奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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エピローグ 「ハロー、ハッピーワールド!」

 気がつけば、一日が終わっていた。

 

 正直、何があったかほとんど覚えていない。心に受けた衝撃が大きすぎて、何も考えられなかったから。多分、受け答えも適当なことを言っていた気がする。

 

 そういえば、女の子にぶつかりそうになったんだっけ。我ながら、随分と危なっかしいことだ。

 

 アルバイトの研修は、大した内容ではなかった。言われた通りのことを、言われた通りにこなせばよかったから、すごく楽に感じられた。

 

 担当者が注意してくることもなかったから、きっと下手なことはしてないんだろう。先ほど携帯を確認したけれど、明日から採用の旨を伝えるメッセージが残っていた。

 

 なぜか着ぐるみを着せられて歩いたけど、あれを身につけたまま動くだけで金がもらえるなら、まぁ悪くないんだろう。重さはそれほど感じなかったし、過剰な暑さには耐性がある。透視すれば視界も良好だし…………今の私からすれば、その内容はむしろ、ありがたいくらいだった。

 

 だって、上手く笑えてる自信がないのだ。もう、自分がどんな表情で過ごしているのかすら分からない。

 

 だから、着ぐるみで顔を隠せるのは都合が良かった。喋る必要がないのも助かる。これが普通の接客業であったら、もうなんどダメ出しされるか分かったものではない。

 

 上っ面を演じることさえ、ままならない。

 

 それくらい、あの光景は私の…………私の心を、正面から強く殴りつけたのだ。

 

 分かっていたさ。弦巻こころのもつ願いが「みんなで笑顔に」である以上、こういうことが起きるのは必然だって。

 

 あの子は相手がそれを望んでいるのなら、喜んで手をさしのばすだろう。それが心の奥に秘された感情であったとしても関係ない。助けを求められたわけでなくとも、直接口から聞いたことでなくとも、弦巻こころの瞳は、あの黄金の輝きは、人の心の奥底を光で照らし、そして真に求めるものを見抜く。

 

 私だって、そうして救われたんだ。

 

 どうして、他の者にその手が差し伸べられないと思える。そう願えるんだ。

 

 彼女に救われるのが自分一人であってほしいなんて、そんな傲慢な事を考えられるんだよ。

 

 だから悪いのは私だけだ。

 

 勝手に勘違いして、勝手に期待して、勝手に傷ついて。あまつさえ、彼女のことを…………弦巻こころを、自分だけのものにしようだなんて。そんな、身勝手な、醜悪な、恥知らずな願望を抱くなんて。

 

 だからこれは、私に与えられた罰なんだろう。

 

 人の心が分かっても、人の気持ちを推し量ろうとしない私には…………それはそれは、相応しいものじゃないか。

 

 ああ、でも、あんな…………見せつけるように。

 

 私の勘違いを、幻想を。正面から砕いてしまうなんて。

 

 苦しい、辛い、悲しいよ。

 

 感じたことがないほどに、寒いんだ。

 

 寒くて仕方がない、体が震えて仕方がないんだよ。

 

 こころ、こころ。寒いよ、どうして、よりにもよって。私の目の前であの言葉を口にしてしまったんだ。

 

 私にくれた気持ちを、私にくれた愛を、私にくれた笑顔を。私の知らない誰かに与えてしまうんだよ。

 

 いっそ、見なければよかった。

 

 今までもこれからも、あんな姿を見たくはなかったんだ。私に向けられる笑顔だけを、見つめていたかった。

 

 何も知らなければ、いつも通りの笑顔で過ごしていられたのに。

 

 こころが望んでくれた、見たいと言ってくれた私を、見せ続けることができたというのに。

 

 

★ ★ ★

 

 

 何もする気が起きなかった。

 

 家に帰ってきてから。私は、布団の上から一歩も動けないでいた。

 

 ご飯も食べていないし、風呂に入ってもいない。制服から着替えてすらいないから、きっと、明日にはシワになってしまうだろう。まぁ、いいか。どうせすぐ直せるんだし。

 

 荷物も投げだして、部屋の電気もつけずに。

 

 きっと今この部屋を誰かに見られたとしたら、部屋の主はとんでもなくズボラな人間だと思われるのだろう。まぁ、無理もないけど。

 

 眠気は一切なかった。

 

 寒さをごまかすために布団にくるまって、目を閉じることなく、暗闇の中を見つめている。はは、自分で自分が笑えてくる。まるで、オバケみたいではないか。言い得て妙だ。化け物である私にとっては、可愛らしい表現かもしれないけど。

 

 ああ、怖いな。明日がくるという当たり前の事実が、こんなにも恐ろしくて仕方がない。

 

 だって、もしも、もしもだよ。

 

 明日の朝、あの子が私の家にこなかったら。私を迎えにこなかったら、私はどうなってしまうのだろう。もう二度と一緒に、通学路を歩けなくなってしまったら。

 

