって、えっと、なんだっけ。
私、どうしてこんなところにいるんだっけ。駅前で、一人で。
あっ、こころがいる。人前で歌って、随分と楽しそうじゃないか。あれ、なんで私、一人でいるんだろう。
こころがいるなら、その側が私の居場所じゃないか。ねぇ、あんたもそう思うよね、こころ。
あんたは、私を置いて消えないよね。私の目の前から、いなくなったりしないよね。だって、約束したじゃないか。
うん、そうだった。約束、約束だ。たしかに約束したんだ、一人にしないって。
だから、行かないと。このままじゃ、また約束を破ってしまう。
約束? 約束ってなんだっけ。あの子が…………あの声が、私に全てを与えて消えた、あの声の持ち主は? 私は…………誰と、どんな約束を────。
『縺翫■縺、縺?※』
あ、こころだ。歌ってる、楽しそうだ。
私も混ぜてくれるだろうか。実は私、ピアノが弾けるんだ。妹の方が上手だったから、やめちゃったけど…………妹? あ、ああ、私が、私が捨ててしまった、あの時の、あの瞳が、私を責めるような、いや、違う、妹じゃない。じゃあ、誰なんだ。私を責める視線は、瞳は、あの星の中に沈んだ、炎のように燃える輝きの瞳は、誰の────。
『螟ァ荳亥、ォ縺?繧』
あ、思い出した。いかないと、こころがいるんだから。私が側にいないと、あの子はすぐにどこかに行っちゃうから、ちゃんと首輪をつけて手を繋いでおかないと、だって、そうしないと私のものにできないまた置いてかれちゃう。
いやだ、一人は嫌なんだ。だって、また一人になったら、今度こそ私は、私の心は、二度と─────。
『縺ゅ↑縺溘?荳?莠コ縺シ縺」縺。縺倥c縺ェ縺』
あ、バイトの研修。担当の人、そろそろつくんだっけ。残念だけど、こころに話しかけるのは明日にしとこう。またなんか『楽しいこと』を見つけたみたいだし、あっちから声をかけてくれるでしょ。
一緒に楽しいことをするって約束したからね。人に見られるのはちょっと恥ずかしいけど、あの子のために何かできるんだったら、喜んで付き合うよ。
だからきっと、誘ってくれるよね。ね、こころ。私はまだ、必要だよね。
だって、そうじゃないと私…………もう、もう────────。
「すみません。えっと、その制服…………研修希望の奥沢さんですか?」
「あっ、はい、そうです。よろしくお願いします」
自分を抑えられる、自信がないよ。