「え。ちょっと、それはうちの商店街のマスコット…………っ!?」
「ちょっと、よろしいですか。商店街の広報部の方ですね」
────担当者の声が遠ざかっていくのを感じる。黒服の人の声も聞こえたような気がしたから、うん、多分…………そういうことなんだと思う。
一応遠視でそちらを確認してみたけれど、見えた光景は想像通りのもので。率直にいってしまえば、いつものようになんか凄い力で買収していた。
いやいや、毎度思うけど…………それはどうなのよ。そう思って吐き出した呆れの感情を含むため息は、キグルミが覆い隠してくれたおかげで、周囲に漏れることはなかった。
ああ、いや。それどころじゃなかったんだ。
こころだ。私の友達、弦巻こころが目の前にいる。たった一日、会わなかっただけなのに…………なんか、すごく久々にあったような気がしてしまう。それはきっと、私が一人で勝手に悩んで苦しんでいたのが原因なんだろう。自己嫌悪の感情は、時間の感覚を狂わせるから。いや、それにしたって。
あんたはいつも、急なんだから。それも二日連続で、別々の場所なのに。図ったように私の目の前に現れる。
お願いだから、もう少しだけ心の整理をする時間をくれませんか、ね?
そんな気持ちを込めて、キグルミ越しに瞳を覗き込む。テレパシーを使っているわけじゃないし、この気持ちを伝えるつもりはないけど。
だって、ほら。私ってこころに嘘をついてまで顔を見ないようにしていたわけだからさ。ここで私だってバレるような事をしたら、それこそ…………なんだ。嫌われてしまうかもしれないし。
…………そっか。そういえば私って、この子に嘘をついたんだっけ。
今更ながら、取り返しのつかない事をしてしまった気がする。いや、気がするんじゃなくて…………取り返しがつかないんだけどさ。
あれだけ嘘が嫌いだのなんだの言っておきながら、いざ自分がそれをしてしまった時には、すぐに忘れて楽になろうとする。何かと理由をつけて、自己正当化して。ああだからこうだからと、仕方がなかったんだと。みっともない言い訳を重ねる。
私が嫌いな大人に、一歩近づいてしまったんだ。
ダメなやつだよ、私は。
だって────。
「はいっ、これね! たくさん刷っちゃったの! あたし達もがんばるから、よろしくね!」
────彼女に話しかけられただけで、勝手に許されたような気持ちになってしまっているんだから。
でも、不思議だ。
昨日までの…………いや、朝までの私の精神状態だったら、もっと酷い自己嫌悪に襲われてもおかしくないのに。それなのに今はただ、嘘をついてしまったことへの罪悪感しか存在していない。
こうして、冷静に自分の感情を分析できているのがその証拠だ。
あの心臓を突き破らんばかりの負の感情が、この短時間でこんなにも消え去ってしまうものなのだろうか。あんなに苦しかったのに、あんなに辛かったのに。
それが、ちょっとした言葉一つで?
…………いや、そうだった。言葉一つだけでも、人は救われるんだ。それは去年の夏に、この子が証明してみせてくれたじゃないか。
でも、だったら私は。優しい言葉一つで救われてしまうような悩みを抱えて間違いを選んだ私は、本当になんなんだろう。バカバカしい…………うん、バカバカしい悩みだったんだろう。
あんがい、魔法の言葉っていうのも嘘じゃないのかもしれない。超能力があるくらいなんだからさ。魔法の一つや二つくらい、あってもいいのかもね。それが、こんなに優しい魔法なら尚更。
ハピネス、ハピィーマジカル…………かぁ。なんだか、こころが好きそうな言葉だよ。
彼女から押し付けられるようにして受け取ったチラシをキグルミ越しに持ちながら。私はそんな、どうしようもないことばかり考えて…………って、いや、なんだこのチラシ。えっ、は…………?
あの長身の人の顔が映ってるだけじゃん!?
バンドをやるって話じゃなかったの!?
いや、確かに顔が映ってるなーってのは遠目で分かってたけどさ! こういうのってせめて、せめて最低限の要項を記載しておくものなんじゃないの!? これ、なんのチラシなの!?