 そんな空想の中では、あのドラムの少女が。私の代わりに、あの子の隣を歩いている。そして、私が見たことのない彼女の笑顔を向けられていて。

 

 私の被害妄想が生み出した偽りの光景だというのに、それはひどく、私の心の深いところへと、突き刺さる。

 

 

 あの子が、弦巻こころが。私に、わ、私に、あ、飽きて、私が、必要なくなって、もう、いらないって、そう考えて、私の家に、二度と、私を、捨てて、うぁ、あ、そんな、嫌だ、嫌だ、嫌だ。置いていかないで、お願いだから、もう一人にしないでよ。

 

 

 頭の中に、彼女の声が響く。

 

 

『美咲…………あなたって。本当に、つまらない人間なのね』

 

 

 ああ、違う、違うんだ。これは違う。あの子じゃない、こころじゃない。誰だ、お前は誰だ。私の友達の声で、そんな、そんな言葉を口にするな。

 

 

『自分からは何もする勇気がないのに、いつも誰かの助けを求めているのね。手を差し伸べてくれるなら、誰でもよかったんでしょう?』

 

 

 黙れ、黙れ!! 勇気をくれたあの子の声で、それを、その言葉を口にするな! 私の友達を侮辱するな!!

 

 

 

『あなたを友達(特別)だなんて思ったことないわ。あなただって、本当はあたしを信じていなかったでしょう? あたしの声が聴こえる意味が、わかってるんでしょう?』

 

 

 

「黙れ!!!」

 

 

 

 私から溢れ出した力が、大気を震わせる。

 

 しまった。と、思った時にはもう遅かった。超能力が暴走して、無意識のうちに念動力が発動する。

 

 ひどい耳鳴りの音と共に、空間が軋む。

 

 ピキッ、パキッと。何かが割れる音が部屋の中に響く。つけていなかった電球が明滅し、地震のような揺れが襲いかかる。テレビは砂嵐を映し出し、不快なノイズが鼓膜を震わせた。

 

 そして、それが逆に私に平静を取り戻させる。

 

 

 瞳を閉じて意識を集中させ、自分の中で荒れ狂う感情を理性で押さえつける。押し寄せる感情の波に抵抗するのではなく、乗りこなすように。受け入れつつも、行先をコントロールする。

 

 ラップ音は徐々に小さくなり、振動が収まる頃には────。

 

 

 私の部屋の中は、それはそれは酷い有様になっていた。

 

 棚こそ倒れていなかったけれど、中にしまってあった食器はいくつか割れてしまっている。放置しっぱなしだった荷物は散乱し、床が紙で埋め尽くされていた。

 

 まぁ、これくらいで済んだならまだいいのかもしれない。あと少し自分を取り戻すのが遅れていたら、このアパートが倒壊していてもおかしくなかった。

 

 それくらい、強力な力だった。いままで無意識のうちに掛けていたセーフティが、不安定な感情によって無理やり外されたかのような。

 

 一歩間違えれば、取り返しがつかないほどの。致命的な事故を起こしかねない、そんな暴走だった。

 

 初めてだ。こんな風に我を失ってしまうことなんて。

 

 もし、この感情の揺らぎが。

 

 あの子に、弦巻こころに向けられていたとしたら。

 

 彼女のことを、傷つけてしまっていたら。そう考えるほどに、かえって精神は落ち着いていった。

 

 閉じられたまぶたの裏に、あの子の姿を映し出す。大切な思い出を、私の心に刻み込まれた記憶を、反芻する。

 

 ああ、やっぱり、そうだ。

 

 彼女がくれたものを、笑顔を思い出すほどに。心が温かくなっていくのを感じる。あれだけ感じていた寒さも、孤独感も、まるで最初から存在しなかったかのように。綺麗さっぱり、消え去っていった。

 

 この気持ちがなければ、思い出がなければ。私は人間でいられなくなってしまうだろう。

 

 全部、彼女から与えられたものだ。たとえ彼女から瞳を向けられることがなくなってしまっても、この想いが揺らぐことはない。それは、やっぱり、寂しいけれど。その寂しいと思う気持ちすら、彼女から貰ったものだから。

 

 だから、きっと同じように。彼女から与えられた…………この醜い感情も、受け入れられるはずなんだ。

 

 大丈夫。私はまだ自分を見失っていない。

 

 笑顔を失っていないんだ。だから、彼女のそばにいても、良いはずなんだ。

 

 

 その人間らしい感情が、私の心を化け物に変えていくことを自覚しながらも。私はその事実から、目をそらした。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 超能力というものは、本当に便利だ。

 

 最近は割と色々なことに使用していたせいで忘れていたけれど、作業効率が通常の比ではない。

 

 あれだけ散らかっていた部屋も、ものの数分で元通りだ。床にばら撒かれた紙類は綺麗にファイルに入れ直したし、配置がずれてしまった家具も元の位置に戻した。

 

