奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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大きな輪になって 1

 

 気がつけば私は一人、浜辺で立ち尽くしていた。

 

 空は明るい夜の色。中心には黄金の太陽が輝いていて、その周囲を彩るように数多の星々が光を放っている。手を伸ばせば届きそうなほど、それは近くに感じられた。

 

 辺りを見回してみれば、不気味なほどなにもない風景が瞳に映る。

 

 誰かいないだろうか。そう思って探してみても…………人の姿どころか、人工物の気配すら感じられなかった。

 

 足を動かして、海へと近づく。私はなぜかパジャマを着ていて、素足のまま砂の上を歩いている。

 

 ジャリジャリとした触感が、足の裏から伝わってくる。痛いというほどではないけれど、なんとなく居心地の悪い感覚だ。

 

 海に近づくにつれて、徐々に匂いが強くなっていく。潮の匂いではない。不思議なことに、その海からは花の香りがしていた。視覚と嗅覚のギャップがおかしくて、笑ってしまいそうになる。

 

 まるで、温泉のようだ。なんて思いながら、ゆっくりと近づく。

 

 波打ち際はとても穏やかで、水面はゆったりと揺れるに留まっている。風一つ存在しないこの場所では、波も立たずに揺らめくばかりだ。

 

 海へ片足を入れる。ぽちゃん、という音と共に香りが強くなり、嗅覚を強く刺激した。当たり前のことだが、触れた水は冷たかった。温泉みたいだと思っていたけど…………結局のところ、海は海なのだろう。

 

 どちらかというと、香水に近いのかもしれない。香水で満たされた海。

 

 花の香りがする水を両手で掬い上げて、顔を近づける。鼻がバカになりそうなほど強烈な、むせ返るような甘い匂い。私はこの香りを、どこかで嗅いだ事はあっただろうか。分からない。花の匂いなんて、区別のつけようがない。

 

 ただ、こんなにも強い匂いであるというのに。どうしてだろうか、不快に思う事はなかった。

 

 まるで、当たり前のように。

 

 花の香りの海なんて、ヘンテコで意味不明だけれど。きっとここでは、これが正しいあり方なのだと。私はどこかボンヤリとした頭の片隅で、そう悟る。

 

 

 波打ち際に、腰を下ろす。パジャマがぬれて肌に張り付いたけれど、あまり気にならなかった。

 

 ボーッと、目の前の景色を見つめる。

 

 黄金の太陽が輝く星空の下で、花の香りがする海を眺める。それはすごく現実味がない光景で…………夢でも見ているようだった。

 

 景色も、海も、私の心も、とても穏やかで。

 

 ふと、両足をパタパタと揺らしてみれば。静かだった水面に波が走り、花の香りがもっと強くなる。それが、たまらなく面白い。

 

 ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ、と。足で弄ぶように、波を立てる。試験管の中にある溶液を揺らす時のような、そんな楽しさがあった。静止した場を崩す時、人はそこに快楽を感じるのだろう。

 

 私の起こした波が、新しい波を作り出す。

 

 反射した波が、今度はさらに大きくなって。穏やかだった海に、さらなる変化をもたらす。

 

 それをなんども繰り返して────。

 

 

 

 気がつけば、目の前をサメが泳いでいた。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 

 ………………………………は?

 

 

「はぁ!?」

 

 驚きと共に、後ろへと後ずさる。何もなかったはずの水面から、沢山の背びれが生えていた。穏やかだったはずの海は、今は荒れ狂うように波を立てている。

 

 その事実に冷静さを失って…………そして、驚くほど急速に頭が覚める。

 

 いや、というか。さっきまで気にならなかったけど、私はなんでこんなところにいるんだろうか。

 

 常識的に考えておかしいでしょ。なに、香水の海って。呑気にパシャパシャ遊んでいる場合じゃないでしょ。

 

 そもそも、浅瀬にサメなんているはずが────。

 

 

 そう思って、再び視線を海へと戻そうとした時だった。

 

 

 

「美咲! あなたも一緒に泳ぎましょう!」

 

 

「……………………はぁっ!?」

 

 聞き覚えのある声にギョッとして視線を前へと向ければ、そこには何匹ものサメに混ざって嬉しそうに泳ぐ弦巻こころの姿があった。

 

 いや…………えっ? なにがどうしてそうなったんだよ、ほんと。

 

 こころはサメの背中に乗りながら、笑顔を浮かべて私へと手を振っている。そのあまりにも現実から乖離した光景が、私の頭を混乱させる。

 

 私の視線の先で、彼女が両手を口に添えて大声を出した。

 

 

「ほら、はやく!」

 

「ちょっ、こころ! 危ないよ!! はやく戻って…………いや、助けに行くから動かないで!!」

 

「大丈夫よ!」

 

「どこが!?」

 

 

 なにが大丈夫なんだろうか。正直、なに一つ大丈夫な要素が見出せない。

 

 もう言葉を重ねても意味がないのだろう。多分、これは話が通じていない。彼女のこういう無鉄砲なところは嫌いじゃないけれど、流石にもうちょっと危機感を持ってほしい。

 