うわー、うわー! えっ、もしかして私の思い違いか何かだったの? でもベーシストって…………というか、逆にこのチラシは何を伝えようとしているんだ? たしかに顔は綺麗だけど…………うーん、あの人。まだ話したこともないのに失礼だとは思うけど、なんっか変人っぽい気配がするんだよなぁ。
だって、ほら。なんかよくわかんないポーズとってるし、身振り手振りが大げさだし、一々芝居がかったような言動をして…………ああ、通行人に避けられまくってる。
ドラムの少女はなんかずぅっと慌ててるし…………ほんと、見てて可哀想に思えてきた。まだ、胸の内に燻る悪感情がなくなったわけじゃないみたいだけど。それよりも今は、なんとかしてあげたいって気持ちが大きい。
ああ、この子。
「ミッシェルー! なにそのポスター? ちょうだーーい!!」
子供たちが私の持つチラシを掴んでいくのを尻目に、私は視線を前方から逸らすことが出来なかった。
────黄金の瞳が、私のことを射抜いていた。弦巻こころが、私を見ている。もうとっくに他所の誰かへと話しかけにいっていると思っていたものだから、思わず硬直してしまった。
そんなことあるはずがないのに。なぜか私は彼女が、このキグルミを、ミッシェルを見ているのではなく。私のことを、奥沢美咲のことを見ているような気がして。
キグルミで表情を隠している卑怯な私のことを、見抜かれているような気持ちになってしまう。
彼女は首を傾げて、両手を腰に当てながら、眉をひそめて口を開いた。
「ねぇミッシェル、あなた…………あたしと、どこかで出会ったことはないかしら?」
…………あれ? これ、まずくない?
忘れていた、安心していたんだ。キグルミを着ているから、今の私はミッシェルだから。だから、直接相対しても問い詰められることはないって。
あれだけ冷静に状況把握に努めていたのも、私が『奥沢美咲』だとバレないって思っていたからだ。じゃなければ、とっくの昔に彼女の目の前から逃げ出している。
だって、バレたら気まずいし…………顔を見たら我慢できないからって、学校まで休んで。わざわざ彼女からの通知まで切って、そうまでして、接触を絶ったというのに。
まぁ、全部自分勝手な行動に過ぎないんだけど。そもそも、そのことを彼女が気にしているかどうかも分からないけど。
…………流石に、全く気にしてなかったらそれはそれでヘコむ。そういうところが身勝手だって。やめるべきだって、分かってるのに────。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
こころは変なところで鋭い。まさかそれが、物言わぬキグルミ相手にも発揮されるなんて思わなかったけれど。とにかく、変に誤魔化そうとしたらダメだ。
誤魔化すってことは、何かしら演技をする必要があるってことで。それは、そこまでして隠したい何かがあるって自白しているようなものだから。だからこの子相手に隠し事をするなら、もっと自然な────。
ああ、違う、ダメだ。そんなことを考えちゃダメだ。考えたくないんだ。これ以上、この子に嘘をつきたくない。
でも、だったらどうする? 自分の正体を伝えるのか? …………出来ないことではない。テレパシーを使えばきっと、他の人にバレることなく意思を伝えることができる。
だけど、それをしてしまったら。私のついた嘘が────。
「────んっ、あなたってすごく抱き心地がいいのね」
(はあああああああああ!?)
思わず叫びそうになった自分を、理性の全てをかき集めて押し留めた。内心はこれでもかってくらい大声を上げているけれど、現実では口をしっかり閉じているから問題ない。いや、口の端から声にならない悲鳴が掠れた吐息になって出ていってるけど、流石にキグルミ越しなら聞こえないだろう。
いや、あんた。何やってんの!?
弦巻こころはミッシェルに、つまり私に。正面から思いっきり抱きついていた。
この子はほんと…………やる事なす事突拍子がないんだから…………っていうか。ああ、もう、もう!!
あのねぇ! キグルミっていうのは中に誰がいるか分かったもんじゃないの! わかる!? 今は私が入ってるからいいけどね、これがもし中年のおっさんだったらどうするの! いや、中年のおっさんに偏見があるわけじゃないけどさ、それでも危機感ってものを少しは身につけるべきだと思わないの!? あんたもう高校生でしょ!? 周りのやつらもそうだよ! 普通止め…………あっ、黒服の人たちは…………そうだよ! あの人たちが過保護に育てるからこんなに危なっかしい子供に育つんですよ! そこんところ反省してくださいよ! っていうかこういう時こそ止め────。
「…………美咲?」
────る、べき、って…………え?