 本当に便利な力だ。その惨状を引き起こした原因である。ということに目を瞑れば、の話だけれど。

 

 でも、これが転移やアポート(ひきよせ)やその他危険な力を暴発させていたらと考えると、念動力を引き当てたことはまだマシなんだなって思える。

 

 ほら、家のものがどっかに消えていたら困るし。目撃者が出たらコトだ。

 

 念動力なら、まぁ極所的な地震と言えなくも…………いや、それは無理があるか。どちらにせよ、家の中で完結してよかった。

 

 

 まぁそれでも、壊れてしまったものは直せないんだけどね。

 

 壊れてしまった食器を、触れる事なく棚から取り出す。破片も一つ残らず引っ張り出して、割れ物用のゴミ袋へと入れる。

 

 窓ガラスとかが割れなくてよかったけど、これはこれでそれなりにダメージがでかい。ものに当たり散らすなんて、みっともなくて仕方がないし、なにより買い足す必要ができてしまった。

 

 子供の癇癪。いや、超能力が使えてしまう分、なおさらタチが悪い。それも、今年で高校一年生になった私がやらかしてしまうなんて。

 

 だけど、これである程度鬱憤を晴らすことができたのも、事実だ。本当に、子供みたいな理由だけど。力を吐き出す、ということは案外精神にいい作用を及ぼすらしい。スポーツ特有の爽快感とか、多分そういう理屈なんだろう。

 

 

「あっ、これ…………」

 

 無意識のうちに、声が溢れていた。

 

 こころが初めてこの家に来た時に出した、メロンソーダ。あれを入れていたグラスの一つが、壊れてしまっていた。

 

 それを見た途端。それなりに持ち直していた心に、自己嫌悪の嵐が吹き荒れる。

 

 思い出の品だった。

 

 両親に失望して、二度も引越しを繰り返しても。それでも決して手放すことなく、五年以上も持ち続けた、大切なもの…………本当は、認めたくはなかったけれど。

 

 それが、粉々になってしまっていた。ただのガラス片になって、誰もが修復不可能だと一目でわかるほどに、原型からかけ離れた姿になってしまっていた。

 

 私が壊したんだ。私が、子供のような感情で、大人げない暴力で、人のものではない力で、壊してしまった。

 

 笑顔でトレーを運んで来た母の姿と、それに喜ぶ妹弟の姿と、嬉しそうに微笑む私が揃った、思い出の光景に、ヒビが入る。この割れてしまったグラフのように。たとえ、とっくの昔に砕けて散った現実の残骸であったとしても。それは紛れもなく、私にとって大切な思い出だった。

 

 同じものはまだ、二つ残っている。

 

 私とこころが一緒に卓を囲む分は、まだ残っている。

 

 それでも、悲しくて仕方がなかった。無邪気に喜んでくれたあの子の笑顔を、私が汚してしまったようで。

 

 手元に引き寄せたガラスの破片に、水滴がこぼれ落ちる。

 

 無意識のうちに、涙が溢れていた。拭っても拭っても、止まる気配がみえない。むしろ、だんだん量が増えている気がするくらいだ。

 

 理由はわかっている。

 

 だって…………私と妹弟達がまた一緒にメロンソーダを囲む未来は、もう二度と失われてしまったのだから。他でもない私自身の、愚かな行動によって。

 

 それはまるで、両親が離婚することになったあの頃のようで。何もしないという選択肢を後悔していた、無力感で潰れそうになっていた子供の頃の私そのもので。

 

 

 ああ、結局私は、何も変わっていないんだなと。そう絶望するには、この現実は十分すぎた。

 

 

 ────こころ、今すぐ君に会いたいよ。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 携帯が震える音に気がついた。

 

 それは電話のものではなく、メッセージの受信を知らせる短い音だった。なんだろうか。

 

 自慢にならないけれど、私の連絡先を知っている人は少ない。中学の時のクラスメイトは一人しか連絡先を交換していないし、高校に入ってからも数人しか伝えていない。

 

 祖母は電話しか出来ないし、他の家族はもう何年も音信不通だ。

 

 あと可能性のある相手といったら、それこそ今日のアルバイトの担当者くらいだろう。

 

 だから、少しだけ期待してしまう。もしかしたら、あの子が、弦巻こころが、私を求めてくれているのかもしれないと。

 

 震えそうになる手で携帯をとり、画面を見る。

 

 そこに書かれた名前を見て、失礼なことに、私は落胆を隠せなかった。

 

 相手は弦巻こころではなかった。というか、クラスメイトでもなかった。

 

 今日初めて出会った、少し変な女の子の名前が、そこに書いてあった。でも、あれ、おかしいな、私────────。

 

 

 

『メッセージ受信:氷川日菜

 

 

 

 日菜さんと連絡先、交換していたっけ?

 

 

 

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