 仕方ないな、と。念動力で自分の方に引き寄せようとして…………それが、出来ないことに気づいた。

 

 超能力が、使えない。

 

 

「…………あぁ、なるほどね」

 

「美咲! 一緒に遊びましょ!!」

 

 

 現実だったら、慌てていたかもしれない。超能力が使えなくなって、目の前で危険に晒されている友達を助けられない。そんなことが起きてしまったら、きっと私は冷静さを失っていただろう。

 

 でも、それはこの世界が現実だったらの話だ。

 

 使えるはずのものが使えない、あるはずのない光景が見える。それはつまり、そういう事なのだろう。前にも一度似たような経験をしていたから、すぐに事実へとたどり着くことが出来た。

 

 

 こころの乗っているサメが、他のサメを伴って私の方へと向かっているのが見える。視界を覆い尽くすような、大きな波を背景に。彼らは群れを作って、こちらへと殺到する。

 

 迫り来るサメと大波。そんな、B級映画のワンシーンのような何かを見つめて。

 

 

 私はそっと、その流れに身を任せた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 息苦しい。酸素を求めて口を開こうとして、それが抑えられる。なにかが私の顔に押し付けられていた。

 

 もがっ、と。間抜けな音が喉から漏れる。中途半端に解放された口から、熱っぽい吐息が吐き出された。目の前の景色は真っ白で、それ以外はなにも見えない。

 

 回らない頭に、嗅ぎ慣れない花の香りが合わさって。私は目覚めかけた意識を、再び微睡みの中へと戻そうと。重たい瞼を閉じようとして…………。

 

 

「みさき、いっしょにあそびましょう」

 

 

 頭の上から聞こえてきた友達の声を聞いて、一気に見開いた。

 

 咄嗟に体を動かそうとして…………後頭部を抑えられていることに気がついた。真っ白だった視界の端に、黄金の輝きが映り込む。それは、あの子の髪の毛の色。

 

 拘束されている顔を少しずつずらして、視界を確保する。顔に当たっている柔らかな感触が、何であるかを必死に考えないようにしながら。

 

 

「うふふ、あまえんぼうさんね」

 

 

 私の羞恥心を煽るような、彼女の一言を努めて無視して。顔を上へと向ければ、予想した通り。そこには彼女の美しい顔が、瞳の閉じられた状態で静かに佇んでいた。

 

 口元をだらしなくふやけさせながら。私の頭を押さえ込むように、両腕でぎゅっと抱きしめている。

 

 彼女の顔を、私が見上げているということは。つまり、この、目の前にある膨らみの正体は、そういうことで。

 

 目を逸らしていた現実を目の当たりにして、顔が熱を持った。きっと、耳まで赤くなっているに違いない。

 

 

 私はいま、弦巻こころと抱き合う形で布団の中に横になっているのだ。しかも…………彼女の胸元に、頭を突っ込むような状態で。

 

 この肺をいっぱいにする、嗅ぎ慣れない香りは彼女のものなのだろう。そういえば、やたら高そうなボディソープで体を洗った覚えがある。彼女自身の匂いと、洗剤の匂いが合わさった結果がこの香りなんだ。

 

 だから、夢の中であるにも関わらず。私は匂いを感じていたんだ。こうして、彼女の香りに包み込まれるような状態で寝ていたから。

 

 

 なるべく彼女に振動を与えないように、少しずつ体をずらして、拘束から抜け出そうとする。私が身じろぎするごとに、彼女はむず痒そうに体を揺り動かす。彼女の短い呼気が口からこぼれて、私の耳元へと降り注ぐ。

 

 

「んっ」

 

 

 その声に、胸のドキドキが止まらなかった。なんでだろう。彼女の一挙手一投足は、こんなにも私の心を揺さぶってならない。

 

 私のことを抱きしめる彼女のことを、抱きかえしたくなってしまう。

 

 人肌の温もりを感じながら寝ることなんて、いつ以来だろうか。こんなにも温かくて、気持ちが落ち着いた夜を過ごしたのは。擦れる布の小さな音と、彼女の体温で。私はいまにも茹で上がってしまいそうだ。

 

 優しく、丁寧に。正直、まだ寝ていたい気分だけど。この温もりに、満たされていたいけれど。抗いがたい誘惑から逃げるように、彼女の両腕を引き剥がした。

 

 私という抱き枕を失った彼女の両手は、次の獲物を求めて宙をさまよう。何かを抱きしめていないと、落ち着かないんだろう。不安そうに眉間に皺を寄せて、幼子のように手を広げている。

 

 それが、私を抱きしめていた時の彼女とはあまりにも違いすぎるから。あんなに、母のように優しく受け入れてくれたのに。今の彼女はまるで、迷子の子供のようで。私の中の母性に似た何かが刺激されて、頬が緩みそうになる。

 

 念動力を使って、部屋の隅からテディベアを引き寄せる。

 

 私が小さい頃、誕生日に買ってもらったものだ。こういうのは妹の方が似合うと思っていたから、素直に喜べなかったけど。結局…………捨てきれずに、ここまで持ってきてしまった。定期的に洗っているから、少しくたびれているけど。そのかわり、衛生的にも問題はないだろう。