彼女の口から出た名前に、まるで心臓が鷲掴みにされたかのような錯覚を起こしてしまう。
動けない私に抱きつきながら、上を向いて。ミッシェルの瞳がある部分を見つめて、彼女は口を開いた。
「あなたから美咲の匂い? 気配? ううん…………分からないけど、美咲を抱きしめた感じがするの! 間違いないわ! ね、ね、ミッシェル、あなた、美咲と仲がいいの? だったら、美咲に伝えておいてほしいのだけど────」
心なしか必死な様子の彼女を見て、気持ちが急速に熱を持っていくのを感じる。
言葉も出ないとは、こういうことを指すのかもしれない。なんだろう…………前にも、こんなことがあった気がする。
ああ、思い出した。私とこころが初めて出会って、彼女に超能力がバレそうになった時だ。
念動力で支えただけなのに、私の気配を感じただのなんだの言われて逃げ出してしまった。あの時と同じだ。
偶然だと、まぐれだと思ってた。
だってそんな、感覚だけで物事を判断するような。それだけを頼りに断定まで持っていって、それが事実だと疑わない。そんな人がいるなんて思わないじゃないか。
ああ、うん。これは私の負けでいいや。勝ち負けの話じゃないんだろうけど、気持ち的にはもう降参ですよ。
だってこの子は、変わらないんだ。あの時の、私に出会った時のまま。私がどんなに隠したいことでも…………当たり前のように、容易く看破してしまう。
嘘がバレてもいいや。正直に話して、全部謝ろう。心配をかけた事も、一緒に登校できなかった事も含めて、全部。
きっと彼女は受け入れてくれる。
私が情けなくも全てを吐き出して、化け物である事が知られても、優しく抱きとめてくれたあの夜のように。
そうだよ、彼女は最初からそうだった。忘れてた、思い出せたんだ。大丈夫、彼女は私を嫌いになったりなんてしない。
だから────。
そう思って、目を合わせようとして。
「あ〜〜! 見つけた、サボり魔あかりっ!! さっさと練習…………って、クマ!!」
横からやってきた新しい人物によって、遮られた。もう、次から次へと忙しいったら…………って、うん? 確か、昨日ぶつかりそうになった…………えっと、精肉店の子だっけ?
こころと抱きついた姿勢の私を、というか、ミッシェルを見る彼女の瞳は、それはそれは輝いていて。いやいや、あなた花女の制服着てるってことは高校生でしょ。キグルミ相手にそんな目を輝かせて…………ああ、目の前にもう一人いたわ。もしかして最近の高校生って、私が思っているよりも子供っぽいのかな。
「じゃあミッシェル、美咲によろしく頼むわね。全く、美咲も美咲よ。忙しいからって…………返事くらい、返してくれてもいいのに…………」
その子に気を取られているうちに、こころはミッシェルから体を話して、満足そうな顔でそう言った。あ、ごめん。正直何言ってたか全然聞いてなかった。
っていうか、もう私とミッシェルが知り合いって前提で話してるよね。それ、間違ってたら私に一生伝言が届かないけど大丈夫なの? いや、話を聞いてなかった私が言えたことじゃないんだけどさ。
こころの言葉が聞こえたのだろう。
子供みたいに目を輝かせていた女の子は、嬉しそうに私へと抱きついてきた。
ああもう、最近の子はみんなこうなの? 警戒心がなさすぎるにもほどがあるって。
「ミッシェルっていうんだね! わーーいっ!! かわいいねこの子! ねぇねぇ、ここで何してるの? ウチに遊びにこない?」
その質問に、なぜかこころが答えた。
「ミッシェルはあたしたちと一緒に、バンドのメンバーを探しているのよ!」
「クマのいるバンドなんて珍しいね!」
あ、これダメなやつだ。こころの次の言葉が、簡単に想像できる。これ、あれだ。ややこしいことになるやつだ。だって、第六感がそう囁いてるし。
「そうよ! 失念していたわ! 美咲と仲がいいなら、あたしと友達も同然よ! あなたもメンバーとして採用するわ! クマ枠で!」
案の定、だった。
いや、ちょっと待ってこれ…………もしかして私、とんでもなく面倒なことになってない?
だって、あれでしょ。ここで私がミッシェルとして姿を見せないようにしたら、こころが悲しむから…………あの黒服の人たちが、なんとかして解決しようとするだろうけど。
かといって、ここで話を受けたら…………このあと私は、ミッシェルとしてこころと接しないといけなくなるんじゃないか? それは、なんていうか。私が嫌だ。だって、あの子には私自身を見てほしいし。
でも、どんな形でも彼女の役に立てるなら…………いや、だからって、そんな。
あれ、これどう収拾つければいいんだ?
「ふふふ。こんなにはしゃいで。愛らしい────キミを夏の日に例えようか……」
いや、だからあんた誰だって。何をいってるのか全く分からないし…………えっ、嘘でしょ。この人、もしかして何も考えてない…………?
演技めいた言動とは裏腹に、テレパシーで覗いた彼女の思考は、ほとんどまっさらだった。いや、心の奥では色々考えているんだろうけど…………すごい、本当に何も考えないで喋ってる。
これ、普段からどういう風に振る舞うか決めて行動している人のパターンだ。カンペを全部覚えて、壇上で発表している感じの。一見堂々としているけれど、予想外のことがあったら崩れるタイプのやつ。まさか、普段からそんな行動の仕方を…………凄いけど、バカでしょ。
想像以上に意味不明な人だ。こころ、あんたどっからこんな人見つけてきたんだ。
困惑と感嘆と、それから少しの葛藤の果てに。
いつの間にやらメンバーに加入していた、精肉店の子と。それで嬉しそうに笑う、こころを見つめて、私は────。
「これでメンバーは揃ったわね! みんなで一緒に、楽しいことをしましょう!」
────その言葉で、ショックを受けた。
☆ ☆ ☆
すごく疲れた、一日だった。
いや、肉体的にはほとんど疲れていないと思う。あの程度のことだったら、まぁ、ぶっちゃけ余裕だ。
それよりも、心が疲れていた。
あの後、何があったかほとんど覚えていない。
何も考えられなかった。だって、こころは私を…………奥沢美咲を、必要としていなかったんだ。
私の居場所は無くなってしまった。よりにもよって、クマの、ミッシェルに取られて。こんなバカな話があるだろうか。
バイトが終わって、着替えて。
私は一人、ファミレスでやけ食いした。
多分、凄い迷惑な客だったと思う。騒いだわけでもないし、クレームをつけたわけでもないけど。何時間も居座って、ドリンクバーを何度もお代わりして、注文を何回も繰り返したんだから。
いや、売り上げ的には貢献できているのかな。どうなんだろう、家族連れとかの方が貢献していそうなものだけど。
そんな事を考えながら、一人で家へと足を進める。そう、一人だ。一人ぼっちだ。
きっとこれは、嘘をついた罰なのだろう。
こころは気づいてたんだ。私が彼女を騙して、自分の意思で連絡を絶った事を。
だから私を誘わないで、新しいことを始めてしまったんだ。自業自得、私が間違えたから。
多分、ミッシェルに頼んだ言伝も決別の言葉か何かなんだろう。もう二度と、私の家に遊びに来ないのかもしれない。
あのドラムの少女や、高身長の人や、精肉店の子と一緒に行動するから、そんな暇がなくなったって。そう言いたいに違いない。
はぁ、涙が出そうだ。っていうか、もう出てる。下を向いて歩いている私の瞳から、雫が地面へと零れ落ちる。拭おうとも、思わなかった。
こんなことなら、もっと早くミッシェルの正体を明かしておけば…………なんて、未練を抱いて。
夜の道でただ一人、私は歩き続けた。
そして、だからこそ。私が下を向いていたからこそ、ギリギリまで気がつかなかった。
すでに私の家と認識するにも慣れ始めた、アパートの階段を上っている途中で、私に声がかかる。
それは、私が一番聞きたかった声で。同時に、今だけは聞きたくない声でもあった。
「────────美咲!!」
最近どうしても話が伸びちゃうから字数を減らすか展開を早めるかしてるんですけど、そうすると内容に満足できないから結局字数を増やしちゃう。このままだとそのうち1話で1万字とか書きそうで怖い(連載開始時3,000字/話 現在6,500字/話)