 

 当時の私と同じくらいの大きさだから、抱き枕がわりにするのにも不足はない。

 

 仰向けになった彼女の胸元へと、ぬいぐるみを優しく置いた。彼女は自分の体に重みを感じたのか、恐る恐るといった様子でぬいぐるみを抱きしめる。そして、安心したような顔で深い眠りへと戻っていった。

 

 本当に、不思議な子だと思う。

 

 こうやって子供みたいな顔を浮かべることもあれば、昨日のように大人みたいな包容力を見せるんだから。そのどちらが本当の彼女なのか、そんな答えの出ないことを考えてしまう。きっと、どちらも本当の彼女なんだろうけど。

 

 それが本当に不思議で、面白くて。そして、愛おしい。

 

 

「みさき…………」

 

 

 テディベアを抱きしめながら、彼女が私の名前を呼ぶ。長年持っていたものだから、私の匂いが染み込んでいるのかもしれない。

 

 安心しきった彼女の横顔を見て、胸が熱くなる。君は私の名前を…………そんな顔で、呼んでくれるんだね。

 

 そのことが嬉しくって。つい、寝ている彼女に話しかけてしまう。

 

 

「ねぇ、こころ。また一緒に、海に行こうか」

 

「うみ…………」

 

 

 寝ている間に乱れた彼女の髪の毛を、指先で元に戻す。少しずつ、少しずつ。念動力なら一瞬で終わることだけど、私自身の手でそうしてあげたかったから。

 

 彼女の髪を手櫛で梳きながら、先ほどまで見ていた()の内容へと想いを馳せる。

 

 私がさっきまで見ていたものは、普通の夢だった。それが、直感で分かる。超能力に目覚めたあの時から、私の見る夢は全て予知夢に変わってしまったというのに。

 

 それなのに。私はこうしてまた、普通の夢を見ることができた。

 

 ヘンテコで、思い通りにならない夢だったけど。ああ、悪くない。悪くなかった。

 

 普段とは違う出来事が起きるのには、必ず理由があるものだ。私が予知夢以外の夢を見たことにも、理由があってしかるべきだろう。

 

 そして、その原因はもう分かっている。

 

 彼女の髪から手を離して、代わりに頭を撫でた。整えた髪の毛がもう一度乱れないように、優しく動かす。

 

 

 さっきまで見ていた夢は、この子(こころ)の見ている夢だ。

 

 あの海も、サメも、その背中に乗っていた彼女自身も。そして…………きっと、私ですら。彼女が見る夢の登場人物に過ぎないのだ。

 

 確証はない。でも、確信していた。

 

 

 私は眠りながら、彼女の夢をテレパシーで覗いていたのだ。それも、無意識のうちに。

 

 彼女の心音が聞こえるくらい、近いところで寝ていたから。だからこそ、この使い方に気がつくことができた。

 

 テレパシーとは、表層意識と深層意識の両方を見抜く力。そして同時に、伝える力でもある。夢というものは、その意識のどこかに含まれるのだろう。

 

 人と一緒に眠ることなんて、もうないと思っていたから。彼女が私の家に泊まると言いだした時は、本当にビックリしたけど。

 

 でも、そのおかげで私はまた一つ。自分の力を知ることができた。私の心を開かせた彼女だからこそ、この力は作用したんだと。なんとなくだけど、そう思う。

 

 だからこれは、彼女から私に与えられたものだ。

 

 私は彼女と一緒ならば、同じ夢を見ることができるんだ。予知夢なんてものじゃなくて、ただの夢を。普通の…………人間らしい夜を、過ごすことができる。

 

 超常の存在である私を、彼女は人の枠へと連れ戻してくれる。

 

 

 ベッドからそっと足を踏み出して、カーペットの上に静かに着地する。

 

 片付けをしないで寝たから。トランプやら何やらが辺りへ散乱してしまっている。時計へと視線をやれば、ちょうど六時半を過ぎたところだった。携帯を取り出し、七時にセットしていたアラームを止める。これで、煩い音で彼女を起こしてしまうこともないだろう。

 

 散らかった部屋を、念動力で片付ける。やっぱり、一番使い勝手がいいのはこの力だと思う。

 

 ベッドに腰掛け、視線を横にやる。少しだけ軋む音が出たけれど、彼女が眼を覚ますことはなかった。

 

 眠る彼女を眺めながら、昨日の出来事を反芻する。

 

 なんとなく、机の上へと視線を向けた。そこに鎮座しているそれ(・・)が、あれは夢じゃなかったことを証明してくれる。

 

 

 私の瞳に映り込んでいるもの。

 

 あの日砕けてしまったはずの思い出が、傷一つない状態でそこに佇んでいた。





 サブタイトルをかえて心機一転、新編へと突入です。
 紆余曲折ありましたけど、ここからはハロハピメンバーを交えて物語が進んで行く予定です。この二人の作り出す世界にちゃんと入り込めるのか、ちょっと心配ですけどね。
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